DD世界だと思ったらリリなの世界でした。いや両方の世界が混ざり合った世界でした!! 作:バター犬
私こと鈴木太郎は――さっきまで確かに脱衣所にいた。なのに、気づけばそこは、どこまでも広がる青空。地上はおろか、雲ひとつない。360度、空、空、空!
まさに青天井人生リセットボタン。
「へ?」
腕を振れば、空気抵抗で体が変な方向にひねくれる。縦回転、横回転、まるで洗濯機の脱水コース。目が回って翼の展開タイミングを失った。
翼が出せないまま、地上……いや、眼下に見えていたのは海だった。
ドボォオン!!!
盛大な水しぶきを上げて落下。
体の奥まで冷たい海水が叩き込まれ、全身がびしょびしょに。
「ぷはっ……!」
ようやく海面に顔を出し、呼吸を整える。
全裸。タオルは、奇跡的にまだ握ってる。
でももうどうでもいい。羞恥とかそれ以前に――
視界が、バグっていた。
空には、惑星群。
浮かぶ星々。見覚えのない天体。まるでソシャゲのSSR演出みたいな浮遊惑星群が、無数に空を彩っていた。
そんな非現実を前に、俺は言った。
「ねぇねぇ、ぱっつぁんや……聞きたいことがあるんだがのぉ〜」
ーーー奇遇だな、俺もだ。
「「ここどこ!?」」
海のど真ん中、全裸で叫ぶ俺の声が、青空に溶けていった――。
不思議なシンクロでツッコミが決まったのは一瞬のことで、それ以上に、今この状況のほうがはるかに深刻だった。
どこを見ても、水平線しかない。
東も西も、北も南も。ぐるりと見渡しても、影すらない。
陸地ゼロ、船ゼロ、人ゼロ。
あるのは、空に浮かぶありえない数の惑星群と、360度の海原、そして――
俺(全裸)。
「……うん、これは完全に地球じゃないな!」
と、わりとテンションは平常。
いや、冷静というよりは、頭が処理を拒否してるのかもしれない。
ぱっつぁん(八尾)に声をかけるも、脳内に響く気配は今のところない。
とりあえず、じっとしていても何も起きない。
「よし、じゃあ……潜るか」
選択肢が、マジでそれしかなかった。
全裸のまま、深呼吸をして――海へと潜る。
ザバァッ。
体が冷たい水に包まれていく。耳が痛くなるほどの深度を目指して、黙々と、ただ潜る。
心の中ではツッコミが止まらない。
(なんでだよ……なんで風呂に入ろうとしただけで、こんなSFじみた状況になってんだよ……!)
(っていうか、俺……どこまで潜ればいいんだ?)
その時だった。
海の奥、うっすらと光の漏れる場所――
なにかが、ある。
海流に揺れる砂。
崩れた岩の間から顔を覗かせる、整った“直線”。
そして、明らかに人工的な建築の断片。
「……遺跡?」
次の瞬間、心臓がドクンと跳ねた。
水の中にあるはずなのに、建物の中はどこか光を帯びていた。
しかも、外から見てわかる――建物の周囲には、うっすらと魔力の膜のようなものが張られており、内部の水が押し返されている。
まるでそこだけ、海の中に浮かぶ孤立した空間のようだった。
太郎はゆっくりと近づき、結界の膜に触れる。
(……中、入れるな)
だが、正面の入口には巨大な扉があった。
石でできた古代建築風のそれは、びくともせず、どこにも鍵やスイッチのようなものはない。
「んん〜〜〜〜〜……」
俺は考えた。
そして、導き出された結論は――
渾身の拳をぶち込むこと。
「竜宮城を、探しにきましたァァアアアッ!!!」
と、意味不明な叫びとともに、扉めがけて拳を振り抜いた。
ドゴォォンッ!!!
激しい衝撃音とともに、石の扉がビキリと軋む音を立てた。
次の瞬間――
ゴガガガ……ッ!
石が崩れ、閉ざされた扉の奥から、静かな空間が広がっていく。
遺跡の入り口だ。
水は一切入ってこない。
魔力の結界が内側から広がり、俺を迎え入れるように揺らめいている。
「……マジで開いた……」
胸に、ほんの少しの誇らしさ。
(……間違いない、ここは人工物だ)
組み上げられた壁、古代文明的な装飾、そして天井を流れる不自然な魔力のライン。
どこをどう見ても自然の生成物じゃない。整いすぎてる、緻密すぎる。
その時、頭の中にぱっつぁんの声が響いた。
ーーーよし、太郎。ここは俺の出番だな。
「……なんで急に自信満々?」
ーーーまず、この遺跡の構造。完全に人の手が入ってる。ってことは、この星には知性ある生命体が存在した、もしくは今も存在してる可能性がある。
「ふむふむ」
ーーー次に、空に浮かんでた惑星群。あれ、重力制御でもしないとまず無理。
さらにだ、この海底遺跡。中に魔力を使った結界が張られてる。これだけでもう、“原始人レベル”はとっくに卒業済みだ。
「なるほど、つまり……?」
ーーー結論。この星、ガチで魔法文明アリ。
「おおっ、なんかそれっぽい!」
ーーーもしかしたら、時空跳躍すら可能な連中が住んでたかもしれない。異世界転移とか、余裕でこなしてるタイプな。
「それって、まさに俺みたいな?」
ーーー調子に乗るな。
……で、さらに言うと、この遺跡の造り――もしかすると、神様が残した遺産の類かもしれねぇ。
あるいは宇宙人がこの星にテラフォーミング仕掛けた残骸とか、最悪、この中にラスボスが眠ってるパターンだ。
「推理がどんどん物騒になってない?」
ーーーだが、面白くなってきただろ?
