「明浦路先生が滑るらしい」
「なんで?」
「理鳳君のためだって」
あれよあれよと滑ることになった司は変な所は見せられないと気を引き締める。
「ホントになんなの?急にあの人に滑ってもらうって・・・大体滑れるわけ?潔は知らないかもだけどあの人は・・・」
「知ってるよ、あの人のことは調べた。その上で私はあの人のもとにつくって決めたんだ。見てればその理由が分かるよ」
黙ってみろ、そういわれたような気がして理鳳は口を閉ざす。昨日の夜、司から階級は聞いた。初級しか持たない彼に一体何が出来るというのか。
「確かにジャンプは跳べないけど、あの人は『上手い』よ」
司の演技が始まる。
滑る、滑る、滑る
(加速までが速い!)
始まってから即座にスピードを上げていく。その上でそのスピードに一切振り回されることなく、その体躯を振るう。
長い手足がその躍動をより際立たせる。
「これだ、このスケーティング技術」
アイスダンスで培った類まれなるスケーティング技術。シングルのようにジャンプのないアイスダンスでは、スケーティングが勝敗に大きく関わってくる。人並み程度のスケーティングでは勝てない。他者よりも綺麗に、正確に。観客に魅せるスケーティング。
呆然と司の滑りを見る理鳳と冷静に観察する唯。
(ステップの完成度も勿論高いが、それ以上に凄いのが魅せる技術だ。胴体から指先まで余すことなく神経を尖らせて繊細な動きを作っている。派手さはなくとも、そのすごさを理解させる明浦路司の魅せる美学か!)
見れてよかったと、唯は拳を握る。
何より、司の滑りには今まで彼が培ってきた軌跡が見える。ジャンプという派手な項目がなくても、彼が滑りの一つ一つを宝物のように慈しんでいることがわかる。フィギュアスケーターとして出遅れた彼が、それでもと足掻き、その身に刻み込んできた。彼の想いが単純なスケーティング技術に現れる。
明浦路司が不幸だと思うか?明浦路司という人物はスケーターとして恵まれなかった、見つけられなった天才か。
(俺は、誰よりも幸せな人間だ)
夢を追いかけた、応援してくれる人がいた、教えてくれる人がいた、一緒に戦ってくれる人がいた。
彼を応援した人たちの全てを背負って、司は滑る。振り付けも、スピンもあらゆる所作を無駄にはしない。
「凄いでしょ。司君」
唯と理鳳、両者に瞳が話しかける。
「スケート選手としてはかなり遅く始めた司君。それでも、諦めてたまるかって実力を伸ばす努力を続けた」
才能という言葉では片付けられない。
「絶対に氷の上を自分の場所にするって、全身がそう叫んでいた」
氷上の世界に魅了された司が食らいついたアイスダンスの世界。これは単なる技術や才能ではない。この積み上げてきたものは明浦路司の執念そのものなのだ。だからこれほどまでに見る者を魅了するのか。
「理鳳」
「なんだよ?」
司に見入っている理鳳に唯が話しかける。
「私が司先生を見るべきだと思ったのは、司先生は決して楽観でお前を褒めている訳じゃないってことを分かってもらいたかったからだ。あの人は分かってるよ、どれだけ厳しい世界なのか。それでも食らいつこうとするあの人の滑りを見てどう思う」
「・・・熱い」
もう言葉は必要なかった。
鴗鳥理鳳にとって潔唯は畏怖の象徴だった。
唯は理鳳と同時期に名港ウィンドに入ってきた。少しばかり父から手ほどきを受けていた理鳳と異なり全くの初心者の状態から初めた唯は順調に成長している一選手程度のものだった。
その評価はあるときからひっくり返ることになる。
前兆は光がクラブに入ってきた時だった。
初めて入った選手に最初は誰もが少しよそよそしくなる。理鳳が一緒にいたとはいえ、男子と女子じゃカテゴリーも異なる部分が出てくる。そんな中で、光を名港ウィンドというコミュニティに馴染ませたのが唯だった。
どうやってコミュニケーションをとるべきか、正解を選ぼうと慎重に考えていた光を引張り、クラブメイトと交流させた。
次第に光も上手く溶け込むようになっていき、安心したことを理鳳は覚えている。
女子で一番光と仲が良かったのは唯だったと思う。
それが変わったのはいつだったか。
きっかけは理鳳も知らない。様子が変わったのは本当に唐突だった。
確かに徐々に光がその才能の輪郭を露わにしたころだった。それによって何人かがやめていった。それでも唯と光に変わった様子はなかった。むしろ良きライバルとして切磋琢磨していた。だんだん、差が開いて行っても決して仲がこじれることはなかった。
だから本当にきっかけは分からない。きっと二人の中で何かがあったのだと周囲は推察したがある日急に唯の光への態度が一変していた。
憎悪のような、明らかに暗く、ギラギラとした何かをぶつけていた。何かあれば倒す、殺すと物騒な口ぶりだ。
変わったのは光への対応だけではない。
明らかに唯の成長率が変わっていた。
きっとあれは成長などという簡単な言葉で片付けてはいけない。クラブメイトの長所を分析し、取り入れる。取り入れるというより喰うという表現に近いだろうか。時には励まし、時には強い言葉をぶつけ、進化した相手をさらに喰うことで唯は成長していた。
鴗鳥理鳳の絶望が始まったのはそこからだった。
もともと、光に対して鬱屈した劣等感を抱えていたが、それは仕方ないと諦観に似た何かを感じていた。
だが、潔唯は違う。彼女はもともと自分と同程度の選手、同程度の成長をしていたのにそれが急に変わった。なまじその理屈が理解できてしまうからこそ、絶望は大きい。
彼女に出来て、自分に出来ない理由は何だろうか。言い訳ばかりを探す日々だった。
だから唯の言葉は理鳳に衝撃を与えた。
狼嵜光は理外の存在じゃない。手の届かない存在じゃないんだ。
「俺も目指していいのか?」
そもそも、光に勝てないからなんだというのか。それが戦わない理由になるのか。
才能も、環境も関係ない。鴗鳥理鳳はただのオリンピック銀メダリスト鴗鳥慎一郎の息子ではない。
鴗鳥理鳳は鴗鳥理鳳だ。
言い訳何て後から考えればいい。
今はただ挑戦することだ。
まずはノービス優勝そこでーーー
「俺は生まれ変わる」