日常
長元三年(1030年)四月
大江山の戦いより13年。五条通りの東側。
「エイ!」
「ヤア!」
庭に子供たちの賑やかな声が響く。
小さかった子供たちはいつの間にか木刀を握るまでに成長していた。
嬉しいと思うのと同時に、時間の流れに何処か戸惑う自分がいる。
「鬼若丸、踏み込みが甘い。雪王丸、型が崩れている。それでは力が入らんぞ」
「「はい!」」
相手をしているのは、殿。
片手にも関わらず、二人の木刀を軽々と受け流している。
でも子供たちは腐ることなく、果敢に殿を責め立てる。
「エイ!」
最初に踏み出したのは鬼若丸。
一層増して殿を責め立てるが、殿は小揺るぎもしない。
カンカンカン、と木同士が打ち合う音が虚しく響く。
だが鬼若丸は焦った様子が無い。
「・・・」
そろり、と雪王丸が殿の背後に忍び寄る。
鬼若丸の役割は陽動。だからこそ殿にあしらわれても、焦りは無かったのだろう。
そして迫る雪王丸に、殿は気が付いた様子はない。
「ヤア!」
殿の背後をとった!
すかさず雪王丸が木刀を天に向かって掲げる。
殿は鬼若丸との打ち合いで気づかない。当たる、誰もがそう思った。しかし―――
「よっ、と」
「うわぁ!」
「ちょっ、兄う―――ぐはっ」
鬼若丸の木刀を綺麗に受け流し、同時に横に大きくずれる。
それだけで殿は危機から簡単に脱し、鬼若丸と雪王丸は勢いそのままにぶつかり合ってしまった。
地面に倒れる二人に、殿は容赦なく言います。
「狙いが露骨過ぎだぞ、二人とも。鬼若丸は視線が雪王丸に行き過ぎだ。それに足止めならもっと激しく攻め立てろ。雪王丸に対応する暇もないほどにな。雪王丸、其方はもう少し殺気を消せ。分かりやすすぎるぞ」
「殺気、でしょうか?」
子供たちが首を傾げる。私もだ。どうにもピンとこない。
そんな空気を察したのか、殿は苦笑する。
「『敵を倒す』という気持ちだな。戦場では皆が必死なのだ。僅かな感情の一つが命を救い、命を奪うことがあるのだ。もう少し自然体でなければな」
「はあ」
「なるほど?」
雪王丸と鬼若丸が抜けた声を漏らす。
私はそれを叱ることは出来ません。“ほう”と息を吐くのが精一杯です。
殿方は何と過酷な世界に生きているのか。圧倒されてしまいます。
そんな私たちを見て、殿は笑みを溢されました。
「ま、その辺りは歳を重ねれば自ずと分かってくる」
「「はい」」
「だが策自体は良かったぞ。一人が誘導し、一人が一撃を入れる。前にも言ったがな、戦場では策を弄さなければ生き残れん。卑怯、無法と叫ばれたとしても、だ。最後に立っていた者が勝ちなのだ。その調子で精進せよ」
「「はい!」」
子供たちの声に力が戻りました。
立ち上がると、話し合いながら型の確認を始めました。
それを見ると殿は縁側に向かい、私の隣に座りました。
「お茶、如何ですか?」
「うむ、貰おうか」
私が居れたお茶を、殿は美味しそうに口にする。
“ほう”と一つ息をつく。やはり疲れているのだろうか?
「どうしたのかな?」
「いえ、お疲れではないかと。出仕の件もありますし・・・」
年始に殿の謹慎が解かれた。「一条邸に詰めるように」というお達しが出たのだ。
それは嬉しいが、殿の負担になっていないだろうか?外のことに家のこと、休まる暇がないのではないか?
