アルコール・ヴィショップ   作:ミトコンドリアン

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どーもこんにちは、ミトコンドリアンです。
いつのまにかお気に入りが103件まで増えてました!マジ感謝!!!!

待たせてすみません、他の小説だとか私生活で忙しくて。しかしまあぼちぼち進めますわよ。

さて、今回はみなさん待望()の裏切りメガネ回です!
では、どうぞ!


ポスターに棲んだ過去/裏切りと“禁断症状”

 

「なあ、煙草分けてくれないか?」

「……今回だけだ」

 

 ぶっきらぼうな良秀の手からそれを受け取って、火をつけ、力尽きた男の胸元に放った。弔いのために焚くにしては些か香ばしすぎるが、それはグレゴールにとっては…なんとなく、最期の気遣いであり、気まぐれでもあるのやもしれない。

 

「…この人たちお知り合いだったんれすか?」

「うんにゃ、コイツらが一方的に知ってるだけだ」

 

 掃討された旧G社の敗残兵達の死体を見下ろしながら、グレゴールにそう問うたのはフワンであった。グレゴールは煙草の煙を吐き出してから答え、一拍置いてまた口を開いた。

 

「上でも言ったが…昔はポスターとか、チラシなんかにも棲んでたことがあってね」

「………その、おかねなかったんですか…?」

「…………………………冗談が本当に通じてないパターンは初めてかもしれな…うおっ!」

 

 息の残っていた敗残兵が飛びかかってきたのを、グレゴールは驚きつつも的確に対処した。虫のように変異している頭に向かって右腕を振りかざすと、ぽーんと首が宙に飛び、てん、てんと転がっていった。

 

「フワンさん…たぶん、ポスターとかに載るくらい有名だったってことじゃないですかね?」

「………あー、なるほろれすね!よかった、寝る場所に困るくらいの貧乏さんとかじゃなかったんれすねえ」

 

 プロパガンダ。特定の思想・世論・意識・行動へ誘導する意図を持った行為のこと。この場合、グレゴールは旧G社のプロパガンダに利用されていたことになる。グレゴールは大きな変異が片腕だけであり、顔が綺麗に形を保っていた。ポスターに載せて広告塔にするにはうってつけだろう。

 

 フワンの反応に戸惑っていたグレゴールを見かねて、シンクレアがフワンに話しかけた。少し気の毒そうだったフワンはそれを聞いて、疑問が氷解しました!という笑みを浮かべる。そして納得したようにそう呟いたのだ。

 

「ハッ…なんだ、おチビさんは俺のことなんだと思ってたんだよ?」

 

 そんな様子に呆れを通り越して笑いが出てきたグレゴールは、眉間に皺を寄せながらも、いっそ茶化してやろうというようにそう言った。それを聞いたフワンはへにゃりと笑みを浮かべて言い放つ。

 

「いえ、なにかその…都市の技術で人間になった虫さんだったんかなァ、と」

「虫………………さん……………?」

「フ、フワンさんちょっとそれは…!」

 

 思わず煙草を落としたグレゴールに、配慮のかけらもないフワンの言動に焦りを覚えるシンクレア。他の面々も、一部を除いてはおしなべてフワンの言動を良く思わなかったようだ。

 

「…フワン君。都市に於ては、是等の技術は私が知る限りに於いて存せず」

「あ、そうなんだ。こう…動物を人間に変えれるふしぎな道具があるのかなあって思ってやした」

「…飲み過ぎで脳みそ縮んでんじゃねえの?」

 

 あまりに戯けた言動のせいで、けらけら笑いながら指を振りメルヘンチックな推測を口に出したフワンの細められた目を直視できないイサン。ヒースクリフは手持ち無沙汰で、バットを手首だけでゆるく回しながらそう吐き捨てた。

 

「だってそうれしょ?人間が戦争するよりも、虫さんに代わりにやってもらった方がずっといいじゃないれすか」

「残念なことだがね…戦争じゃ虫も人間も、命の価値は変わりゃしないさ」

 

 メガネのズレを直しながらため息混じりに吐き出した言葉にウーティスも頷いた。立場は違えど、戦争を経験した者の中には、反戦を叫ぶ若者が鬱陶しく感じる者もいる。グレゴールもウーティスも、ああ、こいつは何も知らないお子様なのだ、とフワンの印象を確定した。消えない酒香を纏っているからといって、こいつは所詮ただのガキなのだと。軽くあしらって先へ進もうと思っていた。

