DD世界だと思ったらリリなの世界でした。いや両方の世界が混ざり合った世界でした!!   作:バター犬

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おっぱい、いっぱい、しあわせいっぱい!

 あれから、数ヶ月が経った。

 

 

 

僕は久々に、グリゴリの奥まった区画へ足を踏み入れていた。

廊下の照明は妙に暗く、電気の波長すら抑圧的に感じるほど。

壁に貼られた無数の警告標識と、誰かの悲鳴のような電子音が耳を掠める。

『研究室』と書かれた分厚い扉の前で、僕は小さく息をついた。

 

ドアが開いた瞬間、強烈な化学臭と、微かに焦げたような匂いが鼻をつく。

相変わらずの、アザゼルのセンスだ。

 

 

 

「――太郎! おせぇぞコラ! お前に頼まれてたブツ、ようやく完成したぜェッ!!」

 

 

 

作業台の奥から、白衣を着た悪魔が飛び出してきた。

目がギラついている。テンションは明らかに常軌を逸していた。

その手には、深紫――ほとんど漆黒に近い色合いの宝玉が握られていた。

まるで、凝縮された怨念か何かを塊にしたようなその玉は、光すら飲み込むような存在感を放っていた。

 

 

 

「え、ちょっ――!」

 

 

 

思考が追いつく前に、アザゼルは躊躇なくその宝玉を投げつけてきた。

反射的に手を伸ばし、キャッチ。

 

重量は意外にも軽い。だが、手のひらに収まったその瞬間、皮膚を通じて、体内にじわじわと“異質な気配”が染み込んでくる。

脈打つように、コク…コク…と震えるその鼓動が、まるで生きているかのように錯覚させた。

 

 

 

「……で、これって何? ナハトヴァールの改造品?」

 

 

 

「そうそう、それ! 」

 

アザゼルは鼻息を荒くしながら、嬉々として説明を始めた。

 

「ナハトヴァールをな、ドラゴン系神器の中枢構造に封じ込めて、エネルギー循環を安定させたんだよ!」 

 

アザゼルは鼻を鳴らしながら、得意満面の笑みで親指を立てた。

目は血走り、白衣の袖には謎の焼け焦げが残っている。

どう見ても、これまでに何度か爆発させた形跡がある。

僕はそれを見ないフリをしながら、無言で続きを促した。

 

「……まぁ、正確にはな。“安定したように見える”ってだけなんだけどよ」

 

「…………おい。」

 

眉ひとつ動かさずに突き刺した一言に、アザゼルはまるで悪びれた様子もなく笑った。

堕天使のくせに、どこか無邪気で――それが一番タチが悪い。 

 

「いや~だってさ? ナハトヴァールって中身、完全にブラックボックスじゃん? なにがどう動いてんのか、俺でもさっぱりでさ! プログラムも理論も、全部通じない!」

 

「そんなモンを、どうやって神器にブチ込んだの……?」

 

 

僕の声は、呆れを通り越して、もはや祈りに近かった。

しかし、アザゼルはそんな心情などお構いなしに――むしろ愉快そうに笑いながら、答えた。

 

「だから最終的には――」 

 

アザゼルは、指を一本立てて、口角をにやりと吊り上げる。

 

「ノリと勘!! アドリブ全開! 職人の魂だよ!!」 

 

「いやそれ、技術って呼ばねーからね?」 

 

「まぁまぁ、聞けって。これがな――」

 

アザゼルは、ふと白衣のポケットに手を突っ込むと、試験管のような細長い容器を取り出した。

中には、黒紫色の光を放つ小さな結晶が、どろりとした液体の中でゆっくりと浮遊していた。

 

「見てみろよ、これが核素材だ」 

 

彼はその試験管を、蛍光灯の下でくるくると回して見せつける。

黒紫の結晶は、光に反応するかのように脈打ち、時折、内部から微かに“呻き声のような音”さえ漏れているような……気がした。 

 

「うちの保管庫にはな、ヴリトラの魂を分割して封じ込めた神器がいくつかあるんだ。まぁ、封印系研究の副産物ってやつだな。どれもこれも、触ると呪われそうな代物ばっかだけどよ」 

