メダリストはエゴイスト   作:モリブデン42

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更新遅くなってすいません
あと滑走順にミスがあったので前回のを一回消して、書き直しました。



死出の旅路へ

 悠久を思わせる一夜はあまりに容易く過ぎ去っていった。

 選手たちが抱く思いは各々異なる。単に挑戦者でいる者や、楽しみたいだけの者、この大会に全てを賭けている者もいるし、勝負を前に苦悶に顔を歪ませる者もいる。

 しかし誰一人として、逃げ出す者はいない。

 誰もが決意を胸にリンクへと向かう。

 

「……申川さんがいません」

「はあ!?」

 

 決してこの大会が平静に終わるはずがない。誰もがそんな予感を持っていた。

 

 

 

 

 

 違和感。

 朝からなぜだか、浮足立っている。

 

「大丈夫、大丈夫」

 

 言い聞かせるように呟いたその声は僅かに震えていた。

 何度目か分からない深呼吸。そわそわと落ち着かなくて足を揺らす。

 

「なんで、なんで」

 

 りんなはその異常事態が不思議だった。

 

 コンコン、とノックが響いた。それでようやく自身がトイレにいることを思いだした。

 一人になりたくて少しのあいだ籠っていたのだ。

 少し長居しすぎたかもしれない。だれかが異常に思って確認にきたのだ。

 

「すいません、出ますね」

「りんなちゃん?りんなちゃんだよね!」

「いのりちゃん?」

 

 そのノックの主は結束いのり、昨日儚くも散ってしまった戦士の一人だ。

 

「どうしたのいのりちゃん?」

 

 ドアを開けて、尋ねる。いのりの様子はどこか困惑気味だった。

 

「え、いやりんなちゃんこそ何してるの?皆探してるよ?」

「確かにちょっと長居しちゃったかな」

「いやいや、そんな次元じゃないよ」

 

 そこでようやくりんなは理解する。

 

「りんなちゃんがいなくなって1時間以上たってるよ?」

「え?」

 

 スケジュールは既に進み残りのプログラムは両手の指で数えられるとこまで迫っていた。

 

「速く準備しないと、りんなちゃんの番が回ってくるよ」

 

 気づけば余儀なく、リンクの上へと送られる。

 出番が回ってきていた。

 

 

 

 

 

 

「いや、まじで見つかって良かったよ……何かトラブルに巻きこまれてたらどうしようかと」

 

 どこか疲れた様子の雉多がホッと息を吐く。

 りんなが戻ってからはてんやわんやであった。

 連絡が回るとともに、即座に準備へと向かわされる。当然一息つく間などない。

 

 思考が現実に追いつかぬ間にりんなは本番が目前に迫っているいることに気づいた。

 

「あ……」

 

 手が震えている。

 これは緊張だ。

 

「なんで……」

 

 本番を前にして緊張する、そんな時期もあったかもしれない。しかし今となっては己を高ぶらせる燃料にすぎないというのに。

 身がすくむような冷たい空気が、体を重くする。

 止まらない。震えが止まらない。

 

「りんな?」

 

 雉多がりんなの異変に気付く。最近はいつも強気だった。かつてのりんなでも、本番前は人が変わったように集中力が上がっていた。

 

「大丈夫ですコーチ」

 

 弱音を飲み下して強がる少女を雉多は知らない。

 

「どんな逆境も私を奮い立たせる燃料でしかありませんから」

 

 心配を含んだ瞳にりんなが気づいた。精一杯の強がりは誰に向けたものか。

 雉多には自身に言い聞かせているようにしか見えなかった。

 

 

 

 

 

 笑えない。

 りんなの胸中は失望に包まれていた。

 

「ここで打ち止めかな」

 

 今までどんな逆境も笑って乗り越えてきた。それが新しい自分で、獲得した生の実感であった。

 それが今どうであろうか。こんななんでもないところで臆して、怯えている。

 

「なんで」

 

 何より問題なのがその理由が分からないことだ。

 どうして自分はこんなにも緊張しているのか。

 

 初めて、自分の心の底に触れた気がした。

 

 怖い、怖い、怖い。そして何より情けない。

 

 人の目など気にしたことがなかったのに、今ここにきて失敗を恐れる自分が情けなくて仕方がない。

 

「笑え、笑えよ私」

 

 顔を引きつらせながら、指で無理やり顔を歪ませる。

 氷に映るのは醜く、歪んだ自分の顔。今にも消え入りそうで儚い。

 

