『……この状況でそんな子供じみた思考しかできねぇのかよ……こっちだって……お前みたいな自意識自慰野郎と同じ世界で生きたかねぇよ……一人で気持ち良い夢抱いて沈んでイッてろ ドロ船が』
「かっけぇ……」
「え」
スマホ片手におずぞずと呟く唯にいのりがぎょっと目をむく。
「そうかな……」
「いのりにはわかんないか、このカッコよさが」
「カッコイイっていうか……暴言が……」
「私もどっかで使えないかなぁ」
「似たような事、理鳳君に言ってなかった?」
いのりが動画のタイトルに目を落とすと『バスタード・ミュンヘンVSマンシャイン・ユナイテッド 潔世一パンチライン集』と銘打たれている。公式から、わざわざ切り抜かれるほどにその素材があるということだ。
いのりの周りの大人は普段暴言など吐かない。唯の兄だという彼の言葉はいのりの世界にはない言葉だ。
そんな姿に目を輝かせて、動画に見入る唯。いのりは頬を引きつらせて、引き気味に苦笑した。
「で、光のそれはどういう感情?」
「え、何が?」
動画を見終えた唯が、くるりと首を回して着替えている光に尋ねる。
光は笑っていた。いっそ機嫌が良いのかと言えるほどに。しかし、その目はどろどろとした負の感情を孕んでいる。
「唯ちゃん、あれだよ。夜鷹純さんの……」
「ああ、コーチ取られて嫉妬してるのか」
「聞こえてるよ、二人とも」
ジュニアGP選考会では光はいなかったため、遅れて知らされることになった新事実を未だにかみ砕けないようだった。
美玖が夜鷹の指導を受けているという話は瞬く間に広がっている。
夜鷹純の一番弟子、その肩書と共に。
光と夜鷹の関係を知るものは少なく、同時にそれを話すわけにもいかない。
だからこそ、光は自分の感情を必死に覆い隠そうとしている訳だが。
「隠せてないなぁ」
「別に……コーチが美玖ちゃんを指導するからどうってわけじゃないけど、なんかこう、消化しきれない複雑な感情が内にあるっていうか……」
本来の一番弟子は自分だ。そんな肩書に価値を感じるわけではないが、誰か別の人がそれを名乗るというのなら話は別だ。
「分かってる……別にコーチが鞍替えするために私を捨てたとか、そんなんじゃないって。でも、私の時は隠してたくせに、美玖ちゃんのときは堂々とやるのってどういうこと!?」
「そして、その事情を話すわけにもいかないから軽々と愚痴も言えないって訳だ」
光自身、なぜ自分がこんなにも苛立っているのかわからない。ただ、それを誰かに知られるわけにもいかず、慎一郎に相談するのも気恥ずかしい。理鳳に相談すれば、夜鷹を烈火の如く批判するだろうが、それはそれで聞きたくない。
「はあ、なんか2人に話したら整理できてきた気がする」
唯といのりは事情を知る数少ない同世代だ。愚痴を溢せたことで、溜飲が下がっていく。
光の目から、不純物のような淀みが消えていき、代わりにぐつぐつとした闘志が映る。
今度は本当に笑った。
「一番弟子とか関係ない。最後に勝つのは私なんだから」
——————
強化合宿は淀みなく進んでいた。
「いのり、なんかいるかさんと距離近いね」
「ああ……うん。ちょっとお姉ちゃんのこと話して……」
全日本を経て、いるかにもいのりにも余裕が出た。互いに実叶に対して並々ならぬ思いがあった二人はその方向性さえ合えば、意気投合しうるのだ。
以前、長久手リンク上でひと悶着あったものの、先輩であるいるかが半ば折れる形で和解と相成った。
無事に進んでいた強化合宿ではあったが、1つアクシデントが生まれた。
「これは……一体どういうことでしょう」
連盟の職員が困惑と呆れを滲ませながら、呟く。彼が問題視したのはインタビューについてであった。
報道陣へ向けた公開練習とインタビュー。
ジュニア選手にとってはそれなりにこなしてきたものでも、新しくジュニアへ参入したルーキーにとっては勝手が分からない。
コンプライアンスや、代表としての振る舞い。いくら長野合宿で練習しても、緊張するものは緊張する。いのりに至っては、その練習すらしていない。
だからこそ、質問に対して、自分が思うがままに答えてしまった。
本来なら、それも問題にはなり得ないが、エゴが強く育った世代であったのが災いした。
潔唯の回答
『ジュニアに成って初めての強化合宿。何かご感想はありますか?』
『同期や滅多に会う事のない先輩方と交流できてとても楽しいです。みんな鬼気迫る雰囲気というか……バシバシ殺気向けてくれるのが嬉しいですね』
『そ、そうですか……ジュニアGPにも初出場とのことですが、意気込みや目標をお聞かせください!』