 

「……まさか、そっから?」 

 

アザゼルは、悪びれもせず頷いた。 

 

「そう、そこから魂を抽出してきた。厳密には“切り出した”って方が正しいかな。

なんせヴリトラの魂ってのは、切っても切っても再生するんだ。分割しても、時間が経てば元に戻ろうとする。まるで……自分の存在を世界に刻み付けたいみたいにな」 

 

彼の口調は、どこか畏怖と興奮が入り混じっていた。 

 

「だから、その魂をな。ほんのちょっとだけ、ほんの――指先ほどの一片だけ、丁寧に切り取って、その中にナハトヴァールの中枢をぶち込んでみたのさ」

 

アザゼルの目がギラギラと輝いていた。

それはただの好奇心ではない――“未知の融合体”を生み出した者の誇りと狂気だ。

 

「ヴリトラの魂はな、異常なまでに自己修復能力が高い。普通なら封じられた時点で大人しくなるはずなんだが、あいつだけは違う。再生する。夢を見る。記憶を辿って、何度でも“戻ろうとする”」

 

彼は試験管を、まるで聖杯でも掲げるかのように持ち上げた。 

 

「だからこそ、完璧な“魔力循環器官”になれる。

俺はそこに賭けたんだよ。ナハトヴァールの暴走魔力を抑えるには、それに負けない“強靭な魂”が必要だった。――そして選ばれたのが、ヴリトラだったってわけさ」

 

僕は試験管の中でゆらめく結晶から、視線を逸らせなかった。

見ているだけで、精神が擦り減るような感覚。

どこか遠くから、“ブツブツ……”と何かを呟く声が、微かに聞こえるような錯覚さえあった。

 

それは――まるで“目覚めかけた夢”の残り香。 

 

アザゼルはにやりと笑い、続けた。 

 

「もちろん、切り取ったのはほんの一部だけだからな。まだ自我は完全にはない。

だが……もし、いつか目覚めたら……うん、その時はその時だ。観察対象がまたひとつ増えるだけさ」

 

「え、なんかすごいね……魔改造通り越して、禁呪じゃん……」 

 

「禁呪? はっ、それは褒め言葉だぜ太郎。俺はな、天界時代から“魔術の限界”を越えるのが仕事だったんだよ。倫理? 理論? 知ったことかって話よ!」

 

そう言って、彼は軽く笑った。

 

その笑顔の奥には、本気で理屈よりロマンを信じる科学者の狂気が宿っていた。

それは、神をも解体しようとする探究心。

そして、世界のルールを“面白さ”で上書きする、破滅的な情熱。

 

「で、出来上がったのが――その宝玉ってわけだ」 

 

アザゼルは腕を組み、誇らしげに頷いた。

まるで、芸術作品を完成させた職人のような顔だ。

 

「ナハトヴァールの中枢を、ヴリトラの魂に封じて融合させた――新種の人口神器。

その名も、ヴリトラ・ドライヴ型神器。略して《NDR(ナハト・ドゥルジ・リゾナンス)》!」

 

「ナハト……ドゥルジ……?」

 

「そうそう、“ナハトヴァール”と“ドゥルジ”――ヴリトラの別名を掛け合わせてる。響きがイイだろ?

最近はそのまんま、“ナハドラコア”って呼んでるけどな!」

 

「なんか、急に商品名みたいなノリになってない……?」

 

「うるせぇ! ネーミングは大事なんだよ!

このコアの完成を記念して、ちょっとロゴも考えてるんだからな。“混沌と災厄の結晶”って副題つきで!」

 

「副題いらん……」

 

「いーや、つける! だってこれ、“ドラゴン系神器”なんかと一緒にすんなよ?

