ちんちんないなった 作:ワンシャフト館長
皆様からのご感想が何よりの喜びです。
ギシッ……ギシッ……
「ん……?」
まだ微睡みの最中にあった意識がフッと何かに引き上げられて、急速に覚醒へと向かったのを感じた。
ギシッ……ギシッ……
それは衣擦れとも軋み音ともつかない異音で、その一拍一拍が妙に均質でリズミカルだった。
「ふっ……ふっ……」
しかも、そのテンポの良い軋み音に合わせて聞こえてくる、くぐもった様な誰かの吐息。
「んんっ……」
妙に熱を帯びたそれに、面倒くさいなと思いつつも両目を開けると、
「孕め! このババァ!! オレのガキを孕めっ!!!」
「人の部屋で何やってんだコラ」
「ぶべっ!?」
妙に軽く固い感触と共にゴロゴロと床を転がる尼削ぎの犯人。そして、その犯人に巻き込まれた白い糸がブチッと切れた瞬間、
『あぁんっ♥ だめっ♥ いくっ♥ いやああああ♥♥♥』
画面奥のAV女優による特大の喘ぎ声爆弾が破裂したのだった。
「はぁ……」
このままじゃ近所迷惑どころか、安アパートの住人全員から“早朝オナニー野朗”の誹りを受けかねない。取り敢えずノートパソコンのミュートを押してから、ひっくり返ったままこっちを見上げて両目をぱちくりさせた海千代を見下ろしたのだった。
「おはよ、
「おお、おはようさん。月ゆ……待て、今なんか変なルビ振らなかったか?」
「気のせいじゃない?」
「いや、でも」
「あんまり細かい事言ってるとハゲるよ?」
「てめぇ! 男にハゲと小さいは戦争だろうがゴルァ!?」
「はっはっは」
踊りかかってきた海千代を受け止めて、そのままベリー・トゥ・ベリーで叩き付けてスリーカウントを取る。
「ウィー」
「いや、なんでハンセンなんだよ。せめてそこはゼアッだろ」
おまけにテキサス生まれのメリケンレスラーのモノマネを入れたら、むくりと起き上がった海千代がそんなツッコミを入れてくる。
「いいじゃん、何となくウェスタンな気分だったんだから」
ざっくり言うと、荒っぽい感じ。
「なんだそりゃ」
ぼくの答えを聞いてけらけらと笑う海千代。人形の造形の良さのせいで無駄に美人だね、ホント。ま、それは置いといてだ、
「なにやってんの?」
「見ての通りのナニだぞ?」
「……」
「……」
そういう意味じゃねぇよ。
「『即ハメ爆乳不倫妻、獣欲の昼下がり』をオカズにオナってただけだぞ?」
「具体的に言えば良いってものでもないからな?」
「ちなみに出演女優のおっぱいがちょっと垂れ気味なのがマニアックで、個人的には星4つってところだな」
「寸評を聞かせろとも言ってねえよ」
無駄に神妙な面持ちでそう宣った海千代を、直前まで本人が股間でプレスしていた毛布でしばく。つか、よく見たら丸めた毛布の上少しが縛られてて、ものすごく簡素なダッチワイフになっている。ドグラ・マグラかお前は。
(そもそも、人形の身体でオナって気持ちいいものなのか? ……いや、痛覚があるなら快感も得られるか)
「はぁ……朝からなんかドッと疲れた」
「なんだ、もう年か? 養命酒でも飲むか?」
「そこはせめてリポビタンDだろうが」
「ファイトー! イッパーツ! ってか?」
「やかましいわ」
「あれって、どう考えても一発ヤッ「言わせねぇよ???」ぐぶっ!?」
「「いただきます」」
ふんわりと立ち昇る焼きたてのトーストの香りの中で、ぼくと海千代の声が無駄にハモった。
卓袱台に積んでいたプラモとゲームを脇に退けて、代わりに並べた丸皿の上のトーストに思い思いの冷蔵庫の余り物をトッピングをしていく。
「んっ」
そして、一口。ザクッという食感と同時にジュワッと広がるベーコンとニンニクの汁気。適度な脂味と塩味に香味が加わって脳がドバドバとドーパミンを分泌するのを感じる。
「んーっ!!」
その隣ではぶりゅりゅりゅりゅっと全力でマヨネーズの山を作った海千代が、好物のマヨネーズトーストに満面の笑みを浮かべている。
「ほれれ、ひょうはほうふふんは?」
「飲み込んでからとは言わないから、せめてもう少し口に余裕を持ってしゃべろうよ」
