「クッソいかれてる、申川りんな」
りんなの演技を見て、唯は嬉しそうに笑っていた。
リンクに目を向けると恍惚とした表情のりんながこちらに気づく。すると、拳を握りこちらに向けてくる。ギラギラとしたこちらを試すような目つきが唯の首に絡まる。
「上等」
唯は先ほどのりんなの演技を分析していた。
りんなの演技構成には合理性など存在しなった。勿論高い点数が取れる構成ではあったが、それ以上に不必要なリスクが散見された。
だが、申川りんなはあれでいい。
(恐らく、りんなにとっては合理性なんてものより自分の夢中になれる挑戦の方が大事だった。それが彼女にとっては積み上げられたリスクと
そういうタイプもいるということだ、所謂自分の中で自分だけが分かる絶対の基準を持つスケーターというものが。
りんなの点数が掲示される。
94.02点
「これは・・・」
初っ端の超高得点。もうこれで優勝が決まってもおかしくない。
多くの選手が絶望する。
目に見えて対抗心をあらわにするのは、潔唯と、結束いのりと。
八木夕凪は冷静に心を落ち着かせていた。
りんなの覚醒、自分は予想していた。だから大きな動揺もない。本番でこそ、想定外の成長をするところを今まで幾度となく見ていた。
そして、自分が勝つためには一体何が必要なのか。
「勝つ」
あっという間に光に突き放された。それに追従する唯に追い抜かれて、さらにそれにりんなまでもがついて行く。
(まるで私を物語の脇役に追いやるように)
ふざけるな、私を見ろ。
ふとりんなを見るとそこにはりんなを褒め称える雉多先生と、慎一郎先生がいた。
そうだ、あのスケート鉄人はスケートを介して自分たちを平等に見てくれる。
誰かの物語の脇役だろうと、やられ役だろうと。
あの人の持つスポットライトだけは渡さない。
(それが、私の『エゴ』)
自分勝手な横恋慕、氷上でラブロマンスが始まる。
大会は進んでいく。誰も君臨した申川りんなという悪魔を打ち倒すことが出来ず、第二グループが始まっていた。
(超予想外の申川りんなの躍進。それに結構な人がリズムを崩されている)
夕凪とりんなは同じクラブだ、仲も結構いい。だから彼女の躍進を純粋にうれしく思う。だが、優勝を譲ってやるかと言えばそんなわけがない。
(私はあんな風に理解不能の演技はできない)
そしてする必要もない。ずっと一緒にいたからこそわかる。あのりんなの破滅的構成は彼女の特異な気質に沿ったもの、つまり彼女にとっては合理的な選択だったのだ。
セカンドループに関してもそうだ。彼女なら、フリップとトウループでセカンドジャンプの3回転ループを回避する選択もあった。それにループ、ループ、ルッツと右足ばかりを連続で使う構成も疲労とバランスを崩しそうだから普通避ける。
だが敢えて、難しい方を選んだ。
それがりんなにとって、集中できる挑戦であったから。
だけど
(さすがにルッツループは入れてこなかった)
単なる気質であの神業をされてはたまったものではない。
申川りんなのギャンブルはただリスクが高ければいいという訳ではなく、ある程度は実力に裏打ちされた説得力がないと発揮できない。
そんなのは当然のことだ。きっと本人の中にはちょうどいい挑戦の感覚があるのだろう。
(私はそんな感覚だけで勝負出来ない。思考しろ、論理的に考えろ)
今考えれば唯もそうだった。彼女もとんでもない速度で急成長してきたが、いつだって一つ一つ自分の中にある可能性を積み上げてきたものだった。
きっとりんなが覚醒したのも彼女なりに、ベストパフォーマンスの鍵を理解したからだろう。
夕凪は自分の感覚に正直にと言われてもピンと来ないが考えることは出来る。
今自分がベストパフォーマンスをするために一体何が必要なのか。何を目標とするべきなのか。
(私も光ちゃんに勝ちたい)
狼嵜光に勝ちたいと思うのは唯だけではない。夕凪もまた、彼女を狙う一人の狩人なのだ。
(慎一郎先生の一番の教え子は光ちゃん・・・私はそんな現状が許せない)
これだろ、と夕凪は自らの心の内を悟る。実績的には今は理依奈の方が上だろうが、狼嵜光という存在は実績すら眩ませるほどの存在感と話題性がある。だから、打倒するなら狼嵜光だ。
