ゆらゆらしないで布瑠部ちゃん! 作:柚李白
あの人、ほんっとしつこい。普段は無気力にしている由良が、珍しく苛々しながら自室に戻った。透の制服の影でうとうとしながら、静かに帰路に着くことを好ましく思っているのに、時折現れる呪術師が邪魔をする。葉隠透との日常は布瑠部由良にとって掛け替えの無い時間なのに、それを何度も邪魔されている。ただでさえ男性不信で、男であれば即座に警戒してしまう由良からすれば乙骨颯太は最低最悪の男だ。
制服姿のままにベッドに倒れ込み、うつ伏せのまま両拳で何度も枕を叩く。使い古された低反発枕は、されるがままだ。
(呪術師なんてしたくない。あんな場所で、二度と生きたくない)
今の時代がどうであれ。禪院緋華が生きていた過去の時代の呪術界は、ろくでもない世界だった。人の命が平然と失われ、力無き者には人としての当たり前すら許されない。才能が有ろうと実力が有ろうと、女ってだけで下に見られる。男の物として扱われる。そんな世界に、もう一度戻りたいとは絶対に思わない。思えない。
もう呪術師なんてやらない、もう呪いと向き合いたくない。痛いのも苦しいのも悲しいのも辛いのも、全部ごめんだ。
だけど。
自分がどうしようもなく呪術師なのだと、
だから。布瑠部由良は東京中の呪霊を根絶やしにした。また近い内に呪霊が発生するかも知れないが、現時点で東京都に呪霊は存在しない。その事でヒーローや呪術師達が普段よりも仕事を失っているが、そんな事は由良の知ったことでは無かった。
いったい、いつになれば呪術界は自分の事を放っておいてくれるようになるのか。いつになったら、あの威圧的な男子に勧誘されなくて済むようになるのか。布瑠部由良は、そんな事ばかりをぐるぐると考える。
「……はぁ……」
幾ら考えたって、答えは出て来ない。枕を叩くことには飽きたのか、ごろんと転がって仰向けになった。見慣れた天井をぼーっと眺めて、掌印を組む。玉犬を呼び出す、手影絵だ。
由良の影から、二匹の犬が姿を現す。黒い犬と、白い犬。その両方が床の上にお行儀良く座って、ベッドの上の由良をじっと見詰めていた。
「取り敢えず、透を追い掛けて。何か有ったらわたしも行くから」
その指示を受けて、二匹の玉犬は同時に動き出す。黒い方が今日に扉を開いて、白い方は我先にと部屋から飛び出した。その様子を気配で感じながら、由良はゆっくりと目を閉じる。ゆっくりと深呼吸を繰り返して、今度は兎の手影絵を描く。次に呼び出したのは、脱兎だ。影の内から大量の兎が飛び出して、由良の部屋は瞬く間に兎で埋め尽くされた。
仰向けのまま体の力を抜いて、呼吸に合わせて指先から順に体の力を抜いていく。やがて由良は、夢の世界に意識を飛び立せた。
一方、その頃。
「あ、白ちゃんに黒ちゃん。今日も元気だ〜〜!」
由良の部屋を飛び出し、住宅に挟まれた公道を駆けていた玉犬達が、家に向かって歩いている透に追い付いた。元気に駆け回っている二匹の犬を、透はしゃがんで迎える。次の瞬間には大型犬に組み伏せられてしまったが、玉犬達のモフモフさで何やら幸せそうにしている。
そんな様子を隣で見ていた颯太は、頭を抱えた。人前で呪術を当たり前のように使う由良に対してもだが、呪術によって産み出された式神をただの大型犬と認識している透にもだ。何せ透は、もっと小さな頃から由良の式神と触れ合っている。特に玉犬に脱兎と触れ合う機会は多い。
当たり前に、非術師が呪術と触れ合っているこの状況。呪術師として既に働いている颯太からすれば、決して良いものとは言えない。
「……ったく。人前で呪術を使うなんて、何考えてるんだあいつは……!」
彼にもまた、苛立ちが募っていた。無気力で自堕落で、呪術規定に従わない。布瑠部由良は、呪術界からすれば間違いなく問題児だ。彼女自身が葉隠透に危害を加えるつもりはないことと、葉隠透の安全を理由に東京中の呪霊を根絶やしにしたことは知っている。知ってはいるが、式神が猛然と非術師に向かっていく光景は何度見ても見慣れるものじゃない。
