メダリストはエゴイスト   作:モリブデン42

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氷焔の獣

 夕凪の演技が終わると同時に歓声があがる。

 

(一体、何が起きたんだ?)

 

 その歓声の中、唯はただ一人八木夕凪という人物を考察していた。

 

(人が変わったみたいだった)

 

 最初は、分かった。夕凪は光を意識していた。その結果が3回転ルッツ+3回転ループへの挑戦だ。そしてそれは功を奏した。だが、転倒したことで彼女の集中力は切れた。精彩を欠いた演技に加え、さらに転倒し、彼女は追い込まれていった。

 一瞬の出来事だった。片鱗はあったのかもしれない。ただ唯には夕凪の演技がある瞬間唐突に変わったように見えた。

 本人の中で心境の変化があったのか、鬼気とした演技から一転。自分の演技を誇るような、尊ぶような演技。

 

(それだけじゃない、まるであれは)

 

 例えば愛の告白のような

 

(そうだとして、何で途中で演技が変わる?あれは技術のスケールアップというよりテーマそのものが変わったような感覚だった)

 

 もしかしたら、りんなよりも意味不明かもしれない。

 例えそうだとしても、あの演技の変貌の説明がつかない。

 

『八木夕凪さんの点数 93.96点』

 

 玉座は変わらない。依然として悪魔は君臨したままだ。ジャンプの出来1つでこの順位は逆だったかもしれない。だが、そのわずかな点数を積み上げるために一体どれほどの苦労があるだろうか。この差はただの数字じゃない。そのことは選手たちが何よりも理解していた。

 

 

 

 

 

 キスクラで夕凪は結果を聞いていた。

 

(僅差だけど・・・私の負け・・・)

 

 泣きそうになるのを、必死で堪える。勝手に約束破って、負けた挙句に泣く姿など、決して見せたくは無かった。

 

「素晴らしい演技でした」

 

 結果を聞いて、慎一郎先生が口を開く。

 

「本当に成長しましたね」

 

 そう言って、夕凪の頭を優しく撫でる。ごつごつした指だけどとても温かい慎一郎先生の手。微睡むような心地よさとともに恥ずかしさで顔を見られないように体を小さくする。

 

「ありがとうございます」

 

 約束を守らなかった自分を先生は褒めてくれる。申し訳ないと思うと同時に、誇らしさもあった。

 

 

 

 

 

 

 キスクラを出た先で夕凪は唯に出会う。

 唯は聞かずにはいられなかった。

 

「さっきの演技」

 

 前置きもなしに唯が話すと、夕凪は立ち止まった。

 

「夕凪は何を考えていたんだ?」

 

 夕凪は唯に対面し、話そうとするも何かに気づいた様子を浮かべると、赤ん坊のように口を開きながら言葉を探す。

 その様子に唯は疑問を抱くと同時に理解する。

 

「すいません、鴗鳥先生。夕凪と二人で話がしたいです。構いませんか?」

 

 そういえば、近くには慎一郎がいたことを唯は思い出した。

 慎一郎は夕凪に伺うと、コクリと頷いたのを見て、その場を去った。

 

「最初は光ちゃんへの対抗心と慎一郎先生に認めてもらいたいっていう感情どちらをとるべきか考えてた」

 

 慎一郎が去ったのを確認してから、夕凪は口を開いた。

 

「どちらも相反はしないけど、自分が夢中になれる目標はどっちかって。それで・・・多分私はどっちも取ることにした。慎一郎先生の一番でありたい、先生的にも世間的にも。だから、私は光ちゃんに勝つ、そういうロジックを組んだ。勿論、今は理依奈ちゃんが一番だけど。やっぱり私が勝ちたいのは光ちゃんだった。光ちゃんに勝ち、慎一郎先生の一番は八木夕凪だと認めさせること。そのために、今日の演技は私が狼嵜光に勝ち得る存在だと証明することを目標にした」

「それが3回転ルッツ+3回転ループだったわけだ」

 

 コク、と夕凪は頷いた。

 

「私の今回の挑戦は3回転のルッツループのコンビネーションを跳んでかつ、ノーミスで演技を終えること。それによって狼嵜光に勝ちうると証明することだった。でも、それは私には高すぎる挑戦だった」

 

 ただでさえ、ノーミスで演技を終えることは難しい。その身にしっかり沁みついていないジャンプを構成して、かつノーミスというのは確かに無謀な挑戦だった。

 

