SIDE:四の姫
気が付けば私は地獄の中心に居た。
そこはまるで異界のよう。地面は黒い岩のようなもので覆われ、土の一つも見えはしない。鉄でできているであろう塔が何十と聳え立ち、威圧するように私を見下ろしている。同じく鉄でできた四角形の塊の群れが数えきれないほど地面を埋め尽くしている。
自分の知らない
異界のようで、異界ではない。ここでも「日常」というものは存在する。
しかし、これらの憧憬はすでに目の前にはない。
鉄の塔は崩れ落ち、原形を保っているものを数える方が簡単なほど。黒い地面は人々の血肉で彩られ、まるで一つの絵のよう。四角形の物体の代わりに異形の怪物たちが地平線まで埋め尽くしている。
私は落ちてあった板を拾う。ひび割れた画面は反応を示さない。
鉄の建物の隙間から垣間見えた澄んだような青空は不吉な橙色へ。黄昏時の空を泳ぐ烏の鳴き声は私の不安を加速させる。
叡山が唱える末法思想とはこのことか。
どこか回らぬ頭で思考する。
ぐしゃり。私の足に柔らかな感触が伝わる。
桃色で、生暖かくて、とてもとても柔らかいもの。人の内に納められるべきもの。
吐き気がするが、寸前で抑え込む。
安部家一員として、そして
栄誉を与えられる武士や陰陽師などほんの一握り。それ以外は無残な死体を野に晒すだけ。
私は人間の成れの果てを何度も見てきた。
嗚呼、だがこれは無理だ。
私は視線を前方へと送る。その先には人間の骸が一つ。
踏んだ贓物は彼女の持ち物だったのだろう。胸から下には固まった血が水たまりを作っている。
彼女の顔は―――
―――それは無表情で、無遠慮で、それでいて誰よりも優しい人。
私にとっては恩人で、英雄で。初めての、そして数少ない友人。
「
掠れた声で口にする。いや、そもそも言葉にすらならなかったかもしれない。
彼女の死体から逃げるように視線を逸らす。しかし、その先では別の死体が濁った眼でこちらを見つめていた。
「五郎さん・・・」
限界だ。私はその体を翻す。
逃げる、逃げる、逃げる。
そのたびに虚ろな瞳が視界に映る。
まるで咎めるように、まるで何かを知らせるように、まるで励ますように。
陰陽師、武士、貴族、町人―――親しい人から名前が思い出せない人、顔すら思い出せない人までそこらに転がっている。
その顔を目にするたびに私の精神が確実に削れてゆく。
私は脚を止める。目の前には死体というのも烏滸がましい、人間の残骸が山のように積まれている。
怪異によって、烏によって、あるいは自然現象によって。崩れ落ち、白骨化した骸は誰のものか読み解くことは出来ない。
ただそんな有様に成り果てていたとしても、皆一様に私に視線を向けている。
腐り落ちた目、伽藍洞になった眼球さえも。
「嫌、止めて・・・」
普段の私からは考えられないほど弱弱しい声が漏れ出る。
走る、走る、走る。
目的地はない。ただ死体から逃げるように走る。
幾ら走っても視線からは逃れられない。
木の枝を持つ黒ずくめで碧眼の少女、浅葱色の羽織を着た武士の青年、どこか格式ばった服を着て刀を抱く青年。年齢も、性別も、国も、時代すら異なる人々。皆一様に濁った瞳で走る私を見つめている。
無風なのに空中を舞う一枚の紙。
後の時代に新聞紙として広く普及することになるそれには、『2030年』と書かれていた。
不意に私の足が止まる。
死体たちとはまた別の、こちらを見る視線を感じる。
動け、と思っても私の足は微動だにしない。
私は顔を上げる。
その視線に急かされるように。多分好奇心というものも少しは含まれていたのだろう。
瞬間、私は後悔した。
「あ」
心の底から、自分自身を憎むほど
―――見なければ、よかった。
「ああ」
黒い太陽が浮かんでいる。
異常現象?合成?妖魔によるもの?―――否、そんな生易しいものではない。
その全てが黒い力で覆われている。
霊力でも、妖力でもない、原初の力。その重圧は全ての生物に不快感を与える。
その源は恐怖の感情。全生命体が持ちうる感情の集積体、それこそが天体の正体だ。
私に気が付いたのか、黒い太陽が僅かに蠢く。
瞬間、私の体内に激痛が走る。
「―――?」
何が起こっているのか分からない。
