DD世界だと思ったらリリなの世界でした。いや両方の世界が混ざり合った世界でした!! 作:バター犬
次の日。
街は浮かれた空気に包まれていた。誰もが笑顔で、誰もが幸せそうだった。
今日は、クリスマス。
けれど、僕の枕元に――プレゼントはなかった。
わかっていた。
サンタクロースが、堕天使のもとに訪れるはずがないことくらい。
それにアザゼルがそんなことするわけもないし。
それでも。
ほんの、ひとひら。0.1%ぐらいの儚い期待を、胸の奥に隠していた。
「もしかしたら」と。
だからこそ、目覚めて気づいたとき――
胸の奥が、じわりと冷たくなった。
「……っくそ、チョコ一個でもいいから欲しかったな……」
呟いた声は、静かな部屋に虚しく響いて、すぐに溶けた。
そんな呟きを誰にも聞かれることもなく飲み込んで、僕は制服に袖を通す。
今日は、終業式。
これさえ終われば、待ちに待った冬休みがやってくる。
あと少し。我慢すれば、あとは自由だ。
朝のホームルームでも、みんなそわそわしていた。空気はどこか浮ついて、寒さの中に小さな解放感が混じっていた。
――そして。
終業式は、拍子抜けするほどあっさりと終わった。
校長の長い話も、なぜか今日はやけに短くて。
生徒たちは一斉に立ち上がり、教室の中は一気に“冬休みモード”に染まっていく。
荷物をまとめる音、友達同士の笑い声、廊下から聞こえてくる騒がしさ。
まるで、日常が一度リセットされて、しばしのお休み期間に入ったみたいだった。
浮かれた同級生たちが「メリークリスマス〜!」と叫びながら下校していく中、僕はひとり、全国チェーンの古本屋に立ち寄った。
暖房のきいた店内に流れるゆるいBGM。
入り口近くにある300円コーナーから手に取ったのは、最近アニメ化もされたバリバリ現代のギャグマンガ。
「……あ、これ……主人公が全裸で土下座するやつだ」
思わず吹き出しそうになるのをこらえながら、僕はページをめくった。
ドタバタ展開。ありえないノリ。破壊力抜群の下ネタ。
何も考えなくていい、最高にくだらないバカ漫画。
でも、そんな“どうでもいい笑い”が、今の僕にはちょうどよかった。
ふっと、肩の力が抜ける。
――と、その瞬間だった。
世界が、音を立てて、切り替わった。
空気が、凍る。
何か“重いもの”が、街全体に覆いかぶさった。
……魔力だ。
「……っ、なに、今の……」
ギャグマンガの世界から、突然、現実が牙をむいた。
笑っていた口元から、ゆっくりと、力が抜けていく。
その瞬間、僕は悟った。
「……うそーん。またかよ!」
空を見上げた瞬間、僕は息を呑んだ。
淡く、青白い膜が――まるで巨大なシャボン玉のように、街全体を包み込んでいく。
僕ら裏の人間が良く使う。封鎖結界。
ドーム状の壁を構築し、内部を“世界の流れ”から切り離す。
それにより、外部からの観測も干渉もできない因果孤立空間を作り上げる。
外からは何も見えず、中で何が起ころうと一切表には伝わらない――いわば“世界の死角”。
しかも範囲は……海鳴市、全域。
「……マジかよ……!」
その瞬間――世界が、変わった。
音が消える。気配が消える。存在が消える。
街じゅうから、人の“気配”が、一瞬で霧散していった。
店の中にいた客も、道を歩いていた人々も――
すべて、いない。
まるで最初から“この世界にいなかった”かのように、完璧に、綺麗に。
封鎖結界は、内部の魔力を感知し、一定以上の魔力反応を持たない存在を排除する仕様だ。
つまりこの空間に、残されたのは――
「……僕だけ、か……ちっ! なんだよ。なんで立ち読みしてたらこんなことになるんだよ!」
『ーーーなんか悪いもんが憑いてんじゃねーか?』
「ふん、僕についてるのは、かわいい女神だけだよ」
『……バカかお前』
「いや、今の、結構キマってたと思うんだけど!」
口では強がりながらも、僕は即座に防御魔法陣を展開する。
なぜなら、前方から、問答無用の範囲攻撃が飛んできたからだ。
「うおっ、危なっ! 防御結界展開だってばよ!」
防御結界で直撃は防げた。
だが、その一撃の“余波”だけで――古本屋が、全壊した。
爆風。魔力の衝撃波。重力の歪み。
屋根は文字通り吹き飛び、壁という壁が砕け散る。
柱は粉々に折れ曲がり、棚ごと弾き飛ばされた本たちが、無惨に空中を舞った。
「……あっ」
僕の手から滑り落ちた一冊のギャグマンガ。
ついさっきまで読んでいた、あの“くだらなくて、最高に笑えた世界”が――
紙くずになって地面に転がっていた。
破れた表紙、潰れたセリフ。
ツッコミの吹き出しも、変顔のコマも、全部バラバラだ。
まるで笑いという概念そのものが、この空間から追放されたかのように。
「……いいとこだったのに」
思わず吐き出したその言葉は、誰にも届かず、瓦礫の中に吸い込まれた。
「……まじか……」
チラつく紙吹雪の中、僕はゆっくりと顔を上げる。
そして、目にした。
空の向こう。
対峙する二つの影。
一人は銀髪の女の人。
もう一人は、栗毛の――確か高町なのはだったか。と自分を主人公と思い込んでる帝王院 神。
「なにあれ、すげー魔力量なんだけど……」
ヴァーリまではいかないもののあの銀髪の女性となのはの魔力量は僕とギリ張り合えるぐらいかそれ以上。
爆煙の向こう、黒い籠手を構えた女がゆっくりと前に出る。
その姿に、僕の中の八尾“ぱっつぁん”が、低く唸った。
『あの女……黒い籠手か。雰囲気だけだが――似てるな、あれ』
頭の中に響く声に、僕は無意識に反応する。
「ああ、うん、僕も思った。てかあの籠手、めっちゃかっこよくない? 中二心くすぐられるっていうか」
黒金の光沢を放つその籠手は、まるで深海に沈んだ鎧の一部みたいで……厨二心にぶっ刺さるデザインだった。
が、それを冷や水のように否定する声が返ってきた。
『……はぁ。浮かれてる場合か。圧も、纏ってる魔力の質も……ヴァーリの鎧には遠く及ばない。だが――似てる、確かに』
ぱっつぁんは、ヴァーリを基準に全てを測るクセがある。まあ、わからなくもない。あいつ、化け物だから。
僕は、目の前の女の籠手に視線を戻しつつ、ふと思った。
「まじで?じゃあれ、ドラゴン系統の神器とかなにかかな……」
呟いた瞬間、視界の隅で“何か”が吹き飛んだ。
「……いや、てか、待って、銀髪の方ボコボコにされてない?」
まるで観光客が通り魔に遭ったみたいに、全身ズタボロで地面に転がっていた。
見事なまでのノックアウトっぷりに、僕は思わず口を閉じてしまう。
見れば、銀髪オッドアイの帝王院 神――あの自称・選ばれし系男子が、ものの見事に防戦一方になっていた。
というか……あれ、完全に“なのは”の足引っ張ってないか?