「んくっ……だって、お前なら飲み込まなくても分かるだろ?」
「まあ、それはそうだけどさ」
聞き取り辛いことには変わりないんだけどね。ま、それはそれとしてだ、
「取り敢えず、海千代はその体になった原因のおばさんがどこのどなた様なのかって知ってるの?」
「いや……チラッとプロフィールくらいは聞いた気もするけど、元々こういうバイトじゃ余計な詮索はNGだからな。向こうも本当のことを話してるとは限んねえし」
「つまり、まずは海千代を
「だな。興信所とかでも使うか?」
「そんなお金ないでしょ。ぼくも海千代も」
海千代なら、或いは掻き集めれば出せなくもないのかもしれないけど、それでも相当にリスクがあるのは事実だろう。
「それより、先に行くべきところに行っちゃお」
「んくっ……行くべきとこって?」
「無料案内所」
「あー……」
マヨネーズトーストの最後の一欠片を飲み込んだ海千代が納得した様にカシャンと手を打つ。
「ぼくはもとより海千代が知らない相手でも、場合によってはあそこの人なら何か知っている可能性があるからね。海千代が相手したおばさんってかなり特徴的な装いだったんでしょ?」
「まあな。それは間違いないぜ」
「ん、ならよしかな」
コクコクと頷いた海千代に頷き返して立ち上がると、二人分の皿を軽く水で流しておく。
「月雪」
「んー?」
「その……サンキューな」
「はいなー」
◆
朝の風俗街に漂う空気は案外美味しい。
元々、人目を避ける様に大通りから少し入ったところで発展したせいか、この国の基幹産業が吐き出す排気ガスからは距離があることに加えて、飲めや歌えやの歓楽街みたいに飲んだはずのアルコールに逆に呑まれたサラリーマンの姿も無いからだ。
時々、ナイトパックを楽しんだと思われる人達が欠伸混じりにいそいそと家路につくのとすれ違うけど、大抵は出すものを出し終えてすっきりしているからか、強面のおじさんなんかであってもその立ち振る舞いは意外と紳士的だったりする。
そんな清涼な空気の中を抜けて、街の中心部にある無料案内所の暖簾を潜ると、カウンターの奥にいる厚化粧をしたパーマのおばさんがうとうとと舟を漕いでいる。夕方から深夜にかけてのゴールデンタイムではそれなりに忙しそうなここも、この時間帯は人の姿も稀で手持無沙汰になった案内係さんが暇そうにしているのもまたいつものことだ。
「すみません、少しいいですか?」
「っ、はい…………なんでしょうか?」
ぼくが声を掛けた拍子に頬杖が外れてビクッと身を強張らせたおばさんは、ふるふると顔を振ってからこっちに向き直る。そして、ぼくと隣の海千代を見た瞬間、その視線がパネルの中にある数軒のラブホテルに移り、それに気付いた海千代が一瞬嫌そうな顔をしたのが分かった。気持ちは分かるというか、完全に同意ではあるけれど、状況証拠だけ見るとその誤解も仕方ないので、一旦脇に置いておいて話を進めることにする。
「ちょっと人を探しているのですが」
「人……ああ、どこのお店の子か分からなくなっちゃったのね。お店の子から名刺を貰わなかったのかしら?」
「それが、こっちも相手の方もうっかりしてて、貰い忘れちゃってたみたいでして」
ぼくがそう伝えると、珍しいこともあるもんだとでも言いたげにおばさんが太い片眉を持ち上げる。
「それじゃあ、その人の特徴を聞いても良いかしら? もしかしたら案内できるかもしれないから」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
おばさんにお礼を言って隣の海千代を促すと、一歩進み出た海千代が記憶を掘り起こす様に「えっと……」と呟いて形の良い顎先に人差し指を当てた。
「傍から見た感じかなり若く見えたけど、実際の年齢は四十過ぎくらいだったかな」
「熟女ねえ?」
「あと癒し系? なんつーかこう、棘が無い笑顔っつーか、始終にこやかで……」
「癒し系と……」
「髪型はウェーブが掛かったセミロングだったかな? それをうなじ辺りでまとめて、右肩側から前に降ろしてて」
「……」
(……?)
