DD世界だと思ったらリリなの世界でした。いや両方の世界が混ざり合った世界でした!! 作:バター犬
風に折れることも知らなかった
そんなひとは、ただ うつくしかった
誰の声にも 耳をかさず
誰の手も とらずに、ただ たたかった
そんなひとは、まるで たかく見えた
まぶしすぎて
近づけなくて
それでも
わたしは ずっと
そのひかりを
欲しがっていた
――フレデリカ・ベルンカステル
太郎は、何事もなかったかのように登校していた。
昨日、特別なことは起こっていない。
起こっていないことに、しておく。
そう思いながら、太郎は昼休み、階段を登っていく。
誰もいない屋上。
錆びたドアの向こう、風の音と遠くの生徒たちの声だけが、薄く響いていた。
(……ここ、やっぱ落ち着くわ)
柵にもたれかかりながら、太郎は空を仰ぐ。
雲がゆっくりと流れている。
「……寒っ」
12月の風が容赦なく頬を刺す。
制服の上から突き刺さる冷気に肩をすくめながら、太郎は一歩、二歩と足を進める。
だけど、立ち止まらない。
むしろ――
「……ま、いっか」
彼はそのまま、タンク脇のコンクリの床にごろんと寝転んだ。
冷え切った地面に背中を預けて、上を向く。
高く澄んだ空。白い雲が、音もなく流れていた。
しばらくそうしていた太郎は、制服のポケットをごそごそと探り――
中からくしゃっとしたパンの袋を取り出すと、そのままもぐもぐと食べ始めた。
視界に広がるのは雲と青空だけ。
足元では下級生たちの声が遠く響く。
――ここ、風通し良くていいなぁ……。なんか、現実感ないとこがまたいいよね。
彼のとなりには誰もいない。
ただ、頭の中にいつもの声があった。
『……おい太郎、昼から寝る気か?』
――ねぇ、ぱっつぁん。
ヴァーリがいなくなってさ、今さら気づいたんだけど――僕、もしかして、ぼっち?
『今さらかよ。転校当初から周囲に馴染んでなかったぞ』
――えー、マジで?
自分ではけっこうイケてたつもりだったんだけどなー……うわ、へこむわー。
でもまあ、ひとりのほうが気楽って言うし?
ていうか、みんなとつるまない俺、逆にカッコいい説ない?
……ないか。うん、ないな。
……まぁ、いっか。
てかさ、もうすぐクリスマスじゃん?
なんかあるのかなー、堕天使的なイベントとか。
ほら、羽とか黒いし、雪の夜とか似合いそうじゃん? ロマンチック的な?
『それ堕天使は関係ねぇだろ!』
太郎がパンをかじりながらぱっつぁんとアホみたいな会話をしてるときだった。
ふと――違和感が走った。
周囲の音が、急に、なくなった。
下の校庭から聞こえていたはずの昼休みの喧騒。
窓の隙間から漏れる教室の笑い声や足音。
鳥の鳴き声、風の揺らぎ、全てが――ぷつりと途切れた。
「……ん?」
太郎は、パンを口にくわえたまま、上体を起こす。
まるで音だけを抜き取られたような空間に、眉をひそめた。
(……なんだ、この感じ)
答えを探すより早く、頭の中に声が響いた。
『──結界だッ!!』
ぱっつぁんの叫びと同時に、
学校全体を包むような、びりびりとした魔力の震えが肌を刺した。
その瞬間――太郎の足元に、奇妙な紋様が浮かび上がる。
線や円が交差して、まるで“何か”を形成しているようだが、
太郎にも、頭の中のぱっつぁんにも、正体はさっぱりわからない。
「……なんだこれ。魔法陣……っぽいけど……?」
『知らねぇが、嫌な感じだな。
……これ、結界か?』
「だよな。しかもこの感じ・・・昨日の結界かな?」
太郎が戸惑うまま、地面の紋様がさらに輝きを増し、
視界の端へと広がっていく。
まるで見えない壁のように、世界を区切るかのようだった。
気づけば――太郎の周囲を、派手な衣装をまとった集団が取り囲んでいた。
それは、見慣れない形の武器や杖を携えていて、
あからさまにこの世界の理屈とは別の力を操っているように見える。
そして、その中の一人が、前へ出て名乗り始めた。
