メダリストはエゴイスト   作:モリブデン42

34 / 38
希望の星

『名港ウィンドFSC 申川りんなさん 127.87 総合得点 190.08 現在の順位は1位です』

 

 点数が発表され、会場が湧き上る。

 その鳴り響く歓声の中、唯は会合した。

 

 控室で衣装に身を包み、いざ会場へ赴かんとする高井原麒乃の姿を捉える。

 

「え……」

 

 その姿に目を奪われた。

 唯の審美眼はスケートへの機能美そのままだ。故に高身長で手足の長い麒乃の姿はモデル的で美しくあれど、スケート選手として見た唯の目線からは曇って見えるはずだった。

 機能美とは引き算。いかに無駄を削り、その他を引き出すかという価値のブレンドなのだ。

 だが麒乃の肉体はその逆、付加された機能美。その矛盾を一つの体で内包している。その不可思議な神秘が唯にとっては、どの練磨された肉体よりも美しく映った。

 

 

 傍らで見惚れている唯に気づかず、麒乃はその横を通り過ぎた。

 それは断じて無視したわけでは無く、視界の端の不動の物を人と認識できぬほどに集中しているという所作の表れだった。

 

(申川りんなちゃんの演技を見て、今私の中で何かが噛みあおうとしている)

 

 麒乃は肉体派に見せかけて、意外と思考するタイプだ。その思考の行き着く先が肉体であったが。

 思考の渦に捕らわれる麒乃を布袋野や美蜂はあえて止めない。演技開始の瀬戸際まで、あらゆる時間より優先して、彼女を待った。

 時間と、彼女の思考の深さを布袋野が読み取りながらそっと肩に手を置く。

 それが合図だった。

 

「行ってきます」

「行ってこい」

「頑張ってください」

 

 それ以上言葉を交わすことなく、彼女は氷の世界へ飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 高井原麒乃と言う存在は福岡パークFSCではある種希望の星とされている。特に、体の大きい女子たちにとっては。

 体が大きくなると、体重が増えると、「かならず」ジャンプが跳べなくなるという呪い。それを目の前で彼女は打ち破っていくのだ。

 背中を押される。目指していいってそう言ってくれる。

 目の前の暗闇を切り裂いて突き進んでくれる。だから、希望の星なのだ。

 

 では、それが高井原麒乃以外の誰かだったなら。

 

 どうだろうか。

 

 唯は演技を始めた麒乃を眼下に収めながらそんなことを思案していた。

 

(私だったら、そうはなれないだろう)

 

 もし、自身が高身長だったら。意味のない思案である。未来は分からないが、そのもしはまだなく、立場が入れ替わることもない。

 だが、その倒錯した試行は当然のように解をもたらした。

 

 あるいは、結束いのり

 あるいは、狼嵜光

 あるいは、申川りんな

 あるいは、岡崎いるか

 あるいは、烏羽ダリア

 あるいは、紅熊寧々子

 あるいは、あるいは、あるいは。

 

 今、この会場内で思いついた精鋭たちをもってしても希望の星であれたかと言うと疑問符が浮かぶ。

 

(なぜなら、誰もかれもがその高身長という課題を自分だけが持つ『何か』で超克するから。私が五感で補おうとするように)

 

 例えば、集中力。例えば、学習能力。精神性、■■、美学、センス。

 

 麒乃の性質はカテゴライズするならば、秀才のそれだろう。

 しかし、彼女の武器たる鍛え上げた肉体というのは誰が見ても分かる理屈なのだ。

 

 前述の誰かが高身長を持っていたとして、希望の星であるためにはその足跡が他者から見て分かるものでなくてはならない。

 『成長』の克服という方程式に、ブラックボックスが混じれば解読不可能となるように。

 それぞれが持つ武器は自身の内側で蓄えてきたものであり、容易く他者に理解できるものではない。

 

 高井原麒乃という傑物は、『呪い』の克服に特殊な技能を用いていない。『理想の肉体』という答えは、苦難こそあれど届きうるのだ。

 個人差はあれど、誰もが目指し得る地続きの先に道を示した。

 だから、希望の星足りえる。

 

