DD世界だと思ったらリリなの世界でした。いや両方の世界が混ざり合った世界でした!! 作:バター犬
次の日の放課後。
町の住宅街を、ひときわ目立つ二人組が自転車で走っていた。
前でペダルをこぎながら顔をしかめているのはイッセー。
後ろの荷台に座って地図とチラシを持ち、手際よくポストに突っ込んでいくのが僕――鈴木太郎である。
「次っ、右に曲がって二軒目の青い家。あそこのポストに“幸せの紙”をブチ込め!」
自転車の後部、荷台にふんぞり返って座る僕が、地図を見ながら指示を飛ばす。
ペダルをこいでるのはイッセー。額にじっとり汗をにじませながら、文句を噛み殺していた。
「……“幸せの紙”って言うなよ……名称が既に洗脳系なんだよ……」
「事実だろ?人生を狂わせる第一歩かもしれない、運命の書よ。
我々は“光”を届けているんだよ」
「不穏すぎて逆に通報されるわ!!」
僕たちが配っているのは、オカルト研究部が印刷した――いや、錬成したとも言える胡散臭さの塊だった。
『悩みは、ある。だから、あなたに届く』
『次元の裂け目』『エネルギーの淀み』『呪縛の浄化』
目が滑るような意味不明のワードが散りばめられ、中央にはグルグル渦巻くような謎の魔方陣。
それだけでもう怖いのに――
「読んだその瞬間から、あなたは選ばれました」
……この一文が一番ヤバい。
「ってかマジで怖いんだけど!なにこのチラシ!?カルト臭すげぇんだけど!?」
「そういう反応が欲しくて作ったんだよ!“選ばれた”って言葉、響くでしょ?」
「響くかバカ!!むしろ拒絶反応出るわ!!」
「イッセー、想像してみろよ。
この紙を朝ポストで見つけた独居老人の気持ちを……“私は選ばれし者だったのか……”って震えるぞ」
「怖い怖い怖い怖い!!しかも地図も連絡先もねぇし!怖すぎだろ!!」
「それがいいんだよ。“不明”は“可能性”だ。
ホラー映画だって一番怖いのは“何かわからない”ことだろ?」
「……説得力あるけどもぉ!!」
チラシを一枚、丁寧にポストへ突っ込んでから、イッセーが振り返る。
「ていうかさ……なんかおかしくね?」
「何が?」
「俺が運転で、お前が後ろでふんぞり返ってナビしてるって……バランスおかしくね?」
「いやいや、これで合ってるだろ。
僕が運転したら秒速で電柱に突っ込む自信あるし。経験談だし」
「……マジでありそうだから困るわ」
「それに僕の方が地図読むの得意だし、
チラシをスナイパーのごとくポストに叩き込む技術も持ってるからね!」
「うん、それで通報されても俺のせいにすんなよな」
僕たちはそんなふうに言い合いながら、
見知らぬ家々のポストに、“幸せの紙”という名のカオスを次々に叩き込んでいた。
――ガタンッ!
段差を越えて、僕のケツが思いっきり跳ね上がる。
「……いってぇ。荷台、マジで拷問器具じゃねぇの?」
前を走るイッセーの背中にぼやいた直後、ふと彼が静かに口を開いた。
「……なぁ、太郎」
声のトーンが急に真面目だ。嫌な予感しかしない。
「俺……今日、リアス先輩にガチで怒られた」
「……ああー……昨日の“堕天使の服バクハツ事件”の件?」
「いや、それもあるけどさ……」
イッセーは少し声を落とし、言いにくそうに続けた。
「朝さ……通学中にちょっとだけ、教会の近く通ったんだよ」
イッセーの声が、ふっと小さくなる。
「そしたら、なんか……言いようのない圧っていうか……体が勝手に震えて、足が動かなくなってさ……」
「ん?魔力が反応した感じ?」
「いや、それが……逆。
魔力っていうより、もっと根っこの……“生存本能”が拒否ったって感じ。
あの空間には近づいちゃいけない――みたいな直感。
背筋がゾワってして、呼吸も変になってさ」
「……完全にトラウマ植え付けられてんじゃん昨日の堕天使女のせいで」
「かもな……いやマジで、あそこ通っただけで冷や汗出たし、
なんか……“生”が拒絶される感覚があった」
「お前、もう教会ってワード聞くだけで“アレ”連想しちゃってんじゃん。
心が性的PTSD抱え始めてるぞ」
「やめろ。今、その言葉だけで心拍数上がった」
「……あっぶね。“性癖トリガー型本能暴発”だ。新型きたわこれ」
「俺の人格に新しいカテゴリー作んな!!」
「いやマジで、もし教会の地下に純白の幼女シスターでもいたら、
お前、間違いなく“善悪”の判断が吹き飛ぶぞ?」
「やめろ!それ以上言うな!!脳が震えるぅぅ!」
「今ので魔力じゃなくて理性が揺れたな」
イッセーが前を向いたまま、顔だけ引きつった笑いを浮かべる。
その背中に、僕はうんうんと納得しながら一枚のチラシをスッとポストに滑り込ませた。
僕がニヤニヤしてる間に、イッセーがボソッと呟いた。
「で……そのあと、リアス先輩に報告したんだよ」
イッセーがぼそっと呟く。
チラシの束を一枚取り出す手が、少しだけ震えていた。
「……教会の近く通っちゃいました、って。それだけ話したんだ。ただ報告しただけなのに……」
「ふむ。それで?」
イッセーは小さく息を吐き、続けた。
「そしたら先輩が、ぴたって動きを止めて……
すっげぇ静かな声で言ったんだ」
『そう……教会に……。イッセーは“死に場所”を探しているの?』
「もう、その言い方が……なんつーか、ヤバかった。空気が、ピタッと凍った感じでさ……」
「うわ、それマジでヤバいやつじゃん……!」
「俺、マジで心臓止まりかけた……けど、次の瞬間――」
イッセーは言葉を詰まらせ、少し視線をそらした。
「……抱きしめられたんだよ、急に。リアス先輩に」
僕の手が止まる。
「……は?」
「“二度と、そんなことしないで”って。
“あなたを失うことだけは、絶対に許さない”って……」
「……」
「すげー……あったかかった。
……でも、言葉が全然出なかったんだ」
イッセーの声に、一瞬、風が止まったような錯覚があった。
その背中からは、しんみりとした感情がにじみ出ている――ように“見えた”。
……が。
僕はすぐに気づいた。
「……お前今、リアス部長の胸の柔らかさ思い出してただろ」
イッセーの背筋が、ビクンと跳ねた。
「はっ!?な、ななな何言ってんだお前!!」
「黙れ色欲の塊。語彙の中に“神聖”って単語使ってるけど、脳内は“神聖なる乳圧”でいっぱいだったろ」
「ち、違ぇよ!?俺はあの瞬間、魂が震えただけで――」
「うそつけ、記憶が“胸メモリ”に保存されてる顔してたわ」
「ぐっ……!ば、馬鹿にすんな!リアス先輩のぬくもりは本物だったんだよ!」
「知ってるよ。俺だって一度でいいから、あの“サキュバス系幼女抱擁スキル”で包まれてみてぇわ」
そんなシュールで不毛な会話を延々と繰り返しながら、僕たちの自転車は夕暮れの住宅街を走り続ける。
チラシの束は減らない。
疲労は増す。
変な充実感も、ある。
「なぁ太郎……俺、悪魔になってから、なんか、こう……人生って何なんだろうって時々思うんだよな」
「わかる。僕もね、“おばさんの陰毛”を見てしまったあの日から、人生が少し変わった気がするんだ」
「……俺たちって、たぶんまともに戻れないよな」
「うん。もう戻らなくていいと思う」
日が暮れかけた町の路地裏に、残念すぎる男子高校生二人の笑い声がこだましていた。
その後、持っていたチラシの束をすべて配り終えた僕たちは、
魂の抜けたような顔で、いつもの洋館――オカルト研究部の部室へと帰還した。
中では、木場と小猫ちゃんが静かに夕食をとっていた。
その光景はまるで“文明の違い”を突きつけられているかのような清らかさだった。
「……ああ、なんか……帰ってきたな……」
「うん。帰ってきてはいけない場所に」
その時だった。
「お二人とも……ごきげんよう」
突如、耳元に降りかかる“あの声”。
ゾクッと首筋に冷気が走る。
振り向けば――そこには、闇にまぎれてほほえむ副部長・姫島朱乃の姿。
「うわっ!?朱乃先輩!?いつからそこにいたんすか!?
