DD世界だと思ったらリリなの世界でした。いや両方の世界が混ざり合った世界でした!! 作:バター犬
あれから、数年の月日が過ぎた。
僕は、表向きには“普通の中学生”として、再びこの街――海鳴市へと戻ってきた。
……“無事に”って言っていいのかは、正直、ちょっと怪しい。
なにせ僕は、ほんの数年前まで――いや、正確には、“闇の書事件”のあの日からずっと、時空管理局の監視下に置かれていたのだから。
どこに行っても、背後に視線を感じた。
後頭部の皮膚がぴりぴりするような、あの“気配”――あれはたぶん、魔力で偽装された小型の監視ドローンか、光学迷彩の張られた遠隔監視魔法装置の類だと思う。
まぁ、それも仕方ないと言えば仕方ない。
僕は、“闇の書の主”と接触し、暴走の引き金を引きかけた関係者。
ユニゾンデバイスが目覚め、ヴォルケンリッターが暴れ、世界が崩壊寸前までいったあの事件の、ど真ん中にいた“人間”として、僕が危険視されるのは当然のことだった。
だけどさ――四六時中、誰かに見張られる生活なんて、まともな神経じゃ続かないよ。
学校で着替えていても、学校でうんこしてても、誰かに見られてるかもしれないと思うだけで落ち着かない。
たぶんあの頃、僕の胃は二回くらい潰れかけてたと思う。あと精神的な意味でも。
それに、もっとまずかったのは――“グリゴリ”の存在がバレるリスクだ。
あそこは、僕が所属している組織であり、堕天使たちの隠れ家だ。
表向きには姿を見せず、裏社会の深層に棲む、かつて天に在りし者たちの亡命先。
堕天使――神に背いた存在たちが集い、表の倫理から逸脱した研究と技術開発を続けている。
闇魔術の再構築、失われた神器の複製、神話の遺骸の解析。
次元そのものの歪みを利用した実験もあれば、封印された存在との交信を試みるような、洒落にならないプロジェクトも平然と進行している。
要は、神も管理局もドン引きするようなことを、笑顔でやってる連中の集まりってわけだ。
……まぁ、僕もその一員なんだけど。
とにかく、そんな連中の活動が、――時空管理局なるよくわからん組織にバレるのは非常にまずい。
ましてや、僕がグリゴリという闇組織の一員であると知れたら、彼らが何をしてくるのかは容易に想像できる。
だから、存在痕跡の消去は必須だった。
――“アレ”を使おう、と。
裏の世界に生きる者なら一度はお世話になる、定番アイテム。
天使も悪魔も堕天使も、裏切り者もスパイも、みんな大好き《存在痕跡消去装置》。
冗談みたいな名前だけど、性能はガチ。
記録の書き換え、履歴の削除、人格情報の上書き。
聖書の神が残したデバッグツールらしいそれは、時空管理局の記録網にすらアクセスし、“鈴木太郎”という存在をまるごと、なかったことにしてくれる。
もちろん、“完璧”とは言えない。
不完全な再構築には、矛盾も生じる。よく見れば、「あれ?おかしくない?」って箇所も残る。
でもそれは、“裏の者”にとってはご愛嬌の範囲。多少のノイズも、日常に紛れてしまえば気づかれない。
結果として、僕は新たな名前も、偽造された身分証も使うことなく、“謎の転校生”という形で、正式に中学校に編入することに成功した。
……もっとも、その効果がすべての存在に通じるわけじゃなかった。
「なんでみんな、太郎くんのこと知らないの?」
そのひとことを言ったのは、闇の書の事件の後、しばらく経ち、学校に投降したときのことだった。
月村すずか。いつも穏やかで、笑顔の奥に妙に鋭い勘を持ってる――いわゆる“見抜く系幼なじみ”ポジションの女の子。
で、そんな彼女が、首をちょこんとかしげて、僕に問いかけてきた。
やばい。めっちゃストレートに突いてくるじゃんと思った。
他の生徒たちは普通に「転校生なんだ~」くらいのテンションだったのに、すずかだけが、僕のことを“前と何も変わってない太郎”として見ていた。
……たぶん、妖怪。いや、人外は、記憶改ざんの対象外とかだったのだろう。
あるいは、単に僕の挙動を観察しすぎてて、細かいズレを察知したのか。こわい。
さすがに教室で「いやー実は僕、存在記録を抹消して裏の世界から戻ってきたんだよね☆」なんて言えるわけもなく。
僕はぎこちない笑顔を張り付けて、
「いや~なんかいろいろあってさ、手続きミスでデータが吹っ飛んでたっぽくて? てへっ☆」みたいな、意味不明な転校理由で押し通した。
でも、あのときのすずかの顔。
「そっか~」って頷いてたけど、よーく見るとその瞳の奥には――
“まぁ、あとでちゃんと聞くからね?”っていう、女子特有の“後回しジャッジメント”がひっそり宿ってた気がする。
あれは……うん、誤魔化せたって言うには、ちょっと自信ない。
とにかく、そうして僕は再び、海鳴市の“表側の世界”に戻ってきた。
だった、のに。
中学の入学式の日、僕の目の前で繰り広げられているのは、見間違いであってほしい、クラス発表という現実だった。
B組
アリサ・バニングス
鈴木太郎
高町なのは
月村すずか
帝王院 神(じん)
フェイト・T・ハラオウン
八神 はやて
マジかよ。
うん、無理。これはもう、無理ゲー。
クラス分けの紙を見た瞬間、僕は確信した。
これは仕組まれてる。絶対誰か裏で手を回してる。ていうか、陰謀。完全に陰謀。
いや、これはただの悪ノリじゃない。“組織的悪意”の匂いがする。
この世に神がいるなら、そいつは僕のことが大嫌いなんだと思う。
目の前の視界が、グラグラと揺れる。
現実が遠ざかっていく。ああ、ダメだ。僕、これから先の三年間、存在できる気がしない……!