『優勝……を目標とするのは言うまでもないことですが、出来れば最高に仕上がった相手と戦いたいです』
『強い選手と競いたいという意味でしょうか?』
『概ねそうですね。メダルは勝利の象徴ですが、中身が伴わないと意味がないと思っています』
『ストイックですね……最後にあなたにとってスケートとは?』
『私という存在を誰かに刻み込むための存在証明です。だからこそ、最高にボルテージの上がる大会を期待しています』
結束いのりの回答
『結束選手は初めての強化合宿ですよね?何かご感想はありますか?』
『はい、みんな……しっかりしていて凄いなって……あ、あといる……岡崎いるか選手と仲良くなれました』
『ジュニアGPにも初出場とのことですが、意気込みや目標をお聞かせください!』
『優勝です』
『強い心意気ですね、自信の表れでしょうか?』
『自信とか、心意気ってわけじゃありません。闘う以上は優勝を目指すのは当然ですし、スケートでは誰にだって負けたくありません』
『とても強い執念ですね、何か理由があるのでしょうか?』
『私はスケートを滑ることしか脳がありません。それができなければ死んでるも同然です。それに……そんな自分が氷の上で生きていられるのはたくさんの支えがあったからだってこの間気づきました。だからこそ、私は自分の居場所を守るために負けられません』
『えっと……最後にあなたにとってスケートとは?』
『生きる権利を勝ち取るための生存闘争です』
申川りんなの回答
『強化合宿を経て、何かご感想はありますか?』
『はい!色んなジャンプが見られて、参考になります!』
『申川選手が常に高難易度の構成にしてるのには何か理由があるのですか?』
『そうですね……快楽って言うんでしょうか……難しいことをこなすと自分の殻を破った感じがして、その瞬間が好きなんです』
『全日本ジュニアでは好成績をおさめられていました。何か心境に変化などがありましたか?』
『今までは、ただ伸るか反るかのギャンブルを楽しんでいましたが、今はもっと……スケートそのものへの渇望が生まれました』
『なるほど、何か今後の目標が出来たということでしょうか?』
『いつか……リンクの上で朽ち果てたい』
『え?』
『生命のフィナーレを表現できるような、全てを燃やし尽くした演技をするのが私の目標です』
そんな回答をした唯、いのり、りんなは個別で呼び出されていた。
「皆さんは強化選手。いわばスケート界の顔となり得る選手であることを自覚してください」
「あの……何が問題だったのでしょうか」
困惑したようにりんながおずおずと尋ねる。
「申川さんはもっと、内容を考えてください。特に破滅願望を思わせる様な発言は相手に不安を与えます」
「思ったままに答えたのですが……」
「建前と本音を使い分けてください。結束選手あなたもですよ」
「はい……」
「スケートに懸ける思いは素晴らしいですが、あなたの発言を受け止めた人たちは、指導者やクラブに問題があるのではないかと考えます。炎上しかねない危険な発言であることを自覚してください」
司やクラブに疑念が向くと言われていのりもハッとした。たかだかインタビューではあるが、その言葉がどれほどの影響を及ぼすのかようやく自覚したのだ。
「唯さんは言葉を選んでください。悪気はないのでしょうが、『相手次第では優勝にも意味がない』と捉えられかねないです。特に大会を軽んじる様な受け止め方ができる言葉選びはNGです。あなたが思っている以上に、ジュニアGPは格式の高い大会です」
「すいません」
「殺意とか、殺気とか、そういう言葉も避けてください。何に影響されたかは分かりませんが、選手間の仲を疑われます」
唯は照れくさそうにその言葉を受け入れた。何に影響されたかと言われたら勿論兄だ。
本当はもっと暴言混じりに答えたいところをむしろ抑えたつもりではあったが、それでも言葉が過ぎると注意されてしまった。
「ビックマウスは構いません。しかし、そのために何かを貶める様な発言は看過できません」
「はい」
そう言われて唯も反省する。
(確かにお兄ちゃんもMOMインタビューは普通に対応してた)
志は高く、言葉選びは丁寧に。そう心に刻んだ。
「狼嵜選手や、岡崎選手を見習ってください」
返す言葉もなく、3人はぺこぺこと頭を下げた。
——————
「……」
「……」
「……えっと、何か飲みますか?」
「……いい」
「そ、そうですか」
話は昨晩に遡る。
コーチ同士の交流のため夜、部屋に集った男性陣。
