メダリストはエゴイスト   作:モリブデン42

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前に一度投稿して消したのと大体おんなじ内容です。


『魔王』

『岡山ティナFSC 烏羽ダリアさん 128.95 総合得点 197.27 現在の順位は1位です』

 

「唯さん、そろそろ出番だけど」

「はい、司先生。大丈夫ですよ」

 

 司が唯に話しかける。その声音には心配や不安は混ざっていなかった。司も今更唯が本番を前にして気負う子だとは思っていなかった。

 淀みなく答える唯の姿に安心していると、彼女の瞳が下から覗くように自身を捉えていることに気づく。

 

「司先生は昨日の私の演技どう思いました?」

 

 唯が唐突に問う。その質問の意味を司は測りかねた。

 唯の事だからきっと、意味がある。故にその質問には正直に答えることにした。

 

「とても素晴らしかったと思うよ!ジャンプやスピンの技術が凄いのはもちろんだけど、あの時の演技には何か一つの芯が宿っているような気がした。それに表現も今までとは違う、ある意味で唯さんらしさが前面に出されていた。理屈に則った点数重視の演技も勿論素晴らしかったけど、なんだか唯さんもこっちの方が演技に乗ってる気がしたかな!あと自分の解釈や世界観を無理やり他人に植え付ける感覚っていうのかな?観た人に衝撃を与えるという意味ではこれまでない演技だった」

 

 まくしたてるように司が演技の良かった点を挙げていく。

 その様子を見て、唯はにんまりと口元を緩める。

 

「えっと、それで何か分かったのかな?今の質問で」

「いえ、司先生なら褒めてくれると思ったので。それが聞きたかっただけです」

 

 お茶目な様子で片目を瞑る。

 そしてポンと司の肩を叩き

 

 獰猛な瞳でリンクへと向かって行った。

 

 

 

 

 

 リンクの上で、唯はただただ己の内から溢れる『熱』に浮かされていた。

 まだ冷めている会場の雰囲気が始まりを告げる鐘のように思考を現実に戻してくれる。

 

(静寂が聞こえる)

 

 詞的な独白だが、決して妄想の類ではない。厳かな会場の雰囲気を全身の感覚が包括的に捉えている証拠だ。

 この本来言葉にしえない空気こそがスケート選手を狂わす魔性なのだと、唯は理解している。

 

(『運』は降ってくるもの。私たちは待つことしか出来ない)

 

 しかし、今の唯には自ら掴み得るという予感があった。

 

 音楽と共に演技が始まる。低く、暗く、厳かで、不気味なメロディー。

 

「あれ、この曲って」

「私知ってるよ」

 

 観客にも聞きなじみがあった。

 多くの人が知っているクラシック音楽。しかしスケート場で耳にすることは意外と少ない。

 

 シューベルト作曲 『魔王』

 

 ネガティブなイメージを与える短調、そして連打されるオクターヴが腹の底を突くように響く。

 この曲はゲーテの詩に触発されてシューベルトが曲をつけたものだ。

 故に、大筋のストーリーは出来上がっている。風がたなびく木々の中、病気の息子を抱えて、馬で駆ける父親とそれを追う魔王。魔王が息子を誘惑し、息子はそれに怯え、父親は魔王は見えず勘違いだとなだめる。やがて息子は腕の中で息絶えている。

 

 話が見えているこの曲だが解釈の余地は多々ある。

 それが魔王と言う存在についてだ。なぜ息子だけに見えるのか。はたまた父親は見えたうえで無視しているのか。息子を攫おうとする理由。魔王とはなんなのか。何一つわからないのだ。

 

 さらにこの曲を演技にて行おうとすると多様な視点変化が求められる。

 ストーリーに拘る必要はないが、この曲を聴くとその話がよぎる以上、それに則るのが王道だろう。

 表現技法を上手く用いれば、各パートでの視点は再現できるだろう。

 

 しかし唯は忠実さを捨てた。

 

 唯の此度の演技方針は、彼女がこの演技を『自由』に魅せるための一つの軸に限られている。

 

(私は今から魔王になる)

 

 魔王、父親、息子。この3人の登場人物の中で異物と言える魔王。

 この魔王のみに注視し、その他の要素は魔王を介したものとして表現する。これにより単一要素での表現構成を可能とした。

 

