体育祭まではまだ半月強もの期間が残っている。
それでも十三競技の内全員参加の種目は九つもあり、また男子は棒倒し、女子は玉入れ、他にも騎馬戦や二人三脚などチームワークが求められる競技も多い。そのため練習期間は決して余裕のあるものではなく、授業の中でも体育祭に向けた練習が本格化していて、今日の体育の時間は二人三脚の練習に充てられることになった。
また今回の体育祭では、通常の二人三脚に加え、推薦競技の男女混合二人三脚も種目として用意されている。どちらもやり方だけは単純な競技だけど、実際にやってみるとこれがなかなか難しい。
運動神経が良ければいい、というものでもない。
むしろ大切なのは、お互いの呼吸を合わせること。どれだけ足が速くても、隣にいる相手と歩調が合わなければ、まともに前へ進むことすらままならない。
特に男女混合ともなると、体格差それ自体や歩幅が違いすぎるから、より息を合わせないといけない。
「それじゃあ始めましょうか」
「うん、よろしくね」
私の最初の練習相手は堀北さん。
私を除けば、Dクラスの女子で一番身体能力が高い。
つまり理屈の上では女子同士で最速を目指せるペアということ。
私はお互いの内側の足首を専用のバンドで固定して立ち上がると、待たせていた堀北さんに視線を向ける。
「まずは私のことは気にせず、自分のペースで動いてみていいよ」
「自分のペース?」
「うん。歩いても走ってもいいし、速さも堀北さんに任せる。私はそれに合わせるつもりだから」
堀北さんは訝しげに眉を寄せた。
「本当にいいのね? 転んでも知らないわよ」
「大丈夫大丈夫。そう簡単には転ばないよ」
「……そう。なら、遠慮はしないわ」
言うが早いか、堀北さんは勢いよく足を踏み出す。
最初からかなり速い。
普通ならいきなり引っ張られた相手はそのまま体勢を崩してしまうだろう。けれど私は、堀北さんの重心や足の移動、そして呼吸に合わせて足を運ぶ。
一歩、二歩、三歩。
堀北さんが速度を上げれば、私も上げる。
相手の歩幅が変われば、それに合わせて自分の歩幅を調整する。
足を踏み出す瞬間、体重が移動する方向、次の動作に入るまでの僅かな間。そうしたものを感じ取りながら動けば、合わせることに関して特に困らない。
元々この手の競技は私の得意分野だ。
二人三脚自体の経験は初めてだけど、相手の呼吸を読むことについては普段の仕事で体に染み付いている。
「……っ」
隣から小さく息を呑む音が聞こえた。
やがて堀北さんは歩調を緩め、立ち止まる。
「あなた、本当に合わせられるのね」
「これなら女子の種目としては1位狙えそうだね。堀北さんが私のペースに合わせられるなら、もっと周りに大差をつけてゴールできると思うんだけどな」
「……言ってくれるわね。なら今度はあなたのペースで進むといいわ」
「分かった。でも途中で無理なら無理って言ってよ」
私はまたしゃがみ込み、バンドに緩みがないか確かめる。こうした些細なことが怪我を防ぐのに大切だ。
特に不具合がないのを確認し終え、立ち上がる。
その瞬間、少し離れたところから大きな声が聞こえてきた。
「だから、もっと足上げろって!」
「上げてるだろ。お前が速すぎるんだよ」
「いやいや、これでも抑えてんだぜ!」
聞き覚えのある声に顔を向けると、そこには須藤くんと三宅くんの姿。二人も二人三脚の練習をしているようだけど、どうにも上手くいっていないらしい。
須藤くんが先へ進もうとするたびに三宅くんの体勢が崩れ、慌てて足を止める。それを何度か繰り返すうちに、須藤くんの表情には苛立ちが浮かんでいた。
「あっちは苦戦しているようね」
「……そうみたいだね。ごめん、ちょっと待ってもらっていい? 須藤くんを大人しくしてくるから」
「構わないわ。本当に、あなたも苦労人ね」
その指摘に私は肩を竦め、バンドを外す。
須藤くんたちのほうに近付くとすごく険悪ではないものの、お互いわだかまりを抱えている様子だ。
三宅くんの身体能力は決して低くない。
むしろ、Dクラスの中では高いほうだと言える。
だから目先の課題は、須藤くんに合わせ方を教えること。
「須藤くん、ちょっといい?」
「あ? あ、ああ、ひまりか。何の用だよ」
「推薦競技の男女混合二人三脚は出るでしょ? 私も出るし、良かったら一旦、私と組んでみない?」
「俺は邪魔か? 嬉野」
「ううん、三宅くんにもちょっと見てて欲しい」
そう提案すると三宅くんは頷き、バンドを渡してくれる。
須藤くんは少し恥ずかしがりながら棒立ちした。
すぐに準備を終え、私は声をかける。
「じゃあやろっか。転ばないように気をつけてね」
「それは俺のセリフだぜ。ひまりこそ―――うおっ?!」
返事を待たずして、私は足を前に出す。
