DD世界だと思ったらリリなの世界でした。いや両方の世界が混ざり合った世界でした!! 作:バター犬
だから世界がきれいだった。
昼、だれも話さなかった。
だから心が揺れなかった。
夜、だれも気づかなかった。
だからわたしだけが神様だった。
今日、声をかけてきた子がいた。
だからその子の「目」をあげた。
これでまた、
ぜんぶが元通り。
だれもいなくて、
だれも知らなくて、
わたしだけが「しってる」。
……だから、さびしくない。
もうぜんぶ、神様の声で埋めたから。
――フレデリカより
グリゴリに帰還し、ベッドにダイブしてひと眠り。
朝の目覚めと共に、僕は昨日持ち帰った“あの剣”の正体について、アザゼルに問いかけてみた。
「この剣って……なんの剣かわかる?」
無造作に差し出したそれを見た瞬間、アザゼルの表情が凍りつく。
「お前……マジで見つけたのか、その剣!」
「ん?」
まるで幽霊でも見たかのような顔で、アザゼルは僕を凝視する。
目を丸くして、口を開いた。
「その剣は《フルンティング》――“返り血によって鍛え上げられていく”っていう、異常な魔剣だ。……まさか、あの冗談半分の任務で……本当に持ち帰ってくるとは……お前、化け物か?」
「え? あれ冗談だったの!? 僕、パジャマに半ズボンで行かされたんだけど!? ドラゴン出てきたし、すっげー大変だったんだぞ!」
「悪かったって、そんなキレんなよ! 今度、牛丼でも――」
「焼肉」
「……焼肉奢るから、機嫌直せって!」
しぶしぶ頷いてやると、僕はその剣――フルンティングを“神威”で異空間に封印。
とりあえず、登校の準備を整える。
「ああ、そうだ。海鳴市で“はぐれ悪魔”の目撃情報が出た。人間に見られる前に――お前が処理してくれ」
アザゼルの言葉に、僕は軽く片手を挙げて応じる。
「りょーかい」
冗談混じりの任務で魔剣を拾ってくる僕に頼むくらいだから、そこまで深刻な事態じゃない……はず。
そう自分に言い聞かせながら、転移魔法陣の中央へ足を進める。
「じゃ、行ってきまーす」
短く返して、転移魔法陣の光に身を委ねる。
さて……魔剣、はぐれ悪魔、そして焼肉。
今日は忙しくなりそうだ。
そう言って、転移魔法陣に足を踏み入れる。
淡い光が僕を包み込み、空間がねじれる感覚のあと――足元にざらついた感触が戻ってくる。
ワープ先は、学校の裏手にある資材倉庫の影。
人目につかないよう設定した専用ポイントだ。
「ふぅ……バレずにすんだな」
制服の埃を軽く払いながら、倉庫の扉をそっと開け、外の様子を確認する。
誰もいない。よし。
「じゃ、行きますかー……ってもう遅刻寸前じゃねーか!」
軽く走り出しながら、僕は学園の裏道を使って、こっそりと昇降口へ向かった。
教室に入ると、すでにヴァーリが席に突っ伏していた。
銀髪はいつものように完璧に整っているのに、態度は完全に“やる気ゼロ”。
……って、お前、いつも通りじゃねーか。
「ヴァーリ、今夜付き合ってくんない?」
冗談半分、でもちょっと本気でそう声をかけると――
「悪いが、俺は男に興味はない」
即答だった。間髪入れずに返してくるあたり、いつも通りの鋭さ。
「ちげーよ!そっちの意味じゃねぇからな!?」
「ふん、なら良い」
――良いんかい。
雑すぎる返答に思わず肩をすくめる。なんなんだコイツは。
そのタイミングでチャイムが鳴り、教師が入ってきた。
授業、スタート。
だけど、僕にとって授業=“睡眠時間”ってのは、もはや公式ルール。
昨日の魔剣回収任務で体力も削られてるし、ちょっと目を閉じ……
――目を開けたら、昼だった。
あれ? おっかしいな、瞬きしただけのはずなのに。
「鈴木!貴様また寝てたな!」
教師の声が雷のように響いた。
視線を横にずらすと、ヴァーリも器用に寝ていたらしい。しかも完璧な姿勢で。
……いや、オメーもかよ。
そのまま僕たち二人は、職員室行きの特別コースにご案内された。
延々と続いた職員室での説教――その時間、約三十分。
教師の怒声、無意味なプリント、反省文提出の約束と、地味に精神をすり減らすフルコンボだった。
ようやく解放されて教室の前に戻った時、僕は小さく息を吐く。
「……ふぅ。心が……死ぬかと思った」
「……」
隣を見ると、ヴァーリは無言。
まあ、あの説教中もずっと一点を見つめてたしな。あれは絶対、内容聞いてなかった顔だ。
僕がドアを開けると、教室の空気が一瞬ピリつく。