「時空管理局・執務官、クロノ・ハラオウンだ」
太郎の手が止まる。
口元に持っていたパンがピタリと静止した。
太郎はゆっくりとパンを下げ、モゴっと咀嚼しながら振り返る。
「……あっ、ども」
その反応が、逆にクロノの眉をわずかにぴくりと動かした。
「昨日、君と行動を共にしていた白い鎧の人物から、ロストロギア反応を確認した。
状況を確認する必要がある。――同行してもらう」
クロノはまっすぐな目で言い切った。
それは執務官としての命令であり、言葉のどこにも冗談や猶予はなかった。
が――
その真正面の威圧を、パンを片手に受け止めた男がひとり。
「ハラオウン? あ、もしかして金髪ツインテの親戚?」
太郎はそう言って、あろうことかモグッと一口パンをかじる。
まるで“呼び出しを食らった高校生”くらいの気楽さで。
クロノのこめかみがピクリと跳ねた。
目だけで太郎を射抜くように見据え、低く返す。
「いまは関係ない。
――同行するか、否かだ」
「……断ったら?」
クロノは一拍置き、口調を崩さずに淡々と告げる。
「君を重要参考人として拘束させてもらう。
こちらとしても、なるべく手荒な真似はしたくない」
「じゃあ――やだ♪」
即答だった。
まるで誘われたお茶会を断るかのようなノリで、太郎はひらひらと手を振る。
クロノの眉がわずかに動く。
だが声には一切の感情を乗せない。
「……そうか。
君は昨日、魔力を行使した。
それも、管理外世界における未登録魔導式による無断使用――」
クロノは一歩、太郎へと歩み寄りながら言い放つ。
「これは、時空法 第87条・第2項に明確に違反している。
――よって君を、逮捕する」
その声は一切の感情を排し、宣告のように冷たく響いた。
その宣言とともに、クロノがわずかに手を振り下ろす。
瞬間――空間座標上に、高密度のバインド魔法が即座に起動した。
太郎の周囲の空間にリング状の魔力拘束具が展開され、
空間固定型の“捕縛の輪”が、手首・足首を目がけて高速で迫る。
(くるっ……!!)
太郎の瞳がわずかに光を帯びる。
写輪眼、万華鏡の文様が螺旋のように回転を始めた。
「──神威」
無音の詠唱。
その瞬間、太郎の身体の一部が空間から“ズレ”た。
拘束具が触れるより先に――
太郎の両手足は、異なる位相へと滑り落ちるように“消え”、
そのまま、拘束魔法は空を切った。
「なっ……!?」
クロノの目がわずかに見開かれる。
ミッド式の捕縛魔法――それは命中精度と速さを兼ね備え、
通常の魔導師なら逃げる間もなく拘束される仕様だ。
だが太郎は、
その魔法を“避けた”のではない。
“通り抜けた”のだ。
「……反応速度の問題じゃない。これは……物理法則のすり抜け……?」
クロノの脳内で警告が鳴る。
目の前の少年が使ったのは、少なくとも時空管理局のデータベースに登録された術式ではない。
その一瞬――太郎は笑っていた。
拘束具を避けたことすら、ゲームのチュートリアルを突破したかのような軽さで
唖然とするクロノ。
その拘束がすり抜けた刹那――
太郎の足が、コンクリートを**バンッ!**と踏み鳴らす。
「……はっ!」
風を裂くように、太郎の身体が一瞬でクロノの背後へ回り込む。
狙いは、立ち並ぶ隊員のひとり。
――そして、目が合った。
万華鏡写輪眼が、ギュルリと回転する。
三重の文様がひとつに収束し、相手の意識へと鋭く突き刺さる。
「──あ……っ」
それだけで十分だった。
隊員の動きが止まり、次の瞬間――ぷつりと糸が切れたように、
その場に崩れ落ちた。
「っ、な……!?」
クロノが反応するより先に、太郎はすでに数歩後ろへと跳んで身構えていた。
直後――クロノの合図を受け、隊員たちが一斉に魔力弾を放つ!
非殺傷設定とはいえ、その火力は本物。
訓練された魔導師たちが、波の犯罪者では太刀打ちできないレベルの火線を容赦なく浴びせかける!