須藤くんの体がぐらりと傾いた。
それでも構わず次の一歩を踏み出すと、須藤くんは慌てて足を動かす。すぐに動きに食らいついてくる。
「お、おい! ちょっと待てって!」
「まだまだ行くよ須藤くん」
「ちょ、急すぎだろ……!」
足を早めると、また少し動きがずれる。
それでも少し遅れてまたペースが合わさった。
「うん、いい感じ。じゃあ一旦止まろっか」
少しずつ足を緩め、私たちは揃って停止する。
そのまま足を縛っていたバンドを外して、私は三宅くんのほうに戻りがてら、須藤くんに声をかける。
「今ので相手に合わせることの大変さが分かったんじゃない? 須藤くんは私より体格が大きい分、歩幅も広いから強引に合わせられる部分はあったけど、一緒に組む相手が高円寺くんでもない限り須藤くんの方が一歩が大きいのを理解しなきゃいけないよ」
「……そうは言うけどよ、俺は妥協したくないぜ」
「急がば回れ、だよ? まずはペースを合わせて、そこからだんだん上を目指していけばいいの。バスケのパス&ランだって、初心者だっていうのに試合中でも通用するようなスピード感からは始めないでしょ?」
喩えを交えると、須藤くんはようやく納得を示す。
やがて元の場所に戻るとそのまま軽く頭を下げた。
「……悪い、三宅。俺がヒートアップしすぎてたぜ」
突然の心変わりに、三宅くんは少し驚いた様子で私を見る。
だけど何があったのか説明するのは野暮というもの。
私は安心しながら最後にひとつ提案する。
「これは今思い付いたことなんだけど、良かったら、三宅くんはいちにーいちにーって声に出しながら足を動かしてみて。須藤くんはその声に合わせて、最初は意識しながら三宅くんとは反対の足を出す。そうしたらだんだん動きが体に染み付くようになってくると思うよ」
「確かに良さそうだな。ひとまずやってみることにする」
「うん、お願い。須藤くんも分かった?」
元気な返事が返ってきて、私は満足する。
周りを見渡すと他の子たちも苦戦している様子だったけど、堀北さんをずっと待たせてばかりいるわけにもいかないし、まずは自分のを終わらせてから。
堀北さんの元へ戻るとすぐに準備を始める。
「彼、最優秀賞を狙っているらしいわよ」
「須藤くんが? ……なるほど、通りで熱くなってるわけだね」
体育祭ではクラスポイントの増減は無いものの、それとは別に、最優秀賞の枠が四つ存在する。
うち一つは全学年のうちのトップで報酬は10万pr。
それ以外の三つは各学年で、報酬は1万pr。
最優秀賞をとる大変さと比べると報酬は控えめだけど、その賞をとること自体がカッコよくはある。
なにせ全ての個人競技と二種類の二人三脚に出場した上で、最高得点を得ないといけない。
私が知っているだけでも堀北会長と南雲副会長がトップ争いをするだろうから、二人を差し置いて一位に輝くためには、ほぼ全種目で一位がマストだ。
「私も負けてられないな」
私の心にも火が灯る。
プライベートポイントは欲しいし、副会長に支配されてる二年生の先輩方に、実力を見せつけるいい機会。
それを逃すなんてもったいなかった。
*
それからの日々は、まさに体育祭一色だった。
体育の授業はもちろん、放課後にも自主的に練習する子たちが増え始め、最初はぎこちなかった二人三脚や綱引きも、日を追うごとに形になっていく。
特に須藤くんの熱意は凄まじかった。
最優秀賞を狙うと決めているだけあって、授業が終わってからも三宅くんを誘って練習を重ねていたし、時には私にも付き合ってほしいと頼んでくる。もっとも、以前のように自分のペースを押しつけることはなくなり、相手の歩幅を意識して走る姿が見られるようになった。
堀北さんとの二人三脚も順調そのもの。
最初こそ私のペースに合わせるのに苦戦していたけど、何度か練習を重ねるうちに息が合うようになり、今ではかなりの速度で走れるようになっている。
もちろん私自身も負けてはいられない。
早朝のランニングを日課に戻し、少しずつ運動量を増やしていく。鈍っていた体も徐々に感覚を取り戻し、以前のように思い通りに動かせるようになってきた。
……とはいえ、まだ万全とは言い難い。それでも、残された時間でできる限りの準備はしたつもりだ。
そんな風に慌ただしくも充実した日々を過ごしているうちに、気付けば半月あまりの時間は過ぎ去っていた。
特別試験の影響で私の身の回りに訪れた禍根は、それ自体が完全に無くなったとは言い切れないものの、影響は残っていない。他に強いて不安要素を挙げるなら清隆くんからまだ良い返事を貰えてないことだけど、思うことがあるのは分かるしそっとしておくことにする。
―――そして、体育祭当日が訪れる。
その一方で。
私の知らないところでは大人たちの思惑が蠢いていた。