「こんのじゃじゃ馬娘~~~」
「うっ、すいません」
リンクから戻ったりんなを出迎えたのは雉多による説教だった。
頭を掴みぐるんぐるんと回す。
口では謝っているが、りんなは満面の笑みを浮かべていた。
「ったく、なんたってお前はバックフリップなんて・・・」
「分かってても止められなかったんです!むしろ私の表現はあのバックフリップを以って完成しました!」
「点数は下がったけどな!」
ひとしきり騒ぐと、キスクラへと向かう。
『名港ウィンド 申川りんなさん 62.21 現在の順位は1位です』
「ちょっと・・・高くない?」
「2点減点されててこれかよ・・・ノービスからの推薦なんだろ?」
りんなの点数に会場がざわつく。
決してノービスからの推薦者だからといって侮っていたわけでは無い。
しかし、SPについてはジュニアの選手たちに一日の長がある。
経験の乏しい彼女がしかも減点されながらもここまでの点数を出すことは少し異常に映る。
「コーチ」
「どうした?」
「私の演技・・・どうでした?」
覗き込むように聞いてくるりんなに雉多は少し思案した。
「多分表現についてだろうが・・・敢えて言うなら悪くなかった。が、最高でもない」
りんなはこくりと頷いた。
「お前はこんなもんじゃない。まだ先が見えた。だから最高なんて言わないし、満足もしてくれるな」
雉多が拳を突き出す。りんなもそれにそっと合わせる。大会を通すごとに師弟関係は深まっていた。
「なるほどね、お前の言いたいことも分かる。確かにあれは例外かもな」
「ああいうタイプもいるんです。やりたいことやった方が力を発揮できるタイプっていうんですかね。りんなの場合はその気質が特殊ですからね。好き勝手やっててもなぜか『不自由』になってますけど・・・逆にそれが力を発揮する型になってる感じですね」
「『不自由』ねぇ」
いるかは唯の言葉を掬い取ってしみじみ呟く。
「ノービス選手に負けるかもって思うと、ちょっとは焦りとか出てくるんじゃないですか?」
ジュニア選手には一つ上のステージで闘っているという自負がある。
もしも、ノービス上がりの選手に負けようものならその自信が崩れ去るかもしれないというのは考え得ることだった。
「お前たちが優秀なのは認める。負ける可能性も十分ある。でも、ジュニアの選手ってのはそんなにやわじゃない」
呆れたようにため息を吐きながらいるかは語る。
「ジュニアの選手の多くはもっと絶望的な壁に直面することになるからな」
「壁?」
いるかの言葉に唯がひっかかりを覚える。
「そうだな・・・ちょっと話とずれるかもしれないが・・・ジュニアで一番強い選手って誰だと思う?」
「一番・・・強い?」
唯はじっといるかの顔を見返した。
それに気づいたいるかが少し照れたように笑う。
「あ~まあ私には確かにジュニアで一番優秀っていう自負がある。だが強いって言葉になるとちょっと変わってくるんじゃないか」
ちょっとした言葉の解釈の違いだが、唯は言わんとすることを理解した。
「言葉通りのイメージってことなら・・・」
唯は思案する。ジュニアの選手について詳しいわけでは無いが、トップ選手くらいは把握している。
その中でも、そんなイメージと合致する人物。
「高井原選手とか・・・?」
「お、正解」
「えっ」
あまりにも単純でそのままの答えだったため唯が意外そうに声をあげる。
「なんかそのままっていうか・・・見た目の話?」
「まあ、言いたいことは分かる・・・そして案外見た目の話なんだ、と言っても意味は異なるがな」
いるかは階下で滑走準備をしている麒乃を見下ろす。
「麒乃はジュニアにおける一番の苦境を乗り越え続けている奴なんだ」
「一番の苦境?」
「ああ、何だと思う?」
唯は麒乃を見つめながら思案する。
見た目、体格の話でジュニアでの苦境という話の導線。
なるほど、と唯は納得する。
「ずばり、体格の変化ですね」
「そ、良く聞く話だ。ジュニア、特に女子で起こる『呪い』だな」
成長期に差し掛かり女子は急激に体格が変わってくる。
身長が変われば重心が変わる。体重が変わればバランスのとり方が変わる。
とても繊細なフィギュアスケートという種目でそんなことが起こればどうなるか。
「まず、今まで跳べてたジャンプが跳べなくなる。これが結構ショックだ」
今まで培った技術が無に帰す瞬間。これほど空恐ろしいものはないだろう。
しかし成長によって体格が変わればほぼ確実にそれは起こる。
そしてそこで多くの者が心を折るのだ。
