「本日ジャンプの指導に来てくださった魚淵翔先生です」
強化合宿から何日かして、ルクス東山にジャンプ専門の先生がやってきた。
唯も噂には聞いたことがある。世界中のスケーターのジャンプを跳ばせるために定住せずに飛び回っているさすらいのジャンプ習得請負人。
いつも引っ張りだこで簡単に予約が取れる存在ではない。
しかし今回、全日本ノービスに出場する選手が二人、それも1位と2位の選手がいるということで優先してきてもらう事ができたのだ。
「僕のジャンプ練習ではこれを使います」
そう言って魚淵は道具を取り出す。
「ハーネス!」
「そう、これを使って軸の補正をして正しい位置取りを体に覚えさせるのが僕の役割だよ」
百聞は一見に如かずと実際やってみることになる。
まずはいのり、いのりは全日本ノービスまでのわずかな期間で3回転フリップと3回転ルッツをマスターしなければならない。
そうは言っても3回転ルッツや3回転フリップは3回転の中でも上位の難易度を誇る。
いかにジャンプの先生といえどそう簡単に習得させられるはずがない。それが皆の総意だった。
3回転ルッツ 着氷
3回転フリップ 着氷
あまりにあっけなかった。
「ええ!?あれ私!?跳べた!?」
成功させたいのり自身ですらその成長に疑問を抱く。
「こんな急成長するものなんですか!?」
「僕の経験から言わせてもらうと・・・結構ありますね」
「結構あるの!?」
ハーネスというまるで魔法のようなジャンプ矯正機。皆がそのハーネスに群がる。
(ハーネス・・・凄い)
かくいう唯もまたいのりを急成長させたハーネスに驚いていた。
唯の番が回ってくると何を跳ぶか尋ねられる。
「・・・まずは3回転アクセルでお願いします」
「3回転アクセルね、わかった」
そう言うと唯が滑ると同時に魚淵も並走しながらついて行く。
唯には
それを十全に生かすには練習にて、より精度の高い成功体験を積むことが鍵となる。
(やっぱりそうだ・・・)
3回転アクセル 着氷
(
普通に跳んではぶれてしまう軸をハーネスによって矯正する。その正しい姿勢のジャンプの『感覚』を唯は掴むことが出来る。ハーネスと
「魚淵先生、一つ試したいことがあります」
その内容を話すと魚淵は驚きもせず了承した。
(私が光に勝つために・・・光を超える技を習得しなければならない)
自分が使える中で難易度の高い3回転アクセル、3回転ルッツ+3回転ループ。これらの技術革新が光に勝つための鍵だと思っていた。
(でもこの二つの技術が織り成す相乗効果があれば出来るかもしれない・・・)
それは女子選手ではシニアですら滅多にお目にかかれない技。技術的ブレイクスルー。
トウを突く勢い、回転速度、ジャンプの高さ、姿勢、全てを一新する。
(不可能挑戦・・・)
4回転トウループ 着氷
周りで見ていた人たちがそれを見てざわめく。
「唯ちゃん・・・今の・・・」
そう話しかけたいのりの言葉は唯には聞こえていない。
「降りた」
(降りた・・・降りた!この不可能の領域!4回転!狼嵜光を超えるジャンプ!)
掴んだ。その『感覚』を決して放しはしない。
「すいません」
ハーネスを手早く外し、身一つとなって氷の上を駆け出す。
(出来る・・・出来る!憶えてる!『感覚』!)
(光を殺す新兵器!)
