DD世界だと思ったらリリなの世界でした。いや両方の世界が混ざり合った世界でした!! 作:バター犬
まぶたの裏まで擦り剥いた。
這い上がった先にあったのは、
また、底だった。
何度落ちても忘れなかったのは、
落ちるたびに高くなる“期待”の重み。
壁は私の皮を削り、
指先は自分の存在を思い出すたびに、折れた。
叫んだら、返ってきた声が、
“私”だった。
だからわかったの。
この井戸、出口なんかない。
登るほど、自分の味が増えるだけ。
蛙の王さまは、
私の血でできていた。
――フレデリカ・ベルンカステル
翌朝――。
東の空にまだ眠気の残る曙光が、静かに世界を染めていく。
街の家々の屋根が、朝日に照らされて橙色に輝き始めたそのとき。
住宅街の静寂を、突然、二つの疾風が切り裂いた。
――ザッ、ザッ、ザッ、ザッ!!
駆ける足音がアスファルトを打ち鳴らし、風を割って疾走するその影。
一人は、寝癖のついた漆黒の髪を乱れた制服ごと靡かせる少年――鈴木太郎。
まぶたの奥にまだ眠気を宿しつつも、息は荒く、額には汗が滲んでいた。
「やっべ……! まじでやっべぇぇぇ!!」
そして、もう一人。
流れるような銀髪に、どこか氷のような蒼き瞳を持つ、まるで物語の登場人物のような美貌の少年――ヴァーリ・ルシファー。
朝焼けに染まるその横顔は、まさに神話の彫像を思わせる冷たい美しさ。
だが今は――
「……フッ、くだらん。遅刻とは……人間らしい愚行だな」
そう言いながらも、彼もまた全力で走っているあたり、説得力は皆無である。
二人は息を合わせるでもなく、それでもピタリと並ぶように走っていた。
まるで、どこかのバトルアニメのOPのような構図――だが、実際はただの遅刻である。
太郎は口をパクパクさせながら叫んだ。
「昨日のゲームが悪いんだよ!俺が夜中に“超絶レア”引いたのが悪かったんだよ!!」
「……それに12回も連続対戦を挑んできたのはどこの誰だ?」
「いや、あれは……お前が連勝するから……つい、意地に……!」
そんな他愛のないやりとりを交わしつつ、
二人の足取りはもはや常人の域を超えていた。
風が彼らを追い越すのではない、彼らが風そのものだった。
制服の裾がひるがえり、スニーカーが地面を蹴るたびに、朝焼けの街並みに疾風の残像が刻まれていく。
通学路の風景が背景のように流れ去る中、彼らはまるでアニメのオープニングのごとく並走し、ただひたすらにゴール――校門を目指す。
――目指すは、閉ざされた鉄の門の向こう。
「うぉぉぉぉぉぉおおおーーっ!!間に合わねぇぇぇぇぇ!!!」
鈴木太郎、絶叫と共に爆走。
シャツははだけ、カバンは腕にぶら下がり、目には焦燥と後悔と睡眠不足が宿っていた。
「……バカめ。昨晩、ゲームをやりすぎた報いだ」
ヴァーリ・ルシファー。
冷静沈着にツッコミを入れつつ、彼もまた、全力疾走中。
髪は風を裂き、足元の地面が擦れるほどのスピード。
その姿は、まるで氷の精霊が人間界で疾走しているかのようだった。
「お前が“13連勝チャレンジ”とか言い出したんだろうが!」
「フッ……お前が12連敗しなければ、夜明けは来なかった」
「くっそ、覚えてろよォォォォ!!」
そんな無駄口を叩きながらも、二人の脚は止まらない。
なぜなら――
「……あった!校門!!」
その先、視界に飛び込んできたのは、閉ざされた鉄の門――すなわち、絶望の象徴。
「……閉まってんじゃねぇかァァァァァ!!!」
「跳び越えるぞ!」
ヴァーリの鋭い声が飛び、太郎が咄嗟に応じる。
その瞬間――。
ズバァン!!
風を斬る音。
二人の身体は地を蹴り、空へ。
「はっ……!」
「せいっ!」
彼らは制服のまま、華麗に校門を跳び越えた。
――まるで忍者のように。
――いや、忍者以上の美技で。
着地と同時に、砂埃が舞い上がり、朝日にシルエットが浮かぶ。
「っしゃ、セーフだろコレ!?な?」
「……教室に着くまではノーカウントだ」
そのまま、彼らの全力疾走は、音速さながらに校舎内を駆け抜ける。
廊下の隅を鋭角に曲がり、階段を三段飛ばしで跳び越え――
到達したのは三年A組の教室。
バァンッ!
