ボクがキャストリスと旅に出て、二年が経った。
今やボクも五歳だ。あの尻を出すことに快感を感じているアニメキャラクターと同じ年齢だ。
名前はなんだったのか記憶の中に霧が掛かっていて思い出すことはできないが、尻を出して奇妙な動きでダンスをするあの姿はボクの記憶にも不可思議なものとして焼き付いている。
「────」
前を歩くキャストリスを見上げる。彼女は振り返ることなく、風が過ぎ去る音だけが響く静寂の中で、沈黙を貫いて歩みを進めていた。
彼女と旅に出て二年も経てば、それなりに彼女のことも少なからず分かるようにはなった。
キャストリスは人と関わるのが苦手だ。
恐らくはその呪いの所為で、まともに人と関わることができなかったのだろう。そしてなにより、感情がを見せることが少ない。まったく反応がないわけではなく、驚きを見せることもあれば、僅かに悲しげな表情を滲ませることもある。だが、感情の起伏がほぼない。
二年、その月日でボクは自分の中に存在してるもう一つの記憶についてある程度の整理が付いた。
一つ、もう一つの記憶の大半は霧がかかっていて思い出せない。名前も思い出せないのもその一つだ。
二つ、記憶に焼き付いているのは『姉』の存在が大半で、両親の顔を思い出すことができない。そしてなにより、『姉』には抱いている感情が、両親には感じられない。
三つ、毎晩のように見るもう一つの記憶の最後。そこで聞こえた笑い声、あれはいったい誰のものであったのだろうか。
四つ、もう一つの記憶を認識するようになってから、常に誰かに見られているような感覚がある。二年前はほんの微かにしか感じていなかったのが、より鮮明に感じられる。
「あの、キャストリスさん」
「はい、どうされましたか?」
「キャストリスさんは、どうして旅をしてるの?」
ボクの問いかけにキャストリスさんは僅かに目を逸らす。そして少し考えてから、彼女はゆったりとした口調で答えた。
「私は、この身に宿る呪いの意味も求めて、タナトスを探しています」
「たなとす……ってなに?」
「……タイタンのことは知っていますか?」
聞いたことのない言葉に首を傾げる。
キャストリスさんは「そうですか……」と呟いてから、辺りをゆっくりと見渡す。丁度腰を掛けられそうな岩場に彼女は腰を下ろした。
「では、ここで休憩をするついでに、タイタンのことをお話しいたしょう。少し難しいかもしれませんが、よろしいですか?」
こう見えて中身は二十歳ぐらいだし、勉強が必要な専門的なものは全く分からないが、ここの世界観ぐらいは理解できるはずだ。
ボクは隣に腰を下ろして、キャストリスさんを見上げる。そして彼女はゆったりとした口調でこの世界──オンパロスについて語り始めた。この世界の起源、タイタンのこと、啓蒙記や造物紀などのこと、キャストリスさんはボクにも分かるように嚙み砕いて教えてくれた。
まるでおとぎ話でも聞かせるように、丁寧にだ。
そうしてどれだけの時が流れたのか、キャストリスさんの話が終わった時、ボクは後悔の念に包まれていた。
岩場に寝転がって、呻きながら声を漏らす。
「わけわからん」
想像以上にこの世界のことが難しすぎた。
まず用語が多すぎだ。タイタンだけでなく、都市の名前、オンパロスの現状や過去、あまりにも複雑すぎてもう一つの記憶を持っているボクの脳みそでは理解できなかった。
おかしい。大人に近い思考能力をもっていれば理解できると思っていたが、もしやボクのもう一つの記憶の持ち主は有り得ないほどの馬鹿だったのだろうか。
そう考えたら、なんかちょっと自分にムカついてきた。誰かの所為にしたいのに自分の顔しか思い浮かばない。
もう一つの記憶を持って異世界で無双、みたいなアニメ、小説のような展開を考えていたが、世の中そんなに甘くはないらしい。
まあ、そうだよなあ。
チート能力があったら、あんな酒浸りの親父に暴力を振るわれたりなんてしていない。とっくのとうに抜け出して、
「すいません、私の説明が下手だったでしょうか」
「いや、すっごい分かりやすかった。ただボクのスペックが無さ過ぎただけだから。キャストリスさんの説明は、おとぎ話を聞いてるみたいで面白かったよ」
「すぺっく、ですか?」
「うん。ボクの脳みその容量がなかったってこと。なんか、詳しい内容は頭に入って来なかったけど、キャストリスさんの話が上手かったってことだけは覚えてる」