 

「…よかった」

〈え?〉

 

 時計の針の音が静まり切った空間に響いた。その後の方向に向かってフワンは続ける。

 

「だって…人と人と同士で喧嘩するのはわかりやす。道理が通ってて、理不尽じゃない。人同士に何か理由があって、それで人が死ぬなら…ああよかった。都市っていいとこなんれすねえ…」

「…文脈が通ってないんじゃないか?」

「あ・さ・く・ふ*1

 

 両手を祈るように組んで身体の前に下ろしたフワンは、ぶつぶつと、要領を得ない戯言を呟き続けている。しかし、それは心底安心したというような口調であった。あまりに素っ頓狂な言葉に思わずグレゴールが呟き、良秀も煙草の煙を吐き出した。

 

「まず、都市には人間以外の知的生物は入れないんですから…虫から人になる技術があったとして許されるのかって、考えたらわかりません?」

「………あ〜、そういやそうでしたね」

「酒浸りだからわからないんですよ。…それか、身近に言葉を喋る人以外の化け物でもいたんですか?」

 

 イシュメールにも奇異なものを見る視線を向けられたフワンは、その言葉にああ納得、と、こてんと頷いた。その様子にさらに侮蔑の感情を深めたイシュメールが眉間に皺を寄せて呟き…

 

「……ふへ…」

 

 聞こえていたのかそうでないのか…グラグラ揺れる据わらぬ首で、軽薄な笑みを浮かべ続けるのだった。

 

ーーーーー

 

 微妙な空気の中、一行は歩みを進める。敗残兵の姿も見えなくなり、いやに静かな通路に差し掛かって…一行は眼前にあるものを捉えた。

 

「…ああ、ここにも遺体がたくさん」

「あ、全て私た…いえ、L社の職員です」

 

 フワンの言葉にユーリが続けた。その通りに、通路にはいくつもの死体が転がっている。その一つの側にフワンが跪き、うつ伏せに倒れていたそれを仰向けに起こしてやると、やはりL社の社員証が胸にかけられていた。

 

「ふぅむ…鈍器で打倒さるる痕跡よ。皆等しく然ななる」

〈死体が多すぎるな…〉

「逃げようとして、それか何かを鎮圧しようとして返り討ちに…どんな幻想体が脱走すればこんな風に?」

 

 フワンが見ていた死体のそばにかがんでいたイシュメールが、そのままの姿勢でユーリの方へ問いかけた。しかし、ユーリは不安そうな顔で俯き、答える。

 

「こんな傷を残す幻想体に心当たりは…ない、ですね」

「ハッ、ここまで役立たずなのか?お前は…大して期待もせずに雇ったお荷物みたいな人だとしても、ここまでとは思ってなかったよ」

〈……………〉

 

 露悪的な態度を隠さなくなってきたホプキンス。嫌な空気に時計の針の音がこだまして…またもやフワンが口を開く。

 

「幻想体じゃないとしましょ。あの兵隊さん達もたぶん違う…大罪か、若しくは……………お?」

 

 憶測を並べながら考えを巡らせていたフワンが、ふと首を傾げた。通路の先を見て…口と鼻を制服の袖で押さえた。

 

「フワンさん?……待ってください。なんですかこの匂いは」

 

 その様子に近くにいたイシュメールがいち早く違和感を感じ…自らの嗅覚でもってその原因を理解した。彼女も袖で同じように手早く口を押さえる。その様子を周りの囚人も見ていて…フワンが徐に立ち上がる。

 

「…………ホプキンス」

「え?なんだよ」

 

 通路の先の暗闇をじっと見つめたまま…懐からスキットルを取り出し、ホプキンスを呼び捨てる。呑んだくれのガキに呼び捨てられたことに苛立ちを感じながらも彼は返事を返し…フワンは顔を通路の先へ向けたまま、ゆっくりと身体を横に向け、空いている右手を使い一行がやってきた方向を指差し…呂律が戻った口で囁くように言う。

 

「今…あなたがしようとしていることを、今すぐすると良い」

「………なんだ、気づくのか?どうやらてっぺんから爪先までバカではないらしい」

 

 ホプキンスはせせら笑うような笑みを浮かべると、腰に下げていたマスク…防毒マスクをつけた。眼鏡の奥の眼は一行を蔑むような光を内包している。

 