反動で勢いよく開かれるドア。
風圧で教室内のプリントがふわりと舞う――まるで登場演出かのように。
「ふぅ……ギリギリ間に合ったみたいだな」
余裕の表情、涼しい顔。
汗ひとつかいていない。
呼吸は整いすぎていて、もはや人間味すら怪しいレベル。
制服すら乱れていないその姿に、周囲のクラスメイトも一瞬言葉を失う。
一方、太郎もまた、何事もなかったかのように椅子へ腰を落とす。
ネクタイを軽く整えながら、窓の外へ目をやってぼそっと呟いた。
「……間に合ってねぇんだけどな、たぶん。鳴ってたし、チャイム」
「だが、出席簿にチェックが入る前に着席できれば――セーフ、だ」
「その理屈、どこの裏マニュアルだよ……」
まるで戦場帰りのような堂々とした入室劇に、先生すらコメントできず、
ただ“いつものこと”として受け入れる空気が、すでにこの教室には形成されていた。
教室をざっと見渡した太郎は、隣の空席に気づく。
「……お、栗毛と金髪ツインテ、今日はサボりかな?」
それだけ言うと、特に気にする様子もなく自分の席に座る。
ヴァーリも教室を一瞥したが、興味なさげに一言。
「……誰だそれ?お前の連れかなにかか?」
それっきり、二人の会話は終了。
あのいつもやかましい二人の不在すら、彼らにとっては取るに足らない出来事のようだった。
──昼休み。
太郎は机に顔を伏せ、完全に“電源オフ”状態。
昼食も食べず、寝たフリすら超えてほぼ魂が抜けているモードだった。
だがその沈黙を破る、柔らかな声。
「太郎君、今日……暇だったりする?」
その瞬間――
\ デンデンデデンッ!!! /
(※脳内BGM『ときめきメモリアル:運命の鐘ver.』発動)
「――ッッッ!!?」
太郎の全身に戦慄が走る。
脳内で鐘が鳴る。チャイムが鳴る。サイレンが鳴る。もはや避難訓練レベルで鳴り響く警報音。
これは来たのでは!?
青春。
ラブ。
ド直球イベント。
選ばれし主人公だけが経験を許される、運命の昼休みラブコール――!
「こ、告白ッ!?ついに俺にも……俺にも青春ラブストーリーが……キャァァァァァァーッ!!」
突如、頬に両手を当て、上半身を左右にくねくねと揺らす太郎。
背筋をそらし、乙女のごとく目を潤ませ、机の上で謎の舞を披露しはじめた。
その光景は、周囲のクラスメイトたちに異常な恐怖を与えたことだろう。
だが、そんな太郎の脳内で、ある冷静な声がこだまする。
『……いや、どう考えても昨日のことだろ。お前、目の前で斬殺ショーしたんだぞ』
――脳内八尾の、圧倒的現実投下。
「……なんだ、期待して損した」
太郎は膝から崩れ落ちる勢いで椅子に沈み込み、心の中でそっと“青春”を埋葬した。
「……もしかして、昨日のこと?」
「うん。だから……もし時間があったら、私の家に来てほしいの」
(あーやっぱそっちかー!)
心の中で大きくガッツポーズした後、手のひらを返すような爽やかスマイルを浮かべて返す太郎。
「うーん……どうしよっかな~……まぁ今日は暇だから、いいよ!」
――が、その平和なやりとりの真っ最中。
背後から冷たい声が教室内の空気を凍らせる。
「そこのモブ……俺のすずかに話しかけるな。嫌がってるじゃないか」
登場したのは、銀髪にオッドアイ、全身から中二感をにじませる少年――帝王院 神。
太郎は眉間にシワを寄せ、気だるげに振り返る。
「……銀髪オッドアイかよ。今週二人目だぞ、その見た目系」
「誰が銀髪オッドアイだッ!