あの……その無音接近マジやめていただけません!?」
「音を立てないのが、私の趣味ですのよ?
ふふ、おふたりとも、お疲れ様。ちゃんと配れたかしら?」
「ぞ……ゾッとする言い方やめて……!」
「でもね、太郎くん、一誠くん?私、あなたたちの努力――ちゃんと見てましたのよ?」
「見てたの!?全部!?あの通報一歩手前のチラシばら撒き地獄を!?」
「ええ……あれは、実に……ふふ、狂気的で素晴らしかったわ」
背筋が凍るほどの笑顔。
それはまるで獲物を嬲る前の女王の余裕。
そして彼女は、バッグに手を伸ばす。
「お詫びと言ってはなんですが――少し太郎君に褒美をご用意しましたの」
(……ッ!出た!!この動きは絶対に“ろくでもないもの”が出てくるやつ!)
脳内警報、発令。ドス黒い期待と恐怖が僕の脳内を渦巻く。
(乳デカい女が無言でカバンに手を突っ込むとき、それは――だいたい、魂を試される瞬間だッ!!)
朱乃は、妖艶な微笑みを浮かべながらバッグをゴソゴソと漁り始めた。
その動きに、僕の脳内警報がフル稼働する。
(来るぞ……この空気……“釣り”に来てるッ!!)
「……一応、言っときますけどね、朱乃先輩?」
僕は腕を組み、あえて座り直してから、わざとらしく溜息をついた。
「僕、こう見えて結構プライド高いんですよ。“モノ一つで釣れる”とか、そういう安っぽい男じゃないんです」
イッセーが横目で苦笑する中、僕はさらに続ける。
「確かに僕は変態かもしれない。でもね、そこには信念があるんです。簡単に尻尾振ると思ったら、大間違いですからね?」
「……小猫ちゃんの、体育後の体操服ですわ」
朱乃の一言が落ちた瞬間――
「朱乃先輩大好きです!!!!!!!」
僕は空気をぶち抜く速度で土下座に移行した。
「尊い!そのお方は尊い!僕はこのお方に一生ついて行くと、今ここに誓います!!地獄の底まで!いえ、地獄が終わっても!輪廻が巡っても!!」
「太郎、変化がもはや“高速崩壊”だぞ。人格がバグってる」
「うるさい黙れ!これは魂のジャンプだ!!」
小猫は羊羹の手を止め、無言でこちらを見ていた。その目は冷たく、哀れみと軽蔑が入り混じっている。
イッセーが白目を剥いたまま、小声で震えるように呟いた。
「……あの、それ……その、本人の……許可とか、ちゃんと取って……ます……?」
視線はソファーで羊羹を食べている小猫ちゃんにチラチラチラチラ向いている。
その視線の挙動だけで、内心の「怖い」「ヤバい」「え、合法?」が伝わってくる。
そんなイッセーに対し、朱乃先輩はふんわりと上品に微笑んだ。
まるで答えなどとっくに決まっているかのように、涼しい声で言い放つ。
「もちろん。ちゃんと本人の許可は取ってありますわ♪」
その一言が――
僕のすべてを、止めた。
「……えっ?」
思考が止まり、脳内でノイズが走る。
本人の許可。本人が、許可した。小猫ちゃんが。
「えっ、マジで?嘘でしょ……え、小猫ちゃんが?
え?体操服?僕に?……僕に、渡すために……?」
情報の洪水に処理が追いつかず、言葉がもつれる。
そして――数秒遅れで、感情が一気に噴き出した。
「……小猫ちゃん……本当に……ありがとうッ!!」
僕は、なるべく真面目な顔で言った。
騒ぎたい気持ちを抑え、しっかりと正座して、
朱乃先輩から受け取った袋を慎重に開封する。
その中に――それは、あった。
白と水色が絶妙に調和した、駒王学園指定の女子体操服。
ぱっと見は清潔感のある衣類だけど……光の加減でわかる。
わずかに、襟元と脇の下あたり。
汗が染みたような、淡い跡が――残っていた。
「……!」
呼吸が止まる。脳が熱を持つ。
あの少女が体育のあと、無表情で着替えていたその一瞬を想像するだけで、空気が変わる。
「これは……神が落とした布か……?」
僕は誰にともなくつぶやいた。
手に持った体操服を、そっと自分の顔に近づける。
スッと、鼻を寄せて――吸う。
スゥーーーー……ッ……
鼻腔に届く、かすかで、生っぽくて、リアルな気配。
「……ぐふっ……くっ……尊い……」
脳の中で鐘が鳴る。細胞が何かに目覚めかける。
白と水色が絶妙にフェティッシュな、体育後の体操服。
「……小猫ちゃん……これは……間違いなくあなたの意志ですね?」
僕は体操服を胸元に抱きしめながら、感極まった声でそう尋ねた。
だが――
小猫ちゃんは、何も言わなかった。
返事すら、しない。
僕の方を一瞥することもなく、ただ視線を横に逸らしたまま――
「無」そのものの顔で羊羹をかじった。
その目は明らかにこう語っていた。
――“なんで生きてるの?”