そういうことあるよね。映画の内容はよくわからなかったというか、言葉では詳しく言えないけどなんか凄くて良かったなあぐらいの感想しかでないの。
これってボクだけなのかな。
「キャストリスさんは、自分の呪いはタナトスが原因だと思って探す旅に出てるってこと?」
「そう、ですね……」
なにか言いたくないことでもあるかのように、キャストリスさんは眼を逸らす。だが、そこは深く突っ込まなかった。言いたくないことがあるのは、誰だってそうだ。ボクもこのもう一つの記憶に関しては、あまり人には話したくない。
話すと、あの記憶が脳裏を過るのだ。
家族が残酷な姿で死に、この肉体が生きたまま業火に焼かれる──その最後は、記憶だけでなく悪夢としてみることもある。その時は全身に激痛が走って飛び起きるのだ。
記憶について整理する時も、数日は悪夢にうなされた。
そのおかげである程度の収穫はあったが。キャストリスさんにかなりの心配をされた。
「覚えること多すぎて、このままケファレみたいになっちゃいそうだ」
ふと覚えたばかりのことを呟いて空を見上げる。その時、隣から「ふふ」と零れるような笑い声が聞こえ、ボクは即座に起き上がってキャストリスさんを見つめた。
彼女は口元を隠しながら柔らかく微笑んでいた。
ボクの視線に気が付いた彼女は「どうかしましたか?」と首を傾げた。
この時初めて、彼女の笑顔を見た。
あまりにも綺麗で、まるで咲き誇る花のように可憐で、思わず見惚れるほどに美しかった。
「あ、いや、キャストリスさんって笑うんだなって」
「あまり人前で感情を出すのが少し苦手で……おかしかったですか……?」
自信なさげにそう言う彼女に、そんなわけないと勢いよく首を振った。
「むしろすっごく可愛かった」
きょとん、音が鳴ったような気がした。
ボクの発言にキャストリスさんは呆けた表情を浮かべる。もともとの顔立ちがあまりにも綺麗な故にどんな表情をしていても絵になるのだが、その笑顔はボクの胸にぶっ刺さった。
ボクは自分がなにを言っているのか理解して、すぐに「ごめんなさい」と謝ってしまった。
変な空気がボクたちの間で席巻する。そんな気まずい沈黙を破って、ボクは話を切り出した。
「あの、ボクの母さんからなにを頼まれたの?」
「すいません、それは言えません」
「なんで?」
「それもウェネリスさんとの約束なので……」
キャストリスさんは申し訳なさそうにそう言った。
約束なら仕方がない。なにを頼まれたのか、それを教えてもらえないのなら一つだけ聞きたいことがあった。
「キャストリスさんにとって、ボクの母さんはなに?」
キャストリスさんは少し悩んでから「これは、私だけが思っているのかもしれませんが」と自信なさ気に答えた。
「友人です。とても、大切な──」
感情をまったく出さない、声色も変わらない、なにを考えているのか分からない、暗い表情の彼女の顔がその時だけ柔らかく微笑んでいるように見えた。
「そっか。キャストリスさんは母さんからなんて呼ばれてたの?」
「えっ……キャスちゃん、でしたね」
「キャスちゃんか。他の人からは?」
キャストリスさんは少しだけ思考を巡らせてから「一度だけ」と、思い出したかのように言い出した。
「一度だけ、友人に『キャスお姉さん』と呼ばれたことがあります」
「キャスお姉さん……ね。じゃあさ、ボクはキャス姐って呼んでもいい?」
「はい、大丈夫です」
「その代わりに、ボクのことは呼び捨てで呼んでよ。いつも『様』とか『さん』とか年上なのに、距離感遠い呼び方だったしさ」
ボクの提案にキャス姐は少し困ったような表情を浮かべる。そんな彼女に向けて微笑みながら、人差し指を立てた。
「ただ、ボクの名前もちょっと長いし『アイネ』って呼んでくれたら嬉しいな」
「あ、アイネ、さ……」
「さんはいらないよ」
人を呼び捨てで呼んだことがないのからなのか、キャス姐は少し恥ずかしがってるような様子でボクの名前を呼んだ。しかし『さん』と小さく付けてしまっている。
「まあ、少しずつ慣れてくれればいいよ。呼んでくれなかったら、誘拐だーって叫んで街に駆け込むから」
「それは……困ります……」
「冗談だよ」
少し慌てた様子のキャス姐に微笑みかけると、彼女はほっと安堵して「そう、なのですね」と慣れない笑みを浮かべた。
彼女なりの気遣いなのだろうか。これから先も長いのであれば、ゆっくりと彼女に歩み寄ればいい、そう思っていた。