「太郎くん、なんで世界の終わりみたいな目をしてるの?」
声がした。
ふわっと柔らかい声色で、首を傾げながら、すずかがこっちを覗き込んでくる。
――癒し。圧倒的癒し。だが、それでもなお現実は地獄。
「あぁ、すずか……僕、多分この中学……初日で不登校になるかも……」
僕はもう、魂を抜かれたような声でそう呟くことしかできなかった。
そんなことを口走りながら、足取りもおぼつかないまま教室に向かった。
教室に入って、まず最初に目に飛び込んできたのは――座席表。
僕は、おそるおそる、自分の名前を探した。そして、そこに並ぶ周囲の名前を見て……絶望した。
左隣――高町なのは。
右隣――月村すずか。
そして、斜め後ろ――八神はやて。
おい待て。ふざけんな。近距離高町砲仕様じゃねーか。
なにこの過密配置。エンカウント率100%保証なの?逃げ場ないの??
前方に座るフェイトの射線にすら入ってたら、もうこれは包囲戦ですらなく、公開処刑だよ!?
誰だよこんな座席にしたやつ――って思ったら、担任曰く、
「名前順だと面白くないから、テキトーにシャッフルして決めた」んだってさ。
シャッフルに人の運命が詰まってるとは、担任も思わなかったんだろうな……!
いや、ていうかテキトーでこの配置になる確率って何だよ!? サイコロ振ったってもうちょい偏るぞ!?
……ぶっ殺すぞ、担任。
心の中で何度も叫んだが、現実は変わらない。僕は運命を受け入れ、席につくしかなかった。
「私、高町なのは。よろしくね!」
キタッッッ!!
来るとは思ってたけど、想像以上に無防備な笑顔で来やがった!!
高町なのは。あの“闇の書事件”で天使みたいな魔力砲をブッ放してきた、白き破壊の女神。
そんな彼女が、満面の笑顔で、真正面から僕に声をかけてきた――
これは……完全にフラグ。
このまま普通に会話したら最後だ。あとはイベントが進行して、シナリオに巻き込まれて、気づいたら僕も一緒に「助けたいの!」とか言い出しかねない。
――やるしかない。
僕は、学ランのボタンを全開放。
胸元を大胆に開け、髪を手ぐしで撫で上げ、オールバック気味にセット。
……完☆成。
そして、全力で“厨二”のスイッチをオンにする!
「……よくぞ聞いてくれたな!我が名は――堕天王セビロスッ!!」
謎のポーズをキメつつ、僕は机の上に片足を乗せ、
視線を虚空に投げながら、右手を抑える。
「この右手には、混沌の封印が施されている……暴走すれば、この地は業火に包まれ、世界は第三の終焉を迎えることになるだろう……ぬぅぅ……出るな、我が右腕よ……!」
――高町なのはは、ぽかんと僕を見つめたまま数秒間、沈黙していた。
「……それって、つまり……」
口を開きかけて、閉じる。目を細めて、真剣な表情になる。
「えっと……それ、本気で言ってるの?」
「言ってるさ……!我が右腕が疼くのだ……ッ!」
「……そう、なんだ……」
彼女はしばらく僕の顔を見つめたあと、ふぅっとため息をつき、少し肩をすくめた。
「……うん、そうなんだね」
やわらかい笑顔と一緒に、静かに一歩、後ろに下がった。
「じゃあ……がんばってね、セビロスくん」
次の瞬間、気づけば彼女は後ろの席、八神はやての隣に腰を下ろしていた。
いや、正確には“避難していた”と言った方が正しいかもしれない。僕から最短距離で物理的に離れるように、椅子を引いて、そっと体を傾けるように。
「……ねぇ、はやてちゃん。あの……前の席の子、あれ……その……」
「うん、見てた。あれは……うん、あかんやつやな」
小声だったけど、バッチリ聞こえた。
高町がひそひそ声で囁いてる。八神はやてがこくこく頷いてる。
完全に“このクラスに転校してきたヤバい奴”として認定された空気だった。
「なんかさ、レジェンドがどうとか、右手が暴れるとか言ってたよね……?」
「うん、右手を抑えて震えてた。あれ、演技やなくてガチやったらちょっと病院すすめたいレベルや」
「やっぱそうだよね……」
そんな囁きが聞こえる中、僕は――
(……ふっ。作戦通り!)
痛い子大作戦、想定以上の効果を発揮!
クラス内初動で“変な奴”ポジションを確保できれば、もう誰も僕には近づいてこない。
よしっ!名付けて“痛い子大作戦”、大☆成☆功!!
これで僕は自由だ、誰にも話しかけられずに平穏無事な中学ライフを――
「太郎くんも同じクラスだったんだね」
その無邪気すぎる一言に、僕の心は一瞬で氷点下に突入した。
……マジか。すずか、まだ来てなかったのか。
さっきの大演技、思いっきりやったあとなんですけど!?
もう戻れない。普通のキャラに引き返せない。この距離、この空気、この教室……詰んだ。
僕は、顔を引きつらせながらも必死に“演技続行モード”に切り替えた。
「ク、ククク……懐かしきその名……かつての我が名よ……!だが今の我は、闇より生まれし混沌の王――セビロスなりッ!」
……テンション低っ。
自分でもわかる。明らかに勢いが死んでる。声もなんか震えてたし。
いや、でもここでやめたら逆に恥ずかしい!引き返せない!もう行けるところまで行くしか――!
「ふはは……右手よ……封印を、抑えろ……うぐっ……ぐぅぅぅ……!」
演技を続けながら、チラッと横目で見る。
すずかは、無表情でじーっと僕を見ている。
こ、これは……完全に“評価中”の目だ。
笑うわけでもなく、怒るでもなく、ただ、観察してる。
この沈黙が……怖い。な、何か言ってよぉぉ!
「……あの、すず――」
「……待って、今、整理してるから」
え、なにを!? 俺のキャラ!? 精神状態!?
そのまま彼女は腕を組んで、ほんの数秒、うんうんと考え込む。
そして。
「……演技、なんだよね? 一応、そういう設定……なんだよね?」
「も、もちろん! 中二的な……その……儀式的なあれで……!」
「そっか……なるほどね……うん」
ゆっくりと頷いた彼女は、再びまじまじと僕の顔を見て――
「……で、病院行く?」
その声はとても優しく、
でも、逃れられない“真実”のように重かった。
グサァァァッッ!!