“どうしてまだ呼吸してるの、この人”という冷たすぎる無言の刃が、突き刺さった。
それでも、僕は満面の笑みで拝み倒す。
「……その無言、僕には肯定に聞こえました……ありがとうございますッ!!」
僕は感極まり、そっと体操服を両手で捧げ持つ。
「これはもう、僕にとっての聖衣……!」
ゆっくりと、それを顔の前に持ってきて――
深く、長く、吸い込む。
スゥーーーーーーーーッッ!!
その瞬間。
布越しに、何かのラインが――浮かび上がった。
「………………」
形状が明確だ。
曲線と折れ目、そして……位置的に明らかに“そのあたり”。
「……おい、顔のラインが見えてるぞ……」
イッセーが絶句し、木場は目をそらした。
朱乃は笑顔のまま固まり、小猫ちゃんだけが目を細めていた。
部室の空気が、凍った。
「こ、これは……!記録されし……輪郭!形状データッ……!くっ、尊すぎてッ……!」
脳内でサイレンが鳴り響く中、僕は完全にトランス状態。
だが――
ドガァッ!!!
小猫のストレートが、完璧なフォームで僕の顔面にクリーンヒット。
頭がぶれ、視界がぐるんと回る。
「ぐふぅっ……ご褒美ですッ!!」
僕は血を吐くような歓喜の声を上げながら、床へ崩れ落ちた。
が――それで終わりではなかった。
スッ――という音と共に、小猫ちゃんの足が、構えに入った。
「……っ!?」
バシュゥッ!!
次の瞬間、踵落としが真上から僕の腹部に叩き込まれた。
ズンッ!!という鈍い音。
「おおおぉぉぉおおおぉぉぉ……ッ!!!!」
完全に床にめり込みながら、僕は満足げに叫ぶ。
「二発目ッ……それも、また……ご褒美です……!!」
「……」
小猫ちゃんはしばらく無言で僕を見下ろしていたが、
やがて、小さくため息をついた。
「……死ねばいいのに」
それは、怒りでも呆れでもなかった。
“完全な諦め”だった。
僕の存在自体が、地球のミスで生まれたバグのような扱いを受けている。
でも……それがまた、いいんだ。
「……小猫ちゃんに呆れられる人生、悪くない……」
うつ伏せで吐きそうになりながら、僕は幸せを噛みしめていた
その時だった。
ガチャリ――
重厚なドアが開く音と共に、部室の空気がふっと揺れた。
紅い髪が静かになびき、
ひときわ強い存在感が、何の前触れもなく立っていた。
リアス・グレモリー。
「……なにしてるの?」
その一言は、まるで日常の一部を切り取ったように軽やかだったが、
そこに込められた圧は尋常じゃなかった。
紅い瞳が、部室全体を静かに見渡す。
まず目に入ったのは――
床に沈んで、鼻血を垂らしながら倒れている僕だった。
……正確には、
体操服を顔に押し当てながら、深く、静かに呼吸をしている僕だった。
「……スゥー……フゥー……小猫ちゃんの……青春の、香り……」
倒れながらも、嗅ぐ。
嗅ぎながらも、倒れてる。
一切の矛盾がない、理想の変態スタイルがそこにあった。
リアス先輩の足が止まる。
「……これ、どういう状況かしら?」
紅い瞳が一瞬だけ細くなる。
そこに浮かんでいたのは、驚きでも怒りでもなかった。
ただ――
慣れきった呆れと、ほんの少しの「またか」の疲労感だった。
「スゥー……フゥー……脇のライン……匂いが深い……」
イッセーと木場は、条件反射で背筋を正して直立。
「お、お疲れさまです部長ッ……!」
「おかえりなさいませ、リアス部長」
朱乃はというと――
変わらず優雅な笑みをたたえ、まるでティータイムでも楽しんでいるかのように微笑んだ。
「お帰りなさいませ、部長。ちょっとした……ふふ、“道徳的指導”の一環でして」
「“道徳的”? どのへんが?」
「変態にも、限度を教えてあげないといけませんもの♪」
リアスは軽く目を伏せ、小さく息を吐く。
「……小猫?」
リアス先輩の視線がソファに向く。
そこには羊羹を黙々と食べ続ける小猫ちゃんの姿があった。
彼女はまるで「もう見えてすらいないもの」として僕を扱っていた。
無。
その一言で済むレベルの無表情。
「……ああ、はい。じゃあ深くは聞かないわ」
リアスは静かにソファへ腰を下ろしながら、
まるで“自然災害と同居してる住民”のような諦めを滲ませていた。
場が、ようやく静けさを取り戻したその瞬間だった。
ピッ――
部室に、微かで鋭い電子音が響く。
朱乃の耳元に仕込まれた通信用の小型の魔方陣が、展開する。
彼女の笑顔が、すっと消えた。
微笑みの仮面を剥ぎ取るように、
朱乃は一瞬で“副部長”の顔に戻る。
立ち上がると、リアスに向かって静かに告げた。
「……部長。今、上層――大公からの直通で、連絡が入りました」
リアスの顔も、スッと無表情になる。
「……内容は?」
朱乃は一拍、呼吸を整えてから言った。
「この町に、“はぐれ悪魔”が確認されたそうですわ」
その瞬間――
部室に漂っていた温もりが、ふっと、消えた。
ほんの一瞬で、空気が変わる。
寒くなったわけではない。
だが、肌が粟立つような圧が、空間全体を覆った。
――その時、部室の空気が一変した。
全員の視線と意識が、“はぐれ悪魔”という言葉に集中する中――
僕だけが、一人、静かに顔をしかめていた。
顔には、まだ小猫ちゃんの体操服が押し当てられていたが、
香りを楽しむどころではなかった。
(……はぁ……また裸の女とか出てくるんじゃないだろうな……)
思わず、ため息が漏れる。
昨日の惨劇――堕天使の裸を見た瞬間、
胃がねじれ、魂ごと吐き出したあの忌まわしい記憶が蘇る。
僕の中では“女性の裸=死の引き金”という図式が完全に成立していた。
(頼む……布を……頼むから服を着ててくれ……下着だけでも……!)
