時は数週間前に遡る。
「―――以上が、次回の満場一致特別試験についての概要になります」
開始予定の試験について、説明を終えた月城常成は手元の資料を閉じると向かいに座る男へと視線を向ける。
名は綾小路篤臣。
かつては直江幹事長の懐刀として政界で辣腕を振るい、今なお水面下で強い影響力を維持し続けている男だ。
「それで?」
「と、仰いますと?」
「その程度の試験で嬉野ひまりをどうにかできると思っているのか、と聞いている。認めたくはないがアレで嬉野の血を引いている。精神的に未熟なところはあれどこの程度の試験で屈するとは思えん」
篤臣は鋭い目つきで嬉野ひまりをそう評価する。
子どもだろうと侮るつもりは毛頭ない。
「ご安心ください。ここからが試験の本質ですよ」
「なに?」
「違和感も喉元を通りすぎればなくなるもの。気付いた時にはもう遅い。私の見立てでは、この試験では少なくとも4名が退学の危機に瀕するでしょう」
Aクラスからは戸塚弥彦。Bクラスからは白波千尋。
Cクラスからは小宮叶吾。
そして―――Dクラスからは井の頭心。
月城はすでにその選定を終えている。
身体能力も学力もともに、高くも低くもなく平凡。
そんな彼らが狙い目だと月城は考えていた。
「そして彼女は周りが犠牲になっていくことに耐えられない。すぐに自主退学を選ぶことになるでしょう」
その演説に、篤臣が喜びを見せることはない。
代わりに、試験の裏側を説明しろとだけ言葉が返された。
*
Dクラスの話し合いはだんだんと普段のような活発さを取り戻していき、最終的に考えがほとんど一致した。
「それじゃあ、相手はCクラスでみんないいかな」
平田くんの掛け声にみんなが同意を返していく。
この結論に至った道筋は極めて単純だ。
まずBクラスとは、ちゃんとしたものじゃないけど同盟関係を結んでいる。その恩恵はこれまで十分感じてるところで、それを今の段階で切りたくない。だからBクラスを相手にするのは真っ先に除外。
つまりAクラスかCクラスか。
ここで問題になったのは坂柳さんの強さだ。
坂柳さんはこれまで、表舞台に立っていない。彼女がどれほど手強いか判断する指標が私たちには無かった。
そこで焦点はリーダーからクラスメイトに移る。
分からないものは分からない。そこに時間をかけたくは無かったから、身体能力は運動部の子たちを頼りにしながら、学力は定期テストの結果を参考にしながら目に見える要素に絞って比較した結果、Aクラスの方が脅威という順当な結論に落ち着いた。
「最後にひとつだけ忠告しておくわ。Aクラスの方が強くても、Cクラスが弱いということではない。特にリーダーの龍園くんと相対した時、私はそれをひしひしと感じたわ。今のところ勝っているけれど次の保証はない。気を引き締めていきましょう」
それを最後に、設問3の投票が始まる。
私への確認は行われなかった。
それは誰ひとりとして私に慮ることがないよう、私が意見を決めないため、事前にお願いした結果だった。
「…………」
あれから、みんなの顔はちゃんと見ている。
みんなが気持ちを切り替えて話し合いをしようとしてくれてるのに、私だけ引きずるなんて格好悪いから。
それでも怖い気持ちは抜けてない。
人から向けられる信頼が、徐々に抜け落ちてく感覚。
仕事的にも、この学校での生活においても、これまで信頼を得続けていたから知らないのが余計に怖かった。
もちろん、私には事情があるし、私の意見を最終的に優先させるのは退学者を出さないために必要だった。
その考えは今でも変わらない。
だけど事情を打ち明けることができないなら、みんなにとってそれは理由として無いも同然。みんなにとっては私がみんなの意見を尊重しなかったことだけが確認できる事実で、みんなは絶対悪くない。
なら……私は、どうするべきだったんだろう。
集計が終わって設問4へと無事進んだことを肌で感じながらも、私の意識はその一点のみに注がれていた。
事情はどう頑張っても伝えられない。
だけどみんなの意見を尊重しないといけない。
そんなの、両立できるはずがない。
(……でも、龍園くんや坂柳さんだったら違った)
2人は畏怖でクラスメイトを従えている。
みんなの意見を聞くことは基本ないだろうけど、信頼関係が元々希薄だから、それによる影響はほぼ無い。
事情を話さずに強引にクラスをまとめられる。
(じゃあ……一之瀬さんなら?)
