公共交通機関を乗り継げば、D.U.に辿り着くこと自体は簡単だった。
問題はそこから先。彼方此方が普段のゲヘナ以上に騒がしく、遠方からは銃声や爆発音も聞こえてくるという状態。比較的治安の良い方である普段のD.U.の姿を考えると、やはり例の一件の影響は大きいらしい。
「例のシャーレってヤツが何処にあるか分からねェし、まずは連邦生徒会だな」
そう口に出したものの、彼は連邦生徒会に大して興味がない。一般常識の範疇で少しばかりの知識を保有しているだけで、本部への道のりのような詳しい部分などは流石に頭の外側だ。
普通に学園生活を送るだけならば、連邦生徒会と関わることは少ない。ゲヘナ学園に所属する生徒の大半は、連邦生徒会どころか万魔殿と関わることすらない。風紀委員会の制服と空崎ヒナの存在さえ覚えていれば、ゲヘナ基準で普通の生活が出来てしまう。つまるところ、一般生徒からの認識はその程度でしかないのだ。
だから、仕方がないといえば仕方がないだろう。彼が無知であるというより、知る必要がなかっただけなのだから。
サンジはポケットに手を突っ込み、中の携帯端末を取り出した。目的は地図アプリの起動。しかし、彼の携帯端末では大きな問題が起きていた。画面が砕けていたのではない。電源が入らなかったということもない。それの通知画面がとんでもないことになっていた。
「……歩くか」
女性からの連絡には即座に返信するような人間であっても、流石に少しだけ時間を置きたかったのである。同一人物からの大量のメッセージというだけでも若干恐ろしいのに、それが複数人。
彼は悪くない。悪いのは、彼をここに送り出した羽沼マコトだ。
仕方なく、彼は視線を周りへ向けた。
「聞けるような状態でもないな」
パニックホラーの一幕のようにはなっていない。キヴォトスの住人は銃声程度で悲鳴は上げないし、爆発物は蹴り返すぐらいのメンタルを保持している。そのおかげで、阿鼻叫喚の地獄絵図になるのだけは回避できているだけだ。
歩き回る人々からは落ち着きがなくなっており、ヴァルキューレ所属らしき生徒は視線を忙しなく彷徨わせている。
サンジにそれらを改善させる方法があるとすれば、炊き出しでもして美味しい料理をお腹いっぱいになるまで食べさせることだろう。しかし、それをする道具は持ち合わせていないし、もし最中に襲われでもしたら、マコトとの口約束を破ってしまうことになる。それに助けてくれる人間もいない以上、そんなことが出来るわけがなかった。
暗く険しい表情の少女達を置いていくのは心が痛かったものの、サンジ一人ではどうすることもできないのも事実。根本的な解決をするには、さっさと連邦生徒会を機能させるのが手っ取り早い。
当初の目的通り、連邦生徒会に向かうしかない。そう決断したサンジの耳が捉えたのは、銃声でも悲鳴でも、建物が倒壊する音でもなかった。
「この愛らしい声は!」
聞き覚えのある声を拾い上げていた。フウカ程ではないにしろ、それなりの頻度で聞く可愛らしい声。その声の発生源へ、少年は駆け出す。
走り方は何処となく気持ち悪かった。
…
少し走った先で屯していたのは、四人の少女達。そのうちの見覚えのある一人に向け、サンジはくねくねとしながら駆け寄った。
「チナツちゃ〜ん、もう来てたんだね〜♡怪我はないか〜い?」
「え?サンジ先輩?怪我はないですけど、どうして此処に?」
風紀委員会に所属している火宮チナツだった。ヒナからの情報が確かならば、彼女は連邦生徒会の様子を見に来ることになった人間だ。だからこそ、サンジは自身の聴覚を頼りに彼女から情報を得ようと駆けてきたのである。単純に知り合いに会いたかったというのも、ないことはない。
「万魔殿からの指令さ」
「万魔殿から?給食部のサンジ先輩が?」
疑問を抱くチナツだが、それを尻目にサンジは自身のやるべきことを開始する。
「ゲヘナ学園給食部の双六サンジです。以後、お見知り置きを」
レディ達への自己紹介である。
「ミレニアムサイエンススクールの早瀬ユウカです」
「ミレニアム製の調理器具にはいつも助けられてるんだ。特に超高性能業務用冷蔵庫。あの子達の弁当を用意するには必要不可欠でさ。本当にありがとう。君達のおかげでおれ達は料理を作ることが出来てる」
「ど、どうも」
困惑しつつ、一応は会釈で返すユウカ。トリニティからやって来た二人は、彼がゲヘナということで若干反応に困っているだけでなく、先程のチナツへの態度で完全に変な奴を見る目になってしまっている。
とはいえ、いないモノ扱いをする程のことでもなかった。サンジぐらいの変人であれば、トリニティに限らずキヴォトス全土に掃いて捨てるほどいる。
とりあえず、自己紹介ぐらいは返しておこう。それぐらいのつもりだった少女は、酷いカウンターを浴びる羽目になった。
「トリニティ総合学園、正義実現委員会の羽川ハスミです」
一時停止。そう表現する他ないぐらい、サンジはピタリと止まった。
ユウカが様子を見る為に指先で突こうとした瞬間、十倍速では生温い程の速度で跪いた。