その原因はすぐにわかった。――待ち構えていたのだ。鬼の形相のアリサと、その隣に立つ優等生天使・すずかが。
「アンタたち、なにしてたのよ! 授業中ずーっと寝てたんでしょ!?」
「ほんとだよ、先生、すごく怒ってたよ……!」
アリサの怒気と、すずかのやんわりとした忠告。
そのコンビネーションは、鋭くも優しい“女子の正論”のフルコンボだ。
けど――
「僕、頭いいから大丈夫」
そう言ってヘラっと笑う僕に、アリサは信じられないものを見る目を向けた。
そしてその間も、隣の銀髪の男――ヴァーリは、ずっと無言。
一切会話に加わらず、視線を合わせることすらしない。
アリサが声を荒げて振り返る。
「ちょっと、そっちの人も何か言いなさいよ!」
だが。
ヴァーリは立ち止まることもなく、すっと自席に向かって歩いていく。
まるで“自動ドアが閉まるのを待つ価値すらない”ようなスルーっぷりだ。
「え、なにあれ……」
すずかが思わず小さく呟く。
アリサの眉間には、見事なまでのしわが寄っていた。
「無視って……人としてどうなのよ!」
「うーん……あれはもう“人外”だからね」
僕がフォローになってないフォローを入れると、アリサがバッと振り返った。
「アンタまで開き直ってんじゃないわよ!!」
――これは地雷踏んだやつだな、と確信する。
「でも仕方ないって。あいつ、基本的に“興味ない相手”は人として認識しない主義なんだ」
「はぁ!?」
怒りで赤くなったアリサの顔が、なんかちょっとおもしろ……いや、やばいやばい。
と、そんなピリピリした空気の中、空気を変えたのは別の少女の声だった。
「ねぇ、アリサちゃん。この二人って、知り合いなの?」
ふわりとした優しい声が教室の空気をなでた。
振り返ると、そこに立っていたのは――
栗毛のツインテールを揺らす、一人の少女。高町なのは。
その声には、怒りも疑念もない。ただ純粋な好奇心と、さりげない優しさがにじんでいた。
「ん? ああ、そういえば……なのはは知らないのも無理ないわよね」
アリサが腕を組みながら、少し気を緩めて答える。
「フェイトはこの二人と一緒に転校してきたけど、あの日、なのはは学校休んでたもんね」
「そっか……なるほど」
なのははそう呟くと、ちらりと僕とヴァーリを見やった。
その視線には敵意も、探るような警戒もなかった。ただ、そこに“人がいる”ことを静かに認めるような――不思議な目だった。
ヴァーリは当然、そんな視線にも反応せず、無言のまま机に突っ伏している。
僕はちょっとだけ照れながら、口を開いた。
「どーも。鈴木太郎です。寝てたら職員室送りになった人です」
「……まったく、誇らしげに言うことじゃないわよ」
アリサの冷たいツッコミが、今日も教室に響き渡る。
僕は笑ってごまかしつつ、隣の席に荷物を置く。
「いやぁ、でもさ? 授業ってだいたい寝てた方が短く感じるよね?」
「それ、発言としてアウトだからね?」
すずかが苦笑混じりに返してくる。
「ていうか、さっきの説教、何言われてたの?」
「『君達のの人生はそれでいいのか』って」
「人生否定されたの!?」
アリサのツッコミが鋭い。だが心には刺さらない。もう慣れた。
ふと、窓の外を見やると、午後の陽射しが少しだけ柔らかくなっていた。
その光が教室に差し込んで、なのはの栗毛をきらきらと照らしている。
彼女は僕たちのやり取りを静かに見ていて、少し首を傾げた。
「……みんな、仲良いんだね」
「仲良いっていうか、アリサのツッコミがおもしろくなってきちゃって」
「そっちの方がすごい気がする……」
なのはが小さく笑った。その笑みは、どこかあたたかかった。
一方で――
「……」
ヴァーリは相変わらず、窓際で眠るように突っ伏したまま。
誰の会話にも反応せず、存在感だけを残している。
強者以外には無関心。そういうやつだとわかっていても、たまに“空気すら拒絶してる”気がする。
まあ、それも含めて“いつもの光景”だ。
そんな、賑やかなのにどこか静かな、日常の空気の中――
キーンコーンカーンコーン。
教室に響くチャイムの音が、五時間目の到来を告げる。
「……っしゃあ、寝るか!」
椅子にドスンと腰を落ち着けた僕は、まるでそれが“当然の選択”であるかのように腕を組み、目を閉じた。
さっきの説教でMP削られてるし、回復タイムは必要不可欠だ。
人には“眠る権利”ってものがあるんだよ、アリサちゃん。
と、次の瞬間。
バフッッ!