というより、もし街に駆け込んでもワンタッチで相手の命を奪える能力なんてチートのまたチート。キャス姐はその力にかなり悩んでいるが、異世界転生なら最強能力ではある。
◆◆◆◆
「まあ、一応ライコスさんの所に依頼した両親から子供の話は聞けたし、写真も貰えたから……あの人の話は嘘じゃ無かったってことだよね」
「やはり、アイネの勘違いだったのでは?」
キャストリスにそう言われて、アイネは不貞腐れるように片頬を膨らませた。
「今までの僕の予感は百発百中だったじゃん」
「そう、でしたか……?」
キャストリスが首を傾げる。そんな彼女の態度を見たアイネは「っはっはぁぁぁん?」と挑発するように腕を組んでそっぽを向いた。
不貞腐れながら、アイネは自信満々に己の出来事を語っていく。
「三年前の大嵐の前日に宿に泊まろうって提案したの誰でしたっけぇ?」
「アイネが疲れたって駄々こねたからでは……」
「うぐっ。嫌な予感して切った野菜が腐ってたの見抜いたの僕だし」
「前日の夜に摘み食いをしてましたね。トイレでお腹抱えて長時間篭ってたの知っていますよ」
「んぶっ。えっと、ほら、あとは……えーっと」
思考を巡らせて考えに考えるアイネ。キャストリスは苦笑するが、彼はハッと思い出して人差し指を立てた。まるで子供の自慢を聞く母親の図だ。
「ほらっ、あれあれ。カディルって都市の近くにあった神殿の罠を見破ったの僕だよ!」
「ああ、そうでしたね」
首をこてんと傾けて微笑むキャストリス。彼女の表情を見つめながら、アイネは「な、なにさ」と不満を漏らして後退り。笑顔を浮かべたままじーっとアイネを見つめるキャストリスの圧に押されるアイネ。
「えっ、なにその顔」
「────」
「なにさ、間違ったこと言ってないよ!」
「────」
「なんだし、なんだよぉ!」
「────」
「だぁぁぁぁあっ! そうだよっ! 宝箱に目が眩んでまんまと罠に嵌まったのは僕だよ!!」
圧に耐え切れず白状したアイネに、キャストリスは微笑んだまま「よく言えましたね」と顔を赤くする彼を慰めた。
実際その時は、明らかに罠だと思えるような場所に宝箱があり、キャストリスの制止を振り切ってアイネが飛び付き、そのまま落下するという事故があった。
『キャス姐、宝箱だよ!』
『あ、アイネ、それは罠だと思いますよ』
『そんなことないでしょー! こんな分かりやすい罠なんて、逆にちょー凄い宝箱に違いないんだからさっ!』
そのまま踏み出した瞬間、何かのスイッチを押し込み、そのまま用水路のような場所まで落ちていく。
『あ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁああぁぁぁっ!!』
キャストリスは少し微笑む。川から這い上がって来たアイネがずぶ濡れになった上に、藻のようなものを頭に乗せてすごく臭くなっていたのを思い出していた。
「あれ以来すべての宝箱を怪しいって、アイネは言っていますよね」
「…………っっ……。べ、別に罠がトラウマになってるわけじゃないし。注意深くなってて何が悪いのさ」
「別に責めているわけではありませんよ」
キャストリスは背伸びをしてから触れないように、アイネの頭上で撫でるような仕草をする。その時の表情は、穏やかでまるで本当の母親のようでもあった。
アイネの首に巻かれていたマフラーが崩れたのを見て、キャストリスは丁寧に巻き直していく。アイネの脳裏にはキャストリスと、もう一つの記憶の姉が重なり合った。
心が暖かくなるような感覚にアイネは懐かしさすら覚え、その深窓に眠る慕情はいったいなんなのか分からなかった。
「んあぁ! ほら行こっ!」
恥ずかしさを感じて、アイネは顔を赤くしながら足早に歩いていく。そんな恥ずかしさを紛らわせて歩く彼の後ろを、キャストリスは柔らかに微笑んでからついていった。
神殿は街から東の方へと二時間ほど歩いた場所にある。荒れた崖沿いの道を歩いて行き、森の中を抜けた先にその神殿はあり、豪勢な作りではあるが、長い間だれも手を付けていないことは一目瞭然だった。
天にそびえ立つ石柱は今は苔に覆われ、ひび割れた表面から草花が芽吹き、かつての威光が未だ残るものの、静かな荒廃だけが今は残っている。崩れ落ちた壁や床の亀裂には、風化の兆候が垣間見え、雨風に吹かれて崩れ落ちるのも、時間の問題だろう。
「こりゃあ神様も来たがらないわなぁ」
