馬車の車輪が土を踏みしめ、定期的な揺れとともに進んでいく。天気はよく、雲ひとつない青空がどこまでも広がっていた。風はやや冷たかったが、旅にはちょうどいい。荒れ道を避けて整備された街道を通っているおかげで、予想よりも順調に進んでいる。
馬車は木製の屋根付きの大型車で、内部には三人分の席が設けられていた。御者と荷物を守るために、護衛の剣士が外に一人いるが、特に緊張感は感じられない。静かで、穏やかな旅路だ。
「……平和だな」
俺はつぶやき、となりで同じ馬車に乗っているアルリアを見る。彼女は座席にもたれ、ぼんやりと窓の外を眺めていた。朝日が白銀の髪に差し込み、まるで月光を集めたような淡い輝きを放っている。
そのときだった。
「……魔物がいるね」
アルリアが、ぽつりとつぶやいた。
一瞬で空気が変わった。
「なに?」
俺は体を起こし、彼女の横顔を見た。アルリアの表情は真剣そのものだった。
「森の奥の方。まだ遠いけど、風に匂いが乗ってる。……獣の臭い。それに、血の匂いも少し」
「わかるのか、そんなこと?」
「うん。鼻が利くわけじゃないけど……気配、っていうのかな。肌がざわざわするの。多分、オオカミっぽい」
「オオカミ……か。群れでいるかもしれないな」
アルリアはこくりと頷いた。
「しかも普通の狼じゃない。魔力を帯びてる感じ。『牙影の猟犬族』か、それに似た魔物かも」
「それ、強いのか?」
「単体なら問題ないと思うけど……群れていたら厄介。特に夜になったら、間違いなく襲ってくる」
俺は眉をひそめた。馬車の進む道は森を横切るルートで、数日間は集落のない地帯が続く。日が暮れる前に宿営地に着かなければ、野営となる。そして野営中に魔物に襲われたら……最悪の事態もある。
「護衛の奴には知らせた方がいいな」
そう言って、俺は馬車の前に身を乗り出して、御者台の護衛に声をかけた。剣を腰に下げた屈強な男が振り返る。
「魔物だと? 本当か?」
「うちの連れが気配を感じた。多分、狼系。しかも魔物だ」
男は顔をしかめ、顎をさすった。
「……このあたりじゃ出てもおかしくはねぇな。最近、別の街道でも襲撃があったって話だ。念のため、今日の宿営は少し早めにしよう。馬の疲れも考慮してな」
「助かる。警戒はしておいた方がいい」
馬車の中へ戻ると、アルリアが軽く頷いた。
「言ってくれてありがとう。……あの護衛の人、腕は悪くなさそうだね。でも、全部任せるのは危険かも」
「その時は、俺たちも動くさ。……戦えるのか?」
アルリアはわずかに微笑んだ。
「一応ね。魔法は得意。あと、剣も少し」
「頼りにしてる」
「ふふ、そんなに期待しないで。……でも、君のためなら頑張ってみる」
軽口を交わしたが、空気はすでに変わっていた。森の奥に潜む獣の気配――それは、旅が現実の危険と向き合う段階へと移ったことを告げていた。
青空の下、静かに進む馬車。だがその穏やかさの裏で、確実に“何か”が近づいていた。
俺たちの旅は、もうのんびりした道行きではない。
妹を救うための旅路は、いよいよ本格的に牙を剥き始めていた。