顔面にノートが直撃した。
「いったぁ!? なにすんのアリサちゃん!」
「何って、寝る気満々で宣言してんじゃないわよ!!」
アリサの怒声が響き渡る。
周囲のクラスメイトが一瞬引いたのを感じつつ、僕は頬を押さえて言い返す。
「せめて投げるならプリントにしてよ! ノートは物理が重いってば!」
「寝ようとしたことを反省しなさい!」
一方その横で、すずかは困ったように笑ってる。
「もう……太郎くんって、本当にマイペースなんだから」
「ほめられた!」
「怒られてるの!」
さらにその後ろ――ヴァーリはというと、机に突っ伏したままピクリとも動かない。
……あれ、寝てる? 本格的に寝てる?
さすが、説教で何も感じなかった男。
もしかしたら本気で“空間すら遮断してる”かもしれない。
この教室、カオスと化してきてるけど……まあ、それも今に始まったことじゃない。
むしろ、これが“いつもの日常”だ。ツッコミとスルーとマイペースの三拍子が揃ってるこの空間は、なんだかんだで落ち着く。
――で、そんな空気のまま、五時間目は淡々と進行していった。
先生の板書の音だけがカツカツと響き、クラスの空気も徐々に静かになる。
僕はというと、アリサの牽制の視線に耐えながら、眠気と格闘していた。
途中、ヴァーリが完璧な姿勢で静かに寝ているのを見て、内心ちょっと羨ましかったのはここだけの話だ。
特に盛り上がりもなく、ただ黒板に文字が増えていき、時間だけが流れていく。
でも、それが不思議と嫌じゃなかった。
――そして。
キーンコーンカーンコーン。
終業のチャイムが、少し重く教室に響いた。
カバンのチャックが開く音、椅子を引く音、ざわつき始めるクラスメイトたち。
放課後――“学生”という看板を外す時間が、始まった。
放課後。
「すまん、今日、用事思い出した」
それだけを残して、ヴァーリは教室の扉を淡々と開け、迷いのかけらもなく立ち去っていった。
躊躇い?
罪悪感?
そんなものは彼の中に存在しない。まるで“風が吹いたから帰る”みたいなノリだった。
足音すら響かせず、彼はあっという間に姿を消す。
「……え、マジで? いや、嘘でしょ?」
あまりにも自然なフェードアウトに、僕はしばし呆然と立ち尽くした。
「なあ、今の流れって、明らかに“一緒に悪魔退治行くやつ”のムーブじゃなかった? 任務同行フラグ立ってたよな? 俺の中だけで立ってた?」
返事はない。
もちろん誰も聞いていないし、彼はもうここにいない。
その背中はいつも通りの無関心さ全開で、誰に声をかけられることもなく、あっという間に視界から消えた。
「……おい待て。何それ、俺へのフラグ回避?」
返事はない。もういない。風のようにいなくなった。
「いや、普通こういうのってさ、バディと一緒に行動する流れじゃなかった? 二人で任務って感じじゃなかった?」
当然、誰も答えてくれない。
ということで、はぐれ悪魔の捜索任務、まさかのソロプレイ決定である。
「うわあ、フラグ回避されてソロルート突入する主人公みたいな気分……」
カバンを片手に、校門を出て歩き始める。
空は晴れていて、夕焼けがじわりと街を染めはじめていた。
「さて、はぐれ悪魔捜索ミッション、開幕……なんだけどさ」
――一時間経過。
「……ぜんっっっぜん見つかんねぇんだけど!?」
街中をウロウロしながら、魔力の気配を探しているけど、手応えゼロ。
誰も叫んでないし、悲鳴もないし、町並みは平和そのもの。
通りには買い物帰りのおばちゃん、コンビニでアイス買ってはしゃぐキッズ、部活帰りの高校生――
どこに“非日常”があるっていうんだよ!!