すずかのその一言は、笑顔で優しく刺してくる致死ダメージ。
しかも“冗談で言ってるのか、マジで心配してるのか分からない”あの絶妙なトーン。えぐい。
こっちの心を気遣ってくれてるのか、本気でヤバいと思われたのか……どっちにしろダメージがでかすぎる。
……で、そこに追い打ちをかけるように動いたのが――高町一派。
「すずか、こっちこっち!」
「一緒に教室見て回ろっかー!」
「ちょうどプリント配るの手伝ってほしかってん!」
笑顔で声をかけながら、なのは・フェイト・はやての三人が、まるで“有事対応チーム”のようにすずかを囲んでいく。
明らかに不自然な流れで、しかも完全に僕から引き離すようなポジショニング。
いや、それ……避難誘導じゃん!?災害現場じゃん!?俺、なに?危険物扱い???
「え、あ、うん……?」
すずかは戸惑いながらも、ゆっくりと教室の出口へと連れていかれる。
高町なのは、フェイト、はやての三人に両側と背後を囲まれる形で――まるで“人質救出”のような慎重さで。
その途中、教室のざわめきの中に、彼女たちの小さなヒソヒソ声が、ぽつぽつと漏れ聞こえてきた。
「……あの子、けっこうヤバいかもね」
「最初からテンションおかしかったし……あれ、演技じゃなかったらちょっと心配……」
「すずかちゃん、危ないと思ったらすぐ逃げなあかんよ?」
「うん、うん。とりあえず今は離しておこう……」
「……でも、太郎くんって前はあんなじゃなかったような……」
その言葉だけは、すずかの声だった。
僕を心配そうに振り返るその視線が、逆にダメージ倍増だった。
そのとき、ふと気づいた。
……教室中のクラスメイトが、僕を見ていた。
笑ってるわけでも、呆れているわけでもない。
それは、どこかこう――“電車内でいきなり叫び始めた人”をみるようなだった。
「変わった子がいる」じゃない。
「大丈夫かな、この子……」っていう、あの絶妙な空気。
しかもその中には、あの帝王院神の姿もあった。
全身から“俺TUEEE”オーラを放っているはずの彼ですら、今だけは、まるで“世界を哀れむ賢者”みたいな顔で僕を見ていた。
……やめろ。
そんな目で見るな。
僕はただ、平穏な学生生活を求めて、ちょっと、ほんのちょっと変な方向に舵を切っただけなんだ。
いや、わかってる。
これ、全部……ぜんぶ自業自得だって……。
――こうして、その日。
鈴木太郎の“中学デビュー”は、幕を開けることもなく、静かに、しめやかに、爆散したのだった。
……で、その放課後。
僕は、全速力で学校を飛び出し、ランドセルも振り回す勢いで海鳴の街を駆け抜け――
すずかの家、月村邸の立派な門をくぐり、玄関を吹っ飛ばして、リビングに突入した。
「のぶえもぉぉぉぉん!!」
高そうなソファーにゆったりと腰かけ、ティーカップを傾けていたのは、すずかの姉――月村忍。
その優雅な姿目がけて、僕は叫びながら一直線にダイブした。
「う”ぁぁぁぁぁあああん!! のぶえも〜〜〜ん!! タイムマシン出してよぉぉぉ!! あの黒歴史を消してぇぇぇ!!」
忍の胸に突っ伏すように頭から抱きついた、その瞬間――
ガタッ!
ティーカップが揺れ、手元からずれて、紅茶がソーサーを越えて――こぼれた。
あ。
濃いめの紅茶が、忍のスカートに、たっぷりと染みこんだ。
次の瞬間、彼女の動きがぴたりと止まる。
そして――
「……まず、なにかあるたびにここに来るのをやめてくれる?」
冷静に。とても冷静に。
だが、その表情は明らかに“嫌な顔”だった。眉がピクリと動き、口元がわずかに引きつっている。
「あと私は忍。“のぶえもん”じゃないわよ。そしてこの紅茶は、お気に入りのアールグレイ。あまりにも貴重な一杯でした」
「ご、ごめん……でも、でもぉぉぉぉ〜〜〜〜〜!!」
僕は必死にしがみついた。
濡れたスカート。紅茶の香り。
そして、凍てつくような冷気を帯びた忍の視線。
――でも、離れない。離れたら負けだ。社会的に死んだ男の最後の逃げ場なんだ、ここは!!
「ううぅぅ……だって僕……あんなの……一人じゃ耐えられないもん……!!」
すがるように顔を押しつけながら、さらにぎゅうっとしがみつく。
「スカート濡れてるのわかってる……でも、心がもっとずぶ濡れなんだよぉぉ……!!」
泣き叫ぶ僕に対して、忍は紅茶で染まったスカートを一瞥し、そして――
小さくため息をついた。
「……お気に入りだったのに……」
その声はあまりにも静かで、逆に心に刺さった。
でも、ここで引いたら負けだ。僕のメンタルはすでに瀕死、逃げ場もプライドもない!
