千人単位の食事を用意するというのは、その道に精通した人間であったとしても、中々に厳しい作業である。
それでも、大量に食事を用意するだけなのであれば、そこまで難しいことではない。大鍋に適当な具材を入れるだけで良い。何千個ものパンを切って、その間にハムを一枚放り込めば良い。炊飯器をフル稼働させ、炊いた米を適当に丸めて、おにぎりと言い張ったら良い。つまるところ、それっぽい料理をある程度用意して、配膳すれば終わりなのだ。
「注文番号百八番、カツカレー大盛り。熱いうちにどうぞ」
だが、それをするなら機械で良い。味が悪くなるのは仕方がない。しかし、味をハナから度外視するのは違う。それをしてしまったら、料理人として終わってしまう。料理人以前に、料理を作る人間ならば、美味しい物を味わって食べて欲しいと思うのが普通だろう。
だから、サンジは決して手を抜かない。早朝から昼食の時間が終わるまで、ろくに休憩がなくとも手を動かし続ける。腹が減っている人間に食事をさせるという、コックとしての正義。ゲヘナの台所を担っているという、給食部としての責務。美味しい物を食べて欲しいという、料理人としてのプライド。様々なものと戦いながら、彼は彼の戦場で汗水垂らして料理をしていた。
「ごちそうさまでした!」
「おう、お粗末様でした」
治安の崩壊しているゲヘナではあってないようなものだが、やはり食堂が一番混み合うのは、一般生徒にとって昼休憩に該当する時間だ。その数十分間、料理担当は火事場と水場を行ったり来たり。それだけなら良いが、実際はそれより前から何時間も仕込みと調理。
もう何年も続けて慣れているとはいえ、疲れるものは疲れる。それはフウカもサンジも変わらない。一日のうちで最も騒がしい昼食の時間が終わった頃には、空腹やら何やらで気は抜けてしまうし、ホッと一息つきたくなる。食堂内に人がいなくなり始めたら、余計にそうなってしまう。
「忙しそうね」
そんな状態であったことに加え、相手の背丈も相まって、サンジは近づく影に気づかなかった。
「ああ、悪い。注文か?」
声に反応して振り返るや否や、目に入ったのは彼がいつもお世話になっている少女のうちの一人。
「え、女神!?……じゃなかった、ヒナちゃんか。とうとう女神が飯を食いに来るようになったのかと思ったぜ」
「……やめて、慣れないから」
顔を逸らし、パタパタと小さく翼を鳴らすヒナ。
「にしても、どうしたんだい?風紀委員会にはフウカちゃんが配達に行ったと思うんだが」
サンジの頭の中に現れたのは、少し前に大量の弁当を積み上げたバイクに乗り、颯爽と走り去っていった同僚の姿。
今は空の弁当箱を回収しているか、ついでに食材の買い出しに出かけたか、美食研究会に誘拐されているか。もし誘拐されているのであれば、明日の仕込みも早めに始める必要がある。他の部員がとんでもない異能を持っている以上、フウカ不在では戦力は文字通りの半減。サンジ一人で倍の時間を費やして、漸く追いつけるかどうか。
最悪の場合を想定して今日の予定を立て直しつつ、サンジはキュッとネクタイを締め直す。まだ仕事の時間は終わっていない。
「大丈夫、昼はちゃんと食べてきたわ。今日は偶々、そこで誘われたの」
「誘われた?」
首を傾げるサンジを驚かせるように、黄色っぽい影がヒナの後ろから飛び出した。その正体は万魔殿の議員を務める十一歳の天才少女。ゲヘナ学園の数少ない良心、マスコット的存在。
「サンジ先輩、こんにちは!」
「おお、イブキちゃん。こんにちは」
丹花イブキ。見た目通りに幼い少女ではあるものの、彼女も当然のようにキヴォトスの住人だ。銃火器に対する忌避感はゼロ。それどころか、戦車長と共に戦車に乗っている姿も度々目撃されている。
「一緒に行こうって言われたのよ」
「まあ、断る理由はないな」
しかし、凶暴性はない。若干ポンコツではあるものの、それなりに悪辣な万魔殿の議長と長期間関わっているにも関わらず、特に毒されている様子はないのである。それどころか、イブキによって毒気を抜かれている始末だ。