太郎は眉をひくつかせながら、ぬれた髪をかき上げた。
「……ん、もしかして……ぱっつぁん、コナン君目指してる?」
ーーー目指してねーよ!てか誰だそれ!
薄暗い遺跡の空気は、どこか濃密だった。
入った瞬間はただ「古い建物」という印象だったが、奥へ進むにつれ、その印象は確かな異質さへと変わっていく。
壁に刻まれた文様は、どれも既知の言語ではなく、見ているだけで頭の奥がざらつくような、不快な“何か”を含んでいた。
魔力も――変だ。
まるで生き物のように、壁の中を這い、脈打ち、意志すらあるように感じられる。
時間の感覚が狂っていた。
遺跡に足を踏み入れた瞬間から、体内時計がまるで意味をなさなくなっていた。
日光は差さず、風も吹かず、気温の変化すらない空間。
代わりに満ちていたのは、肌の奥にじっとりと絡みつく魔力の気配と、どこからともなく響く耳鳴りのような“ざわめき”。
最初は一時間ほどだと思っていた。
けれど、どれだけ歩いても通路は終わらず、部屋の中には異様な装置と、読めない碑文だけが延々と並ぶ。
一度、ぽっかりと空いた控え室のような場所で、太郎は腰を下ろした。
ただの石の床だったが、その時点で足は棒のように重く、喉は乾き、目の奥が痛かった。
「……はー……いつの間に、こんなに……」
ふと、壁に手を当てた時、自分の体が微かに震えているのに気づいた。
気温ではない。疲労だった。
明らかに何時間も、いや、十数時間以上歩き続けていた。
ーーー太郎、お前……もう丸一日近く経ってるぞ。
「……だよな」
ぱっつぁんの声が久々に響く。
その口調にも、どこか疲労がにじんでいた。
眠ろうとしたこともあった。
だが、遺跡の中では“睡眠”という概念が曖昧だった。
目を閉じて数分たったと思えば、数時間経っていたり、逆に1時間目を閉じた感覚が1秒も過ぎていなかったり。
食料もない。
でも、腹が減る感覚もおかしい。
時計もない。が、体が確実に“限界”を訴えてくる。
目は霞み、足取りは重く、魔力の巡りも濁っていた。
それでも――太郎は、止まらなかった。
「これが……異空間ってやつなのかねぇ」
ーーー魔法文明の遺産ってのは、ロクなことしねぇな。
太郎は、重い足を引きずりながらも、通路を抜けていく。
途中、幾つかの部屋を調べた。
石の書架、しかし文字は読めない。
中央に浮かぶ黒い球体。だが、近づくと幻のように消える。
仮眠できそうな小部屋で数時間目を閉じたが、夢も、時間も、なかった。
ーーー……太郎、どう思う?
「正直、空間の流れがバグってる。時間もおかしい。
この遺跡、もしかしたら物理法則ごと歪んでるかもしれんね」
ーーーだな。あと、なんか……誰かに“見られてる”感じがずっとする。
「うん。すっぽんぽんで来たのを後悔してる」
ーーーそこじゃねぇ!
そんなやり取りを交えながらも、太郎は淡々と探索を続ける。
休憩、水分補給――どれもろくにできていない。けれど、引き返すという選択肢も浮かばなかった。
そして、それは――
遺跡の最下層、重力すら重たく感じるような圧迫された空気の中で起きた。
螺旋階段を下りきった先、そこはぽっかりと開いたドーム状の空間だった。
天井は高く、光源もないのに、中央部分だけが仄かに白く照らされている。
音もなければ、風もない。ただ、空間そのものが脈動しているような、そんな感覚があった。
そして――いた。
そこに“人のような”影がひとつ、立っていた。
背筋を伸ばし、まるで誰かを待っていたかのように、微動だにせずそこにいた。
甲冑のような装束を纏っているが、顔はフードに隠れて見えない。
けれど、その場の空気ごと支配するような異質な存在感があった。
太郎は、警戒しつつも近づき、慎重に声をかけた。
「……ハローわっちゃねーむ?――」
その瞬間、ぴたりと反応が返ってきた。
頭が、ゆっくりとこちらを向く。
そして、甲高く、機械のように不自然な声で――
「……貴方は……イ……クスを……し……る……者……ですか」
「うん。だよねー。絶対人じゃないと思った……?」
音が歪んでいた。
録音された音声を無理やり再生したような、どこか途切れ途切れの発声。
だが、確かに“問いかけ”だった。
「んで、なに?……」
もう一度問い返そうとした時、影が滑るように間合いを詰めてきた。
「貴方は……イクスを知る者ですか」
今度は明瞭に。
だが、口は動いていない。
声は、頭の中に直接響いた。
そして、次の瞬間――
ズバッ!
