メダリストはエゴイスト   作:モリブデン42

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遅くなりました!


理外の向こう側

 開会式を終えてもどこか実感のない様子で選手たちは会場に佇んでいた。

 

『名港ウィンド 申川りんなさん 滑走順は1番です』

 

 その中でくじを引いたりんなの表情はどこか不満げだった。

 

「どうしたりんな、なんか不満そうだな」

「不満ってわけじゃないんですけど・・・」

 

 目ざとくそれに気づいた雉多が声をかける。

 

「てっきりわたしはいのりちゃんの直後だと思ってたのでちょっと残念だなって」

「結束いのりの後が良いってことか?」

 

 雉多は意外そうに声をあげた。

 確かにいのりは素晴らしい選手だ。

 しかし経験的な面を見るとジュニアの中で群を抜いているとはどうも言い切れない一面がある。

 

「最近なんだか勘が冴えてるんですよね。なんかビビッとくるものがあるっていうか」

「ふむ」

「実力的なのは分かんないですけど・・・いのりちゃんの演技で何かが起こる。そんな予感がしてるんです」

 

 その内容までは分からないがそういう不確定要素こそ彼女の求める刺激なのだ。故に自分がそこを引かなかった理由が分からない。

 その日その時の最高で最悪を引く。そんな彼女の形質も少し読みづらくなってくる。

 

「ま、一番滑走って言うのも今じゃ収まりが良いって感じがしますけどね」

「そんなことが言えるのは古今東西お前だけだろうな」

 

 感慨深く呟くりんなに唯が話しかける。

 

「あ・・・りんな」

「ん?唯ちゃん、なんか久しぶりだね」

「そうだね・・・こういうとなんだけど、やっぱりんなは一番滑走がしっくりくるね。りんなが一番じゃないと大会が始まったって感じがしないもん」

「ひどくない?」

 

 唯は穏やかに笑うとりんなもつられて笑顔を見せる。

 

「唯ちゃん、何か変わった?」

 

 りんなは唯の態度に違和感を覚えた。決して悪いものな気はしない、どこか既視感のある態度。

 

 りんなの問いに唯はすぐには答えられない。

 頭を悩ますように唸りながら、でもきっぱりと答えた。

 

「変わってない・・・まだ変化中かな・・・逆にりんなは変わってない気がするね」

「そうかな?」

 

 りんなは自分の体を見回しながら、まあ1か月で変わるものではないと納得した。

 

「そうかもね」

 

 1番滑走申川りんな、全日本ジュニアショートプログラムは始まる。

 

 

 

 

 

「ようこそジュニアにと言ったところか?新参者(ニューカマー)

「いるかさん」

 

 唯の頭をポンと叩いて話しかけてきたのはいるかだった。

 

「まだノービスですよ」

「どうせこの大会終わればすぐにジュニアだろ?もうこっち側で良いんだよ」

 

 ぐりぐりといるかは頭を撫でまわす。

 

「で、答えは見つかったのかよ」

「まだです」

 

 何を、とはどちらも言わなかった。しかし唯の答えに迷いはない。堂々と濁すこともなく自分の未到達を吐露する。しかし、そこに後ろめたさや焦りは浮かんでいない。

 

「良い面じゃん」

「随分余裕そうですけど、私は普通に優勝取りに来てますからね。負けたからってジュニアGPで崩さないでくださいよ」

 

 いるかはジュニアGP予選を突破しファイナルへの出場が決まっている。

 全日本は比べるまでもなく大事な試合だが、先を見据えるならここで調子を落としてはいられないのだ。

 

 いるかは唯の言葉を聞いて、挑発的に、されど神妙に笑った。

 

「優勝ねぇ」

「何ですか、なんかおかしいですか?」

「いや、ただ随分簡単そうに言うからな。ジュニアをなめてるなって」

「なめてませんよ。ジュニアのレベルが高いことくらい私も分かってます」

「その程度の認識の時点でなめてるって言ってんだぜ」

 