これはもう別格だ。ヴリトラの魂核を土台に、ナハトヴァールの本質を封じた、“ヴリドラ系神器”。

最初から暴走前提、まともな設計思想ゼロ、でも強い! 最高に俺らしいじゃねぇか!」

 

 

アザゼルは口笛を吹きながら、もう一度宝玉を指差した。

その中で渦巻く黒紫の輝きが、どこか生き物の眼のようにこちらを見返してくる。

 

「ま、起動すればわかるさ。俺がどれだけぶっ飛んだブツを作ったか、な!」

 

僕の手の中にある、その禍々しい宝玉――

 

表面をなぞるたびに、微かに震えるような感触がある。

まるで、魂そのものが息をしているかのように。

 

そして、底知れぬ何かが、今にも――目を覚ましそうな気配を、じわじわと滲ませていた。

 

「……アザゼルってほんとに、昔は天使だったの?」

 

「おうとも! 叛逆前は聖なる光の申し子、研究開発局エリート筆頭! 今は堕天して、闇の叡智でパワーアップしたけどな!!」

 

アザゼルは白衣をバサッと翻し、どこかの舞台俳優のようにポーズを決める。

心底どうでもいいが、本人は満足そうだった。

 

「でも、安心しろ。キモい部分はぜーんぶ切り離して、処分済みだからよ」

 

アザゼルはそう言って、まるでちょっとした掃除の報告みたいなノリで肩をすくめた。 

 

「ナハトヴァールの中核を抽出したあと、触手だの目玉だの脈打つ肉塊だの――

 “俺でも直視したくない系”のパーツは全部、魂ごとバラして――次元の狭間にぶん投げた。」 

 

「ぶん投げたって……どこに?」 

 

「知らん。帰ってこなきゃそれでヨシ。二度と見る気はねぇ。

 ほら、時空の継ぎ目みたいなところって、便利なんだぜ。ゴミ箱としてな」 

 

「ポイ捨てダメなんだー!!」

 

「何言ってんだ。最先端の研究ってのは、“見なかったことにする”工程も大事なんだよ。むしろ誠実だろ? お前が嫌がってた“目玉いっぱい触手モード”とか、そういうのは全部バッサリだ」

 

「もしかして前は、そんなモノがついてたの?」

 

「ついてた。**しかも動いてた。**俺も最初見たときはビビったぜ! ギョロギョロって!」

 

「聞きたくなかった」

 

「で、本体から切り離したコアを、神器に適合させて、エネルギー抽出器として組み込んだ。今じゃ、魔力循環率は俺の作った中でもトップクラス。いやマジで! これだけはガチ!」

 

「それって、つまり……?」

 

「要するに! 触媒としては最高の出来ってことだ!」

 

アザゼルはまた自信満々に親指を立てる。

僕はその勢いに圧されるでもなく、じっと視線を向けた。

 

その瞬間、僕の背中にうっすらと悪寒が走った。

 

まるでこの宝玉――いや、“ナハトヴァールのコア”と目が合ったような気がして。

 

「こっっっわ!? で、使い方は?」

 

「簡単簡単。魔力を流せ。それだけだ。あとは自動的に接続される」

 

一抹の不安を覚えながら、僕は手のひらの宝玉に、魔力をほんの少し流し込んでみる。

 

 

 すると――。

 

 

 

ジュルリュリュリュリュ……ッ!

 

 

 

おぞましい音が、手のひらから響き渡った。

 

 

 

宝玉の内部で蠢いていた黒紫の光が、どろりと溶け出し、形を変えていく。

それは――蛇だった。

透明感のある深紫の液体の中から、ヌメりとした蛇が、まるで卵から孵化するように這い出してくる。

 

一本。二本。三本……いや、数える意味がすぐになくなった。

 

 

 

「ちょ、おま……キモッ!? え、ちょっと、やば――」

 

 

 

僕が言葉を発するより早く、

その蛇たちは意思を持つように動き始めた。

 

 

 

ズルッ、ズルルルッ……!