「いや〜〜、今日もモフモフしてるねっ! よーしよしよしっ、良い子良い子!」
玉犬達はそれぞれ透の見えざる手に撫で回されてご満悦そうだ。端から見れば、飼い主に構って貰って大喜びの飼い犬しか見えない。実際は、呪霊を噛み殺す獰猛な式神なのだが。
「葉隠さん。その二匹は見た目は犬でも……」
「布瑠部ちゃんの影、でしょー? 分かってますって!」
いや、分かってないじゃん……。と、颯太は両手で顔を覆う。既に180cmを超え、今も尚成長中な彼がそんな姿を見せても滑稽な筈なのだが、……何処か可愛らしく見えるのは何故だろうか。
「それにしても、見た目も触り心地も本物の犬って感じだよねー。ほんとに影? リアリティがスゴい!」
「……それだけ、形が安定してるってことなんだろうね。存在感が本物って感じかな……」
「存在感が本物、って。また変な表現してるねー乙骨さんは」
「……そうかな。ほら葉隠さん、外で寝っ転がらないで立って。制服汚れちゃうよ」
「はーい乙骨ママさん!」
「ママじゃないよ、もう……」
年下の女子中学生にママ扱いされてげんなりしつつも、颯太は透に向かって手を差し伸べる。彼の行動に玉犬が一瞬唸り声を上げたが、直ぐに危険は無いと判断したのが牙をしまった。が、式神達の目は間違いなく颯太を睨んでいた。
嫌われてるなぁ、と肩を竦ませながら颯太は透を引き起こした。
「そう言えば、乙骨さんって結構体鍛えてるよね? どんな風にしてるの?」
「急にどうしたの? ……ダイエット?」
「ちっがーう! ほら私、今年雄英受けるからさ。実技試験に向けて少しでも体鍛えとかないと!」
「……あぁ、ヒーロー科に行きたいんだっけ? それなら、うーー……ん」
頬を指で掻きながら、颯太は少し考え込む。透とは、由良をスカウトしたり監視したりする中で知り合った中だ。ヒーローを目指す透のことは、素直に応援したいと思っている。が、彼に高校受験の経験は無い。乙骨家の直系子孫の一人として産まれた彼は、受験など無縁だった。とは言え、体の鍛え方なら教えられなくもない。ヒーローも呪術師も、どちらも良く体を鍛える。そうでなければとても生き残れないからだ。
そんな世界に透が行こうとしている事を由良はどう思っているのか少し気になりつつも、颯太は口を開いた。
「えーっと、俺のルーティーンとしては……まず毎朝40Kmは走るかな。一時間ぐらいで」
「は!? 毎朝40Kmを一時間で……!?」
「うん、ウォームアップ程度に軽く走ってね。その後は筋トレして、学校。後は授業とか任務で次第と鍛えられて……って、こっちは参考にならないか……」
「いやいやいや!? 全部参考にならないよっ!?」
颯太がどのようにして体を鍛えているのか。それは透にとって、残念ながらあまり参考にならない。彼が普段からしているトレーニング内容は、幾ら個性持ちだとしても常人には無茶苦茶な内容だ。特に透は、体が透明ってだけでそれ以外の身体能力は健全な女子中学生レベルだ。ヒーロー科志望しているだけあって、運動には多少の自信があるが……それでも颯太の運動量は桁違いが過ぎる。
「呪術師って、そんなに体鍛えてるんだ……」
「まぁ、みんなしっかり鍛えてるよね。呪術師もヒーローも体が資本だからさ。
ええっと、じゃあ……葉隠さんでも出来そうなトレーニングメニュー考えとくね? あ、それと葉隠さんの場合、徒手空拳が向いてると思うよ。見えないのは利点だからね」
「ほんと!? よーーし、頑張るぞーー!!」
「あはは。怪我しないように頑張ってね」
住宅街に、透の掛け声が響く。天に向かって袖を突き上げる仕草は、彼女の意欲を表していた。そんな透を見て、颯太は柔らかく笑う。透の足元に居た玉犬達は、相変わらず颯太を睨んでいた。
◇
「ジャージを買いに行きたい!」
