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サンジが部屋に入ると、そこには既に二人の少女がいた。一人はモフモフとした赤っぽい髪の毛の少女。サンジが放送で聞いた声の主、棗イロハである。
「お待たせイロハちゃん、貴女の騎士です」
「突然呼んだのはこっちですし、私に騎士はいないし今後もいらないです」
もう一人が万魔殿の議長を務めている羽沼マコトだ。生徒とは思えないぐらいに豪勢な椅子に腰掛け、毛嫌いしているはずのサンジに対し、両手を広げて出迎えた。
「キキキッ、よく来たな」
「マコトちゃんみたいな魅力的なレディにお呼ばれして、何の連絡もなしに断る奴なんていないさ」
「いつも通りだな。とりあえず、その気持ち悪い口を閉じろ」
取り繕ったのは数秒だけ。サンジの言葉を聞いたマコトは一瞬で顔を歪ませ、足を組み直した。
メンバーは二人だけ。いつも食堂に来るイブキを含め、残り三人いるはずなのだが、部屋の中には影も形もない。椅子の一つにテディベアが座っているだけだった。
「さて、ここに呼んだ理由を説明しよう」
バッと椅子から立ち上がり、未だに困惑しているサンジの周りをツカツカと歩き始めるマコト。スタイルの良さも相まって、歩く姿は何処かのモデルのように見えなくもない。
しかし、実際は尋問に近い。給食部の部長であるとはいえ、サンジは単なる一般生徒である。それが学園のトップとその側近に挟まれているのだから、やましいことがなくとも胃が痛くなる状況だ。
「連邦生徒会の話は知っているな?」
「ああ、生徒会長が失踪したとか」
「それだ」
人差し指をピンと向けられるものの、サンジは未だにピンと来ない。その話は情報の伝達速度がかなり激しい食堂でも、未だに真偽不明だったものだ。
「まだ噂話の域を出てないと思ってたんだが」
議長の口から、フッと短い笑い声が漏れた。
「事実だ」
他の学校ならば、生徒会に該当する万魔殿。そこの人間が即答したのだから、わざわざ根拠を求める必要もない。イロハが目を丸くしているのも、単純に知らされていなかっただけなのだろう。サンジは思考の為に顎に手を当てつつ、続きを促した。
「その連邦生徒会長殿は、失踪する前にとある機関を立ち上げていたらしい」
「とある機関?」
「連邦捜査部S.C.H.A.L.E。シャーレでも連邦捜査部でも、まあ名前自体はどうでも良い」
頭の回転がそこそこ速いサンジといえど、その名前を聞く限りでは、おそらく部活なのだろうとしか思えなかった。実際、マコトの言葉通りに名前は適当に流すべきなのだ。そこがどういう組織なのかは、そこに属する人間の性質によって左右されるのだから。
「問題はそこに在籍している、いや、する予定の人間だ」
「想像がつかねェな。マコトちゃんが問題視するってことは、かなりの食わせ者かい?」
マコトは鼻を鳴らし、首を振った。
「いいや、ほとんど何も分かっていない。確かなのは、連邦生徒会長が直々に呼び寄せた大人だということぐらいだ」
「呼び寄せたってことは外部の大人か……」
「そう。超法規的機関の顧問になる大人だ。それも【先生】と呼ばれているらしい」
超法規的機関。顧問。先生。色々と小難しい単語がマコトの口から飛び出してきた一方で、サンジの脳内はピンク一色だった。
「大人の、先生……!?」
先生と呼ばれる大人の女性。それだけで魅力満点だ。様々な場所で先輩先輩と呼ばれ、年下の子から慕われることの方が多いサンジからすると、大人の女性という時点で魅力しか感じられない。あまりにも新鮮だった。
年相応の妄想力で自身の頭の片隅を支配しつつ、勝手に駆け出しそうな足を両手と根性で押さえ込みながら、少年は問い掛けた。
「それで、俺は何をしたら良いんだい」
「様子を見るだけで良い。引き込めそうなら引き込め」
断るという選択肢は存在していなかった。
「分かった。任せてくれ、絶対にそのお姉様を捕まえてくる!」
自慢の脚力で駆け出そうとした矢先、マコトの口から衝撃的な事実が告げられる。
「聞けば、その先生というのは男らしい」
「マコトちゃん、悪いんだが、おれは行く気が完全になくなったよ」