「はは」

 

 乾いた笑みがこぼれた。

 

「なんだそれ」

 

 氷の中の自分が嘲笑うようにこちらを見ている。

 

「笑えるじゃん」

 

 

 

 

 

 

「りんなは一体どうしたんだ?」

 

 りんな明らかな異変に雉多は驚きを隠せないでいた。

 昨日のSPではいつもの調子だった。それどころか進化を遂げたばかりで意気揚々といった様子であった。

 

(何か、見落としている)

 

 何か原因があるはずなのだ。そうでなければりんながあれほど演技に怯えるはずがない。

 

(昨日か、今日か、演技に至るまでに一体何が変わったんだ?)

 

 りんなの変化、その一点に着目したとき、雉多は気づいた。

 

「あ」

 

 手に口を当てて、戦慄する。

 

(そうか、そうか、そうか。演技での進化。変わったポイントといえばそこしかない!)

 

 りんなはSPでの演技を経て、表現力という理合いを手にした。

 それは間違いなく進化であり、成長と呼べる一歩だ。これからその表現力とりんなの精神性をすり合わせて演技を完成させていく道になると思っていた。

 しかし、りんなの異常性の本質を見誤った。

 

(表現力を手にした。でも世界観を構築する過程で必ず客観視するようになる。つまりは他者の視点を考えるようになった。自分の世界観を表現するとは言ってもその過程で必ず他者と言う前提が存在してしまう。それを意識するようになったから……)

 

 それが逆効果だったのだ。

 

(あの狼嵜光の演技の後でもりんなの演技は崩れなかったのに、なんてことのない今日に限ってひどく緊張している)

 

 光の演技のあとすら、その逆境を力に変えたりんな。

 しかし、それは周囲に対するある種の鈍感さがあったからに他ならない。

 

(りんなの強さの秘訣は周囲の空気に対する鈍感さだった!だから緊張や試練がちょうどいい負荷になっていた!しかし今回、他者を気にしない強さを持つりんなに、表現力という他者からの視点が求められるスキルを要求した。それがりんなの精神を大衆に寄せてしまった。周囲の雰囲気に鋭敏になってしまったんだ!)

 

 雉多は己の失策を悔やむ。

 問題なのは表現力を授けたことではない。この表現力という課題はいずれ解決せねばならないものだった。

 雉多の失策はこのりんなの現状を彼女自身に伝えられなかったことだ。

 りんなは今自分の不調の原因を知らずに怯えながら演技をしている。

 もはや今のりんなは会場の空気を重圧に感じる普通の少女だ。

 成熟していてもまだまだ多感な子供。たった一回の絶望に心を折られれてしまう。

 もし今回の失敗がトラウマになったなら、立ち直れるかは未知数だ。

 

(なんでもっと早く気づけなかったんだ!)

 

 雉多は自分を打ちのめしたくて仕方なかった。

 もっと気を遣っていれば早く気づけたかもしれない。そうすればりんなの心を手折る可能性を少しでも下げられた。

 

(りんな、頑張れ!お前はこんなとこで終わっていい奴じゃない!)

 

 雉多は祈るようにリンクを見つめた。

 そして、りんなの姿を捉えて。

 

「え」

 

 申川りんなは誰かの想定に収まる人間ではない。

 そんな事実を思い出した。

 

 

 

 

 

 

 りんなの『エゴ』の根幹は『自分が変革する感覚』への快感だ。

 逆境を乗り越えることで自身を超克する。壁が高ければ高いほど快感を覚える。

 その変化はいつだって前向きなものだった。変わった先にいる自分は今の自分より成長した姿である。

 

(私の演技はいつも自分の中で完結していた。だから本当の意味で絶望を覚えることなんてなかった)

 

 しかし今、情けない自分の現状にりんなは誰よりも失望している。

 

(自分の可能性に期待できなくなった瞬間、私は死んだ)

 

 りんなは自身の状態に気づいている。その上で自分がもうかつてのようには闘えないと自覚していた。

 死んだ、死んだのだ。

 自分は他者より鈍感なだけの弱虫だった。容易く己の心は折れてしまった。

 それはきっと、もう鈍感な自分には戻れないという確信からくる絶望だった。

 

(でも絶望の淵だからこそ、見えたものもある)

 

 今までの前向きな姿勢とは対極にある。ひどく後ろ向きな考えがりんなの心に芽生えた。

 