飛び交う魔力弾の雨、咄嗟に張ったバリアをものともせずに突っ込んでくる黒籠手の女。
そのたびに帝王院が「そこをどけッ!」だの「俺が決着を――」とかなんとか言いながら横から割り込むもんだから、
なのはの集中はガタ落ち。
おまけに、目を引くのは――なのはの“表情”。
呆れたような、うんざりしたような……もはや、戦闘中の顔じゃなかった。
言葉にはしないが、目が語っていた。
《じゃまなの》
極めつけはその次の瞬間。
帝王院が無理に前に出たせいで、なのはがフォローに回らされ――
直撃こそ避けたものの、かすった攻撃で肩を撃ち抜かれていた。
「……いや、やばくね? なにやってんのあの人……」
思わず口から漏れた。
あれ、主人公気取りどころか、戦犯じゃん。
“ぱっつぁん”からも呆れたような、低く重たい吐息が聞こえる。
『……あれはもうダメだな。戦う以前に、連携という言葉を知らんらしい』
「そっちが言うと説得力あるなぁ……って、笑えねぇんだけど」
肩をすくめながらも、僕は深く息を吐いた。
帝王院は完全に戦線崩壊。
なのはの魔力は目に見えて乱れていて、それでも彼女は前に出ようとしている。
自分の足を引っ張ってる味方を、それでも庇おうとしてる。
……バカ正直すぎるよな。
視線を落とすと、手のひらがじんわりと熱を持っていた。
魔力が静かに回り始める。
緊張ではない。高揚でもない。
ただ、やるべきことをやるための準備が整った、というだけだ。
「……しょうがない。巻き込まれた以上は、参加しようかな」
――いくよ、ぱっつぁん。
呟いた瞬間、体の奥底から、灼けるような熱が広がった。
魔力の奔流。
それは血液に混じり、神経に絡みつきながら、一気に全身を駆け巡る。
次の瞬間――赤黒い魔力が、皮膚の下から吹き出した。
まるで皮膚の裏側に潜んでいた“何か”が、ついに目覚めたかのように。
「――い、ひ……っ」
背中、腕、胸元、脚部。
全身に渡って赤黒い魔力が巻き付き、薄く膜のようなものが体表を覆っていく。
そして――左肩が、膨れ上がった。
そこだけ明らかに、形が違う。
筋肉が異様に盛り上がり、内側で骨の軋む音が鳴る。
皮膚は裂け、そこから赤黒い魔力が逆流するように噴き出した。
魔力は一箇所に集中し、重力に抗うように巻き上がりながら、形を作り始める。
ぐずぐずと崩れるようでいて、徐々に輪郭は明確になっていく――
浮かび上がるのは、牛の頭蓋骨を模した装甲。
しかしそれは骨ではない。物質ではなく、高密度の魔力が凝固して形作られた“頭蓋骨”だ。
赤黒い光を帯びた魔力結晶のような構造体が、左肩を覆うようにして定着していく。
光も叫びもない。
ただ、世界の重心がわずかに傾いた気がした。
「いきなりバージョン2、だぜ!」
呟くように口にして、僕は前に出た。
堕天使の翼が背中に広がる。羽ばたきもせず、ただ重力を無視して浮かぶ。
別に派手な演出なんていらない。ただ――
軽く膝を曲げて、タイミングを計る。
前方の敵影に目をやりながら、太郎は面倒くさそうに口を開いた。
「じゃ、ちょっとだけ暴れてこよっかな」
――その一言と同時に
、
空を裂いて、彼は音もなく突進した。
「ウィィィィィィイイイイーーッ!!」
魔力と空気が喉を削り、喉鳴りと唸り声が混ざった異音。
爆風のように吐き出されたそれは、空気を震わせ、周囲の瓦礫を吹き飛ばす。
咆哮と同時に、僕の身体が空を裂く。
だが、銀髪の女は微動だにしなかった。
むしろ、冷静だった――異常なほどに。
その腕が、ゆっくりと倒れ込もうとした帝王院 神の身体を掴む。
迷いも、戸惑いもない。
ただ機械のような動作で、
彼女はそのまま、神の身体を僕の方へ向けて――投げ飛ばした。
「っ……!?」
風を切る音とともに、肉体が飛来する。
その重量と速度、魔力の加速によって、彼は弾丸と化していた。
――さらに、次。
空いた左手から放たれた魔力弾が、神の背後を追うように迫ってくる。
二段構えの挟撃。
帝王院 神が、音を立てて飛んでくる。
すぐ後ろから、女が撃った魔力弾が追撃のように迫ってくる。
この狙い、完璧すぎる――だが。
僕は反射的に、左肩に形成された牛骨装甲の腕を振り抜いた。
風を裂く音と共に、
**ドグンッ!!**と鈍い衝撃が手首を通って走る。
飛んできた帝王院の胴体を――フルスイングで打ち返した。
帝王院の身体は回転しながら空中を飛び、
追いかけてきた魔力弾と――
空中で正面衝突する。
――ドォオオォンッ!!
光と衝撃が重なり、炸裂音が周囲を包む。
破片と魔力の残滓が火花のように降り注ぎ、視界が一瞬、黒に染まる。
その中で、僕は思わず――
「よしっ! ホームラン」
にや、と笑ってみせた。
『お前えげつねぇな!?あれ、マジで死んだんじゃねーのか!?』
「大丈夫!今の僕は、赤黒い牛!ばれなきゃセーフだよ!」
だがその時。
背後から――桃色の砲撃が、一直線に飛来してきた。
着弾とほぼ同時に、空間が震え、
ドンッ!!
轟音が、地を這うように鳴り響く。
光が弾け、衝撃が吹き荒れる。
爆風があたり一帯を吹き抜け、瓦礫が巻き上がる。
空気が焼け焦げ、地面が抉れ、世界が一瞬、ノイズで埋まる――
だが。
僕の身体は、揺らぎもしなかった。
魔力の装甲が微かに軋む音を立てただけ。
肩の牛骨の肩が、静かに熱を吸収しながら砲撃の余波を飲み込んでいく。
煙の中、僕は一歩も動かず、
ゆっくりと振り返った。
「……おいおい、いきなり攻撃してくるとかってひどくない……って、なんで構えてんの?」
砲撃の煙が晴れた先に、空中で静かに浮かぶふたりの少女の姿があった。
栗毛の髪が風に揺れる。――高町なのは。
その隣、鋭い眼差しの金髪ツインテール。――フェイト・テスタロッサ。
彼女たちは、こちらを見下ろしていた。
怒りではない。焦りと――決意。
何かを止めるために、何かを断ち切るために、**撃ちに来た“覚悟の目”**だった。
「ユーノくんは、わかりやすいね! 全力全開!」
「ちょ、ちょっと!? いきなり撃つの!? えぇっ!? 聞いてないってば!!」
フェイトのバルディッシュが、なのはのレイジングハートが、空間を切り裂くように吠える。
「「N&F中距離殲滅コンビネーション空間攻撃ブラストカラミティ」」
二人の周りに桃色と黄色のスフィアが複数展開され、なのはは砲撃を準備し、フェイトはザンバーを振り上げる。
スフィア状の砲撃魔力が天を覆い、空間そのものが明滅を始める。
数え切れない光球が一斉に、闇の書の防衛人格――そしてその横にいた“僕”へ向かって、放たれた。
「「ファイアァァァァァァーーー!!」」
「やばいって! やばいってば!! 僕、そっちの敵じゃないのにぃぃぃ!!」
逃げる間もない。空は光に満ち、砲撃は音速で迫る。
「えっ、ちょっっ!! ぎゃあああああああ!? なんで!? 僕関係ないでしょおおおお!!」」
そして――
白い閃光が、全てを呑み込んだ。
爆音。
振動。
光。
思考の全てを、強制的に“停止”させる暴力的な純白。
意識が、ふっと――遠のいた。
管理局サイド:突撃、魔力砲!