先程までの元気は何処に行ってしまったのか。絶好調だったはずのサンジの姿は、見るからに絶不調。
頭の中で微笑んでいたお姉様は姿を消し、代わりに現れたのは竹刀を持ったジャージ姿の筋肉質な教師。想像したくもないが、嫌な想像は中々消えない。そんな想像だけで、彼は泣きそうになっていた。
「お前もキヴォトスでは比較的珍しい男子生徒。男同士、何か分かり合えることもあるだろう」
「嫌だ。ジャージゴリラと分り合いたくなんてない……。そもそも野郎同士で分かり合えたことがない……こともないな」
砂だらけの街でラーメン屋を営む大将の姿を脳内に描いたが、すぐにそれは霧散した。彼が特殊な例であることは、サンジもその短くはない人生で理解している。
「どうして、おれなんだ……」
この世の終わりのような顔をしているバカに対し、マコトは非常に効果的な餌をぶら下げた。
「さっき言った通り、様子を見るだけでも良い。それで給食部の部費を倍にしてやろう」
「……何だって?」
「倍だ。給食部の部費を倍にしてやる」
暫しの絶句。死にかけていた表情は一変し、ブツブツと呟き始める。
「部費が倍になれば、ミレニアム製の最新鋭の食洗機も買える。フウカちゃんが使ってるバイクも配達用に改造できるな。いや、配達用に改造なんてしなくても、中古の軽トラが一台買えれば十分か。一部でも自動化できたら、作業もかなり楽になる。他にも備品が色々と……」
それを遮るように、部屋に特徴的な笑い声が響いた。
「断れば、部費は二分の一だ」
断る選択肢はないも同然だった。もし部費がそこまで削られてしまえば、食事の提供ぐらいは出来るかもしれないが、その質や量を維持できるかも分からない額になってしまう。
フウカ達に相談すべきかもしれないと考えるものの、相談したところで行動は変わらない。万魔殿ならそれをやりかねないし、実際に似たようなことをしたのもヒナから聞いている。学園への貢献度が尋常ではない風紀委員会に対して、費用を削るという暴挙。その矛先が給食部に向けられない保証はない。
「……やらせてくれ」
「よし、ならココに名前を書け。安心しろ、単なる公欠届だ」
「やけに長くないかい」
異様に長い公欠期間。フウカとジュリだけで給食部を切り盛りできるかと問われたら、否定も肯定もできないぐらいの長さだった。クオリティの維持を考慮に入れなければ、フウカ一人で出来るだけの実力があるのも知っている。それだけの間、サンジは隣で彼女を見てきた。
「大は小を兼ねるというやつだ。キキキッ」
それに、今更断れるはずもない。書類に自身の名前を書き、マコトに差し出す。それをひったくるように受け取った後、少女は最初と同じように豪勢な椅子に座り直した。
「ほら、さっさと出ていけ。早く出て行け、疾く出て行け。矯正局も騒がしくなっているから、早く行かないと交通機関が死ぬかもしれないぞ」
「イロハちゃん、フウカちゃんが何か言ってくるかもしれないけど、任せて良いかい?」
「めんどくさいですけど、何とかします」
「マコトちゃん、また今度。色々分かったら連絡するよ」
サンジからの言葉に対し、マコトは無視を決め込む。というより、何かを我慢しているようだった。二人ともその姿を不思議に思うものの、それ以上は気にも留めない。
少年は二人に手を振って、その場を後にする。イロハは色々と言いたいことを我慢しながら、その我慢の原因に視線を向ける。
一方、サンジが部屋を出ていくや否や、マコトは肩を震わせていた。小さく漏れ出た笑い声は次第に大きくなっていき、最終的には部屋全体に響き渡る程の声量に到達した。
「これでアイツは暫くゲヘナにいない。その間にイブキの遊び場を完成させて、昨日失ってしまった信頼を取り戻さねば。遊び場と並行して、私自らプリンを……いや、ここは二人で作るというのもアリか。キキキッ」
棗イロハは理解した。この議長、イブキと自分の仲の邪魔だという理由で、連邦生徒会の騒動に託けてサンジを一時的に追い出したのである。
今現在、サツキとチアキに連れられて、イブキが外出しているのも計画のうち。妙な輩に誘拐されたわけではなく、用事があって暫く留守にしている。そういう体ならば、イブキの落ち込み具合も軽度で済むと考えたのだという予想もついた。