(自分がどうやって死にたいか)

 

 りんなの心の奥深くに眠っていた。りんな自身ですらその思考に恐怖を覚えるマイナス思考。

 

 そんな負の思考とは裏腹にりんなの演技には輝きが増していた。

 音を捉える。空気を捉える。氷を捉える。

 言葉には出来ないりんなのアクションの一つ一つに並々ならない魂が宿りだす。

 

 観客はその雰囲気にのまれ押し黙る。

 りんながその重圧を生み出していた。

 

 異常、と言うほかない。

 

 SPで手にした表現力、たった一日で進化するほど簡単な物じゃない。だからこれはもっと言葉にできない、熱だ。

 技量はそのままに、りんなの演技に対する熱量が表現をブラッシュアップし説得力を持たせている。

 心を動かす生命の躍動を。

 

 そろそろエレメンツが入る頃合いだ。

 

 急加速、足の先を振り回しながら勢いに任せる。されど繊細さは失わない。

 アフライングキャメルスピンだ。

 

(回れ回れ回れ)

 

 世界がぐちゃぐちゃになるほどに。

 世界を回せ。

 

 そこから一足。スピンから繋ぐように、スムーズに。加速しながら。

 

 左足が壊れるほど、足を引き絞る。

 矢を穿つように。ギチギチと幻聴が。

 未知、破壊、新体験、転倒。足りない技術を熱量で埋めて。

 欲望と不安が織り交ざる生命の悪戯。

 

 4回転サルコウ 着氷

 

「4回転!」

「今年のノービスはどうなってんだ」

 

 悲鳴に似たどよめきが会場内に走った。

 

 限りある生命を使い果たさんとりんなは舞っている。

 絶望と諦観が生み出した、りんなの腹の底に眠っていた危険な『破滅願望(エゴ)』。

 

(沈んだ心が見つけた本音、私がかつて見た憧れの演技)

 

 それは意外にも『夜鷹純』というファクターだった。

 

 

 

 

 

 日本にいるスケート選手で夜鷹純を知らない人間はいない。

 引退後だろうと、その映像だけで人の心に残り続ける。そして憧れを抱く。

 皆、心の中に夜鷹純を飼っているのだ。

 

(私の心に残り続ける、夜鷹純の最後の演技)

 

 生で見たわけでは無い、むしろ親に見せられたビデオがきっかけだった。

 夜鷹純に魅せられた。

 

 全てを出し切ろうとする熱量と、研ぎ澄まされた技術。

 生命のフィナーレがそこにはあった。

 

 りんなの脳裏に鮮明に焼き付いた、最後の輝き。

 

(私も、私もあんな風に)

 

――――――朽ち果てたい

 

 無意識に抱いた破滅願望。

 どうせ死ぬなら出し切りたいと思った。

 

 腹から指の先まで芯を通す。

 

(どう見えるか、じゃない。どう魅せたいか。どうなりたいか。どうなってしまいたいのか)

 

 別に不思議な話ではない。

 いつまでもスケートをし続けるなど、ただの幻想だ。

 心も、意思も関係なく、強制的に夢を絶やされる瞬間はいつか訪れる。

 

(なら)

 

 せめて

 

(今日、今すぐ死んでも後悔しない演技がしたい)

 

 表現という次元を超越した生命の顕現。

 その輝きに観客が魅せられる。

 まだ発展途上のノービスの演技をその熱量だけは凌駕していた。

 

「なにしてんだ……」

 

 観客が呟く。

 りんなにとってこの大会は何かがかかった重要項目というわけじゃない。

 言ってしまえば負けても次がある。

 ならば過度な情熱は籠る余地がないはずだった。

 

(出し切る、出し切る、出し切るんだ!)

 

 つゆほどの余力も残さない。体への負担など微塵も考慮しない。

 終わるなら、終わってしまえばいい。その散り様なら納得できる。

 

 活性化した脳がりんなの活力を次のステージへと持っていく。

 実力以上の演技をニュートラルに出せる刺激的な新スタイル。

 

(今日終わってもいい、今すぐ演技が出来なくなってもいい、ただその最後の瞬間には私の全てを使い果たして絶えたい)

 

 腹から力が外に流れていく感覚。

 その力はきっと大事な何かだが、その工程が己の存在を昇華させていると自覚する。

 

 逆境では、まだ足りない。

 限界の向こう側へ。

 

(まだ、行けるでしょ)

