その後先生が昔の話題を掘り返すことはなく、私はそのまま空き教室に案内された。
ドアをがらりと開けた先生の後ろからひょっこりと覗き込むと、坂柳さんに龍園くん、一之瀬さん、それから各クラスの担任の先生が揃い踏みだ。私は最後だったみたいでぺこりと頭を下げる。
「ごめんなさい、お待たせしました」
「遅えぞ嬉野。ったく何時間も待たせやがって」
龍園くんの言葉に、私は目を丸くする。
「もしかして……試験終わってからずっとここで?」
「ふふ、いえ、それは誤解ですよ嬉野さん。龍園くんがいらっしゃったのは先ほどです。それまでは何をするのもどこにいるのも自由でしたので、私としても有意義な時間を過ごすことができました。なのであまりお気になさらないでください」
「……なるほど、そういうこと」
坂柳さんの小悪魔な笑みに私はだいたいを察する。
いつもなら真っ先に挨拶をしてきてもおかしくない一之瀬さん。その顔色は、試験の影響かそれとも坂柳さんに口撃されたためか、あまり芳しくない。
だけど一之瀬さんから何も言わない以上そのことを深掘りするのは憚られて、私は先生方に視線を送る。
進行をお願いします、ということだ。
意図を汲んだ真嶋先生が私たちの前に進み出る。
「ここではくじ引きをするだけだからな。ルールとして私語を禁じることはない、が、円滑に進めるため舌戦を繰り広げたいなら後にしてもらえるとありがたい。さて、まずは各クラスの設問3の回答を公開する」
真嶋先生は簡潔に、私たちへ結果を伝える。
Aクラスは対戦相手としてBクラスを指名。
そしてBクラスはAクラスを、CクラスはBクラスを、知っての通りDクラスはCクラスを指名している。
いずれも無難な判断に思えた。
AクラスはBクラスを引き離したいだろうし、Bクラスは逆にAクラスに追いつきたい。Cクラスも恐らく同様の理由があるのに加えて、相性的に龍園くんはやりやすい相手を選んだとも言えそうだ。
「要するに、AクラスとCクラスの指名相手が被ってしまっている。そのため坂柳と龍園両名にはじゃんけんで引く者を決めてもらい、勝った者がその後、こちらのくじを引いてもらう」
「おや、それならじゃんけんのみでいいのでは?」
「じゃんけんは心理戦や動体視力の側面もあるらしい。公平性を期すためには適切ではないということだ。なお一之瀬と嬉野には見届け人になってもらいたい。ここまでで質問があるやつはいるか?」
私は真っ先に手を挙げた。
確かにくじ引きはじゃんけんより公平だろう。
だけどそれは、くじの中身が公平であったならの話。
中身を確認されたら不正が露呈するからそんなお粗末な仕掛けはしないだろうけど、月城理事長代理の影がどうしてもチラつくため、確認はしておきたい。
「このくじはどなたが用意されたのですか?」
「ここにいる教師4人によって作られたものだ。中にはBクラスと書いた紙が1枚とDクラスと書かれた紙が1枚入っている。もし不審に思うなら、くじ引き後に確認してもらって構わない」
「もし違っていたら、やり直しってことですよね」
「絶対に間違いはないが、その通りだ。……しかし、やけに慎重だな。嬉野の気に障ることをした覚えはないが、俺たち教師はそんなに信用ならないか?」
真嶋先生が少し悲しげに肩を落とした。
私は慌てて、両手を顔の前で振る。
「い、いえっ、すみません……。試験があれだったので、どうしても疑い深くなってしまって……」
「……確かに、そういうものか。今回の特別試験の難易度は異常だったからな。そういえばDクラスは満場一致を避けたのだったか。嬉野は―――いや、すまない。今はそれよりすべきことがあるな」
先生は話を切り上げ、2人にじゃんけんを促す。
結果は龍園くんの勝利。でもそれ自体に意味はない。
真嶋先生の持つ箱の中に手を入れ、取り出す。現れた紙に書かれていたクラスはD。つまりAクラスがBクラスと、CクラスがDクラスと対戦することがこれにて決定した。
