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銀鏡イオリは泣きたかった。それなりに戦えるという自負がある彼女といえど、それは風紀委員会の仲間達がいてこそ。一人でやれることには限界があるし、自前の銃だけではどうしようもない相手もいる。
「先輩、後は頼みます……」
次々と倒れていく後輩達。一部は触手によって現在進行形で宙を舞い、液体塗れになって気絶しているのも数人どころではない。
「頼まれても、これは流石に」
頼みの綱である委員長は不在。異様な大きさの怪物を相手にした結果、刻一刻と部隊全滅の時が迫ってくる。
「というか、どうしてパンケーキに部隊が壊滅させられなきゃいけないんだ!」
そう。怪物の見た目は触手の生えた毒々しいパンケーキなのである。それはまだ良い。その見た目だけならば、見慣れてしまっている。
というのも、自走する掃除機ぐらいの大きさの物ならば、イオリ含む多くの風紀委員に対処した経験があるからだ。しかし、彼女の前に鎮座しているのは、その程度の可愛らしい大きさではない。そこらの建物を平気で壊しそうな、特撮映画に登場しかねないサイズなのだ。
「サンジ先輩!どうしてこんなことになったんですか!」
その原因となった給食部の一人である、双六サンジ。彼は煙を口から吐き出しながら、空を見上げた。
「おれにも分かんねェ。フウカちゃんが誘拐されたから、代わりにジュリちゃんに下準備してもらってたんだが、いつの間にかコレだ」
そう説明するサンジの格好も、既に酷い有り様だった。服装やら何やらはいつもと変わらないが、全体的にベタベタになっている。粘液の発生源は言うまでもなく、今も暴れているアレだ。
「こうなったら委員長に連絡して」
イオリがスマホを取り出した瞬間、信じられない言葉が少年の口から飛び出した。
「いや、おれがやるよ」
いつの間にかイオリを守るような場所に立ち、ネクタイを締め直している少年。それを終えると、今度は何かを確認するように、革靴をトントンと鳴らしていた。
「元はと言えば、原因はおれ達だ。給食部の後輩がやらかしちまったんなら、先輩であるおれが責任取るのが普通だろ。それに、これ以上レディがアイツに好き放題されるのは許せねェ」
色々と格好良さげなことを口に出すサンジだったが、イオリには彼が怪物をどうこうできるとは思わなかった。
毎度のように誘拐され、ヒナや自分に救出されている。女性に手を出さないという信条を掲げているせいで、恐喝や強盗被害に遭うことも日常茶飯事。つまるところ、イオリは彼が戦えるという要素を欠片も見たことがなかった。
「え、だってサンジ先輩って弱……」
そこまで言って、彼女は思い出した。
【サンジは弱いわけじゃないし、情けなくもないわ。その力を向ける相手を選んでるだけ。立派な人よ】
いつだったか、何度も誘拐される彼に対し、苦言を呈した後輩がいた。あまりにも弱いだとか、情けないとか。イオリも食事で世話になっている上、委員長が仲良くしているから言わなかっただけで、似たようなことは思っていた。そんな時にヒナが現れ、そう言ったのだ。
「そう思われても仕方ねェさ。普段のおれは勇猛果敢で格好良いイオリちゃんと比べたら、ただのコックでしかねェ」
煙を吐き出す少年の手から、イオリは煙草を奪い取った。そのままの勢いでポケットにも手を突っ込み、中々に高級そうなライターも抜き取る。
「格好つけてるところ悪いけど、煙草は駄目だ。コレも没収」
「ちょ、イオリちゃん」
「終わったら、ライターは返してあげます」
「分かったよ」
それだけ言うと、サンジは異常な速さで駆け出した。全速力の自転車程度であれば、軽く追い越せるような速度。しかし、それは初速でしかない。そのままグングンと加速していくと、アスファルトを蹴り飛ばした。
「はっや……」
速度にも多少自信はあったイオリだが、流石に口をポカンと開けてしまっていた。
まともに走っている瞬間すら見たことのなかった先輩が、突然飛び出したかと思えば、尋常ではない速度を叩き出した挙句、高跳び選手も真っ青になるぐらいの高度まで人力で跳び上がったのだから。
サンジはそのままパンケーキの化け物を軽々超える高さまで到達すると、そこからクルクルと縦に回転し始めた。
「
そして、風紀委員の一人を掴んでいた触手に一撃。位置エネルギーと彼自身の重み、その他諸々が一極集中した踵落としだった。
一体全体どんな脚力をしているのか、彼の足技をモロに喰らった触手は半ばから千切れ飛び、化け物は悲鳴を上げるようにブルブルと震え始めた。
「え、は?何それ」
ヒナの人並外れた力を日々目の当たりにしているイオリですら、理解できなかった。自分達の銃器も効いていないわけではなかったが、サンジの蹴りは確実にダメージを与えていた。
ヒナの言葉を信じていたから、弱くはないのだとは思っていた。けれど、弱くないという次元ではない。十分に強いと言って良いレベルの力はある。対人戦に向いているかは定かではなくとも、風紀委員会が手こずっている化け物を相手にして、明確にダメージを通しているのだから、弱いと言えるわけがない。
「私も気合い入れないと」