「だから、最初のジャンプの後私の演技は乱れた。失意に陥った私は、寸前で挑戦を変えた。無謀だった光ちゃんへの勝利の証明ではなく、その根本にある慎一郎先生に認められるための演技という私の夢中を信じた」

「なるほど、だから途中で演技が変わったのか」

 

 話を聞いて、唯は夕凪の演技の変遷の意味を理解する。

 

(ていうか、演技中に挑戦を変えるって、どんなメンタルだよ)

 

 それこそ言うは易し、というやつだった。自分の精神状態を正確に把握しないとそんなことは出来ない。夕凪は自分にとって高いパフォーマンスが出来る精神状態を無理やり作ったという事だろうか。

 

(りんなみたいに特定状況下で力を発揮できるタイプとは対極的に、自分でそういう状況を作りに行く能動的精神コントロール。やっぱおかしい)

 

 夕凪の事を認める一方で、その異様な心のあり様に唯は戦慄する。

 

(だが、私が負ける道理はそこにはない)

 

「最高じゃん、夕凪」

「今回のことで、私は自分という人間を理解した。次なんて持ち出すのはナンセンスかもしれないけど・・・次は私が優勝する。最強の私になって勝つ、りんなちゃんにも、光ちゃんにも、唯ちゃんにも」

 

 

 

 

 

 夕凪の演技を見て、いのりはただ一人牙を研いでいた。

 

(りんなちゃんも夕凪ちゃんも凄かった)

 

 自分とは違う、所謂スケーターとしてエリート街道を歩んでいる2人の演技はいのりにも感じるものがあった。エリート、なんて簡単な言葉では片付けられない。彼女らの滑りは、自分自身を世界に曝け出す魂の躍動だった。

 

(私は、何をすればいい?)

 

 選手の熱にあてられて、自分を見失いそうになる。

 

「いのりさん」

 

 顔色の悪いいのりを見かねた司が声をかける。

 

「自分を信じてほしい、君は金メダリストに相応しい最高のスケーターだ」

 

 いのりの手にパーカーの紐を掴ませ、その瞳をじっと見つめる。

 

「僕が君を勝たせる。後は君の覚悟だけだ」

 

(司先生は疑ってない。本気で私が優勝すると思っている)

 

 そうだ、自分には信じてくれる人がいる。自分に自信が無くても、自分を信じる司先生の事は信じることが出来る。

 いのりは自分の手を覆っている司の手を握り返す。

 

「司先生、行ってきます」

 

 いのりの番が回ってくる。そうしていのりは司の手を放した。

 

 

 

 

 

 

 氷の上に立つと、足から根が生えたように氷と繋がる。

 氷がいのりの体を勝手に動かしてくれる。

 緊張で体が強張っている。でも、時間は待ってはくれない。名前が呼ばれたため、すぐにリンクの中心へと移動する。

 

(大丈夫、私には司先生がついている)

 

 滑り始めると体は軽かった。今何よりも大事な事だ。今回の作戦いのりが勝つためにはノーミスが絶対条件。

 強張っていた体が、司の温かさで溶けていくようだった。

 

 3回転ループ 着氷 

 

 まずはジャンプ。成功は当たり前。勝つためにはより丁寧に、より高精度に。

 

 司先生の教えに忠実に。

 

 氷の上では一人だけど、すぐそばに司先生がいるような感覚がある。

 自分を信じてくれる。期待してくれる。だから・・・

 

(だから?)

 

 なぜか違和感を覚える。

 誰かのおかげで、誰かのために。

 何も間違っていない。自分がスケートを出来るのは司先生のおかげだ。自分が強くなったのは司先生のおかげだ。自分が今戦えるのは司先生のおかげだ。

 じゃあ今は?

 

(自分の心すら司先生に任せた私は、一体何?)

 

 燻っていた恐怖心が蘇る。

 

 一緒ではないか、今までの何もできない自分と。

 

 りんなや夕凪の演技にあてられて、蓋をしていたいのりの過去が顔を出す。

 勉強が出来ない自分。運動が出来ない自分。意見が言えない自分。友達ができない自分。

 そうだ、忘れていた。自分はたくさんの『出来ない』で作られている。

 そんな出来ない自分が唯一自慢できるスケートすら、他人に明け渡したなら、一体何が残るのだろうか。

 

(考えるな!信じろ!)