 いるかはコンと、唯の額をノックした。

 

「ジュニアとノービス、単なる年齢だけでなく明らかにステージが違って来る。ならその違いって何だと思う?」

「・・・やっぱ経験値じゃないですか?私のジュニア選手のイメージはノービスよりも洗練された上手さでしたから」

「まあ間違ってはないな。経験を熟すことで上手さのスケールアップってのは確かにある」

 

 うんうんといるかは頷く。

 

「間違ってはいない。が、あえて挙げるなら私は『必死さ』だと思う」

「『必死さ』?」

「ああ」

 

 いるかは周囲の選手を見渡す。唯もそれにつられて観察するように目を配る。

 

「ジュニアってのは選手にとって人生の岐路なんだ。良くも悪くも」

「それは分かりますよ。ジュニアの成績で今後のスケート人生が大きく変わる」

 

 唯の言葉は間違っていない。ジュニア期の成績、というよりジュニア期に強化選手になれているかどうかがスケート人生を大きく変える。上を本気で目指すというなら、この全日本ジュニアでの結果は必要条件だ。

 

 だが

 

「まだ甘ぇよ」

 

 そんな想定は強者のみの特権なのだ。

 

「唯、まだ想定が甘いな。お前が言ってんのはオリンピックに出るためにジュニアの成績が必要って話だろ?」

「まあ概ねそうですね」

「これはそれ以前の話なんだ。ジュニアの『必死さ』ってのはそんな希望に満ち溢れたものじゃない」

 

 いるかの瞳が黒く光る。

 

「スケートを続けるかやめるか、そういう根本的な次元の話なんだ」

 

 スケートはとにかくコストがかかる。金と時間と体力、加えて普通とはかけ離れた学生生活に身を賭してそれでも結果が出ないとするなら、一体いつまで続けられるのだろう。

 どこかで、見切りを付けなけらばならない。

 結果が見込めないならいつかやめなければならない。

 

「進路に差し掛かって、結果が出なくて、スケートを辞めざるを得なくなる。当然のようにドロップアウトしていくのがこのジュニアの世界だ」

 

 ノービスではそこまで考えなかった。目の前の課題に取り組んで、乗り越える。その過程がただ楽しくて、順調に成長することを疑わない。

 

「ジュニアに入った途端、いきなり選択を迫られるんだ。いつまでに、どこまでに、どれだけの結果を出さなきゃって。ノービスでは希望に満ち溢れていた未来が、ジュニアでは自分の死期を告げるカウントダウンになる」

 

 唯は今一度この会場にいる選手たちを見渡した。

 顔つきが違う。ノービスでは見なかった切実でどこか鬼気の迫った雰囲気。

 

「ここにいるのはそんな中で生き抜いてきている、そして生き抜こうとしている猛者たちだ。それぞれが自分の人生をスケートに賭けちまってる狂人どもだよ」

「確かに顔が違う」

「ああ、誰もが自分の目標と意思を持ってる。スケートが楽しい、大いに結構だ。でも漫然とただ楽しいだけで生き抜ける世界じゃない」

 

 いるかは唯の正面に回って手を広げた。

 

「改めて、ジュニアの世界へようこそ」

 

 

 

 

 

 唯はいるかの言葉を噛み締めていた。

 確かにその通りだった。納得せざるを得ない。精神的な意味ではジュニア選手はきっと唯の何枚も上手にいるだろう。経験とさらにその環境の質が違う。

 

「楽しいだけじゃ生き抜けないって言いましたよね?」

「ああ、何か間違ってるか?」

「いいえ、正しいですよ。その通りだと思います」

 

 唯はいるかを肯定する。肯定した上で唯は彼女のことを考えていた。

 

「正しいですけど・・・例外はいますよ」

 

 唯は笑いながら、リンクを見下ろした。

 

 

 

 

 

 

 全日本ノービスが終わってから、りんなに課せられた課題はショートプログラムでの演技表現であった。

 これが本当に上手くいかない。

 

