風が冷たくなってきた。
深緑の森を抜けた先、目の前に広がるのは裂け目の谷――リラグの裂け目だ。地面が裂け、大地が深く穿たれたその風景の先に、「願いの泉ダンジョン」が存在する。
「ここまで来たな」
レンは小さく呟き、馬車の御者に深く礼をした。
「本当に助かりました」
「無事を祈ってるぜ、兄ちゃん。……あんた、背中に何かしょってる顔してるからな」
朴訥な言葉に、レンは小さく笑って応じる。
「そうかもな」
馬車が土煙を上げながら去っていく。後ろを振り返ることなく、そのまままっすぐ進む。その横には、いつものように白銀の髪をたなびかせたエルフ――アルリアがいた。
ダンジョンの入り口は、リラグの裂け目の手前にある断崖の隙間から始まっていた。見張りの冒険者たちの姿が見える。その先には、命と願いを賭けた試練が待っている。
「ここまでだね」
入口の手前で、アルリアがふと足を止めてそう言った。
レンは振り返り、目を見つめる。
「……中に入らないのか?」
「入るよ。ただ、一緒には行かないってだけ」
アルリアはどこかすまなさそうに、それでいて毅然とした顔で続けた。
「ごめんね。信じてないわけじゃないよ。でも、私はちょっと変わってるでしょ? 変わったエルフってだけじゃなくて、記憶がなくて、見た目も美少女で」
レンは思わず吹き出しそうになった。
「……自分で言うんだな」
「だって事実だもん!」
アルリアは頬をふくらませて言い返し、そして苦笑いを浮かべた。
「でもね、そういうので、過去にいろいろあったんだ。だから、ひとりで行きたい。……ごめんね」
その言葉の裏に、どれほどの過去があるのかはわからなかった。けれど、きっと彼女なりに信じてくれていて、信じてほしいという想いが込められていた。
「いや、いいさ。お互いの目的があるんだ。……生きてまた会おう。楽しみにしてる」
レンは手を差し出した。アルリアは一瞬目を見開いたあと、その手を取る。
「……うん。絶対にまた会おう」
互いに微笑み、やがて別れの時が来る。
レンは一人、ダンジョンの入り口へと向かった。背後では、アルリアが別のルートから中へ入るべく歩き出すのが見えた。たった数日だったが、確かに心を通わせた仲間だった。
レンは深く息を吸った。
――妹よ、待っていろ。必ず治してやるから。
そして、レンは歩き出した。
“願いの泉”――その名の通り、叶えたい想いがある者だけが挑むことを許される試練の場所。
命を賭しても救いたい存在がいる限り、彼は立ち止まらない。
レンの冒険が、本当の意味でここから始まったのだった。