 

 

 

 

 

 その体が滑走する。

 風を大きく纏わせながら、大きなエネルギーがうねりを上げる。

 

(別に、希望の星になろうとしたわけじゃないけど)

 

 そう言われて嫌な気はしなかった。

 自分が頑張るほど、誰かも頑張ろうと奮起してくれる。その事実は間違いなく、麒乃の心を湧き立たせるものだ。

 辞めて行ったものもいた。しかし彼女らは恨み言を言うでもなく、ただ頑張ってと応援してくれた。

 わざわざそれを背負おうなどとは思ってはいない。なぜなら、あるがままの自分こそが彼女らが理想とする自分だから。

 勝手にやるから、勝手に見てろと。

 

(なら、見てなよ!私と言う『祝福』を!)

 

 何かが嚙み合うような感覚。

 今までは行き過ぎた力だったものが、今は体の内に上手く収まっていく気がする。

 正面から体を跳ね上げるように、空気を味方につける。

 思い切り踏み切った右足は、無意識化で統制されている。最適な角度と、タイミングが、過分な力を上手く使ってくれる。

 

 力が、調和する。

 

 3回転アクセル 着氷

 

 

 

 

 

 

 唯はそのジャンプを不思議な感覚で見ていた。

 3回転アクセルを降りた事実に対し、それほどの驚きは無かった。それよりも目を見張るべきポイントはそのジャンプの内容だ。

 技術の粋を見たとでも言うのだろうか、りんなのような曲芸的な凄さはないが、理解すればそのすごさが分かる匠の技のようなものだ。

 

(普通に見ても綺麗なジャンプだと分かるだろうけど、これはスケーターにこそ伝わる凄さの質だ)

 

 例えるなら、サッカーのゴールシーンを見て、経験者がゴールそのものよりもその過程に興奮するように。ポゼッションや、視点、駆け引きを肌で知っている人間だけが神業だと理解できる。

 

(綺麗なジャンプ、だが彼女のジャンプには加減がなかった。それは限界ギリギリという訳ではなく、力みと脱力の切り替えが恐ろしくシームレスで無駄なく伝達されたが故の全力)

 

 肉体だけでは説明のつかない、技術的なブレイクスルーがそこにはあったはずだ。

 そして、何よりも不思議なことがある。

 彼女のジャンプは別段特別な能力を用いたものではない。ただひたすらに積み上げられた技術の集積だということだ。

 

 リンクの上でエネルギーが蠢く。

 その巨躯が躍動するたびに空気が震えるのを肌で感じた。

 音楽の鳴動に合わせて、揺れながらその瞬間を待ちわびる。

 カツ、とトウを突いた。遠慮のない強気の姿勢だ。足首を痛めそうなエネルギーは足首の柔らかさが緩和し、同時に彼女を真っ直ぐ押し上げるパワーとなる。

 一見乱暴な跳び方が、その全体像では正解かのように調和していく姿が心地いい。

 ぐるん、と体躯が旋回した。衝撃を全身で受け止めながら、地に着く。

 

 3回転ルッツ+3回転トウループ 着氷

 

(もしも)

 

 そんな麒乃の姿に唯は回答を得る。

 

(もしも、高井原麒乃が高身長ではなかったら)

 

 これも意味のない想定の話だ。

 

 麒乃が高身長ではなく、寧々子のようにいかにもスケート向きな小柄だったら。

 希望の星足りえなかっただろうか。

 

 早くに成長しきって止まったなら、身軽でジャンプをポンポン跳べたなら、違う道を歩んだだろうか。

 

(多分、違うな)

 

 結局ここまで唯が思考して、得た結論とは。

 

 他の誰かが彼女のように高身長だったら。

 高井原麒乃が高身長でなかったら。

 

 きっと誰も彼女にはなり得ないし、彼女も他者のようにはなり得ない。

 

 つまり、高井原麒乃の本質とは高身長などという目に見えた所にはないのだ。

 

 

 

 

 

 

 重い体躯を悠然と振るう彼女に細やかさは感じない。

 ただ、その所作は細やかさとは別次元の配慮があった。

 