甲冑の腕が閃き、太郎の首元へと鋭い斬撃が走った。
咄嗟に《神威》を発動。
太郎の身体を切り刻むはずだった斬撃は空を裂く。
「ちょ、ちょっと待って!? 今、会話中だったじゃん!?」
だが、相手に返事はない。
淡々と、次の斬撃が繰り出される。
「全然会話できねー」
怒鳴りながら、太郎は背後に跳び、空中でフルンティングを異空間から取り出し。
迫る刃を弾き、そのまま一閃――胴を切り裂いた。
「――また、つまらぬものを斬ってしまった……!」
ズシッ、と甲冑の身体が倒れる。
だが、安堵する間もなく。
ーーー太郎、やばい、増えてきてるッ!
ホールの隅、壁の影、天井から、足音ひとつなく、同じ装束の者たちが次々と現れる。
「貴方はイクスを知る者ですか」
「貴方はイクスを――」
「貴方はイクスを――」
「貴方は――」
「イクスを――」
「知る――者――ですか――」
「これ多すぎね?」
静寂だった最下層が、突如として殺意と問いの連呼に包まれた――。
突如として殺意の波が押し寄せる。
太郎は、間合いを測りながらギリギリの防戦を続ける。
が、連撃が休むことなく押し寄せるため、フルンティングだけだとさばききれない。
「くそ……このままじゃっ!」
やっとの隙に、横薙ぎの一撃を――!
「ふんぬらぁああああああッ!!」
――と、勢いよく振り抜こうとしたその瞬間。
「……ッ!?」
ズズッ、と。
足に妙な重みが絡みつく感覚。
「え?」
下を見た。
さっき真っ二つにしたはずのヤツの――上半身だけが、ズルズルと動いて、太郎の足首にガッチリ掴みついていた。
「おまっ、どんな執念してんの!? てか生きてんの!? いやそもそも死んでたろ!?」
と、ツッコミを入れる間もなく――
キィィィン……!
異様な魔力の振動音。
嫌な予感が、背骨を駆け上がる。
「ちょっ、おい、もしかし――」
ブゥオォォォオオン!!!!
ドッガァアアアアアアアン!!! バリバリィィィィッ!!!
爆発。
耳をつんざく破裂音と同時に、白熱の爆風が太郎の体を呑み込んだ。
「ぐあっ……ああああああああああッッ!!!??」
全身が炎に包まれる。
神威を展開しようとしたが、発動がコンマ数秒遅れた。
爆風は真正面から襲いかかり、太郎の下半身ごと吹き飛ばす。
腹から下、無い。
肉が弾け飛び、骨が砕け、焦げた臭いが鼻をついた。
地面に叩きつけられ、転がる。
皮膚は焼け爛れ、皮ごとズルズル剥がれ、腕は変な方向に曲がっていた。
「うぐっ……うぁっ、まじ、痛っ……痛ったぁああ……!」
息を吸うだけで肺が焼ける。
思考が飛びそうになる。
なのに、なのに――
ズル……ッ、ズルズル……!
焼け焦げた腹部の奥から、這い出してきたのは――黒い蛇。
ただの一匹じゃない。
無数の、細く、長く、うねる影。
それらはまるで意思を持つかのように、血と肉の断面を這い、喰らい、まとわりつき――再構築を始めた。
「うっ……きもっ……!」
蛇たちは太郎の中から出てきていた。
あの爆発でズタズタになった下半身。骨ごと吹き飛んだ部位を、まるで編み物のように“肉”で織り直していく。
皮膚。
血管。
筋肉。
骨。
――全部、蛇が“作っている”。
だが、それは生物の再生というよりも、**“人間の形に寄せているだけ”**に近かった。
再生。
再生。
異形の魔による、不自然な“修復”が進んでいく。
「マジで気持ち悪ぃ……! 何度見てもグロすぎるってコレ……!」
太郎は、地面に片肘をつきながら呻いた。
体の中から、あの蛇たちが出てくる感覚は何度経験しても慣れない。
口では文句を言いつつも、太郎の表情はどこか複雑だった。
助かった。
でも再生しているはずなのに、指の先にはしびれたような異物感**が残っている。
「……やっぱなれないな」
太郎はぼそりと呟き、立ち上がった。
蛇たちはすでに太郎の体内に戻り、
ズタズタだった身体は、まるで何事もなかったかのように――いや、“何か別のもの”のように、不気味なまでに完全な状態で地を踏みしめていた。
ーーー……わかった。あいつら、人間じゃねぇな。
魔力で動いてやがる。完全に“操られてる”。
そして、多分……どっかにコイツらを制御してる“核”がある。
止めない限り、キリがねぇ!
