黎明に〝死〟を。薄暮に〝生〟を。   作:渚 龍騎

2 / 5


 

 

 

 ある日、キャストリスは一人の女性に出会った。

 旅を続けていた最中、大雨に苛まれて、キャストリスは巨大な木の下で雨宿りをしていた。雨宿りといっても雨風を完全に凌げる訳でもなく、横風になびかれた雨が身体を叩く。風に撫でられた肌は、逆立っている。猛烈な寒さに身体が耐え切れず、微かに震え始めた。

 

 空を見上げ、暗澹としている灰色の雲群に嫌気がさす。青き天蓋を厚い雲が覆い隠して、泣き止むことのない雨を降り続かせる。それは神の齎す悲しみか、それともこの星を潤す施しか、『天空のタイタン』エーグルは一体なにを持って雨を降らせているのか。人々は鬱々とした影の中で、憂鬱な感情を巡らせていた。

 

 キャストリスも、その内の一人だった。

 大木の葉々では雨宿りには心許ない。そんなものではない。雨風を一切防ぐことかできていない。篠突く雨が降り注ぎ、葉を叩いては雨粒が根の方へと落下していく。隙間からなびく雨風はキャストリスのフードを剥がそうと躍起になり、晒された肌は雨によって叩かれて濡れていた。

 

 濡れた服がべっとりと肌に引っ付き、下がった体温をさらに冷やしていく。肌に付く服が気持ち悪い。雨を吸い切れない服から水が滴り落ちる。足下にできた水溜りに更なる波紋を広げていた。

 

 

「はあ……これは、困りましたね……」

 

 

 溜め息をつき、空を見上げる。雨粒が頬に当たり、顎先に溜まってはゆっくりと滴り落ちる。キャストリスは決心を決めて、フードを被り直すと駆け出そうと一歩前に進み出した──その時、降り注ぐ雨粒を遮って背後から傘を差し出された。

 

 

「えっ……?」

 

 

 振り返ると、そこには一人の女性が立っていた。

 優しげな微笑みでキャストリスに向けて傘を差し出す。頭を傾けて、女性はキャストリスの瞳を真っ直ぐに見つめた。

 

 

「聖女様、困っているなら、わたしの家に来て」

 

 

 それが、キャストリスとその女性の出会いだった。

 

 

 

 ◆◆◆◆

 

 

 

「今日はこの街で消耗品を買って来ようか」

 

 

 アイネは見上げるほど高い門を潜り抜けて振り返る。相も変わらず、アイネの後ろを静かに歩いていたキャストリスが、彼の提案を呑んで僅かに微笑みながら頷いた。「ええ、そうしましょう」とポケットから大切にしまっていた路銀を取り出した。 

 

 

「分担はどうしましょうか?」

 

 

 キャストリスが首を傾げると、アイネは腕を組んだまま目を眇めた。そして逡巡の迷いすら見せずにキャストリスを指差して告げた。

 

 

「キャス姐は道具一択。食材とか食料は僕が集めてくるから」

 

 

 アイネの即断にキャストリスは疑問を浮かべて首を傾げる。彼女の自覚のなさにアイネは呆れたような溜め息をつく。たまに出てくるキャストリスの天然さにはアイネも頭を抱えていた。

 

 

「この前『新鮮なお野菜を買ってきました』って言って抱えてた野菜全部を朽ちらせてたでしょ」

「あぅ……」

「それに僕が育ててた野菜も触って枯らしたよね?」

 

 

 キャストリスのの喉から「うぐっ」という不思議な音が聞こえる。あわあわと慌て始めたキャストリスの態度を見て、アイネは溜め息をついた。

 端正な顔立ちに現れた表情は「どうしてそれを知っているのですか」と言わんばかりの驚愕っぷりに染まり上がっている。

 

 

「ど、どうしてそれを知っているのですか……?」

 

 

 ────ほら、言った。

 アイネは呆れたように溜め息をつきながら頭を掻く。腕を組み、キャストリスの頭を手に持っていた本で軽く叩いた。「あぅ」という可愛らしい声が漏れ、彼女はしょんぼりと縮こまって肩を落とした。

 

 

「いや、バレバレだよ。一昨日の朝、やけにあわあわとしてるなあって思って野菜を見たら全然違う実が埋まってたし、枯れた野菜の葉が落ちてるし」

 

 