 揺蕩う風が異物をはらみ、人の身を侵すように吹き荒れる。

 観客にも見える。屋内で風などほとんどないはずなのに、唯の軌跡にはおどろおどろしい闇が潜んでいる。

 その闇が気まぐれに体を襲う。

 唯の動きが脳裏にこびりついて今の動きと重なり、どこか気持ち悪い感覚が同時に心地よい。

 

 そんな周囲の様子を肌で感じて、唯は密かにほくそ笑んだ。

 

(ああ、やっぱりだ)

 

 いのりの様子を見た時の気づいたことがある。

 いのりの失敗は間違いなく『運』であるが、そこに至る道中に唯の演技を見たことが少なからず起因しているだろう。

 それを唯は自覚していた。

 

(私の演技が、いのりの何かを変革させ運命を書き換えた)

 

 失敗か成功か、その観点に唯の関心はない。

 重要なのはいのりが己の演技を見て、変化を起こしたことだ。

 

(それはいのりの世界の中に私という存在が侵略したことを意味する)

 

 唯という要素はいのりを殺すに至った。

 同時に唯の演技を見たことで覚醒する可能性もあった。もしかすると光の超克には唯の存在がきっかけだったかもしれない。

 

(いのりの中に私がいた。司先生の中にもいた)

 

 演技の前に唯が問うた質問の真意。

 

(その事実がどうしようもなく心地よい)

 

 唯もまた、己の存在を以って変革を起こしていた。

 

 

 大振りでもないのに唯の動作はどこか記憶に残る。

 唯の精神は完全に会場の空気と調和していた。

 肉体と精神と環境。この全てが噛みあったときに『運』が巡ってくる。その大枠を調整することができてもその本質は知覚することが出来ない。

 故に『運』は掴もうと思って掴めるものではない。平等に選手を生かす。平等に挑戦者を殺す。

 しかし今の唯はその五感を以って、環境との調和を限界まで果たしている。

 

 確信があった。

 

 『運』を掴む。その神の所業に手をかける。

 

 ジャンプの前動作。各所のタイミング。

 トウを突くタイミングをギリギリまで引き延ばし、己の姿を世界に焼き付ける。

 

 まだ、まだ、まだ。

 

(ほら、ここだ)

 

 『感覚』が告げる。自分だけが知っているジャンプのターニングポイント。

 迷わず足を振り下ろすと、淀みなくエネルギーがせり上がってくる。

 限界まで体を引き付け、回転を加速させる。

 

 魔王が降り立つその瞬間。

 第1ジャンプで観客の心は奪われた。

 

 4回転トウループ+3回転トウループ 着氷

 

 誰の手にも収まらない。唯は躍動する。

 

(私たちはそれぞれ自分だけの世界を持っている)

 

 唯はSPの演技中に『心』という理合いを手にした。スケートとは『心』と『心』の潰し合いであると理解し、その『心』を曝け出すことで演技を昇華させた。

 

(世界とはこの『心』のことだ)

 

 『心』を曝け出すことで当人だけの世界が広がり、他者もそれを感じる。

 

(私たちはこのリンク上で世界を広げあっている)

 

 そして自身の演技を見た時、あるいは演技を見た観客の空気が伝わった時その世界の境界は壊される。

 

(私の世界がいのりの世界に侵食し、壊した)

 

 それを理解した瞬間、熱がこみ上げてくる感覚があった。

 

(演技によって他者の世界に侵食し、自身という存在を刻み込む)

 

 抱いていた『執着』の正体。

 他者に執着し、価値基準を合わせて演技をしていた。自身の価値観は誰にも理解されない。そんな諦観が潔唯という存在を殺していた。

 SPでその『執着』は間違っていないと自身を押し通した。他者への渇望すら自身の糧にして、演技に昇華する。

 その演技の結果、他者の世界を変革せしめた。

 

 誰かに理解してほしい。誰かを理解したい。

 他者との共感を求めていたはずなのにどこかしっくりと来なかった。その理由がようやくわかった。

 

(誰かに理解してほしいわけじゃない。誰かを理解したい訳でもない。私はただ……)

 

 己の内に潜んでいた身勝手な真意。

 

(誰かに自分を理解させたい。その工程にこそ『熱』を感じていたんだ)

 

 理解自体は求めていない。ただ他者を征服し、理解させるという行為そのものにこれ以上なく快感を覚える。

 

(演技で他者の世界を侵し、自分という存在を理解させる!その過程こそ、私の『エゴ』!)

