DD世界だと思ったらリリなの世界でした。いや両方の世界が混ざり合った世界でした!!   作:バター犬

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イクス、散る

「はぁはぁ、これマジでヤバイわ!!」

 

 爆音。地割れ。火柱。

 後ろから追いかけてくるのは、怒涛の悪魔軍団!!

 

 火、雷、氷、毒、闇――手持ちの属性全部使ってマジで殺しにきてる!!

 太郎は、イクスを抱え裸一本でそんな地獄の山道を――ただひたすら走っていた。

 

(空?バカ言え!!あんな遮蔽物ゼロのとこ飛んだら即的だわ!!)

 

 敵は時間が経つほどにネズミ算式に増殖。倍々ゲーム?何それ生ぬるい。三倍、五倍、十倍ペース!!

 

「なあ、二人捕まえるだけでこの数とかさ、もはや国家事業じゃねぇの?」

 

「いいから走ってください!!スピード落ちてます!!」

 

「拷問官かオメーはァァァ!!」

 

 地面が爆ぜる。木々が爆発四散。

 悪魔たちの魔力弾が、わざと進行方向に先回りしてくる!

 

「チィッ!!」

 

 巨大な魔力弾が、唸りを上げて直撃コース!!

 

「……!!」

 

 咄嗟に太郎は、地を蹴った。

 

 空中。

 振り向きざま、飛び込んでくる火球が視界を満たす。

 

(いける!)

 

 即断。

 背負っていたイクスを左腕一本で支えながら、右脚を振り抜く!!

 

 ドガァァァン!!!

 

 火球が空中で破裂した。爆風が吹き荒れる。

 でも太郎は――そのまま勢いに乗った!!

 

 煙と火花のカーテンをくぐり抜け、半回転するように宙を舞い、

 そして!!

 

 ズバン!!

 

 衝撃と共に山道へ、無理やり着地!!

 

 

「いってぇええ!!足首死ぬわ!!!魔力がねぇえええ!!」

 

「でも助かりました!!」

 

 「ヴヴヴヴォォォォォォォォーーーーーーーーッッ!!」

 

 イクスの無邪気な笑顔。

 その一撃は、疲弊しきった太郎の心臓に、最後の火種を灯した。

 

(……ッ魔力を振り絞る!!!!)

 

 ギリギリまでしゃがみ込み、地を蹴る。

 次の瞬間――

 

 世界が歪んだ。

 

 爆発。

 大気が千切れたような衝撃。

 

 太郎は、イクスを抱えたまま、ほぼ音もなく加速した。

 

 岩を蹴り、木を踏み砕き、重力をねじ伏せ、

 身体はもう、摩擦も慣性も知ったことかとばかりに突き抜ける。

 

 視界が、黒く滲んだ。

 だがそれでも止まらない。

 

 空気を裂き、森を引き裂き、風よりも速く。

 

 もはや、走る、などという生易しいものではない。

 地形を破壊しながら、文字通り「進撃」していた。

 

 しかし――

 

「――ゲッ!!」

 

 前方に、いきなり地割れ!!

 悪魔どもが地面ごと破壊しやがった!!

 

(飛ぶしかねえ!!)

 

 ギリギリで助走、跳躍!!

 空中を舞い、裂けた崖を超える!!

 

 が、そこへ追撃魔力弾!!

 

「ふざけんなァァァァァァ!!!」

 

 太郎は空中で反転し、魔力弾を両足キックで撃墜!!

 炸裂する光と爆風を盾にして、無理やり着地ッ!!

 

 ドガァァァ!!!

 崖下の岩場に突き刺さるように転がったが、即立ち上がる!

 

「ぐっそおおおおお!! いってぇぇーー!! 絶対ヒビ入ったわコレ!!」

 

「立てます!! まだ動けます!!!」

 

「お前、軍曹かァァァァァ!!」

 

 悲鳴をあげつつも、太郎は半分ヤケクソで走り出す。

 

 瓦礫だらけの斜面を、滑り、転び、ぶつかりながら、

 腕に巻き付いた枝を引きちぎり、服に絡みついたツタを振り払い、

 それでも速度を落とさずに、突き抜ける!!

 

 森へ。

 木々の合間をすり抜け、

 背丈以上ある草をかき分け、

 地面を這う根っこに引っかかり、バランスを崩し――

 

「うおっと!!」

 

 グシャッ!ズザァァァ!!!

 

 太郎は思いっきりすっ転んだ。

 手のひらと膝を地面に擦りむき、血がにじむ。

 

「いってぇ!! あーもう!! 生傷貯金がインフレしてんだけど!!」

 

 だが止まらない。

 痛みを振り切って、太郎は再び地を蹴った。

 

 背後では、悪魔たちの怒声と、魔力の炸裂音。

 

 魔力弾が森を焼き、爆風が木々を薙ぎ倒す。

 それがすぐ後ろだ。ほんの数メートル。

 

(マジで死ぬ死ぬ死ぬ!!!)