太郎は、ぜえぜえと荒い息をつきながら、口の端から血の混じった唾を吐いた。
「……ナイス名推理コナン」
ーーーいいから早くなんとかしろバカ!
言葉を交わしながらも、太郎の目は既に一点を見据えていた。
ホールの中心――
魔力の濁流が渦を巻くように集まる、その中に鎮座する“棺”。
黄金。
まるでツタンカーメンを思わせる荘厳な意匠。
表面には見たこともない言語の碑文が刻まれ、そこから無数の魔力コードが伸びていた。
まるで生き物の神経のように壁へ、床へ、そして天井へと這い回り――この遺跡全体と接続されている。
「あれだ……間違いねぇ……!」
あれが、この空間の核。
あれさえ止めれば、この狂った問答機械人形たちも、止まる。
「うりゃあああああああああああッ!!!」
太郎は吠えた。
全裸で、疲労で、魔力は残り僅かってことはないけど疲労がMAX
体内ではナハトちゃんの再生で、精神も限界ギリギリ。
それでも――走った。
床が揺れる。
周囲の“イクスを知る者ですか”連中が一斉に反応し、太郎に向けて殺到してくる。
その目に理性はない。命令通りに動くただの刃、ただの駒。
「オマエらぁああああッ、今だけガン無視だァアアアアアアアッ!!!」
叫びながら、すれ違いざまに数体をフルンティングで斬り捨て、他はもう目すら向けずひたすら前へ。
肩を斬られ、腹を抉られても、再生が追いつく限り構わない。
「おりゃおりゃおりゃああああああああッ!!」
血飛沫と爆炎の中を、一直線に突き進む。
崩れる床、弾ける魔力、飛び交う刃――
全てを振り切り、中央へ、中央へ!
「着いたぁああああああッ!!!」
滑り込むように黄金の棺の前へ到達した太郎は、膝から崩れながらも両手で棺の蓋を掴んだ。
脈動するような魔力が、棺の中から漏れ出してくる。
「中身が何か知らねぇけど――開けるぞ……ッ!」
そして、太郎は力を込めた――。
「くそっ……!」
握り締めた手のひらから、血が滲む。
筋肉が悲鳴を上げるのも構わず、太郎は棺の蓋に全力で力を叩きつけた。
魔力が渦を巻く。
傷だらけの体が、赤き衣――魔力の光に包まれる。
「ぬおおおおおおおああああああああッ!!!」
蓋が軋む。
ミシ……ミシミシ……ゴギャァァン!
金属と石がねじ切れるような轟音。
棺の蓋が弾き飛び、天井にぶつかって跳ね返り、重々しい音を立てて床に転がった。
そして――
冷たい空気が、遺跡全体に広がった。
それまで渦巻いていた狂気の魔力が、嘘のように静まり返る。
太郎は、荒い呼吸の中で、そっと棺の中を覗き込んだ。
「…………え?」
そこにいたのは――
幼女。
まるで、眠っているかのようだった。
両の手を胸の上に重ね、儚げに横たわるその姿は、まるで美術館の展示物のように静かで、完璧で、時間の外に置き去りにされたかのようだった。
柔らかな光を帯びた、淡い琥珀色の髪が、魔力の微風にふわりと揺れる。
肌は陶器のように白く、呼吸すら感じさせないほど静謐。
その存在は、もはや生死の概念を超え、“封じられた何か”の象徴だった。
太郎は、混乱の中で言葉を探した。
「えっ……これが、制御装置? じゃなくて……人、だよな……?」
ーーー太郎、動いたぞ。
ぱっつぁんの声が、低く響く。
「……マジで!?」
太郎は思わず身を乗り出したが――彼女はまったく動かない。
さっきのは気のせいだったのか。再び、静寂だけが棺の中を包む。
「……あのー? おーい?」
声をかけても無反応。
肩を軽く揺らしてみても、びく(……寝てるのか? いや違うよな……でも生きてる……?)
そう思いながら、太郎は彼女の肩を揺すってみる。
反応なし。ぴくりとも動かない。まるで深い深い、千年の眠りに落ちているようだった。
「おーい、目ぇ覚ませって……こっちは命懸けなんですけどォ!」
言ってるそばから、背後で**ズバッ!**と空気が裂ける音。
「ぐっ……!」
咄嗟に反転。フルンティングを半実体化し、迫ってきた甲冑の女を叩き斬る。
火花と血しぶき――は出ない。中身がない。完全に“作られたもの”だ。
それでも攻撃力はシャレにならない。
(ったく、どんだけ湧いてくんだよコイツら……!)
