扉を押し開いた瞬間、息を呑むほどの圧が空間を支配した。
「……暗い」
最初にそれを口にしたのはガロだった。その声には、驚きよりも本能的な警戒が滲んでいる。第七層“暗黒宮殿”と呼ばれるこの空間は、他のどの階層とも異なる、圧倒的な沈黙と闇に包まれていた。魔力で灯す光すら霧の中に消えるようにぼやけ、ただでさえ不安定な感覚をさらに揺さぶる。
「……音がする」
リリィの囁きが緊張を裂く。聞こえる。遠くから、甲冑が擦れる音。重く、鈍く、しかし確かにこちらへと向かっている。
「ガロ、頼む」
レンの短い指示に頷き、ガロが紫の魔力球を展開した。柔らかな光が広がり、ひび割れた床、壁際に並ぶ巨大な水瓶、崩れかけたレリーフが浮かび上がる。そのすべてが長い時の中に眠っていたかのように、微かに塵を纏っていた。
「……あれも泉の水か?」
水瓶の中で、透明な液体がわずかに揺れていた。まるで自ら呼吸しているかのように。それが何かを示唆する前に、アルリアが口を開いた。
「来るよ」
耳がピクリと動く。瞬間、空気が変わった。
——ガシャン……ガシャン……
その音とともに、闇の奥から姿を現したのは、黒鉄の甲冑に身を包んだ騎士たちだった。無言のまま、重々しく歩を進める彼らは、目の奥に淡い紅の魔力を灯している。ひとり、ふたり、さらにもうひとり……やがて整然と並ぶ五体の騎士たちが、レンたちの前に立ちはだかった。
緊張がピークに達する直前——
キィィィィン、と金属が擦れる音が鳴った。五人の騎士が同時に剣を抜き、胸の前に掲げる。それは明らかに、軍の礼法。完璧な動作。無駄のない一糸乱れぬ統制。
「敬礼……?」
リリィの呟きに、誰もが言葉を失った。彼らは誰に向けて敬礼しているのか——
「アルリア……?」
レンが視線を向けると、アルリアは驚きと困惑の表情を浮かべたまま、微かに肩を震わせていた。手で口元を押さえ、ただただ、騎士たちを見つめている。
「……知ってる。わたし……ここ。ずっと昔……忘れてたのに……どうして……?」
その声には、戸惑いと懐かしさ、そして、胸の奥から沸き上がる痛みが混ざっていた。彼女の過去が、この空間と深く結びついていることを、全員が直感した。
前列の騎士が一歩踏み出し、掲げた剣をゆっくりと下ろす。それを合図に、他の騎士たちも一斉に構えを取った。鋼の靴が床を擦り、次の瞬間には全員が戦闘態勢を整えていた。
「……来るぞ!」
レンの叫びと同時に、ガロの光球が強く脈動する。戦いの始まりを告げる魔力の波動が、宮殿全体に響き渡った。
ただの敵意ではない。これは、まるで試練だ。
——かつて誰かを護っていた親衛隊。その幻影たちは、再び現れた“何か”を見極めるかのように、沈黙の剣を構えた。
剣は語らない。けれどその動きは、明確な意志を持っていた。
レンが剣を抜く。リリィが結界を展開する。ガロの魔力が空気を満たし、アルリアは……震えを止め、静かに目を閉じた。
「……行こう。わたし……向き合う」
そう言って、彼女は最前に立った。
これは、彼女自身が封じていた記憶との邂逅であり、ただの戦闘ではない。
——かつて何を守り、何を失ったのか。
その答えが、この戦いの先にある。