海千代が語る件のおばさんの容姿が髪型のところに差し掛かった瞬間、案内所のおばさんの表情が微かに揺れたのが分かった。同時に、それまで海千代の言葉を反芻する様に打たれていた相槌が途切れ、代わりに探る様な視線が海千代へと向けられている。まるで、海千代自身を田舎から逃げてきた女の人を態々追いかけに来たヒモ男の様に警戒しながら、おばさんは「その人の服装なんかは?」と問い返してきた。
「滅茶苦茶綺麗な和服だったな。確か、銀色っぽい白の服で、金色の鳥か何かの刺繍がしてあったはずだ」
「そうですか……」
そこまで海千代が言ったところで、カウンターのおばさんがふーっと大きな溜息を漏らした。どうやら、何か心当たりがあったらしく、海千代もそれに気が付いたのか期待を込めた視線をおばさんに向けていた。そんな二人の横で、案内所に置かれた自販機からコーヒーを買っていると、少し思案する様な顔をしていたおばさんが算段をまとめたのか徐に濃い目の紅を塗った口を重々しく開いたのだった。
「残念だけど、そういった方は風俗街には居ないわね」
「えっ?」
おばさんの言葉に、海千代が驚いたように両目を見開いた。
「いや、でも昨日」
「もちろん、存在していなかったって言うつもりはないわよ? けど、ラブホ目当てで他所から来た人のことは分からないのよ。ここはあくまでこの辺り一帯の案内所であって、風俗店の子の案内しかできないんだから……」
「それは……」
おばさんの言葉に口籠る海千代。確かに、海千代がやっていたのが
「けど「まーまー」月雪……」
諦めきれないといった表情と共に紡がれた海千代の言葉を遮りながら、ぼくは一歩前に出る。
「すみませんね。無理言っちゃって」
「え、ええ……その、ごめんなさいね?」
「いえ。こちらの方こそ。あ、もし良かったらどうぞ」
「あら、ありが!?」
(よし、掛かった)
目論見通り
ぼくが差し出したのは眠気覚ましのブラックコーヒー。海千代がおばさんと話している間に案内所に置かれた自販機から買っただけの小さなスチール缶だけど、差し出したぼくの手との間には予め小さな
「……」
一瞬、生唾を飲み込んでチラチラとぼくと缶コーヒーの間を行き来するおばさんの視線。けど、すぐに腹が決まったのか、「あら、ありがとう」と頷いたおばさんは
「これこれ。朝の一杯はこれなのよ」
どこか上擦った声音で誰に聞かせるでもないのに無駄に明るく宣言すると、プルタブを開けてグビグビッと缶コーヒーを飲み干すおばさん。そんなおばさんに「それはよかったです」と愛想笑いを向けていると、隣の海千代が「マジかこいつ」とでも言わんばかりの視線を向けてきた。
「そういえば、あなた達はこの街に来て長いのかしら?」
「そうですね。大学のために上京してきて、今丁度二年目です」
「そう。それなら、浦松屋敷はもう行ったかしら?」
「浦松屋敷ですか?」
「ええ……この街に古くからある武家屋敷なんだけど、とっても綺麗なのよ?」
「へぇ……」
わざとらしいおばさんの笑顔に頷いて、一瞬だけ両目を丸くした海千代に目を向ける。
「ありがとうございます。折角なので、今度行ってみようと思います」
「ええ、ぜひ楽しんできて」
そう言って笑ったおばさんに軽く頭を下げると、隣で唖然としている海千代を引っ張って、無料案内所を後にしたのだった。
◆
無料案内所を出て風俗街の外に向かって歩き出すこと少し、隣の海千代が「なあ、月雪」と徐ろに口を開いた。
「なに?」
「いや……」
「?」
なんか、妙に言葉を探すようにチラチラと視線を彷徨わせている。
「どうしたの? もしかして、気になるお店でも見つけた?」
「んにゃ、そういうわけじゃねぇんだが……」
そう言って、バリバリと頭を掻いた海千代はなぜか決心した様に溜息を吐いた。
