6月1日の朝。目覚めと同時に、横になったままスマホを手に取った私は、画面に映るポイントの残高を見て天を仰いだ。何度更新ボタンを押してもそこに変化はない。先月に引き続いて振り込まれた額は0ポイント。これはきっと須藤くんの起こした喧嘩の影響だ。
クラスのみんなも、もう1時間ほど経ったら起き始めて、この事態に気がつくだろう。まだ何があったのかを知らないみんなが混乱に陥るのは容易に想像ができて、朝から気の滅入った私はついため息を吐く。
まだ事件解決の糸口は見つかっていない。
(……そもそも、須藤くんがCクラスの3人に怪我を負わせたことは事実だから、無罪放免は難しいよね)
でも、泣き寝入りはしたくない。
これが須藤くんを、そして私たちDクラスを貶めるための戦略である可能性を考えると、そう思う。
ベッドから出て、普段通りに朝の仕事と身支度などを終わらせると、クラスのグループチャットはポイントの話で持ちきりだった。みんなは今度こそ学校側の不手際であることに期待しつつ、不安な様子だ。
私はそれを見ながら、須藤くんに、今日は時間ギリギリに登校するよう連絡する。早く登校したとして、教室中がその様子では、罪悪感が酷いだろうから。
他に今できることは、登校しながら周囲の様子をよく観察しておくこと。どうやら、私たちDクラスとお相手のCクラスのみならず、1年生全体のポイントの支給が遅れているらしいということはすぐに分かった。
けれどそれはとりわけ重要な情報でもない。
そのまま特に手掛かりとなりそうなものは見つからず―――私は教室に着いた。引き戸を開けると、私を待ってたのか、すぐに井の頭さんが手を振ってくる。
「おはようっ、嬉野さんっ」
努めて明るく振舞ってくれている。
それが私には分かってしまう。
中間テスト以降、井の頭さんにはそっけない対応を続けていたけど、その成果はあまり得られてない。向けられる好意はさほど減衰はせず、けれど彼女を傷付けていて、私はアプローチを変えることにする。
「おはよう、井の頭さん。今日は早いね」
「あ、あはは……うん。最近ちょっと目が早く覚めちゃうことが増えちゃって。それで早く来たんだ」
「それは大丈夫? 体調が良くないとかだったら病院まで付き添うし、気持ちの問題で眠りが浅くなっちゃうとかだったら、私でよければ相談にも乗れるよ」
そう言うと、井の頭さんは目を丸くする。
思いがけない優しさに戸惑っているみたい。
それから表情が少し綻び、だけどすぐに、頬を紅潮させつつも焦ったような様子で首を横に振った。
「だ、大丈夫! 大したことじゃないからっ」
好意が私にばれて欲しくない。
そんな思いが、そのそぶりから伝わってくる。
だからこそ私は、その反応に気付かないふりをして、それから流れるようにポイントの話に移行する。
続々登校し始めるみんなの話題にのぼっているのも、一様にポイントの話。今月こそは振り込まれると思っていただけに、みんなの戸惑いや不安は大きい。
やがて朝のホームルームの時間になり、みんなは散り散りに席に座る。茶柱先生はすぐにやって来た。
「さて、早速だがお前たちには伝えることがある。すでに気付いている者も多いだろうが、今月も、お前たちにはポイントが振り込まれていない状況のはずだ」
続く言葉を、私たちは固唾を呑んで待つ。
「その原因だが、そこの須藤とCクラスの3人が、どうやら喧嘩をしたらしい。基本的に生徒同士の諍いに学校は介入しないが、それが暴力を伴うものであるなら話は変わってくる。言いたいことは分かるな?」
みんなの視線が一斉に須藤くんへ向いた。
それは事態を把握し切れなくて困惑の色合いが濃いものだったけど、すぐに非難の感情が強くなったのを敏感に感じとった須藤くんは苛立ちを浮かべる。
「俺は悪くねえ。悪いのはあいつらだぜ」
「―――と、須藤は一環して無罪を主張している。だがCクラスの3人によると須藤が一方的に殴ってきたとのことだ。現に須藤が怪我をした様子はなく、一方でCクラスの生徒は怪我のため安静にしている」
「ハッ、んなのあいつらが弱いだけだぜ」
「つまり怪我をさせたのは認めるのか?」
「ああ認めてやるよ! だがあいつらが悪いんだぜ。俺を執拗に何度も挑発したんだから自業自得だろ」
吐き捨てるようなその言葉を、茶柱先生は冷笑で切り返した。須藤くんの額に青筋が浮かぶ。
「その証拠はあるのか?」
「ああ?! んなもんあるわけねえだろ!」
「なら話はこれで終わりだろう。お前はCクラスの生徒3人に暴行を加えた。相手は怪我を負った。状況証拠からして一方的に相手を殴ったと考えるのが妥当だ」
さしずめ裁判官のような、冷酷な宣告。
それと同時に教室内の空気は凍り付き、それを破るように、須藤くんが勢いよく立ち上がった。
ガタンッと音を立てて倒れる椅子。
