リンクを上がった夕凪は随分と青い顔をしていた。
「お疲れさまでした。夕凪さん」
そんな夕凪を慎一郎が迎え入れる。
夕凪は逃げ出したかった。告白も、演技も、もう何も考えられない。結果を聞くまでもなく自分の敗北を悟ってしまった。
返事も出来ずキスクラへと向かう。
『名港ウィンドFSC 八木夕凪さん 110.78 現在の順位は3位です』
座ってじっと待っているとやがて点数が告知された。
決して悪い点数ではない。むしろ予選の時から比べれば大躍進だ。
(でも、勝ちたかった・・・)
「勝ちたかった・・・」
一体何が至らなかったのか、自分には分からない。完璧な演技だったはずだ。それでだめならもう、単純な実力不足なのだろうか。
「夕凪さん」
慎一郎先生が自分を見かねて声をかけてくれる。
(きっと慎一郎先生は私を励ます言葉をかけてくれるんだろうな・・・)
それがむしろ心苦しい。
そんな重い心境の中、彼の言葉に耳を貸す。
「その言葉が聞けて良かった・・・」
「え?」
慎一郎の答えは夕凪が想定していたそれとは違っていた。
「勝ちたかったと、そう言いましたね?」
「はい」
そうだ自分は勝ちたかった。
「なら私はあえて厳しいことを言います」
「はい・・・」
責めてくれるならいっそ楽かもしれないと思った。そんな人ではないと自分が一番よく分かっているはずなのに。
「私の演技を全て模倣するのはやめなさい」
「え?」
その言葉は夕凪にとっては予想外の物だった。同時に、例え誰に言われてもその言葉を彼の口からは聞きたくなかった。
「そんなこと言わないでくださいよ・・・」
「夕凪さん?」
「慎一郎先生の演技は最高なんです!慎一郎先生の演技を模倣することで私は慎一郎先生の教え子として勝ち続けられる!あなたの素晴らしい演技が私の何よりの武器になるんです!」
慎一郎先生に対してこんなに語気を荒げたことは無かった。でも聞きたくなかったのだ。『理想』の人がその『理想』を否定する。そしたら自分は何を信じればいいのだ。
「夕凪さん、あなたはもっと自由でいい」
慎一郎の声は夕凪の荒んだ心を一瞬で落ち着かせた。
「あなたが私を好きだと言ってくれたこと・・・嬉しかった。監督冥利・・・いやスケーターとして選手冥利に尽きるというものです」
(あ、多分これ私の告白伝わってない・・・)
良く考えれば好きですといった後に明らかに真似をする演技をしたら、演技が好きだという風に取られても仕方ないかもしれない。
「でもあなたにはあなたの演技がある。全く真似するなとは言わない。どんな演技も取り入れればいい。でもあなたが自分を崩して他者の演技に寄るのはやめなさい」
「でも先生の演技は私の『理想』で・・・」
「そうですか?私は今まで自分の『理想』の演技を出来たことはありませんよ」
「ええ!?」
慎一郎の言葉に夕凪が驚きの声をあげる。
「夕凪さん、『理想』はいつだって今の自分の先にある。確かに他者の『理想』を否定する権利は誰にもない。でもね、その『理想』の姿はいつだって自分でなくてはなりません」
「『理想』の自分・・・」
「夕凪さんが描いた『理想』はきっと私の姿をしてたんじゃありませんか」
確かにそうだった。演技をするとき、自分の事など考えず、慎一郎先生ならどうするかばかりを考えていた。
「別に私の演技を『理想』とするならそれでも構いません。でもその『理想』は演技をする自分を映してないといけません」
「自分を・・・」
慎一郎は夕凪の頭を優しく撫でて笑った。
「それにきっと夕凪さんの『理想』は私に縛られないもっと自由なものだと思っています」
「見つかりますかね・・・私の『理想』・・・」
「必ず見つかります・・・そしたらあなたは今よりもっと強くなる」
「はい!見つけます・・・必ず・・・!」
夕凪は何度も敗北と挫折を味わう。でもそのたびに確実に成長していく。
「実際夕凪の演技は素晴らしいものだった」
慎一郎が夕凪の精神的な話をする一方で、唯は夕凪を表現的な観点から評価する。
「だが、足りないところがあるとすればちぐはぐな印象が見受けられたことですね」
当然の話だ。
「夕凪と鴗鳥慎一郎ではまるで体が違う。性別も違えば、体格も違う。骨格も違うし、雰囲気も違う。そんな風体で鴗鳥慎一郎の演技を完璧にしたところでその魅力は万全には引き出されない」
模倣という発想自体は悪くなかった。敢えて言うなら模倣する対象をインスピレーション程度に収めておけばよかったのだ。