 

 心の中で叫びながら、足だけは止めない。

 

 呼吸は引き裂かれ、

 視界は赤黒く滲み、

 体は、とうに限界を越えていた。

 

 それでも。

 

「……がんばれ!たろうぉぉぉ!!」

 

 自分にだけ聞こえる声で、太郎はぼやいた。

 

 そして。

 

 地を蹴る。

 

 森の中、

 折れた木々の間を縫うように、

 瓦礫と爆風と死を振り払いながら、

 

 

「ったく……これがリアル鬼ごっこかよ……」

 

 ガサリ。

 

  悪魔兵たちが森の奥に待ち伏せていた!!

 

(うわあああああああ!!! 完全に狩場じゃねーか!!!)

 

「右に回避!!!」

 

「オウ!!」

 

 即答。反射。

 森の中を、枝を跳ね飛ばしながら右へ旋回!

 

 だが次は――川!

 

 幅二十メートル以上!

 しかも流れが鬼のように速い!!

 

「飛びますよ!!!」

 

「無理無理無理無理無理だろオイ!!!」

 

 ──それでも。

 

 太郎は、イクスを抱えたまま、全力で跳んだ!!

 

 助走?

 考える暇なんてねぇ!!

 呼吸も、意識も、全部ぶん投げて、ただ、跳んだ!!!

 

 空中。

 ざああああと水飛沫を巻き上げながら、一直線に川を越える──!!

 

 だが!

 

 着地、失敗!!!

 

「ぎゃああああああああ!!!」

 

 ズリュアアアアア!!!!

 

 半分溺れかけながら、岩にぶつかり、流木に引っかかり、川の中を転がった!!

 

「ぶはっ!! いってぇぇぇぇ!!! マジで骨イったかもしんねぇぇ!!」

 

「でも生きてます!!」

 

「それな!!!」

 

 太郎はずぶ濡れになりながら、全身泥と血まみれで川岸に這い上がった。

 

 手は擦り切れ、膝はボロボロ、

 呼吸はゼェゼェと引き裂かれ、

 視界は滲み、意識はガタガタだった。

 

 それでも。

 

「まだ……動ける……っ!!」

 

 背後では、悪魔たちが川の向こうで唸っている。

 流れの速さに、奴らも簡単には渡ってこられない。

 

 たった数秒。

 

 だが、この一瞬が、太郎たちには奇跡だった!!

 

「イクス、しっかり掴まっとけ!!」

 

「はい!!」

 

 太郎は、限界寸前の脚に、最後の命令を叩き込んだ。

 

 ダンッ!!

 

 地を蹴った。

 ボロボロの体を騙しながら、最初で最後の全力疾走!!

 

(いい加減、倒れてぇぇぇ!!!)

 

 心の中では泣き叫びながら、それでも笑う。

 このギリギリの命のチキンレースを、なんだかんだで楽しんでいる自分に呆れながら――

 

  そして。

 

 悪魔領と堕天使領の境界線が――

 遥か彼方、モヤの向こうに、うっすらと見えた。

 

(……あそこか……!)

 

 遠い。

 でも、見えた。

 

「よおおおおおし!!!! あと、あとちょっと!!!」

 

 太郎は叫んだ。

 脚がちぎれそうだろうが、呼吸が焼けようが、そんなの知るか!!

 ボロボロの足を、無理やり前に突き出す!!

 

「ぐっそおおおお!! 死ぬ!! でも知らねぇぇぇぇ!!」

 

「でも、動けてます!! いけます!!!」

 

「軍曹ォォォォォォ!!!!」

 

 血まみれ、泥まみれ、全身ズタボロのまま、

 それでも太郎は、最後の直線を駆けた。

 

 爆風。

 魔力弾。

 死神みたいな悪魔たちの視線。

 

 全部、全部振り払い――

 

(もーいいわ、もうゴールさせろぉぉぉぉぉ!!!)

 

 最後のダッシュ!!

 地を蹴り、肺を焼き、心臓をぶっ叩き、渾身のダイブ!!!

 

  ズシャアアアアアッッ!!!

 

 境界線を──飛び越えた!!!

 

 一瞬、空気が震えた。

 

 バシュウッと、目に見えない膜を突き破ったような感覚。

 肌にチリチリと刺さる魔力の波動が走り、世界がガラリと切り替わる。

 

 悪魔領から、堕天使領へ。

 

 

 そのまま転がり込むように、太郎は地面にぶっ倒れた!!

 

 頭から泥。

 肩から血。

 肺が燃えて、意識がぐちゃぐちゃで。

 

 それでも。

 

 それでも!!

 

「しゃああああああああああああッ!!!!!!」

 

泥まみれの拳を、空へ突き上げながら!!

 声が掠れるほどの絶叫で!!