 アイネは「コホン」とわざとらしく咳をした後、キャストリスの仕草口調を真似しながら、声音を高くしてあわあわと慌てふためく様子を再現する──「あ、あの、アイネ……今日は、その……とても良い、髪質ですね。さらさらで、あの野菜の、あっ……いえ、野菜ではなくて……あああ、あわあわ」と最後は誇張して大袈裟に身振りをしてみせてから、アイネは鼻を鳴らした。

 

 

「わ、私はそんなに慌てていたでしょうか……」

「あん、やってた」

 

 

 適当な返事をするとキャストリスは自身の顎に、その白魚のように細くしなやかな指を当てて記憶を巡らせる。この仕草だけで彼女が犯人だと自ら言っているようなものだ。

 

 

「で、ですが、それだけでどうして私だと……」

「野菜を一晩で枯らせることができんの、どう考えてもキャス姐しかいないでしょ」

 

 

 アイネの言葉を受ける度にキャストリスは更に小さくなる。小動物のように丸くなっているキャストリスを見て、アイネは思わず笑いを溢した。

 腕を組みながら、彼女を優しげな眼差しで見つめた。

 

 

「なにか言うことは?」

「はい、すいませんでした……」

「うん、よろしい。なんで言わなかったの?」

 

 

 アイネが首を傾げると、キャストリスは目を逸らしながら両手の指先を合わせて口ごもる。相手は数百年も生きている聖女であり、それを叱っている青年はこの世に生を受けてまだ十数年──明らかに立場が逆だ。

 

 

「言ってくれれば怒んなかったのに、なんで?」

「いえ、その……アイネが、育つのを楽しみにしてたので、とても言えなくて……」

「はあ……そりゃあガッカリだったけどさ。誰だってミスはするし、キャス姐の場合はしょうがないことだってあるでしょ?」

「私が、もっと気を付けていれば良かったので……」

 

 

 キャストリス──アイネは彼女の過去を詳しく知らない。知っているのは彼女が『死』を信仰する都市国家エイジリアで育った聖女であり、触れただけ(ワンタッチ)で動植物の命を散らす呪いを授かっているということだけ。

 

 生命に触れることすらできない悲しみが、どれだけ深いのかアイネには理解できない。しかし、彼女がその体質とも言える呪いの所為で凄惨な過去を背負っているのは理解できた。

 

 

「ちょっとちょっと、そんな残念そうな顔しないでよ。野菜なんてまた育てればいいんだしさ。キャス姐がそんなに悲しむ必要ないって」

「私の身体は、生あるものにとっての毒みたいな存在ですから……もっと気を付けなければ、いつか罪のない人の命すらも散らせてしまうかもしれません」

 

 

 ネガティブモードに突入したキャストリスの発言に、アイネはやらかしたと頭を抱える。こうなってしまった女性の面倒さは、彼の記憶が厄介だと発している。彼女を元気づけようとなんとか思考を巡らせるが、どの未来も地雷を踏む予感しかしなかった。

 

 

「ちょっ、キャス姐ってばそんな悲観的にならないでよ。別に怒ってないって。ほら、ねえ見て、笑ってるでしょ? だからもうそんなに落ち込まないでよ」

 

 

 なんとしてでも励まそうと努力するアイネ。触ったら簡単に命を持っていかれてしまうが故に、直接この手で触れることはできないがキャストリスの目の前で必死に両手を振ってアピールを続けた。

 アイネは自分の口角に指を当てて笑ってるアピールすらするが、俯いているキャストリスにその努力は見えない。完全にお手上げ状態だ。

 

 

「どうしたもんかな……」

 

 

 キャストリスに聞こえない声で呟いて腕を組む。そこで過去の情景がフラッシュバックした。だがその景色は〝僕〟ではなく〝俺〟の記憶だ。〝俺〟は落ち込んでいる女性を〝姉さん〟と呼び、視線を落とした。

 

 視線は足下へと向けられ、床に透明な液体が蚕食しており、ラメや雪のような真っ白なパウダーが散乱している。割れたガラス片を拾い、落ちていた手のひらサイズの容器を見て、〝俺〟はプレゼントしたスノードームが壊れたことを理解した。

 

 

『……はあ』

 

 