「りんな・・・アクロバティックな動作に頼るなと言ってるだろ。そういうのは緩急があるから生きるものなんだ。小さな動きで表現の起点を作れなきゃまだまだ3流だぞ」

「分かってますけど、分からないんですよ・・・表現とか言われても振り付けを意識することくらいしか」

 

 その表現の演技という項目にりんなの食指は動かなかった。

 とっかかりのつかめない現状にただフラストレーションがたまり続ける。

 

「りんな・・・オペラとバレエだったらどっちがいい?」

 

 そんな折だった。雉多が不思議なことをりんなに聞いてきた。

 

「どっちかというとバレエですかね」

「だったら今日はバレエだな」

 

 そう言って雉多は一枚のチケットを渡してくる。

 

「あの・・・?」

「次回はオペラに行く。その次はそうだな・・・ミュージカルにでも行くか」

 

 りんなは意図を測りかねていた。

 正直言ってそんな時間はない。

 今自分たちは少しでもリンクの上にいる時間を確保しなければならない身の上だ。バレエだのオペラだの聞こえたが劇場までの移動を含めればより多くの時間を使う事だろう。

 

「お前に表現の技術を口で言っても覚えさせることはできない。というよりもするべきじゃないと思う。お前はどうやら既に自分の形を持ってるようだ」

「はぁ」

「その上で表現のバリエーションを増やしてもらうには・・・やっぱバレエを見るのが手っ取り早い。滑りの技術が高いお前が表現力を高めようと思うとどうしても技術方面によってしまう・・・ならイメージ増やすのに参考にするのは氷のない劇団の方が分かりやすいだろ」

 

 意図は分かった。しかし効果があるかと言われれば悩ましいところだ。きっと雉多も苦肉の策なのだろう。

 

「まあ行けと言うのなら・・・」

 

 りんなは釈然としないままチケットを受け取った。

 

 

 

 

 

 

 りんなは爆発しそうだった。

 バレエを見た、オペラを見た、他にもミュージカルや歌劇を見て、果てには植物園など関係なさそうな所にも連れていかれた。

 それを見てなお、今の自分には湧き上がってくる何かなど微塵もなかった。

 

「りんないけるか?」

「雉多コーチ・・・私は全日本ノービスから何か変わったのでしょうか」

「どういう意味だ?」

「私は表現力を身に着けるために『教養』ある様々なものを見ましたけど・・・特に響くものはありませんでした」

 

 確かに面白かった。確かに素晴らしかった。

 

「だってあの人たち跳ばないんだもん」

「ああ・・・」

 

 しかし結局のところりんなにとって大事なのは自分を追い詰めるか否かだ。繊細なバレエ、響く歌唱、入り乱れる光、全て間違いなく芸術であり、素晴らしいものだったがそこにりんなが唸るようなものは見つからなかった。

 

「俺は変われなんて一言も言ってない。りんな自身を変えずに表現力を身に着けさせるためにわざわざあんな回りくどいやり方をしたんだ」

「え?」

「お前は元から表現力を持っている。あとはそれに色を付けるだけだったんだ。培ったものはちゃんと根付いてる。そして後はリンクの上に立つだけだ」

 

 雉多を振り回し続けてきたりんなが、初めて彼の言うことを理解できなかった。

 

「お前はそのままでいい。そのままで全部ぶっ壊せ」

 

 雉多が拳を突きだす。りんなもそれに合わせる。

 初めて息があった気がした。

 

 

 

 

 

 

 リンクの上に立てば分かると、雉多は言った。

 そして今ここで立ってなお、りんなにはその意味が分からなかった。

 

(イメージが湧いてこない、自分に出来る気がしない)

 

 ショートプログラムはフリーと違ってとにかく制限が多い。

 ジャンプの種類の制限、回数の制限。

 せっかく手にした3回転アクセルをここでは使えない。

 

 自分への挑戦を繰り返し、その殻を破ることを至高とするりんなにとってジャンプはその分かりやすい指標だ。

 それが出来ないとなると途端にやる気が出なくなってしまう。

 

