唯が初めて光に会ったのは、スケートを初めてしばらくしたころだった。
理鳳とともにスケートリンクに現れた光はスポーツウェアを着ていてもお姫様のように華やかだった。
「光ちゃん・・・一緒に滑ろうよ」
光が周囲の機微を察知して、上手く取り繕うとしているのはすぐわかった。
(そんなことしなくてもあなたは輝いているのに)
だから彼女の手を取った。彼女は世界に愛される人材だと思ったからだ。
彼女のスケートは世界を輝かせる。他者に勘案してそれを蓋をするのはもったいないことだと思った。一度手を引いて内側に引き込めば上手くやっていくだろう。
唯の勘は当たっていた。
光のスケーターとしての才能はすさまじく、すぐに実力を伸ばしていった。
まず目が良いのだ。手本の特徴を一発でとらえる目。そしてイメージを作り出し、身体動作に落とし込むセンス。
何より。
氷の上の彼女は美しく、輝いていて、世界のスポットライトが当たっているかのようだった。
(私も負けてられない!)
切磋琢磨していたつもりがいつの間に追い抜かれ彼女の背中を見ていた。
同世代のクラブメイトは彼女との才能の差に絶望してたくさんやめた。
それでも唯と光の関係は変わらなかった。
「やっぱり3回転ルッツ難しいなぁ」
「唯ちゃんもだんだん着氷率上がってるよ!私ももっと頑張らなきゃ!」
「光ちゃんのはしっかり実用レベルでしょ」
「ううん、まだ安定しないよ。ちょっと腕の位置がぶれるんだよね」
差はあれど、お互いに高めあうライバル。
まだ出来る。いつか勝てる。光に勝つため。良きライバルとして戦っているつもりだった。
誰が諦めようと、何人離れていこうと、自分だけはやめたりしない。
光のそばにいるために何があっても絶望などしない。そうしていればずっと彼女の傍にいられる。
ある夜の事だった。
唯がリンクに忘れ物をしたことに気づき、取りに戻る。
(もう誰もいないかな?)
誰かいたら事情を話して取りに行かせてもらう。それだけで終わる話だった。
(電気がついてる)
しかしリンクはあまりに静かだった。聞こえるのはわずかなリンクの上を滑るスケート靴の音。
(誰か滑ってる?区切りがついたら事情を話して・・・)
唯は目撃する。そこにいたのは狼嵜光と
「夜鷹純!?」
思わず声に出してしまった。しまったと思うも光と夜鷹の目線がこちらに向く。
(夜鷹純・・・夜鷹純だ!本物・・・っていうかなんで光ちゃんと一緒にいるの!?しかも二人の様子はなんだか)
まるでレッスンをしてるような
その思考にたどり着いたとき、背中に寒気が走った。
「唯ちゃん!?なんでここにいるの!?」
光が唯に驚きながら疑問を呈する。当然の疑問だった。
「ええっと、私は・・・えっと」
ただ忘れ物を取りに来た。そういえばいいだけなのに慌てて言葉にならない。
そうしていると夜鷹が唯のいるリンクサイド際まで滑ってやってくる。
「君・・・確か・・・」
そう呟くと、光の方をちらりと見て唯の手荷物に注視する。
「スケート靴・・・持ってる?」
「あ、はい。引き返してきたんで・・・そのまま持ってますけど・・・」
夜鷹はリンクの方に目をやる。
「3回転ルッツ・・・跳んで」
「は?」
「コーチ!?」
唯が混乱し、光が驚きの声をあげる。
今までこんなことは無かった。そもそも夜鷹と光の関係を知っている人間が限られている上、その数少ない人物である理鳳がレッスンを希望したときはかなり冷たく突き放していた。
「え、あ・・・はい!」
驚きながらも唯は直ぐに準備をして、リンクに上がる。
混乱はあった、まだ困惑している。しかしそんなことを差し置いても今このチャンスを逃がすわけにはいかない。
なぜなら唯にとって夜鷹純は・・・
(憧れの人!)