棺の周囲には、いまだ“イクスを知る者ですか”団が数体残っていた。
定期的に特攻してくるそいつらを捌きつつ、太郎は懲りずに棺へ振り返る。
「マジでそろそろ起きてくれないかなぁ!? こっちもうMPカッツカツだぞ!!」
再び揺さぶる。
頬もペチペチしてみる。
腕も引っ張ってみる。
反応、なし。
10分が経過していた。
その間に太郎は6体目のマリアージュを斬り捨てた。
衣服はところどころ破れ、髪は乱れ、顔には焦げ跡と汗――そしてなぜかちょっと涙の跡もついている。
「……いやいや、泣いてないから。これはアレ、汗が目に入っただけだから」
そんな軽口すら出るが、目は冗談を言っていない。
集中力、体力、魔力、どれも限界スレスレ。でも、まだ“持つ”。
「――マジで頼むから起きてくれって、もう……!」
棺の前で、彼は叫ぶ。
そのすぐ後ろでは、また1体、ブーストかけて突進してくるマリアージュ!
「わっ、やっば!!」
反射的に振るわれた魔剣フルンティングが、ギリギリで斬撃を弾き飛ばす。
火花と衝撃音があたりに飛び散る中、太郎は棺の方へと滑り込むように退きながら、左手を地面に叩きつけた。
「ええい、もうこれ使うしかねぇ!!」
ボシュウウウウッ!!!
彼の足元に黒い魔方陣が浮かび上がり、重い低音と共に周囲の空気が歪む。
「グリゴリ印の超固い結界――全展開!!」
棺を中心に、黒銀色の半透明なドーム状の結界が勢いよく広がっていく。
展開音と同時に、接触したマリアージュが跳ね返され、宙を舞う。
「よし、よしよし……とりあえず、これで……時間は稼げる……はず……だよな?」
息を整える間もなく、太郎は再び剣を構え直した。
「……んで、次で7体目か。
ほんっとさぁ、誰だよ、こんな量産型ホラー撒いたの。訴えるぞ」
肩を回しながら、黒い翼を再展開。
その背後では、ドームの中で静かに光を放つ棺――
そして、まだ目を覚まさない“あの子”。
太郎はちらりと振り返り、小さくため息を吐く。
「もうあれだ!最後の手段だ!!」
ーーーおい太郎、お前まさかそれは――やめろ、やめとけって!
「すまんな、これは人類の未来のためなんだ……!」
太郎は、震える指で、
迷いながらも、少しだけ覚悟を決めて――
「……失礼します……」
そっと、少女の胸に手を置いた。
軽く、遠慮がちに、確認するように。
もみもみ。
……反応が、ない。
(……マジか。これでも起きないとか、逆にすごくない?)
ーーーおい太郎、お前今、全宇宙の神秘に手ぇ出してる自覚あるか?
「くそ……なら……!」
太郎は拳を握り、ぐっと顔を近づける。
目を閉じ、唇を尖らせながら、呟いた。
「僕の……ファーストキス、ささげるか……!」
ーーー待てバカ!やめろ!!それはさすがに地雷だ!!!
その瞬間だった。
ぱちっ。
まぶたが、音もなく開いた。
太郎の顔は、彼女のほんの数センチ手前。
唇を突き出した奇跡の間抜け顔のまま、真紅の瞳と真っ正面で遭遇した。
空気が凍る。
魔力が逆流する。
その瞳は、静かだった。
怒っても、驚いてもいない。
ただ、圧倒的な“自我”だけが、そこに存在していた。
「……また、目覚めさせてしまったのですね」
「ち、ちがうんだこれは!医療的処置っていうか、蘇生魔法的な……!」
ーーーお前ほんと一回滅ぼされとけ!!!
太郎は、何も言えずに、ただ固まった。
棺の中。
何かが確実に、目を覚ました。
そして、静かに――
棺の中から、一人の幼女が起き上がった。
海底に沈んでいたとは思えぬほど、整った呼吸。
まるで最初から“生きていた”かのような、滑らかな動きだった。
「……えっ?」
太郎の口から、思わず間抜けな声が漏れる。
湿った空気と共に、微かな光を孕んだ魔力の残滓が、ふわりと漂った。
――ん?
ゆっくりと、慎重に蓋が開ききる。
そこから現れたのは、小柄な――
だが、何とも形容しがたい**“異質”な幼女**だった。
髪は艶やかな漆黒。
肌に張り付いたチャイナ服は、濡れた布越しに白い輪郭を浮かび上がらせ、思わず視線を逸らすのが惜しくなるほど。
だが、最も印象的だったのは――その瞳。
金色。
それは炎にも似て、星にも似て、底知れぬ奈落のような光を湛えていた。
一瞬、太郎はそのまま見惚れて――
「あなたですか? わたしを――って、キャァァァーーッ!!」
「えっ、ちょっ、ま――」
ドゴォォォッ!!!