太郎は、そこにいた。
全弾が彼を捉え、直撃しているはずだった。
にもかかわらず――一発も当たっていない。
魔力弾が彼の肉体を貫こうとした瞬間、
太郎の身体は、まるで靄のように揺らぎ、
あらゆる攻撃が**“存在そのものをすり抜ける”ように**通り抜けていった。
「クソッ! なんで当たんねぇんだよ!!」
怒声が飛ぶ。焦りが滲む。
魔導師たちの一部は、今の状況が理解できていなかった。
視界に“確かにいる”。
攻撃の軌道は、明らかに彼の座標を捉えている。
だが、当たらない。掠りもしない。
一発、一発。
放つたびに、“物理法則を踏みにじられる感覚”だけが隊員の中に積もっていく。
もはや、これは魔術の問題ではなかった。
世界の常識が、相手には通じていない。
太郎は、魔力弾の嵐の中で――
ただ、笑っていた。
制服の裾がひらりと舞うその隙間から、写輪眼がぐるりと回転する。
口元には、無垢な――けれどどこか壊れた笑み。
「ちょっと訓練しただけのただの人間が! 僕に勝てるわけないじゃん♪
せめて殺気ぐらいはだそうぜ」
声は軽い。明るい。
だけど、そこに乗った意味はあまりにも重すぎた。
それは、“自分が人間でない”と知っている者の言葉。
それは、相手が人間である限り、絶対に届かないと理解している者の勝利宣言。
魔導師たちの顔が、僅かに強張る。
それでも太郎は――
まるで「遊びはここまで」とでも言いたげに、笑ったまま、次の行動に移った。
、
彼の両眼――万華鏡写輪眼が、再び静かに回転する。
(……また、“ズレる”)
その視線が宙をなぞると同時に、
彼の身体の輪郭がゆらりと歪み始めた。
空間の縫い目がねじれ、音もなく“太郎”の存在が剥離していく。
「っ……これは……消えた……!?」
クロノが警戒の色を濃くする中――
最後にひとつ、太郎の声だけが、
空間に残響のように残された。
「ばいば~い♪」
次の瞬間、太郎の姿は完全に消えていた。
神威――空間転送による離脱完了。
そこには、ただ歪んだ空間と、呆然と立ち尽くす隊員たちだけが残された。
アースラside
その後、クロノと部下たちは――
対象を取り逃がしたまま、やむなくアースラへと帰還した。
ブリッジに入るなり、クロノは制服の袖口を直しながら端末に歩み寄った。
モニター越しに、それを見ていたエイミィが声をかける。
「クロノ君、どうだった? 例の“ロストロギア反応”のやつ」
淡々とした声。
だがクロノは、答えるまでにわずかに間を置いた。
「……闇の書の件より、優先度は低い。
だけど――昨日の、あの白い鎧の少年の手掛かりは……あの少年だけだ。
接触は避けられない」
クロノの声は冷静だったが、その目は明らかに深く考え込んでいた。
「そう……フェイトちゃんたちには、内緒にしておくね?」
エイミィは軽く頷きながら、確認するように言う。
「その子、例の重要参考人の“クラスメイト”らしいから……変に警戒させたくないしね」
「……ああ。無用な接触は避けたい」
その声には、いつも通りの明るさ。
けれど、ほんの少しだけ――確認するような慎重さも混じっていた。
言葉は静かだが、表情は硬い。
そのまま端末に命令を打ち込むクロノの指先は正確だったが、
思考だけは、まったく別の渦の中にあった。
(――バインドが、“すり抜けた”)
本来なら即時拘束されるはずの術式。
空間ごと封じ込める精密な結界。
それを――まるで“存在していないかのように”通り抜けられた。
(視線を合わせた、ただそれだけで……隊員が、意識を落とした)
肉体への接触も、攻撃も、術式の干渉もなかった。
ただ目が合った、それだけで。
――まるで、“精神そのもの”を破壊されたようだった。
(魔力弾も……まったく通じなかった)