 

 後ろでは、悪魔たちが川岸で唸りながら、結界を越えられずに止まっている。

 

 勝った。

 逃げ切った。

 生き延びた。

 

 どんな呪文より、どんな奇跡より、重い勝利だった。

 

 ふわり。

 

 後ろでは、悪魔たちが川を渡れず、結界を越えられず、

 ただ舌打ちして睨みつけるだけだった。

それを見た太郎は――

 

「……っと」

 

 イクスを、そっと地面に降ろした。

 

 ぐしゃぐしゃに泥だらけになった小さな体を、

 とにかく丁寧に、でも超雑な動きで地面に降ろす。

 

「えっ……?」

 

 ポカンとするイクス。

 

 その横で、両手が空いた太郎は!!

 

 

 

ふらふらとそして、振り返る。

 

 ボロボロの顔で、

 満身創痍の体で。

 

 ニヒルに? カッコよく?

 そんな余裕、どこにもなかった。

 

 代わりに太郎は、

 震える手で、自分の生ケツをペチンペチン叩きながら、

 悪魔たちに向かって、超情けない顔で叫んだ。

 

「へいへーい!! ざっこざっこぉぉぉ!!! お尻ぺんぺんだぞゴルァァァ!!!」

 

 ペシペシッ!!

 

 腰をクネクネさせながら、

 片手で自分の尻を必死に叩く。

 ボロボロ、泥まみれ、血まみれ、満身創痍のくせに、

 最後の力を振り絞って全力小学生ムーブ。

 

 顔はドヤ顔。

 完全に勝者のつもり。

 でも誰が見ても、「ダサい」の二文字しかない。

 しかも顔は超ドヤ顔。

 

 後ろの悪魔たちは、

 唖然として、

 怒りを通り越して、完全に引いていた。

 

(……え、何アレ……?)

 

(マジで何なのアレ……?)

 

 そんな空気。

 そして。

 降ろされたイクスもまた――

 

 目を見開き、固まっていた。

 

 この人、何やってんの?って顔で。

 無言で、じりじりと距離を取っていた。

 

 そして、小さく。

 でも、はっきりと。

 

「……いたたまれない……」

 

 ぽつりと、そんな本音が漏れた。

 

 見なかったことにしたかった。

 本気でそう思った。

 

 目の前で、ボロボロの体をクネクネ動かしながら、

 「ざっこざっこ!」とか叫んでる太郎を見て、

 イクスは完全に心が無になっていた。

 

 助けたくて、一緒に逃げて、守ってくれたのに。

 

 なのに、今ここにいるのは──

 

 必死すぎるお尻ぺんぺんお兄さんだった。

 それでも太郎は、

 ぐらぐらとふらつきながら、

 なおも「勝ったぜ感」を全力で放ち続けていた。

「……な? 勝てば……勝ちだからよ……!!」

 

 

そう、誰に言うでもなく、

 力無く呟いて。

 

 そして。

 崩れるように――

 

 ドサァァァァッ!!!

 

 ……なる寸前だった。

 

「わっ!!」

 

 イクスが、慌てて手を伸ばした。

 

 小さな体で、精一杯。

 ぐらりと傾いた太郎の体を、必死に支えた。

 

 バランスを崩しそうになりながらも、

 なんとか、太郎を抱える形で踏みとどまる。

 

「だ、大丈夫ですか……!?」

 

「……んぁ~……」

 

 太郎は、半分気絶しかけた顔で、意味不明な声を漏らした。

 

 それでも。

 

 泥だらけの顔をぐしゃっと歪めて、

 軽く笑う。

 

「……帰んべ……」

 

 ヨロリ、と足を踏み出した。

 

 ヨロリ、ヨロリ。

 泥と血にまみれた体で、

 太郎とイクスは、とぼとぼと歩き続けた。

 

 向かう先は、堕天使たちの拠点――グリゴリ。

 

「……はぁ……あと……ちょっと……」

 

「えっと……でも、ここって……」

 

 支えながら歩くイクスが、不安そうに周囲を見渡す。

 

 巨大な建物。

 無機質なゲート。

 制服姿の堕天使たち──はいない。

 

 施設は、しんと静まり返っていた。

 

 埃っぽい空気。

 蛍光灯だけが、無機質な音を立てて点滅している。

 

 ここは、堕天使用の中継基地。

 でも、誰もいない。

 

 管理者も、警備も、ひとりもいなかった。

 あるのは、中央に設置された、無人稼働の長距離転移魔方陣だけ。

 

 太郎はフラフラと歩き出した。

 

 転移装置の横に設置された最新の端末が、

 自動で彼らの存在を検知して、起動音を立てる。

 

『――転移座標確認。グリゴリ本部、長距離転移座標、ロック完了。』

 

 無感情な機械音声が響いた。

 

 バシュウ、と魔力障壁が外れる。

 

 太郎は、泥まみれの顔でだるそうに手を振りながら、ふらふらと魔方陣へ向かう。

 

「い、行くんですか……?」

 

「行かないと帰れないからねー」

 

 超だるそうな顔で、

 それでもどこか楽しそうに、ニヤッと笑った。

 

 イクスは、まだ戸惑いながらも、

 しっかり太郎の腕を掴んで一緒に進む。

 

 二人だけの、無人の中継基地。

 

 誰もいない空間で、

 青白く光る魔方陣の上に立った。

 

 バチッ、と光が弾ける。

 