「なんていうか、技術の含蓄って感じだよね」

 

 次に出番を控えているはずの寧々子だが、少し深刻そうな表情で麒乃の演技を見ていた。

 

「どういう意味や?」

 

 亀金谷がその発言の真意を問うと、唸るように答えが返ってきた。

 

「麒乃は別に天才肌じゃない。だから今、麒乃が見せている演技は突飛な発想から飛び出たものでないのは確かだけど、じゃあ全て計算づくで演技を構築してるかって言われるとそれも違う。感覚は感覚でやってるんだよ」

 

 麒乃の演技にはその背景が透けて見える。

 積み上げてきた技術の集積。その粋だ。

 

「なんだろう、熟練の大工が大雑把に金槌振り下ろしてるのに滅茶苦茶正確に釘を捉えている感覚かな。別にセンスでやってるわけじゃない。かといって、いちいち角度やらを気にしてるわけじゃなくて、培った経験から最適解を導き出してるっていうか」

「なるほどな。『天才』故の感覚ではなく、『秀才』故の理論でもない。言うなれば、『秀才』故の感覚と言ったところか」

 

 天才肌の寧々子だからこそ、麒乃の行っている『それ』がセンスによるものではないことを見抜いた。

 

 高井原麒乃はおよそスケートの才能と呼ばれるものに乏しい。何度も壁にぶち当たってそのたびに、乗り越えてきた。そんな彼女だからこそ、培った『経験』がある。

 

「でもそれは多分麒乃が高身長だからとかってわけじゃない。確かに、高身長であることで肉体を磨くみたいな道を余儀なくされたけど、たとえ麒乃の体格が私ぐらいでも同じような道をたどってきたんじゃないかな」

 

 高井原麒乃の本質。

 確かに彼女は高身長故に苦しみ、それを乗り越える過程で強くなってきた。しかし、そんな広告的なドラマより、その道中の全てを拾い集めてきたことこそ彼女の特異性だ。たとえ苦難が無くても、彼女はそういう道を選んでしまう。

 

「苦労したいっていう質とは違うんだろうけど、そうやって乗り越えた先で手にした『技術』ってのは何より身になるんだと思う。それを直感的に分かってる」

 

 ジャンプ1つとってもそうだ。

 寧々子が感覚だけで完成させるジャンプを、麒乃は1つ1つかみ砕いて理解しなければならない。

 寧々子はジャンプというコマンドで跳べるのに、麒乃はその内訳を全て設定し、入力しなければならない。

 だがそれは麒乃が寧々子に劣るという事にはならない。

 AT車とMT車の2つを比べて、どちらが良いのかと問うようなものだ。

 

 AT車の方が便利だという者もいる。一方で、MT車でないと車ではないと言う者までいる。

 どちらが良いという問いに答えるなら、人によるとしか言えない。

 ただ、MT車を選ぶ者はきっと、その車の性能をしっかりと理解している。

 

「麒乃はちゃんと理由をもって、そういう道を選んでいる。そしてスケートというものをかみ砕いて理解しているんだ」

 

 

 

 

 

 

 高井原麒乃という選手を語る上で欠かせない人物が一人いる。

 金弓美蜂、福岡パークFSCに所属するメディカルトレーナーだ。

 子供たちの怪我のない未来を願う、聖潔な精神を持つとともに、メディカルトレーナーとしてこれ以上ないほどの能力を併せ持っている。

 肉体の不調を正確に見極める目、適した対処法という知見。

 

 いかに麒乃が肉体づくりに励んでいても、体にかかる負担を独力で見極めてセーブするのは不可能だった。

 美蜂という存在が、それを可能にさせた。

 本来なら、溢れてしまいそうだった麒乃の可能性を繋いだのは彼女がいたから。

 少なくとも、麒乃はそう思っている。

 そんな美蜂が麒乃のジャンプに対して再三の注意を行っている。

 その上で、麒乃は負担のかかる跳び方をしている。

 美蜂の正当性を理解していながら、どうしてもそこだけは外さなかった。

 

 

 空気が、肌を裂くように流れる。

 浅い呼吸が、肺を圧迫する。何も入っていないのにつっかえるように。

 