直撃しているはずの攻撃が、全てすり抜ける。
当たっていないわけではない。届いていない。
位相が、違っていた。
そして――
(最後に、“空間そのものから剥がれた”)
テレポートでも、ディメンションシフトでもない。
この世界の座標系から外れ、根本的に「消えた」。
神威――
そう名乗ったが、その術はどの魔導理論にも該当しない。
(……管理局の術式分類には、存在しない)
結論だけが、冷たく脳裏に突き刺さっていた。
「……危険度、A」
クロノは短く、そう分類した。
――だが、内心では違うとわかっていた。
本来なら、“S”の判断が妥当だった。
未知の術式。
未知の存在位相。
すべての攻撃が通じず、捕縛も不可能。
精神干渉能力の疑いもあり、現時点での対処手段はゼロ。
どの項目を取っても、“災害級”と判断されてもおかしくない。
それでも――
クロノは、Aにとどめた。
(“闇の書”の件がある。……今、あれを最優先に乱すわけにはいかない)
世界レベルの案件が、今も進行中だ。
限られた戦力、限られた時間。
理想ではなく、現実に合わせた線引きが求められていた。
それが正しいと、彼は思っていた。
……ただし、**“今のところは”**だ。
「後回し、だな」
彼の判断は、冷静で、合理的で、正しい。
――だが。
それが後に、“対応不能”という形で自分たちに返ってくることを、
このときのクロノは、まだ知らない。
鈴木太郎・地上サイド
神威で時空間を抜け出した太郎は、
――無音の闇に浮かぶ、無機質な灰色の足場に降り立っていた。
ここは現実と非現実の狭間。重力も時間も溶け落ちた、“神威”の領域。
規則性も意味もない空間に、太郎は一瞬だけ息を止める。
だが、止まることなく――
万華鏡写輪眼が、ゆっくりと赤黒く輝く。
その瞳孔の奥が、“世界の底”のように静かに沈む。
空間が震え、たわみ、崩れる。
万華鏡の瞳を中心に、まるで“井戸”のように時空そのものが吸い込まれていく――
虚無が裂け、目を焼くような閃光がほとばしる。
太郎は再び“神威”を発動し、
歪んだ世界の縁を無理やりこじ開け――
ねじ伏せた空間の裂け目から、現実世界へと帰還を果たす。
そこは――学校の屋上だった。
無機質な異空間から一転、
そこにはコンクリの床と、青い空、吹き抜ける風――
いつもの、どこにでもある昼休みの風景が広がっていた。
太郎は無言のまま、周囲を見回す。
結界は――解除済み。
微弱な痕跡すら感じない。魔力反応もゼロ。
すべては、最初から何もなかったかのように整っている。
……青空がまぶしい。
頬にあたる風は冷たくて、妙に現実味が薄い。
「……よし、セーフ。マジで何だったんだよアイツら……」
肩を落としながら、ようやく安堵の息を吐いた――その瞬間。
――キンコンカンコーン♪
昼休み終了のチャイムが、無情にも鳴り響く。
「はあっ、はあっ……っつーか! うっそだろ!? ぜってー次会ったらあいつらぶっころす!!」
余韻もクソもない。
太郎は制服もボロボロのまま、ゼェゼェ言いながら階段を全力で駆け下りた。
階段を一段ずつなんて、悠長なことはしていられない。
彼は――階段ごと跳んだのだ。
まるで重力を無視するように、数段まとめて跳躍しながら駆け降りていく。
「うおおおおおおおッ!!」
焦燥感MAXで教室フロアまで一気に駆け上がり――
勢いそのままに、教室の扉を――**バァンッ!!**と開け放つ!!
教室中が一瞬で凍りつく。その中心に、ボロボロの制服、ゼェゼェと肩で息をする鈴木太郎の姿。
「……っし! ギリ、間に合ったァァアアアッ!!」
勝利の雄叫びを上げようとした、その刹那。
「鈴木!! 今何時だと思ってる!! 廊下に立ってろ!!」
先生の怒声が、教壇から炸裂ッ!