 次の瞬間――

 

 ふっと、地面が消えた。

 

 無重力感。

 空間がねじれる感覚。

 

 視界がぐるぐると回転しながら、

 二人は、本拠地グリゴリへと転移していった。

 

 

 視界がぐるぐると回転しながら、

 二人は、本拠地グリゴリへと転移していった。

 

「ねぇ、イクス! もし今日のこと聞かれても僕に合わせてね」

 

「わかりました。それより……いつまで全裸なんですか!? 服、着てください!!」

 

「あっ……」

 

 気づいた。

 というか、気づかされた。

 

(……僕、ずっと裸だったんだ……)

 

 もはや色々ありすぎて、マジで完全にノーカンになってた。

 

「いやん、えっち! そんなこと言ってジロジロ見てたーのぉぉぉぉぉッッ!」

 

 ふらつきながら、両手で前を隠して、謎のポーズを取る。

 

 直後──

 

 ドガァァァッ!!!

 

「ぐああああああああああああッッ!!!!」

 

 いきなり股間を蹴り上げられ、

 その場に崩れ落ちた。

 

 ビクンビクンと地面を痙攣しながらのたうち回る僕。

 

(……生殖機能……死んだ……)

 

「見慣れたんですよ! つーかお前、出会った時からずっと全裸だよな! そういう趣味なんですか?」

 

「ちょ、落ち着け、口調変わってるから……」

 

 か細い声でツッコミを入れたけど、

 もはや立ち上がる体力がなかった。

 

 そんな僕たちの前に、

 どこからかアザゼルが現れた。

 

「……なんだその惨状は……」

 

 アザゼルは、呆れ顔で僕を見下ろす。

 

 僕は頑張って起き上がろうとしたけど──

 

 ヨロォ……。

 

 立ち上がった瞬間、また膝がガクンと折れて、

 泥だらけで顔面から再び地面へ突っ込んだ。

 

「うぶぅ……」

 

「もう、いいから休んでください!!」

 

 イクスが慌てて僕を支えようとするが、

 そもそも彼女も体力限界でフラフラ。

 

 アザゼルは頭を抱えながら、ため息をついた。

 

「お前なぁ……普通、転移してきた瞬間元気アピールすんのに……そのテンションで瀕死って、逆に怖いわ……」

 

「僕は……僕は……まだ、やれる……!!」

 

 震える声で粋がる僕を見て、

 アザゼルは盛大にため息をついた。

 

 そして、思い出したように眉をひそめる。

 

 嫌な予感しかしなかった。

 

「お前、悪魔側に不法入国した挙句、領地を散々荒らしたうえで逃げてきたらしいな!」

 

「なっ、なぜそれを!?」

 

「悪魔側から苦情きたんだよ!! しかもめっちゃ公式なやつだぞ!! 俺はその対応で研究中断だよ!! クソが!!」

 

「……お、お疲れ様っす!」

 

 ぐらぐらしながら、全力で直立不動の敬礼。

 すぐぐらついてコケた。

 

「ハァ……それより」

 

 アザゼルが渋い顔で僕の背中を指差す。

 

「お前の横にいる奴、誰だ?」

 

 ハッと気づくと、

 いつの間にかイクスが僕を支えるように真横にピタッと張り付いていた。

 

 ぐらぐらする視界の中、

 僕はなんとかイクスを前に押し出した。

 

「この子、イクスって言うんだ。……色々あって、行動を共にしたんだ」

 

 ふらふら。

 また倒れそうになって、イクスが慌てて支える。

 

 アザゼルは、腕を組みながらじろじろとイクスを眺めた。

 無言で。

 ただ、じっと。

 

 だが、イクスは――

 

 ぴったり僕の背中に張り付いたまま、

 うつむいて、地面を見つめたままだった。

 

 アザゼルの方なんか、1ミリも見ない。

 

「おーい、話しかけられてんぞー?」

 

 僕が肘でつつく。

 

 すると、やっとイクスが、

 小さな小さな声で――

 

「……実は私、人見知りなんです……」

 

 ポツリ。

 

 スズメが鳴くみたいな、か細い音だった。

 

(めっちゃ小声!!!)

 

 しかも未だに視線は下向き。

 太郎の足元とか、地面とか、意味不明な一点凝視。

 

 アザゼルが片眉をピクリと動かす。

 

「いや、太郎には普通に話してたじゃねぇか」

 

 そんなツッコミに、

 イクスは顔を真っ赤にして、もじもじしながら――

 

「太郎に対しては……なぜか……普通に接することができるんです……」

 

 さらに小さな声になった。

 

 マジか!!!

 これ俺、特別枠ってことだよな!?!?

 

 うっすらニヤけそうになったけど、

 アザゼルにゴツン!と頭を小突かれた。

 

 めっちゃ声ちっちゃい!!!

 スズメのさえずり並の音量だ!!!