 溜め息をつく。そして何かを悩んだ末に〝俺〟は姉さんに向けてヘンテコなぬいぐるみを出してからその背後に顔を隠して「じゃあ、今度なにか奢ってね」と優しく告げる。それを聞いた彼女は、顔を明るくして何度も頷いていた。

 

 アイネはその遡った記憶を見てから頭を掻き、溜め息をついてからキャストリスを優しく見下ろす。そして彼女がアイネを模して可愛らしく作ってくれたぬいぐるみを出し、俯く彼女の視界にそれを差し出した。

 

 

「キャスお姐ちゃん、元気出して(裏声)」

 

 

 その声色と言葉で、キャストリスはようやく顔を上げて困惑した様子でアイネを見つめる。彼女の視線の先には、顔を少し赤くして視線を逸した状態のアイネがいた。彼はぬいぐるみをキャストリスに向けており、ぬいぐるみの腕を持ち上げて「元気出して(裏声)」と動かしていた。

 

 

「アイネ……」

 

 

 キャストリスはアイネと、アイネを模して作られたぬいぐるみを交互に見つめてから笑いを溢す。それが彼なりの慰めだと理解するのはそう難しいことでは無かった。

 口元を隠して「ふふ……」と微笑みを漏らしてから、僅かな悪戯心に駆られて首を傾げた。

 

 

「なにをしているのですか?」

「だぁー!! せっかく慰めようとしてんのに!」

 

 

 キャストリスの悪戯にアイネは顔を真っ赤にしながら憤慨する。そっぽを向くアイネの顔を覗き込んで、キャストリスは柔らかく微笑んだ。

 

 

「アイネ、ありがとうございます」

 

 

 キャストリスは自身で作ったぬいぐるみを取り出して、人形遊びのようにぬいぐるみを動かして頷かせる。そして彼女はアイネのご機嫌を取ろうと彼の真似をした。

 

 

「アイネくん、元気を出してください」

「やり返していい? キャス姐なにしてんのって」

「構いませんよ」

 

 

 キャストリスが平然と笑顔でそう告げると、アイネは頭を抱えて「だぁー!」と声を上げていた。思っていた反応と違って悶絶しているようだ。

 キャストリスに冗談があまり通じないのを忘れていたアイネは、不貞腐れたように頬を膨らませると蹲る。そんな彼に向けて、キャストリスは僅かに微笑んでから枝を差し出した。

 

 

「すいません、アイネ。あなたに習って、少し揶揄って見たのです。上手くできたでしょうか?」

「あえ?」

 

 

 差し出された枝を見つめ、キャストリスを見上げる。そして己に向けて発せられた言葉の意味を理解すると、彼はバッと勢い良く立ち上がって声を荒げた。

 

 

「じゃあなに!? あのネガティブモードも全部ウソだったってことぉ!?」

「はい。やり過ぎでしたか?」

「うわ、マジかよ……はあ、心配して損した……」

 

 

 再度ガックリと肩を落とすアイネを見つめて、キャストリスはさっきの彼の努力を思い返しながら微笑む。数年前までは笑うことすらしなかった彼がここまで感情を吐露するようになったことが、キャストリスには嬉しいことだった。

 

 

「でも、あなたが私を笑わせてくれようとしてくれて、私は嬉しかったです」

「なにがさ、今の僕は心底落ち込んでるよ」

「私はあまり感情を出すのが上手くないので、アイネが私に似てしまわないか心配だったのですよ」

 

 

 首を少し傾けるキャストリス。まるで自分に似るのが悪いことかのように語る彼女に、アイネは少しばかり憤りを覚える。平然と自分を卑下するキャストリスの言動に目を眇めて、アイネは溜め息をつくと頭を乱暴に掻いて立ち上がった。

 

 

「それのどこが悪いの?」

「え……?」

「だから、キャス姐に似てなにが悪いの?」

「それは、私は感情を表に出すのが──」

「──良いよ、それでも」

 

 

 きょとん、と音が鳴った気がした。

 アイネの言葉に口を開けて呆けるキャストリスは、立ち上がった彼を見上げたまま思考を停止して固まる。そんな彼女を僅かに見下ろして、アイネは平然と語った。

 

 

「僕の母さんと何を約束したのか知らないけどさ。母さんは僕が産まれた時に死んで、ゼロから育ててくれたのはキャス姐だよ」

「ですが、それは……」

「ちょっと静かに。喋らせて」

 

 