「いやこれには深い理由が――ハイ、立ちます……」
──バタン。
扉は閉まり、太郎の戦いは終わった。
体力も、精神的な疲れもすべて尽き果てていた。
廊下にポツンと立たされる太郎――その姿には、哀愁ではなく圧倒的被害者ヅラが漂っていた。
「……いやマジふざけんなよ……納得いかねぇぇ!!」
ブツブツと何かを呪いながら、ズルズルと座り込む。
「殺す……マジで……あいつら全員……!!」
やつらの顔を思い返して「処刑リスト」という名の脳内メモ帳に、しっかりメモ。
こうして太郎は、
午後の授業を全部スルーして、
廊下で一人、**“反省モード(物理)”**を強いられるのだった。
──放課後。
キンコンカンコーン――と、どこか気の抜けるチャイムが鳴り終わった瞬間、教室内はゆるやかに解放された空気に包まれた。
太郎は席に突っ伏したまま、微動だにしない。
「……終わった……肉体的にも精神的にも、全部が終わった……」
ぐったりと机に額を押しつけ、魂の抜けた声を漏らす。
今日という一日は長かった。いや、長すぎた。
昼休みからの屋上での神威空間ジャンプ、からの教師に怒られ、廊下で反省。
地獄のコンボだった。
「太郎くん、準備できた?」
そんな中、背後からかかった声。振り向くと、そこにはすずかが、鞄を抱えて立っていた。
「あ……うん。えーと、今日って……なんだっけ?」
「うん、約束したでしょ? “お姉さんに会いたい”って昨日言ってたから」
「あぁ……いったな。軽いノリで」
「知ってるよ? でも私、ノリにはちゃんと対応する主義だから♪」
さらりと微笑みながら、すずかは教室を出て歩き出す。
「おっけー、はいはい、行きますかーっと」
太郎は立ち上がり、ちょっと気怠げな調子でストレッチを入れつつ、ノリよくすずかの後を追いかけた。
「てかマジで行くの……まぁ、昨日言ったのはこっちだけどさ」
「うん。ちゃんと家で待ってるってさ。あ、でも、お姉ちゃんちょっと気難しいとこあるから気をつけてね?」
「いや、それは……前に一回会ったし……」
「ふふ、だよねー。“この子、魂の色が不規則”とか言ってたし」
「……は? 僕、色とか出してた? 魔力抑えてたつもりだったんだけどなー」
「うん、でもなんか……お姉ちゃん、太郎くんのこと気になってるみたいだったよ?」
「それ、怖い方の“気になる”じゃないのか……?」
苦笑しつつも、太郎はほんの少しだけ不安を覚えていた。
「……てかさ、あのとき俺、自分が堕天使ってバラしちゃってたよな?」
「うん、けっこう堂々と」
「だよな!? それで普通に家来ていいってなる!?」
「なるよ。たぶん……ううん、たぶんはやめとく」
「いやそこ確信持っててくれ!! 門前払いとかされたら傷ついちゃうよ!」
「大丈夫だよ。お姉ちゃん、ちょっと変なとこあるけど、基本優しいし」
「なら、いいんだけどさー」
そんな会話を交わしながら、ふたりは昇降口を抜け、校門へと向かっていく。
春の風が制服の裾を揺らし、夕日が町の輪郭を金色に染めていた。
校門のすぐ外には、いつものように――
黒光りする高級セダンが静かに停まっていた。
「あ、来てるね。今日もちゃんと時間通りだ」
すずかが何気ない口調でつぶやく。
太郎はその光景を見ても、もはや驚きはなかった。
「……うん、知ってたけど……やっぱスゲぇな」
別に今に始まったことじゃない。
彼女が“ちょっと普通じゃない家の子”だってことも、とうに知っている。
それでも、何度見てもこの高級セダンで校門前まで家の者が迎えに来るっていうのは違和感がある。
すずかがドアを開け、太郎の方を振り返る。
「乗って?」
「了解でーす……」
あえて軽い口調で返しつつ、太郎は後部座席に乗り込む。
車内は静かで、ほんのり高級な革の匂いが漂っていた。