 

 

 

蛇は僕の腕を這い、脚に巻き付き、腹部を締め付けるように滑り、

やがて、顔に――口元に――目元に――ありとあらゆる穴という穴に、一斉に突っ込んできた。

 

 

 

「ぎゃぁぁぁぁぁあああああああああッ!!??」

 

 

 

叫ぶ暇もなかった。

耳の奥に侵入した一本が鼓膜を刺激し、

鼻孔を通った一匹は喉の奥に絡まり、

舌の裏側を這いずり回る感触が、耐え難い恐怖とともに脳髄に突き刺さる。

 

 

 

尊厳とか、そういうものは一瞬で崩れ去った。

 

 

 

これはもう、侵蝕だった。

肉体ではない、“魂”にまで触れてくる感覚。

蛇たちは、僕という存在の「外殻」では飽き足らず、内側の何かにアクセスしようとしている。

 

 

 

胃が逆流する。

骨が軋む。

血管が、血液ではない何かで押し広げられていく。

 

 

 

 

 

 

無我夢中で叫ぼうとしたが、すでに口腔内は蛇でいっぱいだった。

叫びは声にならず、喉の奥でジュルルと泡立った。

 

 

 

次の瞬間――。

 

 

 

ビキィッ!

 

 

 

脳の奥で何かが弾けた。

視界が赤黒く染まり、すべての感覚が**“一色”に塗り潰された。**

 

 

 

熱い。冷たい。痛い。痒い。苦しい。気持ち悪い。

全部が混ざった“異常”が、僕の神経を支配する。

 

 

 

身体中がミキサーでかき回されるような、圧倒的な異物感――

いや、“変質感”。

 

 

 

僕は、自分の身体が自分のものじゃなくなっていくのを、

ただ、意識が黒に沈むまで感じ続けるしかなかった。

 

 

 

――そして、僕は気を失った。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 目を開けると、視界いっぱいにアザゼルの顔があった。

 やる気ゼロの目であくびしてて、こっちは地獄から帰ってきたばかりだってのに、この温度差。

 

 

 

「おー、起きたか。……ったく、あれぐらいで気絶すんじゃねーよ。

 こっちはまだ説明の途中だったってのによ」

 

 

 

「いやいやいや!!」

 

 

 

 僕は跳ね起きて即ツッコミを叩き込んだ。

 

 

 

「体中に針ぶっ刺されて、内臓に蛇突っ込まれて!?

 気絶“だけ”で済んだ僕のこと、むしろ称賛されるべきだと思うんだけど!?」

 

 

 

 アザゼルは鼻を鳴らして、面倒そうに肩をすくめた。

 

 

 

「チッ……まぁ、そんだけしぶといなら、ちょうどいいな」

 

 

 

 お茶をひとくち啜ると、どこか楽しそうに続ける。

 

 

 

「あの混沌と災厄の結晶――ヴリトラ・ドライヴ型神器。

 略して、《NDR(ナハト・ドゥルジ・リゾナンス)》……の能力だが――」

 

 

 

 彼はそこで一拍置き、指をピンと立てた。

 

 

 

「今のところ俺が把握してるのは、“どう考えても頭おかしいレベルの再生力”だ!」

 

 

 

「……ん!?どゆこと?」

 

 

 

「要するに、“死なねぇし、治りすぎる”ってことだ!」

 

 

 

 アザゼルはニヤニヤしながら、誇らしげに語りだす。

 

 

 

「傷口? 一瞬。骨? 秒で再構築。内臓? 予備が生える。

 しまいにゃ魂のひび割れまで修復しやがる始末だ。下手すると死ぬ方が難しいかもしんねぇ」

 

 

 

「それもう再生っていうか、不死身じゃん……」

 

 

 

「厳密には“不死”じゃない。“死を拒否する反応”って感じかな。

 ヴリトラの魂片がな、完全に“生にしがみつく”タイプだから――それがナハトの再生力と混ざって、どえらいことになってんだよ」

 

 

 

「どえらいことを、もうちょっと安全にしろよ……」

 

 

 

「安心しろ、使い方次第でとんでもなく化けるぞ。

 そのナハト・ドゥルジ・リゾナンス”の再生能力――お前の体そのものを武器に変える土台にもなる。それに神器ってのは――宿す者の成長に応じて、“一緒に進化する”ものなんだよ」

 

 

 

 アザゼルは笑う。悪魔のような、でもどこか教師のような――そんな笑顔で。

 

