1080年(承暦4年)八月
竹田氏館にて
「父上、入りまする」
私、竹田
館の中でも特に日当たりのいい一室だ。身体が快調に向かえばよいのだが・・・
「入れ」
「はっ。失礼いたしまする」
中からの許可を頂き、静かに入室する。
部屋の中心の布団には、父が脇息にもたれ掛かっていた。
よく見れば息が上がっている。無理をすることは無いのに・・・
そば付きの女中に目をやると、静かに一礼し退室した。
「父上、寝たままでもよろしいですが」
「構わん。折角息子が訊ねてきたのだからな。それに寝ていてばかりではな、心が持たんわ」
「・・・」
何と言えば良いか分からない私を見て、父は軽く笑う。
その笑いにもどこか力が無い。そのことが無性に悲しい。
脇息にもたれ掛かっている腕も、酷くやせ細っている。
幼いころに自分たちを持ち上げ、時に厳しく稽古を付けてくれたものと一緒であるとはどうも想像できない。
私に家督を継がせた後は隠居することとなったが、お忍びで市に出向くなど病気とは無縁の方であった。生粋の
だが昨年末に母上が亡くなってから、急に体調を崩し始めた。仲睦まじい夫婦であったからな。
医者からは冬を越せるかどうか分からないと言われた。せめてひ孫の顔は見せたいのだが・・・
「どうした?先ほどから溜息をついてばかりだが」
気づかれていたか・・・
「・・・そうでしょうか?如何せん当主の座は楽ではないもので」
息子の出来は悪くない。上手くいけば数年以内に私も隠居だ。
長い間妻にも付き合ってもらったからな。労わなければ。
私の言葉に父上は顔を歪められた。
悪いことを思いつかれたときの癖だ。
「まだ慣れんか?こちらにも聞こえてくるぞ。『竹田様は良い息子殿をお持ちだ』とな」
「慣れませんな。さればこそ父上には早く良くなってもらわなければ」
「無理だ」
シンとした。温かいはずなのに部屋がやけに冷える。
「自分の身体だからな、分かる。冬は越せんだろう」
「・・・」
「そんな顔をするな。あれから六十余年、よう生きたわ。其方の仕事は嘆くことではない。『大往生であった』と称えることよ。分かるな?」
「・・・はっ」
「其方も承知であろうが竹田家には敵が多い。儂が一代で起こした家にも関わらず厚遇されておるからの、妬まれているのよ。隙を見せてはならぬ。よいな」
「はっ。ご教授、胸に刻みまする」
今度は声をしっかりと張ることができた。
父上は満足げにうむ、と頷かれ、空気を変えるように私に話しを振られた。
「それで今日はどの用件で来たのだ?まさか隠居所の相談か?」
「それについては、また後程。本日は長男拾兵衛の婚約についてご相談に参りました」
懐に納めていた書状を取り出し、父に渡す。
息子は既に元服し、殿の御傍に仕えている。失敗しながらも一つずつ学んでおり、内外からの評判は悪くない。やはり手放して正解だったか。
拾兵衛ももうすぐ20になる。婚約先の候補として名前が挙がっているのが・・・
「本家の姫、か」
父上の出身の家、我が家の本家筋に当たる人間だ。
本来ならば親族として念密な連携を取らねばならない。だが父上は家を出る前にかなり不快な思いをしたと聞く。暗殺の噂も出たという。
そのねじれは私の代にも健在で、最低限度の連絡すらも取っていなかった。関係は冷え切っていた。それなのに・・・
「だいぶ苦しいようだな」
「はっ。未だ当主が決まらぬようで。余程混乱している様です」
今年に入り本家の当主が死んだ。私よりも10程若い。数えで30ほどだ。
問題だったのは当主の息子も夭折してしまっていたこと。近々養子を取る予定だったが、その計画すら無に帰した。
そして醜い争いが始まった。『当主』。その一言の為だけに親兄弟が争った。見かねた殿が直々に介入なされたほどだ。
今権力を握っているのは前当主のすぐ下の弟。だが盤石とは言い難いらしい。我が家を陣営に取り込むために今回の話を持ってきた。
姫は数えで13になる。少し歳は離れているが、2年、3年で似合いの夫婦になるだろう。
「如何いたしましょうか」
「・・・儂は隠居、当主は其方よ。其方は如何考えている?」
「・・・受けるべきかと。これ以上本家との関係を拗れたままにしておくのは得策ではありませぬ。先ほど父上が申されました通り、我が家は敵が多いです。敵を増やすのは得策ではありませぬ」
父上の感情を思えば、この縁談は蹴るべきだ。
だが当主としてそれを許すことは出来ない。
父が私をじっと見つめる。何度も死線を潜り抜けた男の目。腰が引けそうになるのを必死に抑え込んだ。
負けられない!父を睨み返す。引いてはならぬ、ならぬのだ!