「ある一定の階層から毒物検出率が高くなるって噂を聞いたことがあったんです」

「あの〜…なんか耳から血が出てきたんだけど?これって大丈夫なやつ?」

 

 ホプキンスが言い放った内容を証明するかのように、ロージャが自らに起こった異変を訴える。見れば、囚人達やユーリも目や鼻から流血を始めていた。ダンテがそれを理解すると、囚人達だけに伝わる低い声で時計を鳴らす。

 

〈…なんで教えなかったんだ〉

「ハッ、カチカチいったって何も聞こえやしないよ。特異点並みの力があるくせに間抜けな時計頭だ」

「…なんでユーリさんにはそれが無いんだ?」

 

 グレゴールが耳から流血しながら、意地悪く笑うホプキンスの口元を震える左手人差し指で指した。ああ、なんだそんなことか、とでも言いたげにしながらホプキンスは答える。

 

「さっきも言っただろ?期待してもなかったのにさ…どうして、そんな高いものを使うって知らせる必要があったんだ?」

「………!」

「ショージキ、お前が事務所に上がり込めたのも驚きだよ…アヤには可愛がられてたみたいだけど、もう彼女は居ないしね」

 

 驚愕するユーリを嘲笑い、言葉を並べ立てるホプキンス。そんな態度はだれにだってよく思われないだろう。

 

「テ、メェ……そうまでして生きてぇのか……!!」

「え?フィクサーに卑怯も辣韮もないでしょ。何言ってんの」

 

 膝をつきながら怒りの形相で睨むヒースクリフにも、ホプキンスは怯まなかった。余裕そうに眼鏡を直し、ポケットいっぱいに詰め込んだ緑色のシリンダーを手で触りながら呟く。

 

「赤い視線様の手下だって言うからどんな奴らかなと……まさか、ロクな情報も道具も持たずやってくる、頭パッパラパーの…「……ホプキンス」……なんだよさっきから」

 

 ずっと同じ姿勢で居たフワンがまたもや口を開いた。ホプキンスは苛立ちを隠さずに返す。…フワンはすっかりまともな呂律で続ける。

 

「御託は宜しい…さっさとやりなさい。貴方が、今、やろうとしていることを」

「フワンどにょ…にゃにを…ごぼっ…ふ…」

 

 べしゃ、と地に倒れるドンキホーテ。全身の穴という穴から血を流し絶命した同僚を見下ろしながら、フワンは続ける。

 

「だが…他者を裏切るような者はのろわれます。その人はむしろ…生まれぬ方がよかったのです」

「何をぶつぶつと…まあいい、そんなに裏切って欲しいならお望み通りにっ、と!」

 

 毒ガスで動きの鈍った一行では追いつかないだろうと判断したのか、踵を返しゆっくりと歩き始めるホプキンス。一部の囚人達は彼の背中を怒りのこもった眼で見つめるが…フワンはその中に入らない。

 

 ゆらり、とフワンが姿勢を変える。半身でホプキンスの方を向き、左手に握ったスキットルを両手に握り、ゆっくりと頭上に掲げ…左足と共に、体の中心に引き戻す。

 

「ふ、ふふふ…エンケファリンがたくさん、これだけあればもっと上に…!!!」

 

 そのままぶつぶつ独り言を言うホプキンスの方へ左足を伸ばし、右手を離して構え、未だ酒のたっぷり入ったスキットルを握る左手を大きく振りかぶり、ぐわっ、と身体を一気に捻って…!!

 

「バカどもで助かっ、ごっ……!?

 

 鈍い音と共に、完全に背を向けていたホプキンスがうつ伏せに倒れた。がろん、と音を立てて地面にスキットルが落ちる。フワンは右脚を前に完全に出した、スキットルの()を投げ放った姿勢からゆっくりと立ち直り、ふらふらと、倒れたホプキンスの方へ歩み寄る。

 

「い、いだ……くそッ何が…ッ!?」

 

 ホプキンスが後頭部を押さえながら仰向けに姿勢を直し、身体を少し起こしてダンテ一行の方を見れば…地面に落ちたスキットルを拾いながらじっとこちらを見つめているフワンの姿があった。フワンは倒れたままのホプキンスに近づき、体の上に跨ぐようにしてマウントポジションをとって、ホプキンスの顔に手を伸ばす。

 

「ハッ、マスクを取ろうったってガキの力でなんk「なぜ貴方はわれわれを悩ませたのか。主は、きょう、貴方を悩まされるであろう…ッ!」ゔぁ…っ!!」

 