 

 

「……まぁ、呼び名については好みで呼んでくれていいけどよ」

 

 

 

「じゃあ“ナハト”で。長ぇし、噛むし、覚えられない」

 

 「……おい、せっかく俺が三徹して考えたんだぞ……?」

 

 

 

アザゼルは肩を落としながらも、指を震わせて空中に“文字を書くような仕草”をした。

 

 

 

「“ナハト・ドゥルジ・リゾナンス”。

 この中二病と狂気の集大成を、そんな軽々しく――!」

 

 

 

 

「はいはい、略して“ナハト”でOKね~」

 

 

 

「だからっ……はぁ……」

 

 

 

アザゼルは軽くため息を吐いて、机に肘をつく。

めんどくさそうに指でコツコツと天板を叩きながら、僕のほうをチラリと見た。

 

 

 

「まあ……お前の命名センスに期待したのが間違いだったな」

 

 

 

「お、じゃあ実際に使ってみよっか」

 

 

 

「……は?」

 

 

 

僕は立ち上がると、手刀を構えて――

 

 

 

「とりゃっ」

 

 

 

 スパッ。

 

 

刹那。

僕の右腕が、肘から先ごと切断された。

 

 

 

床にドサッと落ちる生々しい音。

肉が割れ、骨が露出し、断面から血が――

 

 

 

いや、血じゃなかった。

 

 

 

「……うおっ、マジで?」

 

 

 

断面から湧き出してきたのは、

黒い蛇。

 

 

 

細いのから太いのまで、十、二十――いや、もっと。

液状の闇を纏うように、無数の黒蛇が絡み合いながら、僕の腕の形を“模って”いく。

 

 

 

ジュルルルル……ズルズル……ッ。

 

 

 

筋繊維、血管、皮膚――

全部、蛇のうねりが構築していくように再生されていく。

 

 

 

最後に爪の先まで形を整えた黒蛇たちは、僕の腕の中へスゥッ……最後に皮膚の下へ沈み込むように消えていき――再生は完了した。

 

 

 

「……ほら、完璧」

 

 

 

僕が自慢げに手をひらひらと振ると、アザゼルはしばらく黙って見つめてから――

 

 

 

「……お前さぁ」

 

 

 

「ん?」

 

 

 

「そういうの、もうちょっと段階踏んでやれないわけ?

 いきなり手ぇ切るの、普通じゃないって自覚あるよな?」

 

 

 

「いや、早く試してみたくて」

 

 

 

「うん。で、実際やってみた結果、どうだった?」

 

 

 

「めっちゃ気持ち悪かったけど、ちゃんと治ったよ?」

 

 

 

「ほう……よかったな。

 ちなみに、“気持ち悪い”って表現で済んでるうちは、まだ序の口だぞ」

 

 

 

 アザゼルは口の端だけで笑った。

 けど、その目には一瞬だけ、わずかな警戒と関心が浮かんでいた。

 

 「……ま、使いこなすのはお前だ。好きにやれ」

 

 

 

再生を終えた僕の腕を一瞥して、アザゼルは静かにそう告げた。

軽く言っているようで、その声はどこか――遠いところを見ているような響きを帯びていた。

 

 

 

「ただひとつだけ言っとくと……“壊れる前提”の生き方ってのは、案外キツいもんだぞ」

 

 

 

僕は、再生した右手を見下ろす。

指はしっかり動くし、感覚もある。

でも、どこか――自分のものじゃないような、そんな不思議な違和感が残っていた。

 

 

 

「……ふーん?」

 

 

 

気のない返事に、アザゼルは鼻を鳴らした。

それから、ペットボトルをひと口。

そのまま、肩の力を抜いたまま、ぽつりと呟いた。

 

 

 

「まぁ、これはヴァーリにも言ったことだが――」

 

 

 

いつもより少しだけ、声音が低かった。

 

 

 

「世界を滅ぼす原因だけは、作るな。

 ……特にお前はな、マジで、やりかねないから。」

 

 

 

