私とホワイトルームを罰する方法(旧題:君のことをもっと教えて) 作:花音ゆず
その後事情を把握したオレは、2人と共にケヤキモール―――の中にある家電量販店へと向かった。
今日も今日とて外は気が滅入るほどに日差しが強い。オレはこれまでの人生を施設内で過ごしていたため、こうした気候は正直なところ苦手だ。そこでオレは、襟元をあおぎながら鞄から扇子を取り出す。
日本はケッペンの気候区分において温暖湿潤気候に分類され、この時期になると容赦のない気温に加えて80%前後の湿度がオレたちを襲うとされている。
そこで、先見の名があったオレは入学して間もない頃、まだ需要が少なく価格の上昇を迎えていない段階でこの扇子を購入した。これで多少はこの殺人的な暑さを抑えられるに違いない。そう思いながら首元の汗をタオルで拭い、オレはふと隣の女子を盗み見る。
「どうしたの? 綾小路くん」
その視線に気付いた櫛田は、オレに胡乱げな視線を返す。オレは慌てて視線を正面に引き戻した。
「いや、最近、女子がその小型扇風機を持っているのをよく見かけるからな。今はそれが流行りなのか?」
「今っていうかだいぶ前からそうだよ? というか綾小路くんはどうして扇子なの? ……今時、扇子を使ってるのって、私のお父さんの世代くらいだと思う」
「これはこれで悪くないぞ。意外に涼しいものだ」
とは言え、ここまで暑いと焼け石に水だな。
「そうなんだ。そしたらこれと比べてみない?」
「いいのか?」
「ちょっとだけねっ」
オレは櫛田から小型扇風機を渡され、代わりに扇子を渡す。その後すぐに扇子で仰いでみせた櫛田だが微妙な表情だった。どうやらイマイチだったらしい。
それほどまでに落差があったのか……、そう思ったオレは、期待を高めながら電源ボタンを押した。羽が勢いよく回る音とともに涼しい風が身体を直撃する。
「どう? 涼しくないかな?」
櫛田はオレに身を寄せ、上目遣いを送る。
この時期にもなるとクールビズのため第1ボタンは開けられており、ふと目に入った艶かしい鎖骨からオレは強い意思で目線を外した。それはそれとして
「最高だ。この場で買い取っていいか?」
「あはは、さすがにそれはダメだよ綾小路くん。最近ずっと暑すぎてこれがないと私も生きられないもん。でもちょうど家電量販店に行くんだから、付き添いついでに適当なのを見繕ったらいいんじゃない?」
「そうだな、そうしよう。扇子はお蔵入りだ」
扇子の代金は無駄だったが残念な気持ちはない。
これもまた学びだ。ホワイトルームでは触れることなど叶わなかった代物。そもそも必要のなかった代物。それに触れたことでむしろ充足感が心を満たす。
「ところで櫛田に1つ聞きたいんだが」
「うん? どうしたの?」
「どうして今日、オレを誘ってくれたんだ?」
なんとなく、オレは声を潜めて問いかける。
すると櫛田は背後を歩く佐倉に一瞬目を遣り、それからオレに視線を戻して、手招きする。オレはその意図を正確に汲み、櫛田の口元に耳を近付ける。
「簡単に言えば、前に嬉野さんが綾小路くんにしたみたいに、これが友達を作るきっかけになれば良いなって思ったんだ。大したことじゃないけど、このこと佐倉さんが知ったら気を遣わせちゃうだろうから」
だから小声で喋らせてねと櫛田は言う。
「なるほどな。だがオレなんかでいいのか?」
「うん、私なりに色々考えた結果かな。女子ってヒエラルキーが強いから適任な子がなかなか見つからないし、かといって、池くんや山内くんみたいな男の子とも馬が合わないんじゃないかなって思ったんだ」
「平田はどうだ? あいつなら上手くやるだろ」
「平田くんなら確かに安心して任せられるけど、軽井沢さんがいるからさ。彼女を差し置いて女子と出かけるのってお互いにとってあまり良くないだろうし」
確かに痴情のもつれに発展しかねないかもな。
それは平田と軽井沢にとっても、佐倉からしても、それから、仲介役の櫛田にとっても喜ばしくない。
「じゃあ堀北を誘ったのはどうしてだ?」
「それは私情だね。さっきも教室で言ったけど、連絡先を交換してないのってあと堀北さんだけだから」
「なるほど、櫛田はやはり凄いな。よくクラスを見ている。オレ自身は積極的に話すタイプではないから自信はないが、もし良かったら助けにならせてくれ」
「ありがとっ。でも来てくれただけで嬉しいよっ」
喜びを露わに、櫛田は白い歯を見せる。
嬉野とはまた別の才能だな。これは。要点を捉えて言うならば、嬉野は個々人の細かな部分と向き合うのに長け、櫛田は全体を俯瞰する能力に長けている。
そんな風に分析しながら炎天下の中を歩いていると、オレたちはついにケヤキモールに到着した。
冷房の効いた屋内に迎え入れられ、オレは一瞬ここが天国かと錯覚する。だが慢心はしない。急な寒暖差は体に毒だからな。汗を拭わないでいては風邪をひきかねないため、オレはまたタオルを取り出した。
「まずは佐倉のカメラを直しにいかないとな。家電量販店は確か1階だったか?」
「……は、はい。あの、…………案内します」
そう言ってオレと櫛田の前を佐倉が進む。その足取りは重い。よほどカメラが大事だったのだろう。
スマートフォンでも写真を撮れる時代になぜデジカメに拘泥するのかは分からないが、あまり仲良くなれていない相手に聞くものでもないな。オレと櫛田は視線を交わらせ、静かに奥へと歩く佐倉に続いた。