「なぁ、どこにいんだよ……はぐれ悪魔さんよぉ……。せめてちょっとぐらい悪魔っぽいことしてくれよ……! コンビニでうまい棒盗んだとか、スーパーで試食だけ食って帰ったとか、なんかあるだろ!」
あまりの空振りっぷりに、心が折れそうになる。
歩き疲れて足はだるいし、喉も渇いたし、なんか牛丼食って帰っていい気すらしてきた。
「……つーか、ヴァーリ、今頃風呂入ってるんじゃないか……?」
そんなことを思った時点で、僕のテンションはもう赤点レベルだった。
とりあえず、人気の少ない公園のベンチに座ってため息を吐く。
「もう、どこ行きゃいいんだよ……」
ため息をひとつ、ふたつ。
僕は渋々ポケットから、グリゴリ製の“魔力探知端末”を取り出した。
……正式名称はやたら長くて覚えてないけど、ようは“悪魔センサー”だ。
見た目はスマホ、機能は魔力探知特化。グリゴリの技術力はマジでバケモノ。
だが――
「……反応、ゼロ」
画面には“NOTHING”の文字が虚しく表示されていた。
「はいはい、お疲れ様っと……やる気、絶賛消滅中~」
見回してみても、怪しい気配は一切なし。
通りすがる人間はみんな平和そのもの。誰も襲われてないし、叫び声もなし。
「なんなら平和すぎて眠くなるレベルだな……」
テンションがダダ下がりのまま、僕は自販機の前に立ち止まり、買うつもりもないのにドリンクのラインナップを眺めてみる。
「炭酸かなぁ……それとも乳酸菌系……いや今はレモンティーな気分か……」
任務中とは思えない思考をしている自分に気づいて、苦笑いする。
「……しょうがない。最終手段、いくか」
僕は小さく息を吸って、心の中に呼びかけた。
「おーい、ぱっつぁん。聞こえるか~?」
頭の中にある“もう一人の僕”――というか、勝手に居座ってる謎の存在。
その名も“ぱっつぁん”。
『うっす、聞こえてるぞー。ってか遅いよ、太郎。30分くらい無駄に歩き回ってただけじゃん』
「うっさいな! こっちは真剣だったんだよ! で、どう思う? はぐれ悪魔、どこいそう?」
『ん~……直感だけど、廃墟とか、薄暗い工場跡っぽいとこじゃね?』
「めっちゃ適当な返答来たー!!」
『いやだって、お前も“雰囲気的に”そういうの期待してたろ?』
「……否定できないのが悔しい」
たしかに、廃工場とか廃病院とか、“いかにも”な場所に悪魔が出るのってお約束感ある。
というか、むしろそこ以外で出られても困る。
「……まあいいか。町の郊外にある、あの“廃工場跡”に行ってみるか」
そう口にした瞬間、ほんの少しだけ、背中に冷たいものが走った。
その場所は、地元ではちょっとした有名スポットだった。
正式名称も今はもう忘れられ、地図にも載っていない。
けれど、学生の間では“出る”と噂される曰くつきの心霊スポット――それが、あの廃工場。
「心霊スポットって……まさか、マジでそこに出てんのか?」
『いや、むしろそこにいなかったら逆におかしいって。そういう“定番”を大事にしてこそ悪魔ってもんよ』
「納得していいのかわかんねぇ理屈……」
だけど、確かに“らしい”場所ではある。
静かで、人気がなくて、陰鬱で、そして噂話だけが独り歩きしている――。
「行くなら今しかないか。夕暮れ時に心霊スポットに突撃って、RPG的には確定演出だしな」
自販機の前から離れ、スマホをポケットにしまいながら、僕は町の郊外――
曰くつきの心霊スポット、“廃工場跡”へと足を向けた。
舗装されていない砂利道を進み、誰もいない農道を抜けて……ようやく見えてくる、朽ちた鉄骨の塊。
かつて稼働していた気配などもう残っていない、朽ちた鋼鉄の墓場。
夕焼けの赤が錆びた外壁に映え、まるで血のようだった。
「うわぁ……来るんじゃなかったって気持ち、10割超えそう」
それでも、足を止めることはなかった。
鉄の扉を押し開け、ギィィ……という耳障りな金属音とともに、僕は中へと踏み込む。
内部は湿気を含んだ空気がよどみ、油と埃とサビのにおいが鼻をつく。
床には割れたガラス片、壁には誰が書いたかわからない赤い落書き、天井からは剥がれかけたパイプ。
そして――
「……っ」
ガタン。
機材の影で、何かが動いた。
反射的に目を向けると、そこから現れたのは――
醜悪な“何か”。
それは“悪魔”という単語では言い表せないほどの異形だった。
人型を歪ませたような骨格、張り裂けた皮膚の奥で脈打つ筋肉、無数の目が濁った光を放ち、よだれのような血が垂れ流れている。
腕は異様に長く、爪は鉄パイプのように尖っていた。
何より――
生理的嫌悪感が、脳を直撃する。
---うっわ、吐き気がする……!