 

「おい、俺を無視して会話すんじゃねーよ!」

 

 

  アザゼルの怒号が飛んだ。

 

「えーっと」

 

 ふらふら。

 また倒れそうになって、イクスが慌てて支える。

 

 アザゼルは腕を組みながら、

 じろじろとイクスを眺め、

 少しだけ考えたあと。

 

「……よし。とりあえず、研究室来い」

 

 有無を言わせないトーンだった。

 

 それを聞いて、僕はふらふらしながら訴える。

 

「え、ちょ、僕ボロボロなんだけど……」

 

 アザゼルはため息をつきながら僕を見下ろして、

 

「お前はここで待ってろ。誰か迎えよこしてやる」

 

 優しい。

 地面に叩きつけられる覚悟だった僕は、ちょっと感動した。

 

 ぐしゃっと地面に座り込み、

 がっくり項垂れていたその時。

 

 袖口――いや、素肌のあたりを、きゅっ。

 

「……?」

 

 振り向けば、

 イクスが、そっと僕を引っ張っていた。

 

(……うわ……)

 

 止める間もなく、

 僕はふらふらと立ち上がり、

 ズルズルとイクスに引きずられて歩き出した。

 

 アザゼルがチラリと振り返る。

 

「……お前、何勝手についてきてんだよ」

 

 呆れた声。

 

「いや、その……」

 

 言い訳できなかった。

 

 そして、研究室に到着したその瞬間。

 アザゼルは、

 やっと太郎の現状を正面から認識した。

 

 泥だらけ、血まみれ、

 そして、堂々たる全裸。

 

「……」

 

 しばし沈黙。

 

「……まず服着ろ」

 

 アザゼルは、面倒そうに、ただそれだけをボソッと吐き捨てた。

 

 怒鳴りもしない。

 責めもしない。

 ただ、呆れた目で、疲れたみたいに。

 

「は、はい……」

 

僕は、小さく答えた。

 そして、瀕死の全裸姿で、ペタペタと研究室の隅に避けた。

 

 さすがにこのままはマズいと思って、

 研究室に置かれていた白衣を、そっと羽織った。

 

(……うん、これならセーフ……たぶん)

 

 あまりにもフラフラだったので、

 近くの椅子に腰かけ、ぼんやりとアザゼルとイクスの様子を見た。

 アザゼルは、手慣れた様子でイクスの簡単な検診を済ませると、

 奥からゴトゴトと機械を引っ張り出してきた。

 

(……なんか、ヤな予感しかしない……)

 

 ぐったりと椅子にもたれながら、僕は眺めていた。

 

 アザゼルは、

 機械に繋がった細いコードと、先端に電極パッドがついた器具を手に取ると、

 何の躊躇もなく、

 目の前のイクスに手を伸ばした。

 

「きゃっ!」

 

 イクスが、反射的に身をすくめる。

 

「な、何するんですか! あなたも太郎と同類ですか!?」

 

 電極を貼ろうとして、

 うっかり腕に触れられたせいで、完全に警戒モード。

 

 その隣で、

 僕は、白衣を羽織ったまま、ぐったりした声で、

 かすれたギャグを絞り出した。

 

「……まさか……結婚できないから……とうとう……幼女に……」

 

 言葉が途切れ、

 それでも頑張って吐き出す。

 

「……手ぇ……出す気……アザゼル……」

 

ぐらりと頭が傾く。

 椅子にぐしゃっと沈み込むように、目だけでアザゼルを見た。

 

 アザゼルは、無言だった。

 

 白けたような目。

 何も言わず、何も動かず。

 

 ふぅ……と小さくため息をつき、

 

「ちげーよ」

 

 そう、淡々と吐き捨てた。

 

 そして、

 すぐに話を切り替える。

 

「……えーっと、イクスだっけ?」

 

 アザゼルは、再びイクスを見下ろしながら続けた。

 

「ただの人間じゃねーだろ。何年生きてる?」

 

 ズバリ核心を突く一言。

 

 驚いたように、

 イクスが、助けを求めるように僕の方を見た。

 

(……行っちゃえ行っちゃえ)

 

 僕は、ふらふらのまま、目だけでアイコンタクト。

 

『言っていいよ』

 そう伝える。

 

 イクスは、ぎゅっと小さな拳を握りしめ、答えた。

 

「眠ってた時間も含めると、だいたい……千年弱ぐらいですね……!」

 

「やっぱりか!」

 

 アザゼルは、腕を組み直してニヤリと笑う。

 

「で、目覚めてから、どっか痺れたりしてないか?」

 

「えっ……痺れ? どういうことですか?」

 

 イクスが戸惑いながら聞き返す。

 

  アザゼルは、

 真面目な顔になり、重たい話を始めた。

 

「……まあ、これは俺の仮説だがな」

 

 低い声で。

 いつもの軽さを捨てた、本気のトーンで。

 

「嬢ちゃんの肉体は、どう見ても普通じゃねえ。……構造的には、俺たち人外に限りなく近い」

 

 カツン、と机を指で叩く。

 

「けどな。魂は──完全に人間だ」

 

 その言葉に、

 イクスが一瞬、ぴくりと肩を震わせる。

 

 アザゼルは続ける。

 