もし最終的に意見を押し通すことになっても、他のみんなはきっとそれだけで反感を抱くことは無かった。
一之瀬さんには積み重ねてきた信頼関係がある。
一方で私のこれは、特別試験のおかげで短期的に得られた信頼。学生生活そっちのけで仕事をしていた私には、彼女ほど強固な絆なんてものも無い。
(あはは……私、中途半端だったんだな)
心の奥底から自嘲がこぼれ、喉が引き攣る。
「……ひまり?」
ふと、かけられた声に私の意識は浮上する。
見ると右隣の須藤くんが心配そうにしていた。
「ご、ごめん。ちょっと考え事してて」
「謝らなくていい。それより次の設問始まったぜ」
その声掛けで、私の視線は前の黒板に引き寄せられる。
そこには設問4とその選択肢が記述されていた。
設問4:どちらか一方の選択肢を選べ
⚪︎退学者を1名出し、200クラスポイントを獲得する
⚪︎退学者を出さず、クラスポイントを獲得しない
それは、私の想定内の設問。
最初の試験説明で設問数は4か5という話だった。つまり設問4次第で、そのまま試験が終わるルートと設問5に進むルートに分岐する。それさえ分かれば内容をいくつか推測するのは難しくない。
「……なるほど、こういう設問もあるんだね」
平田くんの表情は決して明るくはない。
だけど暗くもなかった。
教室を見渡してみるとその理由は明らかで、自分に酔いしれている高円寺くんや表情の分かりにくい綾小路くんを除けば、みんな前向きに見えたから。
誰も退学者を出すつもりはない。
だからこそ堀北さんは、話し合いから始めなかった。
「まずは投票してみましょう。それで満場一致なら設問4は終わり、もし満場一致しなければ……まあ、ないとは思うけれど意見を伝えて欲しいわ」
「私も賛成だなっ。絶対すぐに終わるはずだよっ」
すかさず櫛田さんもその意見を後押しする。
反対意見は、当然ない。
かつてないほどスムーズに設問4は解決に進む。
…………。……それが、酷く不気味だった。
(……私は、何か見落としてるんじゃ…………)
その違和感は、すぐに私の中で言語化される。
―――
この試験は、体育祭の前に急遽ねじ込まれたもの。
月城理事長代理が関わっていると見ていいはずだし、実際に設問1,2ではペナルティを与えようとしてきた。
だけど設問3は普通の話し合いで普通に満場一致に辿り着き、設問4はもはや話し合いさえ要らない。これが卒業間際の試験だったなら意見は紛糾したはずだけど、今はまだ、1年生の夏休み明けだ。
本来なら卒業間際に待ち構えていてもおかしくない特別試験を、こんな序盤に持ってきた。そこに意図がないと考えられるほど、私は落ちぶれてない。
でも投票はもう始まってしまった。
見落としているはずの何かを考え直す時間が必要。
私は直前で上の選択肢を選び、すぐに集計が始まる。
「……は?」
その疑問の声は、誰のものだっただろうか。
賛成2票、反対38票。
40人のうち2人も退学者を出すことに賛成した者がいる。その事実が、教室全体を泥濘のように沈めた。
私以外にも、上の選択肢を選んだ人がいる。
その理由は分からない。私と同じように違和感を抱いたのか、それとも200クラスポイントを望んだのか。
考えを巡らせていると、ふと、誰かの視線を感じた。
顔を上げて視線を辿ると綾小路くんと目が合う。
彼は何も言わず、ただ静かに私を見ていた。
(……もう1人は、綾小路くんだ)
綾小路くんもまた同様に、もしくはそれ以上の違和感を感じてる。だから万が一にも試験が終わらないようにあえて上に票を投じたのだと私は気付く。
それが分かると、私は即座に手を挙げる。
「ごめん、私が賛成に入れた」
この自白に全員の目が私を向いた。
それは高円寺くんさえも例外じゃない。手鏡から顔を逸らすと、興味深そうな光をその瞳に宿している。
「……どういうこと? 言ってる意味が分からないわ」
堀北さんはただ、困惑の表情で頭に手をあてる。
「私もまだ整理しきれてない。だけど―――このまま試験を終わらせたらまずい気がして、一旦こうした」
「じゃあ……本当に賛成ってわけじゃないんだね」
「うん、私は退学者を出したくない。その気持ちはみんなと一緒。でも驚かせちゃってまずはごめんなさい」
理由の説明に平田くんたちは安堵の表情を浮かべかけ、だけどすぐに、その表情を引き締める。みんなの考えを代弁するみたく幸村くんが声を出した。
「ならもう1人はどうなんだ?」
「……それも気になるところだけど、それより先に、私の違和感を解消したい。みんな、それでもいいかな」
それは意見を聞いてるようで、ほぼ強制の言葉。
私は龍園くんや坂柳さんみたいに畏怖を集めているわけでもなければ、一之瀬さんみたいに絶対的な信頼を集めているわけでもない。そうである以上、私に残された方法は、今はこれしかなかった。
「どうせそれ以外を認めるつもりはないんでしょ。顔に書いてるって嬉野さん」
「……そうだね。じゃあ言い方を変えたらいいかな」
私が言い返すと、篠原さんは眉を顰める。
側から見れば一触即発の状況。
だけど篠原さんのことが嫌いになったわけじゃない。
他を犠牲にしてでも守りたいものがある。
私は深呼吸を繰り返して、気持ちを整える。
ありがたいことにその間、口は挟まれなかった。
「これはお願いじゃなくて絶対。今だけは私が思うようにさせて欲しい。それでクラスが不利益を被ったらいくらでも詰っていいし、責任はとる。だから―――今だけでいいの。今だけは私に従って」
今までもみんなを強く引っ張ったことは何度かある。
だけどその比じゃないくらい、今回は覚悟が必要だった。
ついに第100話、お送りしました!