(やり方を変えるべきだと、私は思った)

 

 自分のやりたい様にしたい。しかしそれではこの先通用しない。自分にとっての価値を重視するといえ、結果が出し続けられないとなると話は別だ。普通にライバルには勝ちたいし、メダルは欲しい。それ以上に自分の快感を優先してしまうだけだ。

 

(変わるなと、コーチは言う)

 

 ショートプログラムで点数を伸ばすためには独自の表現や世界観が必要になってくる。

 それが出来ずに悩んでいたのだ。そのために変わるべきだと思っていた。快感に従うだけでなく、型にはまった技術が必要なのではと考えた。

 しかし、雉多はレッスンの際、表現に対する意識こそ指摘すれどどんな風にしろとは言わなかった。

 代わりに芸術に触れさせるというよくわからない方法をとった。

 

(それでもこのどうしようもない現状に閉塞感を覚える)

 

 縛られるようで不快だ。

 思い通りにいかなくて不快だ。

 苦手な表現をせざるをえない、不快だ。

 

 不快で、不愉快で、不満が爆発する。

 

 

 

 

 そんな不快感こそ自分は求めていたはずだ。

 

 

 

 

 

 りんなは気づいた。

 

(そっか・・・私不快なんだ)

 

 リンクに立てば分かると言った雉多の言葉の意味が。

 

(そんな不快感が私を追い詰める)

 

 その衝動はずっと変わっていなかったはずだ。

 

(そんな壁をぶち壊すためなら私は闘える!)

 

 りんなの瞳に灯がともる。

 

 苦手を挑戦に、挑戦を快感に。

 この世のありとあらゆる全てが自身の魂の開放に繋がる。

 そんな境地に至ったのだとすれば、申川りんなはーーーーーー

 

 

 

 無敵だ

 

 

 

 

 

 りんなが滑り始める。不快感は依然として消えていない。

 しかしそれでいい。それがいい。

 上手くいくかわからないという不確定要素こそ求めていたはずなのに、自分の選り好みで目をそらしていた。

 

(悩む必要なんてなかった!私は『挑戦』という答えを持っていたのに!自分が乗りこなせる常識に収まろうとしていた)

 

 そうではなかったはずだ。

 常に限界ギリギリの挑戦。ジャンプでできなくとも、演技の中でそれは出来る。

 

(確かこうやっていた)

 

 劇場でのバレエ、雉多に言われてこれを見た。

 技術を学べと言う事だと思っていた。

 

(違うんだ。雉多コーチが言いたかったのはそういう事じゃない)

 

 バレエから表現の技術を学ぶこと、それもきっと大事だがきっと分かって欲しかったのはもっと根本的なことだ。

 

(舞台を使って世界観を構築するという『概念』!それを理解していれば動きの作り方なんて無限に湧いてくるんだ)

 

 小手先の技術ではない。

 自身のインスピレーションから湧き出る。表現の挙動。

 それだけが、あるべき答えなのだ。

 

 氷の上に世界を作る。

 バレエでも、オペラでも、ミュージカルでも全員がやっていた。

 動きでも、歌でも関係ない。その『概念』さえあれば、インスピレーションが湧き出てくる。

 それが、自分型が天才たる所以だ。

 

(世界を表現するとか超高難易度。でもそれに挑戦する『私』にはきっと意味がある!)

 

 体で世界を掴むように、氷に図形を刻む。

 

(導き出せ!私の欲望の赴くままに!)

 

 りんなの動きが変わる。

 漫然とこなしていた振り付けに芯が入るような感覚。

 ゆっくり動かしているのに視界に残像が見えるほどの印象。

 

 腕の振りひとつ、体の向きひとつでその動きに意味が生まれる。

 

 ゆったりとした音楽に乗せるような動作、しかしその動きに緩慢さを感じないのはなぜか。

 

(なんとなく分かってきた気がする)

 

 振り付けは1つ1つ分けられたものではない。連続して動きを繋げることが重要なのだ。

 動作と動作の結び目にこそ表現力の真意が籠る。

 

 そこを意識していれば、動作には芯が宿る。

 動作の後を追うように残像が形としてではなく、『線』として見えてくる。

 

(そうか!表現とは『線』なんだ!動作によって描かれるこの『線』こそが表現を積み重ねる標になる!)