「肉体が規格外に強すぎるんだ。で、魂が普通の人間仕様。バランスが合わねぇ」

 

 静かに、しかし容赦なく。

 

「結果、どうなるか──わかるか?」

 

 間。

 

 そして。

 

「……魂のほうが、先に壊れる」

 

 ぐっ……と胸を押しつぶされるような感覚だった。

 

「肉体が化け物並みでも、魂がそれに耐えられなきゃ意味がない。時が経つごとに、ズレはどんどん広がる」

 

 アザゼルは、指をパチンと鳴らした。

 

「例えるなら、だ──」

 

 唇の端をわずかに上げる。

 笑いではない。

 ただ、事実を突きつけるための仕草だった。

 

「ゾウに、ネズミの心臓を移植するようなもんだ」

 

「……」

 

「最初は動く。問題なく見える。でもな、耐えられるわけがない。すり減って、壊れて、最終的には──魂が死ぬ」

 

 そこまで言って、

 アザゼルは、初めて少しだけ目を伏せた。

 

「そうなりゃ、残るのは肉体だけだ。……意識も感情もねぇ、ただの器だな」

 

「ようは──」

 

 カツリ、とまた指で机を叩く。

 

「植物人間、ってわけだ」

 

 静かだった。

 いや、音だけじゃない。

 空気そのものが、重たく沈み込んでいた。

 アザゼルの話を聞き終えて。

 

 ……正直、重たすぎた。

 

 胸の奥が、ずしんと沈む。

 

(……マジかよ……)

 

 僕は、

 白衣を羽織ったまま、

 ぐらぐらと揺れる椅子に体を預けながら、

 やたら息苦しい空気を、やり過ごそうとした。

 

 そして。

 

 ぽつりと呟く声が落ちた。

 

「……まぁ、多くの人を殺した私には、ちょうどいい罰ですね……これも、運命だったのでしょう。それに、死ぬ覚悟はもうできていますから」

 

 イクスだった。

 

 伏せた顔で、

 諦めるみたいに、淡々と。

 

それを聞いて。

 

 僕は──

 

 がっくりと、だらしなく椅子にもたれたまま、

 顔だけ、彼女のほうに向けた。

 

 その時、

 僕は、気づいたら口を開いていた。

 

 声に、力はなかった。

 ただ、ふにゃっと、

 だらしなく。

 

「……いや、さ」

 

 ぼそぼそと、

 顔を上げずに呟く。

 

「……罰だとか、死ぬ覚悟だとか……」

 

 小さく息をつく。

 

「……そーいうの、もう、いいじゃね」

 

 苦笑混じりに。

 

「……そんなの、さ」

 

 顔だけ、なんとかイクスの方へ向ける。

 

「……イクスが死んだら──」

 

 少しだけ、間を置いて。

 そして、肩をすくめるように。

 

「……まぁ、僕は……悲しむと思うよ」

 

 それだけだった。

 

 押し付けがましいことも、

 でかい声で訴えることも、なにもなかった。

 

 ただ、ぽつりと。

 当たり前みたいに、漏れた。

 

「……だから、生きとけよ」

 

 ふわっと、だるそうに笑って。

 

「……生きる理由が欲しいならさ」

 

 今にも消えそうな声で、

 でも、ちゃんと届く声で。

 

「……僕が、頑張って探して……」

 

 苦笑いしながら、ぽつりと付け足した。

 

「……プレゼントするし」

 

 それだけ言って、

 また、ぐしゃっと椅子にもたれた。

 

 肩をふわっとすくめながら。

 

「……まあ、期待はしないでほしいけど。センスないから」

 

 だるそうに肩をすくめながら、僕は締めた。

 

 でも。

 

 イクスが、小さな声で、

 ぽつりと呟く。

 

「……でも、たとえ……センスがなくても……」

 

 顔を伏せたまま、ぎゅっと拳を握りしめながら。

 

「……それでも……うれしい、です」

 

 その言葉に、

 僕は、片手をひらひらと振って、

 適当そうに答えた。

 

「はいはい、わかったわかった」

 

 ふにゃっと笑う。

 

「んじゃ、そーいうことで。生きる方向で」

 

 へろっと指を立てて、

 ぐだぐだな笑顔を向ける。

 

「文句は受け付けませんー」

 

 そうやって、

 無理やり押し切った。

 

 でも、たぶん。

 それでよかったんだと思う。

 

 ──ということがあり。

 

 無事、イクスは生きることを決心してくれました。

 めでたしめでたし!!

 

 ……と思ったら。

 

「で、私の今の状況は、どうするんですか?」

 

 イクスが、きょとんとした顔で尋ねてきた。

 

 あっ。

 

 忘れてた。

 めっちゃ大事なやつ。

 

(……えーと、どうすんのコレ)

 

 僕がぐるぐる思考を回していると、

 アザゼルが腕を組んで、

 ため息まじりに言った。

 

「まあ、今の技術じゃどうにもなんねぇな」

 

「まじで!?」

 

「でもよ」

 

 アザゼルがニヤリと口元を歪める。

 

「俺様を誰だと思ってやがる」

 

 そして、パチンと指を鳴らして。

 

「なぁ嬢ちゃん。──人間やめてみる気はないか?」

 

 ズドンと響く一言。

 

 僕は、白目を剥きながら、心の中で叫んだ。

 

(そのセリフ、どっかで聞いたことあるうううう!!!)