車はゆっくりと発進する。
窓の外、オレンジ色の町並みがスーッと流れていく。
「でも、太郎くんってちょっと変わってるよね」
「その話、もう三回目くらいじゃない?」
「うん、でも……それがちょっと面白いなって思ってる」
「……は?」
「なんでもないよ。ふふっ」
すずかの笑みは、太陽よりも柔らかく、何かを秘めていた。
太郎はその視線から少し目をそらして、黙ったまま窓の外を見つめた。
やがて、車はゆっくりと減速し、静かに停止する。
「着いたよ」
そこにあったのは、重厚な門構えの屋敷――
すずかの家、そしてあの“姉”が待つ場所だった。
太郎は小さく息を吐き、ドアに手をかけた。
「……さーて。第二ラウンド、開幕ですかね……」
目の前に現れたのは――お城みたいな豪邸。
高くそびえる石垣に、鋳鉄の門扉、そして完璧に整えられた庭木。
そこに立つだけで、背筋が伸びるような空気があった。
中からは、ほんのりと檜の香りが漂ってくる。
柔らかくも凛とした香りは、この家がただの“豪邸”ではないことを静かに物語っていた。
「……この前来た時も思ったけど、でっかいな……」
ぽつりとつぶやく太郎。
その視線の先で、すずかはクスクスと笑いながら門を押し開ける。
「慣れたらそんなにでもないよ」
「いや、これに慣れるってどんな人生だよ……」
そして――その先で、待ち受けていたのは。
「お待ちしておりました、太郎様。忍様がお待ちです」
彼を迎えたのは、メイド服を纏った長身の女性。
完璧な所作、淡々とした声、微笑みひとつすら計算されたような完璧さ。
「ノエルって言うんだ。うちの専属」
すずかがそう紹介する前に、メイドは深く一礼しながらドアを開けた。
「太郎君、今日私これから用事あるから、応接室に入ってて? ノエルに話は通してあるから」
「おけまるー。じゃーね!」
すずかは手をひらひらと振ってそのまま別の廊下へと消えていった。
太郎は軽く肩をすくめ、メイドのあとについて館の中を進む。
柔らかな絨毯の感触、壁に飾られた絵画、天井に吊るされたシャンデリア。
どこを切り取っても“金持ち”の匂いがする空間だった。
そして案内された応接室の扉が、静かに開く。
中には、上質なソファと、磨き抜かれたテーブル。
その中央に座るのは――
「ようこそ、鈴木太郎くん」
中には、上質なソファと、磨き抜かれたテーブル。
だがその空間に、明らかに浮いている人物がひとり――
長い紫髪を背で結い、上下真っ赤なジャージを纏った女性。
その姿は、豪奢な応接室の中で完全に場違いだった。
すずかの姉、月村 忍が、静かにこちらを見つめていた。
そしてその隣。
どこか胡散臭い笑みを浮かべた、見知らぬ青年が一人。
太郎はわずかに眉をひそめる。
「……客、もう一人?」
太郎の声が静かに落ちた瞬間、部屋に一瞬の沈黙が流れる。
見知らぬ青年と、紫髪のジャージ女――月村 忍の視線が、同時に太郎へと向けられる。
静寂。
空気が張り詰める。
視線と視線が交差する――そのとき。
「おひさー! 忍さん!」
太郎が右手を軽く上げ、元気よく挨拶を放り投げた。
その声は、まるで緊張の糸をバッサリ切り落とすかのように部屋に響く。
「いやぁ〜、ジャージ似合ってんね今日も!」
「失礼ね。これ、うちでは正装よ?」
「おう……なるほど?」
「で、今日はどんな用件?」
太郎はソファにも座らず、肩の力を抜いたまま言った。
けれどその軽さは、部屋の空気とはあまりにもミスマッチだった。
「その前に、その男誰?」
言いながら、視線だけで隣の青年を示す。
それに答えたのは――忍ではなく、当の本人だった。
「高町恭弥。忍から君の話を聞いて、会ってみたくなった」
「へー……」
太郎は短く返しながらも、その名前にピクリと反応する。
(……高町?)