私の言葉に、殿がふるふると首を振った。
「奥は心配し過ぎだ。気を使われるほどの歳ではないしな」
「そうでしょうか?」
「そうだ」
念を押すと、殿は声を上げてお笑いになった。
それほどお笑いになることはないのに・・・
「まあ忙しいのは確かだがな。鬼若丸も雪王丸も10を超えた。鬼若丸は早くても2、3年の内に元服させなければな」
「そうですね。そうなると烏帽子親ですが・・・」
私が言うと、殿は渋いお顔をなされた。
年功であれば
殿が元服なされたのは15を過ぎ、初陣どころか何度も戦に出られた後。これほど遅れたのはご実家からの妨害があったと聞きます。
私との婚姻も一因だったようです。慎ましく挙げた式に出席したのは私の親類ばかりで、殿の御親類で出席したのは今は亡き
しばらく悩む素振りを見せた後、殿はようやく口を開きました。
「御屋形様に文を出す。『烏帽子親で悩んでいる』とな」
「宜しいのですか?」
思わず聞き返してしまった。
場合によっては
それを問うと、殿は溜息をつかれた。
「・・・やむを得んことだ。
「それは・・・」
「それに嫁取りのこともある。上を狙うわけではないが、それ相応の家から貰わねばな。子達が惨めな思いをするだろう」
「・・・」
「御屋形様の御命令があれば、あれらも納得しやすいだろう」
飲み込むような言葉でした。
もしかしたらご実家よりも、殿ご自身を納得させようとしているのかもしれない。
私の視線に気が付いたのか、茶を一口飲むと表情を緩められた。
「話を変えるか。
「静かに眠っております」
男の子二人に続いての女の子。落胆されるかと思いましたが、殿は差別されずにお喜びになられました。今のように積極的に桐の様子を聞かれます。
私の言葉に、殿は満足そうにうなずきました。
「
「ええ」
揶揄うように殿は言います。
叔父上は父が亡くなった後、私の実家の当主となられました。
立場が安定しきっていないにも関わらず私のことを気にかけていただき、婚儀の際も合間を縫って出席なされました。
孫たちが可愛いのだろう。子達が生まれたときにはうんざりする量の文が送られてきて、それは桐が生まれたときも同じです。
「最もお忙しいようで、こちらに来られないことに落胆していましたが」
「そうか。私からも文を書いておこう」
叔父上と殿の関係は良好です。
殿の武勇を耳にしたのか、婚儀の際は積極的にお話になられました。
今でも年に何度か文を交わしている様です。
「奥」
一通り話し終えると、殿は改まって私を見ました。
そんなに見られると恥ずかしいのだけど・・・
「産後だろう。身体に不調はないか?」
「ええ。勿論でございます」
質問の意図が分からなかった。
初産の時とは違い、桐のお産は軽かった。横になっているのが何だか申し訳なかった程だ。
殿もそれをご存じのはず。
「忙しくなる前にな、墓参りに行こうと思うのだ」
「墓参り、ですか?」
「ああ、私が若いころ世話になった者のな。良ければだが、奥も連れていきたいと思うのだが」
「宜しいのですか?」
私が訊ねると、殿は困ったような表情で頷かれた。
お一人の方が落ち着いて墓参りできると思うのだけれど。
「一人ではな、あいつに何と言えば良いか分からんのだ」
「殿が良ければご同行いたしますが・・・子供たちはどうなさいますか?」
少し考えてから、殿は言う。
「元服後に連れて行こう。少々道が険しいのでな、もう少し身体が丈夫になってからにしたい」
「分かりました」
私もそれほど体力に自信があるというわけでもないのだけれど・・・でも婚約してから初めての外出。逢瀬、と言ってもいいのかしら?