唯がスケートを始めたきっかけは夜鷹純のスケートだった。銀盤で舞うあの華麗な演技に魅了されてスケートの世界に足を踏み入れた。
(世界一の選手が私に何か興味を示している!)
どんなことでもいい。もし自分に何か期待しているならそれに応えたい。そんな思いもあってか、何の疑念も抱かずにリンクの上にたった。
「えっと・・・」
夜鷹の方を伺うと何も言わずこちらをじっと見ている。跳べという事だろうか。
光も動きを止めてこちらを見ている。
取りあえず滑ってみる。
要求は3回転ルッツ。降りたことはあるが、まだ安定しないジャンプだ。なんとなく、この間の名港杯で構成に入れて失敗したのは今でも覚えている。
(勢いは十分!姿勢を崩さないように!)
トウを突いて、跳ぶ。
(やばっ)
転倒する。
途中までは良かったと思うのにどうもどこかで軸がぶれる。その矯正が今の課題だった。
「あ・・・まだ、安定しなくて」
言い訳じみたその言葉を夜鷹は一切聞いていないようだった。
「腕」
「え」
「腕・・・直してもう一回跳んで」
それだけ言うと夜鷹は黙ってこちらを見つめる。
(腕?腕が何?どう直すの?)
腕の位置という訳ではないと思う。かなり注意してるしそれなら上げるか下げるか指示があるはずだ。
(じゃあ腕のタイミングか?)
ジャンプを降りるタイミングで臆して腕を早く開いてしまうというのはよく聞く話だ。その結果、回転中に軸がぶれて転倒する。
(なら・・・ぎりぎりまで引き付けて・・・)
腕を開くタイミングに注意を払う。
また転倒する
(けど・・・さっきより格段に良くなってる)
もう一度、何か言われる前に滑りだす。
もっと繊細に的確なタイミングのギリギリまで腕の位置を保持する。
(跳べる・・・回る・・・降りる!)
3回転ルッツ 着氷
今までで一番綺麗な3回転ルッツだった。
「凄い、一番綺麗に跳べた・・・夜鷹さんありが・・・」
「光・・・見た?」
唯の言葉を夜鷹は最初から聞いていなかった。
「はい」
少し戸惑いながらも光は返事をする。
「覚えて・・・こっちで跳んで」
唯には何の話か分からなかった。
しかし二人にはそれで十分だったようで、光はコクリと頷く。
(光ちゃんも3回転ルッツの練習かな?)
そういえばまだ安定していないと言っていたのを思い出す。
二人の会話が引っ掛かる。
まるで、唯のジャンプを光に見たかと尋ねるような夜鷹の口ぶり。
覚えて、という言葉。
光は跳ぶ。唯の想定を超えて。
3回転ルッツ+3回転ループ 着氷
「ルッツループ、3回転+3回転・・・」
光が降りたジャンプに唯は愕然とする。
シニア選手でもほとんど跳ばない高難易度ジャンプ。しかも完璧に跳んできた。
それになんとなく分かってしまった。ほとんどは光特有のジャンプだがタイミングや勢いといった要所要所で自分のジャンプを模倣していた。
そんな応用、完全に熟していないと出来ないことだ。
最初から、光は3回転ルッツを悩むようなステージには立っていなかった。
思わず夜鷹の方を向く。
「あの・・・私は」
「君・・・帰っていいよ」
「え?」
呆然としたままその言葉を理解する。
「あの・・・私・・・まだ・・・そう・・・あなたに憧れてスケートを初めて・・・だからもう少し・・・」
「もう得るものはないから帰りなよ」
縋るような唯の言葉を夜鷹は冷徹に突き放す。
唯は理解した。もう自分から得るものは何もない。だからもう必要ない。
自分は単なる餌だったのだと。最初から夜鷹は唯に興味など一切なく、ただの光が成長するための脇役、当て馬程度の認識だった。
(光栄な事じゃないか・・・)
少なくとも自分のジャンプは取り入れるにたるものだと認識してもらえた。
(それに指導のおかげで3回転ルッツも多分安定するようになったし・・・)