制御室に現れた管制人格――だがその挙動に、なのはとフェイトは違和感を覚えた。
管制人格が、突然“何か”に反応したように動きを止めたのだ。
『外の方! えっと、管理局の方! こちら、えーっと……そこにいる子の保護者、八神はやてです!』
頭の奥に、いきなり飛び込んできた少女の声。
「っ!? はやてちゃん……!?」
『なのはちゃん!? ほんまに、なのはちゃん!?』
「はやて、無事なの!? ほんとに生きてるの……?」
『その声……フェイトちゃん!? なんで二人が……』
その声は、確かに――
闇の書の中心部――その最奥に眠っていたはずの、八神はやて本人のものだった。
「ちょっと待って! 闇の書さんと戦ってたはずなんだけど!?」
『ごめん、なのはちゃん、フェイトちゃん! お願いや、その子、なんとか止めたって!』
「その子……?」
『魔道書本体からは、かろうじて制御権を引きはがしたんやけど……あの子が走ってるうちは、管理権限が使えへんのや! 今そっちに出てるの、全部“自動行動の防衛プログラム”だけやから!』
一気に告げられたはやての説明に、なのはとフェイトは顔を見合わせた。そこへ――
『なのは! フェイト!』
「っ、ユーノ君!」
『フェイト、聞こえる!?』
「アルフ!」
モニターに浮かんだのは、ユーノとアルフの姿だった。
『状況、こっちで確認した! 今から言うことを実行できれば、はやてちゃんを外に出せる!』
「ほんと!? どうやればいいの!?」
『単純明快! あの“防衛プログラム”、ぶっ飛ばして! 二人の魔力砲で! 全力全開、手加減無しで!!』
これ以上なくシンプルな指示に、二人はにっこり笑って頷いた。
「さすがユーノ……!」
「わかりやすい!」
〈〈 It’s so.(まったくです)〉〉
二人は、静かに構えを取った。
なのははレイジングハートを胸元に抱き寄せ、ゆっくりと魔力を収束させていく。
フェイトはバルディッシュを横薙ぎに構え、風のような魔力を纏わせながら、目を閉じた。
「いくよ、フェイトちゃん……全力全開!」
「了解……でも、なのは。あの“赤黒い牛の怪物”、本当に撃っていいの?」
管制人格と共にいた、蠢く異形のそれ。どこかで、誰かの魔力反応を感じる。
けれど今は――
「……今は、そんなこと言ってる場合じゃないよ!」
なのはの瞳が、真っ直ぐに光を宿す。
空中に巨大な魔法陣が二重、三重に重なり、桃色と金の光が眩く交差する。
「《N&F――中距離殲滅コンビネーション空間攻撃!》」
「《ブラスト――カラミティ!!》」
その瞬間、空が裂けた。
なのはのピンクの光、フェイトの雷光が交差し、純粋魔力が空間を抉るように炸裂する。
「《ファァァァァァァァァーーーーーーーーーーーイア!!》」
放たれた二条の魔力砲は、赤黒い牛の異形を巻き込み――そして、空間ごと“焼き尽くした”。
まるで海鳴市の空が一瞬で白に染まったかのような閃光。
あまりの衝撃に、周囲の雲が吹き飛び、波が逆巻く。
ユーノとアルフはすかさず防御魔法を展開し、はやての映像すら一瞬ノイズでかき消えるほどだった。
そして、響く叫び――
「ぎゃあああああああ!? なんで!? 僕関係ないでしょおおおお!!」
だが二人は、気づかなかった。
もしくは、気づいていたけど、もう手遅れだった。
光が、晴れる。
爆発の余韻が空気に染み込んだまま、静寂が訪れた。
焦げた煙と熱気が、ゆらゆらと空を舞う海鳴の空。
その中心に、爆塵の中から黒い翼を広げた一人の少年が、ゆっくりと浮かび上がっていた。
「……今のは、マジで死んだかと思った……」
その声はかすれ、喉の奥で割れていた。
全身、傷だらけ。
皮膚のいたる所が裂け、焼け焦げた布がひらつく。
赤黒い魔力の外殻――バージョン2が、もはや機能していない。
肩から、腕から、背中から、魔力の膜が剥がれ落ちていく。
辛うじて浮かんでいるだけの、ノーマル状態の堕天使。
それが今の太郎だった。
戦える状態じゃない。なのに――
視界の隅で、何かが蠢いた。
「……なんだ、あれ?」
目を凝らす。
太郎の真下――爆心地。
瓦礫と焦土のただ中に、“それ”はあった。
黒い何か。
粘液のように、ぐずぐずと溶けながら動いている。
泡立ち、脈動し、時折“内部から何かが押し上げてくる”ような形を見せる。
まるで、――何かを孵しているようだった。
直感が警鐘を鳴らす。
ここから何か、とんでもないものが出てくる。
そして。
「えっ!? なんで太郎くんがここにいるの!? その羽っ……太郎くんも魔導師なのっ!?」
唐突な声。
背後から、やたら明るいトーンで届いたそれは――なのは、だった。
いやいやいや!?!?
太郎は思わず振り返る。
「お前さぁ……さっき僕ごと砲撃してたよな!? あれ、絶対“狙って”たよな!? ねぇ、僕、巻き添えだったよね!?」
思いっきりツッコむ太郎に、なのはは――
「あれ太郎くんだったんだ!? あははっ、ごめんごめん☆」
――満面の笑みでそう言った。
笑ってる!? ごめんのトーンが軽い!!
しかも“☆”ついてる!? 脳がバグってる!?!?