「跳べなくなってやめた奴を何人も知ってる。それだけ苦しいことなんだよ」
だからこそ、高井原麒乃の特異性が窺える。
「現在180cmオーバー、未だに身長は伸び続けている」
「え!?」
高いとは思っていたがそれほどとは思っていなかった。加えて、まだ伸びているなどと誰が信じうるのか。
「まあ確かにノービスの時点で176cmあったからな、成長曲線は緩やかかもしれない。でも確実に体格は変わってるし、高身長ってのは結構なデメリットなんだ」
スポーツにおいて、体格というのはとても重要なファクターだ。
そしてフィギュアスケートにおいて高身長というのは基本的には不利に働く。
「身長が高いから、重心が高くなる。重心が高くなると安定感がなくなる。それは身長が高くなるほど顕著になる」
加えて、といるかは続ける。
「それに伴って、体重は増え続けているはずだ。その体に合わせてジャンプを習得して、体が成長したら跳べなくなって・・・また調整し直す。終わらないいたちごっこだ。その間に伸びてる奴はどんどん成長していく。心が折れるのも無理はないと思う」
その話を聞いて唯はぞっとした。
その『呪い』は全員がかかるものではない。だからこそ、自分が後退と停滞を繰り返している間に他のライバルが成長していくのだとしたら。
本当の意味で成長期の怖さを理解する。
「麒乃はさ、細かいことは気にしない奴だ。あいつが人前で自分の成長を嘆いたことは一度もない。でも、何も思わないわけないんだ。それでもあいつは当然のようにトップに食いついてくる」
麒乃の演技が始まるのを眼下に捉える。
「強い奴だよ、あいつは」
麒乃の演技が始まる。
本番だというのに彼女は普段と変わらない様子で佇んでいた。
音楽と共にその体躯は躍動する。
ズシリ、と鈍い音がなったように錯覚するほどその巨体はエネルギーを伴って動き出す。
その挙動とは見合わぬほど、麒乃は軽そうに滑り出していた。
しかし会場の誰もがそれを軽いとは捉えられない。
彼女の些細な動き1つに質量を伴って、観客の意識を振り回す。
重さに振り回されている様子はなく、リンクの上でその体を存分に振るいながら滑りまわる。
「すっげ」
「あんなのがガンガン振り付けしてればそりゃ見栄えはいいよ」
感嘆する唯に、いるかが頷く。
「が、口で言う程簡単なことじゃない」
「それは・・・そうですよね。体が大きいほど反動も大きい。それに振り回されるとあんな風には動けない」
体が大きいことによるメリットはその見栄えの良さだ。
巨体が氷の上を動き回る様は迫力があり、見る者を氷の世界に引き込む魔力がある。
しかし、そんなものは技術上のデメリットに比較すれば微々たるものである。
「正直言うと、素質という面でいえば麒乃は現役のジュニアでも結構下位にいると思ってる」
「それは・・・なぜですか?」
「あの高身長やら、成長し続ける体やらは勿論として・・・普通にセンスがそこまで良くない」
「え?」
唯はいるかの言葉に耳を疑った。
なぜなら、唯は今目の前で巨体をものともせず滑る彼女を見ている。あの身体を操作する技術をセンスと言わずしてなんというのだろう。
「言ったろ?一番強い奴だって、あの体を確実に制御するセンスがあるなら私は一番うまい奴だって評価する」
「でも現にやってますよ」
「あ~ジャンプを見れば分かると思うんだけど、あいつ結構雑なんだよ」
銀盤を華麗に舞う彼女からはそんな素振りは見られない。やはりことジャンプとなると高身長のデメリットをもろに受けてしまうのだろうか。
「じゃあそんな麒乃がどうしてあそこまで動いて演技ができるかっていうとその秘訣もあいつの身体にある」
「ん?」
身体的特性がスケートに不利だといったそばから、身体に演技の秘訣があるという矛盾に唯が疑問符をあげる。
「いろいろ秘訣はあるらしいが一番にあげられるのはあれだ、インナーマッスルってやつ。あいつはそこを滅茶苦茶鍛えてるんだ・・・勿論全体の筋肉も結構えぐいんだが」
「まあ、合理的ではありますがね・・・それだけであそこまでの演技ができるかというと・・・」
「あいつは言っていた。『現状を嘆いていても仕方がない。私はこの高身長でスケートをやるために『理想の肉体』を作り上げるんだ』って」
「『理想の肉体』・・・ですか」
「ああ、どれだけ身長が伸びても、体重が増えても『理想の肉体』を追い続ける。要は出来なくなったジャンプを力技で跳ぼうってんだ」
「そんな単純なものですかね?」
