大江山の戦いより三日後。
源氏の拠点である一条邸にて。
「面を上げよ」
「はっ」
厳かな雰囲気の中、主である源左衛門尉頼国に促され、出頭命令を受けた青年が顔を上げる。
彼らの周囲には重臣たちが控えており、多くのものが真新しい傷を負っている。その数は無傷のものよりもはるかに多い。
そしてそれは青年も例外ではない、いやむしろ彼が一番酷いだろう。
一番目立つのは左の目と右腕。どちらも最初から無かったかのように綺麗に消え失せている。それを気にしてか、重臣たちの中には五郎に同情的な視線を向ける者も居る。
しかし彼にとって、それは屈辱そのものである。
この傷は自分で選んだ対価。他人にどうこう評価されるようなものではない。
そして対価を払ってまで護りたかったものはこの手から零れ落ちた。この傷は五郎にとって無力の象徴でもあった。
「その傷にも拘らず、よくぞ来てくれた」
「有難きお言葉。ですが主命でありますれば、苦ではありませぬ」
生真面目な回答に、左衛門尉は心の中で苦笑する。
緊張しているのは若さゆえか。ここにいるのは誰もが五郎より一回り年上だ。
もう少し肩の力を抜いてもいいのだが、そう思いつつも左衛門尉は微塵もそれを顔には出さない。
感情を表に出し過ぎると、家臣から侮られてしまう。
「そうか。今日お主を呼んだのは、先日の戦いの恩賞を与えるためだ」
「恩賞、にございますか」
うむ、と頷く。
既にほとんどの武士たちには俸禄を始めとした恩賞を与えている。
しかし五郎は傷が傷であるゆえに、後回しにされていたのだ。
・・・否、後回しにされていた理由は別にある。
「お主は西方軍に多大な被害をもたらした大妖怪の封印に一躍買ったと聞いたが?」
「はっ。四の姫殿と協力し、封印することに成功いたしました」
「その後封印を解いたのも事実か?」
「その通りにございます」
「ふむ・・・」
彼の場合は恩賞を与えておしまい、というわけにはいかない。
功績と過失、両方ともある。
厄介なことに、双方ともに無視するには大きすぎる。どちらか一方を無視すれば角が立つ。口撃の材料には事欠かないだろう。
試されている、左衛門尉は思う。
五郎の処遇への批判は、彼の批判へとつながりかねない。
下手な採決をすれば、「当主の座に相応しくない」という声が出かねない。
しばらくして、左衛門尉は口を開く。
「契約で縛っているとはいえ、大妖怪を解放することは許されるものではない。だが緊急の事態であったことも認める。五郎、お主は許しが出るまで謹慎せよ」
「はっ」
「だが空亡を退けることができ、都に災厄が齎されるのを事前に防いだのもお主の功があってのこと。よって当初の予定通り一家を立てることを許す」
「多大なるご温情、真に感謝申し上げます。このご恩は必ずお返しいたします」
「うむ」
これで恩賞の話は終わりだ。
解散してもよかったが、五郎には聞かねばならぬことがあったのを思い出す。
「聞いたが、お主は四の姫殿と親しいのか?」
「はっ、恐縮ながら」
応じつつ、品格とはめんどくさいものだとつくづく思った。
「四の姫殿」と口にした時には、違和感にめまいがしてしまったほど。
「その四の姫殿だが出奔したようだ。安部家からも捜索の依頼が出ている。行き先に心当たりはあるか?」
「いえ、残念ながら。お役に立てず、申し訳ございません」
「いや、知らぬならそれでいい」
皆を下がらせると、左衛門尉は自室でくつろいでいた。
父である左馬権頭頼光が訊ねてきたのは、そんな時だった。
「事実の追認、か」
「御不快でしょうか?」