唇を固く結び、肩をいからせ、荒い呼吸が喉の奧から獣のような響きをもたらす。その目からは殺気が漏れ出ていて、生徒の誰かが悲鳴をあげた。
私もぞくりと心臓が粟立つのを感じる。
だけど茶柱先生はそれさえも一笑に付す。
「いきなり黙ってどうした? 殴らないのか? 殴るだけが脳のお前が今ここで殴らずしてどうする」
ぷつり、と何かが切れた音がした。
「―――先生」
低く、ドスの効いた声が教室全体を震わせる。
それが私が発したものだと自覚するのに、そう時間はかからない。私だって須藤くんと同じだ。理性は残しているけど、友達を貶されるのは我慢ならない。
「発言の撤回をしてください、茶柱先生」
「……それは何に対してだ?」
さっきまで余裕そうにしていた先生が、私の表情を見て、少し焦りを浮かべながら目を泳がせる。
「須藤くんを貶したことに対してです。殴るだけが脳だなんて、教師が発していい言葉じゃありません」
「事実だろう。現に須藤は今―――」
「茶柱先生」
私は苛立ちを露わにして再度名前を呼ぶ。
その効果は劇的で、先生さえも、出かかった言葉を引っ込めた。
教室中に張り詰めた空気が満ちる。
その中で声を発せられるのは私だけだった。
「私は、友達を馬鹿にされても平常心でいられるほど、寛容じゃありません。茶柱先生の、生徒を馬鹿にするような態度にはほとほと呆れ返りますよ」
「……社会に出れば性格の悪い上司など山ほどいる。煽られることも少なくないだろう。お前たち2人はその度に怒り、そうした相手に歯向かうつもりか?」
「なるほど。つまりさっきの発言は教育のつもりだったと。ずいぶんと教え方がお上手なことですね」
私が嘲笑すると、茶柱先生も険しい顔をする。
沈黙が、再度教室を支配した。咳払いのひとつでさえ憚られる。そんな空気感。隣を見てみると、須藤くんは立ったままに、呆気にとられた様子だった。
(……そういえば前も似たようなことあったね)
私は中間考査前の出来事を思い出す。
あの時は堀北さんの胸倉を掴み上げた須藤くんを制するために、わざと怒った。今回は私も単にキレただけだけど、図らずも同じ効果があったらしい。
そうと考えると、私は頭を冷やして、事態の収集を図る。これ以上私が激おこしたって意味がない。
「……ごめんなさい。口が過ぎました」
いきなり激おこプンプン丸状態を解除すると、茶柱先生は面食らった様子で押し黙る。返答を待たずに私は席に座り、すると続いて、須藤くんも座り直した。
そのまましばらくフリーズ状態だった茶柱先生だけど、誰も話しかけないでいると、自力で再起動する。
「…………いや、私も言い方が悪かった。ひとまず話を戻そう。どこまで話したのだったか……」
「ポイントの振り込みがない理由を教えていただいたところです。事件の概要まで先生は話されましたよ」
「……そうだったな、悪い。話を再開するが、このままでは、須藤は少なくとも停学。さらにクラスポイントの減少は免れられない。事態が収集した後、各クラスにポイントの振り込みが行われる手筈ではあるが、最悪、お前たちへの振り込み額はまたゼロだろう」
するとまた須藤くんに非難の視線が殺到するけど、今度は私が動く前に、茶柱先生がそれを宥めた。
「だが解決策はある、……かもしれない。3日後に生徒会が今回の事件を仲裁する運びになっている。それまでに須藤を擁護できる材料を集めておくことだ。それさえあれば、多少は罰則が緩和されるだろうからな」
「いずれにせよ罰は免れられないのでしょうか?」
堀北さんがそう聞くと、茶柱先生は少し悩んだ素振りを見せ、それから首を横に振る。私も同じことを聞きたかったところだ。とれる言質はとっておきたい。
「この学校の教師として、それにはイエスともノーとも答えられない。だが私個人としては今のところ具体的な解決策を思い付いていない。堀北はどうだ?」
「……いえ、今のところは」
「そうだろうな。だが諦めないことだ。須藤のため、いや、Aクラスに行きたいなら必要なことだろう」
そうして、朝のホームルームは1時間目の予鈴と同時に終わりを告げる。茶柱先生が教室を出ると、今度は打って変わって、微妙な沈黙に満たされるクラス。
須藤くんへの反感、あるいは呆れ。何もしてないのにまた巻き込まれたことへの苛立ちや、Aクラスが遠のくことへの焦り。それら全てがない混ぜになった教室内で、私は真っ先に、自分がどう動くかを決めた。
それは中間考査のときと変わらないやり方。
みんなの前に出て、みんなに協力して貰うこと。だけど今回は、勉強会のように明確な対策方法がない。
だから私は懸命に思考を回す。
どうしたら須藤くんの無罪を勝ち取れるのか。
そのために、みんなに協力して欲しいことって?
これが、まず最初の難問だった。
更新遅くなっちゃってすみません…!
納得のいく構成にするまでに時間がかかりました…