 抵抗しようと手を伸ばすホプキンスの額に向かって…フワンは両手にしかと握ったスキットルの底面を強かに打ちつけた。

 

「何を、ゔっ、やめ、ゔっ、そん、ゔぁっ、ひきょ、ああ゛っ…!!」

 

 眼鏡が割れて、ホプキンスの顔の肉に細かな破片が食い込んでも、フワンはスキットルの底面で顔面を打つ、打つ、打つ、打つ、打つ。

 

「ゔ、ぶぇあ…ああ…っ!!」

 

 額の痛みに怯んだホプキンスから防毒マスクを剥ぎ取り、フワンはそれを一行の方に放った。まだ耐えることができていたムルソーの近くへとたまたま飛んできたそれを、ムルソーはすぐさま拾って装着する。

 

「ぐ、ぐぞ…わ、わがっだ!マスクぐらいくれてや、ごびゃっ!?」

 

 マスクを剥ぎ取られたことで顕になった鼻筋にスキットルを振り下ろす。鼻が折れ、ガスのせいなのか殴打のせいなのか分からない血が噴き出した。ぐにゃぐにゃにひしゃげてしまった眼鏡のフレームをぺい、と取り払い…更に両手を振り上げた。

 

 がつ、がつ、がつ、がつ、がつ。ホプキンスの視界の上端で、真っ赤な飛沫と共に衝撃がはじけていく。彼は血液が目の中に流れ込んでくるのを感じていたが、次第にそれもわからなくなった。

 

 裏切り者の頭に向かって、スキットルの底面で打つ、打つ、打つ、打つ、打つ…………。その度にびくり、びくりと跳ねていたホプキンスの四肢も次第に動きを小さくしていき…そのうち、動かなくなった。

 

「………………ああ…お゛、ェ゛…ゴホッ…」

 

 その様子を、ホプキンスの胸の上に跨ったまま見ていたフワン。両手に握ったスキットルを見つめて、嗚咽を漏らし…こんこん、と咳き込んだ。黒い手袋にべっとり付いた血を見つめて、何か感慨に耽るような仕草をして…横に倒れ、動かなくなった。

 

 目鼻口から溢れた血潮と、からっぽの胃から出た固形物のないさらさらの吐瀉物が、床にささやかなシミを作っていた。

 

ーーーーー

 

 …夢を見ている。昔の()()の記憶を見ている。すぐにそう察せられたのは、それがつまるところ“クライマックス”だったからかもしれない。

 

人差し指は放送を聴く全ての住民に対し、伝令します。全ての路に面した全ての家で、玄関、裏口の戸を全て開け放ち、窓の外から外を見下ろしなさい。ただちに準備しなさい』

 

 けたたましい、音質の悪い放送が夜の闇に響いた。右手首に引っ張られながらおれははたと気がついた。そうだ、そうすれば良いのに今までどうしてそうしなかったのか。一人残らず起きてそうすれば、従順な()()()()()()()()がそうすれば、見逃すはずはないだろう。たった二人で夜を駆けている…いや。一人と、それに引かれる一人を見逃すはずは無い。

 

「ッ…!ジョージ!もっと走って…さあ!!」

『十数えたら、いっせいに。十、九……』

 

 辺り一体のすべてが立ち上がる気配を感じた。

 

「速く…君ならもっと速く走れるでしょう!!」

『八………七…………』

 

 何百というドアに、眠い目を擦る人々が向かう気配も。

 

「………やめて、もう、ペドロ、もう……」

「……………諦めるな!!」

『六…………』

 

 欠伸をしながら廊下を歩く振動。都市の、この区域の人々が、今僕たちを捕らえる網となる。蜘蛛の巣なのかもしれない。そこから助け出そうとしたものも捕らえてしまう…蜘蛛の巣に似ている。

 

『五………!』

 

 すべての人々の手がドアノブに掛かるのを察して、おれは脚を止めてしまった。しかし右手は引かれているから、それに身体を持っていかれた。地面にべしゃりと倒れ、着ていた外套も泥だらけになった。

 

「何をしてる!!逃げて…逃げて、私たちと共に来るんです!!」

「もう…もういい、もういいんだよ、ペドロ…」

 

 倒れたおれを抱き起こす人影。おれの手を引いていた影。…抱き起こされたそこは、川にかかる橋の上であった。

 