あまりの温度差に、太郎は黙り込んだ。
……なんというか。
この子、怖い。
にこにこしながら、たぶん一切の悪意なく、
でも命に関わる砲撃を笑顔で撃てるタイプだわ。
そんなやり取りをしている間にも、
下では――白い魔法陣が複数、ゆっくりと展開されていた。
ヴォルケンリッター。
白銀の球体――リーンフォースを中心に、騎士たちが次々と姿を現す。
「夜天の光に祝福を――リーンフォース、ユニゾンイン!」
はやてがそう宣言すると同時に、甲冑の衣装が煌き、彼女の足元に魔力の紋が浮かび上がる。
ヴィータが拳を握りしめ、シグナムが目を伏せ、ザフィーラが静かに頭を垂れる。
まるで、長い旅を終えた騎士団が主の元へ還る儀式のようだった。
「おかえり、みんな」
はやての言葉に、戦場の空気が一瞬、やわらいだ。
――だが。
「お前っ!! あの時のッッ!!!」
轟く怒声と共に、突如、ヴィータがこちらへ猛ダッシュしてきた。
「げっ!!」
反射的に、太郎は半歩下がる。
あの顔はもう――完全に“殴るぞ”のそれだ。
(やべえ……やっぱ覚えてたか……というか、厳密にはボコったのヴァーリなんだけど……僕もノリノリだったのは否定できないけど)
「ご、ごめんごめん」
とりあえず、先に謝っとく。
どう見ても今は殴られたくない状況だから。
「てめぇ……今は状況が状況だから勘弁してやるが……あとで絶対、殺すからな!!」
真顔で言うあたり、ガチっぽい。
「ヴィータ、そんな物騒なこと言うたらあかんてぇ~」
はやてが微笑みながら制止するも、ヴィータの怒りはまだ治まらない。
「だってぇ……はやてぇ……! あいつ、あたしのこと……ッ!」
太郎は視線を逸らしながら、そろりと距離をとった。
そして再開の感動に水を差すように下を指差した。
「……まだ終わってないよ、あれ」
地上――爆心地。
瓦礫と焦土に埋もれたその中心に、黒い澱みがあった。
それは粘液のように蠢き、泡を吹き、まるで何かを“再構築”しているかのようだった。
ただの残骸ではない。あれは、生きている。
誰よりも早く、なのはが顔を強ばらせた。
「……あれって……!」
その瞬間、空間が裂けた。
「――時空管理局執務官、クロノ・ハラオウンだ」
黒い服を翻し、空から新たな人物が現れた。
「時間がない。簡潔に説明する。
あの黒い澱みは、防衛プログラムの残滓だ。
放置すれば、あと数分で暴走を開始する」
ピリ、と空気が張り詰めた。
「君は……どうするんだ?」
警戒交じりのその問いに、僕は一瞬だけ考えた。
けれど、答えは最初から決まっていた。
「……関わっちゃったし、最後まで付き合うよ」
「……始まる……」
その呟きは、まるで世界の終焉を告げる鐘の音のように、静かに、しかし確かに空気を震わせた。
「“夜天の魔道書”を、呪われた“闇の書”と呼ばせた元凶――ナハトヴァールの侵蝕、暴走体……」
―――“闇の書の”…“闇”。
はやての口から漏れたその名は、まるで深淵から引き上げられた呪文のようだった。
怒りでもない。悲しみでもない。
それは、過ちを背負った者にしか出せない声――悔恨と、償いの決意に濡れた囁きだった。
そして、次の瞬間。
ぐらり、と。
海面が、不気味な“揺らぎ”を見せる。
黒い――闇よりなお暗い、ねっとりと粘つくような“瘴気”が、海の表層を這い、波の上に“存在しないはずの影”を作り出す。
水面に浮かぶのは、影ではない。
それは、闇そのものだった。
ぬるり、と音を立てて、何かが浮上する。
目視すら拒むような、あまりに“不定形”な黒。
それが、次第に輪郭を持ち始める。
まるで、複数の異種生命体を無理矢理ひとつに溶かし、捻じ曲げ、押し潰してひとつの“生き物”に仕立てたかのような姿。
六本の脚。
どれもが違う獣の脚のように見え、関節が逆に折れているものすらある。
背中からは、黒い翼が六枚。
それはまるで、蝙蝠の羽ばたきに悪夢を塗り重ねたような、世界の秩序を否定するシルエット。
中央に裂けた口腔は、まるで飢えた獣のそれ。
だが、その上に浮かぶのは――なぜか、女性の上半身。
しかしそれは、人間とは似て非なるものだった。
胸元から下の肉体は海と闇に埋もれ、顔もまた、まるで美の仮面を被ったかのような“不自然な端正さ”を備えている。
均整の取れた造形。
だが、そこにあるのは“美しさ”ではなく、“違和感”だ。
――人に似て、非なるもの。
――神に抗い、呪いを孕んだ存在。
それが、“闇の書の闇”。
空気が重い。
息をすることすら拒まれるような、圧迫感。
魔力の奔流が地面を、空を、空間そのものをひずませていた。
なのはも、フェイトも、そしてザフィーラですら、思わず息を呑む。
これが、あの“本”の成れの果てなのか――。
だが、その躊躇を打ち消すように、最初に前へと飛び出したのは――
「チェーンバインド!」
「ストラグルバインド!」
空中に並び立つアルフとユーノの声が、重なるように響いた。
二人の前方には、それぞれの魔力で構築された魔法陣が瞬時に展開される。
緑のように走る縄、オレンジの鎖が、それぞれ光の渦から射出されるように空を切り裂いた。
「行けっ!」
「捕まえろ!」
闇の海から這い出すように蠢く、“闇の書の闇”の触手群――その一つひとつが異形で、異様に長く、まるで自意識を持つように動き回っていた。
だが、次の瞬間。
ギィィィィィィィインッ!
鎖と縄が触手に絡みつき、異音を立てながら巻き付き始める。
「縛れ、鋼の軛!」
その声は、獣の咆哮。
大地を割らんばかりの音圧と共に、ザフィーラが前方へと飛び出した。
彼の足元には、ベルカ式の魔法陣がうねるように展開される。
そこから現れたのは、まるで稲妻のごとき鋼の杭。
瞬間、空気が裂ける音が走った。
シュゥン――――バチィィィィン!!
白銀の魔力を帯びた杭が残る触手へと喰らいつき、その形を容赦なく引き裂く。
触手の肉が砕け、魔力が飛び散り、地を焦がす。
「lutvuyfktuckhctkytchtcーーー!!」
“闇の書の闇”が、異様な声を上げる。
言語ではない。
咆哮とも違う。
どこか哀しみを孕んだようで、しかしそれは断じて“人の感情”ではない。
まるで、世界の理に反した存在が、自らの存在そのものを否定し、叫びを上げているかのような……そんな、理解不能の“呻き”。
重低音の波動が広がる。
空間がゆがむ。
「ちゃんと合わせろよ! 高町なのは!」
「っ……ヴィータちゃんも、ね!」
砲撃準備に入るヴィータの声に、なのはは少し驚いた。
――名前で呼ばれた。
その一瞬の嬉しさに、なのはの心は揺れたが、すぐに意識を戦場に戻す。
「“鉄槌の騎士”ヴィータと、“鉄の伯爵”グラーフアイゼン!」
魔力の奔流をまとい、ヴィータが相棒と共に名乗りを上げる。カートリッジをチャージ。
轟音と共に、グラーフアイゼンは変形――“ギガントフォルム”へ。
「轟・天・爆・砕――ッ! ギガント・シュラーク!!」
ヴィータの叫びが、戦場を震わせた。
握られた鉄槌――グラーフアイゼンが、うねるように魔力を吸収しながら肥大化していく。
その質量はもはや、兵器の域を超えていた。
振り下ろされる。
空気が一瞬、凍りついたように静止し――次の瞬間、爆発的な魔力衝撃が炸裂。
ズドォォォォォォォン!!!!
空間そのものが、音を立ててひしゃげた。
地鳴りのような衝撃音と共に、ギガント化したアイゼンが“闇の書の闇”を覆う魔力障壁に、容赦なく叩きつけられる。
バリアが悲鳴を上げるように光を走らせ――そして。
バリィィィィィィィンッッ!!!
耐えきれなかった。
ヴィータの渾身の一撃が、“闇の書の闇”を包んでいた多重バリアの一枚を、音を残して完全に粉砕する。
砕けたバリアの欠片が、宙に舞う。
それはガラスのように煌めきながら、魔力の余波で焼かれ、塵と消える。
「チッ……まだ一枚目かよ……!」
ヴィータが呟きながらも、その眼に宿るのは恐れではなく、闘志だった。
この一撃で終わらないことなど、最初から分かっている。
それでも――
“闇の書の闇”は、黙して揺れる。
バリアを破られたことに対する反応か――それとも、何かを見定めているのか。
だが、次の攻撃はもう始まっている。
「なのは、続けっ!!」
ヴィータの怒声が、空に響く。
「高町なのはと、レイジングハート・エクセリオン……行きます!」
少女の澄んだ声が、戦場に響き渡る。
その背中を押すように、レイジングハートが高く羽ばたいた。
淡いピンク色の魔力の翼が大きく広がり、空に光の残像を描く。
《Ready. Set up――》
機械音声が低く鳴ると同時に、カートリッジポートから一発、二発と連続で魔力弾が射出される。
ガチンッ!