それは彼女の容姿の愛らしさだけでなく、元々持ち合わせている善良さ。そして誰であっても気遣える優しさによるところが大きい。それらに加えて、普段の子供らしい振る舞い。万魔殿のみならず、ゲヘナ学園全体で彼女は愛されている。
「イブキね、サンジ先輩の料理大好きなの!だから今日も食べたいなーって」
「料理人として冥利に尽きるぜ。ありがとう」
この言葉も取り繕ったものではなく、心の底からの本心。
お世辞だったとしても、嘘だったとしても、そういう言葉は嬉しいものだ。それはそれとして、やはり心の底からの言葉というのが一番嬉しい。それはサンジも例外ではない。幼い子供からの料理が大好きという言葉は、料理人としてはトロフィーにしても良いぐらいのモノだ。
「ヒナ先輩もサンジ先輩の料理大好きって言ってた!」
「ちょ、ちょっと」
「そりゃ嬉しいな。涙が出そうだ」
そんなことを言いながら、サンジはヒナにカップとソーサーを差し出した。いつの間にか用意していたらしく、中は真っ黒なコーヒーで満たされていた。
「それで、今日は何が良い?」
「お子様ランチ!」
「お子様ランチか……。エビの在庫があるか分かんねェな。よし分かった。前とは少しメニューが違うけど、それでも良いかい?」
「うん!」
丁度良い苦味と温度を兼ね備えたコーヒーを口に含みながら、ヒナはサンジの動きを眺めていた。
「ヒナちゃんも何か食べていくか?」
「大丈夫。コレがあれば良いわ」
食堂が多少空き始めたこともあって、調理器具の大半がイブキの為に動員され始めた。まるでペンでも扱うかのように、サンジの手の中で包丁が踊り始める。
「相変わらず、凄い速さね」
「ヒナちゃんも練習次第でこれぐらいは余裕さ」
タタタッと弾むような音と共に刻まれていく食材。タイミングを見計らったように、完璧な熱を持っているフライパン。どれもこれもが未来を見ているかのような動きで、努力以上に才能の部分も感じられた。
サンジの言う通りに練習をしたとして、何処まで行けるだろう。ヒナがそんなことを考えている間にも、料理は少しずつ完成に近づいていく。
「すごーい!美味しそう!」
プレートには次々と料理が乗せられていく。お子様ランチというコンセプトの為、一品一品は小さい。しかし、その出来栄えは素晴らしいの一言に尽きる。
「よし、完成だ」
パンと手を打ち鳴らすサンジ。その手元には、イブキの希望通りの昼食が出来上がっていた。
「エビフライが作れなかったから、代わりにフライドポテト。ちょっぴり大人なデミグラスソースのハンバーグ。ふわふわトロトロのオムライスと、おれ特製ミートソースのスパゲティ、それからポテトサラダ。飲み物は搾りたてのオレンジジュース」
つらつらと出てくる言葉通り、メニュー自体はお子様ランチの定番である。だが、それぞれの見た目は高級レストランの料理のミニチュアだ。それらを集めているのだから、子供の目には豪華絢爛な大人っぽいワンプレートのように映るのだろう。
その証拠に、フォークとスプーンを握ったイブキの瞳は、いつも以上にキラキラと輝いていた。
「そして、仕上げに」
サンジが何処からともなく取り出したのは、爪楊枝と紙で作られた簡素な旗。何が描かれているのか確認する間もなく、それはオムライスに突き立てられた。
「あっ」
「コレは」
この場にいる全員が知っているであろう、学園を示す一つのマーク。実際の旗のように揺らめくことはないし、土台のせいでほんの少しだけ傾いてしまっている。それでも、イブキの大好きな学園を示す旗だ。
「ゲヘナ学園の校章だ!」
「大正解。さあ、どうぞ召し上がれ、お姫様」
自身の前に差し出された、自分の為だけに用意された一皿。
嬉しくないはずがなかった。
「いただきまーす!」
先程食事をしたばかりだというのに、酷くお腹が空き始めた。羨ましいと思ってしまったことも、決して否定はできない。
「ヒナちゃんも食べるかい?」
「……うん」
兎にも角にも、ヒナに拒否をするという選択肢はなかった。お子様ランチという名前を気にすることもなく、同じ物を頼んだ。