「現に麒乃はやってる。軸を取る能力は結構優れてるからな、あとはそのインナーマッスルで無理やり体を回転軸に持ってきちまうんだ」
唯は素直に感心していた。
普段、問題に直面したときはやはり技術面で考えてしまう。そこを身体を磨くことで解決するというのは強引だが可能ならば合理的である。
「んで、そうやって身体の問題を解決したんなら後は強みが残る。数少ない高身長の魅せる強みがな」
「確かに・・・これは強い」
「ああ、麒乃はスケート向きでない身体特性をむしろ身体を磨き上げることでメリットに変えちまった。身体が伸び始めて食事量が増えたのはスケーター多しといえどあいつだけだろう」
いるかは通路の桟に腕をかけると、微笑みながら麒乃の演技を見つめていた。
「私は麒乃の一番の強みはどこだと聞かれれば、あの身体だって答えるぜ。あの身体は悩めるジュニア選手の希望の星さ」
麒乃が不断なる努力で以って磨き上げた肉体は彼女がスケート向きでない身体であったからこそ生まれたものだった。
そんな彼女の演技だからこそ単なる技巧以上の熱とエネルギーを感じる。
(この身体が恨めしいと思ったことがないとは言わない)
小柄でピョンピョン跳ぶ子たちを見て、自分もあんな身軽さが欲しいと感じないわけがないのだ。
決して誰にも言いはしないが。
小学生の時点で176cmほどあった。
もう、ずっと慣れ親しんできた身体だ。
(跳べなくなった時、練習が足りないと思った)
ジャンプとは慣れだ。
成功体験を積む。すると体に沁みついたジャンプのリズムや勢いが自然に出るようになる。
身体が成長して、体格が変わるとそれが使えなくなる。
通じなくなれば、また新しく体に覚えさせる。
成長すればまた新しくインプット、それの繰り返し。
(頭がおかしくなりそうだった)
他者には絶対に見せたくない。
でも裏では絶望と焦燥の連続だった。
高身長では転倒すらリスクが大きい。
人より転びやすいのに人より怪我しやすい。練習を制限されるのは当然の流れだった。
(だから・・・身体を鍛えた)
転ばない身体、転んでも怪我しない身体。
それを作ることがジャンプ練習の第一歩だった。
そしてそのうちに気づいた。
成長のたびに変わってしまう身体、それに振り回される日々。
しかしそれはおかしな話だ。
自分の肉体をただ成長に委ねるがままに変化させる理由がない。
体づくりの中で、自身の肉体は自分で変えられることに気づいた。
ならば作ればいい。
自分自身にとってスケートがしやすい『理想の肉体』を。
脳筋のようでいてそこにはただひたすらに合理的な逆算があった。
見栄えのいいだけの筋肉はいらない。
スケートは身軽であるべきだ。
強靭でいて、しなやか。柔軟で、バランスが良い。
そんな体づくりをする中で気づいたのがインナーマッスルの力だった。
姿勢を正し、無駄なく力を伝達する。柔軟で動きの邪魔をしない。
体幹も併せて鍛えることで、見た目以上の強靭さが麒乃には備わっている。
だから、僅かな動きでも十分に勢いを伝播させられる。
己が『理想』を『現実』にするための『肉体改革』。
(私は私の身体に感謝している)
この身体でなければその答えに至らなかった。
この身体でなければ心はもっと弱かった。
(私の不能も、欠点も全てが私の糧だ)
麒乃の身体が躍動する。
一歩踏み出すだけで、観客が思わず身をひくほどの存在感。
風をまといながらリンクの上でその身が大きく跳び上がる。
引いた腕を身体の内側の筋肉が引き戻す反動。
それが空気を巻き込みながら、回転とともに上昇する。
正面向きのエッジジャンプ。
2回転アクセル 着氷
まさしく、エネルギーの暴流だった。
豪快で大迫力。そのジャンプには見た目以上の質量を感じさせる魅力がある。
彼女が動けばそのすべてに観客が引き込まれる。
それもそのはずだ。
麒乃の肉体にはその見た目以上の血と努力が詰まっている。
高身長、さらに成長期が絶えず続く中でも勝ち続けてきた理由がこれだ。
見た目には見えない内側の筋肉。さらに胴体を支える体の芯。
他の選手が技術を磨く中でただ一人肉体に向き合い続けた。
技術を肉体で以って凌駕する。
(この身体を私は言い訳にしないよ。成長は『呪い』じゃない、『祝福』なんだ)
『呪い』をくぐったからこそたどり着いた境地がある。
技術を超えた肉体的ブレイクスルー。
麒乃にとって身体が変わっていくなど当然の事だ。
それどころか自分で変えて磨き続ける。
だから、彼女は結果を残し続ける。高井原麒乃という選手が強者たる所以だ。
(次は3回転ルッツ!)