ガチンッ!!
装填と同時に、なのはの体から蒸気のような魔力の熱が吹き出す。
砲撃準備完了――
レイジングハートの先端に、膨大な魔力が凝縮されていく。
「エクセリオンバスター……!」
両手で杖を抱え、まっすぐに“闇の書の闇”を捉える。
その標的に、恐怖はない。ただ、決意と責任がある。
「――フォースバースト!」
放たれた魔力の光は、直線ではなかった。
あまりの密度と速度で、空間そのものがわずかにねじれ、螺旋を描きながら突き進む。
同時に、“闇の書の闇”の反応――!
巨大な触手が、バリアの前に立ちはだかろうと伸びる!
「させないっ!」
なのはの指先がわずかに動き、同時に空間に不可視の魔力が編まれる。
それは、見えない拘束魔法。バインド・フィールド。
ゴンッ!!
触手が空中でぴたりと止まり、抵抗もむなしく拘束される。
――ここだ!
「ブレイク――――シューーートッ!!」
轟音と共に、レイジングハートから四つの光球が放たれる。
それぞれが“サブバスター”として四方から目標を狙い――
そのすべてを呑み込むように、中心から主砲が放たれた。
ピンクの光柱
空間を裂き、大気を焼き、音を置き去りにして突き進む光が、“闇の書の闇”の第二層バリアに命中する。
キィィィィィィン――!!
バリアが軋む。裂ける。亀裂が走る。
そして――
バシュゥウウウウウン!!!!
その瞬間、第二層バリアが爆音と共に粉砕され、四散した破片が空に飛び散った。
光の余波が辺りを舐めるように吹き荒れ、魔力の余剰波動が地表の海を逆巻かせる。
「――命中確認っ!」
だが、なのはの表情に安堵はない。
「“剣の騎士”シグナム、魂をもって応じる。“炎の魔剣”レヴァンティン!」
その声は、静かに、そして力強く響いた。
まるで誓いのように――あるいは、炎の誇りを帯びた戦場への“宣誓”のように。
光の残滓を残しながら、紅蓮の軌跡が戦場を駆ける。
シグナムが、疾風のような加速で宙を滑るように現れた。
背中からは、猛る焔のオーラが噴き上がり、彼女の決意を物語る。
その手にあるレヴァンティンが、刃を返す動作と共に、すらりと音を立てて姿を変える。
カチン――と、金属の結合音。
柄と鞘が繋がり、まるで舞い降りた翼のように、美しく左右に開いた。
それは、ただの武器ではない。
彼女と共に戦い、血を流し、勝利と敗北を知る、忠義の証。
“剣”は、“弓”へと姿を変える。
「翔かけよ、隼――!!」
その声と同時に、シグナムの指先には炎が集い、一本の矢が形成される。
矢の形をした魔力の奔流は、純粋な焔の塊――だがそこに宿るのは、“精密なる技術”と“覚悟”だった。
矢が放たれる。
ギィィィィィン――!
弓を離れたその一撃は、次の瞬間には形を変えていた。
――“鳥”だ。
火の鳥。炎の隼。シグナムの魂を宿した意思ある炎。
雄叫びすら聞こえてくるような魔力の奔流が、一直線に空を切り裂く。
そして――
バシュゥンッ!!
第三層のバリアに到達した瞬間、その炎の矢は突風を生み出しながら、中心から焼き溶かすように内部へと侵入した。
バリアの表面が赤熱し、徐々にひび割れ、内部から炎が逆流する。
数秒後。
ドォォン……ッ!!
爆音と共に、三層目のバリアが崩れ落ちる。
破片となった魔力が空中で閃光を残しながら砕け散り、辺り一帯に光の雨を降らせる。
「……貫いたか」
炎の魔矢が放たれた方向を見据え、シグナムが静かに息を吐いた。
「フェイト・テスタロッサ、バルディッシュ・ザンバー……行きます!」
静かな、けれど凛と張った声が空に響いた。
次の瞬間、金の閃光が戦場を貫くように走る。
シュイン――!
空間に放たれた雷の帯が交錯し、その中心からフェイトが舞い降りる。
漆黒の衣をはためかせ、風と雷を従えながら、前線へと降り立つその姿は、まさに“雷神の化身”。
《Cartridge Load. One. Two. Three――》
バルディッシュ・ザンバーが唸りを上げる。
三発連続で装填されたカートリッジの魔力が、刃の根本から放射状に奔流し、雷光を帯びた波紋が空間を震わせる。
「撃ち抜け――」
魔力の刀身が、徐々に巨大化し、まるで稲妻を凝縮した“紫電の刃”と化す。
その煌きは、不穏な暗黒を切り裂くための灯火のように、凛と輝いていた。
「雷神――!!」
――ドンッ!
地を蹴ると同時に、フェイトの姿が消える。
空気が爆ぜるような音とともに、次に姿を見せたのは、“闇の書の闇”の目前。
振りかぶったバルディッシュ・ザンバー。
一瞬だけ時間が止まったような静寂の中――
ズドォォンッッ!!
振り下ろされた一閃が、重力すら断つような直線で走る。
斬撃はバリアに直撃した瞬間、雷を撒き散らしながら炸裂。
ゴギィィィ――――ッ!!!
紫電がバリアの表面を走り回り、内部から“焼き切る”ように侵食する。
圧縮された雷魔力が、バリアの基盤を破壊し、たった一撃で四層目の防壁に深く亀裂を刻んだ。
そして――
バァァァン!!!
爆音と共に、四枚目のバリアが“砕けた”。
衝撃波が海を割り、空に雷光がほとばしる。
フェイトは静かに後方へ離脱しながら、バルディッシュを一閃、構え直す。
“闇の書の闇”が、吠えた。
地を揺るがすほどの重低音――それは怒りか、あるいは追い詰められた獣の断末魔か。
黒い肉塊から無数の触手が一斉に蠢き、海面を裂いて天に向かう。
その中の幾つかは、砲門のように開き、収束する魔力が蠢く光を放ち始めていた。
――この距離、この出力。
撃たせれば、全滅する。
だが、その時。
風の中に、静かに響く男の声があった。
「盾の守護獣、ザフィーラ――砲撃など、撃たせん!」
その宣言と共に、大地が鳴動する。
ザフィーラの足元にベルカ式の魔法陣が現れ、白銀の魔力を帯びて回転を始める。
ギュォン……!
地を貫くように、輝く杭が突き上がった。
一本、また一本――
それはまるで、大地の怒りそのもののように。
杭はすべて“純白”。魔力の奔流から構成された、信義と抑制の象徴。
ブンッ――ドガァッ!!!
突き上げられた杭が、砲門のように変形した触手へと正確無比に命中する。
ズブッッ!