音速を超えた“鉄拳”が、無防備な太郎の顔面にクリーンヒット。
水飛沫と共に、彼の体は美しい放物線を描いて後方の柱にめり込んだ。
「グヘッッ……!」
崩れた柱の中から、顔面をめり込ませた状態で呻く太郎。
「うっ……ちょっと、さすがに今のは心の準備が……」
その耳に、澄んだ声で放たれた怒りが突き刺さる。
「ななななんで全裸なんですか!? 殺しますよ!?」
――響き渡る、幼女のド正論。
どこまでも正しく、どこまでも否定できない。
「……あっ!!」
太郎の脳裏を、ビビビッと稲妻が走る。
「そういえば僕、今、全裸じゃん!!」
反射的に身を抱え、ガバッと体を丸めた。
顔が真っ赤になっている……が、どこかショックも受けている。
「っていうか……なんかもう……慣れてきてる自分がイヤなんだけど!?」
自覚の到来と同時に心をえぐる羞恥。
状況の異常さに、耐性という悲しきスキルが育ちつつあることに動揺した。
「こ、これには、深~~い理由があるんだよ!?ほんとに!」
「……深くはなさそうですね」
幼女――イクスヴェリアは、つまらなそうに言い放つと、
じろっ……と視線を這わせるように太郎を見た。
チラ見、からのガン見、からの……少し顎をかしげての、無言の品定め。
「いやん!!」
太郎、膝を抱えて体を回転させる。
その姿はもはや、人間というより海辺のウミウシ。
「それより、なぜ私を目覚めさせたのですか?」
「それな! 僕が聞きたいわ! 僕、完全にとばっちりなんだけど!?」
太郎の叫びは棺に反響しながらも、虚しく霧散する。
しかし――その瞬間。
背後でゴゴゴゴ……ッと、低く唸る音が響いた。
「ちょ、待って!今それどころじゃない!そこのアレ!!アレ止めて!!」
彼が指さした先。
結界の外で、マリアージュたちが再び突撃態勢に入っていた。
瞳が赤く光り、獣のように低く唸る声を漏らす異形の兵隊たち。
砕け散った仲間の残骸を踏み越え、棺を目掛けて一直線に突進を始める。
「うわっ!やっば!!やっば!!」
結界には、既に蜘蛛の巣状のヒビが広がっていた。
パキ…パキ…と音を立て、崩壊のカウントダウンが静かに進行している。
「こっちの命が終わるより、あの結界の方が早い気がするんだけど!?」
太郎の声も、もはや半泣き気味。
「だからお願い!止めてよ、アレ!マリアなんとかってやつ!!」
「……ふむ。では、まず“私を起こした理由”を説明してください」
「順番逆ーーッ!!」
太郎のツッコミが空間に響いたその時、不意に、
「――あの、一つ聞いても?」
「んあ?」
振り返れば、マイペース極まりない幼女が、首をかしげながら尋ねてくる。
「マリアージュの操主って、あなたですよね?」
「……なにその、呪術回戦用語みたいなの」
「つまり、あれを動かしているのがあなたということです」
「いやいやいやいや、意味わからんわッ!!」
太郎の絶叫とほぼ同時に――
パリン――ッ!
結界が砕けた。
蜘蛛の巣状にヒビの入った黒銀の膜が、粉々に砕け散る音とともに、空間がきしむ。
砕けた破片は光となって宙に舞い、次の瞬間――
「ギィィアアアアアアッ!!」
咆哮を上げながら、マリアージュの群れがなだれ込んできた!
十体を超える異形の影が、赤い瞳を光らせて飛びかかってくる。
「うわヤバッ! どないしょ!」
太郎、両手で顔を押さえながら後退。だが、口調にそこまで焦りはない。
「案外、落ち着いてますね。もっと錯乱するかと」
「いやむしろ“これが俺のいつもの”ってやつで……! マジで慣れたくなかったけど!!」
後退しながらも、反射的に魔力を練り始める太郎。
目が赤く染まり、写輪眼が回転を始める。
「でさ、あれ止められる?マリア?マリトッツォ?何でもいいから止めて!!」
「ええ、一応は」
「じゃあ今すぐ教えてえええぇぇぇぇぇ!!!」
「――嫌です」
スパァァン!!
即答。
しかも、あまりにも爽やかに、躊躇ゼロで。
「な、な、なんでやねえええぇぇん!!」
思わずその場で転げ回る太郎。
背後ではマリアージュたちが迫る音――ドドドドドッ!!
「ちょっ、マジでヤバいヤツじゃん!? 冗談じゃなく死ぬやつじゃん!?」
「ふむ……では代わりに、“なぜ操主なのか”をご説明いただければ」
「そんな時間あるかーーーッ!!」
叫びながら、膨大な魔力が僕から湧き出る。
「……もう、いいや。出すしかねぇか」
太郎の呟きと同時に、遺跡の空気が変わった。
ズゥゥン……ッ!!
地鳴り。振動。魔力のざわめき。
まるで空間そのものが恐怖しているかのような“圧”が、じわじわと広がっていく。
「ぱっつぁん、いくぞ。フルだ――」
――応ッ!今の状況を打破するには得策だな!
けど太郎、六分だ! それ以上はまだお前の体じゃ――
「六分で十分だってばよ!!」
ドバァァアアアンッ!!