 

 自分には足りないもの。

 時間が足りない、経験が足りない、才能が足りない、実力が足りない、そんな自分が今戦えるのは司先生がその足りない部分を埋めてくれているからだ。だから司先生を信じていればいい。司先生が信じくれるなら、自分も信じられる。だから・・・

 

 

 足りない自分が心までも、手放すのか。

 

 

(ああ、気づいちゃった)

 

 結束いのりはまだ変わっていない。

 スケートを通して自信がついた。足が速くなった。意見が通せるようになった。

 でも、まだ後ろから何も『出来ない』自分がついてくる。

 

 背中に悪寒が走る。

 

 3回転サルコウ+2回転トウループ 着氷

 

 まだ、体は動く。しかし、後ろにいる影が足を引っ張ってくる。

 

(6級になれば、冷たい気持ちの役目が終わる。寂しいだなんて勝手に考えてた)

 

 合宿の日、司先生と話したことを思い出す。

 このままじゃ嫌だという気持ちが自分を強くした。強くなった。しかし

 

(当たり前だ、過去は消えない)

 

 出来ないことが出来るようになったからといって、あの時の苦しさや劣等感が全部無くなるわけなかった。

 そして一生なくなることはない。

 

(ちゃんと向き合わないといけない)

 

 いのりの原点はいつだって、出来なかったあの時間にある。

 思い描けばいつだって後ろから喰いに来る。

 

(そんなの嫌だ!)

 

 もし今ここで負けたら、スケートで負けたらいのりという存在はまた何もない人間に戻る。

 

(ここでの敗北は死ぬことと同義)

 

 そんな絶体絶命の最中で、自分の全てを人に預けるなど正気の沙汰ではない。

 

(今、ここで滑っているのは私!私が勝たなきゃ!私が私を勝たせなきゃ!私は生きている意味がない!)

 

 いのりにとって、スケートは自分を唯一肯定できること。

 彼女はリンクの上に立つことで、生きていられる。

 

(ずっと、私は死んでいた)

 

 あのスケートが『出来なかった』時間、自分は生きていなかった。

 今、リンクに立って結束いのりという生は躍動している。

 例えリンクから離れていても、リンクの上にいる時間がある。その事実がいのりという存在に魂を吹き込む。

 

(もし、負けたら。負けて、負けて、何一つ結果を残せなかったら)

 

 一体、幾ほどの時間リンクの上に立っていられるだろうか。

 スケートという競技は、あまりにシビアな世界だ。結果の出ない選手が続けられるほど甘い世界ではない。

 ただ単に、日常の中で漫然と滑ればいいという話ではない。他者に勝つ、喰らって勝つことでリンクの上という自分の居場所を、結束いのりという存在の生命を勝ち取り続ける。

 

 スケートへの意識がただのスポーツという認識から一段上がる。

 

(そうだ、私にとってスケートは)

 

 結束いのりにとってスケートは

 

(生存闘争だ!)

 

 全身に血が滾る。この場に結束いのりという存在を刻み付ける。そのために、ただ言われたことを忠実にこなすだけはなく自分自身が演技に魂をかけて磨き上げてくのだ。

 

(今ある演技をさらにもう一段階進化させる!)

 

 何も司先生の指示を無視するという話ではない。二人で紡いだかけがえのない演技構成はそのままに、限界を超えて、技術をランクアップさせる。

 

 

 飢える

 

(みんなみたいに難しいジャンプを出来ないことがもどかしい)

 

 足りない自分を埋めるためにもっと多くのピースが必要だ。

 

 飢える

 

(でも、今は目の前の演技に集中する。他の事は全て雑音(ノイズ)!)