 

 今までは他者が求める形を求めて、それに迎合しようとしていた。

 しかし今はただ『自由』に自分の世界を曝け出している。

 理解させるために何か特別な事をしては意味がない。

 ありのままの自分で、深く脳裏に刻み込む。

 

(喰らえよ!私という劇物を!)

 

 魔王が貌を模っていく。

 魔王とは誰もの心に潜んでいる心の闇だ。

 父には見えず、息子だけがその存在に怯えていたように。

 他者には理解しがたい正体不明の異物。

 

 静かな揺らめきだった。動作としては何気ない振り払うような手の動作。高速で滑走しながら、その手がゆっくりと視線を天から地へ落としていき、気づいたときには彼女は宙を舞っていた。

 揺らめく唯の体躯が瞳をかどわかすように『心』の境界をあやふやにしていき、その『心』の隙を蹂躙するように魔王が上がり込んでくる。

 

 4回転トウループ 着氷

 

(魔王とは私だ)

 

 誰かの心の中にただ鎮座する。しかし誰もそれを無視できない。白地に染まるシミのような存在感。

 

(お前らの中に魔王()がいる)

 

 それを意識するほどのに唯のボルテージが上がっていく。

 五感が冴えわたり、演技が洗練され、会場を飲み込む。

 

(SPでは五感から生まれる表現を武器にした)

 

 今でもそれは健在だ。五感が生み出す不協和音のような不快感を魔王としてイメージしている。

 

(もう少し使い方を洗練させよう)

 

 五感をイメージでなく、現実に。それは今までもやってきたことだが、今ならさらに上の境地へとたどり着ける、そんな気がした。

 

(必要なのは自分と空間を結び付ける一体感)

 

 世界と自分が溶け込み、自身の存在があやふやになるような感覚。しかしそれは一瞬で良い、あくまで自分という個を確立することは忘れていない。

 しかし、溶け込んだ一瞬があれば、唯の演技をより深く理解するはずだ。

 

(ここには会場があって、観客がいて、リンクがあって、そして自分がいる)

 

 リンクの上だけでは足りない。会場も巻き込んで一体化させる。

 リンクと脚が繋がったように根を張り、その根が地を伝って会場中に伝播していく。

 

「あ、見えた」

 

 正しくは感じた、と言うべきだろう。

 それは視界のようであって光の造形ではない。

 五感の中の何かが会場全体と言う概念を知覚し、言葉にできないあやふやなまま出力している。

 

 分かる。

 

 自分がどう滑っているのか。そこに潜む質量と、エネルギーがどう伝わるか。

 

 知覚と同時に演技がより大胆になっていく。

 

(出来る!大きな身振りで繊細な表現が)

 

 体を動かすというよりは、エネルギーを繰り出すイメージ。

 唯にしかないそのイメージが大胆さと繊細さと言う矛盾した表現を両立させている。

 

 最高速でリンクを切り裂き、そのまま後ろ向き片足を挙げる。

 あわや壁に衝突するという寸前、花が舞うように身を翻しターンを組み込む。

 

「なんてスピードで壁ギリギリまで突っ込むんだ」

「後ろに目でもついてんのか」

 

 苛烈さの中に、巧みに組み込まれた細やかな技術。

 会場は唯の独壇場と化していた。

 

 ターンの後、そのまま一歩で再加速すると。

 左足のアウトエッジに重心を寄せる。

 

(ああ、熱い)

 

 僅かな負荷や振動をその体は細やかにキャッチする。

 それが更なる微調整を可能とし、知覚できないレベルの調和を実現した。

 トウを突く。

 振動と、浮遊感。

 ピタリとかみ合う。

 

 3回転ルッツ+3回転ループ 着氷

 