『見てるこっちが具合悪くなるな。さっさと消してやれ!マジでこっちの精神にもダメージ入ってくる!』
心の中のぱっつぁんも、珍しく“ノリ”を忘れてドン引きしている。
その声を背に、僕は静かに前へ出る。
そして――
空間をねじ伏せ、封印された魔剣を引きずり出す。
バチバチと空気が軋み、空間に裂け目が走る。
そこから現れたのは、赤黒い刃をうねらせる一振りの魔剣――フルンティング。
まるで“狩りの時間”を察したかのように、刃先が震え、血を求めるように低く唸っている。
僕は無言でその柄を握り、ゆっくりと構えた。
「狩るか。サクッといこう」
「お前、堕天使か? でも、うまそうな匂いがするぞ……ケタケタケタケタ」
化け物が喉の奥から不快な笑い声を漏らしながら、こちらにじりじりとにじり寄ってくる。
その腐った肉のような口から垂れる唾液と、異様に伸びた舌が床を濡らしていた。
――キモッ!!
「しゃべんな、マジで口くせぇから!」
その瞬間、僕は床を蹴った。
視界が一気にブレる。
影のように滑り込むと同時に――両腕、両脚。
ズバン! シュバッ! シュバンッ!
一拍遅れて、肉が裂ける音。
悪魔の四肢が地に転がり、その体がグラリと傾いた。
そして。
「……はい、フィニッシュ」
僕は息を吸い、フルンティングを両手で構える。
赤黒く濡れた刃が、夕焼けの光を弾いて鈍く煌めく。
――ズバァン!!
スパァンッ!
真上から振り下ろされた一閃は、悪魔の頭部を綺麗に真っ二つに裂いた。
「ぎゃぁぁぁぁぁあああっ!!」
断末魔とともに、悪魔の体が崩れた。
グチャッ、と鈍い音を立てて崩れ落ちた肉塊は、徐々に泡立ちながら溶けていく。
まるで油まみれの臓物が溶け出したような――どろりとした液体だけを残して、形を失っていった。
床に広がるのは、赤黒く濁った汚泥のような体液。
血というには粘度が高く、油のように光を反射していた。
「……うわ、なにこれ。最悪……」
その汚れは、斬った瞬間に飛び散り、僕の制服の裾や頬にまで飛びついていた。
手の甲にも、ズボンにも、どろっとしたぬめりと生臭い匂いがべったり残っている。
まるで下水に顔面からダイブしたような、そんな不快感。
「……風呂、風呂……風呂確定案件だこれ……」
肩にフルンティングを担ぎながら、僕は心底うんざりした顔でため息を吐いた。
返り血で全身ぐっしょり。
制服のシャツは赤黒く染まり、ズボンの裾はべたついて重く、髪の先からは液体がポタポタと滴っていた。
「うぇぇ……マジで最悪。もう一刻も早く風呂入りたい……」
袖で顔を拭ってみるが、逆に臭いが広がっただけだった。
こんな状態で街を歩いたら、間違いなく通報される。
不審者ってレベルじゃねぇ。
「……よし、空から帰ろ」
そう判断した僕は、背中に意識を集中させ――
バサッ!
