「いのりちゃんが覚醒した・・・」
唯は心のどこかでいのりはまだ自分と戦う段階にないと思っていた。侮っているわけでは無い。実際、5位以内に入ってくるとは思っていた。単純にいのりと自分にはそれだけ差があるはずなのだ。
技術の差がある、経験の差がある。
そんなどうしようもない差をいのりは執念一つで埋めてきた。
『結束いのりさんの点数 95.51』
玉座が入れ替わる。結束いのりという獣が申川りんなという悪魔を喰い殺した。
キスクラから離れて、いのりがこちらに向かって来る。
次は唯の番だ。司を連れて、準備に行く必要がある。
「いのりちゃん・・・いや、いのり」
その前に伝えておきたかった。
「正直心のどこかでいのりを過小評価していたよ、でも今認める。いのりは私のライバルだ」
それを聞いたいのりはパチパチと目を瞠目させて、笑った。
「唯ちゃん、私ね、今自分という存在にワクワクしてるんだ。この大会に出なければ感じることの無かった自分に期待する感覚。足りないって、自分にはまだまだ『出来る』っていうこの飢餓感こそ必要なものだったんだ」
いのりは胸に手を抑えて、熱くなる鼓動を感じていた。
「このスケートリンクを私の居場所にするために、前に立つものは全部喰い散らかしてあげるから」
いのりの宣言を聞いて唯の背にゾクゾクと電気が走る。
これは獣だ、淘汰される過酷な環境を生きようとする肉食獣。
「いいよ、いのり」
唯はそれを正面から受けて立つ。
「絶望させてあげるからよく見てなよ、
滑走前にて、司と話し合う。
「唯さん・・・これはいのりさんにも言ったけど、同時に君にも言う。君は金メダリストに相応しい選手だ」
ダブルスタンダードだと、唯は思わなかった。だってこの先生はそれを本気で口にしている。きっといのりにも本気で言ったのだろう。
「不安なんてないですよ。構成通りでぶっ潰します」
今回の唯の演技には高難易度ジャンプがたくさん入っていた。
とんでもない挑戦をする者がいくつかいるので麻痺しがちだが、高難易度ジャンプというのは存在するだけで入れるかどうか悩むものだ。唯は数多の高難易度ジャンプをそろえている。
唯は恐らくこの大会にて最もアベレージが高い。滅多なことが無ければ勝つ。
「油断はしません」
滅多なこと、既に幾人か覚醒しているものを見た。一歩間違えば敗北は十分見える。
実力が高くても、それを本番でその通りに発揮できるかは分からない。それが勝負の世界だ。本当なら勝っていたなんて戯言は存在しえないし、死んでも口にはしない。
結果が全て、結果を示さなければ何の意味もない。
不幸はあるかもしれない、不運に見舞われるかもしれない。それら全てを合わせて実力だ。
「私が新しく手にしたこの『感覚』」
正面から叩き潰す。
「新生潔唯をこの場に刻んできます」
絶望を植え付ける。
話は、ルクス東山の合宿まで遡る。
司の理鳳のための演技を経て、整氷を終え、宿舎に戻る中で唯が司に話しかける。
「司先生は、
「メタ・・・何?」
自然と口にした後、疑問を呈され恥ずかしそうに解説する。
「
感覚的なものをどう説明するか唯は考える。
「周辺視野を使って、人の動きの全体像を観察する能力と身体操作感覚から自分の動きをイメージする能力を合わせて全体視と俯瞰をする技術なんですけど・・・」
唯の説明に司は首をかしげる。
「それが出来るとどうなるの?」
「そうですね、具体的には人の動きを一発でトレースできます」
そこで唯が言葉を見つける。
「そうですね・・・まず全体視の能力なんですが・・・普通人の演技を見るときって動体視力で動きを追うじゃないですか、でも周辺視野を使って全体の動きそのものを把握することで腕や脚といったバラバラのパーツの連動を一緒に認識できるんです」
その説明には、司も覚えがあった。自分はいつも選手を見るとき、動きを目で追うのではなく、動作全体を視野に入れて把握している。
(皆やってることだと思っていた)
「それで・・・俯瞰の方なんですが・・・多分自分の体を動かしてる感覚から頭の中でイメージを作ってると思うんです。視界の情報から得た空間把握と結びつけて、自分をもう一つ上の次元から見下ろす感覚っていうんですかね」
「唯さんはそれができるの?」
その質問で唯は言葉に詰まる。
「私は・・・できません。全体視の方は何となく出来るんですが、自分の動きをイメージして像を作るっていうのが良く分からなくて・・・そもそもこの理論があってるかもわかりませんし・・・」
「?唯さんが出来ないならその理論はどこから出てきたの?」
「あー夜鷹純の噂からです」
「噂?」
「はい、夜鷹純は演技中の自分を俯瞰してみることが出来るっていう噂です」
突拍子の無さに司の動きが止まる。