「お前、普段からああいうことやってんのか?」
「あーゆーこと?」
「ほら、さっきの」
「さっきの……って、ああ」
細長い何かを掴んで差し出す様な動作に、海千代が言わんとする事を理解する。
「まさか。生まれて初めてだよ。やってみたのもドラマの真似だし」
「その割にゃ、随分と手慣れてねえか?」
「そう?」
「ああ」
こくこくと頷いた海千代のジーッと探るような視線に軽く肩を竦める。
「まあ、勝利を確信してたから緊張しなかったっていうのはあるかもね」
「うん? もしかして、お前案内所のおばさんと親しかったりするのか?」
「んーん、特には。話したことはあるのかもしれないけど憶えてないし、それはあっちも同じじゃない?」
「じゃあ「けどほら、楽に手に入るお金が効果的なのは誰に対しても同じだからね。よっぽどのお金持ちでもない限りはさ」あー、まあそうだな」
「でしょ」
ぼくが頷くと、海千代は苦笑混じりにカシャリと肩を竦めた。
「海千代の話を聞いた感じ上級国民だったみたいだから、あのおばさんも最初は言うのを嫌がってたけど、しょせんは赤の他人だろうしね」
誰の目も無いなら、万札で売り飛ばすくらいは躊躇しないって。
「なるほどな……」
納得したように唸る海千代。けど、一拍置いてから「でも、良かったのか?」と首を傾げた。
「良かったって何が?」
「万券。大金だろ」
「あー、まーそうだね」
渋沢さん×1人。大学生にとってはね。
「オレ、今、金ねぇぞ?」
「別にこの状況の海千代から取り立てようなんて思ってないよ」
「そりゃ、ありがてぇけどよ……」
「それより、今はどうやって例のおばさんを捕まえるか考えよ」
「むぅ……」
気が咎めたみたいで、気不味そうにチョンチョンと人差し指をつつき合わせる海千代だけど、無い袖振れない時に気にされる方が嫌だって。まあ、その辺が分かってるからこその、この反応なんだろうけどさ。
変に気にされてもだし、それ以上は何も言わないで風俗街の外に足を向けたところで、海千代がふと立ち止まって「なあ、月雪」と呼び止めてきた。
「なに?」
「これでどうだ?」
「うん?」
そう言って立ち止まった海千代の方を振り返ると
朱色の着物の裾を両手で摘んで
深紅の褌を見せてくる
「……」
「……」
どうやら、先の賄賂のお礼のつもりらしい。わざとらしく恥じらった様な雰囲気を醸し出しているけれど、その辺もまあお礼の一環かな?
球体関節の付け根を締め付ける褌はデパートのマネキンなんかを彷彿としないでもない。
「海千代……」
「おう」
「ぶっ殺されたいの?」
「え、そんな反応?」
いや、いくら造形がいいとはいえ、中身は
「なんだよ。もう少し喜べよな。折角、美少女になった恩恵を還元してんだし」
「それを還元にするには、もう少し海千代自身に対する幻想を抱かせないと無理だって」
相手への理解度が高すぎると、興奮するのも一苦労でしょ。ぼくにしても海千代にしてもさ。
「それより、一旦アパートに戻って例のおばさんの事を調べよ。もしかしたら、何か出てくるかもしれないからさ」
「だな」
頷いた海千代がカシャカシャとついてきて、ふと首を傾げる。
「そういや月雪」
「なに?」
「オレの中身込みで興奮しねえってのは分かったけど、顔のみだったらどうなんだ?」
「……」
「……」
「……海千代」
「おう」
「握り潰されたいの?」
「スンマセン」
「……」
「いででで」
その場に綺麗な全力土下座を決めた海千代の後頭部を踏み躙りながら、ぼくはまだ見ぬ浦松のおばさんとやらに思考を馳せたのだった。
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