血を吐き出す。その鉄臭さでようやく事態を理解する。
最もそれが幸福だったとは到底思えないが。
「~~~~~ッ!」
声にならない叫び声を上げる。
贓物が体内で縦横無尽にこねくり回されている。
心臓、肺、肝臓、胃、腸、子宮。全て等しく、徹底的に、生地を薄く伸ばすように。
意識を失うことはない。
何度も黒い靄に包まれそうになるが、そのたびに内側から響く激痛によって呼び起こされる。
「―――あ」
しかし人間には限界がある。
私はそれに達し、地面に吸い込まれる。
体は動かない。当然だ。既に内臓は原形を留めていない。意識があるだけ奇跡というものだ。
だがそれすらも徐々に消えてゆく。
温度が失われ、視界が暗くなる。
それは「死」。生命が一度しか経験しないはずのもの。
そして、私が何度も経験することになるものだ。
「―――ッ!」
意識が浮上する。
呼吸が重く、荒い。夢の内容は覚えていない。
嫌な汗が体中にへばりついている。外からの風が四の姫の身体を冷やしてゆく。
宿直を呼ぼうと考えたが、そんな気力は湧かなかった。
何故か生きていることに安堵し、四の姫は再び意識を手放した。
茨木童子。彼女について語る前に妖力・霊力について知ってもらう必要がある。
一話から出てきた概念の遅すぎる解説である。
まずこちらの世界には「
こちらの商品は世界の現実性を保っている重要なものなのだが、目に見えず、物体を透過し、質量がないという正に存在しているのに存在していないともいえる矛盾した存在となっている。
そして人間の中には稀に
彼らは
とまあ
重要なのは妖力の方だ。
人間は無意識に
それは心が揺らいだ時。恐怖、嫉妬、悲しみ、怒り、不安、焦り、畏れ、憎しみ。ほとんどはマイナスな感情からだ。これが一定の許容量を超えたとき、
例えば「彼が憎い」「彼女が羨ましい」といった感情から生まれた妖力は、その対象を害する呪いと化す。
「火が畏ろしい」「水が畏ろしい」といった感情なら、それを操り人に害をなす存在である妖怪・怪異が誕生する。
「
妖力はその感情によって色や性質を大きく変化させるが、共通しているのは人間にとって毒であるという点。
本来人間は妖力を操ることは出来ない。
―――否、一人だけいた。
数十年ほど昔、摂津国にて一つの命が産声を上げた。
それは生まれるはずのなかった命。
母親の執念か、通い詰めた男の恨みか、はたまた裕福な家に対する人々の羨望か、或いはその全てか。呪いを帯びた赤子はその悪しき感情に従い、流れてしまうはずであった。
しかし何の因果か彼女は生まれ落ちた。
その呪いを力に変えて。
家系図からの抹消を以て彼女は歴史の表舞台から姿を消した。
しかし時と場所を変えて京の都。悪逆の限りを尽くす鬼の幹部として再び姿を見せるのだった。
「―――茨木童子」
月が照らす一条戻橋、その中心で優雅に佇む隻腕の女性と油断なく刀を構える
全神経を研ぎ澄ませ不意の一撃に対処できるよう構える。
「お初にお目にかかります。妲己殿にその器殿」
だからこそ茨木童子の行動に困惑を隠しきれなかった。
恭しく礼を取る茨木童子。それは殷の宮廷で生きていた妲己ですら感心するほど。
巷で噂されるような荒々しさは少しも感じ取れない。
人の骸を積み上げてきたとは思えない優し気な眼差し。
そこに殺意は微塵も感じ取れない。
「本日は争うために来たのではありません。貴女と話がしたいのです。人の身でありながら名のある大妖怪を宿す貴女に」
「・・・」
警戒は緩めない。
怪異を人間の縮尺で当てはめることは出来ない。特に人を殺すことを快楽としている怪異はその傾向が強い。見た目が人間で殺意が無かったとしてもそれだけで警戒する理由になる。
「(
しかしこれは大きなチャンスだ。
どれだけの怪異が集っているのか、誰が纏めているのか。多くのことを未だ知ることが出来ていない。だからこそここで茨木童子と接触できたのはある意味幸運であるともいえる。
勿論
だからこその提案だったのだが、我が道を行く彼女がそんな案を受け入れるはずもなく。
・・・まあこれは焦りのあまり、このことを見落とした妲己の落ち度だ。
「目的、黒幕、人員。洗いざらい吐け」