苔生した石段を踏み締めながら、アイネはそう呟く。先にアーチ型の大門を潜り抜けたキャストリスが、門に刻まれた刻印に手を触れて空まで伸びるような大きな天井を見上げた。
支柱の一つが奥に繋がる通路を塞ぐように倒れており、キャストリスがアイネの名を呼ぶ。そして意図を察したアイネが自信満々に手を叩き「っしゃあ任せて!」とオロニクスの祈言を使用した。
アイネの祈言に反応した『歳月』の力が、石柱とその周辺に異変をもたらす。崩れ落ちた破片が石柱に集まっていき、傷などまるで無かったかのように元に戻り、倒れた石柱がゆっくりと立ち上がっていった。
オロニクスの祈言──『歳月』のタイタンの残滓。それは端的に言えば、物の時間を戻すというものだ。
「ほいほら、頑固な支柱の崩壊もこの通り。時が戻ったようにピカピカっ!」
「流石ですね、アイネ」
キャストリスが微笑みながら褒めると、アイネは胸を張りながら鼻を鳴らす。オロニクスの祈言で石柱の時間を巻き戻した二人は、辺りを見渡しながら通路を通り抜けた。
そして壁に大きく刻まれた刻印を見上げて、アイネは首を傾げた。
「この紋様みたいなのなに?」
「…………
「じゃあ本当だったんだ。でもキャス姐、構えた方が良いかも」
アイネの言葉でキャストリスが振り返る。その先には人の形を宿した異形の者──二カドリーの眷属たちがそれぞれの武器を構えて二人に殺気を向けていた。
頭部を覆う仮面は鋭利に尖り、黄金に輝いている。人というよりも、鉱石で造られた戦闘鎧を纏った人形のようだ。
青い石のようなものが筋肉のように配置され、逞しく太い腕で構えた屈強かつ頑強な肉体の眷属。しなやかな腕でありながらも、その手に携えた剛弓に光の矢を添えて、矢先を二人に向けて構えていた。
「弓とか、僕とキャラ被ってるんだよね。使うなら、マネージャーのキャス姐に聞かないとダメだよ」
「えっ、私ですか……?」
アイネはキャストリスを余所に肩に担いでいた漆黒の弓を手に取り、矢を番える。それは『
アイネは自信満々に、得意げな表情を浮かべながら眼前の敵を鋭い炯眼で見つめた。
「ほらほら。キャス姐、前だよ前」
弓を構えながらも目を見張ったのは、その背後にいる岩のような巨躯を持った眷族だ。
黄金の光を帯びた円環を背に戴き、尖塔のような兜を被って、顔は鋼鉄の如き仮面に覆われている。その周りにいる眷属に比べて、立っているだけで圧倒的な威圧感と重厚感を感じさせる巨躯は、白銀を基調としながら群青が鋼鉄の身体に差し込まれ、背中からマントのようになびいていた。
「デカ過ぎんだろ……」
思わず某作品のセリフが口から漏れた。
二カドリーの眷属──『天罰の先兵』に握り締められた巨大な剣は、金と白の装飾が施された豪勢な剣だ。豪腕がその剣を振るい、風を切る音と共に鈍い音が響く。
「後ろに下がっていてください」
キャストリスは一歩前に踏み出て右手を大きく掲げる。白魚のような指が宙を描き、手の腹から水が零れ落ちる──否、それは水に似ていながらも蜂蜜のように重く、紫色の光を孕んだ液体だった。
ステュクス──それをゆっくりと描くように撫で、右手で線をなぞる度に美しい紫色の軌跡となる。両掌で弧を作り、空に絵を描くようにステュクスを自在に操って薄膜へと変化させ、輪郭を整えていった。
彼女が右手を前に突き出すと、練り込められたステュクスの残滓が彼女の右手に集束。意思に反応してその形を変化させる。粘性を帯びた奇しい光の水が細長く伸び、彼女の背丈を超える大鎌となって音もなく掌に重みを預けた。
「ここは私が────」
新月を刈り取ったような刃が残光を引き、キャストリスは白銀の骨格と紫の流紋が絡み合った柄を握り締める。感触を確かめるように軽く振るい、彼女の華奢な身体に似合わない大鎌が空気を薄紙のように切り裂いた。
一歩ずつ悠然と歩んでいく義母の背中を見つめて、アイネは口元を抑えながら「僕のお母さんすっごいイケメン」と感動に浸っていた。
物静かな彼女からは想像もつかないような武器を軽々と振り回す姿は、普段からのほんわかした雰囲気とかけ離れている。これこそまさに『死』を捧げる聖女の姿ともいえるだろう。
アイネは彼女の背中を見ながらも弓を構えた。
「キャス姐、好きに暴れていいよ。その命を刈り取る形をした鎌を振り回して。僕が背中を守るよ」
そう言って、一瞥したキャストリスが「ありがとうございます」と呟いてから鎌を振るった。