それは、ただの冗談じゃなかった。

アザゼル自身が、これまでに“世界を終わらせかけた力”をいくつも見てきたからこその、本物の警鐘。

 

 

 その言葉に、しばし沈黙が落ちる。

 

 

 

でも僕は、肩をすくめて――

 

 

 

「ハッハッハ、まさか~。

 そんなこと、するはずないじゃん!」

 

 

 

 笑った。

 

 

 

 ――まるで、自分が“それを否定しきれない”ことを、誰よりも知っている顔で。

 

 

 

  僕はニッコリ笑って、まるで散歩にでも出かけるような軽さで、研究室のドアを開けた。

 

 

 

 背後に残るのは、血の匂いと再生のぬめり――

 そして、

 

 

 

 アザゼルの、深く、重たいため息だった。

 

 

 

 それが僕に向けられたものなのか、

 ナハトにかけた実験に対するものなのか――

 あるいは、この先の未来そのものに対するものなのか。

 

 

 

 僕には、わからなかった。

 

 

 

 ……ということにしておいた。

 

 

 

 

それから僕は、なんとなく海鳴の街をぶらついていた。

 

 

 

特に目的があったわけじゃない。

何かを考えたかったわけでもない。

……まあ、さっき自分の腕を切り落として再生したばっかなんだけど、

別にそれがどうってわけでもない。

 

 

 

いや、正直ちょっと気持ち悪かったけど、ま、いっか。

治ったし。

 

 

 

とりあえず、じっとしてると落ち着かない感じがあったから、

気がついたら、いつもの道をふらふらと歩いていた。

 

 

 

午後の空はのんびりしていて、蝉がうるさくて、

スーパーの特売の旗が風に揺れてる。

 

 

 

そんな中、ふと耳に入ったのは――

 

 

 

チリン、チリン……チン……

 

 

 

ベルの音。

どこか懐かしいというか、**昭和か!?**みたいな音がする。

 

 

 

なんとなく気になって音のほうを見てみると、

公園の一角に、紙芝居のおじさんがいた。

 

 

 

木陰のベンチの横に台を置いて、何かの準備をしている。

立てかけられた木の枠。そこには、いかにも“昔ながら”って感じの紙芝居セット。

 

 

 

パイプ椅子が何脚か並べられ、その前に座ってるのは――

 

僕を含めて数人の子供だけ。

しかもそのほとんどが、小学校低学年くらい。

明らかに場違いな僕だったけど、なぜかその場を離れられなかった。

 

 

 

おじさんは、ゆっくりと口を開いた。

 

 

 

「昔々、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでおったそうな。

 ある日、おじいさんは山へ芝刈りに。おばあさんは川へ洗濯に行きましたぁ。

 おばあさんが川で洗濯をしていると、川の上流から――」

 

 

 

……ああ、桃太郎か。

 

 

 

内容なんて、日本人なら誰でも知ってる。

それでも、周りの子供たちは目を輝かせて、おじさんの声に集中している。

そして、おじさんもどこか優しい目で、彼らを見つめていた。

 

 

 

次の瞬間だった。

 

 

「――おっぱいが、流れてきたのです」

 

 

 

……は?

 

 

 

頭に“?”が三つどころじゃなく並んだ。

今、おじさん、何て言った?

 

 

 

僕は反射的に紙芝居の画面を凝視する。

 

 

 

そこには――

 

 

 

画用紙いっぱいに、完璧なタッチで描かれた“それ”があった。

 

 

 

質感は妙にリアルで、なぜかCGっぽい光沢が入っている。

手描きのはずなのに、陰影のつけ方と艶が本気すぎて、

一瞬、**「これPhotoshop使ってるだろ」**って思った。

 

 

 

……僕の脳は処理を拒否した。

というか、なんか電源落ちた。

再起動して、ロゴが表示された瞬間にまたフリーズした。

 

 

 

「……………………」

 

 

 

脳が空白になったその中で、

何かが、胸の奥から込み上げてくる感覚があった。

 

 

 

言葉にならない。説明もできない。

ただ、わかる――これは、何かとんでもないものを見せられている。

 

気づけば、僕は叫んでいた。

 