 

 普段感覚でしかスケートをしてこなかったりんなに新しい価値観が芽吹く。

 理屈じみたその価値観は下手すればそれは能力を抑圧することに繋がる。

 しかし、りんなは正しくその理屈をその身に刻んだ。

 

 線が波立てば荒々しく、正せば静謐な世界を作れる。

 

 動作が生み出す『線』を支配すればりんなでも表現を作り出すことは容易い。

 誰かに教えられる訳でもなく、自分自身で自然と導き出した答え。だからこそ、それが感覚的なものでなくてもしっくりくる。

 

 場は整えた。

 今ならジャンプにも身が入る。

 

(きっとこのロジックはジャンプにも使える)

 

 『線』が見える。

 きっとこの『線』はジャンプを正しく導く指標にもなる。

 『線』に沿えば、簡単だ。『線』に従えば失敗しない。

 

 

「なら、乱さなきゃダメだよね」

 

 

 申川りんなの『エゴ』が輝くのはここからだ。

 

 3回転ルッツを跳ぶ。

 左足のインエッジに体重を乗せる。

 このまま右足でトウを突けば、跳べる。

 『線』が、見える。

 右足に巻き付くように、トウを突いて跳びあがり回転する軌道が見える。

 

(なら)

 

 インエッジに体重を乗せたまま、体を外側に捻る。

 

 『線』がねじれる。

 

(もっと『線』を入り乱らせろ!)

 

 ねじれた『線』を追うように足を組みながら、一歩分長く助走をつける。

 

(今度こそ、跳ぶ!)

 

 3回転ルッツ 着氷

 

「今の何?ターンみたいだったけど」

「いや、あんなターン見たことない。ならただの振り付けかな?」

「あんなのやっといて、技術点もないただの振り付けなの?」

「そろそろ分かるでしょ?りんな選手はそういう人なの!」

 

 着地と同時にりんなの気力は高まっていた。

 自分の可能性が今無限に広がっているのだ。

 

(私・・・今何でもできるよ!)

 

 ジャンプや構成で挑戦を組めないSPに新たに生まれた自分の殻。

 それを打ち破る快感。

 

「もっと・・・もっと!」

 

 足を組む。

 左足で軽く氷を突きながら、右足を振り上げる。

 振り下ろした反動でそのまま地面を押し、スキップをするように体が浮き上がる。

 動きに緩急が生まれると『線』も複雑な動きを見せた。

 

「今のは?」

「ほんとにステップでも何でもない。敢えて言うなら申川りんなオリジナルステップだよ!」

 

 見たことのない動作に観客に動揺が生まれる。

 りんなはさらに乗っていく。

 

 足を高く振り上げながら体を半回転させ、着地と同時にターンを決めて、そのままスピンに入る。

 

(まだまだ行くよ!)

 

 スピンを終えると、風を正面に受けながら加速する。

 加速、加速、加速。

 

 危険域に入るギリギリまで加速する。

 このままジャンプに入ると失敗する可能性は高い。しかし、今の自分には『線』が見えている。

 

(この『線』を使うなら、私はもっと滑れる!)