「え?本当にそんなこと出来るの?」
「知りません。だから、聞いてるんじゃないですか。司先生は出来るんじゃないですか?」
「俺が?なんで?」
「今日、理鳳の演技を一回見ただけでできてましたよね?」
唯は今日の司の演技を例えに出す。
「あんなの、普通は出来ないんですよ。理鳳の動きを捉える目と、自分の動きを把握する視界がないと」
言われて初めて司は気づいた。
「確かに・・・ある・・・俺にもその感覚が」
「やっぱり、そうなんですね。ちなみにどうやってるんですか?」
軽く聞いたが、唯の問いは切実だった。その理論自体はすぐにたどり着いた。しかし、未だに唯は
「どうやって・・・視野を使う感覚は何となく説明できるけど、それは唯さんも習得してるし・・・自分の動きの俯瞰は正直感覚としか・・・」
「そうですか・・・」
「・・・ごめんね!俺も何とかこの感覚を共有できるように頑張るから!」
「それはお願いしたいですけど・・・やっぱこの辺は本人の資質が大きく関わってくると思うんですよね・・・出来ないなら出来ないで別の道も探さないと」
少し空気が重くなる。唯は気にしていないが司は自身が役に立てなかったことに落ち込む。
「感覚といえば、唯さんは五感が鋭いよね?」
「え?」
無言に耐え切れず、司が話を変える。
「ほら、昨日も雨が降るって予言したよね?それで雨の匂いとか空気を感じるっていうから、感覚が鋭いんだろうなって・・・」
「感覚・・・五感・・・」
「唯さん?」
急に考え込むようになった唯に司が声をかける。
「ありがとうございます・・・司先生」
「え?何が?」
「おかげで掴めそうです。私の勝利のピースが」
全日本ノービス予選 中部ブロック 最終滑走 潔唯
彼女が蹂躙するか、他の者が喰うか、運命の滑走が始まる。
エゴをむき出しにした選手たちによって、この名古屋ブロックは魔境と化した。ついてこれないものは即座にふるい落とされる。
(でも、関係ない。私が勝って、全部持っていってやる)
曲とともに滑り始める。
司に師事して数か月ながらも唯のスケーティング技術は大きく上昇している。
一歩の進みが大きい。かつてより、楽に滑ることが出来る。余裕が出来れば次の要素に意識を向けることが出来る。
(それじゃあ行こうか、まずは)
刮目しろ
(コンビネーションを跳ぶ時は身構えるんじゃなくて、むしろ体を軽く保つ)
ルッツを跳ぶ時のトウを突く『感覚』。足に伝わる振動、回転に巻き込まれる風、急加速する視点。
着氷の角度、足への衝撃、そのまま体が宙に引き付けられる感覚。
3回転ルッツ+3回転ループ 着氷
本日二度目の3回転ルッツ+3回転ループに観客がどよめく。
(光がやってんのに私が練習しないわけないだろう?)
観客は一瞬分からなかった。3回転ルッツ+3回転ループの難易度はもう言うまでもないことだ。3回転ルッツという高難易度ジャンプに加え、同回転数のセカンドループ。
それをあまりに当然のように跳んだ。
同じジャンプを跳んだ夕凪のような大きな疲労も見られない。
(ミスる気がしないな・・・!)
3回転ルッツ+3回転ループは唯にとっても成功率に乏しいジャンプだ。練習の中で跳べたことはあった。だが本番と練習は違う。どの基準で本番に取り入れるかは人によって異なるが、高難易度のジャンプコンビネーションについてはより厳正に考えなければならない。
挑戦か、博打か、無謀か、安定か。唯は逃げたくなかった。
出来るなら跳ばない手はない。
だから唯は欲していた。この高難易度コンビネーションジャンプの精度と成功率を上げる新しい方法を。
勿論、普段の練習で習熟度を上げることは大事だ。しかしそれと同時にこれでは足りないという自覚もあった。
(最初は
手本となるジャンプを全体視で把握し、俯瞰する視点でそれを体へフィードバックする技術はまさしくその悩みを解決する鍵であった。
しかし、唯にはそれを完全に習得することが出来なかった。
生来の素質が関わっているのか、色々思考はするが出来ないものに縋り続けていても仕方がない。
だから見つけた、新しい武器を。
(司先生が言及した私の五感の鋭さ・・・)
言われてみればそうだった。昔から雨が来るときは独特の匂いと空気を感じていた。他の人には見えない何かを感じて怯えていたこともあった。
唯一共感してくれる兄もいたのに、今までその才能に気づかなかったのはいささか鈍感すぎる。
しかし、自覚すれば世界はまた変わって見える。
(
出来ないなら、別の情報を入力すればいい。
お誂え向きに、常人には察知できない感覚が自分にはあるではないか。
(相変わらず、4次元視点の創造なんて出来ない・・・でも、私は空間認識にこの五感で得た情報を掛け合わせる!)