鈍く、粘着質な音とともに、杭が深く食い込む。
黒い肉が泡を吹き、悶え、咆哮が止まる。
“闇の書の闇”の砲撃準備は、完璧に妨害された。
「はやてちゃん!」
誰かの叫びが、戦場に響いた。
空中で舞うように旋回しながら、はやてはふわりと左手を掲げる。
その手には、黒装丁の“夜天の魔道書”。
ページが風を受けて捲れ、淡く蒼白い光が溢れ出す。
――その姿は、まるで天より降り立つ巫女。
静かに、けれど揺るぎなく、はやては口を開いた。
「彼方より来れ……やどり木の枝」
魔力が収束する。
海面には、ミッド式とベルカ式が複合した特殊な魔法陣が出現し、ゆっくりと回転を始める。
「銀月の槍となりて……撃ち貫け」
淡く揺れる魔力の波紋が、光の粒子となって夜天の書に吸い込まれていく。
そして次の瞬間、はやての全身から発せられる魔力が、まるで星の瞬きのように輝いた。
「――石化の槍」
そして、
『ミストルティン!!!』
重なる詠唱と共に、魔法陣の中心から何本もの“光の槍”が射出される。
その軌跡は、ただの直線ではない。
まるで“月の祈り”を具現化したかのような、優雅で、それでいて鋭利な矢――
シュウゥウウッ!!
槍は一点集中ではなく、“闇の書の闇”の全身各所を狙って落ちる。
脚部、腹部、背部、翼、肩口、胸部、そして頭部近くへ――
まるで、“そのすべての動きを封じる”ために設計された精密射撃のように。
ゴォン……ッ!!
一本突き刺さるたび、重い鐘のような音が響く。
そしてその度に、石化の波紋がぶわり、と周囲に広がっていく。
灰色の石が、焼け焦げたような黒の肉体を包み込み、硬直させていく。
その様子は、まるで闇そのものを“封じる結界”のようだった。
“闇の書の闇”の巨体は、次第に動きを止めていく。
脚が、翼が、口、触手がそして、胸部から首元まで――
――徐々に冷たく凍りついたように動きを失っていく。
「――止まった……っ!」
誰かが息を呑む。
このままなら、封印できる。
しかし――
パキン。
微かに響く、ガラスが割れるような音。
「……再生……早すぎる……!」
はやてが、顔をしかめて呟いた。
石化したはずの体表が、ひび割れを起こす。
中から、黒い魔力の瘴気が、じわじわと滲み出してきた。
ピキ、ピキキキ……
石の層が、砕けるように崩れ落ちる。
――そして、再び現れる異形の肉体。
まるで何事もなかったかのように、再生が始まっていた。
「なんて……回復速度や……!」
「行くぞ、デュランダル……!」
空気が、一気に冷たくなった。
まるで季節が一瞬にして冬へと変わったかのように、戦場を包む空気が凍てつき、吐息すら白く染まっていく。
現れたのは――漆黒の制服を身に纏い、静かに杖を構える男。
時空管理局執務官、クロノ・ハラオウン。
「悠久なる凍土……」
彼の詠唱は低く、けれど強く響く。
それは呪文というよりも、“封印の宣言”だった。
「凍てつく棺のうちにて、永遠の眠りを与えよ――」
その言葉に呼応するように、彼の周囲の魔法陣が白銀に輝く。
空間が軋む。
重い、重い沈黙が走る。
空気の流れが止まり、魔力の粒子さえ“凍りつくように”その場で停止したかのような錯覚。
そして、最後の言葉が叩きつけられる。
「――凍てつけ!!」
ズゥゥンッ――――!!
クロノの杖先から、鋭く伸びる氷槍が解き放たれた。
その軌跡はまっすぐではない。
空間そのものを凍結させながら、**“世界の流れごと凍らせる”**ように進んでいく。
“闇の書の闇”に突き刺さった瞬間――
それはまるで、時が止まったかのようだった。
バシュウウウ……ッ!!
黒く蠢いていた異形の肉体が、瞬く間に青白い氷に包まれていく。
脚が止まり、翼が凍り、口が開いたまま凍結される。
地面にあった海水すら凍り、砕けるような音を立てて結晶化し始める。
その場にあったすべての熱が、まるで奪われたように消えた。
「フェイトちゃん、はやてちゃん!」
なのはが呼びかけたその声に、ふたりは即座に応じた。
「うん!」
「……うん……!」
三人の少女が、夜空を背にして並び立つ。
それぞれの足元に、眩い魔法陣が展開される。
ミッドチルダ式と夜天の特異構成――三種三様の魔力が、空に刻まれた巨大な陣に溶け合い始める。
その中心には、“闇の書の闇”。
未だ氷結したまま沈黙しているが――誰も、それが終わりではないことを疑ってはいない。
だからこそ、今、全力で。
「全力……全開!!」
なのはの周囲に、ピンク色の魔力が渦を巻く。
カートリッジを一気に三発装填し、レイジングハート・エクセリオンが翼のような輝きを放つ。
「雷光、一閃!!」
フェイトのバルディッシュが、唸るように雷鳴を上げる。
刀身が雷雲と繋がり、紫電の柱が天から降り注ぐ。
その身体に刻まれた傷も痛みも、今はすべて“力”に変える。
「ごめんな……おやすみな……」
はやてがそっと目を伏せ、夜天の魔道書に手を添える。
まるで、大切な誰かを眠らせるような、優しい詠唱。
ベルカ式とミッド式の融合陣が、星空のような煌めきを描き始める。
三人の魔力が、空間を裂くように響き合う。
「スターライトーーー!!」
「プラズマザンバー!!」
「ラグナロク!!」
声が重なる瞬間、世界が震えた。
「「「ブレイカァァァァァーーーーーー!!!!」」」
放たれた三つの光が、音も置き去りにして一直線に“闇の書の闇”へと集束する。
ピンクの砲撃――なのはのスターライトが、光の奔流となって空を焼き尽くす。
黄雷の斬撃――フェイトのプラズマザンバーが、雷神の怒りのように空気を引き裂く。
白銀の審判――はやてのラグナロクが、世界を終わらせる“静かな死”を携えて降臨する。
三色の光は、やがてひとつの“白”となり――
ズゥゥゥゥゥンッ!!!!!!
“闇の書の闇”へと突き刺さる。
衝撃と共に、その巨体が貫かれ、内部から砕けていく。
バリアは意味を成さず、防壁は焼き溶かされ、封じられた中枢へと達する。
全身を光が包み、まるで“神の審判”を受けるかのように、その存在が浄化されていく。
地鳴り。
衝撃波。
光が空を覆い、数秒間、戦場から音が消えた。
――そして。
静かに、風が戻る。
空に残ったのは、三人の少女の魔力の余韻と、ゆっくりと崩れ落ちていく“闇の残滓”。
「本体コア、露出!」
シャマルの鋭い声が戦場に響いた。
光の爆心から、黒い何かが漂うように姿を現す――
それは、黒く、禍々しく、脈動する球体。
まるで悪夢の核を圧縮したような異質な存在。
“闇の書の闇”の中枢――本体コア。
「……クラールヴィント、ペンダルフォルム!」
シャマルが腕を突き出すと、リング状のデバイスが輝きを放つ。
それはまるで観測装置のように、宙に三重の魔法陣を浮かべ――
「“旅の鏡”――展開!」
クラールヴィントの輪の中に、映し出される黒い球。
狙いは完璧。
光の糸のような魔力がコアに絡みつき、空間ごと“固定”する。
「捕まえ、たっ!!」
その声と同時に、コアが引き寄せられるように魔法陣の中心へと封じ込められた。
だが、その瘴気はなお蠢く。
一秒でも遅れれば、逃げ出すかもしれない。
「長距離転送!」
シャマルの声に即座に反応する二人の影――
「転送ルート、構築完了!」
ユーノが空中に複数の転送ゲートを同時展開。
魔法陣の幾何学模様が、まるで天体図のように複雑に重なり、空を支配する。
「封印術式、重ねておくね!」
アルフが炎のような魔力を指先にまとわせ、コアの周囲を補強。
干渉されないように、転送術式を魔力障壁で守り抜く。
「目標、軌道上!」
「……転送!!」
三人が同時に詠唱を終えた瞬間――
ズバァァァァッ!!!