やがてケヤキモール1階の入り口から最も離れた場所で、商品が整然と並べられつつも、陳列棚や天井に貼られた騒がしいポップがオレたちを出迎える。
(これはまた刺激的な場所だな)
楽しげな広告が至るところに貼られており、また、どこに何の商品があるのかひと目では分からない内装。それが逆にオレの好奇心をくすぐるようだ。
目新しい商品の数々である以前に、この場所そのものが未知のジャングル。オレは思わず見て回りたい気持ちに駆られるが、ここは佐倉と足並みを揃える。
だがその足はすぐに止まる。
レジを目前にして、佐倉が立ち止まったためだ。
「佐倉さん? どうかしたの?」
すぐに異変を察知した櫛田が佐倉に問いかける。
だが返事はない。佐倉の視線は正面に固定されたままで、それを辿るに、どうやらレジにて接客をしている男性店員を見つけて動けなくなったようだった。
そういえば、佐倉は極度の人見知りだったな。
ここは男として先導するべきかもしれない。幸い、オレに対してはそこまで拒絶反応を見せていない。
そう思ったオレが一歩前に進み出て、振り返りざま佐倉に声をかけてみようと思ったところ、その表情を見たオレは喉元に迫った言葉を引っ込める。佐倉は見開いた瞳孔を小刻みに震わせ、顔は青ざめていた。
どうやら事態は想定していたより深刻らしい。
これを単なる人見知りの延長線上のものごとだと解釈していいのか。オレと同じことを考えているのか、櫛田でさえ対処しあぐねた様子で眉根を下げている。
ここに嬉野がいたら話は早かったんだが……。
そう思っているとついに櫛田が動いた。真剣な表情で佐倉の右横に近づき、その手を優しく両手で包む。
「佐倉さん、大丈夫……?」
そこでようやく佐倉の瞳が櫛田に向く。
顔色の悪さは変わらないが、櫛田の気遣いが効いたのか、気弱さの中にも意を決した様子で口を開く。
「だ、大丈夫……です。ありがとう、ごさいます」
「本当に? 無理はしていない?」
櫛田の念押しに佐倉はコクコクと頷いた。
無理をしているように見えるが、本人がそう言っている以上は、更なる追及は野暮な気もしてくる。
そう思い、オレは櫛田とともに佐倉の前を進んでレジに並ぶ。順番はすぐに回ってきた。
前の人の会計が終わると同時に1歩前へ進む。
「すみません、カメラの修理をお願いできますか」
「かしこまりました。修理でしたらまず……」
そう言いかけて、店員は口をあんぐりと開けたまま静止する。その視線は正面にいるオレと櫛田をスルーし、傍らで縮こまっている佐倉にのみ注がれていた。
そのせいで佐倉は余計、ビクビクした様子をする。
オレはそれを見て店員の視線に割って入る。
「あの?」
「っ、失礼しました。ひとまず修理が必要なカメラをこちらにお出しいただけますか? また当店でご購入いただいた物でしたら保証期間内ですので、購入履歴と照合のため学生証のご提示をお願いします」
店員は慌てて言葉を繋ぎ直し、ぎこちなくも業務的な態度を取り戻そうと努めていたが、その目元に一瞬走った動揺は、オレの見間違いではないだろう。
佐倉は震える手でカメラと学生証を取り出し、そっとレジ台の上に置いた。顔は伏せられているがその仕草から不安な様子が伝わってくる。それが何に対しての不安なのかまだ判断材料に欠けているが―――。
「ありがとうございます。本人確認のほう完了いたしました。ちなみに故障の原因はお分かりですか?」
「落とした時の衝撃で電源がつかないようです」
オレは佐倉に代わって事情を述べる。
「かしこまりました。先ほど確認させていただいたところ保証期間内ですので、費用はかかりません。修理には1週間前後かかりますので、完了次第、SMSにて店舗からご連絡差し上げます。よろしいでしょうか?」
「は、はい……っ。お、お願いします……」
ようやく発せられた佐倉の声は掠れていた。
「では、こちらが受付票になります。大切に保管してください」
店員が差し出した紙を、佐倉は震える手で受け取り、胸元にそっと抱えるようにして頷いた。オレと櫛田もそれに合わせて軽く頭を下げ、レジを離れる。
店員の表情を確認するために、もう一度だけ振り返ったオレは、そこである種の違和感を覚える。
彼の目が、佐倉の背中を追いかけていたのだ。
その視線には、単なる接客の延長ではない、奇妙な……いや、執着のようなものが滲んでいた。
(いったいどういうことなんだろうな)
佐倉の異常な反応、そして店員の反応。それを繋ぐ何かがあるような気がしてならない。だが、今はまだ確証はないし、下手に突っ込むのも得策ではない。
「……佐倉さん、本当にお疲れさま。よく頑張ったね」
櫛田が優しく声をかけると、佐倉はポツリと「はい」とだけ答えた。まだ顔色は冴えないが、それでも先ほどよりはしっかりしているように見える。
「このあと少しだけ寄り道していってもいいかな? 綾小路くんが扇風機、見たいって言ってたし」
「先に帰っても構わないぞ。付き合う必要はない」
あまりこの場に留まりたくないだろう。そう思ったのだが、意外にも、佐倉がぐいと身を乗り出す。
「……あの、私も……一緒にいてもいいですか?」
「もちろん! 3人で見て回ろうよ。ね、綾小路くん?」
「ああ、佐倉がそれでいいならそうしよう」
本人がそう言うならオレはそれを拒まない。そうして、オレたちは扇風機コーナーへと足を向けた。