「だって!ここが僕の唯一の安息の地なんだよ!?第二の家なんだよ!?ていうか精神的セーブポイントなんだよ!?だからお願い、タイムマシン出してぇぇ!!」
「無理。持ってないし、ジャンルが違うし。あと、そういうのはド○えもんに頼んで」
あまりにも淡々とした返しに、僕のテンションはさらにヒートアップするばかり。
「だからお願いだってばああああああ!! 時を巻き戻すだけでいいんだってばあああ!! この際、一学年下げてもいいからさぁぁぁぁあ!!」
紅茶の香りに包まれながら、僕は忍に全力でしがみついたまま泣き続ける。
涙はポロポロ。鼻水はズビズバ。情緒は崩壊。
そして――
ぐちゅっ……
思いきり顔をうずめたまま、鼻をすすった拍子に、盛大に鼻水が忍の服に吸い込まれていった。
「……うわ」
忍の動きが止まる。
スカートには紅茶。
ブラウスには涙と鼻水。
表情には、感情を捨てた人間だけが持つ“何も言わないという怒り”が刻まれていた。
この日と人間じゃないけど。
「……騒がない。うるさい。あと私のスカート、まだ湿ってる。で、今度は上まで来たわね」
「だって……だってぇぇぇぇ!! のぶえもぉぉぉん!!」
さらに泣きつく僕を、忍はそっと見下ろした。
その瞳は、遠く宇宙の果てを見るような、深淵と諦念に満ちた目だった。
そんなやり取りをしていると――玄関が開く音がした。
バタン、とドアが閉まり、トコトコと軽やかな足音がリビングに近づいてくる。
入ってきたすずかは、リビングの光景――姉の胸元に鼻水と涙を全力で押しつける僕の姿を見て、一瞬だけ無表情になった。
「……ただいま。って……どういう状況」
その声色には、呆れと心配と、そしてどこか“またか”という諦めがにじんでいた。
そして、お茶をこぼされてブラウスまでびしょ濡れの忍が、淡々と訊ねた。
「ねぇ、なんか学校であったの?」
そのひとことに、すずかは「……あぁ、そういうことね」と納得したように小さく頷き、
ため息とともにゆっくりと姉の隣にしゃがみ込んだ。
そして、忍の耳元にそっと顔を寄せ――
「……えっとね、太郎くん、クラス替えでなのはちゃんたちと同じクラスになっちゃって。
で、“痛い子キャラ”で嫌われようとしたら、想像以上に滑って、
結果的に『関わっちゃいけない人』みたいな扱いされて、クラスで完全に孤立したんだ」
淡々としたすずかの解説は、妙に整理されていて、逆にリアリティがあった。
忍は数秒の沈黙ののち――
「……なるほど。自爆ね」
「完全にね」
そして、数秒後――
忍が深く、重たく、完璧なタイミングでため息を吐いた。
「要するに、“なのはちゃんたちに嫌われようとして痛いキャラを演じたら、クラスで浮いた”ってことね……バカなの?」
静かに、しかし全力で刺してくる、さすが姉。
「違うんだよ! あのときはそれが最善だったんだよ!!」
僕は顔を上げ、涙目で叫んだ。
「僕は裏の世界の住人なんだよ!? 普通に学校生活なんかできるわけないじゃん!? それなのに高町の野郎、席ついていの一番に話しかけてきたんだよ!? あれ絶対わざと! 悪意だよ! だから防衛としてあのキャラを――!」
「はいはい。完全に自業自得。誰のせいでもなく、太郎が悪い。あと“防衛”ってどういう意味?よくわからないわ」
忍の返しは、冷たいというより、ただただ興味がなさそうだった。
「……じゃ、あとはすずか、お願い。私はもうこの服の処理で忙しいから」
そう言って、びしょびしょになったブラウスの裾を指でつまみながら、忍はスッと立ち上がる。
「えっ、私!?」
突然バトンを押しつけられたすずかが、困惑の声を上げた。
その表情は「いやいや今の流れで!? 私が!?」という、ごく正しい反応だった。
だが――僕はすでに動いていた。
「すずかぁぁぁああ!!」
ターゲット変更。
さっきまで忍に全力でしがみついていた僕は、鼻水も涙もそのままに、今度はすずかのほうへと飛び込んだ。
ソファにしゃがんでいたすずかの膝に、まるで犬のように顔を押しつける。
「すずかぁぁ! もうダメだよぉ……僕、この世界じゃ生きていけないよぉ……!」
「え、ちょ、ちょっと太郎くん!? 顔、近い、鼻水がっ……うわっきたない!? やめてやめてっ!!」
予想以上に重くて湿度の高い太郎の突撃に、すずかはあたふたと困惑。
そのときだった。
空間が突然“ビリッ”と音を立てて裂け、リビングの空間に魔法陣が展開された。
紫がかった光がうねり、そこから現れたのは――白衣姿の男。
「やっぱここにいたか。仕事だっ――」
「う”わぁぁぁああああん!!」
僕はすずかの膝から一瞬で転がり、アザゼルに向かって全力ダイブ。
「ぐわっ!?やめろ、ひっつくな!鼻水つく!おまっ、うわ冷たっ!ぬるっ!?おい!!」
泣きついて抱きつく僕に、アザゼルは明らかに引きつった顔で後ずさった。
そして、チラリと視線を向けた先――忍とすずかのダブル無表情ビーム。
紅茶と鼻水で濡れたブラウス、冷めきった目。
そしてすずかの「……それ全部、本人のせいです」という無言の圧。
アザゼルは、すぐに悟った。
「……あー……なるほどな。やらかしたな」
濡れた服を睨みながら佇む忍に、視線を向ける。
「……アザゼルさん、処理、よろしくお願いします」
珍しく、忍の口調がきっちり敬語だった。
彼女がこの男にだけは、一定の敬意を保っている――ということを、僕は何度か見て知っている。
それもそのはずだ。
すべての始まりは、僕の“存在痕跡消去”のあとだった。
すずかだけが、僕の記憶を失わなかったことをアザゼルに報告したあの日
「たまにいるんだよな、妖怪っぽい感受性の子」と軽く流されるかと思っていた。
けれどアザゼルは、端末をいじりながら、ふとこんなことを呟いた。
『……あー、そこな。グリゴリでもちょっと前に記録上がってたな。微弱な干渉履歴があったらしいけど、重要度が低すぎてずっと放置してた』
もともと、その土地――つまり月村家のあるこの一帯には、
“観測できなくはないけど調査の優先順位が限りなく低い”程度の人外の痕跡が残っていた。
何かしらが通過したか、潜伏していたか、そんなレベルの曖昧な記録。