他のメンバーが“戦い”を覚悟する中、
僕だけが“肌色の面積”に怯えていた。
そして――
日が沈み、町が闇に包まれはじめた頃。
グレモリー眷属のメンバー、そして“ついで”という名の存在、
僕――鈴木太郎は、町外れにある寂れた廃墟の前に立っていた。
古びたビルのコンクリは黒ずみ、
窓は割れ、風の吹かない夜なのに、
何かが内部から“息づいている”気配がする。
空気は、重い。
冷たいわけじゃない。
でも、皮膚の下を這うような、不快な粘り気のある気配。
僕はそっと、制服のポケットに忍ばせた“体操服”を握りしめた。
(……はぁ、どうして僕までこんなとこに……)
一誠は気合い十分。
木場はすでに剣を構え、研ぎ澄まされた雰囲気。
朱乃先輩の笑顔も、いつになく静かに冷たい。
リアス先輩は完全に“主”の顔だ。
そして――小猫ちゃんは、僕を一瞬チラリと見たかと思えば、すぐに視線を逸らした。
いつも通りの冷淡で無慈悲な対応。だが、それがいい。
僕が、気配に引かれるようにして廃墟の入り口へ歩み出そうとした、その時――
「……禍々しい気配と、血の臭い……気をつけてね、お兄ちゃん」
天使の囁きのような声が、脳内に響いた。
子猫ちゃんの、優しい……いや、女神のような言葉。
完全なる幻聴。
全力の妄想。
でも、確かに“聞こえた”。
「も〜♡わかってるよ〜‼︎子猫ちゃ〜ん!」
全身で手を振ってみせる僕。
が、現実の小猫ちゃんは、完全スルー。
まるで空気を見るかのように、僕のことなどいなかったかのような表情で前を見ていた。
それがまた……いい。実にいい。
……と、そこで。
「……いい加減にしなさい、太郎」
リアス先輩が、静かに一言。
その瞳には、呆れと諦めと、
“お前は本当に変わらないわね”的な哀しみがあった。
「はぁーい……」
僕は素直に返事しつつ、
小猫ちゃんの体操服をそっとポケットに戻した。
リアスは静かに一つ咳払いし、
その紅い瞳で全員を見回すと、口を開いた。
「一誠、太郎。せっかくの機会だから、
“悪魔の戦い”と“駒の特性”について教えておくわね」
その声には、自然と人を従わせる圧があった。
紅髪の女王――まさにそんな雰囲気を纏っていた。
「特性……っすか?」
イッセーが眉をひそめながら問い返す。
リアス先輩はうなずき、
廃墟の分厚い鉄扉に手をかけると、ゆっくりと押し開けながら語り出す。
「前に話した“三大勢力戦争”――
悪魔・堕天使・神、三者による長く、血で染まった戦争ね」
扉の内側から吹いてくる冷気。
その向こうには、今まさに戦いが眠っている気配があった。
「どの勢力も勝者なくして終わったけれど、
悪魔は特に深刻な被害を受けた。
多くの軍団が壊滅し、爵位を持った大悪魔たちも部下をほとんど失ったわ。
特に“純血の悪魔”は、絶滅寸前だったの」
その声は静かでありながら、確かな痛みと誇りを含んでいた。
「……で、それを補うために、駒制度ってやつが?」
イッセーの問いに、リアスは一歩、廃墟の奥へと足を進めながら答える。
「ええ。私たち悪魔は、効率的に、そして少数で最大の力を発揮するために、
“人間界のチェス”を模したシステムを取り入れた」
「チェス……?」
僕は聞いた瞬間、
“エロゲで見た脱衣チェス”を思い出しかけたけど、
たぶんそれ言ったら怒られるので黙ってた。
「主(キング)を中心に、
女王(クイーン)、騎士(ナイト)、戦車(ルーク)、僧侶(ビショップ)、兵士(ポーン)――
それぞれの役職を与え、独自の特性と戦力を授ける」
「つまり、駒の種類ごとに能力が違うってことか?」
「その通り。ナイトは速度と機動力。ルークは防御と力。
ビショップは魔術特化。そしてクイーンは……全部の能力を兼ね備えた万能型」
(ちなみに僕は、小猫ちゃんの“すべての部位”を兼ね備えた万能ボディに夢中ですがね……)
「で、で……俺は何の駒なんですか!?」
イッセーが急に身を乗り出した。
だがリアス先輩は、チラリと彼に視線を投げたきり、何も言わなかった。
その沈黙を、破るように――
廃墟の奥――
どこからともなく、くぐもった笑い声が響いた。
「ふんふんふん……不味そうな臭いがする……
でも、甘そうな匂いも混じってる……苦いかな?生臭いかな?
あぁ……どんな味がするのか、ぜんぶ、ぜーんぶ、食べて確かめたいなぁ……」
その声には、不気味なまでの抑揚と、
何かが壊れてしまった“愉悦”が込められていた。
「……っ!」
リアス先輩の足が止まり、紅い髪がふわりと揺れる。
すっと姿勢を正し、声を張る。
「“はぐれ悪魔”バイザー。
貴女を――ここで消滅させる!」
扉の向こう、暗闇の中心に、異形の姿が浮かび上がった。
女の上半身は、肉感的で、妖しく光っていた。
肌は湿っていて艶めき、どこか生々しい。
だが――
下半身は、獣。
毛むくじゃらの脚、歪んだ骨格、
何より……腰から下の“もじゃり”具合が強烈だった。
両腕には、生き物のように脈打つ槍を持ち、
その目は完全に快楽と飢えに支配されていた。
(あ、これ無理なやつだ――)
僕の背中を、冷たい汗がつたう。
(ちょ、ちょっと待って……あれ裸だよね!?
いやいや、違う……そう見えるだけかも……!
照明のせい、そう、気のせ――)
その時だった。
視線がバイザーの爆乳にぶつかった。
ぷるん。
そこから一気に下がって、もじゃ。
もじゃ。
もっっっじゃああぁぁあああぁぁあ!!!
「り、リアスせんぱい……これ……ちょっと……bゲロロロロロロロロロロー!!」
吐いた。
本能が、拒絶した。
胃の中のものが時空を超えて飛び出した。
「こ……ねこ……ちゃ……ガクッ」
太郎、爆死。
顔面から地面に崩れ落ち、白目で昇天。
「……役立たず」
その様子を見た小猫ちゃんは、無表情のまま、心底どうでもよさそうに呟いた。
「部長!太郎は、“成熟した女性の裸”に……耐性がないんですッ!」
イッセーが苦しそうに眉をひそめ、泡を吹いて痙攣している僕を指差した。
「え……?」
リアス先輩が、振り返って僕を見る。
その紅い瞳に浮かんだのは、驚き……ではなかった。
ただ、「理解不能」って書いてあるような顔だった。
「……それ、本気で?」
「ええ、たぶん完全に本能で拒絶してる感じで……昨日も堕天使の裸で……ええ、即死しました」
「…………」
リアス先輩のまぶたが一ミリだけ重く閉じ、
「それで……どうしろと?」という感情が空気に溶け出す。
「……ああ、わかった。とりあえず置いていきましょう」
「雑っ!!?」
イッセーのツッコミが飛ぶが、リアスはもう前を見据えていた。
その視線の先――
“はぐれ悪魔”バイザーが、狂気じみた絶叫をあげた。
「こざかしいぃぃぃぃ! 小娘ごときがぁぁぁ!
