ゆらゆらしないで布瑠部ちゃん!   作:柚李白

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皮相剥離①

 

 

 

 

 

 

 布瑠部由良が葉隠透の監禁場所に辿り着くことが出来たのは、二匹の玉犬が透の匂いを覚えていたからだ。更には幽猫や持つ振動覚、脱兎が持つ聴力をも駆使して、街中を駆け回ることで痕跡を辿った。痕跡とは即ち、匂いや残穢。そして、音や振動。途中で遠くから声を掛けて来た新田晶は無視した。術式を使いっぱなしの状態で外を走り回るものだから、たまたまパトロール中だった警察なんかには道を塞がれそうになった。けれども、影の中に飛び込んだり大蛇を呼び出すことで無理矢理強行突破した。

 社会のルールなど、今の由良には関係無い。そんな事よりも、一刻も早く透を見付け出したかった。

 

 すれ違う通行人を驚かせながらも、由良は駆けた。ただひたすらに、可能な限りの全速力で。影に飛び込んだり、影から飛び出したりもした。乙骨颯太の前から逃げ出した時から、術式も呪力強化も使い続けて。

 

 そうして街中を駆け回る中で、脱兎が透の悲鳴を聴き取った。幸運だったのは、透が連れ去られた場所まで大した距離が無かったこと。彼女が連れ去られた場所は、住宅街の端にある人気の無い民家。その地下だった。

 

 

「透っ!!!」

 

 

 雑草だらけの庭を突っ切り、窓硝子を突き破り、和造りの廊下や居間を駆け回り。そうして由良が辿り着いたのは、大して隠されても居ない地下への階段。駆け下り、半開きとなっていた錆びた扉を走る勢いのままに殴り開く。

 

 錆びた扉が音を立てて開くなり、酷い臭いが鼻を曲げる。突入した地下室は、悍ましい工房だった。壁には幾つもの人皮が吊るしてあり、床は古い血痕と思わしきものに覆われていた。そんな踏み入るのも躊躇うような部屋の中央には、二つの人影。それを目にした瞬間、布瑠部由良は激昂せざるを得なかった。

 

 透が、大事な幼馴染みが椅子に縛り付けられたまま倒れている。その傍らに立つのは、皺だらけの青褪めた肌をした面妖な老人。閉じられた左目、半開きの右目。白く濁った瞳はガラス玉のようにも見えるが、悪意と執念だけが宿っている。

 

「黒、白っ!!」

 

 呪詛師を見るや否や。由良は式神に命令を下す。玉犬達は牙を剥いて真っ直ぐ呪詛師へと向かう。だが。

 

「待ちな!! この娘がどうなっても良いのかい!?」

「っっ!!」

 

 既に人質を取られている由良は、反射的に玉犬達に止まれと念じてしまった。結果、黒も白も呪詛師まであと一跳びと言うところで足を止める。殺したい程に憎い悪党が目の前に居るのに、殺意を行動に移すことは出来ない。下手に動いてしまえば、透に更なる危害が加えられると察してしまったからだ。

 

「ぎひっ。呪術師とは言え、小娘。人質ひとつで動けなくなるものさ。ぎひひひ!」

「っ、こ……の……っ!」

 

 拳を握る。血が滲んで、流れ落ちる程に。透が人質に取られてしまっている以上、由良はもう動けないだろう。そう確信した呪詛師は嗤い、それでも僅かの隙すら見せようとしない。握った杖の先を倒れたままの透に向けて、由良が何かしようものなら即殺すとでも言いたげだ。

 

「式神を引っ込めな。呪力もだ。この子の命が、惜しかったらねぇ……!」

「っ」

「早くしな!」

「ぅ゛あっ!? ぁああ゛っ!?」

「透っ!!」

 

 呪力が流された杖の先が、透の腹に突き刺さった。その痛みで彼女は悲鳴を上げ、それが由良を焦らせる。

 このまま黙って呪詛師に従うのには、躊躇いが生じる。しかし、従わなければ余計に透が痛め付けられる。助けに来たのに、取り戻しに来たのに、状況は悪くなる一方だ。

 

 並大抵の呪詛師など、本来は布瑠部由良に遠く及ばない。術式の格も、呪力の扱いも、呪力量も呪力効率も、何もかも。けれども今、この場の主導権を握っているのは面妖な老人ただひとり。

 

「……っ……!」

 

 由良は唇を噛み締め、手を振るう。すると玉犬達はパシャりと音を立てて溶け消えた。続いて、身に纏っていた呪力も消した。呪詛師の言葉に従うなど以ての外だったが、それでも透の命を奪われるわけには行かない。だから式神をただの影に戻した。呪力を纏うのを止めた。その時。

 

「ぎひぃい!!」

「ぐぅっ!?」

 

 老人とは思えぬ跳躍を見せた呪詛師が由良に向かって跳び掛かり、杖を以て胸を突き刺す。その勢いは由良の胸部を捉えても弱まらず、彼女を容易く階段へと押し倒した。背中が激しく打ち付けられて、息が止まる。階段の角が、背中に、首に食い込んで行く。

 

「ひひひっ。あの子を殺されたくなかったら、儂等の仲間になりなっ。そしてこの糞ったれな世の中で、思う存分呪い明かそうじゃないか……!」

「ぅ、ぐ……っ」

「さぁ、さあ! これは縛りだよ、布瑠部由良! あの小娘の命と引き換えに、儂に従え……!! さぁ!!」

「ぐ、ぅう……っ!!」

 

 呪力が流された杖の先が、徐々にではあるが由良の皮膚を突き破っていく。いずれは骨に届き、最後は骨すら貫いて内臓に到達するのだろう。透の脇腹を抉った時のように。

 