だけど。
僕の存在改ざんが行われた直後、すずかだけが僕のことを“忘れていなかった”。
その偶然が、グリゴリ内で「調査対象:再確認」に変わった。
結果、アザゼルは月村家に接触した。
あくまで“確認”という名目だったが、話してみると案外話が早かったらしい。
いくつかのやり取りの末、グリゴリはこの土地にまつわる裏の案件を、月村家へは裏では処理しにくい表の仕事を委託することになった。
もちろん、引き受けたのは――この家の姉、月村忍。
「仕事が増えるだけなら別に。報酬と情報の流れが明確なら、問題ありません」
当時のその言葉が、アザゼルのお気に入りになったのか、今ではすっかり定期的な連絡先になっている。
というか、たまに冗談めかして「うちのグリゴリ関東支部・表担当」とまで呼ばれているらしい。
グリゴリからの依頼内容はというと――
グリゴリが裏の世界から表へと干渉するためのバックアップ行為だった。
本来、グリゴリのような“裏”の存在が、直接“表”に関わるのは極めてリスキーだ。
下手に表の政治・経済・法執行機関に接触すれば、それだけで大騒ぎになる。
「表の世界に干渉している裏組織」として監視対象にされる可能性すらある。
だからこそ必要なのが――月村家のような存在だった。
表向きにはただの旧家。
だが実際は、グリゴリとの連絡窓口として、一部の連絡・金の受け渡し・物資の中継・人員の一時保護などをこなしている。
あくまで“表の人間”として、グリゴリの存在を一切明かすことなく、表の世界のルールに沿って処理する。
まさに、裏から直接は手出ししにくい場所を扱うための、合法的な傘。
忍いわく、
「グリゴリが裏のままでいられるように、表との“つなぎ”をする。それだけ。
それに――仕事が増えるだけなら別に。報酬と情報の流れが明確なら、ね」
おかげで月村家は、表の顔を保ったまま、裏世界と密接に繋がる稀有な存在になっていた。
結果、月村家は……まぁ、めちゃくちゃ儲かってる。
それ以来、僕はこの家に出入りするようになった。
いや――僕だけじゃない。
グリゴリと、月村家。
この土地に関わる“表と裏”の接点は、静かに、しかし確実に結ばれたのだった。
……まぁ、信頼関係にヒビが入らないことを願いたい。
「お、おう……悪かったな、月村の嬢ちゃん。こいつ、預かってくわ」
アザゼルは気まずそうに頭を掻きながら、僕の襟首をひょいとつかむ。
「さーて太郎。泣いてる暇があるなら、仕事だ。グリゴリに戻るぞ?」
「えぇぇぇええぇぇえぇ~~~~!? いやだああああ!もうちょっと!もうちょっとだけ現実逃避させてぇぇぇ!」
「ダメだ。ついでに風呂も入れ。お前、いろんな意味でくさい」
「うわあああああん!!!」
そして、再び魔法陣が展開された。
僕はアザゼルに肩を掴まれたまま、空間の裂け目にずるずると引きずり込まれていく。
残された月村姉妹は、いつものように――無言で見送った。
転移先は、グリゴリの殺風景なブリーフィングルームだった。
壁はコンクリむき出し、照明はいつもより一段階落とされていて、空気がどこか湿っぽい。
うん、だいたいこういうときに嫌な仕事が降ってくる。
部屋の奥。
ソファに座って脚を投げ出しながら、アザゼルがタブレットをいじっていた。
視線は画面に落としたまま、こっちを見ずに言う。
「今回お前に頼みたいのはな――」
その声はいつもの調子で軽かった。けれど、内容は軽くなかった。
「一部の堕天使連中が、最近やたらと怪しい動きしててな。
なんか妙な連中と接触してるらしい。人間か悪魔か、それとも得体の知れん何かか……とにかく裏でコソコソやってる」
アザゼルはタブレットをスリープにし、こちらを見た。
その目は、笑っていなかった。
「このまま放置して火種が拡大すりゃ、他の勢力とのバランスが崩れる。
あいつら、下手すりゃ“戦争”のきっかけ作りかねねぇ。……ま、面倒が大きくなる前に潰しておくのが得策ってわけだ」
一拍置いて、アザゼルは軽く肩をすくめた。
「だから今回は、“内輪の掃除”だ。派手にやっても構わんが、証拠は残すな。
あいつらがバラ撒いてるブツも、持ち帰るなり処理するなり、お前に任せる」
口調は軽いが、その内容は重かった。
「正直、誰が黒幕かはわかんねぇ。だが――それを探る前に、暴れてる奴らを黙らせる必要がある。
情報源がどうのとか、そっちは後回しでいい。まずは現場を片付けろ。関係者全員だ……そういう仕事だ」
アザゼルはようやくタブレットを置き、こちらを見た。
「……で、そのへんの雑兵じゃ足りないし、俺が行くのもめんどくせぇ。ってことで、お前の出番だ、太郎」
タブレットを机に放り投げ、アザゼルはだるそうに指を振った。
僕は溜め息まじりに、ひとことだけ返す。
「……はーい」
言葉は軽い。けど、それ以上は言わなかった。
そのまま、僕は静かに魔法陣を展開し、転移の光に身を投じた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
転移先は、海鳴市の外れ。人目のない裏道だった。
昼間のはずなのに、空気がやけに重たい。
建物の影は濃く、風が吹き抜けるたびに、錆びた看板がカラカラと鳴る。
音だけが、まるで異常に響いていた。
まるで――ここだけ、世界から切り離されたみたいだった。
時間の流れすら、どこかぎこちない。
風の温度が変わった気がして、僕は無意識に足を止める。
ひと気は、ない。
でも、“気配”はある。
血のにおいでも、魔力の波でもない。
もっと淡くて、もっと濁った――“裏の者”が何かを仕掛けているとき特有の、ねっとりとした空気。
呼吸が静かになり、耳が研ぎ澄まされていく。
僕は制服のポケットからスマホを取り出し、画面を点ける。
アザゼルから送られてきた、任務ファイルの通知が一件。
タップ。開封。そこには、現場の座標と簡易な人物プロファイル。
堕天使三名、人間五名。構成、動き、通信履歴、
……近い。驚くほどに。
「え、ここから徒歩三分じゃん……」
そんな僕のつぶやきに――
ーーーーだからお前に頼んだんじゃないのか?