 

 

公園に響き渡る声。

自分でも意味がわからなかった。

でも、どうしても叫ばずにはいられなかった。

 

 

 

たぶん、あの場にいた誰もが同じ気持ちだったんだろう。

 

 

 

「「「「「Yes おっぱい!!!!」」」」」

 

 

 

小学生たちの声が、完璧なタイミングでハモった。

 

 

 

知らない顔の子たちと、知らないうちに、魂の同調が起きていた。

そこに年齢の壁も、立場の違いもなかった。

 

 

僕らは――年齢も、立場も、価値観も違うのに、“おっぱい”という一点で完全に繋がっていた。

 

 

 

おじさんは、そこから数時間にわたって語った。

桃太郎の物語にのせて、“おっぱい”の素晴らしさ、尊さ、崇高さを。

 

 

 

物語が終わる頃には、みんな泣いていた。

決して、辛いわけではない。

魂が震えたからだ。

 

 おじさんは、そこから数時間にわたって語り続けた。

 

 

 

物語は、桃太郎の流れをなぞりながら、

その一つひとつのエピソードに、“おっぱい”という絶対概念を丁寧に織り交ぜていった。

 

 

 

鬼ヶ島に乗り込む桃太郎――彼が持っていたのは、

きび団子でもなく、剣でもなく、“おっぱいのぬくもり”だった。

 

 

 

犬・猿・雉たちは、ただ従ったわけじゃない。

その包容力に、希望に、無言の慈愛に、心を打たれて集まったのだ。

 

 

 

途中、何度か「これは夢なんじゃないか」と思ったけれど、

そのたびに画面いっぱいに現れるリアルな陰影のついた乳房が、

すべての現実感を取り戻してきた。

 

 

 

これは夢じゃない。

 

 

 

おじさんの声は淡々としていた。けれど、揺るがなかった。

言葉一つひとつに、人生の重みと情熱がこもっていた。

 

 

 

やがて――

 

物語の最後の一枚。

おじさんは、ゆっくりと画用紙をめくった。

 

その瞬間――

 

僕たちは、息を飲んだ。

 

画用紙には、柔らかな光を受けて、静かに浮かぶおっぱいが描かれていた。

 

輪郭は優しく、背景の空は夕焼け色に染まり、

その光の中で―― 

 

おっぱいの先端から、母乳が静かに噴き出していた。 

 

勢いよくではない。

荒々しくもない。

 

それはまるで、

大地を潤す湧き水のように、穏やかで、豊かで――ただ、清らかだった。

 

放たれた白濁のしずくは、空を横切り、草原を優しく濡らしていく。

その一滴一滴が、大地に、空気に、そして僕たちの魂にすら染み込んでいくようだった。 

 

「……あれが、“恵み”か……」 

 

誰かが、ぽつりと呟いた。

それが誰だったのかは、わからない。

けれど、その言葉は確かに全員の心に届いた。 

 

母性の象徴、命の根源。

 

それは単なる器官ではなく、

今や概念そのものとなり、世界を包み込もうとしていた。 

 

そして僕たちは――ただ、涙を流した

 

 

決して悲しくはなかった。

 

 

 

ただ、魂が震えたのだ。

あまりにも優しく、あまりにも大きな“何か”に触れてしまったから。

 

 

遠景に波打つ草原。そこにポツンと存在する“それ”は、

まるでこの世界そのものの母体のようにさえ見えた。

 

 

 

気づけば、僕を含めて、全員が泣いていた。

 

 

 

決して悲しくはなかった。

ただ――魂が、震えたのだ。

 

 

 

そして、おじさんは静かに紙芝居の枠から顔を出し、

集まった僕たちを、順に見渡しながら言った。

  

「おっぱいにはな、希望とか、夢とか、幸福とか、安心感とか、安らぎとか、癒しとか、萌えとか、愛とか、勇気とか、温もりとか、真心とか、情熱とか、真理とか、慈愛とか、真心とか……」 

 

「そういうものが詰まってるんだよ。」 

 