俺の名は――帝王院 神(ていおういん・しん)だッ!!」
ドヤ顔とともに響き渡る、渾身の名乗り。
教室内の空気が一瞬で「痛いな……」の空気に染まる。
「……はいはい。それで? 僕に何の用なの?」
太郎は心底どうでもよさそうな声で返す。
どこまでも“関わりたくないオーラ”が滲み出ていた。
「話がある。……ちょっと来い」
真剣な眼差し。
中二病特有の“謎の上から目線”と“引っ張りたがり病”が発動していた。
太郎は数秒沈黙したあと、大げさなため息をついた。
「……ハァー……」
その溜息は、あまりに深く、重く、人生そのものを諦めたような響きを持っていた。
「あー……はいはい、めんどくせー……」
机からゆっくり立ち上がり、まるでゴミ出しに行くようなテンションで神の後ろに続く。
その背中からは、“付き合ってられねぇ感”が全力で溢れていた。
鉄扉の軋む音を背に、太郎と帝王院 神は屋上へと足を踏み入れた。
そこは、灰色の雲に覆われた12月初頭の空の下。
冬の北風がビルの隙間を抜け、屋上の柵を打ち鳴らす。
空気は冷たく、張りつめている。
まるで、これから始まる“決闘”を歓迎しているかのように。
だが――その雰囲気に見合うほど、そこに立つ二人の温度差は激しかった。
「……さて。ここなら、邪魔も入らんだろう」
誰もいない場所。
教師の目も、クラスメイトの視線も届かない、この校舎の最上階。
帝王院 神は腕を組み、どこか得意げに宣言する。
だがその背後で、太郎はというと――
「……いや、わざわざ屋上に呼び出す必要ある?これ、普通に廊下でもよくね?」
突き刺さるような寒風の中、制服のポケットに手を突っ込んだまま、超冷めた目線で反論。
「俺、わざわざ風速6メートルの屋上に来るタイプの人間じゃねぇんだけど……」
帝王院は構わず、くるりと振り返る。
瞳に宿るのは、まさに“選ばれし者感”――いや、自分でそう思い込んでるだけである。
「お前に……警告しに来た」
その声は重々しく、芝居がかったように低い。
……寒空の下で言われると、逆にシュールさが強調されていく。
そして、次の瞬間――帝王院は、満を持して言い放った。
「俺のすずかに、近づくな……!」
冬の風が、ざわりと制服を揺らす。
遠くでカラスが一声、低く鳴いた。
「すずかは……俺のことが好きなんだ。ずっと前からな」
その言葉には、確信という名の錯覚と、どこまでもまっすぐな勘違いが詰まっていた。
――なのに、その顔は本気で信じきっている。
まるで、世界の理のひとつを語っているかのようなドヤ顔で。
それが逆に、太郎の腹筋を決壊させる引き金になった。
「ぷっ……」
そして次の瞬間、太郎の腹筋が崩壊した。
肩が小刻みに震え――
「ぶははははっ、あははっ、ぎゃはははははははははぁぁッ!!」
笑い声が屋上に爆音のように響き渡る!
「マジで言ってんの!?“俺のすずか”って!!ぶはははッ!やべぇ……腹いてぇ……!!あっはっはっは!!」
太郎は笑いながらしゃがみ込み、膝を抱え、転がり、
さらに地面をバンバン叩きながら、もう涙を浮かべて大爆笑。
「ちょっ、待って、無理、無理っ!お前、自分で言って恥ずかしくなんないの!?マジでその顔で言ったの!?ぎゃっはっはっはっはっ!!」
背中を反らして仰け反る太郎。
笑いすぎて呼吸困難寸前、咳き込みながらもなお止まらない。
「ごほっ……はーっ……ぶっふっ……っくく……っふぉっはっはっは!!」
それでも、帝王院の必死な顔を見た瞬間――
「ぷっ……! その顔!!本気じゃん!!いや、マジでウケるんだけど!!」
――笑撃、再燃!!