黒い翼を展開する。
風を巻き起こすように羽ばたきをひとつ。
「さっさと帰って、風呂! 飯! そして布団!!」
と、その時だった。
ギィ……キィ……
軋むような音が、工場の出入り口付近から微かに響いた。
一瞬、背中に冷たいものが走る。
「……誰か、入ってきた?」
気配は複数。
人間の足音だ。しかも、重いものを引きずっているような――そんな鈍い音も混じっていた。
思わず翼をすっとたたみ、僕は物陰に身を潜める。
薄暗い鉄骨の陰から、そっと様子を窺うと、
入り口の向こうから、男たちの影がゆっくりと侵入してくるのが見えた。
しかも、そのうちの二人は――何か、いや**“誰か”を担いでいた。**
「……は?」
思考が一瞬止まる。
ここは心霊スポット。一般人が来る場所じゃない。
ましてや、人を運んでくるなんて……まともな目的なわけがない。
今度は“悪魔退治”じゃない。“人間の事件”の臭いがした。
物陰から様子をうかがうと、廃工場の奥に運び込まれていたのは――
「……あー、アリサとすずかか」
制服姿のまま、二人とも手足を縛られ、男たちに囲まれていた。
正直、驚きはなかった。
驚く前に、どこかでこうなる気がしていた。
二人とも資産家らしいし。
「……ま、どうなろうと正直、僕には関係ないけど」
人の善意で動くほど、僕はできた人間じゃない。
育ての親はアザゼル。
情より効率、感情より冷静さ――そう教わって育った。
でも――
「……見ちゃったもんは仕方ないか」
見過ごせるほど、良心が完全に壊れてるわけでもない。
目の前で起きてることが、“クソみたいな犯罪”だってことぐらいはわかる。
会話を聞く限り、犯人たちは“誘拐犯”。
そして目的は――金と、すずかの“素性”。
「お願い……私のことはどうでもいいから、アリサちゃんだけでも逃がして……!」
「すずか!? 何言ってるのよ!」
必死の声。でも、男たちは――笑った。
「いい子だね。でもおじさん、悪い人だからさぁ~?」
ニヤニヤと笑いながら、男はすずかの頬を指先で撫でようとする。
すずかは顔をそむけ、必死に体をよじるが――縛られた手足では、抵抗などほとんど意味をなさなかった。
「やめて……っ、触らないで……!」
「……ボス、こいつらどうします?」
「好きにしろ。処理は任せる」
その瞬間、場の空気が変わった。
最悪だ。
無表情だった他の男たちが、一斉にニヤつき出す。
目が濁っていた。理性の光がない。
まるで“物”を見る目で、少女たちを品定めし始めた。
「やっぱこっちの金髪の方が気が強そうで興奮するよなぁ」
「この黒髪の方もなかなか……見た目に似合わず、いい声で鳴きそうだぜ」
「な、なんなのよアンタたち……っ!」
アリサは縛られたままもがき、必死に睨み返す。
けれど、怒りも恐怖も、言葉も拳も――今の彼女たちには、武器にならなかった。
すずかは歯を食いしばりながら、アリサの前ににじるように身を寄せる。
「お願い、アリサちゃんだけは……っ! 私のことはどうでもいいからっ!」
「すずか!? なに言ってるのよ!」
アリサの声が裏返る。
すずかの“覚悟”が伝わってしまったからだ。
「ダメよ……っ、アンタが……私を助けようとしないで……!」
だが、男たちは止まらない。
すずかのリボンが破かれた音が、耳の奥に張り付いていた。
ビリッ。
小さな音だった。けれど、その音には明確な意味があった。
それは“儀式の始まり”を告げる合図。
男たちの目の光が変わり、下卑た笑いが唇に浮かぶ。
「……はは、やわらかそ……」
一人の男が、すずかの制服の胸元に指をかけた。
ゆっくりと、いやらしく、わざとらしいほど丁寧に――布地をずらす。
その手付きには、迷いも、ためらいも、罪悪感も、存在しなかった。
「ほぉら……すぐ終わるって……な?」
すずかの顔が、恐怖に引きつる。
視線は虚ろに震え、身体を必死に捩るが――縛られた四肢は冷たく、残酷なまでに無力だった。
「やだっ……やめて、お願い……っ!」
彼女の細い声が喉の奥からかすかに漏れる。
涙が目尻に滲み、あごを震わせながら抵抗するすずかの身体に、男の指先が這うように滑っていく。
制服のボタンが――プツッ、と外れた。
白い肌が、ぬるりとした空気にさらされる。
工場の埃まみれの空気が、肌の上を這い、すずかの背筋がびくんと跳ねた。
「……っひ……」
その一瞬の反応に、男たちは歪んだ笑みを深める。
「おっ、びくってなったぞ。やっぱこっち、上玉じゃねぇか?」
「声もカワイイな。鳴き声、楽しみだぜ……」
「ちょっとだけだから……な? 怖くないよ」
指先が、もう一段深く――触れる寸前にまで迫った、その時だった。
「すずかぁあああ!! やめろっ、やめなさいよおおお!!」
アリサの絶叫が、工場内に響く。
だが、それすらも**“BGM”のようにしか感じていない**のか、男たちはまるで耳を貸さない。
すずかの口は縛られていない。
だけど、声が出ない――喉が、震えても音にならない。
その場の空気はもう、“普通の恐怖”ではなかった。
すずか自身が、この先にあるものを理解してしまったからだ。
一線が、もう目前だった。
だが――
その刹那。
空間が、切り裂かれた。
ズバァァッ!!!