「めんどくさいことになりそう」
実際、先生という存在が気になるというのも、様子を見てきてほしいというのも、どちらも間違いなくマコトの本音だ。学園の運営を担う人間としては、確実に欲しい情報ではある。しかし、それと同等かそれ以上にサンジを追い払いたかった。
というのも、最近のイブキの口からはしょっちゅう彼の名前が出てくるのである。お子様ランチを作ってもらったとか、プリンを作ってもらったとか。以前から名前が出ることが多い人間ではあったが、最近は輪をかけて多くなっていた。
なので、一時的な追放をした。マコト個人としては完璧な策だった。
そう、あくまで彼女個人としては。学園の運営を担っている万魔殿の議長としては、あまりにもな一手である。
「マコト先輩、あの人を行かせること自体は良いと思いますけど、その間の食事はどうするつもりなんですか?」
「キキキッ、ん?食事?」
イロハからの至極真っ当な問い掛けに対して、マコトは首を傾げる。
「だって、あの人がゲヘナの食事の半分を担ってるんですよ。私達が昼に食べてる弁当も、サンジ先輩がいるから毎日届けられてるわけですし」
汗が一筋、流れ落ちた。室内の温度は高くない。イブキが寒いとも暑いとも言わないよう、空調には気を遣っている。つまり、暑さによる汗ではない。
「今日の昼にマコト先輩が絶賛してた鮭のムニエルは、確実にサンジ先輩が作ってます。他の料理も絶品ですけど、あの人は魚介を使った料理が特に上手いので」
普段のマコトならば、妙に詳しいイロハを多少揶揄うぐらいはしただろう。しかし、今日は何処かの司令のように指を組んでジッとしていた。
「キ、キキッ……」
僅かに漏れ出た笑い声も、いつものような勢いは感じられない。
そこまで来て、イロハは把握した。マコトお得意の『いつもの』だ。
「昨日間違って食べたイブキのプリン。アレもサンジ先輩お手製のプリンだったらしいですよ。マコト先輩、アレのこと高級プリンだと勘違いしてましたよね」
「そうだな」
イロハは面倒臭がりな部分が目立つものの、それを帳消しにできるぐらいに聡明な生徒でもある。今回のマコトのやらかしが、もう取り返しがつきそうにないことは分かったので、容赦しないことにした。
「この前、学園の敷地内で暴れていたパンケーキの化け物。アレを生み出したのは給食部の牛牧ジュリという生徒です。アレの小さいヤツはしょっちゅう食堂内で目撃されているとか」
「つまり?」
「おそらく、まともな食事を作れる部員はサンジ先輩以外に一人しかいません。今までサンジ先輩と二人で回していた仕事を、暫くの間一人ですることになりました」
静止していたのは、事態を飲み込む為。天井を見上げたのは、ほんの数時間前の自分の思いつきを振り返る為。俯いたのは、どうにかして自分の発言を取り消せないかと考える為。
一分と過ぎないうちに、マコトはイロハの肩を凄まじい勢いで掴んだ。
「ど、どうして止めなかった!」
「勝手にほぼ承認済みの書類を用意して、止める間も無く話を進めたのはマコト先輩ですけど」
「まだ間に合っただろう!」
「サンジ先輩が入ってくる前、口を挟むなと言われましたよ。それに、マコト先輩が何をしようとしているのか、部費をどうこう言い出すまで分かりませんでしたし」
淡々と事実を陳列されては、悪知恵も知恵も人並み以上に働くマコトであっても、それ以上言うことはできなかった。
「そ、そんなあああっ!」
半ば発狂しながら、万魔殿の議長は部屋を飛び出した。去っていったサンジを連れ戻す為か、それともフウカに詫びる為か。他に何らかの策を思いついたのかもしれないが、それはマコトにしか分からない。
棗イロハはため息を吐き、近くにあった椅子に座り込んだ。追いかけるのもめんどくさかったし、今からマコトのやらかしのリカバリーを考えるのもめんどくさかったから。
「弁当食べるの、楽しみだったのに」
ぐでーっと体を溶かしつつ、目を瞑る。
激怒したフウカと一部の食事好きな生徒達によって、万魔殿の面々が厨房で慣れない作業に奔走させられる羽目になるのは、また別の話である。