 話始めようとするキャストリスに人差し指を立てて制する。するとアイネはキャストリスが丁寧に作ってくれたぬいぐるみを見つめながら、柔らかく語り始めた。

 

 

「僕は母さんの顔が分からない。写真では見たことあるけど、実際には見たことない。でも、もしキャス姐がいなかったら、僕はそのまま死んでただろうし、ここまで育ててくれたのはキャス姐だよ。 触らないようにしながら、ちょー大変でも育ててくれたんだからさ」

 

 

 アイネはそう語りながらも心の中では苦笑していた。

 普通の人間と違って、キャストリスは触れただけで生命の命を散らす呪いを持っている。普通に考えれば、そんな彼女が一人で子どもを育てるなど不可能だ。だがそれでも、アイネがこうして成長しているのは、彼もまたキャストリスと同様に〝普通〟ではないからだった。

 

 

「まあ、僕も大変だったけど……」

 

 

 ────それは、産まれた直後から〝記憶〟を持っていることだ。

 これが前世の記憶と呼ばれるものなのか、それとも別の世界の誰かの記憶であるのか、そもそもこの記憶が自分のものである確証がない。

 産まれた時には既にこの記憶が脳に焼きつき、意識がはっきりとしていた。物事を物心がつく前から理解し、自分で思考して行動に移すことができた。だからこそ、彼女の手助けをすることも可能だった。

 

 

「誰がなんと言おうと僕の親はキャス姐で、キャス姐は僕の大切な家族。まあ、親の温もりとかはまったく分かんないけど。それでも、僕はキャス姐の子供で良かったと思ってる」

 

 

 キャストリスに握り締められている枝の反対側を手に取る。これが触れることのできない彼女との手を繋ぐ唯一の方法だ。

 アイネは真っ直ぐに彼女の宝石のような瞳を見つめる。そして優しく微笑んで、手を引いた。

 

 

「だから、自分を卑下しないこと。たとえそれが自分であっても、大切な家族を悪くいうのはキャス姐でも許さないよ」

 

 

 冗談ぽく笑ってみせると、キャストリスも釣られて微笑んでしまう。アイネにとっては、たとえ前世の記憶があろうと〝俺〟と〝僕〟は違う人間。彼のような最悪の最後を迎えることは考えたくもない。ただ、大切な人だけを守りたい──それだけが、アイネの願いであり〝記憶の主〟が最後に望んだことだった。

 

 アイネの優しい言葉に、キャストリスは微笑んで頷く。

 

 

「ええ、分かりました」

「じゃあ約束ね。指切りげんまん……は、できないから、枝切りげんまん? 枝切るとか意味ないしなあ」

「指切り……約束を守る為の誓いだと、言っていましたね」

「そうだよ」

 

 

 試行錯誤の末、アイネはふと手に持っていたものを見つめて「あっ」と声を漏らす。そして枝を左手に持ち替えてから、ぬいぐるみの丸まった腕を差し出して、キャストリスを笑顔で見つめた。彼女もまたアイネの意図を汲み取り、ぬいぐるみの腕を差し出して重ね合わせた。

 

 

「はい、指切りげんまん〜」

 

 

 アイネは「指切った」という言葉と同時にぬいぐるみを離すが、キャストリスはされるがままポカンとしていた。そんな彼女に向けて、アイネが枝を差し出して微笑む。そしてキャストリスが枝の端を握り締めると、彼は歩き出した。

 

 

「さ、行こ行こ。今日は二人で一緒に」

 

 

 アイネに連れられるが、キャストリスは突然のことでも握り締めた枝を離さずに彼の後ろをぴったりとついていく。そしてたくましく育った彼の背中が頼もしく見え、キャストリスはあの時の自分の行動が間違いで無かったと確信した。

 

 触れられず、温もりを知らない二人が夕陽の中に沈む。その足取りは決して重くはなく、軽やかで未来への希望に満ち溢れていた。

 

 別の記憶を持つ青年。その記憶の最後は、大切な人たちの惨い死に様を目にして、自身は生きたまま焼かれるという地獄だった。

 死の呪いを持つ聖女。その祝福の意味は、彼女自身も知らない。その身に宿る『死』の意味を探して、彼女はオクヘイマへと向かう。

 二人の記憶に焼き付いた『死』の感覚は、決して薄れることもなく、ただ記憶の中に蚕食していた。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。