「いや、妥当なところだろう。婚約を許さぬと言えば嫁の家が騒ぎかねぬ。公家は厄介だぞ、下手に恨みを買わぬことだ」
「承知しております」
左馬権頭の言うとに、左衛門尉は素直に頷けた。
公家は本質的には武士である自分たちを見下している。自分も色々言われたが、父も公家で不快な思いをしたことがあるのだろう。
「となれば直に元服させねばな」
「分かっております。その際ですが、烏帽子親は某が務めようかと」
「―――ほう」
図るような視線に、嫌でもみが引き締まる。
自分にとって父は偉大な存在だ。向かうところ敵なしの、自分とは違い勇猛な父。
だからだろうか、時たまその圧に圧倒されることがある。
「若い者を引き上げなければなりません。今回の戦いで多くのものが討ち死にしました」
「そうだったな。源次の奴も隠居を申し出てきた」
戦いの後、渡辺源次綱が隠居を願い出た。
本人は年による不調と言っていたが、茨木童子を打ち取ったことで憂いを絶ったからではないかと皆は噂している。
「許したのか?」
「ええ、と言うよりも許さざるを得ませんでした」
「そうだな。坂上も田舎に引っ込んだ」
左馬権頭は沈痛な表情だ。
四天王である二人は彼にとって身近な存在であった。二人が表から離れたことで寂しさを感じているのだろう。
空気を変えるために、左衛門尉は一つ咳ばらいをした。
「それよりも、四の姫殿の追跡の目途を立てなければ」
「そうだな。話によると故天文博士殿が残した遺品を持ち出したそうだ」
「―――私は聞いていませんでしたが」
「面にしたくないのだろう、内々に話してきた。如何しても隠したいのだろう。その遺品は―――」
―――
御前を下がった五郎は、京の都を歩いていた。
彼は今、静姫の屋敷に世話になっている。本来なら直ぐに帰るべきなのであろうが、どうしてもそんな気にはなれなかった。
何かと世話を焼こうとするのを鬱陶しがって、というわけではない。
五郎の惨状を見てその反応になるのは仕方がない。逆の立場だったら同じことをするだろう。
「どこに行くんだい?」
「お前には関係ねえだろ」
五郎の遥か下から声が投げかけられる。
一匹の狸が彼に追随するように歩いていた。
「っていうかお前はなんでここにいるんだよ」
思わずツッコんでしまう。
彼との間に結んだ契約は「五郎の身体を対価に力を貸す」と言うもの。狸の自由を拘束する文言は入っていない。自由に山に逃げることができる。
「少し気分が変わったのさ。君の短い寿命くらいは見守ってあげてもいい、ってね」
「そうかよ。じゃあとっとと飯を取ってこい。お前にやる果物はない。貯蓄を悉く食い散らかしやがって」
「分かっているさ」
そう言うなり姿を消す。
何の気まぐれか知らないが、害がない限りは好きにさせるつもりだ。
というか好きにさせるしかない、ともいえる。残った左手も指が欠損しており、満足に刀一つ握れない。不意打ちすら必要とせず五郎を殺すことができるだろう。
一人になった五郎はギグシャクしながら歩き続け、やがて目的の場所の前に着く。
町尻小路と塩小路が交わる場所。その一角にある質素な建物。
今は空き家となった、
躊躇いなく扉を開ける。
室内には見事に何もない。僅かに残っていた私物は静の手の者が屋敷に運んでしまった。
謹慎すれば、この部屋に訪れることはない。解かれたときにはもう他の誰かの家になってしまっているだろう。
『ほら、朝餉はとっくに出来てるから早く食え』
『まったく、いつもと変わらぬのか。偶には肉の一つでも持ってこい』
「・・・ああ」
誰もいない、まっさらな部屋。
だが五郎の目には、耳には、別の光景が広がっている。