しかし、それで折れるわけにはいかない。部外者に協力してもらっている以上、風紀委員会も全力で戦うのが当然だ。自身の頬を両手でパンと鳴らし、イオリは銃を構え直す。愛銃を構え、覗き込み、一撃。
そうこうしている間にも、サンジは化け物に飲み込まれかけていた少女を一人助け出していた。
「大丈夫ですか?マドモワゼル」
「は、はい」
「それは良かった。さ、イオリちゃんのところまで下がって」
駆け出す少女の姿をほんの一瞬だけ目で追い、彼女の周囲に危険がないことを確認すると、もう一度怪物の方へ向き直る。
「今は化け物とはいえ、元は食い物。銃火器も効いてるっぽいが、切っちまうのが早いのかもな」
生成した本人であるジュリは姿が見えない。十中八九、何処かで怪物に気絶させられてしまったのだろう。そもそも、ジュリに聞いたところで弱点が判明するかどうかも怪しい。彼女が生みの親であるのは間違いないが、彼女自身が作り方を把握していないのだから、分かるはずがない。
生物に変貌したのかどうかも、誰一人として分かっていない。知性に該当するものはあるのだろう。しかし、生物でいうところの心臓や脳などの重要な器官があるのかも分からなければ、キヴォトスでよく見かけるオートマタのように弱点となるパーツがあるのかも分からない。あったところで、それが体内の何処にあるのかもサンジには分からない。
「いや、切り刻むにしても、アレ相手に包丁を使うのは厳しいな。何本必要かも分からねェ」
給食部に戻れば、包丁自体は何本も置いてある。包丁でなくとも、ピーラーなども含めたら、それなりの数の刃物が置いてあるはずだ。しかし、相手は謎のソースらしき粘液塗れの化け物だ。それもサイズは通常のパンケーキサイズではなく、数十メートル規模。
ちびちびと削り取っていくにしても、切れ味が落ちていくのは間違いない。しかも、それを黙ってやらせる程に頭が悪いわけでもないだろう。ミレニアムサイエンススクールにでも頼めば、何かしら高性能な裁断機を提供してくれるかもしれないが、そんな連絡をしている余裕はない。
「仕方ねェか」
イオリ含む風紀委員会の援護射撃を背に、サンジは化け物の下に入り込んだ。這いずるように移動している化け物がそれに対処できるはずもなく、咄嗟に触手を伸ばそうとするものの、彼の速度に追いつくことはできなかった。
「
そして、蹴り上げられる。そこらの家屋よりも大きな化け物が、一般的な人間と大差ない体格の少年の蹴りによって、空中へ弾き飛ばされたのである。
当然、化け物も困惑していた。先程の一撃で要注意人物であるのは分かっていたが、自身の体躯を浮かび上がらせる程だとは、微塵も思っていなかったからだ。しかし、既に宙にある体をどうこうすることはできない。ひたすらに触手を蠢かせ、少しでも早く地面に舞い戻ろうとしていた。
「これで動きは封じた。後は」
その間に、サンジは化け物の陰から一瞬で飛び出した。
彼の化け物じみた脚力をつい先程目にしたイオリも、繰り返される異様な光景を見て、流石に目玉が飛び出そうになった。耐久性はともかくとして、その攻撃と速さはキヴォトスの人間よりも余程人間離れしている。銃火器や何らかの機材を使っているならまだしも、彼の武器はその足だけだ。
その分野に限った話ならば、右に出る者がいないレベルだろう。基本的に銃火器に頼っているキヴォトスの人間からすれば、足技をそこまで極めるのは中々に異質。技の質だけでなく、その威力も考慮すると異常でしかない。弱いなどとは、口が裂けても言えなくなってしまった。
「流石にちょっとキツいか」
そしてもう一度、少年はアスファルトを砕く勢いで飛び上がった。先程よりも高く、そして速く。
最高到達点に達した体は、そのまま重力に従って落下を始める。それに合わせて、サンジも体を回転させ始めた。最初に触手を蹴り飛ばした時とは異なり、今度は横向きに。
グルグルと回転を続け、漸く落下を始めた怪物と接触するかどうかというタイミング。彼は回転を止めないまま、足を縦一直線になるように開いた。
「
イオリがふと思い出したのは、温泉開発部から度々押収しているドリルだった。実際、それと見間違うぐらいの勢いで、サンジは化け物と空中で衝突したのだ。
そして、化け物の体にめり込む。すぐにその姿は見えなくなり、パンケーキ型の化け物は全身をビクビクとさせながら、地面に目掛けて落ちていく。
「ちょっ、サンジ先輩!?」
数秒後、ベチャッと酷い音を立てて、怪物は飛び散った。まだ臓物やら何やらではないだけマシだが、異臭と言っても差し支えない臭いと、原材料の分からない触手が辺り一面に散乱している。
その中心で、少年はこれまた酷い格好で転がっていた。最初から粘液塗れだったスーツは、もう買い替えた方が良いぐらいにぐちゃぐちゃに。そんな状態でも、彼の意識はハッキリしていた。
イオリが駆け寄ってきた瞬間、そういう虫みたいに飛び起きた。
「ああ、イオリちゃん。無事だったか」
「私は無事だけど、先輩こそ大丈夫か?特に足とか」
「平気さ、これぐらい慣れっこだ。それよりも」
自分の体についていた粘液の臭いを嗅ぎ、サンジは首を傾げた。
…
白いベッドで寝かされている少年を前にして、風紀委員会の長は事情を知る銀髪の少女に問いかけた。
「それで、これはどういう状況なの?」
「元が食材だから、試しに食べてみるって言い出して……」
「本当に料理バカなんだから……」