ジャンプを跳ぶ時の、氷の振動、風の切り方、無意識の呼吸、視界の振れ方、数多の情報を統合して脳にインプットする。
自分を外から見るなんてことは出来ない。しかし、視界の代わりに新たな『感覚』を得る。
自分の理想の跳び方に身体動作だけでなく、五感からえたあらゆる情報が追加される。空間と動作と五感それらを統合して、新しい『感覚』として生み出す。
結果として
(技の再現性がぶち上がる!)
ジャンプを跳ぶ時、自分はどんな音を聞き、どんな風感じて、どんな目の振り方をして、どんな氷の匂いを感じているか。
何度も試した
理想の滑り方、気持ちい滑り方、かっこいい滑り方
一度でもできてしまえば、その『感覚』を体が覚える。空間、動作、五感をひとつに結び付ける。
(これが私の次元を超えた新しい『感覚』!私だけの
唯が導き出した新しい武器。
(前を向いたときに勢いが死なないように)
滑る勢い、前から感じる風、前向き特有の振動。
エッジの角度と、踏み切るタイミング、勢い。
(はい、
3回転アクセル 着氷
何度も試して、練習で成功した。その時の『感覚』を呼び起こすだけの簡単な作業。
(
対して、
(偶然だろうが何だろうが、導き出したベストなスケートを確実にものにできる。本番用とは言ったけど技の習得度も爆上がりした!)
ジャンプだけではないスピンだってそうだ。
難しいアレンジ、バランスのとり方、回転のタイミング。動作の一つ一つを『感覚』を通して、制御する。
回る視界、腕にまとわりつく風、脚の感覚。
レイバックスピン Lv4
(完璧っ!)
神経を張り巡らせ、より五感を鋭敏にさせる。
(まだまだ)
もっと高みへ、自分の中の可能性を引っ張り出す。
(最っ高の感覚だ!)
全能感に溢れる。何でも出来る、思い描ける最大の演技を今ここに顕現させる。
3回転フリップ 着氷
順調にエレメンツを消化していく。
新しく得たこの『感覚』、
頭から最後まで、完璧な演技を。
息が荒れる。
(あれ?)
唯のジャンプにきわどいものは無かった。リズムが崩れることも、 呼吸を乱すようなこともなかった。
だというのに、唯は疲労を感じていた。
(疲れるのは当然だ、滑ってるんだから。でもこれは想定以上の疲労)
考えてみれば当然の話だった。本番という緊張にさらされる状況下、常に自分のパフォーマンスをフルに発揮するために五感を張り巡らせた。
それは体力の消耗に帰結する。
(そうか・・・
ペース配分も考えずに全力疾走すればすぐにばてる当然の話だ。
(どうする?
理性的に考えた思考を本能が否定する。
(いいや、違う!ここで臆するようじゃ狼嵜光には一生勝てない!)
『感覚』を研ぎ澄ます。一切、ブレーキはかけない。自分の中の最高を体現する。
3回転ループ 着氷
自分の能力を勝つためにフルベットする。
演技は後半に差し掛かる。残るエレメンツはスピン1回とジャンプ2回。
左足をインエッジに傾け、右足でトウを突く、衝撃をそのまま上へ向かう推進力に変えるように。
(スパークしろ!私の『感覚』!)
3回転フリップ+2回転トウループ+2回転ループ 着氷
残すジャンプは一つ。
『感覚』はさらに鋭敏になっていく。肉をそぎ落として神経がむき出しにされていく。
風、温度、匂い、振動、光。
世界を構成するあらゆる要素が自分のスケートのために存在している。
(さあ、終わらせよう)
見ろ、世界。感じろ、観客。絶望しろ、ライバル。
(これが新生・・・)
「潔唯だ」
3回転ルッツ 着氷
ジャンプを全て消化した。油断はしない、気は抜かない。
最後にスピンを綺麗にこなす。
高難易度構成にて、ノーミスの演技。
会場に絶望が君臨する。
全日本ノービス予選中部ブロック最終滑走、大会は潔唯の蹂躙にて幕を閉じた。
クソお邪魔できません
夜鷹と世一君の超越視界は結果は似てますが別物です。ネーミングセンスが被っただけです。
プロットがもう無いのでちょっと間が空くかも