その紅の髪のように、お前の身を……鮮血で染め上げてやるわぁぁぁぁ!!」
怒気に満ちた声が廃墟中に反響する中――
リアス先輩が、冷静に、しかし鋭く命じた。
「まずは……祐斗!」
「――はいっ」
その一言と共に、金髪の少年――木場祐斗が、
ふわりと風を巻き起こしながら――
一瞬で姿を消した。
「木場が……消えた!?」
思わず叫ぶイッセーの声を遮るように、リアス先輩が語る。
その声は静かで、どこか誇らしげだった。
「祐斗の駒は“ナイト”――騎士。
特性は、加速。常人の目では捉えられないほどのスピードを得るの。
さらに彼の主武器は剣――
その剣術は、達人級よ」
リアスの言葉が終わる前に、
バイザーの背後、空間が一瞬“ひずむ”ように揺れ――
木場が、そこに“出現”した。
その手には、抜かれた長剣。
無駄のない構え。空気が一瞬、凍る。
「――いただくよ」
閃。
音すら置き去りにする速度で、
木場の剣が、一直線に斬り抜けた。
斬撃の軌道には、細く蒸発するような風の残滓だけが残る。
そして――
バイザーの両腕が、
肩から“滑り落ちるように”、宙へ舞い上がった。
「ギギャアアアアアアアァァァッ!!!」
異形の叫びが、廃墟中に響き渡る。
全身をのたうち回し、地を叩きながら吠えるバイザー。
その足元――
いつの間にか、小さな影が滑り込んでいた。
静かに、淡々と。
まるで“そこにいるのが当然”かのように、小猫ちゃんは立っていた。
「小虫がああああああああぁぁぁッ!!」
怒り狂ったバイザーが、
獣のような声を上げて、
巨大な前足を振り上げる――そして、振り下ろす!
ズドォンッ!!
地面がめり込むような衝撃音。
建物の壁がビリッと鳴り、空気が震える。
「……潰れた!?」
イッセーが叫び、僕も思わず口元を押さえる。
(小猫ちゃんが……!?)
だが――
「……んっ」
土煙が晴れた瞬間、
そこには――
バイザーの脚を、両手で“持ち上げて”いる、小さな少女の姿があった。
その顔はいつもと変わらず、無表情。
だが、その瞳は――一切の迷いなく、まっすぐ前を見ていた。
「小猫の役割は“戦車”。」
リアス先輩の声が、静かに響く。
「特性は――シンプルにして最強。怪力と鉄壁の防御力。そのちっちゃな身体には、信じられないパワーが詰まってるの」
小猫ちゃんは、ぐっと地を踏み込む。
そのまま、沈んだバネが爆発するかのように――
「……吹っ飛べ」
言葉と同時に、小さな身体が跳ね上がり、拳がバイザーの腹部へと突き刺さる!
ボゴォッッッ!!
骨ごと内臓が揺れたような重低音。
その瞬間、バイザーの巨体が――
ドカァアアァァァンッ!!!
空を裂いて吹き飛び、遠くの瓦礫の山へと沈んだ。
「ギャアアアアアアアアアァァァ!!!」
凄まじい悲鳴と共に、破片が雨のように降り注ぐ。
「……ちょっと、格が違うでしょ?」
リアス先輩が微笑を浮かべて言った。
「最後に――朱乃、お願い」
リアスの声は、もはや勝利を確信している者のそれだった。
「はい、部長。あらあら……♥どうしようかしら♥」
朱乃が、静かに一歩を踏み出す。
その瞬間――
空気が、変わった。
まるで気圧が下がったかのように、ピリピリと肌を刺す魔力の波動が辺りを包む。
その歩みは、舞うように優雅で――だが、確実に死をもたらすものの接近だった。
「朱乃の駒は“クイーン”――女王。兵士、騎士、僧侶、戦車。すべての駒の特性を併せ持つ最強の存在よ」
リアスの解説に、イッセーがゴクリと唾を飲む。
「副部長が……最終兵器ってレベルじゃねぇ……」
僕も、体操服で鼻をかみながら震えていた。
(あの人、笑いながら人を焼き殺すタイプだ……)
朱乃は、指をひとつ掲げ――
「いきますわよ?」
その声と同時に――
バチンッ!!
魔力が弾け、空に奔る雷光!
ズガァァァァァァァァァァンッッ!!!
大地が震え、耳を裂く轟音と共に、雷がバイザーの身体を貫いた!
「ギギャアアアアアアアアアアアァァァッッ!!!」
地鳴りのような悲鳴と共に、焼け焦げた悪魔の身体がのたうち回る。
だが朱乃は、優雅な微笑みを崩さない。
「まだ動くなんて……ふふ、しぶとい子♥」
その瞳が――氷のように細く、鋭くなった。
「じゃあこれは……“お仕置き”ですわ」
指をひとつ、スッと天へ向ける。
瞬間――
ゴオオオオオォォッ!!!
空が割れ、天地を貫く超巨大雷光が――バイザーを直撃した。
バリィィィィィン!!!
爆風と熱風が吹き荒れ、焼け焦げた肉の匂いが漂いはじめる。
地面に倒れ伏し、焦げた煙を上げながらも――まだ、わずかにピクリと動くバイザー。
それを見て、朱乃はふう、と小さくため息を吐く。
「物足りないですけど……このあとは部長さんにお譲りしますわ♥」
言葉とは裏腹に、その背中からは、まだ“雷”の余熱が漂っていた。
静かに――まるで一礼するかのように、
リアス先輩が前へと歩み出た。
その足取りは、軽やかにして重い。
紅い髪が風にたなびき、足元の瓦礫を踏みしめる音すら、静寂に響く。
その先に――ボロボロになった“はぐれ悪魔”バイザーがいた。
肉は裂け、皮膚は黒く焦げ、翼はもはや原形を留めていない。
それでも彼女は、赤く濁った瞳でリアスを睨み返した。
「……殺せ……」
喉を焼かれ、声がひび割れてもなお――
その言葉にこもるのは、“悪”としての最後の誇りだった。
リアスはそれを見下ろし、静かに呟いた。
「そう。なら――」
右手を、ゆっくりと掲げる。
そこに収束するのは、真紅の魔力。
熱く、重く、そして――美しいほどに純粋な“破壊”の力。
紅の輝きが夜を照らし――
「――消し飛びなさい」
掌から放たれた魔力弾は、
空間すら歪ませながら――一直線に、バイザーの胸を貫いた。
ドォンッ!!!