「何直球に言っちゃってるのじゃ―――!?」
蜘蛛斬りの刃先を向けて放つ言葉はまさに火の玉ストレート。
妲己は思わず声を上げてしまった。
「余が探るから指示通りに話せって言ったはずじゃが!?」
うーん、ド正論。
鬼は総じて我が強い。大江山で大量の鬼が群れることができたのは、頭領である酒呑童子のカリスマと実力があってこそ。彼の鬼のカリスマは人ならば英雄と謳われたほどだ。
今回も大江山の件と同様に鬼が従っている。異なるのはカリスマによるものではないという点。もしも酒吞童子以上のカリスマを持っているならば、彼らは新たな王の名前を高らかに叫んだだろう。
となると黒幕は酒吞童子以上の力と恐怖を以って怪異を従えているということになる。
加えて目の前の鬼。茨木童子までもがその傘下にある。黒幕の存在を探るのは急務だ。何を企んでいるか不明であるが、被害が拡大する前に打ち取る必要がある。
・・・あるんだけどな~。
妲己がわざわざやる気を出したのに無駄にしちゃった我らが主役。
その思惑は―――
「めんどい」
「~~~~!」
そうだよね。話し合うより殴った方が早いからね。
先ほどまでのシリアスな空気は何処へやら。
妲己は器用に空中でのた打ち回った後、「そう言えばコヤツはこういう性格じゃった・・・」と溜息を吐いた。
「早く吐け」
天上天下唯我独尊とは釈迦ではなく彼女が放った言葉なのだろうか。
高圧的に迫る少女。しかし茨木童子は揺るがない。
さすがは酒吞童子の右腕といったところか。
だがその口から放たれたのは思いがけない言葉だった。
「よろしいですわ」
妲己は思わず耳を疑った。
隙を見て攻撃するのではないのか?
「しかし条件が。貴殿が
合点がいった。彼女は本気で引き抜こうとしているらしい。
意志を持つ怪異にとって約束、ひいては契約は人間のそれより重い。
怪異は人のように生物学的に存在している訳ではない。伝聞、恐れ、恨み―――不定形なものによって成り立っているのが妖魔だ。
だからこそ約した時点で、そのことが存在意味に書き込まれることになる。例えば「人ばかりを食している鬼」がなんの気まぐれか人間と「Aという名字の人間を食べない」と契約したとする。するとその鬼は「Aという名字以外の人間を食べる鬼」と語られるようになってしまい、鬼はその改変に逆らうことができず、消滅するまでAの名字の人間は食べることができなくなる。
茨木童子は
しかし、主導権を握っているのは
だからこそ仲間になるふりをすれば簡単に情報を抜き取れるのだが―――
「断る。とっとと話せ」
DE☆SU☆YO☆NE
無表情のまま刀を向ける
それを見て茨木童子は心底残念そうに溜息を吐いた。
「残念です。では―――」
瞬間、茨木童子の姿が掻き消え、気が付けば
人ならざる、鎧を纏ったかのような黒い腕が突き出される。常人なら対応できない。一握り以外の武士でも同様だ。
「―――力ずくで引き入れさせていただきます」
使者としての仮面は脱ぎ捨てた。鬼らしく、狂気を帯びた笑みを浮かべる。
対する少女も既に人間では無い。
尋常ならざる速度で刀を振り下ろし、腕が体に接する目前で腕と刃がぶつかり合う。
甲高い金属音が響き渡る。
腕と刀が交差しあったとは到底思えない金属音。
「望むところ」
無表情ながら、どこか嬉しそうに
唯我独尊な主人公
言葉巧みに人間を操る怪異もいる。なので一発殴って上下関係を分からせ、それから情報を吐かせた方がいい!そう、これは日本海より深い思考から導き出された、天才的な作戦なのである!
・・・たぶん。
色々台無しにされた妖狐
ドンマイ、泣いていいよ。
夢見が悪かった姫様
伝承曰く、安倍晴明は天文を読んで未来を予知していた、とのこと。
つまりそういうことです。
イレギュラーな鬼
体に
能力、心、味覚、どれを取っても人間とは言えず。
その在り方を恐れるでなく、憐れまれたのはただの一度。
その愛に、
夢の中で出てきた人たち
一部は登場予定。
黒い太陽
ラスボス。こんなんに勝てんの?
作者
・・・うん、今回も変身できなかったね!
お詫びとして妲己が腹を切ります。
次回は、次回こそは!
・・・本当です!