どこかで聞いたことのある名字。記憶の底に沈んだままの、妙に馴染みある響き。
けれど、その違和感にすぐ答えがついた。
――高町なのは。
思い出した瞬間、太郎はごく自然に口を開いた。
「あぁー、高町なのはの兄かなんか?」
空気が、微かに変わる。
その瞬間、恭弥の口元にごく薄い笑みが浮かんだ。
まるで「答えてみろ」と言わんばかりに、何かを試すような眼差し。
「……なるほど。よく知ってるじゃないか。妹のこと」
恭弥の声は静かだった。だが、その奥に何かを測ろうとする気配がある。
太郎は、やや気だるそうに肩をすくめて返す。
「別によくは知らないよ。あいつ、よく学校とか街中とかにいるけど、別にそんなに会話したこともないし」
言いながら、思い出す。
「あー、でも……たまに正義感振りかざしてくるのがうざいだけ、かな」
口調は軽いが、そこには妙なリアルさと、“積み重ねられた被害の歴史”がにじんでいた。
「たとえばさ、授業中に人が気持ちよく寝てたら、わざわざ起こしてきたり……」
「あと、こっそりパン食べてたら“今、授業中なの”とか言って没収してきたり……」
その瞬間、太郎の思考がふと止まった。
(……そういえば、あのとき取り上げられたパン……どうなったんだろ。あれ、焼きそばパンだったよな……まぁ、今さら考えたところでどうにもならんけどな)
太郎は小さく肩をすくめて、すぐに愚痴の続きを再開する。
「あとは……“廊下は走ったらだめだよ!”とか、“靴箱ちゃんと使って!”とか……」
言いながら、太郎の頭の中には次々と浮かぶ“高町なのは案件”の数々。
「……あとは……うん、ありすぎてキリがねぇ」
そう言って、肩をすくめてため息。
口調は軽いが、その実“日々の蓄積”は尋常じゃない。
横で忍が静かにお茶を啜っている。
恭弥はそんな太郎の様子を、表情を変えぬままじっと見つめていた。
「……なるほど。想像通りの印象だったよ。君って」
「どーいう意味だ。それ……!」
太郎は短く相槌を打った。
太郎はすぐに話題を切り替える。
「ま、いいや。でさ。聞きたかったことなんだけど僕さ、今“聖剣”探してるんだけど――どこにあるか知らない?」
「……聖剣?」
「って、あの聖剣か?」と恭弥が口を挟んだが、太郎はスルー。
「吸血鬼の忍さんなら知ってるかなーと思ってさ!」
無邪気な調子で話しながら――
「あっ、高町あにーがいる前で言っちゃった!」
と、言ったそばから太郎は両手で口を塞いだ。
その表情は、完全に“やっちまった”のそれだった。
恭弥は一瞬だけ目を細めたが、特に口を挟もうとはしない。
ただ、その沈黙が逆に重く感じられる。
そんな中、忍は紅茶を口に運びながら、涼しい声で答えた。
「大丈夫よ。恭弥は私の家の事情はぜんぶ知ってるから」
まるで天気の話でもしているかのようなトーンだった。
「ふぅー。よかった」
「……で、聖剣だったわよね?」
「あ、うん。多分、推測では教会側が持ってると思うんだけど、ほら、吸血鬼って“吸血鬼狩り”とかでエクソシストによく狙われるでしょ?
だから、教会側の事情に詳しいのかなって。……持ってそうな人物でもいいよ。そいつから奪うから」
その言葉を発した直後――
太郎の背中を、冷たい汗がつーっと伝った。
(……あっ)
頭の中に、アザゼルの“ダルそうな忠告”が再生される。
──「絶対に教会側とトラブル起こすなよ。マジでめんどくせぇから」──
(ヤッベ。今、思いっきりやべぇ方向に発言してるじゃん僕……!?)
慌ててフォローを入れようと、口を開きかけた――その瞬間。
「そう。あいにく――私、教会とかエクソシストだったけ……そういうのにはあまり詳しくないの」
さらっと出た返答は、あまりにも落ち着きすぎていて、むしろ不気味だった。
「……えっ、知らないの? じゃ、聖剣が封印されてる場所とかでもいいよ?」
「ごめんなさい。言い方が悪かったわね。裏社会のこと、あまり詳しくないの。
ええ、たぶん――一般人より毛が生えたぐらいよ」
少しだけ目を細めながら、忍は続ける。
「今あなたの口から吸血鬼狩りがあるって聞いて、“うわ、怖……”って、素で思ったくらい」
「…………」
太郎の口が、金魚みたいにパクパクした。
「……今の、取り消していい?」
「いいわよ。でもちゃんと記録には残ってるわね。ノエルが裏でメモしてるもの」
「こえーなおい!!」
思わずツッコミを叫ぶ太郎の声が、応接室にこだまする。
ノエルは無言でどこかの扉の向こうへ消え、まるで“記録ログ送信中”みたいな不穏な空気を残していった。
だが、忍はまったく動じる様子もなく――
むしろ紅茶を啜る手を止めずに、さらりと言った。
「けど、そういうのって、案外“公開情報”になってるものもあるじゃないかしら」
「は……?」
太郎がきょとんとして振り返る。
「たとえば――そうね。日本なら、熱田神宮に伝わる“天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)”。
イギリスなら、王室に保管されてる“カーテナ”。」
紅茶のカップをソーサーに戻しながら、忍はゆったりと続ける。
「どちらも“聖剣”として伝わってるけど、実は一般にもけっこう知られてるのよ?
