ゆらゆらしないで布瑠部ちゃん! 作:柚李白
「それで? いったい、何のつもり?」
「いや、何がだよ」
透の買い物に付き合ったり、梟カフェを堪能した日の夜更け。家族が寝静まった後で、由良はパジャマ姿のままで家の外に出た。そして、家の近くに停めてあった車に真っ直ぐ向かった。その後、車内から姿を見せた乙骨颯太の胸倉を右手で掴んで、問い詰め始めて今に至る。
夜は自室から出ない由良が珍しく出て来たと思ったら、その直後にこれだ。颯太の眉間に皺が刻まれるのは当然だし、真っ直ぐ睨み返されても仕方がないだろう。いつもの由良なら、自分から男子に話し掛けることは無い。それどころか、男子から話し掛けられても相手にしたりしない。彼女は極度の男性不信だ。相手が同学年だろうと、少し歳が離れていようと、大人だろうと近寄らないし関わろうとしない。なのに今は、自分から颯太に対して喧嘩を売っていた。
端から見ても、颯太の目から見ても、今の由良は―――明らかに激怒していた。
「わたしと透の後を付けてたのは知ってる。何で、残穢なんて残したの?」
「はぁ? だから、何言ってんだよ。言い掛かりは止めろ」
「今日、わたしと透が梟カフェに居たのを見てたでしょ。その上、何か呪術を使って残穢を残した」
「だから、何なんだよ? マジでいい加減にしとけよテメェ」
由良はどういうつもりなのかと颯太に問い詰めるが、颯太は由良こそどういうつもりなのかと聞き返すばかり。二人の間に火花が散り始めているのは気のせいではない。明らかに、一触即発の雰囲気となってしまっている。
「最低。だから、男は嫌い……っ!」
「だぁから! 言い掛かりすんなっ!」
「―――っ!」
胸倉を掴むか細い手を、筋肉質の大きな掌が掴み返して捻じり上げる。鋭く走る手首の痛みと、抵抗出来そうに無い程の強い力を感じて由良は怯んだ。どころか、少し膝が震えている。それでも真っ直ぐ颯太の目を睨み続けるのは、気丈と言うべきか。
「ちょっ、ちょっ!? 揉め事は良くないッスよ乙骨さん! その人を刺激しちゃならないんスから!」
「あ゛? 喧嘩売って来たのはこいつだぞ」
「普段は大人しいくせに、何か有ると何でそんな血の気が増えるんスかっ! とにかく離して! 女の子に乱暴は駄目ッスよ!!」
人通りも車通りも無い、少し冷えた風が通り抜けるだけの真夜中の道路に、由良や颯太とは違う悲痛な声が響いた。車の運転席から飛び出て、これから殴り合いでもしてしまいそうな二人の間に割って入ったのは黒いスーツに身を包んだ金髪の女性。顔立ちが少し幼いようにも見えるが、運転席から飛び出て来た以上は最低でも十八歳以上なのだろう。
そんな彼女が割り込んで来たことで、由良も颯太も少しは冷静になったのかお互いに顔を背けた。颯太は由良の手を離し、由良は震えた足で二歩三歩と後ろに下がる。取り敢えず離れてくれた二人を見て、スーツの女性は安堵したように溜め息を吐く。
「……取り敢えず、初めましてッスね布瑠部さん。新田
「……平気。それより、どういう事?」
捻られた右手首を左手で包みながら、もう一度由良は問い詰める。颯太に聞いても白を切られるので、今度は晶を。
「どういう事って、何がッスか?」
「放課後、わたし達を尾行してたのは良い。だけど、その男が残穢を残したのは何のつもり?」
「……へ? いや、それはおかしいッスよ布瑠部さん。だって乙骨さんには、呪力が無いんで」
「……は……?」
晶の言葉に、由良は目を丸くするしか無かった。目の前の補助監督が颯太を庇う為に嘘を吐いているのではないかと一瞬考えたが、彼女の顔を見て直ぐに嘘を吐いてるようには見えないと思い直した。今度は「どういう事?」とでも聞きたそうに、颯太の目を見る。すると颯太は、頭の後ろをボリボリと掻いて溜め息を吐いた。
「乙骨さんは天与呪縛のフィジカルギフテッドで、呪力0の代わりに滅茶苦茶身体が強いんス。身体が強過ぎて、逆に呪霊が見えるんスよね。
だから、乙骨さんが残穢を残すなんて有り得ないッス」
「……なら、あの残穢は? 貴女が何かした?」
「いやいや、そんな真似しないッスよ。とにかく、ウチ等は何もしてないッス!」
「……じゃあ、誤解……?」
「そうなる、……ッスね。でも、残穢の件についてはこっちで調べておくッスよ」