最終的に太郎は、もう床に大の字で倒れ込み、足をバタバタさせながら、
「助けて、はっつぁん……笑い死ぬ……!お前、それ言ってて自分で恥ずかしくならないの?中二病末期の彼女妄想モード?お大事にッ!」
と半泣きで懇願し始める始末だった。
……ちなみに脳内の八尾は完全にスルーしていた。
目の前で繰り広げられるこの爆笑地獄に、帝王院 神の表情はみるみる赤く染まり――怒りが頂点へと達しようとしていた。
「なにがおかしいッ!!」
怒号が屋上に響く。
顔を真っ赤にした帝王院 神が、ついにブチ切れた。
その目に宿るのは羞恥と怒り、そして敗北を悟りたくないプライド。
だが――太郎は、まだ笑っていた。
「っぷはっ……! マジで気づいてないのが一番ウケるって……!はっ、はっ……っふははは!」
笑いすぎて涙すら滲ませながら、太郎は腹を押さえて身をよじる。
その姿に、帝王院の怒りはついに限界を突破した。
「黙れぇぇッ!!」
叫びと同時に、拳が振り上げられる。
風を裂いて、一直線に太郎の顔面へと迫る怒りの拳――
だが。
「……っと、雑すぎ」
太郎はその場で軽く体をひねり、半歩右へと滑るように回避。
まるで舞踏会のステップのように、優雅に、無駄なく。
拳は虚空を切り裂き、完全に空振った。
バランスを崩した帝王院の身体が前に傾いた、その瞬間――。
「……そこが甘い」
太郎の膝が、無造作に跳ね上がった。
ゴフッ!!
無防備な腹部に、膝蹴りがクリーンヒット。
帝王院の上半身が“くの字”に折れ、口から空気が一気に吐き出された。
だが、太郎は止まらない。
「次」
軽く足を引いて――
ドゴッ!
振り抜いたローキックが、帝王院の膝裏を正確に撃ち抜く。
一瞬、体勢を崩した帝王院の上体に――
「もう一発」
ズドォッ!!
拳が再び、腹部にめり込んだ。
今度は真正面から。臓腑に響く重い打撃。
「がっ……あ……っ!」
帝王院の身体が、くの字に折れ、吹っ飛ぶように後方へ倒れた。
ドサァンッという重い音と共に、白目を剥いて沈黙。
太郎は肩をポンポンとほぐすように軽く動かしながら、その様子を見下ろす。
「……んー、まあまあ力はあるね、うん。筋肉を魔力で強化してるのかな」
片手をひらひらと振って、適当に総評。
「でも動きはガバガバだし、反応も鈍いし、口だけ立派って感じ?残念イケメン中二系男子……ってとこかなぁ~?」
まるでバラエティ番組の感想コーナー。
言ってる本人は超軽いノリ。真面目さはどこにもない。
「てか、“俺のすずかに近づくな”って……プッ、思い出してまた笑えるわ」
最後にふっと鼻で笑い、制服の裾をはたいてくるりと背を向けた。
「じゃーな、銀髪オッドアイくん。……つか、もう教室で話しかけてくんなよー♪ 恥ずかしいからさぁ~♪」
にっこり笑顔で、手をひらひら振りながら軽やかに去っていく太郎。
その背中は、完全に“どうでもいい”オーラを放ちつつ、
同時に**「二度と絡んでくんな」**という強烈な塩対応を叩きつけていた。
吹きすさぶ風の中、白目を剥いた帝王院 神だけが、静かに転がっていた――。
放課後――。
太郎は、校門前に停まっていた黒塗りの高級車――
すずかの用意した送迎車へ、特に感慨もなくヒョイと乗り込んだ。
革張りのシートが妙に高級感を主張してくるが、太郎はそれすらも特に気に留めずに、座席にドカッと腰を下ろす。
「……ん、やっぱ乗り心地いいな。俺のチャリとは段違いだわ~」
そんな呑気な感想を漏らしたそのとき。
隣から視線を感じて、ふと顔を向けると――
すでに車内に座っていた少女、アリサがいた。
「……昨日はありがと。でもさ――」
彼女は少しだけ睨むように、けれど怯えも混じった目で言った。
「……あれ、なんだったのよ。アンタ……何者?」
緊張した空気。
言葉の端々には、まだ警戒と戸惑いが色濃くにじんでいる。
無理もない。
自分たちを襲ってきた不良どもが、目の前で次々と謎の斬殺劇に遭い、
その中心にいたのが、他でもないこの鈴木太郎だったのだから。
だが――。
「んー……」
太郎は眠そうにあくびをしながら、まるで“コンビニでガム選ぶかどうか悩む程度”のテンションで言った。
「別に。ちょっと強いだけの、ただの一般人っすよぉ~?」
