君のことをもっと教えて   作:花音ゆず

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第20話

 ふと、人の気配がして、私は目が覚めた。

 

「んむぅ……」

 

 布団の中で何度か身じろぎして、重いまぶたを擦る。そうしていく内に少しずつ視界が鮮明になっていき、私は立ち上がって洗面台に向かう。その最中、私は玄関先の台所に立つ櫛田さんの姿を認めた。

 ジューっと卵がフライパンの上で焼ける音に、お味噌の甘い香り。そして炊飯器からたちのぼる湯気。

 

「……んんっ?!」

 

 私が驚いて素っ頓狂な声をあげると、気付いた櫛田さんが私に振り返って笑顔を見せる。

 

「あ、おはようっ。嬉野さん」

 

 なんで櫛田さんが私の部屋に?と記憶を辿ると、私が招き入れたんだった。いやそれにしたって変だ。私は夢の続きでも見てるんじゃないかと思って、頬を強く引っ張ってみる。でも目の前の光景は変わらない。

 

「……いひゃい」

 

 なるほど、どうやら夢じゃないみたい。

 私は少し赤くなった頬をさすりながら声をかける。

 

「な、何をしてるの櫛田さん?」

「嬉野さんすごい疲れてるみたいだったから。早く起きちゃったし、朝ごはん食べて元気になって欲しいなって思ったんだけど……迷惑だったかな?」

「ううん、迷惑とかじゃないんだけど」

 

 普通に意味が分からない。例えば2人ひと部屋の寮で、櫛田さんがルームメイトだったりしたらこの状況にも納得がいくんだけど、そんな事実はなかった。

 

(……てか、私お米とか買ってないけど)

 

 それどころか、冷蔵庫をほぼ使ってない。冷凍庫に食パンが入っていただけだった気がするんだけど、相変わらず炊飯器は何かを炊いているし、お豆腐とわかめの入ったお味噌汁は火で温められている。ついでに今にも綺麗に焼き上がりそうな目玉焼きは間違いなく本物で、私は不思議な気持ちでじっと見つめた。

 その視線を勘違いしたのか、櫛田さんは「ちょっと待っててね」と言うとお味噌汁の味を確かめる。

 

「うん、美味しくできたかな」

 

 おたまを置いて満足そうに笑う櫛田さん。

 冷静に、私は状況整理を放棄した。

 

(と、とりあえずテーブル用意しないと)

 

 押入れから折りたたみ式のテーブルを引っぱり出して、部屋の中央に置く。するとすぐに、私1人分の朝ごはんがそれぞれお皿に乗って運ばれてくる。

 

「あれ? 櫛田さんは?」

「ううん私は良いかな。そんなことより温かい内に早く食べよう? 冷めちゃうともったいないよ」

「あ、うん……」

 

 促されるまま、私は目玉焼きの白身を箸で切り分けて口元に運ぶ。ふっくら系ではなくパリッと系だ。噛むとお醤油の香ばしさが鼻を抜ける。次にお味噌汁を一口飲んでみると、白味噌特有の米麹の甘みを感じた。体がほっこりと温まり、私はつい頬を緩める。

 

「……美味しい」

「うん、お口に合ったみたいで良かった。少しはおかわりする分もあるから好きなだけ食べてね」

 

 櫛田さんは私と向かい合って座りながらそう言った。相変わらずわけが分からない状況だけど、とりあえず考えるのをやめた私は素直に頷いて箸を進める。

 

「う、うん。分かった。けどこの材料って……」

「安心して? 嬉野さんの部屋の冷蔵庫は勝手に開けてないよ。材料は私の部屋から持ってきたんだ」

 

 なるほど、そういうことだったんだ。

 とりあえず材料どこから問題は解決した。

 

「……あの、材料費代送るね」

「いいよいいよ。これは私のお節介だもん。気にしないで。それより、ちょっと気になったんだけど、嬉野さんってもしかして普段は自炊とかしないの?」

 

 調理器具とか、調味料とか、最初から備え付けの最低限のものしかなかったからと櫛田さんは言う。

 

「まあ、うん。朝ごはんはいつも食パンだけ」

「ええっ?! なんか、嬉野さんがすごいポイント残せてるのって、そういうことだったの?」

「節約の一環だね」

 

 本当は、自分を幸せから遠ざけるためにやったことの1つだけど。そんな馬鹿らしいことを正直に言えるはずもないから、私は適当なことを言った。

 

「節約は偉いけど、無理はしないでね。特に朝ごはんって大事だよ? 午前中に活動するエネルギーになるんだもん。中学の家庭科の受け売りだけどね」

「そうだね、肝に銘じておこうかな」

 

 私は素直に頷きながら箸を動かす。

 櫛田さんは嬉しそうな表情でそれを見てくる。

 