 それは横目に見てもわかるほどに濁り、降る雨の冷たい香りに同調するかのようにどうどうと音を立て流れていた。口の中に雨が入るのがわかる。走り続けたせいでからからに焼けて錆びついた喉に流れていく。目も、同じく乾いていた。………それは、もう()も枯れたからであった。

 

「君は…きみは()()()()()()()なんだぞ!!その責任を、我々の遺志を果たす責務を忘れたのか……!?」

「…………」

 

 目の前の彼がおれの肩をゆすり、叫んだ。それを推進力にすれば、かつてのおれならもう何百歩か走れただろう。最後の百歩をひとっ飛びに行けたのだろう。だけれども…おれの背中にあったのは()()()()の4文字だった。

 

「まさか………もう、君は…………君は…」

『四!三……!!』

 

 五百のドアのノブが回る。目の前の彼の顔が怒りに歪む。

 

「この……この、愚か者!ああ、そうだお前は愚か者だ!!不信心の呑んだくれ、背教者!!きみは、きみは壊されてしまった!!君は毒されてしまったんだ!!」

「………おねがい、ペドロ…」

 

 彼に抱かされた、堅牢な箱の中の()()は、彼の言葉に同意し、共鳴しておれを咎めるだろう。水に濡れても火に焼かれても、この中の聖書は傷つかない。

 

『二……一……!!!!』

 

 肩を握りしめ、橋の欄干におれを押し付ける彼の腕に手をかけた。手袋のない、生の左手。彼は恨めしそうにそれを見た。罪に塗れたおれの左手を。そしておれの目を見た。………彼には、悪魔のような目だと映るだろう。おれは彼を見据えた。怒りに、涙に濡れる彼の表情を見据えて…そして、言った。心の中にあった澱を、吐き出してしまった。

 

 彼の形相は…失望と怒りに歪んでしまった。

 

「ッ、……………貴様ァァァァァァア!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ゼロ』

 

 ドアが開いた。おそらくは、この辺りの皆が皆、街路を、路地裏を、あたりを見回しているのだろう。何を考えることもしない灰色の目が。言いなりの目が。でも、()にはそれが見えていない。

 

 身体が宙に浮いている。橋の欄干の向こう側に、目を見開く彼を見た。僕を恨む顔、さっきまでそうだった。でも今は…後悔が浮かんでいた。

 

 破裂音が響いた。彼の肩が左に揺れる。もう一度破裂音が響いた。彼が左に身を傾けた。血潮があふれたのが見えた。倒れゆく彼の命はもう消えてしまうのだと察せられて……

 

 つめたい濁流に身体を預けた。

 

『…ご協力、ありがとうございました。まもなく裏路地の夜が始まります。開け放った扉を全て閉め、眠りにつきましょう。皆様の人生に、ひいてはこの都市すべての人々に…幸在らんことを』

 

 水の中にまで聴こえるその無機質な音の元から、身体が急速に離れていくのを感じる。その時まさに、僕の心にあふれたものは…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 安堵と、後悔であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーー

 

 

「………………う゛?」

 

 背に感じる冷ややかな感触に、フワンは真に目を覚ました。ゆっくりと上体を起こすと、既に同じように蘇生されていたのか、他の囚人達が何かを囲んで見下ろしている。

 

「おい…こいつどうすんだ。つか何で持ってきたんだよ」

「フワンの服の金具とベルトが絡まっていた。揉み合いの途中に絡まったと推測する。それを解く時間が管理人を危険に晒すと判断したため、やむを得ず一緒に抱えてきた」

「……ああ、コレあいつなのか。確かに服がそうだ」

〈ね、ねえコレまだ息してない?ちょっとずつ動いてる感じするけど〉

 

 ヒースクリフとムルソー、ダンテがそんな会話をしている。フワンが起き上がったのを見て、その周りで待機していたシンクレアが安堵の表情を浮かべてフワンのもとへ。

 

「よかった、起きたんですね。みんな蘇生されたらすぐ起きたのに、フワンさんだけ寝たままでしたから」

「心配させてすみません。…走馬灯、って本当にあるんですねえ」

「…………ああ……そういえば死んでから時計回してもらうのはこれが初めてでしたかフワンさんは」

 

 不思議ですよね、とシンクレアが相槌を打って、そのままフワンを抱き起こす。フワンがあたりを見回すと、時計によって傷を治した囚人たち、そしてユーリも無事に立っていた。話しかけに行くでもないが、フワンは胸を撫で下ろす。彼女は死んだらおしまいなのだ。