「ふふ、どうやら私は運がいいようですね。わざわざ私の代わりにくじを引いていただきありがとうございます、龍園くん」
「……チッ、うぜえ女だ」
「こら、龍園くんお口が悪いよ」
「うぜえ女がここにもいるな。俺は帰らせてもらうぜ」
私を睨みつけて、龍園くんはこの場を去っていく。
「いいんですか? 真嶋先生」
「まあ、構わない。くじ引きを終えた時点でお前らをこれ以上拘束する理由も無いからな。解散を言い渡そう」
その言葉を聞くと、坂柳さんは身を翻す。
どうやら特にお話する気もないらしい。
だけど私の中で、ひとつだけ疑問が頭をもたげる。
「坂柳さん、ちょっと聞いてもいい?」
「はい? いかがいたしましたか嬉野さん」
「……坂柳さんのクラスは、満場一致で試験を終えたんだよね。それはどうしてなの?」
「どうして、と仰いますと?」
「……私は坂柳さんのことあんまり知らないけど、なんとなく、坂柳さんなら試験の裏側にも気付いたんじゃないかなって思ってる。でも満場一致で終わらせたって聞いて、どうしてか分からな―――」
「嬉野さん」
言葉を遮るように、坂柳さんは私の名前を呼ぶ。
その瞳にはぞっとするほど冷酷な色が宿っていた。
「確かに、私はこの試験の裏に気付きました。ですが戸塚くんは私のクラスを妨害した。そのような者に慈悲を与えるつもりなど私にはありません」
「……それは、でも、そういう課題だったから」
「その割にはBクラスもCクラスも、そのペナルティを呑んでクラスに貢献しようとしていました。嬉野さん、あなたのクラスもそうだったのでは?」
「…………」
「フフ、沈黙は肯定と受け取りますよ」
「……私、坂柳さんとは約束を交わしたはずだけど」
「ええ、船上試験の際ですね。もちろん覚えています。ですがこれは私怨で貶めているわけではございませんし、彼もただちに退学するわけではない。他クラスから口出しされる謂れはありません」
確固たる主張を前に、私は何も言い返せない。
そのタイミングで真嶋先生が間に割って入ってくる。
「あー、いいか? この空き教室はすぐに施錠する。話すのは自由だがせめて他の場所でお願いしたい」
「……ごめんなさい。分かりました」
「では、私はこれで失礼いたします」
これ以上話すことはないと言うみたいに、坂柳さんはまた私に背中を向ける。
他クラスのやり方に口出しすべきじゃない。
……確かにその通りで、私は心の中にどこかもやっとした感情を抱えながらもそれを見送るしかなかった。
*
先生方より先に、私と一之瀬さんは揃って空き教室を後にする。
ただ……どこか、空気が澱んでいて私は身じろぎした。
私の背後を、口を噤んだまま着いてくる一之瀬さん。その表情は普段の快活な様子とはほど遠く、私はどうやって声をかけようか、少し途方に暮れる。
ただ幸いにも、その時間は長くはならなかった。
「……ごめん、嬉野さん。ちょっとこの後いいかな?」
呼ばれて、私は背後の一之瀬さんに振り返る。
その様子から見るに長くなりそうだった。
「もちろんだよ。ただ、少し待ってもらってもいいかな? もしかしたらクラスのみんながまだ待ってくれてるかもしれなくて。みんなと話したいこともあるし」
「分かった。それなら私は、廊下で待ってるよ」
「……や、それは悪いし、たぶん真剣な話じゃない? なら……立ち話するわけにもいかないだろうから、一之瀬さんさえよければ、先にどこか落ち着けるお店にいてもらっても大丈夫だよ」
その提案に、一之瀬さんはこくりと頷いた。
とはいえお店を見繕えるほどの心の余裕はないはず。
そのため私はお店を指定して、教室の前で一度別れると、気持ちを切り替えてDクラスのドアを引く。
すぐに私に集まる視線の数々。
どうやら高円寺くん以外は待ってくれてたらしい。
「次の試験の対戦相手、どうなったかしら?」
開口一番に堀北さんは私にそう尋ねる。