 スケートは全身運動。気を抜いた瞬間から、演技は死んでいく。

 薄い空気を求めて息を吸うよりも、腹から空気を吐き出して動いていたかった。

 

(今、噛み合っている)

 

 別段、麒乃の能力が底上げされたわけじゃない。これは地続きに続けてきた努力が連なって1つの『技術』として成立しているだけだ。

 きっかけはりんなの演技を見たことだと思う。

 麒乃は誰にでも届きうる技術と努力で、演技を成立させてきた。

 その過程ゆえに、ぶつかった壁の数だけ『経験』というかけがえのない価値ある財産を築いてきたのだ。

 しかし、その『経験』は漠然としたもので、出力する方法を持ち合わせていなかった。

 それは麒乃があくまで『常人的な消極』ともいえる範疇でしか力を発揮しようとしてこなかったからだ。強者たる器で小さく振る舞っていた。その不安定さが、ボタンの掛け違いを生んでしまった。

 

 りんなの演技は、極論のさらに極地とも言うべき、到達点。

 そんな演技を見たことで、麒乃の中で感覚が一度振り切れた。そして、調和を取るように臨界点にまで引き戻される。

 そこまでして、ようやくかみ合ったのだ。

 

 誰もが届きうる技術と努力で道を歩んできた麒乃だが、やはり最後のピースは『天才』という刺激だった。

 

(今までは、過分な力が自分自身すら傷つけていた)

 

 かたくなに麒乃が辞めなかった少し乱暴なジャンプの跳び方。

 何かが掴める気がしていたのだ。天才的なセンスはない、かつ数値だけに頼らない『バランス』の取れたジャンプ調整。

 感覚、感覚なのだ。しかしそれは0から生み出されるインスピレーションではなく、今まで培った苦難の数々が導く黄金の『経験則』。

 

 トウを、突く。

 今までなら足首に迫ってきた過分なエネルギーは体へと散らされ、余すことなく自分自身を空中へ押し上げる力へと変換される。

 角度とか、体勢の問題ではない。実際は影響しているのだろうが、今の麒乃はそんなパラメーターを1つの感覚だけに集約させて出力できる。

 

(衝撃が、芯に通るこの感覚!)

 

 そんな理論的でないあやふやな感覚が、本来なら『天賦の才』か『突き詰めた理論』でしか成しえないはずの奇跡的なバランスを成立させていた。

 

 3回転ルッツ 着氷

 

 何気なく書いた高名な漫画家の円が新円であるように、それ自体は歓声が湧くような特別な何かではないのだ。決め技や必殺技の類ではなく、恒常的に完成度を底上げする。それはもしかすると、秀でた一芸よりもよほど価値のあることかもしれない。

 何の気なしに放たれた麒乃のジャンプもまた、絶技の体を成していた。

 それが再び軌跡となって、誰かの通り道となる。

 彼女にその気がなくとも、そのあり様は希望であり続ける。あまりに、大きい存在だ。

 

(私の歩んできた過程はちゃんと道になっていた!)

 

 腹の底で膿のように溜まっていた気持ち悪さが抜けていった。その喜びを体現するように彼女はまたさらに身振りを大きくする。

 ゴウッ、と風の揺れる音が意識のスイッチだった。その音の間隙を突くように足を組み替えながらステップを織り成す。バットを振り被るように豪快で、針に糸を通すかのように繊細な所作。

 風を背中に受けながら、スムーズに動きを繋いでいく。

 超質量が、軽々と氷の上を舞う。それはそのままエネルギーの暴力となって観客に襲いかかかる。

 

 3回転フリップ+3回転トウループ 着氷

 

 2回の躍動。彼女の通った軌跡が残像のように、観客の脳に刻まれる。

 

 

 

 

 

 

 烏羽ダリアは高い美意識を持っている。

 それは勿論自身に向けられたものであり、それを他者に強要するような人間ではない。しかし、その高い価値基準を持つが故に容易く人を褒めない。

 自分も、他者にも等しく厳しい彼女のあり様は同時にスケートの完成度に対する一種の分水嶺となる。

 

「綺麗……」

 

