君のことをもっと教えて   作:花音ゆず

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第22話

 ことり、と私と綾小路くんの前に紅茶が置かれると、蜂蜜のような甘い香りが鼻腔をくすぐる。

 

「そういえば、ホワイトルームにはこうした嗜好品の類いはなかったと記憶している。入学してからもう時間は経つけど、紅茶は飲んだことがあったかい?」

 

 理事長は私たちに面を合わせるようにソファに座り、そう言った。カップの中に入った透き通った橙色を見ながら、綾小路くんは「いえ」と返答する。

 

「そうかい。それなら、口に合うといいんだが」

 

 そう促されても、綾小路くんはなかなか手を伸ばそうとしない。その隣で、私はいただきますを言ってから、カップの縁にそっと唇をつける。すぐに感じたのは舌の上を滑るような滑らかさ。渋みが極めて控えめで、黒糖のような深いコクと甘みが舌を絡めとる。

 

「……美味しい、ですね。砂糖じゃない紅茶本来の甘みが感じられて。私はこれすごい好きです」

「ははは、喜んでくれたみたいで何よりだよ。これは普段はお偉いさんたちとお会いするときにお出ししているものなんだけどね。今日だけは特別だ」

 

 だから秘密にしといてと理事長は言う。

 そこでようやく、綾小路くんもその紅茶に手をつける。

 

「……どうだろうか?」

「美味しいと思います。オレは普通の紅茶を飲んだことがないので、比べることはできませんが」

「そうか。それが本心なら嬉しく思うよ」

 

 これまでの学生生活でも、綾小路くんは表情豊かなほうではない。加えて私と坂柳理事長への警戒心からか、綾小路くんは今、一層乏しい表情をしている。

 その内にある感情は簡単には見破れない。

 だから、坂柳理事長は少し寂しげな様子を見せる。

 

「大丈夫ですよ、先生。綾小路くんはちゃんと美味しいと思っています。でもその上で警戒してるんです」

 

 私の助け船に、理事長は目を丸くする。

 

「―――ありがとう。君がそう言うなら安心だ」

「恐縮です。そういうわけで、早速ですが本題に入りたいと思いますが、よろしいでしょうか?」

「もちろんだ。だけどその前に、綾小路くんに1つだけ確認させて欲しい。君はお父さんが運営するホワイトルームの4期生として、その施設内でこれまでの人生を過ごしてきた。それが最近になって、この学校に入学したいと思えた、その理由を聞かせて欲しい」

 

 なるほど、確かに相手のことを知るのは大事だ。私も坂柳先生も綾小路くんがこの学校に入学するまでの経緯は知っているけど、彼の気持ちまでは知らない。

 

「それに答える必要がオレにありますか?」

「もちろん答えなくてもいい。強制はしないよ。ただ話してデメリットがあるわけでもないはずだ」

「……それもそうですね。端的に言えば、オレはホワイトルームでの生活に飽き飽きしていました。あの施設で学べることはもうほとんど修了した。だからオレは、オレがまだ知らない、そして見たことのないものを追い求めてここにやって来た。それが全てです」

 

 つまり自分の意思でここに来た、ということ。

 誰かに強制されたわけじゃない。

 それを聞いて私も安心したし、坂柳理事長も同様に、安堵した様子で頬を緩めて綾小路くんを見る。

 

「教えてくれてありがとう。では、ここからは僕たちが綾小路くんに話す番だね。とは言っても僕から話すことは少ない。僕の立場はこの学校の理事長だ。それを利用して、願書の提出が締め切りを過ぎていた君が入学できるように取り計らっただけなんだよ」

 

 だけ、と言うけどそれは簡単な話じゃない。

 権力を持つものにはどうしてもしがらみがついて回るものだ。そのくせ、周囲からの反発を招きかねないから、偉い立場にいてもそれを乱用はできない。

 

