メダリストはエゴイスト   作:モリブデン42

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『適応能力』の天才

「いのりさん」

「司先生・・・」

 

 リンクを降りたいのりをいの一番に迎えたのは司だった

 いのりはどこか気まずそうに顔をそらす。言葉が見つからなかったからだ。

 まずは謝らなきゃいけない。自分の身を案じていくれたのに突き放すようなことを言ったこと。それでも自分は今の演技を貫くことを決めた。

 それをどう整理しようかと、頭を悩ませるがどうにもまとまらない。

 

「えっと・・・あの司先生!」

「え?うん」

「すいませんでした!」

 

 まずは謝った。

 自分の練習したいという気持ちを優先して司を困らせた。そこは謝らなきゃいけない。

 

「これは、その身を案じてくれたのに反抗ばっかりしたことにで・・・でも、私今の自分の演技を変えるつもりはなくって、だから、その」

「いいんだよ、いのりさん」

 

 司がそっといのりの頭を撫でる。優しく受け止めるように。

 

「君の演技を見届けた。あの演技を見て覚悟が伝わった」

「司先生・・・」

「その上で俺はこれから本気でいのりさんと向き合う。いのりさんの意思は分かった。君は何も隠さなくていい。だからこそ俺はダメな事は本気で止めるし、たとえ衝突してでも君を導いて見せる。それが俺の覚悟だよ」

 

 いのりは少し泣きそうになって、それを見られたくなくて司の腹に抱き着いた。

 

「ごべんなさい、ごべんなさい司先生」

 

 司はそっと微笑み、いのりを抱きとめる。

 

「まずは病院に行こうか」

 

 

 

 

 

「いのりちゃん、SP敗退なんだ」

 

 いのりの演技をしっかりと見届けて、光は少し不満げに呟いた。

 自分から勝利をもぎ取った唯といのり。彼女らは今大会で打ち倒すべき仮想敵であった。

 その片割れがSP落ちとなるとなんだか肩透かしを食らった気分になる。

 

「さ、切り替え切り替え」

 

 しかし、光はそれを演技に持ち込まないようにと即座に切り替える。

 今何をしたいのか、今何をするべきか。それを示してくれる師はもういない。

 全て、自分で決めなければならない。あの人のレールはもうないのだ。

 

「はは、ちょっと怖いや」

 

 震える手を誤魔化すように、準備に取り掛かった。

 

 

 

 

 

 光の手番はいのりのすぐ後、そして本日最後の演技となった。

 一日でいくつ波乱があっただろうか、先ほどのいのりの演技も色々あったからか観客はどこか浮足立っている。

 そんな観客たちの意識を光は肌で感じていた。

 

(気に入らないな)

 

 自分を見ていない。

 意識がそっぽ向いている。

 

(気に入らないから)

 

 見ろ。

 

(壊してやる)

 

 ざわめきが広がる様子というのは案外想像しやすいものだ。一人の観客が異変を感じ取り、その様子が伝播していくように騒がしくなっていく。

 しかしことここに至っては逆だ。

 

 静けさが、伝播した。

 

 光がリンクに上がった時、一人の観客が光と目が合った、気がした。

 その瞬間、まずその観客が呑まれる。

 狼に睨まれた獲物のように委縮して固まった。

 その様子に気づいた隣の観客が同じく、その光の異様な雰囲気を感じ取り固まる。

 それが無限に連鎖していく。

 会場に静寂が訪れるまで3秒もかからなかった。

 

 その様子を確認して光は満足そうにポジションに着く。 

 

 目が合うだけで静寂が伝播するほどの闘気。光の精神は高次元まで練り上げられ、極度の集中状態を再現していた。

 

 その様子はどこか既視感のあるものだ。

 

 光が音楽の鳴動を感じ取り、動き出した。

 静止した状態から急加速、即座に高速を維持して滑り出す。

 瞬く間に制御できる限界ギリギリの速度へと達し、その中で体を自由に振り回しながらリンクの上にトレースを刻む。

 

「この動きは・・・」

 

 その光の行動の意味に気づいたものは唸りをあげていた。

 既視感などというレベルの話ではない。つい先ほど見たばかりの光景ではないか。

 

「さっきのあれを見たうえで、まさか被せるかよ」

 