脳内に、八尾の気だるげな声が響く。
「うわっ、びっくりした!脳内にいきなりくるのやめろってばよ!心臓に悪いって!」
ーーーーはいはい。ほら、もう少しで現場だ。
「……んだよ、もうちょいで着くなら先に言ってくれればいいのに。ノックしろ、ノック」
軽口を叩きながらも、僕はスマホを閉じ、顔を上げた。
空はやけに澄んでいて、風は妙に生温かい。
なのに、この通りだけが妙に静かで、空気の密度が違う。
……うん、これは間違いなく“現場”の空気だ。
「さて、と。どんな連中かな~。昼のウォーミングアップにはちょうどいいと嬉しいんだけどね」
堕天使と人間。
裏の奴らと、表の奴らの手を握らせちゃいけない。
その線引きを壊すようなやつは、放っとくとめんどくさいことになる。
「まぁ……誰が誰に騙されてようと、僕には関係ないけどね。アザゼルの依頼で来てるわけだし。
誰が悪いとか正しいとか、そんなの後でどうとでも言えるでしょ。だから――全部まとめて、叩き潰してから考える。それでいーじゃん」
言われるまでもなく、目の前にはそれはもう、絵に描いたような“いかにも”な廃墟がそびえていた。
骨組みが剥き出しになった鉄筋コンクリート。
屋根は今にも崩れそうで、風に煽られてバキバキ音を立てる。
壁の一部は抜け落ち、ガラスの破片が地面に散らばっていた。
……うん。
まごうことなき“事件現場”。
「演出過剰ってレベルじゃねーな……いや、悪役のアジトってこういうテンプレ好きだよね」
まずは、手順通りに。
僕は足元に魔力を集中し、静かに指を弾いた。
淡い光が一瞬だけ広がり、すぐに空気に溶け込んでいく。
これで、一般人やら巡回の警備やら、面倒な“雑音”は全部シャットアウト。
この一帯は、僕の戦場になった。
「よし……じゃ、行こっか」
そう呟きながら、僕は軽く地面を蹴った。
体がふわりと浮き、無音のまま崩れかけた屋根に跳躍。
バキバキと音を立てそうな場所を避け、梁の上に軽く着地する。
すぐに姿勢を低くし、屋根の縁から中を覗き込んだ。
瓦の上に身を預け、静かに中を覗き込むと――いた。
数人の堕天使。そして人間。
ちょうど今、中央では――何かを“交わす”儀式の真っ最中だった。
黒い封筒のようなものと、何かの装置。
堕天使がそれを持ち出し、人間側が差し出した金属ケースと交換していた。
「うーわ、これは完全にアウトのやつ……いや、セーフかもしれないけどアウトにしか見えないやつ……」
堕天使の一人が、妙に芝居がかった笑い方で手を差し伸べる。
「これが例のブツだ。これで俺たちを“上”から匿ってくれるんだな?」
「ああ、これを使えば世界を渡れる。そうすればお前らは真の自由を手に入れられるぜ!」
……おいおい。
その言い方、妙に熱っぽいし、笑い方も演技くさい。
ていうか“世界を渡れる”? どの口が言ってんだ、って感じだ。
それ以前に――
堕天使、お前ら、目が笑ってねぇよ。
いやむしろ笑ってる。後ろのやつとか、口元でめっちゃニヤついてる。
完全に「こいつら始末するのいつにする?」って顔してるじゃん。
なるほどね。
あー、そういう感じね。
堕天使からしたら、人間なんて利用するだけ利用して、用済みになったら捨てる対象。
最初から「対等な交渉」なんてするつもりは、1ミリもない。
「いやー、信じる方もどうかと思うけど、信じさせる方も大概だなぁ……」
僕は肩をすくめて、小さく息をついた。
騙されてる人間たちは、それでも真剣な顔をして“契約”に夢を見てる。
その横で、堕天使たちは“処理”のタイミングを計ってる。
冷えきった舞台。寸劇みたいな薄っぺらさ。
あまりに出来すぎてて、逆に胸焼けするレベル。
「ま、いっか。どうせまとめて消すし」
僕はひとつ息を吐いて、手をかざす。
――カチッ。
空間が、音もなく“めくれた”。
そこから、ぬるりと現れる漆黒の柄。
異空間に封じていたフルンティングが、魔力に引かれるように這い出してくる。
指先に魔力が集まり、刃がじわりと赤黒く脈動し始めた。
軽く首を鳴らして――
「演目終了の鐘、打ち鳴らしときますか――っと」
次の瞬間。
フルンティングを逆手に構え、まるで槍投げのように、真上から地上へ――全力投擲。
ゴォッ!!
空気を裂く鋭い音とともに、赤黒い残光が一直線に走る。
そして――
ドスッ。
ちょうど“契約の握手”を交わしていた堕天使の頭部に、刃が突き刺さる。
そのまま胴体を貫通し、背中から突き抜け、真っ二つ。
骨と肉が、見事なまでに左右にパカッと分かれて、崩れ落ちる。
「「「誰だ!?」」」
叫ぶ堕天使たち、人間たちの視線がいっせいに天井――僕のいた屋根の上を見上げる。
そこにいたのは――
片手をひらひら振りながら、ニコニコ顔で立つ僕だった。
「やっほ〜☆ ぼくだよ〜♪」
口調は明るく、まるで知り合いに出くわしたみたいなテンション。
でも足元には、さっきまで生きてた堕天使の“半身”が転がっている。
誰も笑えなかった。
僕は屋根からひらりと降りて、地面に着地するや否や、突き刺さったフルンティングを引き抜く。
ギィ……と刃が抜ける鈍い音とともに、血の代わりに灰が舞う。
「アザゼルの使いで〜す。一応聞くけど、投降しない?」
僕は軽く手を振りながら、ニッコリと笑って尋ねた。
その足元には、さっき真っ二つにした仲間の残骸。
もちろん、選択肢はほぼゼロに近い。でも――念のための確認。
「くっ……ここまでか、投降し――」
「投降すんじゃねえ!!」
バゴォッ!!