爆音と共に、赤い閃光が周囲を白く焼き尽くし、
バイザーの身体は、その場に崩れることすら許されず――
灰となって、風に溶けた。
ただ、炎と煙だけがその場に残された。
こうして――
“はぐれ悪魔”バイザーは、塵となって歴史から姿を消した。
グレモリー眷属の、無駄ひとつない連携。
それはまさに、チェスの駒たちが女王の采配のもとに動く、悪魔の軍勢の威容だった。
その完璧な布陣の横――
地面に転がり、口元に泡をつけて動かぬ男が一人。
僕、鈴木太郎は、相変わらず意識不明だった。
もはや誰も、そこにツッコミを入れなかった。
“そこにあるもの”として、完全に処理されていた。
リアス先輩は、淡々と全体に声をかけた。
「……これで討伐は完了。みんな、お疲れさま。撤収するわよ」
リアス先輩の号令で、みんなが帰り支度を始める。
そんな中――
リアス先輩は軽く一つ息を吐き、視線だけで僕を指す。
「……それと、誰か太郎も回収しておいてちょうだい。
このまま置いてくと、また近所で変な噂が立つわ」
その一言に、場がわずかにどよめく。
「えー……また太郎っすか……」
イッセーが露骨にうんざりした顔で振り返る。
朱乃が微笑みながら手を合わせる。
「わたくし、今日は魔力を使いすぎてもう手が空いてませんわ~♥」
「俺は剣しか使えないんで……すいません」
木場が肩をすくめて、剣を鞘に納める。
リアスの視線が、残った一人に向かう。
「……小猫?」
「……」
小猫ちゃんは、無言で視線を上げ――やがて、極めて無感情に、太郎の足首を掴んだ。
そのまま、ズル……ズル……と、廃墟の外へ引きずり始める。
まるで濡れた雑巾を引きずるような音が響く中、
太郎の口からは、ほんのり甘い声が漏れた。
「……こね……こちゃ……ぁん……♥」
「……キモい」
小さな呟きが冷気のように突き刺さる中――
だが、その沈黙を破ったのはイッセーだった。
「……あの、部長。俺、さっき言いかけてたこと、ちゃんと聞いてもいいですか?」
イッセーがおずおずとリアスに問いかける。
「俺の……“駒”としての役割……なんなんでしょうか?」
リアスは少しだけ間を置き、静かに答えた。
「――兵士よ」
「………………」
しばらく、イッセーは固まっていた。
「……え?」
「だから、“ポーン”――兵士よ」
その瞬間、イッセーは盛大に崩れ落ちた。
「えええええええええええええ!?なんでだよぉぉぉぉぉ!!もっとこう、“ナイト”とか“ビショップ”とかあっただろ!?兵士って、チェスで一番弱いやつじゃん!!駒の中の駒じゃん!!」
「でもその分、成長の余地は一番大きいわ。進化することで他の駒になれる特性を持っているの。努力次第で、ね」
「え、進化あり!?それ早く言ってよぉぉぉぉ!」
「さあ、文句は歩きながらにして。もう帰るわよ」
リアス先輩の声に押され、グレモリー眷属はぞろぞろとその場を後にした。
――そして数時間後。
「……う、ん……」
僕は、部室のソファーの上でゆっくりと目を覚ました。
見慣れた天井が、ぼやけた視界に映る。
聞こえてくるのは、風の音と……自分の呼吸だけ。
「……あれ、ここ……部室?」
口の中がやたら乾いていて、喉が焼けるようにヒリつく。
無理もない。2日以上昏倒してたわけだから。
「……なんでこんなことに……ああ、そっか。裸の女……」
思い出してしまった瞬間――
胃がひゅっと縮んで、寒気が背中を這う。
「うぷっ……ッダメだ、あの“モジャ”はトラウマ……」
枕に顔を押し付けて呻きながら、僕は呟いた。
「……やっぱり僕が神になって“幼女だけのユートピア”を作るしかないな……
もう誰にも頼らない……誰もいない世界で、永遠に愛されたい……」
―――オイ、太郎。
頭の中に響くのは、“ぱっつぁん”の声。
―――時間そんなに経ってねぇぞ。15時間とちょっとだ。
「……十分経ってるわ!!」
―――ったく、昔はさ……
お前、あんな程度の女の裸じゃビクともしなかったのになぁ。
高校入ってから、急に弱くなったよな。
「……まあ、ね……」
一瞬、昔のことを思い出す――その瞬間。
「うっぷっ!!……ダメだ、吐き気が……!もうヤバい……!」
身体を丸めて震えながら、僕は――
「もういいや。エロゲやろ」
そう言って僕は――
両目を、万華鏡写輪眼に変化させた。
「――“神威(カムイ)”」
次の瞬間、空間が音もなく軋み、僕の眼球を中心に渦が巻き起こる。
世界が、歪む。
音も、熱も、常識すらも吸い込む、黒き虚空。
「出でよ……我が聖域の魂たち」
神威空間から引きずり出されたのは――
三面湾曲型ウルトラワイドモニター。
カスタムメイドのゲーミングチェア。
Cherry MX静音赤軸のフルサイズキーボードに、
手首を包み込む形状記憶フォームのパームレスト。
そして――
「はいはい出ておいで、僕の魂」
取り出されたPCタワーは、黒曜石のように光るマットフレームに包まれ、
内部にはRTX4090Ti Liquid Edition・水冷クーラー3層構成。
ファンレス設計+魔力循環型冷却ユニットで、どんな負荷にも完全無音対応。
メモリは256GB・DDR5超低遅延仕様。
SSDはNVMe Gen5 RAID構成・総容量10TB。
電源ユニットは変態専用1.5kWチタン認証モデル。
「君たちは、僕の変態ライフの生命線だよ……♥」
さらに――
椅子の下には、足元を温める自動調整型ヒーター。
ドリンクホルダーには常温保存可能な“栄養ドリンク for 深夜徘徊”。
机の上には、キャラクター別に並んだマウスパッド(おっぱい型・お尻型・ふともも型)。
「ここが僕の――聖域(セイクリッド・エリア)」
けれど、それだけでは終わらない。
僕は静かに、目を閉じて部室をぐるりと見渡した。
(……使ってない隅のあそこ、ちょうどいいな)
備品が雑に押し込まれた古い棚、折れた椅子、誰も使ってないキャビネット。
まるで“物置”扱いされていた部室の隅を、僕は静かに整理し始めた。
「まずは不要物撤去から……ヨイショ」
壊れた備品を次々と異空間へ“押し込む”ように片付け、
ホコリを払い、床を雑巾で磨き上げる。
「……うん、土台は良し」
次に取り出したのは――
神威空間に格納していた“僕の全て”
重厚なフルタワーPCケース。
各種モニターとスタンド。
ゲーミングチェアとケーブルボックス。
重厚なフルタワーPCを、部室の隅に静かに設置。