司が、いのりのメンタル面について五里に相談するタイミングを伺っていたところで、部屋で飲む話になり、それを聞きつけたコーチ陣が続々と集まる。
そこに慎一郎が爆弾を落とした。
雉多が慎一郎を飲みに誘った際、その場に居合わせた夜鷹を慎一郎が誘ったのだ。
夜鷹は食事嫌いで、飲みの場に来るようなことは絶対にない。慎一郎も来るとは思っていなかったが、夜鷹は少し考えた後に首を縦に振った。
「えっと、夜鷹さんは……どんな風に指導してるんですか?」
「……基本的には僕が手本を見せて、修正させる形かな」
「そうなんですね」
何を思って参加したのかは誰にも分からない。ただ、夜鷹純という圧倒的な存在が、言葉もなく場を支配しているのは言うまでもないことだった。
いのりのメンタル面についての相談をしていたことから、話題は指導方法にシフトしていた。
やはり夜鷹純の指導は誰もが気になるところであった。探り探りで質問が飛び交い、夜鷹がぽつぽつと答える。そんな時間が過ぎていった。
そんな中で、夜鷹の特質が話題に挙がる。そこで司は前々から気になっていたことを聞いた。
「夜鷹さん。
「
(((
湧き上った質問をそのまま口にしたため、司と唯の間の固有名詞を出してしまった。
「あ、えっと。周辺視野を使ったり、全体視で動きを把握して、俯瞰でものを見る技術です。唯さんが夜鷹さんは技術を持ってるって。それに最近はそれを使う選手も増えてるようで……」
「サッカーで言う鷹の目のようなことですか?」
「そうです!そうです!」
梟木のフォローに司は顔を赤らめながら、首を縦に振る。
「潔選手がそんなことを……」
「それで、その
梟木の言葉を繋ぐように五里が話をまとめる。
そして、全員の視線が自然と夜鷹の方へ寄せられる。夜鷹は動じた様子もなく、水を煽った。
「タイプの問題かな。希少ではあるけど、素養自体はそこまで限られてもいない」
きっとそれは、世界型か自分型かという話だろう。誰にでもあるわけではないが、もし素質を持つのだとしたらきっとそれは前者だ。
「でもそれ以前に、逆効果だからやめなよ」
その答えは司の予想外のものだった。
習得するべきではない。良いこと尽くめに思える
「それは……どういう意味でしょうか」
「人によって必要な情報は違うという話。
「なるほど……自分型にとって重要なのは演技の内面。外から俯瞰する
唯の考察を聞いていた司と、なんとなく理解している夜鷹だからこそ成立する会話であった。
「だったら、その目の役割を俺が果たせばいいってことですね……!いのりさんや唯さんにインプットをさせるのではなく、俺がアウトプットを磨けばいい……これなら、ジュニアGPだって……」
目を輝かせる司を夜鷹は黙って見ていた。
司はいのりに自分の目の使い方を習得させようと考えていた。間違いなく実用的で、唯もまたそれを欲しがっていた。
しかし、夜鷹の話を聞いて考えを改める。
自分型の選手に俯瞰の視点を身に着けさせることはメリットばかりではない。他者からの評価よりも、自身との戦いに重きを置く彼女らは、余計な視点などない方が演技に没頭できるのだ。
むしろ、大きな視点を持たない代わりに、徹底的に自分を見つめ直すことができる。
司は自身の考えの甘さを恥じた。
「そういえば皆さんは海外試合で注意してることとかありますか?」
ジュニアGPを見据えた司がふとそんな質問をした。
「選手のコンディション、やはり海外試合ともなると大きなストレスを伴うものですからね」
「慣れない環境に文化。ベットもトイレも場所によっては変わりますからね」
「食事も注意しろよ。少なくとも試合が終わるまでは食べなれたものにしとけ」
梟木や慎一郎、五里といった海外経験のあるコーチ陣が口々に海外での経験を語る。
そのどれもが司にとっては値千金の情報だった。
そんななかで、やはり誰もが興味を示さずにいられないのが、夜鷹純だ。
会話の中で、少しずつみんなの目線が夜鷹に寄っていく。そして順番を回すように、会話が夜鷹に向く。
「海外の選手はさ」
それを知ってか知らずか、夜鷹がそっと口を開く。
「面白いと思うよ」
——————
ジュニアGP
海外派遣選手の派遣先が決定。
第1戦 タイ大会
岡崎いるか 結束いのり
第2戦 トルコ大会
潔唯 亜昼美玖
第3戦 ポーランド大会
烏羽ダリア
第4戦 日本大会
岡崎いるか 亜昼美玖
第5戦 フランス大会
潔唯
第6戦 イタリア大会
烏羽ダリア
第7戦 オーストリア大会
結束いのり
次からジュニアGPに入れると思います。