『というか貴様、余のことを『お前』と呼んだな!その不敬万死に値する、死にさらせぇ!』
『うるさい』
「やめろ・・・」
面倒な役割だった。
夜番を終えて帰れば、寝る暇すらなく朝餉の準備。
そのくせ相手は鉄のように無表情な幼児と、地震もかくやと騒々しい狐の怪異だ。
よく三日で止めなかったものだと褒めてやりたい。
「・・・クソ」
『
『四の姫様!?』
『そんな堅苦しくしなくていいですよ、五郎さん!』
「やめてくれ・・・」
そこに更に騒がしい姫まで追加された。
羨ましい、と冷やかされたこともあるが、そのたびにぶん殴ってやろうかと思った。
昼のも用事があって、眠いなか内裏に上がった。
ようやく眠れたかと思ったら夕餉の準備だ。
『いました!』
『な、何の用じゃ晴明の孫!余を祓うつもりなら臣下であるこやつを倒してからにせよ!』
だが、楽しかった。
一緒に戦って、一緒に悩んで、一緒に飯を食べた。
仕事だからと割り切っていたはずの関係は、いつの間にか掛けがえのないものになった。
実家よりも心地いい。そう思ってしまうほどには。
『ねえ、五郎―――』
「やめろっ!!!」
見たくない。思わずうずくまる。
『いつも』はもう無い。帰ってくることはない。
ここに来ない方がよかった。失ったものをまざまざと見せつけられただけだ。
「クソ・・・」
もう帰ろう、ゆっくりと立ち上がる。
そんな時だ。家の端に置かれた紙に目が留まったのは。
この家にあるはずのないもの。五郎は思わずそれを手に取った。
「―――ッ!」
内容はただ一言。
“彼女が好きな場所で”
あの出来事知っているのは、当事者二人のほかには顛末を語った後一人だけ。
気が付いた時には五郎は走り出していた。
息を切らしながら走り続ける。
体力が落ちている。そのことを実感させられた。
かなり前に彼女から妖力や霊力について解説されたのを思い出す。曰く『妖力は人間にとって毒である』と。
狸の妖力を借りたのはほんの少しの間だけだったのだが、確実に体を蝕んでいたのだろう。
「ハアハア―――ッ!」
呼吸を荒らげながらも、何とか最後の草木をかき分ける。
彼女のお気に入りの場所、それは平安京が一望できる郊外の小高い丘。
数日程度では大きな変化はなく、相も変わらず美しい花々が思う存分その弁を開いている。
―――否、一点だけ。崖の付近に。
木で作られた人間程の十字架が突き刺さっている。
それはまるで墓標、否、墓標そのものなのだろう。
「―――姫、さん」
「お久しぶりです、五郎さん。三日、いや四日ぶりですね」
墓の前に人影が一つ。
少女は変わらぬ微笑みを五郎に向ける。
何か、嫌な予感がする。
第六感が告げていたが、五郎は必死に無視する。
いつも通り、二人の間を流れる嫌な空気を誤魔化すように、四の姫に話しかけた。
「行方知れず、って聞いて心配したぜ?父君と喧嘩でもしたか?」
「ええ、そんなところです」
「ハッ、冗談が下手だな」
「五郎さん、私が冗談を言っているように見えますか?」
再び沈黙が流れる。
五郎が言葉を必死に紡ごうとしている一方、四の姫は懐から長方形の黒い物体を取り出した。
「それは、
「ええ、私が盗み出しました」
源氏に連なる者として、安部家から依頼されている以上、五郎は彼女を捕えなければならない。
だが、出来なかった。彼女が相応の覚悟を以て行動を起こしたと分かってしまったから。
「父は調伏之具を封印することを決定しました。私にはそれが許せませんでした」
「―――あいつの、形見だからか」
「それもあります」
それも?