……ひとまず。残穢の件については、由良の誤解であることが明らかになった。しかしそうなると、また別の疑問が生じて来る。いったい誰が、何の目的で、由良の側で残穢を残したのか。そもそも呪術総監部は布瑠部由良を監視する立場ではあるが、布瑠部由良と敵対するつもりはない。寧ろ、味方に引き入れようとしているぐらいだ。わざわざ彼女を怒らせるような真似をする理由は無い。で、あれば―――。
考えられる理由は、ひとつだけと言えるだろう。それはこの場に居る全員が、言葉にせずとも思い当たった。
「……布瑠部。君を狙った呪詛師の可能性が有る。こっちで対処しとくから、しばらくは不用意に外出するなよ」
◇
梟カフェで目にした残穢が、颯太の仕業ではないと知ったその翌日の朝。喧しい目覚まし時計が鳴り響くことで、由良は渋々と目を覚ました。余程寝起きが悪かったのか、今朝の彼女はとても不機嫌で、目覚まし時計を乱暴に叩いて止めた。明らかに目覚めから苛立っている。
今朝は、普段とは様子が違った。と言うのも、透が起こしに来なかったからだ。いつもならとっくに部屋に来てくれている時間だと言うのに、目覚まし時計が鳴るような時間になっても姿が見えない。その事実を変に思いながら、由良は「まぁ良いか」と瞼を閉じる。このまま二度寝でもしようと考えて、その次の瞬間には跳ね起きた。無気力で自堕落な彼女にしては、随分と機敏な動きだ。
(やられた……!)
パジャマ姿のまま部屋を飛び出て、家を出る。直ぐに玉犬二匹を呼び出し、駆け出させる。そして由良自身も駆け出そうとしたところで、今朝も眉間に皺が寄っている颯太が立ち塞がった。その時点で、どうしようもなく嫌な予感が由良の背筋を伝う。
「おい、布瑠部」
「透は!?」
「……今朝から行方知らずだ。目撃情報から、警察とヒーローが捜索してる。それから――」
「っっ!!」
「……落ち着け。焦って飛び出しても、状況は変わらん。向こうの狙いは、十中八九―――おいっ!!」
立ち塞がった颯太の脇を通り抜け、由良は駆ける。もう既に玉犬が捜索に当たっているが、だからって大人しく結果を待つなんて真似は出来ない。自分自身に降り掛かる火花が有るなら、それは払えば良い。並大抵の呪詛師が出て来たところで、それは由良にとって意に介する程のものでもない。けれども、昨夜の時点で透に警護を付けるべきだったと彼女は後悔する。呪詛師が直接、由良にだけ被害を与える筈が無い。下手に動けばその時点で総監部に目を付けられ、返り討ちに遭うのだから。
気付くべきだった。もっと警戒するべきだった。狙われているのが由良自身だとするなら、彼女の周囲にも被害が及ぶということに。
「だから、待て!!」
「っっ!」
由良が全速力で駆け出したが、一秒も経たない内に颯太は由良に追い付き、手を引いた。彼は天与呪縛のフィジカルギフテッドだ。その身体能力は、常軌など逸している。呪術師とは言え、先に駆け出した由良に追い付くことなど造作も無い。
「離してっ。透を探さないと!」
「まずは落ち着け! 今、新田さんが詳しい情報を集めてる!
良いか!? 呪詛師の狙いが君なら、闇雲に動くのは悪手だろ!!」
「それが何!? 透に何か有ってからじゃ遅いの!!」
「分かってんだよそんな事は! 良いから、少し冷静になれ!!」
「なれる訳ない! 大蛇!!」
「なっ!? てめ……っ!!」
颯太の足元。正しくは由良の影から、人間一人は容易く丸呑みに出来そうな程の蛇が飛び出した。彼の身体は凄まじい勢いで真上に打ち上げられてしまい、由良の腕から手を離してしまう。と言うよりは、自ら離した。彼女の腕から手を離さなければ、二人共が宙に打ち上げられてしまうと即座に理解したが故に。
しつこい監視役の手から逃れられた由良は、今度は捕まらないようにと脱兎を呼び出す。飛び出した兎達は寄り集まって巨大な半球状になった後、一斉に四方八方へ分かれて遁走していく。まだ宙に居る颯太の目から、由良の姿が消えてしまった。恐らくは、走る脱兎の影に隠れたのだろう。
「ぁ、……んのやろ! 何処に行きやがった!?」
悪態を吐きつつ空を蹴り、電柱の天辺に颯太は着地する。それから周囲に目を配らせるが、もう脱兎達は散り散りになってしまっている。あちらこちらへ走り回る兎を全て追い掛け回すのは、流石のフィジカルギフテッドでも骨が折れる。
状況が、刻一刻と悪い方へ転がって行く。その事実に、彼は苛立ちも焦りも隠せなかった。