 つい先ほどいのりがそれを実行して痛い目を見たはずの演技。

 光はそれを涼しい顔で踏襲していた。

 

「結束いのりの成功前提の演技・・・!」

 

 力を振り絞って解放させる溜め、トップスピードの中でガンガン体を動かす無謀さ。

 いのりと同じ原理で演技をしている。

 

「でも違う・・・単なるいのりの模倣じゃなくてしっかりかみ砕いて自分のものにしている」

 

 どちらともそれなりに関わった唯が気づいた。

 思えば夜鷹純の演技を再現していたときもそうだった。単なる夜鷹純の模倣ではなく、しっかりと自分のものにした上で演技として構成していた。しっかりと見れば夜鷹純を思わせる体の使い方もちらほらと見える。

 

「これが狼嵜光、新しい女王の演技」

 

 

 

 

 

 

「誰もが光のことを天才少女と呼ぶ」

 

 観客席にて理鳳がぽつりと呟く。

 

「実際そうなんじゃない?」

 

 不思議そうにエイヴァが理鳳の呟きを拾った。

 理鳳もその通りだと頷く。

 

「間違ってはないけどさ、そいつらは光の本質を見てないんだよ」

 

 当然のことながら選手としての一面でしか知らない人間には気づきようのないことだと思う。しかし光の凄さを単なる天才の一言で片づけてしまうのはあまりに思慮に欠けている。

 

「光の本質?」

「うん、そこを知らずに光を見るとジャンプが上手くて、技が豊富で、表現力がずば抜けてるっていう単にスケート上手い奴みたいな口ぶりになる」

「十分天才っぽいけど」

「その根幹にあるのが何かって話」

 

 理鳳は思い返すように光を見つめていた。

 

「ずっと兆候はあったんだ。例えば光が初めて家に来た時から」

 

 思えば光の行動の端々に思考と実践の軌跡があった。

 

「あいつは常に周囲の力関係を意識しているようだった。今考えると初めて家に来た時も、クラブに入った時も最適解を出すために自分を変えていた」

 

 そして一番の決め手は憎き相手が示している。

 

「一番の兆候はあのジジイの演技を自分のものにしたことだ」

 

 夜鷹純の模倣、口にするのは簡単だが誰しもが出来ることじゃない。

 その難解な要件を光は軽々とこなしていた。

 その事実が示す、光の能力。

 唯が秀才と言い、そして秀才にしてノービス女王に登りつめた根幹にある才能。

 

「単なる模倣じゃない。完全に自分のものとして取り込んでいた。それは外側だけでなく、演技の中身まで完全に掌握して自分を変革しているってことだ」

 

 理鳳の光を見る目に強い炎が滾る。

 

「光がそんなことを出来るのは、自分を変えることを恐れないからだ。いつでも自分を壊す覚悟で戦い、そして最適な自分を創り直すことができる」

 

 光を天才と言うなら、その正体を考えないといけない。

 

「光は」

 

 唯が秀才と呼んだ自分を変えていける性質。

 

「狼嵜光は『適応能力』の天才だ」

 

 

 

 

 

 

(今まで、私はコーチが敷いたレールの上に『適応』していた!)

 

 光は己の可能性が開拓されていく感覚を噛み締めていた。

 

(けど今!私は私がやるべきだと思ったことをしている!それはただ夜鷹純に『適応』することじゃなく、否定することでもない!私がこの場で必要だと思う演技の要素を抽出して私だけの演技を作り上げる!)

 

 今までは夜鷹純の教えを忠実に守っていた。世界一が指し示したというこれ以上ない説得力。事実それで今までは勝てていた。

 しかし、それだけでまかり通らなくなったのも事実だ。

 潔唯、結束いのり。ライバルたちによって自分は変革を余儀なくされた。

 

(今なら分かる!コーチと袂を分かつことは私にとって必要な通過儀礼だった!)