無神経かもしれないが、少し楽しみな自分もいた。
「さて、ゆるりと行こうか」
「はい」
二日後、私たちは都から少し離れた場所にいた。
私はこれまで都の中で生まれ育った。婚約前も、ここまで都から離れたことは無かっただろう。
子供たちは小姓に任せてある。雇っているのは殿が連れてきた一人なので多少不安だが、叔父上も屋敷に来ているので問題はないだろう。
「・・・」
「・・・」
御友人の墓所は寺には無いらしい。
煩雑に整理された道をゆっくりと登ってゆく。
今の服装は町人がするような簡素なもの。出発前にこの服を渡されたときは疑問だったが、道中を見て納得した。
途中で軽食も食べながら、急ぐことなく歩いてゆく。
目的地に着いた時には、陽が空の真上まで来ていた。
木々が消えた。
遮るものがなくなり、柔らかな風が頬を優しく撫でた。
花々が咲き誇る中に、石の小塔が一人立っている。それほど年月は経っていないのだろうが、目の前に突き刺さっている刀が無ければ、目にも留まっていなかっただろう。
京の都が間近であるにも関わらずこの一帯は静寂が支配しており、しかし不思議なことに心にもたらされるのは禁忌の地に足を踏み入れてしまったかのような違和感ではなく、まるでこれが当然であるかのような、こちらに優しく寄りかかってくるような安心感だった。
花々をかき分けて小塔の前まで進むと、殿はそのまま地面に座ってしまった。
「・・・よう、久しぶりだな」
視線を向けているのは小塔か刀か。
私には分からなかった。
「十三年、十三年だぜ。俺も実感わかねえな」
「長かったんだろうな。元号も変わりゃ情勢も変わった」
「気が付けば俺も一家の主だぜ?」
「・・・本当に、長かった」
殿はそれっきり黙ってしまわれた。
沈黙を誤魔化すように、瓢箪に入れてきた水をぐい、と呷った。
私も衣服が汚れるのも構わず殿の横に座り、手を合わせた。
殿が戦場に立った、最後の戦い。二度と戦場に立てない体になったそれを、殿自身が語ることは殆どない。私だけではなく子供たちにも、時折酒を酌み交わしている叔父上にもだ。
知っているのは空亡と呼ばれる大怪異の討伐に大きな貢献をし、最愛の御友人を失ったという事実だけ。
目を開け、顔を上げた私に殿が問いかけてきた。
「静は、会ったことがあったかな?」
「一度だけ、ですが。物静かな方だったという印象があります」
実際にあったのは一度だけ。でも殿からの文には何度も出てきていた。
殿が何度も切り合って漸く倒すことのできる怪異を一刀を以て切り捨てる剛の者。どのようなお人かと緊張したが、いざ目の前に現れたのは当時の自分よりも小柄で、華奢な子供。酷く困惑したのを覚えている。
「物静かな、か」
ふふ、と殿が笑みをこぼされた。
「あれはな、それほど不愛想なものではないぞ」
「そうでしょうか?感情を表に出すようなお方だったとは・・・」
「秘訣があるのだ。付き合いの長さもそうだが、食べ物を目の前にすれば露骨だぞ」
楽し気に笑っておられる。気分を改められたようだ。
・・・聞くなら、今しかないだろう。
「殿は、彼女を好いておられたのですか?」
嫉妬ではない。ただ気になっただけ・・・。いや、やはり嫉妬なのだろうか?
私の知らない殿の顔を、彼女は知っているのだろう。
私の問いかけに殿は顔を顰めるでもなく、考えるように沈黙する。
「・・・うむ。考えてみたが『よく分からん』な」
「分からない、ですか?」
「そのような運命も会ったかもしれぬ。だがな、互いの感情に名前を付ける時間も、感情を自覚する時間も無かったのだ」
「・・・」
「それにあれが靡く男が想像つかん。あれが子を持っているところもな。我らの関係は友以上ではない、それでいい」
殿がこちらを見ると、「安心したかな?」と揶揄うように見てきた。
私は「ええ」と答えるのが精一杯だった。
「そろそろ帰ろうか」
しばらくして、殿が立ち上がった。
そして懐から袋を取り出したかと思えば、中に入っていたものをばらまき始めた。
「殿、それは?」
「花の種だ。刑部の奴に集めるように言っておいたのでな。嫌な顔をしたが、各地の花の種を満遍なく集めてきた」
「刑部・・・殿が家から連れてきたあの小姓ですか?そんな伝手を持っていたのですね」
「伝手・・・まあ、そんなところか。墓の周りだけでも、賑やかにしてやろうと思ってな」
種をまき終わると小塔に背を向け、歩き出した。
私も殿の後に続くべく立ち上がったその時、
一筋の、鋭い風が吹いた。
『次は肉持ってくる』
「どうした?静」
「・・・いえ、なんでも。それよりも殿、次はお供え物にお肉を持って行って差し上げては?」
「肉・・・腐らないかな?干し肉なら何とかなりそうだが」
「殿」
「なんだ」
「次はみんなで来ましょうね」
「・・・そうだな」