一閃の光が空を裂き、本体コアがまばゆい閃光と共に上空へと引き上げられる。
まるで天へと昇る呪物のように、“闇の中枢”が空間を揺らしながら消えていった。
そこは、アースラが待つ“軌道上空”
「転送されながらも、再生反応あり!? 速い……!!」
アースラ艦内、管制室のモニターが警報と共に赤く染まる。
映し出されるのは――軌道上に転送された“闇の書のコア”。
しかし、そこにあったのは沈黙でも終息でもなかった。
黒い球体が、転送中にも関わらず脈動し、ひび割れた石の外殻から再び肉が蠢く。
「この速度……完全に止まっていない……!」
緊張が一気に走る。
だが――
「アルカンシェル、バレル展開!」
リンディ・ハラオウン艦長の指示が、静かに、しかし確固として響いた。
「ファイアリングロックシステム、オープン!」
指令と同時に、艦体の側面が展開し、巨大な立方体状の砲身――アルカンシェルが姿を現す。
魔法と科学が融合した、管理局の最終兵器。
管制官が次々にロックを確認し、最終キーを手に取るリンディ。
その手は、ほんの僅かに震えていた。
しかし――
彼女は迷わなかった。
「発射――!!」
キーがひねられる。
直後、魔力が空間を裂く。
ズドォォォォォォォォン――――ッッ!!!
白銀の光が、次元を焼き裂いて放たれる。
その閃光は、まるで宇宙の夜を“昼”に変えるかのようだった。
冷たく、それでいて絶対的な力を感じさせる光。
“それ”が、“闇”へと到達する。
黒い球体が、抗うように脈打つ――だが。
バシュゥゥゥゥン……!!
衝突。貫通。蒸発。崩壊。
言葉が追いつかない速さで、闇の中枢は完全に、世界から消し飛ばされた。
モニターが一瞬だけノイズを走らせ、管制官たちの前に数値が浮かぶ。
『効果空間内の物体、完全消滅。再生反応なし』
その言葉を受けて、アースラ管制室は――
一瞬だけ、沈黙。
そして、歓声。安堵の吐息。誰かの笑い声。
勝った。終わった。世界は護られた――
そう、誰もが信じていた。
――だが。
誰も、気づいていなかった。
軌道上、爆心地のごく近くに――ほんの一瞬、黒い影があったことを。
散りゆく羽根のように、漆黒の残滓が宙に舞っていた。
それは記録にも残らず、誰の視界にも映らなかった。
だが、確かに“そこにいた”。
黒いフード。黒い翼。
鈴木太郎――黒翼の少年は、あの一撃が放たれる直前、そこに存在していた。
だが今は、もういない。
誰にも見つけられなかった。
誰にも認識されなかった。
ただ、残された残光のように――
その場に“確かに”いたという痕跡だけが、空間に薄く滲んでいた。
そして、その時の“彼の瞳”だけが、今も脳裏に焼き付いて離れない。
冷たく、静かに――
未来のすべてを見透かすかのように、赤く光っていた。
時は数分さかのぼり・・・
太郎は思った。
「……いや、最後まで付き合うって言ったけどさ。出番、なさすぎじゃね?」
戦場には轟く砲撃音、怒号、魔力の閃光――
そのすべてが交錯する中、空の上で彼はただ一人、ぽつんと浮かんでいた。
何もせず。誰にも気づかれず。まるで背景の一部。
《ーーーお前、絶対空気になってるな!》
「マジか~……これ、僕いらない説、濃厚だな」
誰もが輝くスポットライトの中で全力バトルしているのに、
自分だけ“別のスタジオで収録中”みたいな疎外感。
戦闘開始からここまで、彼の活躍時間――実質ゼロ秒。
だがそんな中、太郎はふと思い出す。
「あのさ。“闇の書の闇”ってさ――」
魔力の奔流。空に炸裂する砲撃。
その全てをぼーっと眺めながら、ふと口に出した。
「……なんか使えそうじゃね?」
言いながら、じわじわと瞳の奥に“嫌な光”が宿る。
まるで危険思想が着火し始めたかのような、にやけ顔。
《……おい、やめろよ。まだ何も言ってないけど、その顔がすでに嫌な予感しかしねぇ……》
それでも、思考は止まらない。
「いやさ。ぱっつぁんって僕の中にいるじゃん?」
さらっと重大発言を織り交ぜながら、太郎の思考回路が暴走を始める。
「で、“闇の書の闇”ってさ。あれ、魔力量やばいでしょ?
……もしさ、アレをちょっとこう、僕の中に、こう……ね?」
《ーーー待て待て待て待て!?おい、どこに入れる気だ!?》
「いやいや、ほら、魔力ストック的に使えればワンチャンあるでしょ?」
ここでついに口に出す。
「……“闇の書の闇”を、僕の中に入れて、パワーアップ!」
ドンッ☆
彼の中で勝利BGMが流れる。
《ーーーその“ワンチャン”が、地獄の始まりだって言ってんだよ!!》
ぱっつぁん、全力でブレーキをかける。
だが――太郎は、まるで子供が“ボタン押したくなる衝動”に抗えないように、
すでに心の中で“やる”前提になっていた。
「いやー、僕ってさ……一度決めたら、曲げないタイプなんだよね」
ぱっつぁん、絶句。
《いやそれ、敵役のセリフじゃん……》
というわけで。
鈴木太郎、裏で勝手に“闇の書の闇”のコア回収計画、始動。
「僕の異空間にぶち込めば、どうにかなるっしょ!あとは、アザゼルに丸投げで!」
ノープランにもほどがある発言に、脳内の相棒が戸惑いを隠せない。
《……お、おう。で、どうやって“あれ”を回収する気なんだ?》
ぱっつぁんの呆れが混じった声をよそに、太郎はすでに動いていた。
両眼に紅き光が灯る。
万華鏡写輪眼。
宇宙空間に視線を向けながら、彼は軽く肩を回した。
「……さて、そろそろ“転送ショー”のお時間だよね~」
その声は、どこまでも軽い。けれど――瞳の奥は真っ赤に燃えていた。
数分後。
予想通りだった。
上空の大気に、揺らぎが走る。
空間が波打ち、青白い光の渦が軌道上空へと伸びていく。
“闇の書の闇”のコア――その黒き中枢が、時空を超えて転送されていった。
魔力が脈動し、空間が悲鳴を上げる。
誰もが息を呑む。
この一撃が、世界の命運を決するかもしれない。
それほどの緊張と魔力の奔流の中――
ただ一人。
太郎だけが、宙に浮かびながら鼻歌交じりに息を吸い込んでいた。
「――よし。じゃ、回収いってきまーす☆」
口元には、ふざけた笑み。
だけどその瞳の奥は、冗談では済まされない“赤”の輝きで満ちていた。
そして――神威、発動。
しかし、派手に空間を割くような動きはない。
彼の眼を中心に、空間が“ゆらり”と波打った。
まるで水面に石を落としたように、空間が歪む。
そして、彼の身体が――
眼に吸い込まれるように、静かに消えていく。
音はない。
風もない。