 

〈…ああ、起きたんだねフワン。心配したよ?〉

「どうも、管理人さん。貴方も怪我はありませんか」

〈ん?…ああ、今シラフなのか、君。はっきりしてるみたいだね〉

「……………」

 

 ダンテの発言を無視してか、それともそうでないのか、フワンは答えない。ダンテと共に何かを見下ろしていたヒースクリフとムルソーの間にぎゅっと身体を割り込ませて、それを覗き見る。

 

「うぉっ、起きてたのかよ…お前、手柄だったらしいな」

〈フワンがマスクを取ってくれたおかげで、ムルソーも一緒に死体を運んでくれたんだ。おかげでだいぶ早く安全圏に退避できたよ。ムルソーもありがとう〉

「フワンの目に言外の意を確認したので、そうしました」

 

 ぶっきらぼうに言うヒースクリフに、優しい声でフワンを褒めるダンテ。事務的に答えるムルソーの腰には、もともとホプキンスのものだったであろうガスマスクがぶら下がっていた。

 

 三人ともに話し掛けられるも、フワンは返事をしない。それに少し気を悪くしたのか、ヒースクリフが眉を顰めた。

 

「………褒められてんだ、ありがとうくらい言ったらどうだよ」

「え?ん、ああ…ごめんなさい、ちょっと耳鳴りが酷くて……」

「あぁ?チッ、ほんとマジにアル中だな…とっとと酒呑めよ、持ってんだろ?」

 

 額に汗を垂らしているフワンを見下ろしながら、ヒースクリフはつっけんどんに言い放つ。ひどい耳鳴りの中でもそれは聴き取ったのか、フワンは制服のコートの中をまさぐり…まさぐり。

 

「………………ぁ」

 

 制服の前をゆっくり開いて、中に備えられたスキットルのホルスターを見る。ひとつ目をかるく持つ。重みがない。二つ目をゆする。水音がしない。三つ目を外して、口の上でゆする。…ぽた、と、最後の一滴が落ちてきた。

 

「…………ぁ!う、うぇ、あ、あれ、あれ…??」

 

 もう一度確認した。スキットルの中身はもうない。また確認した。ない。震える手でもう一度、ない。ない、ない、ない…

 

「ぁ、え、どうしよ、あ、あれ?あれ?」

〈…フワン?〉

 

 かち、と響いた時計の音。それすらかき消すように、どんどん耳鳴りは大きくなっていく。きんきん、じぃーーー、と、耳元で異音が響く。それに飲まれる、呑まれる、呑まれ………

 

「おい、坊主」

「へ、ぁ…?」

 

 肩に感じた感触に驚いて振り向く。フワンの背後には、いつのまにか良秀が立っていて…フワンの右肩に右手を載せ、ニヒルな笑みを浮かべている。彼女は煙草を保持したまま中指を折り人差し指を伸ばし、左手で足下の物体を指差した。

 

「これはお前がやったんだってな?」

「………ぅ…」

 

 指に従って目線を動かせば、そこに転がっていたのは…ホプキンス、だったものだろうか。ぐちゃぐちゃの顔面を血まみれにして微細動を繰り返している。

 

「………あまり良くはない。手足、腹に胸も無傷。まだ色々とやれる事がある、このまま出すには足りない…み・か・ん」

 

「あ?」

「…ホプキンス氏にCitrus unshiuと類似した特徴は見られない」

「あ、たぶん“未完成で好かん”だと…」

 

 独り言なのか、語りかけているのか。右手人差し指でとんとんと、フワンの肩に振動を送る。それを傍目から見ているヒースクリフとムルソーに、シンクレアが良秀の発言を補足した。

 

「だが。顔のみを執拗に殴打。人によっちゃあインダストリアル(工業的)な印象を感じさせるだろうが、それもまた側面。おりゃあ、これに()()()の様なものを感じた…」

 

 規則的に指先を動かしながら、良秀は左手の煙草を口に咥え、香ばしい霧を肺まで吸い込み、澱んだ空気を裂くように吐き出して…

 

「“解釈を任せる芸術”。絵や彫刻よりも…そうだ、“詩”に近い。フッ、なるほど、成程…」

 