次の瞬間、太郎の体が“爆ぜた”。
血のように赤黒い魔力が全身から吹き出し、皮膚が割れ、骨が軋む音が響く。
ただの変身じゃない。存在の形そのものが書き換えられていく。
まず生まれ変わったのは、頭部。
ぐるぐると螺旋を描いた“異形の目”が二つ、光を帯びながら現れた。
その眼孔はどこを見ているのかすらわからない。視線など通じない、狂気の象徴。
そして、そこから――
四本の角が生えた。
まるでジェイコブ羊のように左右二本ずつ。
湾曲し、ねじれ、力強く天を指すその角は、オーロックスやヤクの古代獣の威容を彷彿とさせる。
顔は、鬼。
いや、人間ともつかぬ“暴力の化身”としか呼べない異相。
上半身は、筋骨隆々とした鬼の成人男の肉体。
皮膚は灰混じりの黒。胸筋は浮き上がり、腕は岩を砕けるほどの太さ。
背面は隆起して盛り上がり、バイソンやヤクのような盛り上がった肉のこぶが魔力の脈動と共に波打っていた。
そして――
ズズ……ズズズ……バシュゥゥンッ!!
その背から、八本の巨大なタコの脚が生えた。
それは尾などという生ぬるい存在ではない。
それぞれが別の意思を持つかのように、うねり、伸び、砕き、巻きつき、空間を壊す。
後ろ足など存在しない。
立ってもいない。
むしろ太郎は、地を這うように、八本の触手によって浮遊し、蠢き、進む。
「グォォォアアアアア……!!」
咆哮。
空気が破れ、魔力が爆ぜる。
マリアージュたちは、戦意喪失を超えて“魔力酔い”のようにその場に崩れ落ちた。
「ああっ……これは……!」
イクスの瞳が震える。
彼女でさえ、かつての“戦場”でも見たことのない異形。
「掴まれ!!イクス!!」
太郎の声だけが、まだ“人間”だった。
――そのことが、余計に恐ろしかった。
「ちょっ、待っ、あぁぁあああああっっっ!!」
八本のうち一本がイクスを丁寧に包み、
残りの七本が、**ズガガガガンッ!!!**と遺跡の天井を穿ち破る!!
天井が崩れ、海水が流れ込む。
だがその奔流をすべて蹴散らして、太郎の巨体は上昇した!
“蠢く獣の脚”で泳ぎ、
“鬼の腕”で瓦礫を砕き、
“狂った目”で虚空を睨み――
そして、ついに――
バシャァアアアン!!
神の咆哮のような破裂音と共に、
太郎は完全体・尾獣八尾モードで海面を突き破った。
太陽を背に、無眼の牛鬼が空に咆える――
「しっかり掴まっててねー!」
ズガァァァンッッ!!
尾の一閃が天井をぶち抜き、瓦礫を撒き散らしながら完全尾獣化した僕が空へと突貫。
天井と結界が同時に破壊されたことで、上からドドドッと海水が一気に流れ込む!
「って、ヤバッ、沈む沈む!!」
水流に巻き込まれながらも、太郎は八本のタコ脚をしなやかに、力強く駆動させる。
尾獣泳法(タコver)――発動!
「この推進力マジで反則ぅぅぅぅ!!」
ぐるんぐるんと海中をうねりながら、
瓦礫をかわし、水流を切り裂き、上昇、上昇、さらに上昇――!
そして、
バシャァアアアアアンッ!!
海面、突破!!
空へと舞い上がる大量の水飛沫のなか、
巨大な魔獣の姿が逆光の太陽を背に現れた。
「ぷはっ!」
海面に浮かび上がった太郎は、すぐに尾獣化を解除した。
ドロドロと溢れ出る魔素の泡とともに、
ねじれた角も、ぐるぐるの異形の瞳も、八本のタコ脚も――音もなく消えていく。
そして、残ったのは――
「……ふぃ~、泳いだ泳いだ~。いやぁ、タコってほんと偉大だわ~」
全裸の太郎、再臨。
が、その足は水を踏むことなく、宙に浮かんでいた。
背中には漆黒の堕天使の翼が広がっており、
その羽ばたきで海風を受けながら、彼は空中にふわりと静止していた。
そして――その腕の中には、
「…………」
ずぶ濡れの幼女・イクスヴェリア。お姫様抱っこ状態。
濡れたチャイナ服が肌に貼り付き、髪からは水が雫となって滴り落ちていた。
その表情は、言葉にしなくとも、全てを物語っていた。
「……なんでお姫様抱っこなんですか?」
「いや、こうするしかなかったっていうか、
この距離なら安全だったし、えーと、逃げるには最適ポジションで、えーと――」
「全裸の人に抱きかかえられてるの、普通にキツいです」
「えっ!? そこ!? 僕これ、生命の尊厳を守っただけだよ!?」
「あと、戦場でもあんな変な生き物、見たことありません」
「失礼な!!ちょっと牛っぽくてちょっとタコっぽいだけで、可愛い要素もあるでしょ!?」
「ありません。あと、においが牛くさいです」
「ギャァァァ!! 海水で流れたはずなのに!!」
太郎、もがく。
だが、鼻の奥に残る“ほんのりミルクな香り”が彼を苦しめた。
隣では、イクスが腕の中で腕を組んで静かに考え込んでいる。
――その姿が、やばかった。
濡れたチャイナ服の布が肌にぴたりと貼りつき、
濃淡を際立たせながら、意図せず絶妙なラインを浮かび上がらせていた。
風が吹くたびに揺れる髪、滴る水滴、少し上を向いた無防備な首筋――
「やべっ……なんか……かわいい……
てか、そそる……えっ、これが……父性!?いや……恋!?」
彼の理性がきしむ。
だが葛藤する間にも、意識は別方向へ走り始める。
「いやいやいや違う違う違う!!俺はロリじゃない!!