 

 

「っえ!? それ……どういう意味です?」

 

 イクスが、思わず聞き返す。

 

 アザゼルは、肩をすくめて軽く答えた。

 

「そのまんまだよ。人間やめるんだ。……で、どうする?」

 

 あまりにあっさりした言い方だった。

 

 イクスは、一瞬だけ迷った。

 でも、すぐに、

 ぎゅっと拳を握りしめる。

 

「……それで、助かるのであれば──」

 

 きっぱりと。

 

「……お願いします」

 

 その瞬間。

 アザゼルは、すっと片手を掲げた。

 

 シュウゥゥゥ……

 

 床に魔法陣が展開され、

 その中心から、黒く光るチェスの駒が浮かび上がる。

 

その光景を、僕は──

 

(う、うわぁ……!!)

 

 ぐったり椅子にもたれたまま、

 目だけを大きく見開いて見ていた。

 

(マジか……これ……絶対見たことあるやつ……!)

 

 白衣の下で、指先がぴくぴく震える。

 

(この前、僕に使った、あの……堕天使化アイテム……!)

 

 ぐったり椅子に沈んだまま、

 僕は、か細い声でツッコミを入れた。

 

「……えっ、その駒って……僕に使ったはずじゃぁ〜?」

 

 アザゼルは、無造作に肩をすくめた。

 

「俺は“駒が一個だけ”とは言ってねぇぞ」

 

 さらっと言いながら、

 指を折りつつ説明を続ける。

 

「そもそも悪魔の駒ってのはな。

 キングが一つ、クイーンが一つ、ルークとビショップが二つずつ、ポーンが八つ。……って構成だ」

 

 雑な調子で数を数えるアザゼル。

 

「で──」

 

 ちょっとだけ指を止めて、

 ちらりと僕を見た。

 

「お前に使ったあれは、元々あった駒をもとに……俺がカスタム製造した“キング専用の特注品”だ」

 

「……と、特注……」

 

「オリジナルのキングは危なすぎるからな。

 ぜんぶヤバい要素消して、安定性だけ残して作ったやつだ」

 

(……なんかすっごい軽く言ってるけど、絶対やばいやつだコレ)

 

 僕は、椅子にもたれたまま、

 心の中で全力ジタバタしていた。

 

 そして、アザゼルは、

 黒い駒を指先でくるくる回して、

 ひょいっとイクスの方に差し出す。

 

「──んで、嬢ちゃん。好きなの選べ」

 

 悪びれもせず、にやっと笑った。

 

「では……ビショップにします」

 

 イクスは、

 慎重に黒いビショップの駒を手に取った。

 

 だが──

 

 何も、起きなかった。

 

 光も、音も、反応もない。

 

 ただ、ぽとりと駒が重たく、手の中に転がるだけ。

 

「……」

 

 沈黙。

 

 アザゼルは、顎に手を当てて一瞬考え込むと、

 すぐに面倒くさそうに手を伸ばした。

 

「やっぱダメか。嬢ちゃん、クイーン使え」

 

 そう言って、

 もう一つの駒──黒く、より濃い輝きを宿した駒を手渡す。

 

 イクスは、戸惑いながらそれを受け取った。

 

 そして──

 

 クイーンの駒が、

 ふわり、と、淡く黒光りしはじめた。

 

 次の瞬間。

 

 シュウウウウッ……!!

 

 黒い輝きが、液体のようにイクスの掌から体内へと吸い込まれていく!

 

「っ……!」

 

 イクスが反射的に目を瞑った、その刹那。

 

 ──ドン!!!

 

 空気が震えた。

 

 ぶわあああっと。

 

 背中から、黒く艶めく翼が──

 ぱさり、と開いた。

 

 しかも、二枚ではない。

 片側二枚ずつ、左右で計四枚。

 

 白ではない。

 純粋な、黒。

 

 ──堕天使の翼だ。

 

 しかも、普通のそれよりも、

  ずっと濃く、強く、研ぎ澄まされた存在感を放ちながら。

 

 息を呑むような、静かな圧力が、研究室に満ちた。

 

 ──そんな中で。

 

 アザゼルが、ふと顎に手を当て、

 イクスをじっと見つめながら、ぽつりと言った。

 

「なぁ、嬢ちゃん。……もしかして神器を所有してたりするか?」

 

 予想外の質問に、

 イクスが小首をかしげる。

 

「神器……? なんですかそれ?」

 

 アザゼルは、軽く肩をすくめながら答えた。

 

「噛み砕いて言うと、神の遺産だな。

 で、どうなんだ?」

 

 イクスは、少しだけ考え込んでから、慎重に答える。

 