「はあ!? 何が“ただの”よ!」
「んー……」
太郎は窓の外を眺めながら、ちょっとだけ口を尖らせる。
「いやさ、ほら――世の中には、知らないほうが幸せなことって、あるじゃん?」
そう言ってから、ちらっとアリサに目線を向けて――苦笑い。
「……てか、僕の立場的にもね?ぶっちゃけ、すっごく言いにくいのよ。めっちゃ困るのよ、そーゆー質問」
あくまで冗談っぽく。
けど、その裏にほんの少しだけ“ガチ感”を滲ませて。
「だから、気にすんな?ね?」
そう締めくくって、ヒラヒラと手を振るようなジェスチャー。
まるで「この話、もうおしまい」って空気を出すように――
太郎は、にっこり軽く笑って見せた。
そう言いながら、窓の外を眺めて口笛を吹く太郎。
鼻歌交じりにメロディを流し、どこまでも軽い。
この空気感で答えるつもりなど、微塵もなかった。
完全に話す気ゼロである。
アリサは苛立ちを隠さず、キッと太郎を睨む。
けれどその目には、どこか戸惑いと不安も混じっていた。
太郎が何者なのか――それを知るのが、少しだけ怖かった。
結果、何も言えずに視線をそらす。
車内にじわじわと、気まずい沈黙が満ちていく。
でも。
――その空気も、長くは続かなかった。
「おまたせしました。間もなく目的地です」
運転手の落ち着いた声が、スピーカー越しに響く。
同時に、車がカーブを曲がり――
視界の先に、異世界が広がった。
巨大な黒鉄の門。
左右に広がる高い塀。
敷地の奥に見えるのは、まるで外国の貴族が住んでいそうな洋風の大豪邸だった。
「……うわ、なんか出てきた。城?」
太郎が思わず漏らすと、アリサが小さく笑うように肩をすくめた。
「まぁね。すずか、実はめっちゃ金持ちなんだよ」
「おっかしいなぁ~……僕んち、襖開けたら即トイレなんだけど」
「それはそれでヤバい」
微妙にズレたやりとりを交わしながら、車はゆっくりと門をくぐっていく。
さっきまでの気まずさは、いつの間にか空気の中に溶けていた。
こうして、少しだけ和らいだ空気のまま――
高級送迎車は、月村家の敷地内へと静かに入っていった。
「すずかの家って……親、何やってんの?
マフィアのボス?大富豪?それとも異世界の王族かなんか?」
太郎は窓から顔を出しながら、目の前に広がる光景を眺めてぽつりと呟いた。
目の前にあるのは、重厚な装飾が施された威圧感マシマシの鉄の門。
門の両脇には獅子の紋章が刻まれ、両脇の塀の上には防犯カメラがずらり。
いや、これはもう普通に“豪邸”ってレベルじゃない。
「これ、絶対なんか企んでるタイプの金持ちの家でしょ……!」
呟いた瞬間、ガチャン……ギィィィ……ッ
鉄の門がゆっくりと音を立てて開いていく。
その中央から――
「お待ちしておりました。太郎様、アリサ様。どうぞこちらへ」
姿を現したのは、完璧な笑顔と完璧な所作を身にまとったメイドさんだった。
黒のクラシックなメイド服に身を包み、背筋はピンと伸び、
一礼すら無駄がない、プロフェッショナルすぎる対応。
太郎は、口を半開きにしたまま固まる。
「……え、メイド。リアルメイド。存在してたのか、メイド……」
「なにその反応」
アリサがボソッと突っ込むが、太郎の脳内はもはや非日常バグ発生中である。
「てか、あれだよな……このまま案内されたら、廊下の途中で“こちらが呪われた間でございます”とか言われるタイプの家だよな?」
「それは言いすぎ」
そんなやりとりをしつつも、太郎とアリサは、メイドに導かれ――
“月村家”という名の、異世界レベルの豪邸の中へと足を踏み入れたのだった。
「お待ちしておりました。太郎様、アリサ様、どうぞこちらへ」
案内されたのは、重厚な扉の奥に広がる、これぞ格式という名の客室だった。
壁にはクラシカルな絵画が並び、天井のシャンデリアが虹色の光を落とす。
足元に敷かれたカーペットは、歩くたびに「沈む」レベルで分厚くてフカフカ。
太郎はふわっとソファに腰を下ろすなり、ぼそりと呟いた。
「僕んちのソファ、スプリングむき出しなんだけど」
「……いちいち自分ちと比べるのやめなさいよ」
アリサが苦笑しながら返す中――
カツ、カツ、カツ……。