 

 世界から色彩が消える、雑音が消える、温度が消える。

 極度の集中が今必要なもの以外の全てを世界から排外していく。

 

 2回転ルッツ 着氷

 

 誰かが呟く。

 

「え?」

 

「高っか」

 

 高さだけではない、完璧な幅、完璧なタイミング、完璧な跳び方、完璧な着氷。

 

「今、GOEいくつついた?」

 

 フィギュアスケートのジャンプはGOEという項目で評価されるようになっている。

 ー5から+5までの中で、加点要素と減点要素がそれぞれあり、その集計によって評価される。

 今回、いのりと司の作戦は難易度の低いジャンプを跳ぶ代わりにこの評価を上げて、点数を上げるという内容だった。

 

 評価内容はいくつかある。

 ジャンプの高さや距離、踏切と着氷、開始から終了までの流れ、ジャンプの前のステップや工夫、踏切から着氷までの姿勢、要素が音楽にあっているかどうか。

 これらの加点要素に加えて、いくつもある減点要素を回避することで、合計点が付けられる。

 

 ジャンプは単に跳べばいいというものじゃない。ただ、それらを考えながらジャンプをするのは非常に困難である。

 

 ノービスAのレベルでは減点を回避することが限界、故にGOEはー1や0でも十分及第点だ。今回の作戦ではそこで差をつけるためにいのりは+2程度を基準にジャンプへ取り組む。

 いのりにとっても簡単な事ではない。

 その上で、その程度の加点では今1位の座にいる申川りんなに勝てないのが現状だ。

 恐らく、5位以内に入るだけなら今のままでもいい。

 

(生存闘争なんだよ!ここで勝利を目指せないなら、死んでると一緒だ!)

 

 優勝のためには基準に加えて他の項目を狙うしかない。

 勿論、いのりもその項目は承知しているが一つずつ確認してジャンプを行うことなど出来ない。

 

(一つ一つ考えていても、間に合わない)

 

 だからいのりは最低限のジャンプへの意識を残して、思考を放棄した。

 

(最低限は今まで通り自分で意識すれば何とかなる!だから他の加点は自分のインスピレーションをそのままぶつける!)

 

 いのりが綺麗だと思う跳び方、理想の跳び方、やりたい跳び方。

 自分の中の理想を信じる。自分が理想とする跳び方ならきっと加点要素にひっかかる。

 ある意味でそれは賭けだった。

 最低限の加点要素は残している。ただ、いのりが理想とする跳び方に無意識の内に減点要素が含まれていれば、前段の作戦すら瓦解する。

 

(今私に必要なことは自分を信じること、自分自身に期待することだ!)

 

 信じてくれる誰かを必要とする生き方をやめる。

 

 まだ、『出来ない』自分は後ろにいる。でも自分には唯一『出来る』ことを見つけたはずだ。

 

(スケーターとしての私だけは、死ぬその瞬間まで信じてやる!)

 

 2回転フリップ 着氷 GOE+3.5

 

 研ぎ澄まされていく。

 滑れば滑るほど、スケーターとしての感覚が鋭敏になる。

 

(ステップシークエンス・・・!)

 

 ステップシークエンスなら考えなくたって出来る。

 何度も見た司先生の滑り、イメージならすぐそこにある。

 

 エッジの傾き、ステップの細かさ、それら全てを思考でなく本能で設定する。

 

 ステップシークエンス Lv4

 

 まるで獣だった。氷の上で滑るために搭載された本能が、細やかな基準を自動的に網羅していく。

 

(勝つ・・・勝つ・・・勝つ!)

 

 勝利に対する飢えが、その獣の『エゴ』を解き放っていく。

 氷の上という縄張りを勝ち取るために進化する。

 

 3回転トウループ 着氷 GOE+3.8

 

(次が・・・ラストジャンプ!)

 

 最後に入れる危険度倍増の2回転アクセル+3回転サルコウ。

 

(アレンジ・・・即興・・・)

 

 いつか合宿で見た少女のジャンプ。

 

(今なら、出来る・・・)

 

 ただでさえ後半のコンビネーションジャンプという危険度マックスの賭け。

 

 飢える

 

 足りない。

 

 飢える

 

 まだできる。

 

 飢える

 

 勝つために。

 

 ジャンプに入る前にステップワークを取り入れる。片足を軸に多回転ターン。その流れのまま、エッジジャンプを踏み切る。

 

 2回転アクセル+オイラー+3回転サルコウ 着氷

 

 タイミング、高さ、動きの繋ぎ、全て完璧だ。

 着氷と同時に再びターンを取り入れる。ツイズル、ジャンプ、ツイズルのいつか見たジャンプテクニック。

 

 GOE+4.3

 

 冷たい氷上にて本能に目覚めた獣が舞い降りる。

 

 その獣はとても熱い目をしていた。

 




知らない世界線
いのり「お前らはこの身一つで氷の上を滑る行為をまだただのスポーツとでも思ってんだろ」

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