言葉に詰まることはなかった。

一つひとつを噛みしめるように、でも確信をもって語られたそれは――まるで祈りだった。 

 

「おじさんは思うんだ」

 

「人は――おっぱいから始まり、おっぱいで死ぬ。」

 

「なんと……素晴らしい。」

 

「みんなも、この言葉を、覚えておくといいよ」

 

おじさんは、紙芝居の枠をそっとたたみ、

ゆっくりと立ち上がった。 

 

夕焼けに染まる道を、何も言わず、ただ静かに歩き出す。

 

 

その背中は―― 

 

振り返ることもなく。

何ひとつ後悔も迷いもないように。

まるで、長き旅を終えた英雄のように、まっすぐで――

 

 

 

 

 

「そこのおじさん! ちょっといいですかー!」 

 

 

場の空気が凍りついた。

 

 

 

振り返った先には、警察官二人組。

 

 

 

「……あれ? あんた、小学生集めて“おっぱい紙芝居”やってた人?」

 

 

 

「通報があってね、いや、かなり……ね?」

 

 

 

おじさんは、しばらく無言だった。

だが、やがて――ふっと笑って、帽子のつばを軽く押さえた。

 

 「……わしは、ただ……伝えたかっただけなんだよ……」

 

 

 

おじさんは、静かにそう呟いた。

声に怒りも焦りもなかった。ただ、どこか遠くを見つめるように――

まるで、その“想い”を既に誰かに託し終えた者のように。

 

 

 

しかし――

 

 

 

「はい、現行犯逮捕です」

 

 

 

淡々と、警察官のひとりが告げた。

その言葉は冷たく、どこまでも“現実”だった。

 

 

 

もう一人の警官が、後ろからおじさんの両手に手錠をパチンと掛ける。

金属の音が、公園の空気を切り裂いた。

 

 

 

「迷惑防止条例違反、および未成年に対する不適切な表現。

 目撃証言、録音資料、目の前の“紙芝居”もバッチリ残ってます」

 

 

 

「……ああ、そうかい……」

 

 

 

おじさんは、小さく笑った。

その頬には、ほんのりと夕陽が差していた。

 

 

 

「なら――もう、言葉はいらんさ」

 

 

 

 

 

そのまま、おじさんは何の抵抗もせず、

ゆっくりとパトカーへと歩を進めた。

 

 

 

まるでそれすらも、最初から決まっていた運命のように。

 

 

 

最後に、乗り込む直前。

彼は振り返り――僕らのほうを、優しく見た。

 

 

 

そして、静かに口を動かした。

 

 

 

 

 

「……Yes……おっぱい……」

 

 

 

 

 

パトカーのドアが閉まり、

ゆっくりとエンジンが唸りを上げる。

 

 

 

空には、誰が押したかわからないぼんやりとしたサイレンの音。

 

 

 

ピーポー……ピーポー……

 

 

 

あまりにも静かで、どこか悲しげな旋律で。

 

 

 

それは、ただの警告音ではなかった。

ひとつの時代の終わりを告げる鐘のように、

夕焼け空に吸い込まれ、響いていく。

 

 

 

おじさんを乗せたパトカーは、

まるで教会から去る聖職者のように、ゆっくりと遠ざかっていった。

 

 

 

僕たちは――誰ひとり、声を発さなかった。

 

 

 

ただ、心のどこかで、理解していた。

 

 

 

あれは、伝説だったのだと。

 

 

 

僕たちが、確かにそこにいたのだと。

 

 

 

そしてもう一度、あの言葉が胸に蘇る。

 

 

 

 

 

「Yes……おっぱい……」

 

 

 

 

 

その余韻だけが、

いつまでも、胸の奥でぽかぽかと温かく響いていた。

 

 

 

僕たちは、

誰も何も言わなかった。

 

 

 

ただ――

誰もが、心の中でそっと、手を合わせていた。

 

 

 

 

 

“ありがとう、おっぱいおじさん。”

 

 

 

 

 

そして、僕たちはまた、

それぞれの日常へと帰っていった。

 

 

 

――魂に、ほんの少しのぬくもりを残して。

 

 

 

 

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