目を覚ましたとき、すでに明るい陽光が部屋に差し込んでいた。窓の外を見ると、すっかり日が昇っている。時計を見れば、もうすぐ8時になろうとしている。スマートフォンを手に取ると、昨夜の面談後に届いていた通知が表示されている。「搾精義務未達成」とだけ書かれた短いメッセージ。その文字を見るたびに、胸の奥に重いものがのしかかる。
義務として与えられたこの「搾精義務」、正直なところ、どうしても避けたくなる。精液を提供することへの拒否感が、体の奥底から湧き上がってくるのだ。これは一体どうしてだろうか。冷静に考えれば、単に「義務」を果たすだけのことだと分かっている。それでも、何度やっても心がついてこない。
「提供する」という行為そのものに、どうしても違和感を感じるのだ。自分の精液が他人に利用される、その事実がどうしても受け入れられない。誰かにその精液を使われるということが、自分の身体をそのまま「道具」として扱われているように思えてならない。それが生理的に受け入れられない。
もちろん、社会的な義務として、精液提供は人口維持に必要だということは理解している。しかし、何度も自分を納得させようとしても、やはり抵抗感が拭いきれない。どうしても「自分の身体」が他者のために使われる感覚が、受け入れられないのだ。それはまるで、自分の一部が切り取られて、無理に他人に差し出されるような感覚だ。
シャワーを浴びながら、体を洗っているとき、思わず手が止まった。精液を提供するためには、ある意味で自分の「性」を他人に差し出すことになる。それに対する嫌悪感が、どうしても拭えないのだ。
もしかしたら、これは単なる恥ずかしさなのかもしれない。自分の身体を他人に「利用される」ということが、社会的にも個人的にも受け入れがたいからか。それとも、性行為がただの義務や義理として機械的に行われることが、どうしても「不自然」に感じるのだろうか。
一度目を閉じ、深呼吸をする。少しでもその嫌悪感を和らげようとしても、なかなかうまくいかない。だが、これを避け続ければ、社会的な立場に影響が出るのは明白だ。面談のときにも、「次回までに提供しなければならない」と言われたばかりだ。これを先延ばしにし続ければ、最終的に社会的な信用を失ってしまうかもしれない。それは絶対に避けたい。
シャワーを終えて着替えを済ませ、大学へ向かう支度をするが、その気持ちが完全に払拭できなかった。今度はどう言い訳をしようか、次回の面談では何を言うべきか、そんなことが頭をよぎる。しかし、やはり心の中で「精液提供」を強く拒絶する感情が湧き上がるのだ。
男性専用車両に乗り込むと、先輩からのメッセージが届いていた。『面談、どうだった?』という内容だ。彼女にそのことを話すのは少し恥ずかしいし、どうしても言いづらい。面倒な義務だということは分かっているし、義務を果たさないわけにはいかないのは理解しているが、やはりどうしても気が進まない。
大学に到着して、文学研究室に入ると、先輩がにこやかに迎えてくれる。黒髪を整えたその姿は、どこか落ち着いた雰囲気を漂わせている。思わず目を引く大きな胸が特徴的で、上品でありながらも女性らしさをしっかりと感じさせる。彼女が近づくと、優しげな笑顔を見せてくれ、ほんの少しの心配そうな視線も感じる。
「お疲れ様、藤宮くん」
その声を受け止めながら、頭の中でまた面談のことを考えてしまう。精液提供をどうしても避けたいという自分の気持ちをどう整理すればいいのだろう。社会の期待に応えようとする気持ちと、精液提供に対する拒否感との間で、心が引き裂かれそうになっている。
昼食を共にしながらも、先輩は特に気にすることなく話している。しかし、ふとした瞬間に「藤宮くん、最近元気ないよね?」と心配そうに声をかけられると、どうしても「精液提供」に対する抵抗感が伝わってしまうのではないかという不安に駆られる。
午後の授業や研究活動に集中しているときも、心の中ではその問題が絡みついて離れない。自分の「精液」を他人に渡すことが、どうしても受け入れられない。冷静に考えれば、それが社会のためになることも理解しているが、やはりその感情に対してはどうしても抵抗があるのだ。
自分の身体を提供することが、まるで商品として売り渡されるような気持ちになる。それが生理的に無理だと感じてしまうのは、果たして僕だけだろうか。
夜になると、再びスマートフォンに通知が届いていた。「搾精義務未達成」。その文字を見るたびに、また自分がその義務に逃げていると感じてしまう。しかし、それでも今はその気持ちにどうしても向き合うことができず、また次回に先延ばしにしてしまうのだ。
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