 ポツリと、呟いた。

 ダリアが好む煌びやかなものではないが、麒乃の持つ『技術』がジグゾーパズルのようにはまっていく様子は、その道は違えどダリアが夢見るスケートと答えを同じくするような気がした。

 

「収斂進化とでも言うんでしょうか……」

 

 過程は違えど、必要な能力を求めていった先に最適化された姿が、同じになる。

 間違いなく、ダリアは麒乃のスケートを認めていた。

 

 

 

 

 

 2回転アクセル、3回転フリップと次々に技を成功させていく。

 『経験』から導いた『技術』を、当然のように振るっていく。

 氷に吸い付くようなブレードの置き方、ブレードに対する重心の乗せ方、バランスに対する意識。何気なさそうに魅せる技量の端々に並々ならぬ配慮を感じる。

 それを理解できるのは、スケートという道を同じくする者だけかもしれないが、その技術が魅せる『美』というものは、そうでない者に対しても言葉には出来ない感動を与える。理屈ではない、黄金比のようにただなんとなくその技術の粋を美しいと感じるのだ。

 

(身についている!これは単なる覚醒や進化じゃない!技術がかみ合って、今習得に至った!)

 

 『技術』がそのまま血肉となる感覚。

 自分の中の世界、そのスタンダードが塗り替わる瞬間だった。

 脳をひっくり返すように、見える世界が変わってくる。

 

(これもまだ、道中だ。答えじゃない)

 

 壁に直面し、それを乗り越えるたびに『技術』を集積して、一種の到達点にたどり着いた。しかし、まだそれは一方向から辿ったものに過ぎない。集積して手にした『技術』でまた、同じようにトライアンドエラーの繰り返しだ。その先には『技術』の深化と、凝縮へとたどり着く道がある。

 

(ああ、楽しいな)

 

 笑みが、こぼれた。

 あえて選ぶ苦難の道、『不自由』な道に身を投じて、彼女はそれを楽しんでいる。もしかするとそれが一番の才能なのかもしれない。

 

(苦難の道を歩み手にした『経験』。その『経験』から導き出される『技術』!この苦難にこそ意味はあった!高身長とか、センスとか、そんなものだけじゃなくて、もっと()()()()()()との戦いに私は打ち勝ったんだ!)

 

 ステップを取り入れながら、重心が振れた瞬間に逆方向へギュルンと向き直る。そのまま一歩で加速しジャンプの体勢に入る。

 当然のように振るわれる神業。ブレードと氷がこすれているのに、恐ろしく静かだった。

 左足に体重を乗せながら、その体の中では筋肉の緊張と弛緩が同時に起こっている。

 音もなく、麒乃は跳んだ。

 体を上に押し上げる脚の力は遺憾なく発揮され、軸を捉えながら円を描く。

 綺麗な螺旋だった。

 

 3回転サルコウ 着氷

 

 達成感と、全能感。

 ここまで来たという気持ちと、まだまだいけるという気持ち。今こうして新たなステージに足を踏み入れている事すらいつかの糧に過ぎない。

 この感情も単なる『経験』として、彼女の礎になっていくのだ。それを人は『経験値』とでも言うのだろうか。

 

(もっと頂戴……)

 

 苦難を、壁を。

 

(経験値を)

 

 流れ星を追うように、瞳が蠢いた。

 高井原麒乃としての能力の自認が『理想の肉体』という地中から、芽を出すように這い出てきた。もう十分に根は張っている。

 

 素人目では何か良くなったという程度の認識しかできない。

 

 しかし、麒乃は今確かに新たなステージに足を踏み入れた。それを理解できるものだけが、そっと冷や汗をかいていた。

 

 麒乃は誰でも届きうる軌跡を残すことで、持ち得ない誰かの希望の星であり続けた。それを望んだわけでは無い、だからそのあり様が変わったわけでは無い。だが、もし何かが変わった気がするというのなら。

 誰も理解しきれてはいなかっというだけだ。

 あるいは本人すらも。

 高井原麒乃が蓄え続けた可能性、その底を。

 

 理解可能な形で生まれる『怪物』というのは、案外恐ろしいものだ。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。