「ここにメインユニット……モニター三連、スタンドの角度は8度ずつズラして……」
「ケーブル配線は……よし、ここを通して結束バンドでまとめて……っと」
その手付きは、妙に慣れていた。誰がどう見ても“趣味の延長”では済まされないレベルの本気っぷり。
「さて、電源……」
僕はためらいなく、PCの電源ケーブルをぐいっと引っ張って――
普通に、部室の壁のコンセントにブスッと差した。
設置順は完璧。
机の角度、モニターの高さ、椅子との距離――全てが太郎の**“黄金比”で組まれた布陣**。
仕上げに――
カーテンをしっかりと閉じ、組み上げたモニター周囲には、遮音ボードを立てて音漏れゼロの個室空間を確保。
「よしよし……防音、遮光、空調、座面温度、全て異常なし」
「……そして、最後の一手」
僕は両目を一瞬だけ光らせて、神威空間にアクセス。
指を軽く鳴らすと、空間がざわりと震え――
取り出したのは、特大サイズの二次元エロポスター。
水着ロリ、スク水ツインテ、メイド、ゴスロリ、ランドセル……
カテゴリごとに厳選された“太郎選抜”のヒロインたちが描かれている。
「君たち……今日も、最高だよ……」
丁寧に、静かに、モニターの上の壁に一枚一枚貼り付けていく。
テープもズレなく、位置は目線にジャスト。
角度、傾き、光の当たり方まで完璧に調整。
「……ふふふ。これで“視覚”も……全方位、問題なし」
……そして、最後に。
「忘れちゃいけない、大事な“大気循環”だよね」
僕は椅子から立ち上がり――神威空間から、透明なアクリルケースとディスプレイスタンドを取り出した。
「――小猫ちゃんの、体操服」
それは朱乃先輩からもらった、尊き遺産。
体育後の汗の香りがほのかに染みついた、白と水色の軽やかな布。
僕はそれを、丁寧に畳み、アクリルケースの中に**“ふわっと空気が循環するように”**配置。
そして、ケースの横に小型のファンを設置。時折、“かすかに香りが漂う程度”に空気が撹拌されるよう調整する。
「これでいつでも――小猫ちゃんの余韻を感じられる」
そのケースは、PCの左手前――“左視野の隅にギリギリ映る位置”に配置された。
つまり、完全に“吸いながら操作”が可能な配置である。
「うん……視覚、聴覚、嗅覚、完璧にそろった」
太郎の顔に、邪悪かつ満足げな笑みが広がる。
そこはもう、完全に太郎だけの**“終末的二次元避難所”**と化していた。
僕はゆったりと椅子に座り、お気に入りのロリヒロインがタイトル画面で微笑むのを眺める。
ヘッドフォンを接続し、すべての外界と縁を切ったその瞬間――
ガチャ――。
部室の扉が静かに開いた。
リアス・グレモリー先輩は、軽やかな足取りで入ってきた――はずだった。
だが、次の瞬間、足が止まった。
「……え……なにこれ?」
かつて“オカルト研究部”と呼ばれた部室の一角。
そこはすでに、“異空間”と化していた。
ピンク色の間接照明。
三画面モニターに映るアニメヒロインの笑顔。
遮音ボードとゲーミングチェアで構成された“愛の祭壇”。
そして、静かに風を受けて香りを放つアクリルケースの中には――
「……小猫の、体操服……」
ほんのわずかに顔が引きつった。
そして、中央の椅子に座るのは――もちろん、太郎。
ヘッドホンをがっちり装着し、
夢見るような顔で“エロゲの世界”に全神経を飛ばしていた。
リアス先輩は、静かにため息をついた。
「……太郎? あのね、部室って“共有スペース”なの。わかる?」
返事はない。
ただ、ディスプレイの中のヒロインが「だぁいすき♥」と言って、太郎が親指を立てた。
「ねぇ、聞いてる? 少しくらい自重しなさい……はぁ……もういいわ」
頭を軽く押さえたあと、諦めの極致とも言える一言。
「この子ほんと……なんでうちに来たのかしら……」
そしてリアスは、そっと扉を閉めた。
その背中に――
「ボクノコトヲ シンジテ クレテ、アリガト……♥(CV:朝霧ういんど)」
と、太郎の“魂の選択肢ボイス”が流れていた。
その言葉が、部室にぽつんと残された空気に染み込む。
気づけば、窓の外はすっかり夜。
部室には誰もいなかった。
リアス先輩の紅い髪も、朱乃先輩の微笑みも、小猫ちゃんの無言の圧も――
何も、ここにはない。
あるのはただ、三面モニターの光と、エロゲの神BGMだけ。
「……ねぇ、ぱっつぁん……みんなどこ行ったの?」
心の中の相棒――“ぱっつぁん”が、静かに答えた。
―――知ってるさ。この街にいる“堕天使”を倒しに行ったんだってよ
「ふーん……そっか。大変だねぇ」
その返事は、驚くほど他人事だった。
むしろ、“少し安心している”ようにも聞こえた。
―――お前、他人事すぎねぇ? 堕天使って、お前の“同族”だろ
「いやいやいや!関係ない、関係ない。そもそもグリゴリには1年ちょっとぐらい戻ってないんだよ」
鼻で笑いながら、モニターのヒロインをクリックする。でもその時、少しだけ空気がざわめいた気がした。
けれど――
脳裏に浮かんだのは、
あの“おばさん堕天使”の姿だった。
――あの、もじゃっとした下半身。
――そして、僕の理性を破壊して気絶させた最悪の裸。
「……なんか……ムカついてきたな。僕が倒れたことになってるの、納得いかねぇ……!」
言いながら、拳を握りしめる。
そして、立ち上がる。
―――おいおいおい、まさか……
「うん、殺す」
太郎の声は、今までになく低かった。
その目は真っ直ぐに、“自分の戦場”を見据えていた。
僕は、エロゲ空間を一瞥し――
そっと電源を落とす。
「……小猫ちゃんの体操服、僕が帰るまで守っててね」
そう言い残して、部室の扉を開け、やっぱり名残惜しかったので、小猫ちゃんの体操着を二吸いして部屋を後にする。
夜風が吹き込む。
制服の裾がふわりと舞い上がる。
僕は深く息を吸い――
「いざ、正義の“変態”制裁タイムだ!!」
背中から、黒い四枚の翼を展開する。
ドンッ!!
爆風を巻き上げて、僕は夜空へと飛び立った。
夜の空を、僕は一人で飛んでいた。
「ふんふんふん……怒りが収まらない……」
背中に広がる堕天使の翼が、夜気を切り裂く。
この姿、傍から見ればカッコいいのかもしれないが――
「ムカつく!ムカつくんだよ!あのババァの裸のせいで気絶させられたのが!僕の尊厳が踏みにじられた!これはもはや殺意だよ!」
―――……恋じゃね?