「えっと……櫛田さん? あんまり、食べてるところ、じっと見られるのは私も恥ずかしいな……」

「あっ、ごめん。嬉野さんがすごい美味しそうに食べてくれるものだから嬉しくなっちゃって。じゃあそろそろ私は行くね。そんなにはないけど、残った分はなるべく早くに食べ切るようにするんだよ?」

 

 まるでお母さんみたいなことを言う櫛田さん。

 私はお見送りするために一度お箸を置いて、玄関先に向かう。それから1つ、大事なことを思い出した。

 

「……あの、櫛田さん」

「ん? どうかしたの?」

「まだ言えてなかったから。昨日は相談に乗ってくれてありがとう。おかげで気分がすっきりだよ」

「どういたしまして。また何かあったら気軽に相談してねっ。嬉野さんから頼られるの私も嬉しいから」

 

 扉が閉まり、静けさが戻る。

 だけどまだ湯気の立つお味噌汁や、目玉焼き、それにご飯は変わらず部屋に残っていた。

 

 

 

 

 

 

 教室に入ると、今日は試験当日なこともあってか大半の生徒が登校していた。廊下からちらりと見た限りでは他クラスの生徒は今も机に齧り付いていたけど、私たちDクラスには余裕の空気が流れている。それは過去問があるからこそのものだけど、同時にそれは、3週間私たちが積み重ねてきた努力を裏付けていた。

 そんな中で、過去問を見ながら友達と喋っている櫛田さんの姿が視界に入る。櫛田さんも気付いたのか私に小さく手を振った。私は口早におはようと返す。

 

 それからすぐに、今もなお真剣に過去問に取り組んでいる須藤くんを横目に、私は数学のノートを開いた。過去問に関しては解答の数字や配点に至るまでを覚えているけど、数学は特に積み重ねの科目だから、私は問題の理解をするために板書をよく振り返る。

 そうしている内にクラスは更に騒がしくなったけど、始業のベルが鳴ると、みんな席に座った。その後すぐにやってきた茶柱先生は私たちを一瞥して、

 

「この3週間、私も教師なりにお前たちの立ち振る舞いを見させてもらったが、見違えるほど面構えが変わったようだな。酷い態度がようやく真っ当になっただけとは言えど、その努力は少しばかり褒めてやろう」

 

 先生なりの賛辞が私たちに送られる。

 だけど甘いことばかり言う人じゃない。

 

「だがこれは試験だからな。結果が全てだ。この3週間どんなに努力をしようと赤点を取れば意味がない」

「お言葉ですが茶柱先生。今回の中間考査で退学になる人はこのクラスには1人もいないと思いますよ」

「ほう? それは大きく出たな平田洋介。このDクラスは学力的にも低い生徒が多い。普通に解いていれば何人かは赤点確実だろうと私は考えていたのだが」

 

 普通に解いていれば、と先生は言った。

 やっぱり教師の発言にはヒントが散りばめられている。ここでは、そう思うのは考えすぎじゃない。

 

「無駄話はここまでにしておこう。ではこれから問題用紙と解答用紙を配布する。机の上に出していいものは筆記用具だけだ。手も私に見えるようにして待て」

 

 その言葉と同時に、場の緊張感が何段階も上がった気がした。どれだけ自信があっても試験というだけで緊張するもの。私は深呼吸をして頭を冷やす。

 少しすると問題用紙、解答用紙ともに全体へといき渡り、掛け時計の針が動く音だけが教室に響く。

 

「―――始め!」

 

 やがて、合図と同時に私は問題用紙をめくる。

 まずは過去問との整合性を確認するところから。一見すると分からないよう、選択肢の一部のみを微妙に変えている可能性も考えられなくはないから、私は隅々まで目を通して、最後に安堵の息を吐いた。

 ちゃんと一語一句過去問通りだったみたいだ。

 私みたいに過去問の解答をしっかり暗記してきた子は、今は内心、歓喜の声をあげてるだろうと思う。

 

 

 

 

 

 

 そうして、長い1日が終わった。

 

「っしゃー! 楽勝だったぜ!」

 

 勉強の苦手な池くんや山内くんも雄叫びをあげ、須藤くんもやり切ったという表情を浮かべている。

 これなら赤点の心配はなさそうだ。私が肩の荷をおろしていると、茶柱先生が帰りのホームルームのために早めにやってくる。すぐに自分たちの席へと戻ろうとする私たち。その行動は茶柱先生に止められた。

 

「そのまま気を楽にして聞いてくれ。今日お前たちに受けてもらった中間考査だが、結果は明日の朝のHRで開示する。その後は5科目全部について解説をする予定だから筆記用具等を忘れないようにしておけ。では今日はこれで終わりとする。気をつけて帰るんだぞ」

 

 そう言ってすぐ、先生は退室する。

 いつもの活気が戻った教室。その中で、私はもう一度櫛田さんに感謝する。もし昨日のまま今日この場に臨んでいたら、きっと今も不安だっただろうから。

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