でも……貧乳は好きかも!!!」
――ダメだッ!!
“塔”が建つ……!!これは確実に“そびえる系”のやつだ!!
「やっべえええええええッ!!僕、今、全裸だったあああああああ!!」
慌てて膝を抱えて空中回転。
“バベルの塔”を海に沈めるように、姿勢を変えて身を隠す。
そして脳内で禁忌の儀式が始まった。
「アザゼル……アザゼル……アザゼルの裸体……」
ぶわぁぁぁ……!!
精神の中で羽根が散る。世界が無彩色になる。
「……おえっ」
最速で自己鎮火完了。
だが、静寂が訪れたそのタイミングで――
「……あの〜」
ピクッ。
「はいッ!!鈴木太郎ですッ!!お兄ちゃんでも可!!」
最上級の笑顔とバリトンハイテンションで答える太郎。
テンションで過去をなかったことにしようとする魂胆が丸見えだ。
「私はイクスヴェリアです」
完璧な無表情で告げられた名乗り。
――そして、見事にスルーされた。
「……あの、太郎さん?」
「なんだい?」
※若干声が裏返っている。
イクスは一呼吸置いて、じっと太郎の目を見た。空中で抱きかかえられたままなのに、目線は上からだ。
「マリアージュで、あなたは何をしようとしてるんですか?」
「んー? いや、別に? 何もしてないけど?」
「では、なぜ操主なのですか?」
「へ?」
思考がついていかず、固まる太郎。
そして、次の一言が致命傷だった。
「マリアージュを操れる者。それが“操主”です」
「えっ、えっ、それ僕!? 僕だったの!? じゃあ――」
太郎は全裸のまま、ノリと勢いだけでイクスの肩をポンポンと叩いた。
「ハイ!あげるあげる!!操主バトンタッチ!ね、どうぞ!!」
笑顔100%、責任0%。
まるで余ったプリカポイントを押し付けるかのような雑さ。
「……はぁ〜……馬鹿ですね」
呆れを通り越して慈悲すら感じさせる表情で、イクスは小さくため息をついた。
そして次の瞬間――
「じゃあ……はい、今、切り替えました。」
そう言いながら、イクスは静かに太郎の胸に手を当てた。
その掌から伝わるのは、冷たい感触でも、優しさでもない。
ズブリ、と、内側に“何か”が入ってくる感覚。
太郎の魔力の核――いや、“存在の中枢”に、直接アクセスされるような感触。
皮膚の内側がぞわぞわと蠢き、何かが這い出るように、抜き取られていく。
「うおぉっ!? ちょ、なに今の!?!?
僕の脳内!?脊髄!?それとも魂ぁ!?」
イクスの指先に沿って、赤黒い糸のような魔力のラインが浮かび上がり、
ふわっと空中にほどけていくと同時に、太郎の胸から“何か”が抜け落ちる。
そして、それをそっとイクスの手のひらが包み込む。
「今から、私が操主です。マリアージュの命令権は、すべて私に移行しました」
「えっ、ちょっと!?
そんな簡単に!?確認画面とか、アカウント連携の同意画面とか無いの!?」
「ありません。魔術的契約なので、ノータッチ切替対応です。」
「ノータッチて!!
てか、俺の内側から“何か”を物理的に剥がされた感あったけど!?
あれ本当に僕のじゃないよね!?魂の一部とかじゃないよね!?ね!?」
「大丈夫です。
あなたが馬鹿だから、細かい操作必要なかっただけです」
「ひどくない!?なんでそんなスッと切り離せたの!?」
「……なんで私がそこまで」
イクスの声は、どこか空っぽだった。
空に滲む夕日も、その瞳に映っていない。
けれど――その隣にいる太郎は、
空を見上げながら、静かに笑っていた。
翼を広げ、風を巻き上げる。
その姿は、まるで堕ちた神の残骸。
そして、彼は言う。
「……あいにく、僕は――
死にたくない奴を殺して、死にたい奴を生かすのが、好きなんだよ。」
それは“優しさ”ではなかった。
そこにあったのは、もっと空っぽで、もっと冷たくて、
けれど、どこか心の奥をチクリと刺すような熱だった。
太郎は少しだけ目を伏せ、ゆっくりと振り返る。
そして――わずかに口角を上げて、こう言った。
「だって僕、堕天使だからさ。
誰かの嫌がることをして、
それがここ心の底から楽しいのさ」