五郎は思わず首を傾げた。
そんな彼に、四の姫は核心を突き付ける。
「五郎さん、今日はお別れを言うために呼ばせてもらいました」
「―――は」
お別れ。五郎は理解できなかった。
何度も何度も反芻して、ようやく飲み込めたときには、思わず声が漏れ出ていた。
「どういう、ことだよ―――」
戸惑う五郎を見て、四の姫は言う。
自分も、こんなことは不本意なのだと。
「ですがこれが最善手なのです。彼女が眠ったままだと、この先には繋がらない」
「彼女―――妲己の、ことか」
注視すると、普段は透明な調伏之具の中心は、うっすらと紫がかっていた。
妖力切れで昏倒していた隠神刑部のように、妲己もあの戦いで力を使い果たし、この中で眠りについている。
四の姫は更に続ける。妲己を目覚めさせるために、知識を求めて旅に出るのだと。
それを聞いた五郎の判断は早かった。
「俺も行く」
「いえ、それは出来ません」
そして、四の姫の回答も早かった。
恐らくは五郎の言葉を予想していたのだろう。
彼女の否定に、五郎は食って掛かった。
「お前ひとりで行かせられるかっ!」
「いえ、駄目です。そもそも貴方には静殿もいるでしょう?」
「俺から話せば分かってくれる!なんなら三人で旅すりゃいいだろ!」
しかしそれでも、頑として首を縦に振らない。
四の姫は言う。この旅は自分一人でなければいけないのだと。
「何でそこまで―――」
「うーん、そうですね。・・・実際に見てもらいましょうか」
そう言うなり、落ちていた木の枝を自身の手首に一気に突き出す。
頸動脈が破裂し、一面に血がまき散らされる。
五郎が介入する暇も、声を上げる時間すらなかった。
「―――は?」
四の姫は失血によって地面に倒れ―――無かった。
瞬きの間に傷が跡形もなくなる。周辺に散らかっていた血液も消失していた。
夢を見ていたのか。疑う五郎に四の姫は語り掛ける。
「大江山から接収された遺物。その中に人魚の肉がありました」
「―――まさか」
「そうです。私はそれを食べました。今の私は不死身です。おそらく、寿命もないでしょう」
「―――」
人魚。それが日本の伝説に現れたのは「日本書紀」まで遡ることができる。
吉凶の証とされた人魚であるが、中でも有名なのは八尾比丘尼伝説であろう。
「人魚の肉を食べたものは不老不死となる」
それが真であるかは令和の世を迎えた現代となっては解明のしようもない。だが五郎の前にはその伝説の体現者がいる。
「私は数百年かけて世界中を回り、妲己を叩き起こします」
「―――姫さんまで俺を置いていくのかよ」
「違いますよ。五郎さん、貴方はここで生きてください。それが私にとっての何よりの助けです」
確信めいた言葉。
慰めでも何でもない。彼女は本心からそう思っている。
それを見て、五郎は何も言えなくなる。
だが、このまま黙っているだけでは駄目だ。
何とかして言葉を捻りだす。
「一つ、約束してくれ」
「なんでも」
「俺が生きている間に会いに来てくれ。一度だけでいいから、頼む」
提案ではない。これは懇願だ。
無事であってくれ、命を捨てないでくれ。
そして―――俺を忘れないでくれ。
その全てを余すことなく四の姫は受け止める。
「それでは―――また」
「ああ―――また」
三人の道は、ここで完全に分かたれた。
一人は友のために命を捨てることを選び。
一人は友のために今を生き続けることを選び。
一人は友が開いた未来のために、その身を捧げることを選び。
この時代の話は、これでおしまい。
彼らが残した種はとても小さく、しかし確実に未来を拓いているのだった。
―――第一章:平安事変 完
―――炎は、絶やされた。
担い手は自身の炎によって焼き尽くされ、時代の奔流は担い手の存在自体を吞み込み、彼女がいたという記録は跡形もなく消え失せた。
しかしそれは、物語が終わることを意味しない。
1865年。文久4年あるいは元治元年と呼ばれる時代。
京と江戸を結ぶ中山道は大雨に見舞われていた。
「―――」
「―――」
傘も差さずに立ち竦む侍が、一人。
雨に打たれているが、意に介した様子はない。
まるで罰を望む罪人かのように、あるいは侍の代わりに泣いているかのように。
そばにいた女は予備の傘を差しだす。
向けられたのは虚ろな目。まるで死人のようだと思った。
だがむざむざと見捨てることは出来ない。
つい先ほど侍には恩ができた。直ぐにでも返さなければ気が済まない。
「アンタ、あたしの店に来ないかい?」
「―――」
時代を超えて、炎の担い手は現れる。
同時に、因縁の歯車は勢いよく回転し始める。
時代のうねりに負けないほど速く、そして強く。
第二章:幕末編 制作決定