 

 力を吐き出す。

 

 さあ行こう、死出の旅路へ。

 

 3回転ルッツ+3回転ループ 着氷

 

 りんなは自分がどうやってそのジャンプを降りたのか、自覚していなかった。

 衝動のままに自分を死に近づける。一歩ずつ、一歩ずつ、りんなが満足するその瞬間までその歩みは止まらない。

 

(思考すらいらない!ただ本能の赴くままに私と言う存在を曝け出す)

 

 その過程にこそ生命のフィナーレが顕現する。

 

 夜鷹純はその熱を生み出すために一体どれほど犠牲を払ったか。どれほど身を削って火に焚べたか。

 常軌を逸した研鑽の果てにその極みは存在している。

 では、りんなはどうか。

 

 彼女の姿を見て、誰が苦しみを見出せるだろうか。

 全てを出し切るという誰もが考えながらも、実行は出来ない行動。

 どんなに思いこもうとしても、人は心には逆らえない。

 出し切ったなどと言葉にできる内は嘘であろう。

 

 りんなのそれは本心だ。スケート人生の途上に過ぎない。大きな志などない過程の大会で、心の底から人生の集大成を飾ろうとする異常性。

 その姿に人は感動を覚えるのだ。

 

 3回転アクセル、3回転ルッツ、3回転フリップと高難易度の技を次々と消化していく。

 

 そのたびにりんなの身と心が削れていくのが見て取れる。

 しかし彼女の演技が魅せる輝きだけは消えるどころか、より高度に練り上げられていた。

 

 意思と行動の合致した彼女は今、己が生命を映し出すことだけに突出している。

 

 それを観る観客が幻視したものは一様なものではなかった。

 一輪の花が手折られるように、木々がか細い根だけで体を支えるように、桜の花びらが散っていくように。

 散り際の弱弱しい姿が、かつての栄華を彷彿とさせる。最後だからこそ美しく力強い生命力。

 

 りんなは表現している。

 観ているものが同じなのに、見えているものが違う。それでも最後は一つの答えに行き着く。

 

 小難しいテクニックただの土台だった。

 SPで得た『線』の感覚も、世界観を構築するという『概念』も。

 培った全てを使い果たす。『感覚』が滅茶苦茶になろうと気にせず、好きなように自分という存在を乗りこなす。

 

(今日、今、一瞬、この瞬間にしかできない!成長も、進化も全て捨てて、破滅にダイヴするこの『感覚』!)

 

 体がしなだれかかるように体重を移動させながら、ゆっくりと見せつけるようにイナバウアー。

 そこからタタッとステップを踏んで加速しながらアクロバティックな振り付け。

 緩急とその間。人の意識を突くように繋いでいく。

 

 気づけば最後のジャンプだ。

 

「最後に、コンビネーション入れるかよ」

 

 元々、普段のりんなを想定した挑戦のための最後のコンビネーションジャンプ。

 ただでさえ充分に修練をこなしても確実は言えない技、さらに今回勝手に他のエレメンツを高難易度にしてしまった。

 物理的な身体の疲労、精神的にも平常とは言い難い。

 それでも、今のりんなに迷いはない。グレードを下げるなど論外。

 

 挑戦を越えて、

 限界を超えて、

 ボロボロの身体を脊髄で動かす。

 

 りんなは飛翔した。

 

 そのジャンプに理屈はなかった。

 熱量のままに、体を押し出した。

 故にその感覚を小難しく言い表すことは困難だった。

 ただ、結果だけが自分に夢を現実だと教えてくれる。

 

 3回転アクセル+3回転ループ 着氷

 

 りんなは、空を仰いだ。

 ただの照明を天の光と錯覚させるほどに、愛おしそうに手を指し伸ばす。

 消え入りそうなその儚さに誰かが涙を流した。

 

 

 

 

 

 

 

 演技を終えて、りんなは確信してしまった。

 

(あれ、まだ次にいけそう)

 

 本気で出し切るつもりで、実際しばらく動けぬほど全てを使い切った。

 それでもなお、りんなには次がある。

 ならばこれを続けるだけだ。

 いつか朽ち果てるその日を夢見て、りんなは演技を刻んでいく。

 

 死出の旅路とはそういう事だ。

 




りんな「皆、心の中に夜鷹純を飼っているのだ」
いのり「そうかな?」
夕凪 「そうかな?」
※りんなが勝手に言ってるだけです
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