「なるほど。オレが苦労せず入学できたのはあなたがいたからということですか。ありがとうございます」

「礼には及ばないよ。僕は僕がやりたいことをしたまで。綾小路先生のご子息として生まれてしまったがために、一生涯をホワイトルームの中で過ごすことになる。それは残酷な話だとずっと思っていたんだ」

 

 ちなみに綾小路くんのお父さんは、綾小路くんが勝手に自分の手元を離れたことにも坂柳理事長が綾小路くんの入学を許可したことにも怒ってるらしい。

 それでも綾小路くんがこの学校で普通の生徒として過ごせているのは、坂柳先生が理事長としてこの学校にいるからこそ。他の人ならとっくに元いた場所に戻されている。それは綾小路くんも理解しているためか、坂柳理事長の説明に不信感を抱いた様子はない。

 

「次は私の番だけど、私はお姉ちゃんがホワイトルーム生だったんだ。1つ上だから3期生。そういう事情でホワイトルームのことを知っている感じかな」

 

 その説明を聞き、理事長に視線を送る綾小路くん。

 坂柳先生はすぐさま頷いた。

 

「彼女の言っていることに嘘はないよ」

「なるほど。それで?」

「ただまあ、お姉ちゃんはホワイトルームを脱落しちゃってね。綾小路くんもそういう子たちを何人も見てきただろうから想像がつくだろうけど、精神を病んじゃって、ある時、ついに自殺を図ったんだ」

 

 綾小路くんは特に驚きを見せない。それは、ホワイトルームから脱落した者の末路として考えうる行動の1つでしかないと、彼の栗色の瞳が語っている。

 

「なんとか一命はとりとめたけど、植物状態になった。私が8歳のときだった。それを受けて、妹として、私がどんな気持ちになったか分かるかな?」

「色々と想像がつく話ではあるな」

「そうだね。私はホワイトルームを憎んだ。当たり前だよね、お姉ちゃんをあんなに苦しめたんだもん」

 

 今でもなお、鮮明に思い出せる。

 動かなくなったお姉ちゃんを病室で見て、空っぽになった私の心。それを瞬く間に塗り潰した怒り。

 

 私はホワイトルームを憎んだ。それと同時に、お姉ちゃんがホワイトルームで頑張っていた間、無邪気にもお父さんと幸せに暮らしてた私に腹が立った。

 だから私はもう幸せになんかなってはいけない。

 その思いは今でも色褪せずに残っているけど、そうした裏事情まで一気に話してしまっては混乱させるだろうから、私はその話を今回はお預けにしておく。

 

「ただ同時に、もうこんな悲劇を起こしたくないと思った。だからその日からある仕事を始めたんだ」

「……仕事?」

「ホワイトルームを脱落した子たちは、ほぼ全員が、事情を伏せた上で普通の精神病棟に入れられる。でもそんなんじゃ回復できない。だからまずはそういう子たちが復帰できるようなサポートを始めたんだ」

「当時まだ8歳の子どもが、か?」

「変な話だよね。でも私が適任だった。そもそもホワイトルームの存在を知っていて、彼らの力になりたいと思っていて、そして私にはある才能があった」

 

 彼らの力になりたい。そう思ってすぐに足を運んだ精神病棟で、私は自分の才能を自覚した。

 その時はまだ幸せだった日々からそう時間が経っていなくて、それが漏れ出てたのか心を通わせることはできなかったけど、心を閉ざしていた彼らと多少話をするぐらいなら初対面の時点で無理なく行えた。

 

「それは綾小路くんも肌で感じとっているんじゃないかな。これまでの私のDクラスでの言動も、それから、さっき私は綾小路くんの気持ちも言い当てたと思う。ちなみに綾小路くんの今の気持ちも分かるよ」

「なるほど。相当な自信があるみたいだな」

「これに関しては誰にも負けないかな。そしてこの才能には、精神病棟に同伴してくれた私のお父さんもすぐに気付いた。そこでお願いしたんだ。彼らの心の傷を癒したい、そのために協力して欲しいってね」