 最後の煙を言葉と共に吐き出した、その瞬間…フワンの顎に黒い手が伸びた。力を込めてフワンの頭が動かされ、強制的に良秀と向き合わされる。

 

「ぅ、え………!!?」

「こ・ぼ。*2……お前さん、文字は書けるか?今度はそれで表現してみろ…そういう才のある奴は貴重だ」

 

 フワンは彼女の黒手袋の革の感触を顎と頬に感じていた。目の前には赤い目に黒髪、切れ味の鋭い美貌。煙草の香り、それに混じるのはおそらく革と、血と、良秀自身が持つ香り。口を経由して持ち替えた煙草片手に、左手で顔を上げさせ、上からじっと目を覗き込まれる…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 フワンには、それが恐ろしかった。

 

 とす。何か鋭いものが柔らかいものに突き刺さる音がした。そばにいたダンテたちには、その音の出所が直ぐに分かった。

 

「…………ぁ、あっ、あれ?」

 

 か細い声でフワンが喘いだ。彼の左手には、外套の中に隠されていたのであろう懐刀、細身のナイフが握られていて…良秀の脇腹に逆手で突き立てられていた。無意識だったのか、それに気づいた彼の左手が小刻みに震え始めた。

 

「お前……………成程な」

 

 フワンの手は震え、だがしっかりとナイフを握っているせいで、まるでゆっくりと傷口を広げるかのようにナイフが揺れる。しかし良秀は痛みに声を上げるでもなく、怒るでもなく。興味深げにフワンの手袋に覆われた左手を目線だけで見つめて、またフワンの双眸を覗き込み…そう、言葉を漏らして。

 

「ぁの、ごめんな。ごめんなさ、ちが、ちが…!」

()()()()()()。」

 

 無表情のまま声をかけて、とん、とフワンの顎にあった手でそのままフワンを突き飛ばし…

 

「ほら」

「………………ぁ…!」

 

 踏み込み、一閃。

 

 ぷしゃーあ、と空中に舞う鮮血が良秀の頬にかかる。驚愕の表情を浮かべるシンクレアを視界の端に捉えながら、ゆっくりと崩れ落ちて……

 

 フワンはふたたび動かなくなった。床の血溜まりがゆっくりと広がっていく。

 

「…チッ、時計回せ」

〈な…何してるの良秀!!〉

「見てただろう。さ・ぼ・た・じゅ」

サボタージュ(怠業)?!〉

「…先にやったのは坊主だ、ただの施術さ…?」

 

 鞘に収まったままの刀を血振りする良秀。ダンテの頭から響く汽笛のような音にも怯まず不敵に言い放ち、場の空気の温度を下げていく。まるで悪びれない良秀にダンテが(控えめに言って)ドン引きしていると、そんな彼の背を誰かが叩いた。

 

「………すみません、ダンテ。彼に関することで追加の注意事項が」

〈ええ、先に言ってよ…〉

「今回の作戦が終わった際に囚人各位にも伝達する予定でした。しかし予想以上にアルコールの消費量が早く…ファウストは多めに持たせるべきだと進言したのですが、ヴェルギリウス氏が()()意見を〈わ、わかったから要点を話して!〉……了解しました」

 

 背後に居たのは、状況を少し離れて静観していたファウストだった。彼女は剛を煮やしたダンテの言葉に、囚人全員へ呼びかける。

 

「たった今、良秀氏が手本を見せてくれましたが…フワン。彼の血中アルコール濃度が正常値まで低下し、かつ震え、発汗に嘔吐、その他アルコール依存症の症状が現れている際に、彼に対して“過剰なスキンシップ”を行うのは避けてください」

「過剰なスキンシップ、でありまするか?」

「ええ。特に彼よりも()()()()囚人は注意を。逆に背丈が近い囚人に対しては反応しにくい傾向にあります」

 

 疑問を呈するドンキホーテに、さらに補足する。

 

「行為として具体的には、先程の良秀さんのように肩に手を置く、顎や身体の一部を掴む等、概して身体的距離を縮め、所謂“パーソナルスペース”へ踏み込むような行為が該当します」

「酒の抜けた彼に近づくと刺されるって…船にだってそんな破綻者居ませんでしたよ」

 

 未だ倒れたままのフワンを呆れたような目で一瞥したイシュメールの発言に、これまた補足が入る。

 