 

 もしかしたら、彼はそこまで考えて自分の元を去ったのかもしれない。

 

(それはそれとして腹が立つのには違いないけど)

 

 演技が始まるまで、自分はどうするべきか分からなかった。

 新しい自分の演技を探すべきか、今までのように夜鷹純の演技をするべきか。

 しかし、いざ始まってみるとあっさりと解は出た。

 今の縛るものがない『自由』な環境に『適応』して見せたのだ。

 

(いのりちゃんの最適化された演技と私の高い表現力をかけ合わせれば、いのりちゃんほどのリスクなしに最適な演技ができる)

 

 無論リスクはある。いのりと同様に転倒が点数的にも肉体的にも致命的なダメージをもたらす可能性は依然として変わらないのだ。

 しかし、光は選んだ。勝つためにいのりの武器が必要だ。だから取り入れる。そこに迷いはない。

 

(いのりちゃんと同様にリスクはある!しかし今この環境に『適応』した私なら引き寄せられる)

 

 もし、いのりと光を分かつ要素があったとすれば、それは目には見えない『何か』の集合だ。

 それを言葉にするととてもあやふやな物言いになる。

 

(引き寄せるんだ!『運』を!)

 

 スケートにおいて、『運』とはただの偶然による産物ではない。スケーターたちが必然を突き詰めた先にある制御できない勝負の綾だ。

 肉体のコンディション、精神状態、リンクの状態、会場の空気。これらのような数字に出来ない要素が積み重なって残酷にも成功の可否を分ける。

 スケーターたちが練習によって培うことができるのはそれら以外の技術だ。表面的に精神を整えることは出来る、体の状態を挙げられる。しかし、それらがすべて噛みあってようやく意味を成すのだ。

 

 技術を突き詰めたものが、なんの変哲もないところで失敗する。

 無謀な挑戦に成功して勝利を収める。

 

 どちらも起こり得る運命論だ。

 

 ではスケーターはただその『運』が降るのを待つだけか。『不運』が避けてくれるのを願うだけか。

 

(そんなわけない!)

 

 『運』は落ちる場所にいる者にしか舞い降りない。

 

(理解したよ!いのりちゃんのこの演技は『運』を最大限活かすためのものなんだ!)

 

 成功前提の演技。つまり『運』が降った瞬間にその『運』を一粒も逃さぬように常に最適な答えを出し続けるのだ。

 『運』が降ってきたとき、自分が万全の演技が出来なければ凡庸な結果に終わってしまう。それがいのりには我慢ならなかったのだ。

 『不運』に見舞われた時のことを捨てることで、『運』が降ったその瞬間に限界を超えた奇跡の演技が完成する。いのりが無意識の内に導き出した答えを光は正確に言語化していた。

 

(今、私は『運命』の分岐点にいる!)

 

 『運』が舞い降りるか、『不運』が落ちてくるか。

 

(見極めるんだ!『運』の降るその境界を!)

 

 光の気合とは裏腹に、その体は最高の脱力を成していた。

 力が必要なのは一瞬、右足のエッジを研ぎ澄ましながらその瞬間を探る。

 肌を切る風と会場の熱気を感じながらも、光の精神は過多な情報を全て捨て去る至高の域へと達している。

 脱力と力みの一瞬の切り替え、その瞬発力がエネルギーの最高到達点を魅せる。

 

 『運命』を超克するそのジャンプ。

 

 3回転アクセル+3回転トウループ 着氷

 

 会場に歓声が巻き上がった。

 本日二度目の3回転アクセルの連続ジャンプ。それもノービス選手が行ったという事実に驚愕のどよめきも見える。

 

 

(『適応』、しろ!)

 

 

 しかし光はそんな周囲の様子に気づいた様子はない。

 演技の中でも常に自身の進化に目を向けていた。

 

(分かってきた!『適応』っていうのはただ馴染むことじゃない。環境や相手を超えるために必要な挑戦を導き出すこと。そしてそれを乗り越えるために自身を変革することなんだ!)

 

 光はいのりに『適応』するために一度その演技を模倣した。同じ視座に立つことでいのりの演技に込められていた本人ですら気づいていない意味を理解する。それを解体して必要な要素をカスタマイズすることで自分のものにしたのだ。

 

 自分の才能に今一度目を向ける。その中に勝利のピースは隠されているはずだ。

 

(たとえばりんなちゃんに『適応』する場合、目を向ける点はその精神性になる)

 

 申川りんなという選手がいる。

 どんな逆境でもむしろ能力を上げる薪にする。むしろ逆境に自ら陥っていく。

 異常な精神性だ。とても真似できるものではない。

 