「希望通りCクラス相手になったよ。といっても試験の内容はまだ分からないし、油断は禁物だけど」
「それでも希望が通ったことは大きいわ」
「まあそうだね。……それより、みんな待ってくれてたのは、話したいことがあったってことでいいんだよね」
私は教室内を見回し、最後に篠原さんに目を向ける。
まだリーダーとして解消すべきことが解消できてない。私としてもみんなに伝えたいことがあった。
けれどそれに先んじて、篠原さんが立ち上がる。
その瞳は気まずそうに揺れながらも、しっかりと私を見た。
「……結果的に、嬉野さんの判断が正しかったんだよね。だから……なんていうか、その……ごめん。何も分からなかったのに文句ばかりで、ごめんなさい」
その謝罪に、私はやっぱり頭を横に振る。
「ううん、謝らなくていいんだよ。私がリーダーとしてまだまだ未熟だった。今回はそれを痛感してる」
「……ひまちゃん」
「……あまり自分で、こういうことは言いたくないんだけどさ、確かに私は人より頭良いと思う。今回みたいに、みんなが気付けないことを真っ先に気付けることは、少なくないかもしれない」
それは否定し難い事実。
否定したらかえって話が拗れてしまう。
「でもそれは当然だと思う。私はDクラスのリーダーとして、みんなを引っ張っていかないといけない」
一之瀬さんも龍園くんも、坂柳さんも手強い。
少し優秀なだけじゃ彼らには届かない。
それこそみんなを置いてけぼりにするぐらいの力がないと、他クラスのリーダーとは張り合えない。
「ただ、……それとは別の話でさ。私だって1人の人間だよ。みんながクラスの一員として私に疑いを持つことは正しいと思うし、その点は私が力不足だったってさっきも言った通りだけど、……でもやっぱり、色々言われて何も思わないわけじゃない。私にも傷付く心はある」
そう言うと、篠原さんは申し訳なさそうに目を伏せる。
私はもう一度、頭を横に振った。
「謝ってほしいわけじゃない。……私が言いたいのはさ、ちょっと気恥ずかしいことなんだけど、みんなに支えてもらいたいんだ。私はリーダーとしてみんなより出来ることが多いかもしれないけど、それでも、みんなから認めてもらえないのは辛い。みんなの支えがあった方が心強い」
篠原さんたちが私に向ける感情の奥底には、きっと一方通行な関係が嫌だという思いがある。
それを読み取れないなんてことはない。
だけどこれはその気持ちを充足させるための舌先三寸なんかじゃなくて、嘘偽りのない本心のつもりだ。
「もちろん、無条件で支えて欲しいっていうわけじゃないよ。みんなに信じてもらえるように私も努力する。……だから、私もみんなもクラスの一員として支え合えたらなって思うんだけど……だめかな」
私は怖いのをねじ伏せて、みんなの表情を伺う。
最初に教室を満たしたのは沈黙。
けれどそれを打ち破るように須藤くんが立ち上がる。
「あたりめぇだぜ、そうだよなお前ら!」
「うん、僕もそうありたい。嬉野さんがそう言うなら、僕たちにもできることはまだあるってことだから」
「私も賛成だよっ! 嬉野さんにはいつも助けてもらってるし、今度こそ私たちが支える番だよね。みんなもそう思わない?」
櫛田さんが明るく笑いかけると、教室のあちこちから賛同の声が上がる。
「私、前にも言ったよね。何も言えないことでも、何も言えないって言って頼っていいんだよって。……だから、今みたいに頼ってくれたの、すっごく嬉しい」
「……ここちゃん」
「えへへ。これからはもっと頼ってね。私にも力になれる部分があるなら、ひまちゃんの力になりたいから」
その笑顔を見て、胸の奥がじんわりと温かくなる。
私は別に、みんなを頼りたくないわけじゃない。
みんなを守りたい気持ちはきっとこれからも変わらないし、その気持ちと、みんなを頼ることが矛盾するものでもないことはずっと前から分かってる。
でもそれを改めて口にして、ようやく、分かり合うための大きな一歩を踏み出すことができた気がした。