返り血が宙を舞い、男の身体が、まっぷたつに裂けた。
「……十分、証拠も理由も揃った」
僕は、立った。
感情じゃない。怒りでも、悲しみでもない。
ただ――状況を見て、“必要な介入”だと判断した。それだけのことだった。
「――アウトだ」
無言のまま、物陰から姿を現し、フルンティングを片手に歩み出す。
最初の男の首を、言葉すら告げずに一閃。
ズバァッ!
肉が裂け、骨が砕け――
血飛沫をまき散らしながら、男の首が宙を舞った。
「っと――よっ」
パシッ。
僕は空中でそれを片手キャッチ。
生温かい返り血が、ぬるっと手のひらを濡らす。
「うわ、重いな……脳みそ入ってるわ、ちゃんと」
振り向いて、すずかとアリサの前までスタスタ歩いていく。
「――ほら」
言いながら、その男の首をぶら下げて見せた。
「これ、人間の頭部です。新品です。ついさっきまで“いやらしいこと”言ってたやつです」
首を指でぷらぷら揺らす。
「ほらほら~。ぐろいよね? これが“悪いことするとこうなる”ってやつ。勉強になった?」
すずかは青ざめたまま硬直していて、アリサは目を逸らしながら涙を滲ませている。
「いや、見たくないのはわかるけど、ちゃんと見といた方がいいよ。
だってこれ、さっきすずかの制服に手ぇ伸ばしてたやつだもん」
頭部の口元を指でつまんで、ひょいと動かしながら、声を真似る。
「“ちょっとだけだから~♪ 怖くないよ~♪”……って、な!」
口調を変えずに、首を軽く放り投げる。
ドチャッ。
湿った音とともに、床に転がる血まみれの肉塊。
「ね、笑えない冗談でしょ?」
僕は軽く肩をすくめながら、血のついた手をパンパンと払った。
「さて、あと何人だっけ?」
フルンティングを肩に担ぎながら、残った男たちに視線を向ける。
「次。お前」
指を差した瞬間、男たちの顔から血の気が引いていた。
「ぎゃっ――!?」
何が起きたかも理解できず、男たちが慌てて振り向く。
一人、二人。
反射で逃げようとした奴らの背を、容赦なく切り裂いていく。
ズバァンッ!!
血が噴き出し、他の男たちが一斉に振り返る。
「て、テメェ! どこから現れやがった!?」
一人が懐から拳銃を抜くが――遅い。
フルンティングの刃で弾丸を弾き、そのまま一閃。
ズシャッ!