 

 足を傾ける。

 ジャンプに入る前にこのスピードを維持したまま、あろうことかターンを入れたのだ。

 

 すぐに姿勢は正された。ターンから動作が連続している間にジャンプモーションへと入る。

 左足のみで跳ぶエッジジャンプ。勢いにのればターンによる乱れも無理やり矯正される。

 足が氷から離れる。

 

 2回転アクセル 着氷

 

 驚くほどスムーズに足が氷に着いた。

 体が勝手に次の動作に導いてくれる。

 

(ステップシークエンスも今なら高得点を狙える)

 

 ロッカー、カウンター、ツイズル。

 すべての動作を繋げながら、りんなの動作は大きくなっていく。

 

 加速と同時に手を大きく振るいながら、バランスの乱れと安定を演出する。

 

 その動作が氷の上にうねりを生む。

 そのうねりが伝播するようにりんなの体は揺らめく。

 

 正しく氷の上にトレースを刻みながら。

 

 ここにきてりんなは自分史上最高のステップシークエンスをこなしていた。

 

 最後のジャンプは勿論連続ジャンプだ。

 ルール上、高得点かつ跳べるジャンプは3回転フリップ+3回転トウループしか残っていない。

 

(今の私ならもっと楽しめる!)

 

 動作を増やすのだ。

 入り乱れる『線』の中、ただ自分だけは世界の中で佇んでいる。

 

「見・・・える」

 

 漫然と正された世界なんていらない。

 もっと自分の中の世界をぐちゃぐちゃにする。

 

 右足を振り上げ、降ろしながら、左足の足首の力だけで体は前に出ている。

 浮遊感から解放される着地と共に足を振り下ろす。アクロバティックな動きだが、勢い余って足元がぶれる。

 そのぶれをさらに大きくするように波打ちながら滑ると、気づけば後ろ向きのモーションに入っている。

 連続ジャンプに必要な勢いを敢えて殺した。

 その前の動作を観客が良く見えるように、大仰に動く。

 

 3回転フリップ+3回転トウループ 着氷

 

 スピンを残して、りんなのボルテージは上がり続けていた。

 未知なる自分の価値観、表現という殻を打ち破った自分。

 短いSPで今までにない体験を残し続けていた。

 

 『熱』がこみ上げる。

 こみ上げて、こみ上げて、溢れてしまった。

 

「あ、バカっ!やめろ!」

 

 りんなが両足を広げながら後ろ向きに滑る様子を見て、雉多が声をあげる。

 りんなに声が届くはずないし、届いたとしてりんながやめるはずがない。しかし言わずにはいられなかった。

 

 他の観客もりんなが何かをすると気が付いた。

 しかし、何をするのかは見当もつかなった。

 それもそのはずだ。なぜならその技は想像の埒外にあるのだから。

 

 りんなは薄く笑う。

 入り乱れた世界の中で、抗えない『衝動』がりんな突き動かした。

 その意味をりんなは理解している。しかしりんなは止まらなかった。

 りんなは勢いを付けながら両足を踏みしめると、そのまま踏み切って、()()()()()()()()跳んでしまった。

 躊躇はなかった。

 

 本来なら在り得ぬ、エッジの縦の軌跡。

 会場に衝撃が走った。

 

「これって・・・」

「バックフリップ・・・危険行為・・・2点減点」

 

 バックフリップは危険行為であるとしてルールで禁止されている。

 もしした場合、2点マイナスのペナルティが課せられる。

 

 2点といえど、僅かな点差で勝ち負けが変わってしまうのがフィギュアスケートだ。

 特に構成で差が出来ないSPにおいて2点減点というのはかなり大きい。

 

「あんの・・・じゃじゃ馬娘!」

 

 雉多が項垂れながら嘆く。しかしその表情はどこか笑っているようにも見えた。

 

「あははは」

 

 禁じ手を犯したというのにりんなはとても楽しそうだった。

 氷の上で笑いながら、舞うようにスピンをこなしている。

 称賛も批判も思い浮かばなかった。誰もがりんなについて行けない。

 りんなは表現を手にした。

 自分で世界を作って、整えて、ぶち壊した。

 快楽と、爽快感と、不気味さと、熱狂。

 

 全日本ジュニアショートプラグラム第一滑走。ノービスからの刺客、申川りんなが会場を搔き乱していた。




最近だとバックフリップは解禁されているそうです。メダリストの時代背景はちょっと良くわかりませんが、刊行年的に解禁以降ってことは無いと思ってます。
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