ヒールの音と共に、部屋の扉が静かに開いた。
入ってきたのは、一目で“只者じゃない感”を放つ女性。
長い黒髪を後ろでまとめ、深紅のドレスをまとった彼女は、
仕草ひとつとっても優雅で洗練されていて、どこか舞台女優のような雰囲気すらあった。
「初めまして。私は、すずかの姉――月村 忍よ。よろしくね」
落ち着いたトーンの中に、芯の強さを感じる声。
太郎とアリサを見回しながら、柔らかく微笑み――そのまま深く一礼する。
「鈴木太郎さん、アリサちゃん。まずは……すずかを助けてくれて、ありがとう。心からお礼を伝えるわ」
太郎は手をひらひらさせながら、ふにゃっとした笑顔で返す。
「いやいや、助けたっていうか……たまたまそこにいただけっていうか……
ま、あとで“助けた請求書”とか送ってもいい感じっすか?」
忍は一瞬きょとんとしたあと――ふっと微笑んだ。
「うふふ、それならすずかの笑顔で相殺してもらえるかしら」
「うーん、それじゃ割に合わないなぁ~。最低でもお菓子3箱分は欲しいとこだな」
その冗談めいたやりとりに、アリサが思わず吹き出しそうになり、口元を押さえた。
忍がくすりと笑いながら返し、アリサは思わず吹き出しそうになって口を押さえる。
太郎のそっけない返事に、月村 忍は柔らかく微笑んだ。
その笑みには、どこか「覚悟」を孕んだ影があった。
「――実は、あなたたち二人に、話しておかないといけないことがあるの」
静かに、けれど確かな言葉。
その言葉に、アリサの顔色が僅かに変わる。
重たい空気が部屋を包みはじめる中、彼女は少し唇を噛んでから、意を決したように口を開いた。
「……すずかって、本当に……吸血鬼なんですか?」
質問というより、ほとんど“確認”。
そして、返ってきた答えは――まるで、既成事実のように落ち着いていた。
「ええ。私たちは、“夜の一族”と呼ばれている――れっきとした、吸血鬼よ」
その言葉が落ちた瞬間、客室の空気がピタリと止まったような感覚に包まれる。
誰も言葉を発さず、空調の音さえ遠くに聞こえるほどの沈黙。
アリサの目がわずかに見開かれる。
太郎はというと――
「ふーん、吸血鬼ねぇ……」
紅茶にクッキーをディップしながら、無駄に器用な角度でそれを口に運び――もぐもぐと無言で咀嚼。
「なんかもっとこう、牙むいて“グワァァ!”みたいなの想像してたわ」
「……いや、落ち着きすぎでしょアンタ」
アリサが思わず突っ込む。
「だってさ、こっちはすでに“斬殺ショー”経験済みだし
今さら“実は吸血鬼です”って言われても、“はいはいそうですか”以外の反応なくね?」
軽く肩をすくめる太郎。
その“異常事態にも動じない”態度に、忍すら少し驚いたように目を細めた。
そして――彼女は静かに言葉を継ぐ。
「……こんな話のあとで、自分勝手なのは分かってるけれど――」
その声に、どこか躊躇いが混じる。
だが、目は真っ直ぐに二人を見据えていた。
「それでも、これからも……すずかと友達でいてくれるかしら?」
――これはただのお願いではない。
“人外の存在”として生きる者が、人としての繋がりを求めた――そんな、真剣な問いだった。
その空気の中で、アリサがすっと立ち上がる。
そして、すずかの目をまっすぐに見つめながら、力強く言った。
「私は……すずかが吸血鬼でも、何でも関係ないよ。
すずかは私の親友。それは、変わらないから!」
「アリサちゃん……!」
すずかが目に涙を浮かべ、アリサにぎゅっと抱きつく。
言葉にならない想いが、その抱擁にすべて込められていた。
そして、その様子を見ていた太郎は――
「……あー、泣いちゃった。
お菓子、食いづらっ……」
と、テーブルのティーセットを前に、困ったような顔をしていた。
アリサはすずかの目をまっすぐ見て言う。
「私はすずかが吸血鬼とか関係なく、大事な親友だよ。そんなことで嫌いになるわけない」
「アリサちゃん……ありがとう……!」
すずかは感極まり、アリサに抱きついた。
その横で、太郎はというと――
用意された焼き菓子をもぐもぐ頬張りながら、どこか他人事のような笑みを浮かべていた。
「……青春だねぇ、うん。まるで、三文芝居の舞台でも見せられてる気分だわ」