 

 お父さんはすぐに、ホワイトルームを知っていて、政府の中枢にいる人物にその話を持ち込んだ。

 そうして私には1つの仕事が与えられた。

 

「それから、私は彼らの―――カウンセリングって言うとちょっと違う気もするけど、ともかくそういうのを仕事にした。それはこの学校に入学してからもやってるから、今度私の部屋に見にきてもいいよ」

「仕事ということはお金を受け取っているのか?」

「一応、政府からね。私は慈善活動のつもりだったけどそこはお父さんが調整してくれたみたいなんだ」

「興味深い話だな。そんな仕事があったとは」

「需要があったから供給が拒まれなかったんだよ。ホワイトルームにいた子の多くは能力的に優れている。日本は少子高齢化で人手不足だから、使えるものなら是非使いたい。でも精神状態があまりに悪かった」

 

 そこに私が彼らをなんとかすると申し出た。

 政府のお偉いさんからしても棚から牡丹餅。だから交渉は難航しなかったとお父さんは言っていた。

 

「なるほど、お前の立場は理解できた」

「うん。それでね、ちょっとここからは綾小路くんにとってすごい寝耳に水だろうけど、私がこの学校に来た理由。それは綾小路くんのためなんだ」

「……オレのためというと?」

「綾小路くんもホワイトルーム生だから。精神的な不調があるなら、私がそれに対処して欲しいっていう仕事が来たんだ。今のところ必要なさそうだけど」

 

 ただ、自覚症状がないという可能性もある。ホワイトルームの悪影響は何らかの形で彼に及んでいるかもしれない。それはまだ観察を続ける必要がある。

 ちなみに、私個人は、この仕事には別の側面があると思っている。綾小路くんのお父さんは綾小路くんがこの学校にいることを望まない。色んな手段を使ってホワイトルームへと連れ戻そうとするはず。私は嬉野総一郎の娘ということでそこに圧力をかけられる。

 

「でもそういうわけだから、何かあったら私を頼ってくれると嬉しいな。もちろんすぐには信用ならないかもしれないけど。相応の努力を私は惜しまないよ」

「状況がやっと読めてきた。つまり、理事長と嬉野はオレの味方だと説明するために、今日この場を設けてくれたということだな? ちなみに嬉野がオレに友達ができるよう取り計らってくれていたのは……」

「仕事の一環かな。友達として、でもあるけど」

 

 やっと私の説明に納得した様子を見せてくれて、私は真面目な態度を崩し、笑顔が溢れてしまう。

 

「そうか。おかげ様でオレは学生生活を謳歌しているところだ。それについては感謝を伝えさせてくれ」

「良いの良いの。綾小路くんが十分に楽しく暮らせてるって事実だけで、私は十分。ただ強いて言うなら、これからも私の友達でいてくれると嬉しいかな」

 

 私はいつかのように手を差し出す。

 いくら私が仕事のためにこの学校にやって来て、綾小路くんがホワイトルーム生だからといって、友達同士でいられなくなるというのは寂しいことだから。

 

「ああ、こちらこそよろしく頼む」

 

 だから握り返してくれる手の温かみが私を元気つける。

 

「話が纏まったようだね。僕も嬉しく思うよ。そしたら、話したいことは山ほどあるけど今日は解散にしようか。あ、綾小路くんは少し残っていて欲しい」

「分かりました。そしたら綾小路くん、話が終わるまで廊下で待ってるね。お昼ご飯ってまだ買ってないよね? もし良かったら食堂に一緒に行きたいな」

「ああ。なるべく早く終わらせる」

 

 そう言う綾小路くんを理事長室に残して、1人で廊下に出る私。理事長は綾小路くんに何の用事があるんだろうか。私にさえ聞かせられないだなんて、相当な事情がありそうで、私はそれを深掘りはしなかった。




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