どれほど経っただろうか。先に視線を逸らしたのは父の方だった。
書状を畳むと私に差し出した。
勝ったのだという高揚感よりも疲れの方が先に来た。
「婚約に関しては儂が口出しすることはない。好きにするがいい」
「はっ。感謝いたします」
私が頭を下げると、父上は力なく首を振った。
「少し疲れた。休ませてくれるか」
「はっ。御身体、御自愛下さい。失礼いたしまする」
息子の退室する姿を見て、老人は聞かれぬように息を吐く。
道理で年を取るわけだ。記憶の中にある息子の背中と比べてあまりに大きく、気が付けば孫は嫁取りだ。
「入るぞ」
変わって世話付きの女中が入室した。
洗練された佇まいからは想像できない、おおよそ相応しい言葉遣いだが、老人はそれを咎めることはない。
「お前、死ぬのか」
「聞いていたのか」
「卑怯だぞ。質問しているのはオイラの方だ」
「ああ、死ぬな。儂は人間よ。60年、充分に生きたわ」
流れるような会話。彼らの奇妙ながらも半世紀以上も続いた関係がそうさせる。
まあ、女中にとっては瞬きするほどに短い時間だっただろうが。
「答えは見つかったか?」
「・・・まだだ」
女中の言葉に、老人はさもありなんと口元を歪める。
「そうだろうな。当の本人である我々が分からぬのだ。貴様がたった60年で理解できるようなものでは無かったということよ」
カカカ、と笑った後に激しく咳き込む。
その笑い声にも全盛程の力はなかった。
「まあ、儂が死んだあとは好きにするがいい」
「オイラを逃がすのかい?この京の都で大暴れするかもよ?」
「戯けめ。貴様がそんな器ではないことなど、とっくの昔に見抜いているわ」
老人に一蹴され、女中は思わず押し黙る。
たった60年、されど60年。女中にとってそれは決して軽いものでは無かった。
「・・・」
「・・・」
沈黙が部屋を支配する。女中は口ごもり、老人は床の中で目を閉じている。
起きているか寝ているか。読み取るのは難しい。
「・・・」
「・・・」
どこか気まずく、どこか心地いい。
これがいつまでも続けばいい。ふとそんな叶わぬ願いを抱いてしまった。
同日、丑三つ時
人々が寝静まる時間、そして同時に怪異の活動が活発になる時間。
昼間の活気が嘘のように、京の都は静まり返る。
そんな時だった。老人が目を覚ましたのは。
「・・・」
むくりと上半身を上げる。
それだけで少し息切れした。
迎えはもうじき。されど今ではない。
古い知人が遥々訪ねてきたのだ。
「・・・来たか」
「よく分かりましたね」
どこからともなく少女の声が聞こえる。
気が付けば、正面に人影があった。
不思議そうな声色。何らかの術を行使しているのだろう、老人のほかに少女を見つけた者はいない。
老人に特殊な力はない。せいぜいが先頭で刀を振るうだけしか能のない男であった。
しかしある事件の際に怪異と密接に結びついたことで、「何となく分かる」くらいには神秘の類には敏感になっていた。
「忘れられていたかと思ったぞ」
「そんな訳ありませんよ。私にとって数少ない友人なんですから」
「・・・そうか。貴女は変わらないな、姫さん」
「貴方は老いましたね」
「カカカ、当然よ。気が付けば孫まで生まれておったわ」
老人と少女。
一見すると仲のいい爺と孫のよう。
しかし二人は、まるで年の近い友人であるかのように気軽に話す。
見ているのは月明かりだけ。