仕方がない。自分が弱いのが悪い。
光の方を見ると少し気まずそうな表情をしていた。
(そうだ、光も私に気遣って嘘をついていた)
3回転ルッツ+3回転ループなど話に出たこともなかった。それどころか、3回転ルッツを安定させるなんて嘯いていた。
ライバルのつもりだった自分は最初から光の眼中にはなく、気を遣う対象であった。
「はは」
あまりに滑稽で、みじめで、醜い。
(多分今このまま帰れば、私は切り替えられる。そしてもう一度、何気なく光の隣で・・・)
できるか、そんなこと。
結局は自分の実力不足、夜鷹も光も成長のために自分を参考にした程度の事。何も怒ることはない。それに少なくとも自分にも利益はあった。
だから、これは単なる八つ当たりだ。
「・・・す」
(私はお前たちの当て馬じゃない)
「・・・潰す」
(今このままこの気持ちを忘れたら私は一生戦えなくなる)
「・・・殺す」
だからもう癇癪で良い。他者の事なんて知るか。
(お前たちがそうしたように、私もお前たちを喰って私の糧にする。お前たちは単なる通過地点。私の世界一のための脇役だ)
「
唯にはこのまま光と元の関係に戻る選択肢もあった。プライドが傷つけられたことなど置いておいて、次の日には馴れ合うように高めあう。
絶望しなければ隣にいられる。しかしそれは単なる逃げだ。
今まで絶望しないように奮い立っていた唯はその日絶望をその身に刻んだ。
他者から見れば単なる子供の癇癪だが、その思いを薪に燃やし続けた。
雪の降る夜の出来事だった。
全日本ノービス当日
「来たね・・・光」
光が開会式にやってきた。
取材陣が光を取り囲む。しかし唯はそんなことは構わずにその人ごみの中を突っ切っていった。
「唯ちゃん・・・楽しみにしてるよ」
「ああ、ぐちゃぐちゃにしてやるから楽しみにしてなよ」
全日本ノービスが始まる。
開会式からほどほどに滑走順を決める抽選会が始まる。
緊張すると同時に選手たちはちょっとした安心感もあった。
滑走順はかなり大事だ。特に一番滑走を引こうものなら目もあてられない。
しかし、今回に関してはその心配はない。
なぜなら抽選会の姫、申川りんながいるからだ。
『名港ウィンドFSC 申川りんなさん』
(はいはい、申川りんなが安定の1番でしょ)
誰もがそう思っていた。しかしその誰も申川りんなの本質を分かっていなかった。
「雉多コーチ」
「どうした?」
抽選に行く前にりんながコーチに声をかける。
「私今日は一番滑走じゃない気がするんです」
単なる予感だった。しかしそれは現実になる。
『12番』
「はっ!?」
多くの選手が動揺した。
この全日本ノービスにて天運がめぐったのか、そんな想像すらした。
しかし、誰もかれも申川りんなを甘く見ている。
覚醒した申川りんなは天の采配すらも苛烈にする。
そして次の瞬間、この番号の意味を全員が理解する。
『名港ウィンドFSC 狼嵜光さん 11番』
申川りんなは一番滑走程度で満足しない。より厳しく、より苛烈に。
その時一番の逆境を引く。それが申川りんなだ。
「狼嵜光の直後!?」
「ある意味で一番滑走より嫌な所・・・どんだけ天に嫌われてるんだ」
狼嵜光の直後は彼女の演技に呑まれる。故に彼女の演技の直後でノーミスで終えた選手はいない。
今大会の一番の逆境をそこだという天の思し召し、申川りんなの覚醒が運命を書き換えた。
「じゃあ一番滑走は誰になるんだ」
そんな呟き、ある意味で一番嫌な所はりんなが引いてくれた。しかし一番滑走が嫌な所だということに変わりはない。
りんなが引かないなら誰が引く。
一番滑走、引いたのは
『十南町レイクFSC 亜昼美玖さん 1番』
大会は抽選会から大波乱を起こしていた。
不定期
出来次第投稿します