表向きは“儀礼用”とか“伝承の品”ってことになってるけど……ね」
「……いやいやいや、それって歴史の話じゃ……」
「でも、“現存する可能性”があるとしたら、まずはそこを調べるのが筋じゃない?
ほら、図書館とかネットで」
「あ、意外と普通のこと言った!?」
「言ったでしょ? 裏社会には詳しくないって」
あまりにも理性的で落ち着いた回答に、逆に太郎は肩すかしを食らう。
太郎の顔には“物知りそうな吸血鬼に相談してたつもりが、急に普通の知恵袋にアクセスした気分”と書かれていた。
「じゃ、もう一回図書館に行ってくるよ。なんだか今ならすぐ見つかる気がするし!」
立ち上がりながら、太郎は軽く背伸びをした。
特に根拠があるわけでもない。
どこかにヒントがあるという確証も、ましてや本当に聖剣が見つかる保証もない。
けれど、なぜか今なら――
“それっぽい本”を探せそうな気がした。
(昨日は空振りだったけど、今日はなんか違う気がする……たぶん)
そんな謎のポジティブ感を胸に、太郎は2日連続で図書館に向かうことにした。
「じゃ、バイバイ。今日はいろいろありがとね。今度エクソシストに襲われそうになった時、お礼に助けてあげるよ」
自信満々にそう言い放ち、太郎はさも当然のように応接室のドアへと向かう。
だが――
その途中、ふとテーブルの上に目がいった。
そこにあったのは、銀の皿に綺麗に並べられた、小ぶりな和菓子と洋菓子の詰め合わせ。
明らかに高級なやつ。多分、一口で日給ぶっ飛ぶ。
そして、誰の手もつけていない。
「……これ、持って帰っていい?」
振り返って尋ねる太郎の顔は、本気だった。
まるで“それが正しい流れだ”とでも言うかのような堂々とした顔で。
忍は数秒、無言で太郎を見つめ――やがて、口角をわずかに上げた。
「……構わないわよ。ノエルが包んでおいてくれるでしょう」
「マジ!? やったー!」
飛び跳ねるようにテンションを上げる太郎を見て、
ソファに座ったままの恭弥が、静かにひとこと。
「……図太いな」
それは、賞賛でも非難でもなく――
ただ、事実を確認するようなトーンだった。
そして――
太郎は、ノエルに茶菓子を丁寧に包んでもらった。
小さな布にひとつひとつを丁寧に詰め、最後は見事な手つきで風呂敷包みに仕上げるその姿は、まさに職人芸。
無駄がなく、完璧で、何より異様に早い。
「……ありがとうノエルさん……まじで尊敬するわ……」
「お気をつけて、太郎様」
にこりともせずに頭を下げるノエルに、太郎は本能的な威圧を感じつつも、そっと包みを抱きしめるように受け取った。
戦利品は、無事確保。
「じゃ、今度こそほんとに帰るわ!忍さん、高町あにー、おつかれさまー!すずかにもよろしく伝えといて」
応接室に軽く手を振り、
太郎はようやく、その場を後にし――
風呂敷包みの茶菓子を片手に、昨日と同じ道を歩き出す。
向かう先は、昨日空振りに終わった図書館。
「……なんか今日はいけそうな気がするんだよなぁ……」
根拠はない。けれど、不思議と足取りは軽かった。
昨日はただ、意味もなくぐるぐる回って終わっただけだった。
けど今日は――なんか、違う。
空気の流れとか、気の巡りとか、茶菓子の運気とか。
そういうどうでもいい要素が全部“良い方向に向いてる気がする”。
(この勢いで、聖剣のヒントとかポンッと出てきたら最高だよな……)
そんな甘い妄想を胸に、太郎は茶菓子の包みをギュッと抱えて歩き続ける。
夕焼けの空が、じわりと茜色を濃くしていく中――
彼は二日連続となる図書館の扉を、再び目指した。