(でもきっとあれは本人の中ではルールに基づいた。ロジカルなものだ)

 

 画一された世間の価値観からはかけ離れていても、本人の世界の中では筋が通っている。

 

(アクロバティックな動作が目立って、無駄なことに敢えて挑むことに意味があるように見える。でも本質は動作そのものではなく、逆境に挑み超克する自分という状態がパフォーマンスを上げる鍵だってだけの話)

 

 挑戦的集中(フロー)。その状態に入るために多くの選手たちが四苦八苦する。

 りんなはそれが明確で逆境に挑む自分であることという幅広いものなのだ。

 動作そのものではなく、それに挑む自分が重要だという価値観。

 

 申川りんなという人間を解体していく。

 

(それなら『適応』出来る!)

 

 演技の中に時折激しい動作を織り込む。

 ターンの直前に足を組み替える。

 エッジを一度逆にしてステップを組む。

 

(いや、もっと!)

 

 光の脳内で計算と本能の天秤が揺れ動く。

 

(私に寄り添った価値観の中で逆境を生み出してそれを乗り越える。その精神状態がきっとパフォーマンスを引き上げてくれる!)

 

 りんなの逆境を光なりにカスタマイズしていく。

 意味のないリスクではなく、演技的に実りのある合理的な演技。

 しかしその分、難易度を引き上げて精神にプレッシャーをかける。

 

(高速スピン!からの)

 

 加速と回転、リンクを駆け巡りながら勢いをつける。

 

 2回転アクセル 着氷

 

 回転に次ぐジャンプ。難しいジャンプへの入りが演技構成点を上げていく。

 その代償にあるのは足の疲労と、息を入れる間もないほどの動きの連鎖。

 

(そこから!フライングキャメルスピン)

 

 しかしまだ止まらない。

 着氷直後に魅せる回転の暴力。

 風が吹き荒れながら、光の身にまとわりつく。

 

 そのもう一歩先。

 

(さらに足換えコンビネーションスピン)

 

 もう足の感覚などない。しかし挑戦的集中(フロー)が引き上げたパフォーマンスと精神力でその難局を乗り越える。

 

(出来る出来る出来る!)

 

 観客はとうに魅了されていた。

 きっと初めて曝け出す。狼嵜光の『自由』な演技に。

 

 狼嵜光は羽ばたいた。

 夜鷹純が翼を授け、そして籠から解き放ったのだ。

 

(ああ、ああ!)

 

 自分が生まれ変わったような感覚。夜鷹純という一つの完成形かに留まらない無限の可能性。

 常に自分が改革されていく快感。

 

(スケート、楽しすぎるでしょ!)

 

 光の表情が歓喜に溢れている。

 スケートが楽しくてたまらない。

 

(今なら分かる!コーチは私にこの世界を見せたかったんだ!)

 

 不器用すぎるあの人を自分は今でも許していない。

 思い返すと腸が煮えくり返りそうだし、泣きそうにもなる。

 自分を切り離したことを後悔させてやりたいという思いもある。見返してやりたいという思いもある。

 それでも今だけは。

 

(ありがとう、コーチ)

 

 感謝を告げていた。

 

(もう私を導いてほしいとは言わない。私に道を教えてほしいとは言わない)

 

 自分の道は自分で切り拓く。

 

(だから、どうかどこかで見ていて欲しい)

 

 新しい狼嵜光という存在を。

 

 最後は得意なこのジャンプで決める。

 ターンとステップを織り交ぜて複雑な導入を組み込む。

 疲労を忘れるほどの夢中が、ジャンプをより高次元へと連れていく。

 しかしそこで満足してはいけない。進化のピースはどこにでも転がっているのだ。

 トウを突くポイント。頭の中で自身の動きを正確に捉えながら、全力全開のパフォーマンスを顕現させる。

 

 面影は僅かにしかない。しかし誰もが彼女に夜鷹の翼を幻視した。

 

 3回転ルッツ 着氷

 

 絶望と希望が巻き起こる。

 研ぎ澄まされた才能と、磨き上げられた能力。それらが『自由』を手に入れた。

 新しい狼嵜光。

 

『名港ウィンド 狼嵜光さん 75.21 現在の順位は1位です』

 

 さあ、女王が帰ってきた。

 

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