もはやジャンプは得意と言える麒乃だが、トゥージャンプは比較的苦手とするところだ。
ついつい力任せに跳んでしまうから、足首に大きな負担がかかる。
(でも私に緩めるつもりはないんだよな~)
ジャンプには最大限のエネルギーをぶつけるのが彼女だ。
その上で彼女は怪我を最小限に抑えている。
その秘訣は彼女の足首にある。
まず足首の可動域が広い。そのため、無理な動きでも捻挫を起こさない。
加えて柔軟な筋肉を備えているため十分に衝撃を和らげることができる。
その巨体を宙へ打ち上げるためにはそれ相応のパワーを伴う。
強く足を打ち付けて、余すことなくジャンプの糧とする。
ただ、それだけだ。誰もが同じことをする。
しかし、彼女が行うとその単純な過程で多大なエネルギーが生まれる。
観客はそのエネルギーに魅せられるのだ。
長い手足が宙で巻き付きながら、跳び上がる。
そして翼を開くように風を切りながら、全身を展開させる。
足が地面に着くと再び大きな振動が生まれる。
踏みしめるように彼女は着地した。
3回転ルッツ 着氷
歓声が会場中に木霊する。
(力任せだけだと思わないでね)
高身長によるメリット、それが魅せることだ。すでに観客は彼女が魅せるダイナミックなスケートに魅了されている。
しかしそれだけではない。
体が大きいということは表現において緩急の上限が大きいことを意味する。
体を巻き込み、折りたたむ。
その長い手足を隠すように屈みながら滑ると、一見小さく映るのだ。
体を前傾にすると同時に、加速。
体を展開しながら連続ターン。
するとどうだろう、急に彼女が存在感が増したように感じる。
会場の誰もが目を奪われる。
そして躍動する全身を広げ、体をより大きく見せながら審査員へジャッジアピール。
広げた両の手を音楽に合わせて勢いよく打ち付けて柏手を打ち、意識をよりリンクの上へと引き寄せる。
引き寄せたのなら、そのまま全部持っていく。連続ジャンプだ。
(あなたたちは知らなくていい。私の苦悩も、苦労も、苦しみも)
それらは全て喰い尽くして何も残っていない。
(ただ、私の肉体の躍動を祝福してほしい!)
見逃すはずがない。高井原麒乃という存在を。
いつだって彼女の表情は歓喜に満ち溢れている。そこには苦しみも呪いもない。
トウを突くと、重い反動が返ってくる。
その瞬間の内側の筋肉が麒乃の体を強く引っ張る。
正確に軸を捉え、そこに素早く体を持ってくる。
(血が滾る、骨が暴れる、肉が躍る)
殴りつける様な衝撃が観客を襲った。
連続ジャンプ特有のリズムに則って、振動が彼女を揺さぶる。
そのたびに身体が引き締まっていく。
2回目のジャンプもしっかりと軸を捉えた。
大きな衝撃をものともせずに一本の足がその身を支える。
3回転フリップ+3回転トウループ 着氷
高井原麒乃という選手の存在を誰もがしかと認識した。
エネルギーの奔流する苛烈な演技によって、観客の誰もが重く息を吐く。
その会場でただ一人、麒乃だけは変わらない様子で佇んでいた。
これが高井原麒乃、ジュニアで一番強い奴だ。
13巻の3分クッキングで笑ってしまいました笑