 悪意が、命に迫ろうとしていた。いや、命ではなく心に。由良の魂そのものを、未来永劫縛り付けようとしている。

 

「やめ、て……っ。やめ、て! 布瑠部ちゃん、逃げ―――っ!」

 

 弱々しい透の声が、確かに由良の耳に届いた。そして。

 

 あぁ、もう駄目だ。と、階段に組み伏せられた由良は思う。もう、これ以上は。これ以上は―――。

 

 

 ―――殺すしか、なくなる。と。

 

 

 呪詛師は、決定的なミスを犯した。人質を取り、術式を解かせ、呪力を消さした。そうして出来上がった無力な由良を、美味しい餌と思い飛び付いてしまった。悪意を、殺意を、呪いを考え無しに浴びせてしまった。それ故に。見逃していた。彼女の右手が、手影絵とは違う掌印を結んでいたことに。自らが放った悪意が、殺意が、呪いが、布瑠部由良の内に在る何を叩き起こしてしまったのかを。

 

「―――領域―――」

 

 由良の身から、呪力が迸る。それは呪詛師の杖先を消し飛ばし、四方八方へと広がって。やがては、この地下室全体を覆い尽くそうと流れ続けて。

 

 その途中で。悪臭放つ地下室に、全てを攫うかのような一陣の風が通り過ぎた。

 

「は?」

 

 呪詛師が目を見開く。ごとん。と、音が響いた。

 

 由良の顔に、赤い雨が降り注ぐ。目を見開いていたのは、呪詛師だけではない。由良自身も、目の前の光景に息を止めて驚くしかなかった。

 

「ったく。独りで勝手に行きやがって……。

 あぁ、新田さん? 突っ走った馬鹿と、拐われた葉隠さんを見付けたから俺のGPS辿っ、……いやまずは救急車。代わりの術師も手配してくれると助かります。暫くの間、葉隠さんには最低でも準一級を。最悪、俺が二人共見ます。えぇ、はい。すみません、お願いします」

 

 一陣の風と共に、いや。一陣の風となって現れたのは、鍔の代わりにファーが付けられた刃幅の広い刀を持った颯太だった。彼の足元には、既に首を斬り落とされて死体となった呪詛師が転がっている。どうやら、颯太は此処に駆け付けると同時に呪詛師を殺害したようだ。呪詛師や由良ですら認識出来ない程の速度で。

 

 そんな離れ業、或いは神業を平然とやってのけた颯太は、左手に持ったスマホで晶と通話している真っ最中だ。右手の刀を逆手に持ち直しつつ、由良よりも先に葉隠の側へと歩み寄る。そして、彼女を縛る縄を楽々と斬った。

 

「ぉ、っ……こつさ……? げほっ、ごほ……っ!」

 

 ようやく自由になれた透は、救けられたと実感する。その安堵からか、彼女の視界は更に滲んだ。緊張の糸が途切れて、脇腹や腹の痛みが更に増して咳き込んだ。そしてまた、傷が酷く痛む。身体がバラバラになってしまうんじゃないかと思う程の痛みで、もはや指先ひとつすら動かせない。だけど、それでも彼女は安心していた。

 

「喋らないで。怪我してるんだから、動いちゃ駄目だよ。直ぐ救急車が来るからね、もう大丈夫だよ葉隠さん」

「っ、透……!!」

 

 赤く染まった顔をぐしゃぐしゃに歪めた由良が、倒れたままの透に駆け寄った。が、颯太の腕に阻まれてあと一歩が届かない。

 

「命に別状はねぇけど、怪我人だぞ。触るな」

「っ、離して!! 透っ、透……っ!!」

「布瑠部、ちゃ……」

「透っっ!!」

 

 生きている。確かに怪我をしているが、それでも透は生きている。まだ死んでいない。だけど、呪詛師に連れ去られ痛め付けられた大事な人を見てしまった由良は、とても平静では居られない。今の彼女は殆ど半狂乱となっていて、普段の無気力さを微塵も感じさせない程だ。

 

「ごめん、わたし……っ、わたし……! わたっ、わたしの……っ!!」

 

 泣いていた。黒い瞳からボロボロと涙を流して、みっともなく泣いていた。こんな状況になってしまった事を自責して、こうならない為にすべき事は幾らでも有ったと後悔して。こんな事になるなら、透がこんな目に遭うと分かっていたなら、もっともっと違う選択肢を選んだのに。と、自らの愚かさを責め続けて行く。そうでもしないと、気が狂いそうだった。大事な幼馴染みが傷付けられた現実が重くて、苦しくて。―――そして。

 

 やっぱりわたしは、どうしようもなく呪術師なんだ。と、絶望して。

 

「わたしがっ、わたしの……っ、わたしのせいで……っっ!!」

「―――」

 

 そんな幼馴染みを伏したままに見上げて、透は思った。やっぱり放っておけない子だな、と。悪いのは呪詛師で、布瑠部ちゃんは救けに来てくれた。誰よりも早く、駆け付けてくれた。それだけで良かったのに、全部自分のせいだって泣き喚いて。

 

 ぐるぐると色んな事を思って、なんて言ったら良いんだろうと少し悩んで。だけど最初に言うべきことは、やっぱりひとつしかなくて。

 

「―――ううん。救けに来てくれてありがと、布瑠部ちゃん! 乙骨さんも、ありがとっ!」

 

 傷の痛みを我慢しながら、透はいつもの明るい声でそう言った。今ばっかりは、表情を見られることがなくて良かったと思いながら。

 

 

 そんな三人を。全て終わったと思っている三人を。

 

 白く濁ったガラス玉が、静かに見詰めていた。

 

 

 

 

 

 

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