「今回の良秀氏の負傷は比較的軽度の被害です。…場合によっては()()()()()()()()()()()こともあります。各位、くれぐれも注意を」

〈…よくわからないけど、そうしたほうがよさそうだね。みんな気をつけてね?〉

「拝命しました、管理人様。…みな聞いたか!そこの呑んだくれのクズには構うなよ!」

〈言い過ぎじゃないそれ〉

 

 ウーティスの言葉をフワンが聴いていないのが救いだ。彼は今死んでいるのだから。

 

〈…まあいいや。早いところ時計回しちゃおう〉

「む・だ。安心しろ」

〈無駄?〉「……無痛切断した、だそうです」

 

ーーーーー

 

 坊主を()()()からしばらく。煙草も残り少なく、作戦の終わりの訪れが早まらんかと考えている。

 

「……起きませんね、フワンさん」

「さっき生き返る時も、起きるまで時間がかかったのである。彼の体質なのではないか?」

「ダンテさんの時計って個人差あるんですかね…?」

 

 ちらと後ろを見れば、黄色い頭をしたチビども二人が囀っている。()()()の方があの坊主を背負って後ろをついてきていた。視線を戻し、周りの環境に耳を澄ますのに従って、そいつらの声も自ずと入ってくる。…なんとなしに、このまま聞いてやろうと思った。

 

「まあ我らがこれだけ千差万別なら………お?」

 

 うるさい方のチビが間抜けな声を上げた。その後、何やら鼻で小刻みに息を吸う音も聴こえてくる。

 

「おお…シンクレア君、もしかして上等な“フレィグラァンス”を付けているのでありまするか?なんともお洒落さんでありまするな!」

「え?いえ、ミントの制汗剤くらいですけど…」

「そうであるか?しかし何やらシンクレア君の方からあま〜い香りが…」

 

 すんすんと鼻を鳴らす音……匂いを嗅いでやがったのか。

 

「ん?ん?んんぅ〜〜〜????………おおーっ!!!」

「うあっ、こ、声が大きいですよ…!」

「フワン君からでありまする!彼からなにやら、お花のような香りが!」

「え?フワンさんなんて酒臭いだけじゃ………あ、確かに…」

 

 控えめな鼻を鳴らす音は、これは翻訳家の方か。へえ、あの呑んだくれのガキから花の香りねえ…。

 

「これ、何処かで嗅いだような気が…うーん、どこだっけ…」

「うーむ、当人にも分かりかねるな。まあ起きたら訊けばよかろうて」

「それもそうですね…」

 

 他愛のない会話だな。つまらん。

 

 …しかし、香り、香りか。先程、あの坊主の顎を掴んでらしくもなく“指導”してやった時のことを思い出した。確かにあの時、酒香に混じって何かが…。

 

 あの時の坊主の様子を追想する。…眼球は震え、汗が顔全体に滲んで俺の手袋を濡らしてやがった。滝のように汗をかいていながら、しかし肌は青かった。一丁前にベソもかいていた、かもしれん。俺の腹を刺した後も、後悔と恐怖とがないまぜになった顔をしていた。あれには、見覚えがあった気がした…ああ。

 

 アレは、怯える()()の顔か。

 

 合点がいって、咥えた煙草を左手で受け取る。その時に、微かに紫煙とは別の香りがした。はたと思いついて、右手で煙草を保持し直して、ゆっくりと左手の手袋についた坊主の残り香を吸い込んで…結論を出した。

 

()()

「え?」

 

 甘くまろやかな、しかしどこかサッパリした香りはそれだ。何やら予想外だと言うような翻訳家のチビの声を無視して、言い直してやることにした。

 

「クチナシの花だよ、その坊主の香の名前は」

「ほほう、物知りであるな良秀殿は!!」

 

 うるさいチビの賞賛を無視して、再び煙草を口に咥えた。

 

 ぢりぢり葉ッパが燃える音が、いつもより大きく聴こえている。

 

 

【To Be Continued…】

 

*1
あれは酒浸り坊主な人間の屑ことフワンだな

*2
こっちを向け坊主




フワン:囚人には誰しも過去がある。もちろん、彼にも。その一端が今回で見えた。…酒臭さだけでなく、クチナシの香りをまとっているようだが?

良秀:普通にフワンを気に入りかけている。

ファウスト:フワン氏は貴重な“サンプル”です。状態を傾けるようなことは上層部も許容しません。くれぐれも気をつけるように。

他囚人:フワンは呑んだくれのカス、という認識が広がっている。

ーーーーー
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では、また次回。
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