「多分……神器ではないと思うんですけど。

 マリアージュ、っていう屍兵器を作り出す能力なら、あります」

 

 その言葉に、

 アザゼルの目がきらりと光った。

 

「マリアージュ、か。……聞いたことねぇな」

 

 ふむ、と腕を組みながら、

 すぐにさらに問いかける。

 

「なぁ、それ。今ここで作り出せるか?」

 

 イクスは、一瞬だけ戸惑ったあと、

 小さく頷いた。

 

「作れますけど、器になる有機細胞が必要です」

 

 その言葉を聞いたアザゼルは、

 即座に魔法陣を展開した。

 

 次の瞬間──

 

 ぽん、と何かが召喚された。

 

 ぐるりと包帯に包まれた、透明な容器の中。

 

 中身は──

 

 眼球だった。しかも写輪眼。

ばっちりと、赤い瞳孔に黒い三つ巴。

 どう見ても、僕の──

 写輪眼のクローンだった。

 

(よりによって、僕の写輪眼を量産してたのかよぉぉぉぉ!!)

 

 全身でジタバタしたかったけど、体は動かない。

 

(アザゼル……ほんっとにやりたい放題だなぁぁぁ!!)

 

 僕が心の中で全力ジタバタしている間に。

 

「これでできるだろ」

 

 アザゼルは当然のように言い放った。

 

 イクスは戸惑いながらも、

 そっと核を作り出し、

 写輪眼クローンに埋め込んだ。

 

 すると──

 

 みるみるうちに、

 眼球がぐにゅりと膨れ、形を変え、

 人型のシルエットへと変貌していった。

 

 それを見ながら──

 

 アザゼルは、

 興味深そうに眉を上げ、

 にやりと口角を吊り上げた。

 

「へぇー……魔獣創造の、超劣化バージョンってとこか?」

 

 呟きながら、

 すっと手を伸ばす。

 

 マリアージュの表面──

 まだ不安定な肉体に、

 指先で軽く触れた。

 

 びく、とマリアージュの肩が震える。

 だが、特に抵抗する様子はない。

 

 さらに、

 アザゼルは指先から、

 ごく微弱な魔力を流し込んだ。

 

「……ほう」

 

 マリアージュの体表が、

 かすかに波打つ。

 

 まるで、与えられた魔力を吸収しようとするかのように。

 

「成る程な……」

 

 アザゼルは、ふむ、と頷きながら、独り言のように呟いた。

 

「自立型でもないし、高度な戦闘思考も持ってねぇ。

 ただ、単純な命令だけをこなす……魔力を食って動く、シンプルな兵器、か」

 

 指を離し、軽く肩をすくめる。

 

「まあ、雑兵量産用ってとこだな。……超劣化とは言ったが、目的考えりゃ悪くねぇ設計だ」

 

 その評価に、

 マリアージュは黙ってぴくりと動くだけだった。

 

 

  そして、

 マリアージュに軽く魔力を流し終えたアザゼルは、

 くるりと軽やかに振り返った。

 

 にやり、と悪戯っぽく笑って、言い放つ。

 

「──よし、嬢ちゃん。

 助けてやったんだから、そのマリアージュ、研究させろ」

 

 ずい、と顔を近づける。

 

 至近距離。

 詰め寄りすぎ。

 

「え、ええぇぇぇ~~~~~!!!??」

 

 イクスが目をまんまるにして、

 わたわたと手を振る。

 

「ちょ、まっ──!」

 

 抵抗もむなしく、

 アザゼルはその小さな体をがしっと掴み、

 そのままズルズルと引きずり出した。

 

「いやいやいやっ! ちょっと!? まだ心の準備が!!」

 

「いいから来い。サンプルサンプル」

 

「ぎゃああああああああああ!!」

 

 叫び声だけがこだまする中──

 

 アザゼルとイクスは、

 無情にも、研究室の奥へと消えていった。

 

 バタン。

 

 ドアが閉まる、乾いた音だけが残る。

 

 僕は──

 

 ぐったりと椅子にもたれたまま、

 だるそうに片手をひらひらさせた。

 

「……いってらー……」

 

 蚊の鳴くような声で、

 力なく、

  ぐったりと椅子にもたれたまま、

 僕は、だるそうに片手をひらひらさせた。

 

「……いってらー……」

 

 蚊の鳴くような声で、

 力なく、

 それでも心から、そう言った。

 

 そして。

 

 椅子から転がり落ちそうになりながら、

 なんとか白衣を引きずり、

 よろよろと自室へ向かった。

 

 足を引きずり、

 壁にもたれかかりながら、

 どうにか辿り着いた自分の部屋。

 

 ドアを開けると同時に、

 ベッドまでたどり着く気力もなく、

 その場に崩れ落ちた。

 

 ぺたりと、床に倒れ込んで、

 ぐしゃぐしゃの白衣を掛け布団代わりにして。

 

「……イクス……生きろよ……」

 

 最後に、

 そんなぼそぼそした言葉を吐き出して。

 

 意識は、静かに沈んでいった。

 

 泥みたいに、

 何も考えられないほど深く──。

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