その首は、あっけなく宙を舞った。
そして、残りの男たちを**“処理”するように**次々と斬っていく。
叫び、逃げようとする背を、背後から迷いなく両断していく。
全員の血で、フルンティングはより深く、より黒く染まっていった。
男の一人が、半狂乱になって叫ぶ。
「お前は、こんな化け物を庇うのか!? 知らねえのか、こいつは“夜の一族”――吸血鬼なんだぞッ!!」
僕はそれに、静かに答えた。
「……いや、興味ないし」
ズブリ。
血しぶきがすずかの頬をかすめ、アリサの目に映るのは――
“人間を処理する機械”のような僕の姿。
「お前ら、すずかを狙った理由――まあ、どうでもいいけど」
「て、てめぇ何者――!」
「静かにしろ」
ズブリッ。
最後の男の心臓を貫いた刃が、嫌な音を立てて抜けた。
静寂が戻る。
返り血が床にポタポタと落ちる音だけが、空間を支配していた。
「すずかは……夜の一族、吸血鬼か何かかな?あとはなるほどね。金目当てってわけだ」
僕は彼女に視線を向けた。
怯えたような、けれど何かを見透かすような目。
でも、気にしない。
「まあ、いいや。助けたし、帰ろ」
僕は返り血まみれのまま、フルンティングを異空間にしまい込もうとして――やめた。
まだ、やることがひとつ残っていた。
「……ロープ、か」
返り血を吸ったままのフルンティングを、もう一度取り出す。
その姿はもはや“剣”というより、何かを喰らう獣のようだった。
僕は無言でアリサの後ろに回り、刃先をすっと縄に添える。
彼女が怯えたように肩を震わせた瞬間――
スッ。
刃が繊維を断ち切り、手首を縛っていたロープがほどけて床に落ちる。
続いてすずか。
彼女もまた微かに身を強張らせていたが、僕は同じように、無言で解放してやる。
ふたりとも、僕のことを“何か”のように見ていた。
怯え、混乱し、言葉も出せない――そんな表情。
……ふと、僕は思いついた。
「――あ、そうだ」
くるりとふたりの前に回り込み、
血に染まったままの顔に、“にこっ”と笑顔を貼り付けた。
「今のこと――このことは、誰にも言っちゃダメだよ?」
ふたりの肩が、ビクリと揺れる。
「信じてるからね」
まるで冗談みたいに。
まるで仲のいい友達に秘密を打ち明けるみたいに。
でも、その笑顔には何の感情もなかった。
ただの“静かな命令”。
言葉の最後に、僕は親指を自分の唇に当てて、もう一度だけ――
にこっ。
そして、フルンティングをスッと異空間にしまい、背を向けた。
「じゃ、おつかれ」
少女たちが何も言えないまま、僕はその場を後にした。
返り血が滴る足音だけが、廃工場に残されていた。
考えていたのは、たったひとつ。
――風呂、入りてぇ。
◆アリサ・バニングスside
血の匂いが、まだ鼻の奥にこびりついている。
工場の空気は、生臭くて、重たくて――
だけど、それよりも何よりも、頭の中から離れないのは。
あの笑顔。
「……誰にも言っちゃだめだよ? 信じてるからね」
にこっと笑いながら、返り血まみれの顔でそう言った太郎の姿。
言葉は優しかった。
でも――あんな笑顔、初めて見た。
“命を奪ったあと”に、人はあんな顔をして笑えるんだって思った。
「……助けてくれた、んだよね?」
隣にいたすずかが、ポツリと呟いた。
「うん……そうだと思う」
「でも……こわかった」
アリサは頷けなかった。
助かった。事実としてはそう。
けれど、あの空間にいた太郎は――“人間”じゃなかった気がする。
いや、もしかしたら自分たちが“同じ種族じゃない”ってことを、あの笑顔で教えられたのかもしれない。
彼の笑顔は、優しくて、壊れていて、そして――命令だった。
「誰にも言っちゃだめだよ」
あれは約束じゃなかった。
契約だった。
“この世界の一線を越えてしまった者たち”への、黙示。
背中が、まだ震えている。
助かったのに、涙が出なかった。
怖すぎて、泣くことさえできなかった。
◆月村すずかside
口の中が、ずっと鉄の味だった。
手首に残るロープの跡。
そして、目の前で人が死んでいく瞬間――そのどれよりも、強烈に焼き付いていたのは。
あの少年の、笑顔。
――信じてるからね。
怖くて、怖くてたまらなかった。
でも、不思議とその言葉には、ほんの少しだけ温度があった気がした。
血まみれで、刃を持っていて、何人も殺していたのに。
「……ありがとう」
すずかは、小さく呟いた。
誰に向けた言葉かも、自分でもわからないまま。
けれど確かに、あのとき彼が現れなければ――
自分も、アリサも、もうここにはいなかった。
その事実だけは、どうしようもなく現実だった。
「……でも、あの人、きっと人間じゃない」
心の奥で、そう思った。