翌日。放課後になると、透が由良に勢い良く提案した。その理由は、雄英を受験する為のものだ。ヒーローを目指すからには、やはりどうしても体を鍛えなければならない。その為に、学校指定のジャージとは別の運動着が欲しいと透は思ったからだ。今日も向こう側が透けて見える透明な幼馴染みの急な発言に、机に突っ伏して寝ていた由良は盛大に顔を顰めた。というのも、何故透がジャージを買いたいと思っているのか、その理由を玉犬越しに知っているからだ。つまり、昨日の透と颯太の会話を知っているのだ。あの男の影さえなければ、由良はノータイムで首を縦に振っただろう。しかし今は、露骨に嫌そうな顔をした後、ゆっくりと小さく頷いた。
切っ掛けがどうであれ、幼馴染みの夢は応援したい。透の高校受験を邪魔したいとは思わない。それは少し寂しいけれども、同じ進路に向かわない以上は仕方ないことだ。
「……良いけど。トレーニングするなら、怪我はしないでね」
「はーい、気を付けまーす!」
「じゃあ、行こ。デートだね」
「そうそう、買い物デートだ! ってちがーう! ただのショッピング!」
そんなやり取りの後、机に突っ伏したままだった由良は立ち上がり、学業鞄を持って教室を出る。そんな幼馴染みの後を透は直ぐに追い掛けて、直ぐ隣に並んだ。仲良く並んで廊下を抜けて、昇降口で上履きを靴に履き替えて、校舎の外へ。校門を抜けて学校前の広い行動に出ると、由良は大きく欠伸をした。
「そう言えば、今朝のニュース見た?」
「見てない」
「何か、最近東京は呪霊が居ないんだって。何でだろうね?」
「知らない。呪術師が頑張ったんでしょ」
実は自分がやりました。とは、由良は言わない。
「じゃあ乙骨さんのお陰でも有るのかな? 今度お礼言っとかなきゃ!」
「必要無いんじゃない? あんな木偶の坊には」
「……もーー、ほんと毛嫌いしてるんだから。乙骨さん、そんなに悪い人じゃないよー?」
「しつこいから嫌い」
「あー、それは確かにそうだね。呪術高専……? だっけ? 中々諦めないよねー」
普段とは違う方向に向かって歩きつつ、由良と透はお喋りを続けて行く。今の話題は、由良にとってはあまり好ましいものではない。呪術界の話題だからだ。それは透も分かっているところだが、自堕落な幼馴染みの進路が心配でわざわざ話している点も有る。
呪術高専に何度もスカウトされるぐらいの才能が由良に有るとするなら、どうせならそれを活かした方が良いんじゃないかと思っているからだ。もっとも、だからと言って呪術高専に入るように説得するなんて真似はしない。今現在幼馴染みが嫌がっていることを強要したいとは思わないからだ。
「透は、雄英受けるんだっけ?」
「うん。だからこの一年は、トレーニングと猛勉強だね!」
「勉強はしなくて良いんじゃない? 出来るでしょ?」
「いやいや、雄英の偏差値ってヤバいから! 勉強もしっかりしないと!
ところで、布瑠部ちゃんはどうするの?」
「希望無し」
「……まぁ、後で見つかると良いね!」
まだ受験に対する焦りは微塵も感じさせない会話を繰り広げながら、二人は歩みを進めていく。何処の店を覗きたいとか、何処の店でジャージを買いたいとか、そういう方針は明確には決まっていない。が、取り敢えず進む方向は決まっているようだ。
「あ、そうだ。駅前に梟カフェが出来たらしいんだけど、後で行っ「行く。絶対」
「あはは、ほんと動物が好きだねー。じゃあ将来は獣医さんとか飼育員とか向いてるかも?」
「それは嫌。見て愛でるだけが良いの」
透の提案に食い気味で返答したものの、その後に続いた進路の提案については却下した由良である。この様子では、彼女が希望したい進路を見付けるのにまだまだ時間が掛かるだろう。もしかすると、このまま何の進路も見付からず中学校を卒業……なんて事態になるかもしれない。自堕落で無気力な由良ならば、あながち有り得ない話でも無いのが恐ろしい。
布瑠部由良が進みたい進路を見付けるのは、果たしていつになる事やら。