まるで劇場の客席から、熱演を眺める観客のような目。
ティーカップを片手に、感動の友情シーンを**“ドラマの再放送”でも見るかのようなテンション**で見守っていた。
「……次は感動のBGMでも流れるターンっすか?スタッフさん、お願いしますよ」
そんなことをぼやきながら、もうひとつクッキーに手を伸ばす太郎。
彼だけが、この場の空気から完全に浮いていた。
だが、それがむしろ“彼らしい”という説得力を持っていた。
だが――。
その穏やかだった空気を、月村 忍の視線が鋭く裂いた。
「……話は変わるけれど、あなた――一体、何者なの?」
その言葉に、室内の空気がピン、と音を立てたように張り詰めた。
忍の声は静かだったが、確かに“本気”の圧が込められていた。
太郎はお菓子をつまんだ手を止め、少しだけ苦笑いを浮かべた。
「……ふふん。まあ、言ってもいいけどさ」
太郎は椅子にもたれかかりながら、口元にニヤつきを浮かべる。
「正直ね、僕の立場上、ベラベラ喋るのってあんまりよろしくないんだけど――」
そう言って、一瞬だけすずかと忍に目を向ける。
「まぁ、吸血鬼さんたちの前だし?いまさら隠してもしゃーないよね~ってことで、特別サービスだよ♪」
軽い調子で言いながらも、その目だけはほんの一瞬、真剣だった。
「じゃあ……見せよっか。ここで引いたら逆にカッコつかないしね?」
太郎はふっと笑い、立ち上がるそぶりも見せずに椅子にもたれたまま――
ひらりと手を振る。
「あっ、ちなみにアリサ?
これ見たら表の世界には戻れなくなるかもよ?
あとで“人生返して”って泣かれても、返品対応は不可だからね~」
悪戯っぽく笑いながら、ちゃらけた口調。
だけど、その言葉にはどこか“本気”の影が混じっていた。
アリサとすずかは、顔を見合わせる。
一瞬の戸惑い――けれど、その瞳に浮かんだのは迷いよりも意志。
そして、ふたりは小さく、確かに頷いた。
「……私は、ただ太郎のことをもっと知りたいの。だって、名前しか知らないし……親友だから」
「私も。アリサちゃんと同じ……太郎くんのこと、ちゃんと知りたい」
――だが、その“熱”は。
太郎には、どこか遠くの話のようにしか届いていなかった。
彼は肩をすくめて、大げさにため息をつく。
「はーいはーい、もう青春全開でお腹いっぱいですぅ~……」
そして、軽く首を傾けて、ぼそっと付け足す。
「……ま、こっちは別に、親友とか仲間とか思ってるわけじゃないけどね。
たまたま同じクラスで、たまたま事件に巻き込まれただけってだけの話」
でも――その言葉を遮るように、
太郎の背から、黒い影がゆっくりと、静かに伸びていく。
それは闇のように広がり、
空間の空気ごと塗りつぶすかのように――翼が、顕現する。
漆黒の羽根が、静かに震えながら伸び、
“堕天使”の存在を、圧倒的に“現実”へと突きつけた。
その場の誰もが、息を飲んだ。
「……ッ!」
すずかは小さく息を呑み、
忍は、その場にそぐわぬほど大きく目を見開いた。
広がった黒い翼――まるで夜そのものが形を持ったかのような漆黒の羽。
それを前に、部屋の温度が実際に下がったかのように、空気がピタリと静止する。
誰もが言葉を失い、呼吸すらためらうような沈黙。
その沈黙が、何度か脈打つように空間に響いた。
だが――その張り詰めた空気を最初に破ったのは、意外にもアリサだった。
「……その翼、見たことある」
アリサは小さく呟いた。
目は驚きながらも、確かに太郎の背に広がる漆黒の羽を見据えていた。
「昔……小さい頃、両親に連れられて行った教会で見たの。
祭壇の奥に飾られてた古い壁画……そこに描かれてた“堕天の者”の姿、あの翼――」
震える声ではなかった。
むしろ、幼い記憶の中に強く焼きついた**“異質”への確信**が、今ここで呼び起こされたかのようだった。
「アンタ……まさか、“堕天使”?」
その言葉に、すずかが顔を上げる。忍は再び口元を覆いながら、言葉を飲み込んだ。
そんな中、太郎は――にこりと笑った。
「大正解~!」
軽く両手を広げて、無駄にハイテンションなテンションで言い放つ。
「やー、まさか一発で正解するとは思わなかったよ!これはもうハワイ旅行を贈呈するしかないね~!