「泥の中でも決して汚れず、美しく咲き誇る蓮の花。それを表現したかのような名前だ。正義実現委員会っていうのも、実情とか仕事は全然知らねェが、その名前に完璧に合ってると思う。そして、名は体を表すとはこのこと。ブラックダイヤモンドも霞んでしまう程の真っ黒な翼。そのカラスの濡れ羽のような黒い髪。ああいや、翼と合わせてカラスだと揶揄するとかのつもりはないんだ。ただひたすらに美しい。そこらの美術品なんて、君の前では塵芥と変わらない」
その後もサブマシンガンのように連射される言葉。ゲヘナの生徒らしくない、優しく上品な褒め言葉の数々。あからさまにそういう目的が見えている話し方ではなく、一つ一つに心が込められている。
単体でも反応に困ってしまう言葉なのに、それが次々とやって来るのだ。コミュニケーション能力に難のない人間であっても、飾った表現で返すのは少し苦しいだろう。
「そうですか」
よく分からない、素っ気ないとも取れる返事をしてしまった。そう思ったものの、ハスミには正解が分からない。異性にそこまで言われる経験というのに欠けている少女からしてみれば、好意的に見られることも喜ぶべきことなのか分からなかった。
ハスミが困惑している間に、サンジは残る一人の方へと顔を向ける。それに合わせるように、少女もペコリと頭を下げた。
「同じくトリニティ総合学園、トリニティ自警団の守月スズミです」
スズミと名乗った少女の手を取り、少年は口を開く。
「スズミちゃんか。君のその瞳ぃぃい!?」
しかし、そこに乱入者が現れた。口の減らない男子生徒の耳を強く引っ張るメガネっ娘。その正体は言うまでもなく、彼女である。
「ここまで来てナンパですか?」
「違うんだチナツちゃん!」
「何がですか」
誰がどう見てもナンパである。もしそうでなければ、そういう営業か詐欺師である。間違いなく風紀を乱す行動だった。風紀委員会としては見逃せない行動をする先輩に対し、行動を起こすのは不自然ではないだろう。
ヒナやアコから色々と言われているというのも理由の一つではあるし、チナツが個人的に見過ごせなかったというのもある。普段から見慣れている行為であっても、流石に目の前でやられるのは少しばかり嫌だった。
そうこうしているうちに、一行は当初の目的地に辿り着いた。しかしながら、職員には何を言っても暖簾に腕押し。ならば強行しようとエレベーターに突撃しようとしても、守衛によって妨害される。サンジが壁面を駆け上がってくると提案しても、チナツには羽交締めにされて止められ、他の面々にも難色を示された。
最終手段があるとすれば、守衛を含む全職員を拘束、脅迫して先は進ませてもらうことになるだろう。実際、出来ないわけではない。この場にいるのは全員がそれなりの実力者だ。それをした瞬間、ヴァルキューレ警察学校やSRT特殊学園の精鋭達がやって来るのが問題である。
「どうすれば良いのよ……」
通信端末を握り締め、蹲るユウカ。ハスミとスズミにも良い案はないらしく、ライフルを弄りながら壁に背を預けている。
チナツに首根っこを掴まれながら、サンジも半ば諦めていた。シャーレというキーワード自体は持っているが、それを口に出して良いのかも分からなかったし、下っ端の前でそれを言ったところで、状況が好転するとも思えなかったから。
そうやってため息を吐いていると、不意に彼女達の近くにあったエレベーターが動き始めた。ランプは数字を一つずつ移動していき、段々と五人のいる階層へ近づいてくる。ここまで来ると祈るしかなかった。動きを止めそうな光を睨みつけるように、五人はその行方を凝視する。
スッスッと音もなく移動する光が止まったのは、五人が立っているフロアだった。開き始めたドアに向け、全員の視線が集中する。
しかし、そこから現れたのはユウカ達の知っている連邦生徒会の人間ではなかった。
“君達は……”
停止したエレベーターから現れたのは、普通の優しそうな男性だった。サンジの着ている若干小洒落たスーツとは違い、それこそサラリーマンや何処かの教員でもしていそうな、極めて普通のスーツ姿。
“ああ、面倒な方々っていうのはそういうことか”
そこまで言うと、男は口元に手を持っていった。そのまま何かを考え込むこと数秒、意を決したように頷くと、力強い瞳を五人に向けると共に口を開いた。
“君達の力を貸してほしい”
あまりに突然のことに困惑する生徒が四人。ゲヘナやトリニティの垣根など関係なく、何が起こっているのかと顔を見合わせていた。
そして一人、床で突っ伏している少年がいた。スーツが汚れることなど気にも留めず、唇を噛みながら涙を流している。その姿を見て、慌てて駆け寄る男と少女達。
“大丈夫?”
「どうしたんですか、サンジ先輩!」
彼は理解してしまったのである。このタイミングで登場する大人。連邦生徒会の関係者しか使わないであろうエレベーターから現れた、大人の男性。それが何者であるのか。
彼がマコトから話された内容を現状と照らし合わせれば、その正体は自ずと見えてくる。正体を明かされるまでは確実とは言えないが、限りなく正解に近いだろう。
「本ッ当に、男じゃねェか!」
一縷の望みに賭けていたバカは、拳を地面に叩きつけて咽び泣いた。