その後ここちゃんたちからお昼ご飯に誘われた私だったけど、私にはこれから予定がある。
そのことを正直に伝えるとここちゃんは少ししょんぼりした様子で、でも最後には快く送り出された。
私が指定したお店は、最近、ケヤキモールの空きテナントに入ったばかりのカフェ。隣接する姉妹店のパン屋さんと行き来ができるようになっていて、出来たてほやほやのパンが食べられるということで、しばしば話題に上がっていたお店だった。
なおこの時間だと、今日みたいに特別試験があった場合を除けば生徒は校内に留まっている。その関係もあって夕方までパン屋さんの方は開店していないものの、カフェのほうにもサンドイッチやケーキなどの販売はされているため都合が良かった。
ちりんという鈴の音を立ててドアを引くと、レジの近くに佇んでいた店員のおじ様が恭しく礼をする。
その一挙一動は当然のように様になっていた。
「いらっしゃいませ、お嬢様」
「すみません。友達を待たせてて」
「かしこまりました。お席こちらでございます」
その案内に従い、私は一之瀬さんの前に腰を下ろす。
おじ様はその手にいつのまにかおしぼりを持っていた。
「どうぞごゆっくり、お寛ぎください」
そのままメニューを置き、音もなく戻っていく。
2人きりになると私は思わず言葉をこぼした。
「……なんだか、すごい店員さんだよね」
「あはは、……うん、なんか執事さんみたい」
一之瀬さんも少し表情を緩め、おしぼりを手に取る。
すぐに本題の話に入っていくことはない。
私たちはひとまずメニューを見て、さっきの店員さんに、それぞれ軽食と紅茶のセットを注文する。
「……それにしても、素敵なお店だね」
「うん、最近できたばっかりだけど評判良いみたい。特にベーグルが種類豊富で美味しいんだってさ」
「来たのは初めて?」
「そうなるかな。でもなんとなくいいお店だって確信してたから、腰を据えて話すならここかなって。そしたら大正解。お嬢様なんて初めて言われちゃった」
しかも紳士な、ロマンスグレーの店員さんに。
私だって大人ぶってるけどまだ多感な時期だ。
そういうのに嬉しくなってしまう気持ちは抑えられず、一之瀬さんの前で思わず表情筋を綻ばせる。
本来なら落ち込んでる子の前でそんな仕草はしないけど、一之瀬さんにはそれが逆に良かったらしい。
くすりと笑い、緊張がほぐれたように見える。
やがてサンドイッチと紅茶が運ばれてくるまでもその様子は続き、比較的和やかなまま本題へと移る。
「先生から聞いたの。Dクラスは誰もペナルティを受けずに試験を終えたって。詳しいことは当然話してくれなかったけど、たぶん嬉野さんは、試験の裏側にあったものに気付けたんだよね?」
「……ギリギリではあったけど、そうだね」
一之瀬さんはやっぱり、という表情を私に向ける。
「……私は全然、気付けなかった。そのせいで千尋ちゃんがペナルティを受けた。……坂柳さんに言われちゃった。私はリーダー失格だって」
「…………」
「本当にその通りだなって思った。でもだからって、今更みんなの期待を跳ね除けるわけにはいかない」
そう言って、一之瀬さんは一度言葉を切る。
けれど俯くことはなく、何かを決意したようにまっすぐ私を見つめた。
「だから……クラスが違う嬉野さんにこんなことお願いしても困らせちゃうだけかもしれないけど、どうしたら今回みたいな落とし穴に気付けるようになるのか、……教えてもらえないかな」
一之瀬さんみたいな子は、弱さを人に見せるのが苦手だ。
それが今は、クラスという垣根を越えて私に心を開いてくれている。その事実を嬉しく感じて、当然応えたくなる一方で、事はそう単純にいかない。
「……一之瀬さんが相手だから正直に言うけど、教えるっていっても、……たぶん適性が大きいと思う」
要は、悪知恵に似た何かが働くかどうか。
普通に生きていたら意識する機会なんてないルールの抜け穴。綾小路くんや私、坂柳さん、龍園くんにとっては特に意識する必要もない思考回路とは、模範的な優等生であればあるほど隔たりがある。
これはどっちがより優れているかとか、お互いを比較するような話じゃなくて、向き不向きの話だ。
それでもこの学校では、その思考が必要。
だからこそ船上試験では堀北さんに私の近くで動いてもらったものの、今回の試験では、堀北さんはまだ試験の裏側に近づくことができなかった。
短時間では今までにない考え方に順応できない。
だけど一之瀬さんは今、それを必要としている。
次の試験で白波さんを退学にさせないために。
「……とりあえず、私が今回考えたことを話すね」
悔しいことに、私ができることはほとんどない。
これが無人島試験や船上試験のように、4クラス合同の特別試験だったならどれほど良かっただろう。試験の途中で私も協力する余地はあったはずだ。
でも次の特別試験はA対BとC対D。
そこに私が介入する余地はほとんどない。
だからここで私ができたのは、今回の試験の裏側にどうやって気付けたのかを伝えることと、先生の言葉など注視すべきところを挙げるのみに留まる。
「……こんなところ、かな。私も退学者は出したくないから、協力できることは何でもしたいけど……」