「黙れぱっつぁん!!これは完全なる殺意だ!!」
思いついたように、僕はリアス先輩が言っていた“教会”へと向かい、夜空から静かに降下した。
「……あ〜、ここだここだ。雰囲気あるじゃん。って――うげっ、結界張ってんじゃん」
眼前の空間に、見えない壁のような“圧”を感じた。
空気の粒子が、うっすらと揺らいでいる。明らかに“人を拒むためのもの”だ。
「ふむふむ、中から張られてるタイプか。……つまり――」
僕は口元に指を添え、ニヤリと笑う。
「――万華鏡写輪眼、起動☆」
目元に“カチッ”と音が鳴った気がした。
瞳がぐるりと回転し、赤い紋様が浮かび上がる。
「神威、発動――」
空気の壁がゆがみ、ぐにゃりと捻じれるように裂けていく。
空間そのものを切断するようなタイプなら厄介だが、
こういう“結界の中に入れないだけ”系は……すり抜け可能。
「は〜い、おじゃましま〜す♪」
僕は足音もなく地面に着地し、
そのまま軽やかに結界を通過した。
結界の膜を越えた瞬間――空気が変わった。
重い。冷たい。淀んでいる。
建物全体に、“誰かの怒り”が染みついていた。
「――こりゃあ、派手にやらかした後って感じだね」
焦げた匂い。砕けた壁。魔力の燃えカス。
空間には、ついさっきまで戦闘があったことを物語る痕跡が色濃く残っていた。
僕はふらりと足を進めながら、目を細める。
「……ん?」
視界の端、崩れた柱の影――
そこに、黒い何かが転がっていた。
倒れていたのは――若い女の堕天使だった。
金色のツインテールが、地に広がるように乱れている。
漆黒の翼は片方が折れかけ、根元から血が滴っていた。
白黒のフリル付きの衣装は、戦闘で無残に裂かれ、
その表情には、怒りとも無念ともつかぬ苦痛が刻まれていた。
「……こりゃまた、盛大にやられたな」
僕は屈みこみ、その顔を覗き込む。
可愛い――けど、今はそれどころじゃない。
(……こいつ、見覚えないな。リアス先輩が言ってた“あのおばさん”とは違うっぽい)
そして、目元のラインと鋭さ。あれは間違いない。
この娘は、ミッテルト――堕天使の末端にいる実働メンバーのひとり。
「へぇ……お嬢さん、こんなとこで寝てると風邪ひくよ?」
返事はない。だが、目の端がほんのわずかに痙攣した。
(……生きてるな。気絶してるだけか)
僕は苦笑を浮かべて、彼女の額に指を軽く当てた。
「ちょっとだけ、聞きたいことがあるんだよね。
紫色の服を着た“おばさん堕天使”――そっちの上司っぽいの、知らない?」
沈黙。
だけど、次の瞬間――
ミッテルトの指がピクリと動き、
うっすらと目を開けた。
焦点は合っていない。だけど、僕を“敵”と認識したらしい。
「……にん、げん……のくせに……なぜ……ここに……」
かすれた声で、喉の奥から絞り出すように言ったその声には、もはや威圧感はない。
その目に映るのは――敗北の先にある、乾ききった無力感。
「はいはい、死にかけの決め台詞ごくろーさん。怖くないよー」
僕はしゃがんだまま、手をひらひら振りながら笑った。
そして――
「じゃあ、お勉強の時間だね」
背中から、“バシュンッ”と音を立てて――
黒き翼が、4枚、展開された。
夜の空気が一気にざわめき、周囲の闇すらもその輪郭をたわませる。
「ねぇ?見える?これが――“上下関係”ってやつだよ♪」
目の前のミッテルトが、ピクリと体を震わせた。
「……っ!?」
その瞬間、彼女の瞳に浮かんだのは、紛れもない“恐怖”だった。
ただの人間だと思っていた僕が、堕天使……それも、四枚羽の上位種だったという現実。
(う、嘘……この魔力、この翼……私より“格上”!?)
ミッテルトの喉がかすかに鳴った。
何かを飲み込むような、無言の絶望がそこにあった。
そのときだった――
「太郎先輩?」
「ふわああああぁぁぁぁぁぁッッッ!?!?!?」
爆音のように心臓が跳ね上がった。
背後から、今もっとも聞かれたくない声が降ってくる。
「こ、小猫ちゃん!? え、いつから!? 見てた!? いや、違う、これは誤解で――!」
あたふたと振り向くと、
そこにいたのは――
銀髪を揺らし、制服姿で静かにこちらを見つめる、小猫ちゃんだった。
「……遅いですよ。部長たち、先に行きました」
「うん!知ってる!ていうか、ちょっと!今、これは!その!」
パッと僕は翼をしまい、ピンと背筋を伸ばした。
「いやぁ〜、!軽くストレッチ的な!ほんのノリで、ねっ!」
小猫ちゃんは、しばらく無言のまま僕を見ていた。
その瞳に宿る光――それはいつも通りの、
どこか乾いた、“ゴミを見る視線”。
僕が何か言おうと口を開きかけたその瞬間――
「……気持ち悪いです」
その言葉は、ほぼ反射。
一切の感情もこもっていない。むしろ機械的ですらあった。
僕は硬直したまま、ただ笑った。
(だ、大丈夫……!今のは“いつもの視線”だ。うん、そう。
バレてない、バレてない。セーフ。これは“通常営業”だから……!)
――現実逃避、発動。
その間に、小猫ちゃんはしゃがみこみ、ボロボロになったミッテルトの腕を無言でつかんだ。
羽根は焦げ、服は裂け、瀕死の状態の堕天使。
だが、小猫ちゃんの視線に哀れみも慈悲もなかった。
ズルッ……ゴゴッ。
無言のまま、その体をズルズルと地面に引きずり、
教会の内部へと――淡々と、静かに――消えていった。
声をかけられることもなく、手を引かれることもなかった。
ましてや「一緒に来てください」なんて、期待するだけ愚かだった。
僕はただ、呆然とその背中を見送った。
(……あれ? なんか、俺……置いてかれてね?)
森の中で一人。
微かな風が葉を揺らす音だけが、静かに耳を撫でた。
緑に囲まれたその場所は――
不思議なほど、冷たく、しんと静まり返っていた。
「……ねぇ、ぱっつぁん」
―――なんだ?
「僕、なんでここに来たんだろ」
―――堕天使を殺しに来たんじゃね?
「……あっそっか。でもなんか、もう終わってたし……」
―――うん。お前、完全に“来るのが遅い主人公”だったな
「……バカみたいじゃん」
―――まあ、なんというか……お前、頑張ったよ。うん。お疲れ
「……うぅ……ぱっつぁん……わああああん!!リアルなんか滅んでしまえぇぇぇ!!」
森に響き渡る、変態の魂の叫び。
夜の帳の中、誰にも届かないその声は、
確かにこの世界に存在する“鈴木太郎”という生き物の証明だった。