 唯の感覚は研ぎ澄まされていた。

 優れた五感が唯の処理能力以上の情報を呼び込んでくる。

 暴れ馬が他の追随を許さないほどの速度を出すように、唯もその感覚になんとか食らいついている。

 しかし初めての経験と、今なお超過していく感覚にいずれ手綱を離してしまうだろう。

 

 だから――――――

 

 唯はイナバウアーの態勢で逆さ向きに審査員を見つめていた。ジャッジアピールだ。

 ふと、一人と目が合った気がする。

 そして自覚する。

 

(これ、今いらないな)

 

 ――――――唯はそっと目を閉じた。

 

 光という情報が唯の世界から排外された。処理しきれない過多な情報を絞ることで思考がクリアになり、他の感覚は洗練されていく。

 目を閉じていても、今自分がどこにいて何をしているのか肌で分かる。

 

 空気が、振動が、匂いが、教えてくれる。

 

「おいおい、あの子目閉じてんぞ」

「危険どころの話じゃない」

「何を考えているんだ」

 

 その内情は勿論観客には分からない。しかしその不気味さがより一層唯の世界観に彩を加えていく。

 

 目を閉じたことで、唯の演技から淀みが消えた。

 使いきれずに溢れた要素が削げ落ち、完全なる調律を果たす。

 

 到底平常とは言い難い、されど寸分たがわぬ演技がそこにはある。

 

 目を閉じたまま、正確に自身の動きを捉える。

 動作を紡いでいき、ジャンプモーションへと入る。

 

 目を閉じたことでより鋭敏に風を感じる。その風もまた自身と同化し1つの表現と化す。

 全てのみ込む。

 この世界には異物が溢れている。

 故に異物など何一つない。

 全てをブレードに乗せて、滑空した。

 

 3回転アクセル 着氷

 

(観ろ、視ろ、魅せられて、見入れ)

 

 そして刻み込め、これが潔唯だ。

 

 

 

 

 

 ジリジリと皮膚が粟立つ。

 歓喜か、恐怖か、観客の目の前に言い知れぬ『何か』が君臨しようとしている。

 今なお、光を閉ざしたまま氷上を舞う少女はその勢いを止めることを知らない。

 

 3回転フリップ 着氷

 

 底だ。天を仰いでいるのではない。光のない底から少女が覗き込んでいるのだ。

 その正体を掴めないのに、ずっと『心』の奥深くに残り続ける。

 人の世界の中でただ存在し見ているだけ。しかし決して目を背けること許さない。

 人の世界を蝕む劇薬。

 

「『魔王』だ」

 

 誰かが呟いた。

 そうだ、魔王だ。誰もの『心』の中にいる正体不明の『何か』。

 それが潔唯だ。

 

「『魔王』がいる」

 

 目の前に、『心』の奥底に。

 

 

 

 

 

 唯の演技が終わってなお、誰も言葉を発せないでいた。

 観客だけでなく、選手も。

 

 選手は勝手に天秤にかけられた。

 『心』の境界を壊し、『世界』に入り込み、ただ無視できない存在。

 『心』に巣食う魔王にどう向き合うか。

 

 生かすか、殺されるか。

 

 唯にはどちらでもよかった。

 その時点でもう、潔唯は刻まれている。

 

 

――――――

 

「はは、なんだよそりゃ」

 

 リンクサイドから、そっと席を外したいるかは壁に寄りかかりながら拳を握る。

 いるかは、今まで幾度となく他者の演技を参考にして自身を高めてきた。そのため、他者の演技を分析する能力に長ける。そんな、理解力のあるいるかだからこそ、理解してしまった。

 

「ヤバい、私の演技が壊された……!」

 

 本番直前でなぜ見てしまったのか。唯の演技を見たことで『心』の内にその姿を刻まれてしまった。

 胸の内にある『心の闇』に唯は姿を与えた。その後では、きっと演技に『異分子』が宿る。

 平時なら影響は少なかっただろう。

 母からの連絡を見たことで、ナーバスな状況であったのが良くなかった。他者の演技を意識せざるを得ない状況、その中で見せられた唯の演技はいるかにとって最悪の相性だった。

 ジュニア選手として築き上げてきた演技に、唯が墨のように滲んでいく。

 

「クソッ……」

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