ただ、視界の中で太郎の輪郭がスモークのように淡くなり、
彼自身が“瞳の奥の異空間”へと滑り落ちていくように、消滅していった。
向かう先は――宇宙。
無音。
無風。
何ひとつの気配もない、完璧な静寂。
だがその闇の只中、空間が“じわり”と歪んだ。
螺旋のような捩れが生まれ、そこに黒い穴が穿たれる。
次の瞬間――
太郎が、神威の渦からぬるりと“這い出る”ように出現した。
赤いチャクラの衣を纏い、万華鏡写輪眼を煌かせながら、無重力の空間にふわりと漂うその姿は、まるで“侵入者”そのもの。
そして――
数秒後。
空間が揺れた。
まるで重力のない水面に石を落としたように、ゆらりと波打つ時空。
その中心から、黒く脈動する球体――“闇の書の闇”の本体コアが、予想通りの座標に転移された。
「――キター!」
しかし、やはり相手は一筋縄ではいかない。
転送から数秒――
脈動する黒い魔力が、周囲に瘴気を撒き散らすように膨れ上がった。
そして“闇の書の闇”のコアは、再びその肉塊に包まれるようにして、姿をくらました。
《ーーーおい!どうすんだよ!?これじゃコアの位置、完全にわかんねぇじゃん!》
ぱっつぁんの焦りが、脳内でビリビリと響く。
だが。
「いやいや、だいたい把握してるよん☆」
浮かべた笑みは、ふざけているようでいて――一片のブレもない。
万華鏡写輪眼の視界が、脈動の軌道と再生の波を読み取る。
空間に走る亀裂、魔力の密度、回復挙動の癖――
すべてを、太郎は見抜いていた。
さらにそこへ――
管理局の兵器、“アルカンシェル”の発射タイミングを計算に加える。
「よし……“この辺だ”ッッ!!」
タイミングを見計らい、眼を見開く。
それと同時に、万華鏡写輪眼の渦が深く回転し始め――
神威。
ターゲットは、“明確な座標”ではない。
予測されたコアの位置を中心にした**“数立方メートル分の空間そのもの”**だ。
空間がねじれる。
引き剥がすように、宇宙の一点がぐしゃりと歪み、そこだけがスコンと異空間へと転送される。
爆発直前の闇の中枢。
その核だけを――神速のタイミングで、“まるごと持ち去った”。
「……回収完了っと!」
笑顔。超ノリ軽め。
だがその直後――
遥か後方。
アルカンシェルが、その巨大な砲身から――静かに、そして絶対的に放たれた。
ドォォォォォォン――!!
空間が悲鳴を上げるような轟音と共に、一筋の白光が夜空を貫いた。
誰もが、あの一撃にすべてを託した。
だが、その閃光の中で――
太郎は、静かにカムイを発動。
空間に波紋のような歪みが走り、彼の姿は音もなく、虚無へと溶けていく。
そして、数秒後――
宇宙に轟く、白く巨大な爆裂光。
爆発の中心から離れた安全圏、異空間の片隅で、
太郎は小さく拳を突き上げてニヤリと笑う。
「作戦成功、っと!」
アルカンシェルは確かに“闇の書の闇”を撃ち抜いた。
しかし――
その中枢コアは、既に彼の手の中だった。
……数時間後。場所はグリゴリ、中央研究区画。
静かに開くラボの扉。
そこから入ってきたのは、どこまでも無邪気な顔の少年・鈴木太郎。
「やほ~。おみやげあるよー。
宇宙で拾ったやつ、なんかヌメってた」
そう言って、太郎は脈動する黒い球体を、アザゼルの机にポンと置いた。
アザゼルは視線だけでそれを見て、片眉を上げる。
「……なんだこれ。人工核?いや、有機反応も混ざってるな……どっかの魔族の遺物か?」
ひとまずスキャン装置を起動。
だが――
モニターに表示される反応は、すべてエラー。
出力波形、魔力属性、構造解析――すべて“該当データなし”。
「……解析不能? なんだこれは、どの世界の魔術理論にも当てはまらない……?」
さらに、不穏な振動。
黒い球体が、コポコポと泡立つように表面を変質させ始めた。
警報が鳴る。魔力警戒レベル、急上昇。
「おい……これは本当に、何を持ってきた……?」
アザゼルの表情が、真剣なものに変わる。
彼の知識と経験で、まったく見当がつかない“魔力の塊”。
そして次の瞬間、ラボ内の結界が自動的に起動し、緊急封印モードへと切り替わった。
《警告:対象物より高濃度の異界魔力を感知。性質不明。即時封印を推奨》
「――なんだこれは……!? どこの世界の魔術体系にも……属していない……!!」
脳裏に浮かぶのは、“理屈の外側にある何か”という、最悪の可能性。
そして、それを涼しい顔で眺める太郎。
「え? 知らないの? あれだよ、“闇の書の闇”の中身~」
その一言で、アザゼルの感情が限界突破した。
「おまえぇぇぇぇッッッッッ!!! てめぇ、正気か!? そんなもん、どこで!? なんでッ!? そもそもナニそれぇぇぇぇッ!!???」
「宇宙で拾った。なんかヌメってて、楽しそうだったから」
にっこり無邪気に笑う太郎に、アザゼルの魂が音を立てて崩れた。
――その瞬間だった。
ラボ中に警報が鳴り響く。
けたたましいアラート音が四方のスピーカーから炸裂し、
空間結界は限界を超えて軋みを上げる。
黒い球体から漏れ出す魔力が、うねりとなって研究設備を揺らし、
天井の蛍光灯はバチバチと明滅し始めた。
機器の表示は次々と“ERROR”に切り替わり、封印障壁は振動し、冷却塔が赤熱する。
だが――
その中心で、アザゼルはただ、青筋を浮かべたまま立ち尽くしていた。
目は見開かれ、口はわずかに開きかけ――けれど、何も言葉が出てこない。
あまりにも理不尽で、常識外で、意味がわからなさすぎて。
どれだけ知識を掘っても出てこない。
存在すら知らなかった魔術理論外の“闇”。
なのに、それを目の前の少年は、**「宇宙で拾った」**の一言で持ち帰ってきた。
「…………(もう無理だこれ)」
額に手を当て、肩を落とすアザゼルの横で。
太郎は、ごく自然にこう言い放った。
「じゃ、なんか使えるようにしといて!」
そう。
まるでおやつをレンチンしといて、みたいなテンションで。
「僕ってさ、素材集めは得意だけど、
活かすのって専門家の仕事だと思うんだよね~」
にっこり笑顔。
後光が差して見えたのは、きっと気のせい。
「……頼んだよ、アザゼル。期待してるから」
そう言って、太郎は手をひらひら振りながら、爆心のラボからスキップ気味に退出していった。
その背中を見送るアザゼルは――
無言で、机に突っ伏した。
ヤバい!AIの記憶メモリがいっぱいになってしまったぜ!!全部クリアにしたら今まで記憶した物語の設定や話の流れが、一気に吹っ飛んでしまうぜ!やべーぜ!