それは独占欲や嫉妬というほど歪んだ感情ではない。ただ大好きなスケートで、その分野で、恋するその人の一番になりたいという可愛げな乙女の対抗心のようなものだ。
可愛いと侮るなかれ、恋は人を強くする。
(りんなちゃんにも、光ちゃんにも、唯ちゃんにも負けない)
それは夕凪の無意識のマインドセットだった。
夕凪は自分の心を見失っていた。光に勝ちたい自分と慎一郎先生に認められたい自分、どちらも嘘ではなく、それは相反する願いでもない。ただ、どちらが優位か決めかねていた。
だが今、それらは1つになった。
光に勝つことで慎一郎先生の一番が自分であることを世界に証明する、という2つの『目標』が合わさり、新しくなった彼女の新しい『挑戦』。
正誤で測れるものではない。
ただそれが正しいか否かは結果によってのみ決まる。
「夕凪ちゃん」
「うん」
演技前だと呼びに来た四葉へ返事をする。
(私が、勝つ)
その胸に闘志を燃やして。
八木夕凪はリンクにたった。四葉に激励され、慎一郎先生に背中を押されて。
(私は今、ここにいる)
曲がかかり滑り始める。
リンクを大きく使って、滑走。十分な加速。姿勢。そしてメンタル。
慎一郎先生との約束では一発目のジャンプでは3回転ルッツ+2回転ループ。
(でも、私は証明したい。私が狼嵜光に勝ちうると)
この演技で示す。
八木夕凪の狼嵜光への挑戦権。
まずは彼女を天才少女へと昇華させたジャンプ。
(ごめんなさい、慎一郎先生。私は約束を破る。でも見てて、私は戦える!あなたの一番弟子はこんなに凄いんだ!)
恋する先生への証明、狼嵜光への挑戦。その2つの夢中が重なる。
3回転ルッツ+3回転ループ 着氷
降りた
(降りた、降りた!あの光ちゃんのジャンプを!あの人外ジャンプを!)
今まで跳んだどのジャンプよりも綺麗な気がする。
そう思うと同時に、夕凪の体にどしっとした疲労感が漂う。
高難易度ジャンプに意識を割きすぎた。しかしそれほどの集中力が無ければ成立しえないジャンプだった。
(まだ・・・)
夕凪の闘志は消えていない。
(骨が折れようが、筋が切れようが降りてやる!)
高難易度のルッツループ、それを取り入れたうえでノーミスで終える。それがこの演技での夕凪の挑戦だった。
(だって光ちゃんはやってる!)
しかし、それが夕凪の限界だった。たった1回のジャンプを跳んだだけだというのに夕凪の集中力は続かない。疲労が来た瞬間、心の中で無理だと悟ってしまった。夕凪にはまだ、三回転ルッツ+三回転ループを使いこなすだけの実力が無かったという事。夕凪の中で挑戦に対する理屈が崩れる、集中が途切れる。
「あ・・・」
2回転フリップ 転倒
(なんで・・・)
夕凪の顔に影が差す。
2回目のジャンプにて、挑戦は失敗した。打ち付けられた部分が痛い、じんじんと自分を責めるように。
(私は狼嵜光じゃない)
そんなことは分かっていた。だからこそこれを乗り越えた先にある挑戦権の証明だった。
もうノーミスはない。夕凪の挑戦は終わった。なら、あとは何を目指して滑ればいい。
(もし優勝出来たら、慎一郎先生は褒めてくれるかなぁ)
元々、今あるジャンプを高精度で跳んで点数をあげる作戦だった。 それを無視してこの体たらく。きっと先生に失望される。
結局のところ、自分には挑むことすら許されなかったのだろうか。
今ここでミスった時点で光との格付けが終わってしまった。
(まだ、終わった訳じゃない。ルッツループは降りたんだし、残りをしっかり通せばまだ優勝圏内)
勿論、優勝は狙っていたがそれ以前の挑戦的な意味がこの演技にはあった。それが崩れた今、夕凪がトップパフォーマンスを引き出すメンタルがどれほど残っているのか。
2回転アクセル タッチダウン
焦りが失敗を呼ぶ。
(まだだ、まだ)
もしこのまま、失敗を続けたら。
(慎一郎先生に失望される)
それはどんなことより恐れる事態だ。しかし、そんな後ろ向きの思考では夕凪の熱は戻らない。
(挑戦を!切り替えろ!)