気づいたときには、僕の腕が動いていた。
フルンティングを勢いよく振り抜き、投降しかけた堕天使の顔面に思いきりフルスイング。
吹き飛んだ堕天使は、建物の壁に激突してずり落ちる。
「ごめん。一応聞いてみたんだけど、アザゼルから“全員処分”って命令受けてるから、投降はナシで〜す」
僕はにっこり笑いながら、手のひらをひらひらと振った。
そのまま、視線を堕天使から――すぐ横にいた人間たちに移す。
「あっ、そうそう。君たちも処分対象だよー!!」
満面の笑みで告げるその言葉に、場の空気が一瞬止まった。
人間たちはポカンと口を開けたまま、視線を泳がせている。
状況がまだ呑み込めてないのか、それとも――呑み込みたくないのか。
――処分対象。
その言葉の意味が、ようやく脳内で翻訳されたのか、
数人の人間が後ずさりながら、慌てて腰のホルスターから何かを引き抜いた。
金属と魔力が融合したような、杖の形をした機械――
「ん……? あれ、なんか見覚えあるぞ……」
僕は思わず首をかしげた。
見たことある。つい最近、いや、わりと昔かもしれない。
記憶をたどると、パキンと映像が脳裏で重なった。
――高町なのは。
あいつが持ってたアレだ。
確か“デバイス”とか呼ばれてた、管理局とか名乗る組織の変身用の道具。
「え、ちょっと待って君たち……それ、まさかの……パクリ?」
僕はほんのり引いた顔をしながら、ちょっとだけ後ずさるジェスチャーをしてみた。
人間たちはデバイスを高く掲げ、機械的な音声が響く。
《セットアップ、コンプリート》
魔力のエフェクトが展開し、制服のような戦闘装束に包まれたその姿は――
……なんか、すごい“それっぽい”。
「えー……まじでソレ系? 管理局とかいう組織なの?」
僕は片眉をあげながら、堕天使側に視線を戻す。
そっちはそっちで、光の槍を構え、完全に殺意モード。
堕天使も、人間も、変身して武装して、やる気満々。
僕を囲むように、完全に戦闘陣形を取ってきた。
「まぁ、いっか」
最初に動いたのは、人間だった。
青いスフィアを両手の前で構成し――放つ。魔力弾、直撃狙い。
それが、合図だった。
同時に、堕天使側からも槍が飛び、別の人間は弾幕のように連射を開始。
さらに突撃してくる個体もいて、四方八方から殺意が飛んできた。
僕は――笑った。
フルンティングを逆手に構え、一歩踏み込みながら腰をひねる。
「――ふっ」
回転。
刃の軌道が描く、赤黒い螺旋の弧。
振り抜きと同時に放たれた弾丸が、すべてその斬撃にかき消された。
火花と魔力の残滓だけが宙に弾ける。
その勢いのまま、体の軸を戻さず、回転を維持したまま――地面を蹴る。
神威、発動。
視界の中で世界が一瞬スライドし、すり抜けるように後方へ抜ける。
狙うは、射撃支援を担当していた人間、二名。
一人目の喉元に、回転の残ったフルンティングが吸い込まれるように食い込んだ。
スパァッという音と共に、首が飛ぶ。
二人目は反応が早く、魔力障壁を展開――したが、
その防壁ごと、切断。硬直したその首筋を、遅れて赤黒い閃光がなぞっていく。
気づけば、二人は同時に崩れ落ちていた。
着地。静寂。
フルンティングの刃先から、一滴だけ血が地面に落ちた。
遅れて、倒れ伏したふたりの身体が地面にドサリと音を立てる。
その首元から、じわじわと赤黒い血が滲み、アスファルトに染み込んでいく。
顔は恐怖に引きつったまま、眼は見開かれたまま。
――死んだことに気づけないまま、息絶えた者たちの典型的な表情だった。
「よし、まずは二枚抜き。開幕としては上出来じゃん」
そこからは、ただの“掃除”だった。
残る人間たちはパニックと恐怖で動きがバラバラになり、隊列も崩壊。
各自が勝手に魔力弾を撃ち、バリアを張り、攻撃を仕掛けてくる。
でも――全部、遅い。
一人が突撃してきた。
槍型のデバイスを構え、渾身の一撃を放ってくる。
「はいはい、まっすぐは見え見えだよ〜」
その動きの軌道を読み、フルンティングを軽く逆手に振る。
槍は砕け、同時に彼の胸を裂く。
背後から魔力弾が来た。
神威で半身をすり抜け、次の瞬間には射撃手の背後に出る。
「撃ってる時に背中がガラ空きって、それ死亡フラグだからね?」
振り向く暇すら与えず、刃を横に払った。
首が飛ぶ。返す刀で斜め後ろのもう一人の脚を斬り飛ばし、地面に倒れたところを踏みつけるように貫いた。
前方三人が一斉に結界魔法と攻撃魔法を起動。
空中に複数の魔法陣が浮かび、十重二十重に魔力の弾幕が展開される。
「おお……やる気満々じゃん。でも、バラバラに撃っちゃ意味ないよ?」
太郎はフルンティングを構えたまま、微笑んだ。
次の瞬間、神威。
空間が渦巻き僕の姿が吸い込まれるように消える。
すり抜けるように一度“消え”、そして次の瞬間――
魔法陣の“内側”、三人の中心に出現した。
――真横、真後ろ、真正面。
弾幕を張っていた三人は、まさか自分たちの結界の中に敵が出現するなんて思ってもいない。
その顔に浮かぶのは、戸惑い。恐怖。理解の追いつかない“真っ白”。
「どーん!」
軽く跳ねるように踏み込み、身体を軸に水平に一回転。
赤黒い残光が、空気を切り裂き、三人の間を駆け抜ける。
刃が振るわれた一瞬後――二つの首が空中を舞い、血が噴き上がった。
残る一人は――
ギリギリで身をひねり、刃筋から逃れていた。
「……ッ、くそッ!」
血に染まった顔で、苦し紛れに魔力弾を一点集中で放ってくる。
反射的な本能。もはや狙いも精度も関係ない。ただの“悪あがき”。
「わるいけど――」
僕はその魔力弾に向かって、勢いよく右足を蹴り上げた。
足の甲に魔力をまとわせ、タイミングを合わせて――スパーン!と蹴り返す。
高速で逆流した魔力弾は、射出主の腹にそのまま突き刺さる。
ドシュッ!!
風船のように、腹が中から弾ける音。
目を見開いたまま、彼は何も言えず、その場に膝をつき――静かに、崩れ落ちた。
「三枚抜き、達成。ちょっと時間かかったけどね」
足音ひとつしない殺し屋のような動きで、僕は最後の一人の背後に忍び寄る。
振り返った顔に、一瞬だけ希望のような光が宿った。
「ま、見逃さないけどね」
首を斬り落とした。
気がつけば――残っていたのは、堕天使だけだった。
人間たちの身体はあちこちに転がり、血が流れ、まだ温かい死体となっていた。
対して、地面に横たわる堕天使の死体はすでに“灰”と化していた。
その痕跡からは、血の一滴すら残っていなかった。
僕はフルンティングを軽く一振りし、刃に付いた血を払う。
「ねえ、君らって下級?……弱いもん」
片手でフルンティングをくるくる回しながら、僕は肩越しにそう呟いた。
まるで本気を出す価値もない、って顔で。
それがカチンときたのか、堕天使の一人が即座に反応する。
――シュン!
鋭い音とともに、光の槍が空気を裂いて飛んできた。
僕はそれを軽く身体をひねって受け流す。
槍の軌道をずらし、刃で撥ね飛ばす。金属が火花を散らす。
その瞬間――踏み込む。
間合いを詰め、フルンティングを袈裟に斬りかかる――
が、カンッ!と高い音が響いた。
剣と剣が交差する。
目の前の堕天使が、光の剣で受け止めていた。
「お、ちゃんと反応できるじゃん」
そう言いながら、僕はすぐさまもう片方の手に魔力を集める。
左手にも光の剣を展開し、同時に逆手で突きを繰り出す――
しかし、その攻撃も――
ギィィィッ!