もちろん旅費は自己負担で♪」
緊迫した空気を全力でぶち壊すようなノリ。
だがその裏に、確かに**“事実としての異質さ”**がしっかりと残っていた。
場違いなテンションで茶化す太郎を前に、すずかは驚きと困惑で口を押さえたまま、ただ固まっていた。
信じたいけど、受け止めきれない――そんな目。
その隣で、月村 忍は、まるで時が止まったかのように静かに佇んでいた。
そして、何かを確かめるように――ゆっくりと、音も立てずに立ち上がる。
「……堕天使が、本当に……存在していたなんて……」
その言葉は、まるで心の底から絞り出すようだった。
長い間“異端”として語られ続けた存在――その象徴が、今この部屋に、現実として立っている。
神話でも、伝承でもない。
人々が恐れ、そして忘れようとした“本物”。
忍の声には、吸血鬼である彼女すらも“下位存在”に感じてしまうような、威圧感すら滲んでいた。
――だが。
「いやいやいや、ちょっと待って?」
太郎がサクッと割って入る。
手にクッキーを持ったまま、ポリッと軽快な音を立てて噛み砕きながら――
「なんでそんな深刻そうな空気になってんの?
ていうかさ、自分たちも吸血鬼なんだよね? そこんとこ忘れてない? こっちもびっくりだよ?」
あくまで笑顔。
シリアス一切拒否の軽やかテンションで、ズバッとツッコんだ。
「こっちから見たら、“血吸います”って自己紹介のほうがホラーだからね?
お互い異常者、仲良くしよーよ♪」
忍の重苦しい空気を、完全に粉砕していく太郎。
もはや台風レベルのマイペース。
「……ほんと、アンタって……」
アリサが呆れ顔でつぶやく。
太郎は肩をすくめて、茶をすすりながら満面の笑みで返した。
「うん、俺ってだいたいそんな感じ~♪」
その軽口に、すずかとアリサは思わず笑ってしまった。
空気は、ほんの少しだけ、緊張から解き放たれたようだった。
だが、月村 忍の瞳は、鋭く細められたままだった――
まるで、笑顔の裏に隠された“太郎の本質”を見極めようとしているように。
その時――。
ブルルルルル……♪
場の空気を切り裂くように、太郎のポケットの中でスマホが鳴り響いた。
「あいあい、はいはい。太郎さんただいま取り込み中なんだけど~?」
気だるげに画面を確認しながら、いつも通りのテンションで通話に出る。
そのスピーカー越しから響いたのは、どこか楽しげで、同時にいつも通り戦闘狂な声。
『太郎か? 俺だ、ヴァーリだ! 今、ちょー面白いことになっててな。お前も来ないか?』
「……はぁい、そーですかー。こっちはこっちでお茶会モードなんだけどねぇ……」
一瞬だけ空気を読みつつも、
太郎はスマホを耳から離し、飽きたようにぽつり。
「……考えとくよー、とは言ったけど――まぁ、行くわ」
すっくと立ち上がる太郎。
袖を軽く払うと、指先に魔力の紋が浮かび上がる。
床に魔方陣が広がり、淡く光を放つ――漆黒と蒼の転移陣。
空気がわずかに震え、空間がきしむ。
「じゃ、みんな~。なんか知らんけど、ヴァーリがテンション上げて呼んでるんでね~。
ま、様子見がてら顔出してくるわ~♪」
歩きながら軽く手を振る太郎。
そして、まるで思い出したかのように振り返り――
「……あ、明日また教室で会おうね~。できれば話しかけてこないでね? 俺、静かな昼寝ライフ派なんで」
その言葉と同時に、転移魔方陣が光を増し――
バシュッ!!
太郎の姿は、音もなく霧のように掻き消えた。
残された客室には、魔法陣の余韻と、ぽかんと口を開けた三人の視線だけが、漂っていた。
彼の残した言葉と、その存在――。
すずかたちの心に、深い爪痕のように残っていた。