「……ありがとう。私も自分で考えてみるね」
一之瀬さんはそのまま思考に没入する。
独りで考える時間も必要だろう。
私は断りを入れて2人分のお会計のために席を立つ。
するとすぐに目の前に現れる先ほどの店員さん。瞬く間に決済も終わり、私は一之瀬さんに視線を向ける。
「すみません。考え事みたいで、もう少しお店にいても大丈夫ですか?」
「もちろんでございます」
「ありがとうございます。ご飯、美味しかったです」
お礼を伝えると、店員さんは柔らかく微笑む。
また来ますと心の中で口にして、私は席へと戻った。
*
その日の夕方、私には2通のメッセージがあった。
ひとつはここちゃんから、もう片方は池くんからだ。
ただ今日は平日。仕事があるためすぐには返信できず、休憩時間の内に、既読をつけず要件だけ確認する。
いずれも今回の試験に関しての告白だった。
試験直後、みんなの顔を見ながら種明かしをした私にはなんとなく目星がついていたけど、2人にはその予想と違わず課題が課せられていたらしい。
ちなみに設問の偽装が池くん。
設問4における満場一致の阻止がここちゃんだ。
最終的に、先生は設問におけるどのセンテンスがどう偽装されていたか明かしたものの、個人課題を誰に与えたかは明言しなかった。クラスでも犯人探しのようになることを避けるため深掘りしない方向で話がまとまったものの、罪悪感のため個別で私にメッセージが送られてきたという流れみたいだ。
いずれにせよ短い休憩時間の間に終わらせられる話題ではないから、私はまずは自分の仕事に集中する。
それが終わったのが午後9時ごろ。
私はぐーっと伸びをして体の疲れを逃すと、夜ご飯の準備をしながらようやくメッセージに既読をつけた。
まずは先に来てたここちゃんから。
『気にする必要ないよ。むしろ最後の投票先を切り替えてくれて助かった。ここちゃんのおかげで、裏でどんな試験が動いているのか確信が持てたから』
最初は賛成2票と反対38票だった。
賛成に票を投じたのは私と綾小路くん。きっとここでは、ここちゃんはクラスの足を引っ張るのを恐れて、クラスのために反対に票を投じてくれた。
最後の投票も同じ結果だけど、内訳が違う。
綾小路くんには反対に票を投じるようお願いした。
それでも賛成票が変わらなかったということは、誰かが反対から賛成へと、票を切り替えたということ。
この結果はあの時点で予測していた。
そもそも、設問の偽装程度では、リタイアのリスクを犯してまで試験の指示に逆らうインセンティブは働きにくい。月城理事長代理にとっては退学者を出すには不確実性が強く、となると本命は別にあると考えないといけない。
―――じゃあ、本命はどこ?
そう考えた私の脳裏にチラついたのが、やけに簡単な設問4。
もしそれ自体が罠だったとしたら?
私が月城理事長代理の立場だったら、クラスのことを考えて指示に逆らうクラスメイトの心理を見越して、ここにペナルティを与えるための課題を置く。
その推測が立ったら、あとは検証するだけ。
最初の投票では反対に票を入れてくれた誰かが賛成に入れ直せば、その課題の存在が完全ではなくとも立証できる。
だから最後の投票前、私はこう言った。
―――私にとっては何よりも、みんなが部分に卒業できるのが一番嬉しい。
みんなに試験の内容を明かさず、そして課題を与えられた誰かを名指ししたりするわけでもなく、表向きは気持ちの吐露としか受け取れないような言葉。
その意味をここちゃんはそのまま汲み取ってくれた。
『私も、ひまちゃんと一緒に卒業したいもん。……でもそのせいで、クラスポイントは……』
すぐに既読がつき、返事が返ってくる。
仕事はもう終わっているから私はそれに即応した。
『それはいいの。クラスポイントなんてまだまだ取り返せる。それより今回はここちゃんがペナルティを負わないことが大事。だから私の考え通り、試験のことも明かさないでくれててありがとう』
ここちゃんの気持ちを考えれば、私がみんなに何も話さなかったことで反発されていたのを前にして、試験のことを明かして助けたかったはずだ。
その存在が明らかになればみんなの反発は消える。
だけどそれを、ここちゃんはしなかった。
私がみんなに何も話さない気持ちを汲んでくれた。
そんな気遣いがあって、私は試験を無事に終われた。
だから感謝してもしきれない。
その後は何通かやりとりを続けて、ようやく気が晴れたのか、可愛らしい笑顔のスタンプが送られてくる。
次は池くんにも返信しないと。
そう思った直後、私のスマホが大きく振動した。
私は返信を中断して画面を耳に押し当てる。
「もしもし、綾小路くん?」
『突然悪いな。仕事は終わったか?』
「うん、さっき終わったところ。どうかしたの?」
私が尋ねると、少し間が空く。
基本的に返事が早い綾小路くんには珍しいことだった。
私はちょっと心配になりながらも返答を待つ。
『……そうか。今から、部屋に入ってもいいか?』
「今から? 別に、大丈夫だけど……」
『なら、直接会って話したいことがある』
普段より一層、その声は真剣に聞こえた。
次回、綾小路視点(予定)です