「なまじ動作の再現力があったせいで彼女は完全なる模倣を可能としてしまった。それが彼女自身の魅力を殺す結果となった。敢えて敗因として挙げるならこれですね」
唯は後ろを振り返る。そこには司がいた。
「その上で狼嵜光の演技をどう思います?司先生」
「え!?」
「光の演技はやっぱり夜鷹純の模倣だと思うんです」
何度も光の演技を見て、唯の出した結論がそれだった。
「世界一の選手の模倣、言われてみれば合理的で間違いない気もします」
「そ、そうだね」
「でも夕凪の例がある通りそれが正しいとも限らない。だから考えられるとすれば、たまたま彼女の演技のスタイルと体が合致したのか・・・そのデメリットをものともしないほどに彼女の技術が卓越しているか、模倣を使いこなしているか・・・」
司に語り掛けるように、唯は考察する。
「あの・・・唯さん・・・やっぱり狼嵜選手の演技を観るの?」
司がやってきたのは唯に光の演技を見ない方が良いんじゃないかと提案するためだった。
「当然です。例え天地がひっくり返っても光の演技はみますよ」
そうだよね、と司は頭を悩ませる。
「まあいのりさんも観たいって言ってるし・・・」
「それに私たちだけじゃありませんよ」
唯が目を送った先にはりんながいる。
「申川りんなさん・・・滑走順、狼嵜選手の直後なのに・・・」
「肝が据わってるってレベルじゃないですよ、それにさっきの『あれ』をみたら何やってもおかしくはないですからね・・・」
「確かに『あれ』は・・・」
「りんな、ほんとに観るのか?」
「はい、今新しい『感覚』が芽生えそうな感じがしてて・・・そのためには光ちゃんの演技を観るのはマストです」
「いや、まあいいんだけど・・・お前この大会中やっぱ変だぞ・・・さっきの『あれ』も・・・」
「自分を追い込むっていうのとは違うんですけど・・・この『未知』こそ新しい扉だと思うんですよね」
今まで自分の演技を控えた状態で他者の演技を観たことなどなかった。
「今日、初めてのことばかりでとっても楽しいんです」
1番滑走ではないという新境地。りんなはそこに何を見出すか。
「ほら、始まりますよ」
狼嵜光の演技が始まる。りんなはその一挙手一投足を逃すまいと演技に集中する。
まずはピアノを弾くポーズ。
静寂の中で客を世界の中に引き込む。
「やっぱり・・・光ちゃんは凄いね」
りんなの目に映る光は雰囲気だけで既に格が違うような気にさせてくる。
「大丈夫か?りんな?やっぱり見ない方が・・・」
「雉多コーチも分かってるでしょ?」
光の演技を観てもりんなが怯むことは無い。
「私はこれでいい」
正確無比、それでいてどこか冷たい。そんな光の演技だ。
恐らくバレエの動きを取り入れている。目が追いつかないほどの細かなステップ技術に加えて、それでいて背が反るような綺麗な姿勢は一切崩れない。その二つが相乗効果を出すように演技の完成度を上げている。
「最初のジャンプはやっぱり3回転ルッツ+3回転ループか?」
「どうかな?」
「え?」
夕凪や唯が追従するように跳ぶようになったそのジャンプ。しかしやはりこのジャンプの代名詞と言えば狼嵜光だ。きっと彼女たちよりも完成度の高いジャンプを最初に持ってくる。そんな雉多の予想だった。
「いのりちゃんが4回転サルコウ、唯ちゃんも4回転トウループを持ってきたって聞いてる。加えて、美玖ちゃんも不完全とはいえ4回転トウループを跳んだ。そんななかで光ちゃんが黙っているとは思えない」
「でも・・・そんな練習でもやってないこと・・・慎一郎さんが・・・」
「慎一郎先生?」
りんなは雉多の目を見て笑う。
「違いますよ・・・光ちゃんの演技が慎一郎先生の指導のものであるはずがない」
「何を言って・・・」
「夜鷹純だ」
りんなは確信していた。
「あの演技は夜鷹純のものだ」
「え?」
光が最初のジャンプを跳ぶ。本人の中で最も難易度の高いジャンプを最初に入れるというセオリーそれに則れば光の第1ジャンプは・・・
4回転トウループ 着氷
「は?」
驚きを隠せない雉多に反してりんなは落ち付いていた。
「やっぱり跳んだ4回転・・・」
「よくわかったな・・・それに慎一郎先生の教えじゃないってのは・・・」
「そんなの知りません。裏で夜鷹純がコーチについてるんじゃないんですか?」
「そんなはず・・・」
ない、と雉多は言えなかった。