二人は最後の会話を楽しむ。
「まさか貴方が一家の主まで上り詰めるとは・・・」
「意外か?」
「ええ。子を持つなら私が最初かと」
「市か。久しく行っておらんな」
「相変わらず賑わってましたよ。つい干物を買ってしまいましたよ。どうです、食べます?」
「いらん。自分で食え」
「えー。共食いじゃないですか」
「少し前に削り氷を食うたぞ」
「どうでした?」
「・・・微妙に拙い。女中のやつは喜んで食べておったがな」
「おお、そういえば。この日の為にいい酒を手に入れておいたのじゃ。一献どうじゃ?」
「いいですけど。其の身体で飲んでいいんですか?」
「・・・まあ一杯だけならいいじゃろ」
「勝てなかったのう」
「勝てませんでしたか」
「ああ。鍛えれば鍛えるほど彼奴との差を感じるばかりよ」
「そういえばじゃが。何故あ奴に執着しておったのじゃ?」
「え~。それ聞いちゃいますか~?」
「・・・やっぱりいい。聞いている間にお迎えが来そうじゃ」
「何ですかその空白!」
たちまちの内に時間は過ぎる。
気が付けば空は茜色に染まり始めていた。
少女は立ち上がると、外へと歩き始めた。
老人は少しだけ少女を引き留めた。
「行くのか?」
「ええ」
「どこに?」
「大陸です。百年は日ノ本へ帰らないでしょう。なので・・・」
言い淀む。
彼女はもう二度と老人に会うことはないだろう。
そんな彼女に老人は声を掛ける。
「儂のことは気にするな」
「・・・」
「それが無理だというなら・・・その旅を楽しめ」
「楽しめ?」
「ああ。そして最後に儂に聞かせに来い。あ奴と共に待っているでな」
目を見開く少女。
老人は言葉を続ける。百年以上に渡る一人旅で、彼女が孤独にならないように。
「そして今日から“シキ”と名乗れ」
「“シキ”?」
「ああ。其方は既に安部の姫ではない。故にだ。字は“四季”“四姫”“式”・・・好きなものを名乗れ」
四季、四姫、式。
反復して少女は飲み込む。
それでいいと老人は思う。
『四番目の姫』など彼女の名前に相応しくない。
これから彼女は膨大な出会いと別れを繰り返すのだろう。その苦しみはただの人間である自分には分からない。
これは凡人なりの祝福にして呪い。
どうか、その旅路が完遂できますように。
「・・・ありがとうございます。なんだか貰ってばかりのような気がします」
「そんなことないわ。寧ろ返しきれたか不安に思うくらいだ」
もうじき夜明けだ。
怪異の時間が終わる合図。
だからこそ、
「さらばだ、
「さようなら、五郎さん。私の大切な、大切な親友」
太陽が昇る。
同時に少女の姿が掻き消える。最初から存在していなかったかのように。
これで、奇跡のような時間はおしまい。
老人は安心して意識を手放した。
最期に親友と出会えた老人
妻を持ち、子を持ち、孫を持ち、かなり幸せな人生だった。
でもあともう二人と一匹がいれば、もっと幸福だった。
竹田氏はその後も文献で名前が度々見られたが、平治の乱で源氏側に参戦したことを最後に文献から消える。
平氏によって壊滅させられたとも、本家に吸収されたとも、現在の大阪府あたりに逃れたとも諸説ある。
老人に使えていた女中
昔、老人と契約した。
老人の葬式後、どこかに去ってしまった。
友人から一生モノのプレゼントを貰った元姫
ひとりぼっちなようで、ひとりぼっちじゃない。
だからこそ泣かないで済んだ。