ノーミスという目標が絶たれた今、夕凪がするべきことは過去を嘆くことじゃない。
(私がするべきことは!)
今この瞬間、自分が何になら夢中になれるのか。自分がするべきことは何なのか。答えは最初から決まっていた。
(慎一郎先生に認められること!)
夕凪は光への対抗心と慎一郎先生への愛を混ぜて、挑戦へと変えた。それこそが3回転ルッツ+3回転ループであり、その集中がもたらした結果、見事着氷に成功した。しかし、転倒によって光への挑戦が絶たれた今、それは足枷でしかない。
(今は捨てろ!光ちゃんへの執着を!)
欲張るばかりが挑戦じゃない。自分を見極めて、欲望を捨てる。今の自分では光に勝てると認めさせることは不可能。過ぎた挑戦は身を滅ぼす。
(光ちゃんへの目標設定をすぐに決めることは出来ないけど!)
愛する人のためなら
(慎一郎先生のためなら!)
八木夕凪は
(無限に戦える!)
証明するのだ、ここに鴗鳥慎一郎の一番弟子がいるのだと。
(私が憧れた慎一郎先生はどれだけ打ちのめされようが何度でも立ち上がる無敵の鉄人だ!)
狂気を宿せ。その身を捧げろ、スケートに。
(鴗鳥先生に!)
最初はテレビに映るその滑りに惚れた。ジャンプだけじゃない。まずはその振り付けだった。
氷と一つになっているようなステップワーク。
見てるものを引き込むような指先までピンと張った、勇猛果敢な振り付け。
そうやって、引き込んだ先にジャンプがある。そんなジャンプが見る者の脳を揺らす。だからかっこいいんだ。
3回転ループ 着氷
(綺麗に決まった!)
スピンだってそうだ。先生のスピンはまるで自由自在に回転を操る。うっとりと息が漏れる様な繊細さと、立ち上がって拍手したくなる迫力がある。
足換えコンビネーションスピン Lv4
(好きです、慎一郎先生)
あなたがいたからスケートを始めました。
あなたがいたからこれまで頑張ってこれました。
あなたを一番にしたい。あなたの一番になりたい。
あなたの滑りに憧れました。
礼儀正しいあなたが好きです。
当たり前のように信じてくれるところが好きです。
苦労を一人で背負い込んじゃうところが好きです。
私が喜んでいる所を見て、微笑んでくれるところが好きです。
心が躍るから、頑張ろうって思えるから、あなたを信じてるから。
好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。好きです。
スケートならこんなに語れるのに、あなたを前にしてそれを言うことは許されない。
(でも、それでいい)
氷の上なら、夕凪は語れる。自分と彼との間ではそれで十分だ。
(だって私たちはスケーターなんだから)
もしかすると、それは口で語るよりよっぽど、語っていたかもしれない。
健気な少女の奥ゆかしい愛の告白。
孔雀が扇を広げてアピールするように。蛙が鳴き声で求愛するように。
スケーターは滑りで愛を語る。
そんな愛おしい彼女の姿に会場が魅了されていく。
夕凪のボルテージが上がっていく。自分はこんなものじゃない。慎一郎先生の教えを受ける自分が凄いのは当たり前だ。慎一郎先生はもっとすごい。
(だってほら、慎一郎先生のことを考えるだけで)
こんなにも、体が軽い。
(さっきの疲労が嘘みたいだ)
鉛がついていたように重かった足がぐるんぐるんと振り回せる。
ジャンプの成否だけで、結果は決まらない。スピンやステップもある。ジャンプを降りてもその質が問われる。演技が後になるほど、疲労で足は重くなる。集中力は途切れる。だんだん粗雑になっていく。
でも、今の夕凪はそんな心労をみじんも感じさせない。
(羽根が生えてるみたい)
2回転アクセル+2回転トウループ+2回転ループ 着氷
(まだまだ、もっと、後半にもう一回)
3回転ルッツ 着氷
(見てくれてるかな?慎一郎先生)
これが恋する乙女の力。
人の心という原動力。
最後のスピンを丁寧に済ませ、演技は終わる。
天才少女への挑戦状を突き付けることはできなかった、しかし彼女は確かに自分が鴗鳥慎一郎の教え子だと世界に証明してみせた。
?「勝者は挑戦を切り替える」
?「心に合理性を持て」