4回転トウループ 着氷
ハーネスなしでも成功。それは明らかなジャンプの習得を示していた。
「唯ちゃん・・・」
誰もが唯の革新を呆然と見るの中でいのりはひとり覚悟を決める。
自分が勝たなければならないのはあれだ。あの化け物だ。そして狼嵜光に勝つためにはあれがいるのだ。
「早く・・・上達しないと」
もう焦りはしない。技術力に差があることは分かっていた。自分がするべきはまず目の前の3回転ルッツという壁なのだ。
唯の成長と共にいのりも確かに成長の一歩を踏みしめていた。
魚淵が帰ることをだれもが惜しむ。唯もそのうちの一人だ。
でももう十分だった。彼はスケーターに鮮烈な夢を見せてくれた。その夢を現実にするのは自分の役目だ。
そんな翌日、司がハーネスを持ってきた。
「早速使ってみよう」
司が生徒にハーネスを付けて、ジャンプを跳ばせる。
アイスダンスで培った並走する技術、加えて
「凄い!司先生使えてるじゃないですか!」
「うん、昨日魚淵先生の動きをしっかり見れたからね」
見ただけで出来るならその技術は溢れかえっているだろう。他人と自身の動きを把握する生来の才能とアイスダンス選手として積み上げてきた経験がその魔法を実現させた。意外なコーチとしての才能が司に芽生えたのだ。
とはいえ
「司先生次は私です!」
いのりが嬉しそうに司の元へ行く。
少しでもジャンプをものにしたいいのりはやる気を込めてジャンプに挑む。
「よし!」
ハーネス技術は本当に歴史が浅い。
有効的で革新的な技術であると同時に、まだ経験も蓄積もない。資格も指導方法もないその技術は誰もが開拓者となって手探りで探るしかないのが現状だ。
故にそういう事故は起きうる。
「あ、こける」
唯はその様子をぼんやりと眺めることしか出来なかった。
直後、ドガッという鈍い重低音がリンク上に響く。
他の生徒と違いいのりの幅のあるジャンプに司はついていけなかった。そしていのりをかばうために竿を手放すことも出来ず胴体から正面向きに転倒した。
「司先生!大丈夫ですか!?」
うずくまる司、苦悶する表情はしっかりといのりの目に焼き付いていた。
「プハッ、息が・・・」
息を吹き返すと司はすぐに元気そうにアピールする。
「大丈夫!大丈夫だから、心配しないでね!」
そう言って司は病院へと向かう。
いのりは全日本ノービス予選で自分のために戦うことを覚えた。しかし心根は優しくて臆病な少女だ。
事故が起きたのは仕方がないことだ。しかしそう簡単に割り切れることでもない。
その怪我がちらついて、いのりが3回転ルッツを降りられなくなるのも仕方がないことだった。
いのりが3回転ルッツを跳べなくなったため、新潟にいる魚淵を頼りにいった。
そして帰ってくるとなぜか4回転サルコウを習得していた。
「いやなんで?」
「唯ちゃん、これで私も戦えるよ」
どんなマジックを使ったのか、いのりの4回転はしっかりと安定していて回転不足も見られなかった。
サルコウが得意なのは知っていたが、3回転アクセルの土俵もなしに4回転を覚えてくるとはさすがに予想だにしなかった。
「全日本ノービスの金メダルは私が貰う」
「・・・上等だよ。
そうはいってもこの短期間で4回転サルコウを習得してきたいのりに危機感を覚えざるを得ない。
(そもそもどういう原理?私の予想ではいのりは物覚えはそんなに良くないイメージだったけど?)
2年間で急成長を遂げてきたいのりだが、実はそこまで技術習得に分があるタイプではない。
(いのりの成長の根幹を握る集中力と執念・・・)
唯は気づく。いのりが習得、つまりインプットを得意とするタイプではないのなら恐らく成長の鍵はアウトプットにある。
(単なる成長じゃない!成功し続けているんだ!0から1の開拓を得意とするアウトプット
インプットを得意とするタイプは自分の欠点を理解、分析してものにする。爆発的な成長が少ないが、確実にステップアップするため結果的に速い成長につながる。
対してアウトプットを得意とするタイプは革新的な成功を見せるが、その内訳を詳細に理解しているわけでは無いので完全習得まで時間がかかる。しかしこの0から1というまずは為さなければならない段階を急に成功させるので、瞬間の爆発的な成長が見込める。
いのりはアウトプットを得意とするタイプだがその集中力と執念から初めての成功の感覚を何度も刻むことで無理やり体に沁み込ませたのだ。
(いのりはアウトプット
インプット
唯の中に選手を区切る新しい分析が生まれる。
(私は・・・自分でもよく分析するしインプット
いざ自分にそれをあてはめようとすると意外とすぐには分からない。
(光は多分インプット型かな?あの見ただけで情報を処理して自分に落とし込む能力は唯一無二だ)
他人を見る分にはかなり詳細に理解できる。
(でも・・・そうだ・・・こうやって選手をタイプに分けて分類していけば、理解できない相手もフォーマットで明かすことができる。理解できればもっと相手を喰える!)
新しい分析方法、選手のカテゴライズを習得する。
(他にもあるはずだ!それを見つける)
全日本ノービス、あの同世代最強決定戦なら数多のタイプの選手が集まる。最高の選手見本市場だ。
(俄然楽しみになってきた!)
自分の成長という可能性に胸を躍らせながら、唯は大会を心待ちにしていた。
「3回転ルッツ習得しに行ったのに4回転サルコウ持って帰ってきた・・・」