少し考えれば不審な点は出てくる。それをあえて考えないようにしていた。それが夜鷹純かは分からないが第三者の存在が関与していると考えれば、慎一郎の光に対する指導の違和感も説明がつく。そもそも振付師のレオニードをどこから連れてきたのだという話だ。
「まさか・・・」
「でもそんなのはどっちでもいいんです」
光の勢いは止まらない。
夕凪や唯が頑張って習得したジャンプをなんてことないように跳ぶ。
3回転ルッツ+3回転ループ 着氷
これが示すことは女王による絶対王政がいまだ崩れないという事。どんなに彼女と同じジャンプを跳んでも、同じ演技をしても届かない壁がそこにはある。
「夕凪ちゃんには悪いけど・・・光ちゃんの演技は単なる模倣とは違う。夜鷹純の演技を喰らって、血肉として自分の物にしています」
りんなはもう夜鷹純の関与を疑っていないような口ぶりだった。
「これは彼女だからできること・・・きっとどんな演技も自分の体に合わせてチューニングしたうえで取り入れることができる」
「光は夜鷹純の演技を模倣・・・いや模倣するだけじゃなくしっかり自分のものに作り替えてるってことか?」
「はい、言うなれば世界一のインスピレーションを体現する。勿論相応の技術あってこそのものだけど・・・そりゃ強いよね」
敵わない、そんな口ぶりのはずなのにりんなの顔は笑っている。
光の演技はさらに世界観を構築していく。
バレエの動きとステップを組み合わせてより難しい振り付けをより綺麗に見せる。
会場が吞まれていく。
ステップを織り交ぜながら、難しいジャンプへの導入。動きと動きを自然に繋げて、決して違和感を抱かせない。
トウを突く。
3回転ルッツ 着氷
勿論難易度が上がるように、両手を上げてタノジャンプの姿勢だ。
スピンも同じ。
キャメルスピンにアレンジを入れながら、回転中に加速。
重心も位置も決してぶれない。しっかりと積み上げられた基礎も伺わせる。
フライングキャメルスピン レベル4
「分かりますか?雉多コーチ」
「何がだ?」
「今この会場は光ちゃんの演技に喰われて行ってるんです」
色んな選手が演技をした。それぞれが全力を尽くした戦う死闘の場であった。しかしいま彼女の演技一つでこの会場は独壇場となってしまった。
「狼嵜光の後は演技が崩れるって定説。きっとこれなんでしょうね」
光の演技披露会はまだ続いている。
色んな選手がジャンプ前にアレンジを行っていた。光に対抗するために、少しでも点数を上げるために。
しかし、光にも当然それくらいのことは出来る。
より難易度の高いジャンプを、より綺麗に、より複雑に。
光が勝てる理由が明白だった。
光は高速ターンをしながら、ジャンプ体勢に入る。
恐ろしいのに、悔しいのに、彼女の演技に多くの選手が見入ってしまった。
3回転ループ 着氷
「周りがどんな演技をしても、今回私は演技構成を変えません」
「ああ、そこに関しては俺も同意だ。今できる最大限がその構成になっているはずだ」
「でも、やっぱりこれを観ると少し揺らぎますね・・・」
光の演技にあてられて自分もより難易度を上げたいと思ってしまう。それはりんなの向上心の表れでもあった。
「安心してください、変えませんよ」
光の演技が終盤に差し掛かる。
誰もが光のとんでもない挑戦に気づき始めた頃だった。
「3回転アクセル、最後に入れるんだ・・・」
「2回転アクセルって可能性も・・・まあないか」
ジャンプが残り一つだというのにまだアクセルジャンプを跳んでいない。加えて言うと、コンビネーションジャンプもまだひとつ残している。
「気持ちは分かる、と言いたいですが・・・多分違うんでしょうね・・・」
光は最後のジャンプに3回転アクセルをコンビネーションジャンプで入れてくると予想される。
それはりんなのようなリスクを上げることで集中力が上がるというような気質による構成ではない。ただ単純に、この程度では光にとって困難でもなんでもないというだけ。その事実が自分たちと光の隔絶した実力差を痛感させられる。
女王が最後のジャンプを降りる。
3回転アクセル+オイラー+3回転サルコウ 着氷
完全に会場は光の空気によって呑まれてしまった。
選手の絶望、コーチの戦慄、観客たちの熱狂が会場に
『名港ウィンドFSC 狼嵜光さん 128.98 現在の順位は1位です』
狼嵜光によって作られた高く険しい壁。異様な雰囲気に変えられた会場。
絶望との戦いが今始まる。
光ちゃんは原作通りです・・・強すぎるので・・・