すぐさま、別の堕天使が斜め後ろから飛び込み、その剣を受け止めた。
「っとぉ……二人で挟み撃ちね。わりと連携取れてるんじゃん、やるじゃん?」
右に一人。左に一人。
両手の剣をそれぞれ受け止められ、完全に止められた状態。
そのとき――
――ザザッ。
背後に、確かな“気配”。
――あ、三人目が来てる。
頭の中で、時間がスッと静かになる。
両手は塞がっている。普通なら――詰み。
でも、僕には“それ”がある。
八尾の声が、冷たく、鋭く響いた。
ーーーー後ろから来たぞ!
「はいはーい、了解〜!」
即座に、神威を発動。
一瞬――
僕の身体がわずかに“かすむ”。
でもそれは消えるのではなく、“ずれる”だけ。
この世界と、ほんの少しだけ重なった“別の場所”に、身体の一部を移した状態。
刹那。
背後から迫っていた斬撃が、空振りする。
僕はそこに、もういない。
そして――
ドガッ! ガキィィッ!
すれ違うはずだった三本の武器が、僕のいた“空間の穴”に吸い込まれるように、
そのままお互いの身体に――ぶつかった。
肉と金属が交差する嫌な音。
堕天使たちが、まさかの“味方同士の刺し合い”で一斉にバランスを崩す。
「せっかく連携取れてたのに〜、残念!」
僕は一歩だけ空中に跳躍し、上から振り返った。
その勢いを乗せて、いつの間にか血を吸って3メートル級にまで肥大化したフルンティングを――
大きく、横殴りに振り抜いた。
風を引き裂く一閃。
赤黒い残光が、一瞬にして三体を包み込む。
次の瞬間、堕天使たちの身体は、悲鳴すら出せずに――
サラサラと灰となり、空気に溶けるように崩れ落ちた。
その場に残ったのは、沈黙と、冷えた空気だけ。
――お仕事完了。
血も、敵も、もうどこにもない。
静かで、誰もいない廃墟が戻ってきた。
「ふぅー……やれやれ」
僕は肩を回し、フルンティングをくるくると回してから、
空間に指を滑らせて“しまう”。
剣はぬるりと、別の空間へと吸い込まれて消えていった。
さあ、帰ろう。
風呂入って飯食って寝るだけの、最高のエンドロールタイム。
そう思ってくるりと振り返った――そのとき。
――コツン。
何かを踏んだ感触。
「……ん?」
視線を落とすと、足元に転がっていたのは――
金属製の、妙に頑丈そうなケースだった。
さっき、あの人間が堕天使に手渡していた“例のブツ”。
中身までは見てなかったけど、なんかエフェクト付きで手渡してたし、たぶん重要アイテムだったんだろう。
「取引品、残っちゃってんじゃん……あれだけド派手に散ったら、回収どころじゃなかったか」
ちょっと気になって、ケースのロックをカチリと外す。
ふたを開けた瞬間、魔力的な“ビリビリ”も、“封印警報”も、“呪い発動”も――何もなかった。
「……あれ? ノーリアクション?」
ケースの中には、小さな宝石がはめ込まれたブレスレットがひとつ。
彫り込まれた模様は、見たことのない意匠。
でもその曲線やシルエットは、どこか――記憶の底をくすぐるような形だった。
魔力の反応は……ゼロ。
念のため、ぱっつぁんにも確認してみる。
ーーーー……不発弾か、ただのガラクタか。どっちかだな。
「なるほど、ガラクタか!」
何の警戒心もなく、僕はブレスレットを拾い上げた。
見た目はそれっぽい。ファンタジーのゲームとかで装備してそうな感じ。
売ったらちょっとは小遣いになりそうだし、つけて帰ったほうが忘れない。
「わーい、お小遣い♪」
そんなテンションで、僕は腕にはめる。
ほんの少しだけ、金属が冷たくて――
ほんの少しだけ、ピタリと腕に“吸い付く”ような感覚があった。
「……あれ? ぴったりすぎん?」
でもまあ、いっか。
軽くその場で伸びをして、振り返る。
太陽が傾き、街に影が落ち始めていた。
「さてさて、帰って風呂だ風呂ー!」
僕は足元の魔法陣を再起動させる。
魔力の制御はすでに慣れたもので、詠唱もいらない。
目の前の空間がひときわ強く揺れ、紫色の転移陣が地面を覆っていく。
「じゃ、またこの町のどこかで会おうねー。生きてたら!」
軽口を残して、僕はそのまま足を踏み入れる。
世界が、縫い目のように折れた。
次の瞬間――僕は、グリゴリ本部の転移ホールにいた。
周囲には誰もいない。時間帯的に、表の研究部門はもう引き上げたらしい。
誰に見られることもなく、僕はずかずかと通路を進む。
「ふぁ〜……今日もよく働いたわ〜。はー、背中かゆい」
そのまま、通い慣れた私室棟に移動。
扉を開けた瞬間、靴も脱がずに床に服をバラバラ落としながら、一直線に風呂場へ。
上着、シャツ、ズボン、下着――
体液、血、魔力焼け。いろんな“戦闘の証”が染みついた服たちを脱ぎ捨て、風呂場の扉を開ける。
「ふ〜〜、蘇るぜ!!」
でもその直前。
ふと、腕にひっかかる感触。
「あ、そうだ。ブレスレット、外さなきゃな」
何気なく腕に視線を落とし、ブレスレットに手をかけ――
――動かない。
違和感。
まるで、皮膚に“貼りついて”いるみたいな感触。
外そうと力を入れた瞬間、
突然、内部の宝石がピカッと赤く発光した。
「……ん?」
その直後。
――カチッ。
《The extraordinary escape system operated.(非常脱出システムが作動しました)》
冷たい機械音声が、ブレスレットから直接響いた。
「えっ、えっ、ちょ、ま――」
言い終わる前に、視界が真っ白に染まった。
ブレスレットから放たれた光が全身を包み込み、
まるで重力を失ったかのように、僕の身体がふわりと浮き上がる。
あ――これ、転移だ。
しかも、どこ行くかわかんないやつ!
でもそれ以上に問題だったのは――
「いや裸ァァァァァァァァァ!?」
服、全部脱いでる。
スッポンポン。戦闘時より無防備。
浮かぶようにして空間を跳躍し、
次の瞬間――僕の身体は、見知らぬ青空のど真ん中に転送されたのだった。